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07話 弟子、ファンタジーの虜になる

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 弟子がファンタジーの世界に身を投げだすという新たな試みが始まっていた。お師匠様は時々弟子に会いに行くためにチュビーノの背を撫でて小人となることはあっても、その回数はぐんと減っていった。あくまで自分の趣味の延長として訪れることを自分に許す程度だった。何より自分のファンタジー小説への創作熱が冷めてしまったのだ。自分には、やはり純文学が合っている。そう思えたのだった。またコツコツと元の生活を取り戻しつつあった。

 お師匠様は、弟子との会話を通して、弟子は何より元気なようだし、それほどの危険なこともないと知って安心した。しかし心配というものは尽きることがない。それも大切な者が相手ならなおさらそうだった。弟子は今では落ちこぼれの純文学作家ではなく、いっぱしのファンタジー書きであり、しかもお師匠様自身のファンタジーな生活を共に過ごす朋友となっていたのだ。

 小人になった弟子の声は、もう何を言っているのかもわからない。お師匠さまは、その頼りなさげな姿を見て、一瞬大丈夫なのかと不安になるが、弟子が笑い顔で手を振っているのが分かると、それだけで満足した。まあ、いざという時はチュビーノの背中を撫でればあいつをいつでも助けることができるのだから。それにご飯時になると弟子は戻ってきた。そして夕飯から翌日の朝食までは元の大きさの弟子に会うことができるのだ。何も心配はいらない。お師匠様はそう自分に言い聞かせた…。



 さて、弟子がハクちゃんとの生活でまず驚いたのはご飯を探して飛び回る時間の長さであった。ほとんどその時間に毎日が過ぎ去るといっても過言ではない。朝はお師匠様が用意してくれるのは本当に助かっているとハクちゃんは言った。しかし昼食は自分で探して飛び回る。地面の中の虫が彼らのご飯だった。それが取れないときには四六時中、辺りをついばんで探し回った。それに比べて人間の生活の何と優雅なことよ、我々の先祖も昔はそうだったのだろうが、今ではご飯を探して歩きまわることは無くなった。そして文化的な生活というものを送っている。

 そんなわけで小説家という職業も生まれるわけだ。子どもの頃から作文が趣味であったものには、何ともありがたい仕事だ。もっとも食べてゆくにはかなりの運と修練を必要とする。弟子は今までたいへんな苦労したが、やっと芽が出始めたところだ。彼にはファンタジーというものが合っていた。それを発見できたのもかなりの強運だったろう。これもハクちゃんとチュビーノに出会えたおかげだ。「ありがとうハクちゃん、ありがとうチュビーノ」そして弟子は、お師匠様にも感謝していた。

「ハクちゃん。今日はご飯が大漁だね。もうお腹いっぱいだろ。今日はシロツメクサの原っぱでゆったりしようよ」
と言った。ハクちゃんは
「オーケー」
と言ってテリトリーの中にある、その原っぱに着地した。そして背中に乗っていた弟子はハクちゃんにこう尋ねた。
「ご飯を探す時間が済んで、時間が空いた時は、いつも何をしているの」
すると
「こうして原っぱのうえで風に吹かれているだけさ」
そんな言葉が返ってきた。
「何だかロマンチックだね。そんな生活も悪くない」
弟子は本心からしみじみそう思った。何も文化など引き合いに出さなくても、これこそ豊かな生き方だと思った。人は暇さえあれば悪いことをしたり、考えたりするものだ。悪の誘惑は強い、他人はもとより、時には、自分で自分を痛めつけたりもする。

 しばらく風に吹かれてすっきりすると、ハクちゃんは、お師匠様のお屋敷につれて行ってくれた。そしてきょうの別れを言って去って行ったんだろう。弟子が転生して失神し、しばらくして目覚めると、もうハクちゃんはいなかった。お師匠様に無事の挨拶をすると、ふたりは夕ご飯をとった。お師匠様に今日の出来事を報告し、自分の書斎にこもり仕事にとりかかった。なんと充実した日々だろう。弟子はこの頃の生活に大変満足していた。
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