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転
悪霊
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その帰り道のことだ。
悪霊が現れたのは。
信号機が赤く点っていた。
普段はこの時間ならば点滅信号になっているはずだ。
そのことを思い出したのは信号を前に完全に停車してからのことで、だからといって恐怖がこみ上げてきたのかといえばそういうわけでもなく、ああ、またか、と、そうぼんやりと思っただけだった。
最初の怪異では、除霊を企む僕らの足止めをしておきたかったのかも知れない。
この間、青く点っていたのは、さっさと立ち去って欲しかったからに違いない。
こうして今、赤く光っているということは、まだこの領域から出るなということなのだろう。
ハルヒコが突き倒されたときに気が付いた。
あの信号機の表示は、そのまま悪霊の意思なのだ。
間もなく、前方の横断歩道に少女の姿が現れる。
どうせ出てくるのだろうと予想ができていただけに、僕の感情には小波ほどの揺れもない。
悪霊を前にして恐怖を感じないのは、そういえば初めてのことだった。
少女は、横断歩道の半ばに立ってこちらを見ているらしい。
ヘッドライトのせいで必要以上に強く照らされた少女の顔は真っ白で、どんな顔をしているのかは判別がつかない。
それなのに僕には分かったのだ。
のっぺらぼうのようにしか見えない少女の口が、動いた。
少女の声が聞こえたせいでそう思い込んでしまったのか、それとも本当に僕の目がそう認識したのか。
どうだっていい。
彼女の口はかすかに動いたのだ。
ぼそぼそとして何を言っているのかは分からないまでも、確かに今、耳に響いているのはあの少女の声だ。
口の動きが止まる。
言いたいことを言い終えたらしい。
それでも僕には、何一つ伝わっていない。
見えるはずもないのに、少女の顔が不機嫌に染まっていくのが分かる。
不機嫌な顔を傾けて、お下げの髪を揺らしながら、少女はまた、何事かを口にした。
やはり伝わらない。
言葉のような響きを持った小さな声は、異国語かも知れなくて、呪詛の言葉かも知れなかった。
日本語でないとも言い切れなかった。
今度こそちゃんと聞き取ってやろうかという、そんな気になる。
僕は耳を澄ませた。
少女の口は動かない。
声は聞こえない。
それから多分、長い間、少女は喋らずにいた。
何も言わずに僕のことを見ていた。
足に疲労感を覚えるほどブレーキを踏み続けたころ、いったいどれくらいこの状態でいるのかが気になった。
二時四十四分。
車の時計はそう示している。
だからなんだっていうんだ。
いつからこの場所に停車しているのかも分からないというのに、時計を見ただけで、少女と向き合っている時間などが分かるはずもないだろう。
無意識に逸れてしまった視線を窓の外に戻す。
少女は、いなかった。
軽く辺りを見回してみるも、それらしい影は見当たらない。
風景は正常だ。
こんな真夜中に出歩く者などはいない。
ため息が出たのは、安堵のせいだろうか。
信号機は黄色い明かりを点滅させている。
アクセルペダルを踏み込んだ。
何事もなかったかのように、という言葉が頭に浮かんだ。
少女が何を言っていたのかを知りたかったような気がするのと同時に、無駄なことに時間を費やしてしまったというような気もする。
横断歩道を踏み越した後に僕がとてもとてもつまらない気分に見舞われたのは、色のない歩行者用信号機を横切った瞬間に、悪霊の声がしっかりと耳に入ってきたからだ。
おねえちゃんを、とらないで。
純粋で切実で、機嫌の悪そうな恨みがましい声。
つまらなかった。
つまらなくて、むかつくほどだった。
邪気のない子供の望み。
だから、僕を遠ざけるためにハルヒコまでをも危険にさらしたというのか。
寂しがり屋な子供の頼み。
だから僕に、幽霊さんに会うなと言いたいのか。
幼い子供の声。
だから僕は、つまらなかった。
悪霊が現れたのは。
信号機が赤く点っていた。
普段はこの時間ならば点滅信号になっているはずだ。
そのことを思い出したのは信号を前に完全に停車してからのことで、だからといって恐怖がこみ上げてきたのかといえばそういうわけでもなく、ああ、またか、と、そうぼんやりと思っただけだった。
最初の怪異では、除霊を企む僕らの足止めをしておきたかったのかも知れない。
この間、青く点っていたのは、さっさと立ち去って欲しかったからに違いない。
こうして今、赤く光っているということは、まだこの領域から出るなということなのだろう。
ハルヒコが突き倒されたときに気が付いた。
あの信号機の表示は、そのまま悪霊の意思なのだ。
間もなく、前方の横断歩道に少女の姿が現れる。
どうせ出てくるのだろうと予想ができていただけに、僕の感情には小波ほどの揺れもない。
悪霊を前にして恐怖を感じないのは、そういえば初めてのことだった。
少女は、横断歩道の半ばに立ってこちらを見ているらしい。
ヘッドライトのせいで必要以上に強く照らされた少女の顔は真っ白で、どんな顔をしているのかは判別がつかない。
それなのに僕には分かったのだ。
のっぺらぼうのようにしか見えない少女の口が、動いた。
少女の声が聞こえたせいでそう思い込んでしまったのか、それとも本当に僕の目がそう認識したのか。
どうだっていい。
彼女の口はかすかに動いたのだ。
ぼそぼそとして何を言っているのかは分からないまでも、確かに今、耳に響いているのはあの少女の声だ。
口の動きが止まる。
言いたいことを言い終えたらしい。
それでも僕には、何一つ伝わっていない。
見えるはずもないのに、少女の顔が不機嫌に染まっていくのが分かる。
不機嫌な顔を傾けて、お下げの髪を揺らしながら、少女はまた、何事かを口にした。
やはり伝わらない。
言葉のような響きを持った小さな声は、異国語かも知れなくて、呪詛の言葉かも知れなかった。
日本語でないとも言い切れなかった。
今度こそちゃんと聞き取ってやろうかという、そんな気になる。
僕は耳を澄ませた。
少女の口は動かない。
声は聞こえない。
それから多分、長い間、少女は喋らずにいた。
何も言わずに僕のことを見ていた。
足に疲労感を覚えるほどブレーキを踏み続けたころ、いったいどれくらいこの状態でいるのかが気になった。
二時四十四分。
車の時計はそう示している。
だからなんだっていうんだ。
いつからこの場所に停車しているのかも分からないというのに、時計を見ただけで、少女と向き合っている時間などが分かるはずもないだろう。
無意識に逸れてしまった視線を窓の外に戻す。
少女は、いなかった。
軽く辺りを見回してみるも、それらしい影は見当たらない。
風景は正常だ。
こんな真夜中に出歩く者などはいない。
ため息が出たのは、安堵のせいだろうか。
信号機は黄色い明かりを点滅させている。
アクセルペダルを踏み込んだ。
何事もなかったかのように、という言葉が頭に浮かんだ。
少女が何を言っていたのかを知りたかったような気がするのと同時に、無駄なことに時間を費やしてしまったというような気もする。
横断歩道を踏み越した後に僕がとてもとてもつまらない気分に見舞われたのは、色のない歩行者用信号機を横切った瞬間に、悪霊の声がしっかりと耳に入ってきたからだ。
おねえちゃんを、とらないで。
純粋で切実で、機嫌の悪そうな恨みがましい声。
つまらなかった。
つまらなくて、むかつくほどだった。
邪気のない子供の望み。
だから、僕を遠ざけるためにハルヒコまでをも危険にさらしたというのか。
寂しがり屋な子供の頼み。
だから僕に、幽霊さんに会うなと言いたいのか。
幼い子供の声。
だから僕は、つまらなかった。
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