赤信号が変わるまで

いちどめし

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第一話

真夜中のprime time ①

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 今夜も、あの二人はやって来た。
 日中はそれなりに車の通りもあるけれど、夜になると静まり返る。そんな寂しげで面白みのない一本道に、今夜もあの二人がやって来た。

 わたしはいつもと同じようにすぐ近くまで寄って行って、いつもと同じ場所から車の窓越しに二人の姿を眺めている。
 息を潜めて、わたしの存在が二人に気づかれないように。

 車の中には見慣れた二人。
 運転席には優しそうな男の人が、助手席には気の強そうな女の人が座っている。
 前に見た時と変わらず、どこかほかほかとしたその空気に、わたしはほっとした。

 二人は恋人どうしだ。
 いつからはっきりとそういう関係になったのかは分からないけれど、この二人のことを二度目に見た時には、きっと恋人どうしになるんだろうなあ、と、既にそう感じていた。

 それほどに、二人のことを見ていた。
 二人の関係が今後どうなっていくのかを予測できてしまうほどに、わたしは二人のことをしっかりと見ていた。
 二人の距離が少しずつ、確実に近づいていく様子を、わたしはずっと見てきた。

 趣味の悪いことだとは分かっているし、後ろめたい気持ちは当然のように持っている。
 だけど、心の中のごわごわとした後ろめたさは、二人のほかほかとした空気に触れている間だけ、どこかへ転がっていってしまうのだ。

 わたしにとって、二人の姿はそれだけ素敵なものだった。
 新鮮で、温かくて、甘くて、やわらかい。
 はずかしくて、微笑ましくて、じれったくて、どきどきする。

 きっとわたしにはもう訪れない、手に入れることのできない美しい時間。
 そんな光景を見ているのは、例えるならばまるで恋愛ドラマを観ているかのよう。
 二人の乗った車が路肩に停まると始まって、車が動きだすと、続きはまた今度。

 幽霊である、死者であるわたしにとって、それは失いがたい娯楽であり、穏やかで優しい気持ちになることのできる、かけがえのない瞬間なのだった。

 だから、わたしは今夜も後ろめたさを引きずりながら、二人の姿を眺めに来たのだった。
 だから、わたしは今夜も後ろめたさを忘れて、二人の様子に見入っているのだ。

 名前の分からない二人のことを、わたしは彼氏さん、彼女さんと呼んでいる。
 そうすることによって、挨拶すらもしたことのない彼らに対し、一方的ながらも親近感を抱くことができていた。

 今夜の二人は、いつもよりも甘くてじれったい。彼氏さんが、婚約指輪を渡そうとしているのだ。
 小さな箱を恋人から隠すように後ろ手に持って、うつむいてみたり車の天井を見てみたりしながら、時折助手席へ目をやっては言葉を詰まらせて窓の外へ視線を移している。

 彼の目が何度かわたしの方へと向けられて、そのたびに、わたしは緊張した。
 こちらの姿が見えていやしないかと、彼に霊感があったらどうしようかと不安になったのだ。わたしの存在が知られたら、二人の空気を乱してしまう。それだけは嫌だ。

 こちらに向けられていた視線がうつむいたり上を向いたりを繰り返すたびに、がんばれがんばれと心の中でエールを送る。
 言葉を詰まらせた彼氏さんが再びこちらに目をやるたびに、わたしはあまりのじれったさに歯噛みした。

 だいたい、助手席の彼女も彼女だ。部外者であるわたしですら、彼が何をしようとしているのかを既に察しているというのに。
 彼の隠し持っているものが何なのか、すぐ隣に座っている彼女が気づいていないわけがない。
 その上、わたしなんかよりもずっと彼のことをよく知っているはずの彼女さんならば、彼が内気で遠慮がちな性格であることを知らないわけがない。

 ここは、声をかけるなりして、さりげなく彼の背中を押してあげてもバチは当たらないだろう。
 普段は積極的で面倒見の良いはずの彼女さんが、今は照れくさそうに耳元の髪を指でもてあそんでいるばかり。

 じれったくて、なんだかわたしの方が落ち着かなくて、今にも二人の前に化けて出て、強引に指輪を渡させてしまいたいような気持ちにすらなる。
 早く指輪を渡さないと、とり憑きますよ、なんて。

 そんな野暮なことをするつもりなんて、ほんの少しもないのだけれど。

 結局、二人の間には何の進展もないままにドアが開く。
 運転席の側にあるドアだ。
 普段よりも明らかに緊張した面持ちの彼氏さんが出て来て、停めた車のすぐ脇に設置されている自動販売機に向かっていった。

 ちょっとだけ運転席の座席を覗き込んでみると、そこにはわざとらしく置かれた小さな箱。
 助手席の彼女さんは降車した恋人の姿と、置きっぱなしにされた箱とを見比べては、落ち着かない様子で自分の前髪を触っている。

 ごたんごたんと自動販売機が缶を吐き出すと、彼氏さんは両手に一本ずつの缶ジュースを持って車の中へ戻って来た。
 運転席に座る前に、彼女さんに片方のジュースを渡し、席に置いたままにしていたプレゼントを空いた手で拾い上げる。
 彼は運転席に座るなり、
「あ、これも」

 早口に言って、とうとう小箱を恋人の手に渡した。
 彼女さんは両手が缶と小箱で埋まってしまうと、うつむき加減になりながら
「そっちの、何だっけ」

 上目遣いで運転席を見る。

「ああ、これは、ええっと、オレンジジュースだよ」

「わたし、りんごよりもオレンジの方が良いんだけど」

「じゃあ、さ、僕は、そっちにするよ」

 じれったくて、思わず笑ってしまいそうになるほどにうぶな会話。
 缶を交換する時、きっと二人の視線はぶつかり合った。
 それきり二人の視線は離れなくて、彼氏さんは開いたままになっていたドアに手を伸ばす。

「そういえば、それ、その箱さ」

 緊張した声はドアの閉まる音を最後に車外へは聞こえて来なくなってしまい、彼がこの先何を言っていたのかは想像する他にない。

 車内では、赤面を禁じえないような言葉が生まれては、空気をほかほかと暖めているのだろう。
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