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起
悪霊退治③
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「ち、ちょっと待ってくれよ」
ハルヒコを追って僕も車を降りる。
ドアを閉める音が、アスファルトを擦る靴音を飲み込みながら光も乏しい道に長く響いた。
夜中には奇妙なほど通りの少ないこの場所は、だから自動販売機でジュースを買って飲むというチヒロとのちょっとした時間を、あきれるほど濃密にしてくれていたのだった。
それだけに、チヒロに投げ捨てられた指輪の高い着地音は、あまりにも残酷な音色となって僕の耳に刻み込まれ深く深く残っている。
「はは、一人になるのは怖いかい」
ちょっとだけ振り向いてハルヒコがはにかむようににやつくと、自動販売機の脇に置かれた空き缶専用のゴミ箱が、軽い声で鳴いた。
手持ち無沙汰になったらしいハルヒコは、さっきまで缶を持っていた手で産毛のようなひげしか生えていない顎をちょりちょりとかいた。
「ちゃかすなよ。いきなりお札なんて渡されて、困っただけさ。君が使う予定なんだろう」
本心ではハルヒコの言うとおり怖かったのだけれど、それを言ってしまうのではさすがにみっともないだろう。
「困るだって? 情けないことを言うなよ。本当なら、お前が一人でやっていたかも知れないんだ。いざとなったら、自分一人でも幽霊退治をするような気持ちでいてくれないと」
「確かにそのとおりかも知れないけどさ。だけどハルヒコ、君はこのお札を持っていくと言っただけで、どう使うかは教えてくれていないじゃないか」
「おれだってそんなもの、使い方なんて知ったことじゃあないさ」
しゃあしゃあとして言ってのけると、ハルヒコはさっきまで顎をかいていた手で、僕の手から半ば奪うようにしてお札を受け取った。
両手が留守になってしまった僕は、どうしようもなく周りの空気をもみ崩してから、思い出したように痒くなってきた耳の裏に、人差し指の爪を立てた。
「冗談だろう」
僕の言葉に、にやついていたハルヒコの顔が不満そうに歪む。
彼の口が開く前から、そこから否定の言葉が出ることのないのを悟った僕は、自然と眉間に力が入るのを感じた。
「お札なんて、幽霊の出る場所に、ぺたりと貼っておけば良いんじゃないのかい。そこにお経を読んでやれば、幽霊なんてものはハイハイと成仏するだろうよ」
三日前のハルヒコを思い出す。
あんな幽霊は退治してやりたいと苦笑した僕に、手を貸そうかと笑ったあの顔。
できるのかいと驚く僕に、まかせておけと胸を叩いたあの声。
今、再びにやついたハルヒコは、あのときと同じ顔と声とで僕の認識をひっくり返した。
三日前に逆転したはずの妄想と現実とが、ここに来てまたもや逆転してしまった。
「そんなに簡単にできることなのかい、幽霊退治って」
「やってみないことには分からないよ。少なくとも、無意味な結果にはならないだろうさ」
僕が何か言い返そうと考えているうちに、ハルヒコは自動販売機の方へと向き直る。
僕が何事か声をかけようとしたとき、ハルヒコはお札を指に挟んだまま、空き缶専用のゴミ箱を持ち上げていた。
プラスチック製の赤いゴミ箱がきゃらきゃらと鳴きながら移動すると、その下に隠れていたらしいゲジゲジが、そそくさと自動販売機の下へ逃げていった。
「何をやっているのさ」
僕の口が思わずそう動いてしまったのは、ゴミ箱をどかしたその場所に、ハルヒコが屈みこんだからである。
「お札っていうのは、掛け軸の裏みたいな、普段見えないところに貼ってあったりするだろう」
「普段ゴミ箱で隠れているところに貼ろうっていうのかい」
「ああそうさ。じゃあお前は、おれの後ろに立っていてくれよ」
振り向きもせずに言うハルヒコの背中は、開いているほうの手でズボンのポケットを漁りはじめる。
「だけど、自動販売機なんかに貼っていいのかい」
「まずいかもな。ばれたら剥がされるだろうし、下手をすれば持ち主に文句言われて罰金かも知れないな」
「だったらやめておこうよ。どこに監視カメラがあるか、分かったものじゃない」
言ってから、辺りを見回す。
ここには何度も来ているけれど、監視カメラの有無なんかは気にしたことがなかった。
「だから、後ろに立っていて欲しいんだ。そこに人がいれば、ゴミ箱を真上から撮っているカメラがない限り、何をやっているか分からないだろう」
「なるほど、用心深いね」
僕が後ろに立つと、ハルヒコはポケットに突っ込んでいた手を、ビニールテープとハサミを掴みながら引き抜いた。
「だけどやっぱり、こんなところでがさがさやっていたら、怪しいんじゃあないのかい」
「誤魔化しようはいくらだってあるさ」
自動販売機の側面にお札を貼り終わったらしいハルヒコは、ポケットに再びビニールテープとハサミを突っ込むと、
「こうやって、小銭を落としたっていうことにしておくとかな」
くるりと振り向き、手に持った百円玉を見せびらかすようにして立ち上がった。
「なるほど、周到だね」
返事の代わりにハルヒコはやっぱりにやけると、ゴミ箱を元の位置へ。
一時はもうどうでもいいとすら思えていたけれど、お札がゴミ箱に隠れた瞬間、悔しいけれど僕の中には満足感と達成感と、震えるような安心感が満ち満ちていた。
この気持ちは、小学校の夏休み、工作の宿題を終えたときのものに似ているのかも知れなかった。
僕がやったことはといえば、ハルヒコの壁になったぐらいのものなのだけれど。
ハルヒコを追って僕も車を降りる。
ドアを閉める音が、アスファルトを擦る靴音を飲み込みながら光も乏しい道に長く響いた。
夜中には奇妙なほど通りの少ないこの場所は、だから自動販売機でジュースを買って飲むというチヒロとのちょっとした時間を、あきれるほど濃密にしてくれていたのだった。
それだけに、チヒロに投げ捨てられた指輪の高い着地音は、あまりにも残酷な音色となって僕の耳に刻み込まれ深く深く残っている。
「はは、一人になるのは怖いかい」
ちょっとだけ振り向いてハルヒコがはにかむようににやつくと、自動販売機の脇に置かれた空き缶専用のゴミ箱が、軽い声で鳴いた。
手持ち無沙汰になったらしいハルヒコは、さっきまで缶を持っていた手で産毛のようなひげしか生えていない顎をちょりちょりとかいた。
「ちゃかすなよ。いきなりお札なんて渡されて、困っただけさ。君が使う予定なんだろう」
本心ではハルヒコの言うとおり怖かったのだけれど、それを言ってしまうのではさすがにみっともないだろう。
「困るだって? 情けないことを言うなよ。本当なら、お前が一人でやっていたかも知れないんだ。いざとなったら、自分一人でも幽霊退治をするような気持ちでいてくれないと」
「確かにそのとおりかも知れないけどさ。だけどハルヒコ、君はこのお札を持っていくと言っただけで、どう使うかは教えてくれていないじゃないか」
「おれだってそんなもの、使い方なんて知ったことじゃあないさ」
しゃあしゃあとして言ってのけると、ハルヒコはさっきまで顎をかいていた手で、僕の手から半ば奪うようにしてお札を受け取った。
両手が留守になってしまった僕は、どうしようもなく周りの空気をもみ崩してから、思い出したように痒くなってきた耳の裏に、人差し指の爪を立てた。
「冗談だろう」
僕の言葉に、にやついていたハルヒコの顔が不満そうに歪む。
彼の口が開く前から、そこから否定の言葉が出ることのないのを悟った僕は、自然と眉間に力が入るのを感じた。
「お札なんて、幽霊の出る場所に、ぺたりと貼っておけば良いんじゃないのかい。そこにお経を読んでやれば、幽霊なんてものはハイハイと成仏するだろうよ」
三日前のハルヒコを思い出す。
あんな幽霊は退治してやりたいと苦笑した僕に、手を貸そうかと笑ったあの顔。
できるのかいと驚く僕に、まかせておけと胸を叩いたあの声。
今、再びにやついたハルヒコは、あのときと同じ顔と声とで僕の認識をひっくり返した。
三日前に逆転したはずの妄想と現実とが、ここに来てまたもや逆転してしまった。
「そんなに簡単にできることなのかい、幽霊退治って」
「やってみないことには分からないよ。少なくとも、無意味な結果にはならないだろうさ」
僕が何か言い返そうと考えているうちに、ハルヒコは自動販売機の方へと向き直る。
僕が何事か声をかけようとしたとき、ハルヒコはお札を指に挟んだまま、空き缶専用のゴミ箱を持ち上げていた。
プラスチック製の赤いゴミ箱がきゃらきゃらと鳴きながら移動すると、その下に隠れていたらしいゲジゲジが、そそくさと自動販売機の下へ逃げていった。
「何をやっているのさ」
僕の口が思わずそう動いてしまったのは、ゴミ箱をどかしたその場所に、ハルヒコが屈みこんだからである。
「お札っていうのは、掛け軸の裏みたいな、普段見えないところに貼ってあったりするだろう」
「普段ゴミ箱で隠れているところに貼ろうっていうのかい」
「ああそうさ。じゃあお前は、おれの後ろに立っていてくれよ」
振り向きもせずに言うハルヒコの背中は、開いているほうの手でズボンのポケットを漁りはじめる。
「だけど、自動販売機なんかに貼っていいのかい」
「まずいかもな。ばれたら剥がされるだろうし、下手をすれば持ち主に文句言われて罰金かも知れないな」
「だったらやめておこうよ。どこに監視カメラがあるか、分かったものじゃない」
言ってから、辺りを見回す。
ここには何度も来ているけれど、監視カメラの有無なんかは気にしたことがなかった。
「だから、後ろに立っていて欲しいんだ。そこに人がいれば、ゴミ箱を真上から撮っているカメラがない限り、何をやっているか分からないだろう」
「なるほど、用心深いね」
僕が後ろに立つと、ハルヒコはポケットに突っ込んでいた手を、ビニールテープとハサミを掴みながら引き抜いた。
「だけどやっぱり、こんなところでがさがさやっていたら、怪しいんじゃあないのかい」
「誤魔化しようはいくらだってあるさ」
自動販売機の側面にお札を貼り終わったらしいハルヒコは、ポケットに再びビニールテープとハサミを突っ込むと、
「こうやって、小銭を落としたっていうことにしておくとかな」
くるりと振り向き、手に持った百円玉を見せびらかすようにして立ち上がった。
「なるほど、周到だね」
返事の代わりにハルヒコはやっぱりにやけると、ゴミ箱を元の位置へ。
一時はもうどうでもいいとすら思えていたけれど、お札がゴミ箱に隠れた瞬間、悔しいけれど僕の中には満足感と達成感と、震えるような安心感が満ち満ちていた。
この気持ちは、小学校の夏休み、工作の宿題を終えたときのものに似ているのかも知れなかった。
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