27 / 45
第四話
わたしの名前③
しおりを挟む
「じゃあ、やっぱりわたしのことなんですね」
幽霊さん。
さほど重要ではない話題であるはずなのに、わたしはその言葉を胸の中で改めて意識し、どきりとする。
「気に入りませんでしたか」
彼氏さんの、照れくさそうな顔。
彼氏さんがわたしのことを幽霊さんと呼んだのは、わたしが彼氏さんのことを勝手に彼氏さんと呼んでいるのと同じだ。
これは、気に入らないどころか、ちょっとだけ嬉しいことですらある。
きっとわたしだって、うっかり彼氏さんのことを「彼氏さん」だなんて呼ぼうものならば、今の彼と同じ表情になってしまうだろう。
「いいですよ別に。幽霊さんでいいです。うん、しっくりくるからそれでいいです。幽霊さんって呼んでください」
だから、早口に、芝居がかった身振りを併せてそう言ったのは、照れ隠し。
わたしにとっての彼氏さんと、彼氏さんにとってのわたしが同じくらいの距離にいる。
考えすぎなのかも知れないけれど、そう思い始めると、小さな喜びたちが憮然とした表情の器から飛び出してしまいそうだった。
「そんなことも今はどうだっていいんです」
機嫌の悪そうな声を出すと、憮然とした表情はなんとか持ちこたえてくれた。
彼氏さんの失礼な一言に対して問いただしている最中だというのに、緩んだ顔を見せてしまっては格好がつかない。
「あの、僕が何かしましたか?」
「それはこっちのセリフですよ。わたしが何かしましたか?」
きょとんとする彼氏さんに対して、やっぱりわたしは怒っているような態度で言い返す。
「いいえ、わたしは何にもしてませんよ。それなのにとり憑いてるだなんて、失礼もいいとこです」
「あ、ああ、そのことですか」
「はい、そのことです」
まさに、忘れていた、という感じの反応。
怒っているふりをする気さえ失せてしまって、わたしは脱力しながら腰に手を当てた。
「まったく、どうしてとり憑かれてるだなんて思うんですか」
目的の質問へ行き着くまでに、随分と回り道をしてしまったような気がする。
だけど、回り道をしたからこそ、こうして彼氏さんの返答を安心して待つことができる。
彼氏さんはためらうように視線を宙に泳がせた後、わたしの顔を申し訳なさそうに見つめながら、
「特にこれといった理由は、ないんですよ」
と言って再び視線を泳がせた。
あまりに間の抜けた返答に、わたしは自分の表情が怪訝なものになっていくのを感じた。
彼氏さんの言葉をそのまま受け取るのならば、特にこれといった理由もない言葉に、わたしは踊らされていたということになる。
この間の幽霊退治といい、彼はわたしの気持ちを振り回してばかりだ。
「しいて言うなら、悪い幽霊じゃあありませんよねっていう意味です」
わたしのやりきれない気持ちを察したのだろうか、彼氏さんは取ってつけたように言い放った。
向けられているのは、反応をうかがうような中途半端な笑顔。
「ひどいなぁ。わたしのこと、そんなふうに思ってたんですか」
拗ねた態度をとってみせたのは、彼氏さんの表情に悪戯心をくすぐられたからなのだろう。
そうでなくても、今更になって「悪い幽霊じゃあありませんよね」だなんていう確認をされなければならないことに、わたしは少しだけむっとしてしまっていた。
直前の自分の言葉を借りるなら、「失礼もいいとこ」だ。
腕組みをし、つん、と視線を逸らしてみせると、彼氏さんは「やってしまった」と言わんばかりの酸っぱそうな顔をした。
ささやかな仕返しに成功したような気がして、思わず笑顔が出そうになる。
「思ってたら、こうして何度も会おうとは思いませんよ。ただ、幽霊とこうやって良い関係でいられるっていうことが、なんだか不思議で」
言ってしまってから、彼氏さんははっとしたようだった。
それは、この雰囲気から考えれば場違いなほどに甘く、照れくさい言葉。
幽霊さん。
さほど重要ではない話題であるはずなのに、わたしはその言葉を胸の中で改めて意識し、どきりとする。
「気に入りませんでしたか」
彼氏さんの、照れくさそうな顔。
彼氏さんがわたしのことを幽霊さんと呼んだのは、わたしが彼氏さんのことを勝手に彼氏さんと呼んでいるのと同じだ。
これは、気に入らないどころか、ちょっとだけ嬉しいことですらある。
きっとわたしだって、うっかり彼氏さんのことを「彼氏さん」だなんて呼ぼうものならば、今の彼と同じ表情になってしまうだろう。
「いいですよ別に。幽霊さんでいいです。うん、しっくりくるからそれでいいです。幽霊さんって呼んでください」
だから、早口に、芝居がかった身振りを併せてそう言ったのは、照れ隠し。
わたしにとっての彼氏さんと、彼氏さんにとってのわたしが同じくらいの距離にいる。
考えすぎなのかも知れないけれど、そう思い始めると、小さな喜びたちが憮然とした表情の器から飛び出してしまいそうだった。
「そんなことも今はどうだっていいんです」
機嫌の悪そうな声を出すと、憮然とした表情はなんとか持ちこたえてくれた。
彼氏さんの失礼な一言に対して問いただしている最中だというのに、緩んだ顔を見せてしまっては格好がつかない。
「あの、僕が何かしましたか?」
「それはこっちのセリフですよ。わたしが何かしましたか?」
きょとんとする彼氏さんに対して、やっぱりわたしは怒っているような態度で言い返す。
「いいえ、わたしは何にもしてませんよ。それなのにとり憑いてるだなんて、失礼もいいとこです」
「あ、ああ、そのことですか」
「はい、そのことです」
まさに、忘れていた、という感じの反応。
怒っているふりをする気さえ失せてしまって、わたしは脱力しながら腰に手を当てた。
「まったく、どうしてとり憑かれてるだなんて思うんですか」
目的の質問へ行き着くまでに、随分と回り道をしてしまったような気がする。
だけど、回り道をしたからこそ、こうして彼氏さんの返答を安心して待つことができる。
彼氏さんはためらうように視線を宙に泳がせた後、わたしの顔を申し訳なさそうに見つめながら、
「特にこれといった理由は、ないんですよ」
と言って再び視線を泳がせた。
あまりに間の抜けた返答に、わたしは自分の表情が怪訝なものになっていくのを感じた。
彼氏さんの言葉をそのまま受け取るのならば、特にこれといった理由もない言葉に、わたしは踊らされていたということになる。
この間の幽霊退治といい、彼はわたしの気持ちを振り回してばかりだ。
「しいて言うなら、悪い幽霊じゃあありませんよねっていう意味です」
わたしのやりきれない気持ちを察したのだろうか、彼氏さんは取ってつけたように言い放った。
向けられているのは、反応をうかがうような中途半端な笑顔。
「ひどいなぁ。わたしのこと、そんなふうに思ってたんですか」
拗ねた態度をとってみせたのは、彼氏さんの表情に悪戯心をくすぐられたからなのだろう。
そうでなくても、今更になって「悪い幽霊じゃあありませんよね」だなんていう確認をされなければならないことに、わたしは少しだけむっとしてしまっていた。
直前の自分の言葉を借りるなら、「失礼もいいとこ」だ。
腕組みをし、つん、と視線を逸らしてみせると、彼氏さんは「やってしまった」と言わんばかりの酸っぱそうな顔をした。
ささやかな仕返しに成功したような気がして、思わず笑顔が出そうになる。
「思ってたら、こうして何度も会おうとは思いませんよ。ただ、幽霊とこうやって良い関係でいられるっていうことが、なんだか不思議で」
言ってしまってから、彼氏さんははっとしたようだった。
それは、この雰囲気から考えれば場違いなほどに甘く、照れくさい言葉。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる