赤信号が変わるまで

いちどめし

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第四話

わたしはゆうれいさん

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 こうして、わたしは「幽霊さん」になった。

 彼氏さんはわたしの名前を知りたそうにもしていたけれど、わたしは幽霊さんと呼んでください、と頼んだ。

 彼氏さんの友達の、幽霊さん。
 わたしは、その響きがとても気に入ってしまっていたのだ。
 彼氏さんには、これからもずっと幽霊さんと呼ばれていたい。
 まるでそれが良い関係という距離感をそのまま言い表しているような気がして、なんだか居心地が良かったのである。

 じゃあ、また会いましょう。
 別れ際にそう言ったのは、さてどちらだったのだろう。
 温かい飲み物を注ぎあうような会話の中で、わたしたちはどちらからということもなく、近いうちにまた会うための約束をしたのだった。

 彼氏さんが去った後、わたしは舞台上の役者のごとく大ぶりな動きで、干したばかりの布団にうずもれるようにして自動販売機にもたれかかった。
 これほど充実した気持ちになるのは、いったいいつぶりだろうか。

 右手にしっかりと掴んだ空き缶を眼前に持ってきて、わたしは一人、口角を上げた。
 コーンスープの入っていたものだ。
 勝手に選んでしまったことを気にするわたしに、僕だけ飲むのは悪い、という理由で彼氏さんが勧めたものだった。

 本音では、欲しかったものと違うために飲む気が起きなかっただけなのだろうと思う。
 それなのに、彼氏さんはわたしがスープを飲み終わると、今度は自らコーンスープを買って、それをちびちびと飲み始めた。
 それが、彼なりの優しさだったのだろう。
 空き缶は既に冷え切っていたけれど、そこにあった温かさは、わたしの中で冷えずに残っている。
 ありがとう、と心の中で唱えると、自動販売機の脇に移動して、そっとごみ箱に捨てた。

 空き缶どうしのぶつかる音が短く響き、真夜中の一本道は、それきり深い海のように黙りこくった。
 風もなく、肌に触れる空気は波打つこともなく停滞している。

 あれからーーわたしが怒っていると言ってしまってから、悪霊の少女は一度も姿を見せていなかった。

 いつでもべたべたとくっついていたというわけでも、毎日のように言葉を交わしていたというわけでもない。
 ふと気づけば彼女は隣にいて、わたしは奔放な彼女のことをいつも気にかけているという、わたしたちの関係はそんな、干渉の少ないものだった。
 息苦しさのない関係は、良くも悪くもお互いのことを空気のような存在に思わせていたのだろう。

 少なくともわたしにとってはそういうものだったのだと、今になって実感する。
 彼氏さんの帰ってしまった今、寂しげなこの場所には、本当に何もない。
 ぽつりと立ち尽くしているわたしがいて、それだけだ。

 わたしがこの場所に留まる幽霊になったのは、いったいどれくらい前のことになるのだろうか。
 はっきりとは分からないけれど、この場所には先客がいて、だからわたしは幽霊になってから一度として一人ぼっちになることがなかった。

 わたしは大丈夫。
 彼氏さんのおかげで、今はまだ、心の中がほかほかと温かいから。
 次に彼に会えば、わたしのいる世界は更に温かいものになるのだろうから。

 都合の良い話なのだろうけれど、これまでのわたしには余裕がなかったのだ。
 今ならきっと、あの子にもほんの少しは温かさを分けてあげられる。

 それなのに、あの子は姿を見せてくれない。

 気持ちに余裕のある時にだけ顔が見たくなる、とても自分勝手なわたし。
 それでも、この場所で孤独を実感すると、彼女のことが気になってしまう。

 今、どんな顔をしているのだろう。

 それさえも、分からない。

 それだけで良いから、知りたい。

 突然、強いライトの明かりに照らされたので、目を細めながらその光源を確認する。
 静かにエンジン音を轟かせながら一本道を走り抜けて行くそれは、上に乗せたランタンから判断するに、どうやらタクシーであるらしい。

 タクシーとしては珍しい、ころんとした白い車体。
 最近、この場所をよく通るようになったものだ。
 見た目の印象が強いせいで、彼氏さんの車ほど思い入れがなくとも、見かけるたびにそれだと分かる。

 タクシーは停滞する空気をかき乱すこともなく去って行き、わたしは彼氏さんが再びこの道を通りかかるまでの間、一人で自動販売機の周りを海藻のように漂っていた。
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