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うつつへの帰り道

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「あぶねえだろうが、おい」

 乱暴な口をきくその声には、聞き覚えがある。

「なんだ、ハルヒコじゃないか」

「そうだよ、おれだよ。来てやったんだよ、助けにな。そうしたらどうだ、助けに来たはずが轢き殺すところだったよ、ばか野郎」

 タクシーから急いで降りてきたらしいハルヒコが、倒れている僕の腕をつかんだ。
 僕の身体はなぜか、さっき倒れたのとはまったく逆の方向へ倒れている。

「助けにって、いったいどういうことだい」

 なぜか。

 そんなことを疑問に思う方がおかしい。
 僕は見ていたじゃないか。
 幽霊さんに抱き寄せられ、反対側へ投げられたあの瞬間を。

 なかなか乱暴な助けかただったな。
 そう思って、なんだか笑える。

「おまえが性懲りもなくここに通ってるみたいだからな、とうとうお祓いをしに来たっていうことさ。やめろ、とか言うなよ。いくらとり憑かれてたって、死にかければさすがにやばいって思うだろう」

「いや、やめてくれよ」

 立ち上がると、倒れたときに打ったのだろう、肩や膝がずきずきと痛む。
 ハルヒコときたら、その傷む肩をがっしりとつかんで、しかも揺らしてくる。
 振り払おうにも、腕に力が入らない。
 どうやら、まだ腰が抜けているらしい。

「おまえなあ、そう言うなよって言ったばっかりだろうが。まだとり憑かれてるのかよ」

「そんなことは、ないよ。最初からとり憑かれてなんかいないし、倒れたのだったて、単なる事故さ。しかも、助かったのは幽霊のおかげだ」

「やっぱり憑かれているんじゃないかよ。そうでなきゃ幽霊、だなんて口にしないだろう」

 あまりにも真剣なハルヒコの顔を見ていると、笑いを堪えることができなかった。
 力のない笑い声が、僕の口元でひゃいひゃいと跳ね回る。

「幽霊ぐらい、憑かれてなくても言うだろう。少しは落ち着けよ、ハルヒコ」

「おまえはどうして笑ってるんだよ、死にかけといて。やっぱりおかしいだろうが」

「それは君がおかしいからさ」

 むっとして、ハルヒコはようやく僕を放してくれた。
 すると途端に倒れそうになって、僕はよろけながら自動販売機にもたれかかった。
 まだ、脚にも力が入らないらしい。

「僕は無事だし、とり憑かれてもいないよ。この場所にだって、もう通わないよ。けりがついたんだ」

 自動販売機は、明かりがついているせいかほかほかと温かい。
 けりがついた。
 どうしてそんな言葉が出たのかは分からないけれど、考えてみれば、きっとそういうことなのだろう。

「だから、いいよ。お祓いなんかしなくても」

 言ってから、悪霊の顔が思い浮かんだ。
 いたずら好きで、寂しがり屋で、死者を出してしまいかねない危険な霊。
 だけど、少女の悪事は、今後も幽霊さんがなんとかしてくれるのに違いない。

「だいたい、君にはできなかったじゃないか。幽霊退治」

 小馬鹿にするように言ってやると、ハルヒコは普段の、真意が見えないにやけ顔で、彼の乗ってきたらしいタクシーを示してみせた。
 僕の倒れる予定だった場所を数メートル通り越した場所に止まっている、白い車。
 車種はよく見る乗用車で、ルーフ部分にランタンが乗っていなければタクシーとは思えない。

「一緒に乗ってきたんだよ、その道の人とな」

 タクシーの窓は中が見えにくくなっているせいで、その道の人とやらを見ることはできない。
 僕はハルヒコに、にやけてみせた。

「また、知り合いかい。顔が広いね」
「知り合いが三人いれば、そういう人がいたっておかしくはないだろう」

 負けじと、とでも言うのだろうか。
 ハルヒコはとても楽しそうに、にやけてみせる。

「知り合いが四人いれば、そいつが幽霊と知り合いだったりもするわけだ」

「どうして、幽霊と知り合いだ、なんていう話になっているんだい。だからさ、そういうのじゃないんだよ」

「分かってるよ。むきになるなって。お祓いはやめてくれっていうことだろう」

 やれやれ、といった感じで、ハルヒコはやっぱりにやける。

「やめてくれるのかい」

「考え中だ。せっかく来てもらったのに、どうしようかなって」

 どうやら、ハルヒコにはお祓いを強行しようという気はないらしい。
 僕は安心してその場に座り込み、そして立ち上がった。
 抜けた腰は、もう元に戻っている。

「頼むよ。僕に免じて、さ」

「はっ。おまえの何に免じたらいいって言うんだよ」

 言いながら、ハルヒコはタクシーの方へ歩いていく。

「帰るのかい」

「キャンセルします、ごめんなさいって言いに行くんだよ。おれの顔に免じて許してくださいってな」

 タクシーのドアに手をかけ、僕に向かって手を振る。

「だから、おまえはもう帰って寝ろよな。こんな時間だ」

 そっけない感じではあるものの、それに従うことにした。
 タクシーの中にいる人物とは、僕とはまた違うつき合いかたをしているのだろう。
 友人に自分の違う一面を見せるのを、ハルヒコは学生時代から嫌がっていた。
 アルバイトをしているという店に行こうものならば、後から拳骨をもらうのは必至だったほどである。

「じゃあ、帰らせてもらうけどさ」

 運転席に片足を突っ込みながら、ハルヒコを振り返る。

「もしもお祓いしてたら、絶交だからな」

「安心しろって。だけどな、幽霊と知り合いだっていう知り合いがいなくなったって、おれはぜんぜん困らないぜ」

 にやけ顔を見て、安心する。
 僕は車に乗り込んで、エンジンをかけた。

 助手席を見ると、花束から零れ落ちたのだろう、紫色の花弁。
 どうしても、幽霊さんの顔が思い浮かぶ。

「そういえば……」

 アクセルを踏み込みながら、独り言を口から漏らしていた。

 そういえば幽霊さんは、助手席に座ったことがなかったな。
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