クラップロイド

しいたけのこ

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サソリの毒

ロイド誕生

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「また失敗か」

 黒いスーツ姿の男は、ガラスのパーティションの向こうで起きる惨状を見つめ、呟いた。


 強化ガラスの壁の向こうでは、拘束具を付けられた男がのたうち回り、血反吐を撒き散らしながら死んでゆく。仄暗い照明の下で、床に散った血はテラテラと輝く。


「未だに安定した数値は出ていません。やはり『パラサイト』の開発は中止になった方がよろしいかと」
「中止? 馬鹿な、これは人類の進化だ。ここでやめるなど」


 研究者が言うのを冷たい声で否定し、男はガラス越しに血だまりを見下ろす。やがて、被検体と思しき人間は体内の血を吐き切り、干からびて床に倒れた。その口からもぞもぞと、サソリじみたフォルムの機械が這い出る。


「……それに、ここまで美しい。良いじゃないか、美しいものを残すのは人間の自然の摂理だ」


 サソリじみた機械は身体をゆすり、のそのそと歩き出す。その様を見ながら、男はガラスに手を押し当て、恍惚として呟いた。






「今回の見学では、クラリス・コーポレーションのさまざまな製品を見ていただく事になっております」


 バスの揺れでうとうとしかけた俺の意識は、ガイドさんの声によって引き戻された。目を開き、顔を上げると、あたりは楽しげな声で満ちていた。

「左手をご覧ください。あそこに見える大きな工場は、わが社の自慢のコンビナートのひとつです」


 見れば、道路を挟んだ向こう側に、大きな工業地帯が設立されていた。飛び出した煙突から灰色の煙を吐き出しまくるその風景は、都会の街によどんだ空気を与えていた。

 しかし、クラスメイト達はそんな事を気にもせず、その壮観な眺めに声を上げている。


「きったねえ空気」

 ふと、隣から声が聞こえた。見れば、眼鏡をかけたインキな顔つきの男子が、同意を求めるかのように俺を見ている。

「しょうがないだろ、アレがあるから俺らの生活が成り立ってるんだし」
「達観しやがって。そもそもなんで俺達、今頃になって社会科見学なんてやってんだ」
「……しょうがないだろ。クラリス・コーポレーションの寄付のおかげで、俺らの学校は運営されてるんだし」
「お前、しょうがないって言葉、ホント好きだな」

 コイツの言葉遣いには棘があるように感じるかもしれないが、付き合いの長さゆえの棘だ。


「はいはーい! おねえさん、彼女居る!?」

「馬鹿だろ」

 楽しげな連中がガイドのお姉さんに質問するのを見、インキなコイツは笑って毒づく。最近棘増してるな……。

「良いだろ、楽しんでるんだし。お前も楽しめよ」
「俺は楽しんでるさ。見ろよ」

 見れば、コイツは携帯端末で美少女の画像を漁って見ていたらしい。相変わらずだ。

「お前、ホントそれ以外の趣味も見つけた方が良いんじゃねえの」
「人の趣味だぞ、ばかにすんなよ」
「してねえけどよ」

 誤解を解こうとした時、既にバスは停車していた。生徒たちが立ち上がり、降車して行く。

「アワナミ高校の皆さん、それではこちらへどうぞ」

 ガイドのお姉さんが降りて行く。皆は荷物を持ち、各々のペースでバスを降りる。結局、俺達が降りるのはかなり最後の方になってしまった。

「社会見学?」
「楽しいだろ、座ってるよりは」
「どうだかな」


 バスのステップを下りながら、皮肉たっぷりのコイツの会話と付き合う。空まで皮肉めかして晴天である。


「大体、あっついんだよな……こんな時期に」
「それはまあ、分かるよ」


 アスファルトを歩き、クラスメイトの集団について行きながらリュックを背負う。俺達が行く先には、巨大なビルが立っている。


 あそこに入ればクーラーくらいあるだろう……そう思ってトボトボ歩いていると、背中に強烈な衝撃が加わった。

 声も上げられずにスッ転ぶと、耳に障る笑い声が響く。腰をさすりながら振り向くと、そこには派手なメイクの女子生徒グループが立っていた。


「あ、ごっめーん。トロいから殴っちゃった」

 1人の女生徒が笑い、周りの生徒たちが同調して笑い声をあげる。先程犯行声明を出したこのリーダー格、コイツの名は鬼城 灯(キジョウ アカリ)だ。その苗字の通り、鬼のように性格がキツイ。だから皆、怖がってコイツにしたがっている。

「……」

 言い返すのが怖いから黙って立ち上がると、アカリは気に入らなそうに目を細め、地面に唾を吐いた。いやそれ地面が可哀想だろ。俺に吐けよ。

「ま、クチナシくんは何も言い返せないよね。くっだらねー、じゃあね」

 アカリはそれ以上何も言わず、俺の肩に肩をぶつけて通り過ぎた。それにならい、奴を囲っている大量の女子も俺を1回ずつぶちながら通り過ぎて行く。


 このような事はクラス内では日常茶飯事であり、もはや誰も見向きもしない。引率の先生すらも。


「おいおい、大丈夫かよ」
「いつもより楽だった」

 汚れを払っていると、それまで気配を殺していたインキな友達が歩いてきた。いつもながらの完璧なフェードアウトに少し呆れながらも、言葉を返す。


「いつもなら、あそこから蹴られてもおかしくないんだけどな」
「……まあ、お前がクチナシくんで居るお陰だな。無関心は良い事だ。さすが、クチナシくん」
「お前までそう呼ぶのかよ……」

 わりと傷付くからやめてほしい。俺にはちゃんと名前があるのだ。


 俺は苦笑すると、リュックを背負い直し、また歩き出した。






「……などなど、沢山の製品が開発されています」


 ガラスの向こうに並べられた製品を見ながら、俺達はガイドさんに案内され、会社の中を歩き回っていた。まるで博物館のような整然とした並びに、学生である俺達はただ圧倒されていた。


「では、ここで10分間の休憩を挟みます。トイレに行きたい人は、今の内にどうぞ」
「おい、これが終わったらレポート書いてもらうからな。全員、しっかり見学させてもらっとけ」

 ガイドさんが休憩開始を告げ、引率の先生が注意する。俺とインキな友達は、隅っこに置いてあったソファに座り、圧巻の製品群を見ていた。

「……これすげえな」
「ああ、こんなにあるとは思わなかった。見ろよアレ、あのエンジン。デカすぎねえ?」
「宇宙開発用だってよ。世間の何年先を行ってんだろうな」

 互いに語り掛けながら、平和に時間を過ごす。感想は尽きず、ずっと話していられるような気がした。

「おい、ジュース買って来いよ」


 気がしただけだった。いじめっ子であるアカリがいじめられっ子である俺を放っておくはずがなく、今日も楽しそうにいじめに来た。

「えっと、でもあと5分しか時間が無いし……」
「はあ? クチナシくんが口答えしてんじゃねえよ、早くしろよ」

 ちょっと理を説こうとしたら、世にも恐ろしい形相で脛を蹴られた。俺は激痛に顔をしかめながら、しぶしぶソファから立ち上がる。その様子が大層面白かったらしく、アカリの取り巻きの女子たちはクスクス笑っている。


「お金は……」
「お前のおごりに決まってんだろ、カイショウナシが」


 恐る恐る尋ねると、非常に恐ろしい回答が返って来る。俺は時間通りに帰って来る事を諦め、自販機を探して歩き出した。

 インキな友達はこそこそと向こうへ逃げている。こういう時の気配の殺し方は一流なのだ……。





「ようやく見つけた!」


 ビルを3階分ほど降り、駆けずりまわってようやく自販機を発見した。普通の社員エリアに来てしまったらしく、周囲では社員さんが俺の事を物珍しそうに見ている。

 だがそれに構っている暇はない。腕時計は、既に休憩時間を3分過ぎた事を示している。

「えっと……」


 ここで俺は致命的な事に気付く。何を買って来い、とは聞かなかったのだ。もし何か買って行って「飲めないからもう1回行ってこい」などと言われた日には悲惨だ。

 自販機の前で固まっていると、ポンポンと肩を叩かれた。振り向けば、そこには、やわらかな表情の男性が立っていた。


「キミ、上の階で見学してた学生さん?」
「あ、えっと、俺……すみません、抜け出すみたいになっちゃって」
「いやいや、喉が渇いたなら仕方ない。縛り過ぎるのは学校の良くないところだよな」

 てっきり責められるかと思っていた俺は、男性の物言いに脱力した。ジュースを買いに行かされて、しかも社員さんに責められたら立つ瀬もない。

「どれを飲みたいんだい? ここは先輩社会人として奢ってあげよう」
「あ、いや、その……俺は別に……」

 ここまで口にしてしまい、俺はしまったと口を抑える。俺が飲みたくないのなら、誰の為にここまで来たのだ、という話になる。

 男性は不思議そうに眉を吊り上げ、そして苦笑した。彼は自販機に銭を入れ、コーヒーを2缶買うと、俺に1缶押し付けるように手渡す。


「学校が嫌で抜け出して来たんなら」

 男性は相変わらず穏やかな声で、しかし悪戯っぽく続ける。

「先生には黙っておいてあげるから、付き合いなよ」

 違う……と言いたかったが、いじめられている事や、助けてくれないクラスメイト、先生の事を考えると、違うとも言い切れず、俺は口をつぐんでしまう。

 男性はビルに外付けされた階段の踊り場まで歩いて行き、俺を手招きする。言われるがままに歩いて行けば、青空が見える階段は、爽やかな風を感じられて気持ちがいい。


「良い場所だろ? 暑い日はここに来ると最高なんだ」
「そう……っすね」

 これからどんな説教を食らうんだと戦々恐々な俺は、ぎこちなく返す。男性はまた苦笑いし、コーヒーのタブを開いてひとくち飲む。

「別に、怒ろうってんじゃないよ。それは先生の役割だし……あ、コーヒー嫌いだった?」
「あ、いや、コーヒーは好きっす……」

 言われて、俺は慌ててコーヒーを口に運ぶ。口内に広がる苦みで、少し意識がさっぱりする。

「キミ、名前は?」
「タカです、堂本 貴(ドウモト タカ)っていいます」
「タカくんか。……タカシとかじゃないんだな」
「親が、ちょっと変わった名前が良いとかで」
「あははは、成程ね。僕はシマヨシっていうんだ」

 シマヨシさんはちょうど今吹いている風のように爽やかに笑い、踊り場にもたれかかって外を見つめる。向こうには都会の街並みが広がっており、高層マンションやコンビニ、ビルが立ち並んでいる。


「製品、見た?」
「はい、見たっす」
「どう思った?」
「どう……って、すごい技術だな、としか……」


 小学生並の感想しか言えず申し訳なさを感じていると、シマヨシさんは微笑んで俺を見た。

「技術が凄い事が分かれば大したものさ。上に置いてあるものは、僕たちの技術力の結晶だ。頭をひねって、うんうん唸って、数か月かかってようやく生み出された最先端のものがそこに置いてあるんだ」

 シマヨシさんはコーヒーを飲み、また外に視線を移す。俺には話の規模がいまいち理解できず、曖昧に頷く事しかできない。

「……時々、ワケが分からないものも出来る。でも、それも人のためになると信じて造ってる。まあ、たまに役に立たない事もあるけど……」
「でも、何が役に立つかなんて、分からないっすよ。作れるって、すごい事っす」
「ははは、そうかな。……かもしれないな」

 シマヨシは俺を見、にっこりと笑顔を深める。俺はなんだか気恥ずかしくなり、誤魔化すように街並みを見る。

「……クラリス・コーポレーションは、人々の未来を作る。キミ、良かったらここも進路の1つとして考えておかないか?」
「えっ」
「勿論、大学を終えてからになるだろうけどね。でも、きっとキミにも合うんじゃないかな。技術を進歩させるのは、きっと気持ちいいぜ」


 ふわりと笑いかけられ、俺はおもわず二つ返事で了承しそうになる。だが、そもそも入れるとは言われていないのだ。

 うっかりいつもの悪癖を出して黙り込んでいると、シマヨシはふと寂しげな顔になり、遠くの空へ視線を移した。

「……勿論、技術っていうのは良い面だけじゃない。人を助ける心を利用しようとする連中は、何処にだって現れる」


 シマヨシさんの視線の先、コンビナートから立ちのぼる重苦しい煙が、都会の空を染めて行く。


「それでも、誰かがやらなきゃならないんだ。今日の行動は、きっと誰かを救うと信じてる」
「……素敵っすね」
「そうかな。ここに居る人は、皆そう考えてると思うよ」


 俺は、シマヨシさんはお人よしなのだと思った。それも、底抜けのお人よし。もし本当に善い人がそんなに沢山いたとしたら、誰も苦労はしない。俺がクチナシくんなんて呼ばれてる事もない。


「それは、どうでしょうか」
「あはは、キミは現実的だな。……でも、少なくとも、キミは悪い奴じゃないだろ?」
「まだ会ったばっかりっすよ」
「分かるさ。コーヒーを一緒に飲んでくれてる」


 お人よしにも程がある。馬鹿かもしれない。今度は俺が苦笑すると、シマヨシさんもつられて笑い声を出す。


「あはは、まあとにかく、僕の目的も達成した事だし……そろそろキミも戻りなさい。先生には怒られるかもしれないが、その時は僕の名前を出していいから」
「あ、はい……え? シマヨシさんの目的って?」


 思わず尋ねると、シマヨシさんはウィンクして俺を指さした。


「しかめっ面ばっかりだったキミを笑顔にすること。これもまた、人助けの技術ってヤツさ」







「ボス、全員準備完了です。クラリス・コーポレーションへの襲撃準備は整いました」
『いいぞ。まずは警報システムをダウンさせ、それから見学中のガキ共を人質に取るんだ。分かったな』
「オーライです、ボス。おいテメェら、聞いたか。準備するぞ」

 清掃員じみた格好の三人組が、クラリス・コーポレーションのビル内部の踊り場に立っていた。彼らは傍らに置かれた運搬カートの中に手を突っ込み、黒光りするパーツを取り出して組み立て始める。


 そうして数秒後、三人の手にはそれぞれ、小型の銃のようなものが出来上がっていた。


 彼らはまず、ビルの見取り図を広げ、入念に手順を確認して行く。


「まずは警報システムのダウン。警備室をヤった後、順次監視カメラを破壊しながら学生共に近付くぜ」
「へひひ、ナマイキなガキを殺るのが待ちきれねえよ……」
「サイレンサーを忘れんなよ? さあ、クラリス・コーポレーションを落としてやるとしようぜ」

 
 三人は下卑た笑みを浮かべ、素早く動き出した。






「……以上が、展示品の全てです。皆様の生活をサポートするクラリス・コーポレーションの活躍が、少しでも広まれば幸いです」

 ガイドの女性が完璧な笑みを作り、静かにお辞儀する。アワナミ高校の面々からはパラパラと拍手が送られ、少ない謝意が示される。


「てかチョーつまんねえ」
「わかるー」
「だるいよね」


 女子生徒のリーダー格、鬼城が声も落とさずに言えば、他の女生徒はひそひそと賛同する。そのような態度の生徒は他にも散見され、この見学があまり効果的でなかった事は一目瞭然であった。


 だが、そんな中でも、興味を持った一握りの人間は居る。インキな顔つきのメガネ少年が、質問のために恐る恐る挙手した。


「はい、何かございましたでしょうか」


 ガイドの女性は笑みを崩さず、少年を見る。彼は咳払いすると、眼鏡の位置を直し、『それ』を指さした。

「『それ』は一体、なんですか?」
「……」


 少年が指さす先、通路の隅には、黒いガラスの直方体が、まるで置き忘れられていたかのように立っていた。それまで全てを紹介していたというのに、これだけ紹介されないのはあまりにも不自然。

 しかも……。


「何か、音がしているような気がするんですが」


 そう。不透明な直方体の中からは、しきりに何かひっかくような音がするのだ。金属質の何かがぶつかるような音も混じり、不気味な存在感を掻き立てている。


「……えっと、これは……」


 ガイドの女性自身も困惑しながら、なんとかこれを説明しようとする。だがそれは叶わなかった。


 突如、彼らの頭上の監視カメラが火花を散らして粉々になった。


「え?」
「きゃあっ!?」
「うおお!?」


 引率の先生が呆けるように上を見、生徒たちは怯えて頭を抱える。そこへ、大きな足音を立てながら、二人の男が走って来た。その手には、銃。

「おいテメェら、動くな! 動いたら鉛玉ぶち込んでやる、嘘じゃねえぜ!!」

 1人がサイレンサーを外し、銃声を轟かせる。それだけで、高校生の多数は腰を抜かしてへたりこみ、先生ですら怯んだ。


「い、いや……」


 ガイドの女性はこの場で最も胆力があり、行動を起こす事が出来た。つまり、逃走である。……だが、残念ながら、その試みは失敗に終わる。


 彼女が階下に続く階段への扉を押し開いた瞬間、その眉間に風穴が開いた。女性はあっけなく倒れ、血を噴き散らしながら冷たくなってゆく。


「え、え、なに、どういう事……」


 男子生徒の1人が状況を把握できず、尻もちをついたまま死体から離れるように後退る。階段を上って現れたのは、他の二名と同じ、清掃員の服を着て拳銃を持った男性だった。


「おい、銃声がデカいぞ。他の階まで聞こえたかもしれねえ」
「ハン、どうせこの階は封鎖するさ。おい、さっさとハッキングを済ませろ」
「はいはい」


 1名の男性がラップトップパソコンを取り出し、USBケーブルで壁の機器と接続してハッキングを開始する。それを横目に、生徒たちは今自分が置かれた状況を、必死になって理解しようとしていた。


「き、キミ達、何をするつもりなんだね」
「お前、先生か? だったら丁度いい、このガキ共に言って聞かせろ。お前らは人質になった、馬鹿な真似をすれば撃つってな」


 先生が尋ねると、男は冷酷な声色で返す。もう1人の男はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、じっと学生たちを見つめている。


「人質とは、どういう……」
「そのままの意味だ。保険だよ」


 冷酷な声色の男はそれ以上の質問を許さず、先生に銃口を押し付けて座らせる。


 生徒たちはすっかりパニックに陥り、すすり泣きや、早口で何事か囁き合う声が響く。が、それはまたしても銃声で遮られた。


「おい黙れ! テメェら、こっから先、余計な音をひとつでも立ててみろ。二度と音を立てられねえようにしてやるからな!」


 男が叫び、生徒たちは静まり返る。直後、ラップトップパソコンをいじっていた男が顔を上げた。


「ハッキング完了。階の封鎖が始まる」


 男の言葉を待っていたかのように、その階の窓や、他の階に繋がる扉全てにシャッターが降り始めた。日の光が遮られ、部屋の中が一段暗くなる。ハッカーの男はパソコンをたたみ、銃を持って立ち上がる。


「よーし、良いぞ。おい、サツの方はどうだ?」
「今になってこっちへ向かってる、馬鹿な連中だ」
「ははは、うすのろ共め。よーし、メールを送れ。『クラリス・コーポレーションで高校生を人質に取った。返して欲しければ、30億を寄越せ。ビルに警察を近付けた場合、1人ずつ殺していく』とな。ああ、余計な言い訳があった時も1人ずつ殺す、と付け加えろ」
「ふ、うふふ、30億……!」
「30億だ、兄弟! たのしくなるぜ」

 興奮に叫びながら、油断なく男達は銃口を人質に向ける。先生はもはや生徒を守る気力も尽き果て、魂が抜けたように座り込んでいる。剥き出しの危険に触れた生徒たちは、ショックで身動きも取れない。


「良い子だ、全員。黙ってそこに居れば、危害は加えねえさ……おい、『プレゼント』は何処だ?」
「黒い箱に入ってるらしい」
「ははは、奴ららしい回りくどさだな。……『それ』か」


 『プレゼント』なるものを見つけ、男達の内ひとりが、床に立った黒い直方体ガラスへと歩み寄る。途端、不透過のガラスの内側からのひっかき音が激しくなった。


「おい、こいつは本当に『それ』なのか?」
「さあな。もしかしたら、自律型の爆弾でも入ってるかもだ。そんで、俺達がボスにそれを渡した瞬間……ドカン!!」
「おい、冗談じゃねえぞ……奴らならやりかねねえ」


 男たちの間ににわかに不安が広がり、視線を交わす。その内、1人が口を開いた。


「生徒の1人に開けさせりゃ良い。もし爆弾なら、吹っ飛ぶのはソイツ1人だ」
「……」


 言われ、リーダーのような男は生徒たちを見回す。そして、声を押し殺し、しゃくりあげるように泣いていた1人の女生徒に目をつけた。


「お前、来い」
「えっ……」
「来い!」


 ……それは誰あろう、女生徒のリーダー格であった鬼城 灯である。このような極限状況下では、いつもの取り巻きも、誰も助けてはくれないのだ……。








 その様子を物陰からうかがいながら、俺は……堂本 貴は、震える身体を必死に押しとどめていた。気を抜けば顎が震え、歯がガチガチと鳴ってしまいそうだ。


 シマヨシさんと離れ、ジュースを買い終わった俺は急いで見学に戻ろうとしていた。だが、ようやくいつもの学生集団を見つけたと思えば、こんな状況になっていた。逃げようとした次の瞬間には、階ごと封鎖される始末。


 不運にもほどがある。俺は泣きそうになりながら、両手で身体を抑える。


 だが、それよりも不運なのはあのいじめっ子、鬼城だ。今、犯罪者連中に連れられ、黒い箱じみたものを開けさせられようとしている。明らかにまともな雰囲気の箱ではない。流石の鬼城も、いつもの余裕たっぷりのいじめっ子の面影は消え、蒼白な顔で涙すらない。


「クソ、因果応報だぜ……ザマー見ろよ……」


 小声でつぶやきながら、俺は物陰にもっと身をひそめる。だがどうしても気になり、少しだけ顔を出してしまう。


 鬼城は震える手で黒ガラスの直方体じみたものを開こうとしている。指先が震え、蓋の留め金を外すのに何度も失敗している。


 その様が、どうしても哀れであり、目が離せない。俺は知らず知らずのうちに身を乗り出していた。どうにか出来ないか。できる訳もない。だが、何もしないでいるのが正解なのか?


 シマヨシさんの笑顔が脳裏をよぎる。きっと彼が助けたかった人々の中には、彼女のような者も含まれていたのだろう。当然だ。彼は底抜けのお人よしなのだから。なら、俺はどうだ。


 俺は一旦物陰に全身を戻し、深く息を吸った。見学前の馬鹿な会話が懐かしい。夏の暑さや社会科見学の無用さについて友人と語り合った時間が、今や遠い昔のようだ。


「さっさと開け!」


 犯罪者たちが銃で鬼城を小突く。彼女は一層激しく震えながら、ようやく蓋の留め金を外した。そして、震える手で黒ガラスの蓋を、開こうと……。



 犯罪者たちの視線が、生徒たちの視線が、先生の視線が、全て黒ガラスの直方体へと集中した。その瞬間、俺は飛び出した。破滅願望じみた突撃は、一瞬だけ、犯罪者たちの目をかく乱した。


「おいッ!!」


 犯罪者が叫び、反射的に発砲した。生徒たちも先生も頭を抱え、床に伏せるように体を丸めた。鬼城はその銃声に驚き、黒いガラスの直方体を倒してしまった。開いた蓋から中身が転がり出た。


 銃弾は俺の足元の床を抉った。だが俺は構わず、走って行く。やぶれかぶれだ。策などない。撃たれて死ぬ、それも結構。っていうか先生が俺の突撃に合わせてカバーしてくれるとか勝手に思ってたからもう策は破れてる。


「テメェ、良い度胸だ……!」


 三人分の銃口がこちらへ向けられ、精確な狙いがつけられる。俺は自分が死ぬ事を直感し、気圧された。死の恐ろしさが極限まで時の流れを遅くした。。



 マズルフラッシュがあたりを照らす。生徒たちは皆頭を抱え、惨状から目を逸らすように床を見ている。先生ですら、行動を起こさず、両手を頭の上で組んで俯いている。


 鬼城は悲鳴を上げ、倒れ込むように床に伏せている。動くものは、銃弾と、俺と、……床の上を、何かが高速で這って来る。



 それは鈍色に光りながら、六本の足を猛スピードで動かし、昆虫のように迫って来る。サソリのような見た目の『それ』は、……残念な事に、一目散に俺を目指しているようだ。


 俺は悲鳴を上げようとした。だが次の瞬間、サソリは大きく開いた俺の口の中に飛び込み、喉の奥へと潜り込んで行った。



 嘔吐感、ぐらつき、ショック、何故か全身の痛み、その他もろもろの衝撃的要素が俺に膝をつかせた。弾丸が俺の頭上を通過した。状況の理解はさっぱりできなかった。



 耳の外の音がぐわんぐわんと歪んで聞こえる。誰かが叫び、またマズルフラッシュが世界を切り裂いた。


 俺はふらつき、体を横倒しにして床に倒れた。今度は顔のすぐ横の床に弾丸が当たり、木片を撒き散らした。激烈な痙攣が肉体を襲い、まるでエクソシストのように俺は両手足をつっぱり、床を叩いて起き上がる。立ち上がる。



 全身の痛みが消えた。視界が晴れ渡り、文字が世界に浮かび上がった。『起動』。


 犯罪者のうちの一人が、俺の顔目掛けて発砲した。反射的に掲げた腕は、弾丸を遮り、弾けさせた。


『えっ』


 妙に軽い感覚に戸惑い、自分の身体を見下ろす。そこには、銀色に光る甲殻じみた装甲が出現していた。


『なんだこれ、なんだこれ』


 よくよく聞けば、自分の声もくぐもって、奇妙に歪んでいる。俺は自分の顔を触ろうとし、妙に固い感触に遮られた。頭も、甲殻のようなものでカバーされているのだ。


『なんだこれ!?』
(ハローワールド。ご主人様、こんにちは。現在の時刻を設定してください)
『現在の時刻!?』


 誰か分からない相手に語り掛けられ、俺は周囲を見る。だが、周囲に居るのは、怯えた生徒と先生、そして犯罪者三人組だけである。その犯罪者三人組は、銃のリロードを終え、俺に狙いを付けようとしている。


(敵意を確認。反撃なさいますか?)
『ええっと、する、したいけど、どうやって? っていうか、誰ですか?』
(多様な反撃パターンが提示できます。検索結果から最適解を抽出中)

「おいテメェ、動くんじゃねえぞ!」
『はいっ!!』


 悪党に銃口を向けられ、思わずホールドアップして無抵抗の姿勢を示してしまう。犯罪者たちは油断なく構えたまま、ちらちらと視線を交わす。

「……お前、アイツを拘束して来い」
「俺が!?」
「他に誰が居るんだ! さっさと行け!」

『ど、どどっ、どうしよう……』
(大丈夫、今の貴方はワンランク上の人類です。銃弾なんてへっちゃらですよ!)
『ワンランク上!? 無責任な言うなよ!』


「さっきからぶつぶつ一人でうるせえぞ! 妙な真似してみやがれ、全員で撃ち込む!」


 どうやら会話相手の声は周囲に聞こえていないらしく、怪訝な表情で犯罪者が叫ぶ。ピリピリした殺気に打たれ、俺はビクリと身体を震わせる。


(なるほど、ご主人様は腰抜けですね。登録しておきます)
『腰っ……!?』
(では、腰抜けのご主人様にも可能なムーヴを表示します。チュートリアルといきましょう!)


 頭の中の声がそう言うなり、俺の目の前に予測進路じみた青い道筋が現れた。それは、俺が犯罪者たちを吹き飛ばすシミュレーションホログラムである。


『……いや、映画じゃないんだから』
(事実は小説よりも奇なり。習うより慣れろ。当たって砕けろ。日本語にはよい文化が根付いていますね)
『砕けちゃ駄目だろ!?』
(砕ける事も、時には大切ですよ?)

「クソッ、もう良い! 全員撃て、あのクソ野郎をぶっ殺せ!」


 あまりに独り言が不気味すぎたのか、犯罪者のその言葉を皮切りに、銃弾が雨あられと俺の身体に叩き込まれた。


 ……叩き込まれたのだが、痛くない。金属音と共に弾丸が潰れ、足元にパラパラと落ちて行く。

 俺は呆気にとられ、足元の潰れた銃弾、そして目の前の犯罪者たちを見る。犯罪者たちも唖然として俺を見ている。


『……ホントに平気なのか』
(はい。防弾仕様はバッチリですよ)
『えっと、じゃあ、……もしかして、勝てる?』
(ご主人様の小指にも及ばない相手でしょう)


 そう言われると俄然やる気がわいてきた。俺は地面を蹴り、犯罪者のうち一人へと駆け寄り、殴り飛ばした。


 俺の拳は軽々と大人一人を吹っ飛ばした。彼は展示品を守るガラスを突き破り、ぐったりと動かなくなる。


『うわ、すげえ! これホントかよ!?』
(夢ではありませんよ。では、次へ行きましょう)


 興奮して自分の身体を見下ろしていると、銃弾が俺の横面にぶち当たった。じろりとそちらを見ると、犯罪者の残り二人が、怯えた様子で拳銃を構えていた。


『よーし、ぶっ飛ばしてやる』


 勢いづいた俺は走り出し、もう一人を殴って昏倒させる。そして、逃げだそうとしていたもう一人の背中を掴み、床に叩き付けて気絶させた。


『こいつはすげえ! マジで、ヤバい!』
(そうでしょう? お礼は要りません)


 一人で盛り上がり、興奮していると、何処からともなく乾いた音が鳴った。

 振り向くと、高校の生徒たちが呆然と俺を見つめ、拍手していた。先生も涙を流し、手を打ち鳴らしている。


「誰かは知らないけど、英雄だ!」
「ヒーローだ!」


 生徒たちが口々に言う。俺はなんだか照れくさくなり……そして、唐突に息苦しくなって膝をついた。

 皆が拍手を止め、騒然とし始める。心拍数が滅茶苦茶に上がる中、俺はなんとか声を絞り出す。


『なんだ、これ、』
(オイルエンプティ。オイルエンプティ。給油してください)
『きゅう、ゆ?』
(近くの駐車場を検索中。警察の目からも逃れ、効率的な給油を行う方法は……ビルから飛び降りる事を推奨します)


 視界に最適ルートが示される。俺はとにかくこの苦しさから逃れようと、ふらふらと立ち上がり、ルート通りに走り出す。


「おいキミ、待ちたまえ! ぜひわが校を守った英雄として……」


 先生の声が聞こえる。だがそれに構う暇もなく、俺は床を蹴り、窓の強化シャッターを突き破って空中へ身を躍らせた。

 ガラス片、シャッターの破片と共に高層ビルから落ちながら、俺は世界を見下ろした。警察車両がビルを取り囲み、ヘリが飛んでいる。


 凄まじい風圧で、耳元の空気がごうごうと唸る。息苦しさは刻一刻と増している。


(最適なルートです。さすがご主人様)
『俺、は、どうなるんだ』
(給油すれば元に戻ります。まずは原動力の確保をしましょう。墜落まで3、2、1、)


 墜落。俺はビルから少し離れた立体駐車場に落下し、バウンドして地面に横たわった。装甲越しでもかなりの衝撃を受け、俺は呻きながら這いずって示されたルートを進む。

 
 やがて、ルートは唐突に終わりを告げた。停められている車の側面である。

『ここから、どうすれば』
(給油タンクを破壊してください)
『オー、けー……』


 もはやこれが犯罪であるという意識すらも薄れ、頭の中の声に従って、息も絶え絶えになりながら拳で車の給油タンクを破壊する。車体に開いた穴から油が噴き出してくる。


(飲んでください)
『ああ、飲ん……なに?』
(経口摂取が必要不可欠です。飲んでください)
『ああクソ、冗談だろ……』


 言いながら、俺は他に道が無い事を感じ取り、しぶしぶ車の穴に口を付けた。口内に流れ込んで来るガソリンは不思議なほど美味に感じられ、思わず喉を鳴らして飲んでしまう。


 飲むにつれ、徐々に意識がハッキリしてくる。人質立てこもりの階から飛び出して来た自分は、あまりよくない立場にある事。この状況の異常さ。それらが全て頭の中でハッキリと認識出来た。


 サイレンの音が近付いて来る。俺は口元のオイルを拭って立ち上がると、体の調子を確認する。異常な事に、痛む箇所はない。


『……逃げないと』
(賢明なご判断です。ルートを検索、表示します)
『どうも』


 それだけ言うと、俺は地面を蹴り、サイレン音から遠ざかるように駆け出した。


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