44 / 45
最終話
呼びかけてくれたなら②
しおりを挟む
「こんにちは、幽霊さん」
降りて来た彼氏さんは自動販売機の前に立つと、わたしが姿を現す前からそうつぶやいた。
何度も目にしたことのある光景だ。
違うのは、挨拶が「こんばんは」ではないことくらい。
反射的に姿を現しそうになるのを、目の前の少女を見て思い留まった。
この子は彼氏さんのことを快く思ってはいないのだろうし、わたしが彼氏さんと馴れ合うことを歓迎していないのは明白だ。
そんな彼女の前で嬉々として姿を現すことには、罪悪感に近い、逆らい難い抵抗を感じてしまう。
わたしが姿を見せないせいだろう。
彼氏さんは気落ちしたように軽く息をつくと、苦々しくも穏やかな笑みを浮かべながら自動販売機に小銭を投入した。
「会わないの?」
小さな声。
大きな瞳が、見慣れない表情をして揺れている。
「会っても、いいの?」
微笑みかけられて、少女は目を伏せた。
意図したものではなかったにしろ、彼女にイエス、ノーの返答を求めるのは少し酷だったかも知れない。
返事のないまま、ついには背を向けられてしまったので、わたしは仕方なしに彼氏さんの方へ目をやった。
彼は、受け取り口からオレンジジュースの缶を取り出したところだった。
出て来たばかりの缶は、そのまま封が開けられることもなく、さながらお供え物のようにーー実際に、それはお供え物のつもりなのだろうーー自動販売機の脇に置かれてしまう。
誰のために缶を置いたのか、だなんて、考えるまでもない。
自動販売機と、彼氏さんと、オレンジジュース。
物足りない。
この光景の中には、わたしの姿がない。
じわじわと欲求が高まっていく。
もう、姿を現してしまおうか。
少女のことが気になるとはいえ会うなと言われたわけではないのだし、彼氏さんも、わたしの登場を心待ちにしているはずだ。
「あたし、ね」
意を決して、という表現が似合いそうな呼びかけかただった。
振り返ると、もはや悪霊と呼ぶにはあまりにもいたいけな印象を持った少女が、足元に視線を落としたまま、艶のないアスファルトに靴の裏をぐりぐりとにじりつけている。
「あたし、おねえちゃんが楽しそうにしてる方が、嬉しいよ」
大きな目がちらりとこちらに向けられ、すぐに地面へと逃げてしまう。
自動販売機の前の彼氏さんは、わたしが近くにいることなど知る由もないといった様子で、仏前に立っているかのごとく粛々と自身の近況を報告していた。
恋人との仲はうまくいきましたよ、という内容だった。
内心に安堵を膨らませながら、少女の言葉を待つことにする。
「だからーーいいよ、会っても」
吐き捨てるように言い放ったのは、彼女なりに意地を張ってみせたのだということなのだろう。
何と言い返してあげようかと考えているうちに、少女は大股で近寄って来て、その表情を確認するよりも前にわたしとほぼ密接するかたちになった。
「今まで、ずっと、ずっと、ごめんね」
今更の、初めての、どの出来事について謝っているのかも分からない謝罪。
彼女のしてきたことの中には、「ごめんね」という言葉なんかで済ませることのできないものもはっきりと存在している。
だけど、
そんな一切合財を抜きにして、左右に結われた髪が何かを堪えるようにして震えている様は、愛おしかった。
普段よりもさらに小さく見える頭にぽん、と触れて、わたしは一歩引きながら膝を曲げる。
中腰になったわたしを真っ直ぐに見据え、少女は薄い唇をきゅっと噛んだ。
降りて来た彼氏さんは自動販売機の前に立つと、わたしが姿を現す前からそうつぶやいた。
何度も目にしたことのある光景だ。
違うのは、挨拶が「こんばんは」ではないことくらい。
反射的に姿を現しそうになるのを、目の前の少女を見て思い留まった。
この子は彼氏さんのことを快く思ってはいないのだろうし、わたしが彼氏さんと馴れ合うことを歓迎していないのは明白だ。
そんな彼女の前で嬉々として姿を現すことには、罪悪感に近い、逆らい難い抵抗を感じてしまう。
わたしが姿を見せないせいだろう。
彼氏さんは気落ちしたように軽く息をつくと、苦々しくも穏やかな笑みを浮かべながら自動販売機に小銭を投入した。
「会わないの?」
小さな声。
大きな瞳が、見慣れない表情をして揺れている。
「会っても、いいの?」
微笑みかけられて、少女は目を伏せた。
意図したものではなかったにしろ、彼女にイエス、ノーの返答を求めるのは少し酷だったかも知れない。
返事のないまま、ついには背を向けられてしまったので、わたしは仕方なしに彼氏さんの方へ目をやった。
彼は、受け取り口からオレンジジュースの缶を取り出したところだった。
出て来たばかりの缶は、そのまま封が開けられることもなく、さながらお供え物のようにーー実際に、それはお供え物のつもりなのだろうーー自動販売機の脇に置かれてしまう。
誰のために缶を置いたのか、だなんて、考えるまでもない。
自動販売機と、彼氏さんと、オレンジジュース。
物足りない。
この光景の中には、わたしの姿がない。
じわじわと欲求が高まっていく。
もう、姿を現してしまおうか。
少女のことが気になるとはいえ会うなと言われたわけではないのだし、彼氏さんも、わたしの登場を心待ちにしているはずだ。
「あたし、ね」
意を決して、という表現が似合いそうな呼びかけかただった。
振り返ると、もはや悪霊と呼ぶにはあまりにもいたいけな印象を持った少女が、足元に視線を落としたまま、艶のないアスファルトに靴の裏をぐりぐりとにじりつけている。
「あたし、おねえちゃんが楽しそうにしてる方が、嬉しいよ」
大きな目がちらりとこちらに向けられ、すぐに地面へと逃げてしまう。
自動販売機の前の彼氏さんは、わたしが近くにいることなど知る由もないといった様子で、仏前に立っているかのごとく粛々と自身の近況を報告していた。
恋人との仲はうまくいきましたよ、という内容だった。
内心に安堵を膨らませながら、少女の言葉を待つことにする。
「だからーーいいよ、会っても」
吐き捨てるように言い放ったのは、彼女なりに意地を張ってみせたのだということなのだろう。
何と言い返してあげようかと考えているうちに、少女は大股で近寄って来て、その表情を確認するよりも前にわたしとほぼ密接するかたちになった。
「今まで、ずっと、ずっと、ごめんね」
今更の、初めての、どの出来事について謝っているのかも分からない謝罪。
彼女のしてきたことの中には、「ごめんね」という言葉なんかで済ませることのできないものもはっきりと存在している。
だけど、
そんな一切合財を抜きにして、左右に結われた髪が何かを堪えるようにして震えている様は、愛おしかった。
普段よりもさらに小さく見える頭にぽん、と触れて、わたしは一歩引きながら膝を曲げる。
中腰になったわたしを真っ直ぐに見据え、少女は薄い唇をきゅっと噛んだ。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる