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起
悪霊退治①
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そりゃあ振られる。
幽霊のいる車の中に、彼女一人を残して僕だけ逃げてしまったのだ。
普通の状況でなかったとはいえ、あんなに臆病で薄情な、情けなくて頼り甲斐のない男など、本人である僕ですら愛想を尽かす。
だから、しばらく経ってからのこのこと戻ってきた僕の頬を引っ叩いて、指輪を投げつけた上に蹴りを入れて立ち去ったチヒロの行動は、きっと誰の目から見てももっともだ。
立ち去る彼女を追いもせず、謝罪の言葉すらかけなかった挙句、彼女の姿が見えなくなると怖くなって一人だけ車に乗り逃げ帰った僕など、男の風上にも置けないのだろう。
だけど、それでも納得のいかないことがある。
なぜ、よりにもよってあんな場面で幽霊が邪魔をしに来るのか。
全てが終わってしまった今、僕のあの幽霊に向けられる感情は恐怖でも気味の悪さでもなく、脱力感を伴う憤りだけだった。
だって、だっておかしいじゃないか。
完全に実ったはずの恋愛が幽霊によってぶち壊されるだなんて、そんなばかげた話があっていいはずがない。
そもそも幽霊の存在など信じていなかった僕が、どうして幽霊なんかに人生の邪魔をされなくてはいけないのだろうか。
「今更こんなことを言うのはどうかと思うんだが、言ってみても良いかい」
助手席であぐらをかいたハルヒコは左手に持っている長方形の紙切れをまじまじと眺めてから、ドリンクホルダーの缶コーヒーに右手を伸ばした。
「こんなことって、言ってみないとどんなことかも分からないじゃないか。言ってみなよ」
「そう言うんなら言わせてもらうよ。今更だけどな、おれは……」
持っていた紙切れを脚に置き、缶コーヒーをぷしゅりと開ける。
その姿を見て、僕はハルヒコの言いたいことよりも、彼がコーヒーをこぼさないかということの方が気になってしまう。
「おれは、乗り気じゃないんだよな」
「いったい何に」
「すっとぼけてんじゃねぇ。分かるだろう。今からやろうとしていることに、さ」
今からやろうとしていることに、乗り気ではない。
それは、コーヒーを開けておきながら飲む気がしないということではないのだろう。
それぐらいのことは分かっていながらも、僕は思わず「それを飲むのに乗り気じゃないっていうことか」
と返してしまっていた。
「おいおい、冗談を言うなら真顔は止してくれよ。それとも本気でそう言っているのかい」
「それはこっちのセリフだろう。本気か?」
「言えって言ったのはお前だろう。だから断わっておいたんだ。今更だけどってな」
ハルヒコは缶の口を舐めるようにしてちびちびとコーヒーを飲み始める。
「怖くなったとか言わないよな」
僕が尋ねるとハルヒコは缶を口から離し、まだ一口分も減っていないであろう缶コーヒーをドリンクホルダーに戻した。
「さすがに、そんなことは言わないさ。ただな……信号、変わったぞ」
「缶コーヒー、怖いから手に持っておいてくれよ」
「そんなことを言われてもなあ、手に持っておくのも危なっかしいだろう」
ブレーキから足を離すと、コーヒーに思考を奪われかけていた僕は渋々と前方へ視線を移し、嫌々にアクセルへ足を添えた。
「それでな、おれが乗り気じゃないのは、怖いからじゃあなくって」
「揺れたらこぼれるじゃないか。持っておいたほうが安全だって」
幸いと、後続車両は存在しない。
ハルヒコがコーヒーを持つまで、わざわざアクセルを踏む必要もないだろう。
窓の外では赤く灯った歩行者信号機が、歩くようにゆったりと後退していった。
この横断歩道を越えれば、目的地まではあと一息だ。
「わかったよ、持っておくさ。だけど、おれは責任取れないからな。幽霊が出てきたときに、驚いてコーヒー投げ飛ばしたって」
こわん、と缶コーヒーを持ち上げる音がする。
安心してアクセルペダルに力をかけると、街灯によって淡く照らし出されたアスファルトが、ヘッドライトに切り開かれ心地よく走り出した。
幽霊のいる車の中に、彼女一人を残して僕だけ逃げてしまったのだ。
普通の状況でなかったとはいえ、あんなに臆病で薄情な、情けなくて頼り甲斐のない男など、本人である僕ですら愛想を尽かす。
だから、しばらく経ってからのこのこと戻ってきた僕の頬を引っ叩いて、指輪を投げつけた上に蹴りを入れて立ち去ったチヒロの行動は、きっと誰の目から見てももっともだ。
立ち去る彼女を追いもせず、謝罪の言葉すらかけなかった挙句、彼女の姿が見えなくなると怖くなって一人だけ車に乗り逃げ帰った僕など、男の風上にも置けないのだろう。
だけど、それでも納得のいかないことがある。
なぜ、よりにもよってあんな場面で幽霊が邪魔をしに来るのか。
全てが終わってしまった今、僕のあの幽霊に向けられる感情は恐怖でも気味の悪さでもなく、脱力感を伴う憤りだけだった。
だって、だっておかしいじゃないか。
完全に実ったはずの恋愛が幽霊によってぶち壊されるだなんて、そんなばかげた話があっていいはずがない。
そもそも幽霊の存在など信じていなかった僕が、どうして幽霊なんかに人生の邪魔をされなくてはいけないのだろうか。
「今更こんなことを言うのはどうかと思うんだが、言ってみても良いかい」
助手席であぐらをかいたハルヒコは左手に持っている長方形の紙切れをまじまじと眺めてから、ドリンクホルダーの缶コーヒーに右手を伸ばした。
「こんなことって、言ってみないとどんなことかも分からないじゃないか。言ってみなよ」
「そう言うんなら言わせてもらうよ。今更だけどな、おれは……」
持っていた紙切れを脚に置き、缶コーヒーをぷしゅりと開ける。
その姿を見て、僕はハルヒコの言いたいことよりも、彼がコーヒーをこぼさないかということの方が気になってしまう。
「おれは、乗り気じゃないんだよな」
「いったい何に」
「すっとぼけてんじゃねぇ。分かるだろう。今からやろうとしていることに、さ」
今からやろうとしていることに、乗り気ではない。
それは、コーヒーを開けておきながら飲む気がしないということではないのだろう。
それぐらいのことは分かっていながらも、僕は思わず「それを飲むのに乗り気じゃないっていうことか」
と返してしまっていた。
「おいおい、冗談を言うなら真顔は止してくれよ。それとも本気でそう言っているのかい」
「それはこっちのセリフだろう。本気か?」
「言えって言ったのはお前だろう。だから断わっておいたんだ。今更だけどってな」
ハルヒコは缶の口を舐めるようにしてちびちびとコーヒーを飲み始める。
「怖くなったとか言わないよな」
僕が尋ねるとハルヒコは缶を口から離し、まだ一口分も減っていないであろう缶コーヒーをドリンクホルダーに戻した。
「さすがに、そんなことは言わないさ。ただな……信号、変わったぞ」
「缶コーヒー、怖いから手に持っておいてくれよ」
「そんなことを言われてもなあ、手に持っておくのも危なっかしいだろう」
ブレーキから足を離すと、コーヒーに思考を奪われかけていた僕は渋々と前方へ視線を移し、嫌々にアクセルへ足を添えた。
「それでな、おれが乗り気じゃないのは、怖いからじゃあなくって」
「揺れたらこぼれるじゃないか。持っておいたほうが安全だって」
幸いと、後続車両は存在しない。
ハルヒコがコーヒーを持つまで、わざわざアクセルを踏む必要もないだろう。
窓の外では赤く灯った歩行者信号機が、歩くようにゆったりと後退していった。
この横断歩道を越えれば、目的地まではあと一息だ。
「わかったよ、持っておくさ。だけど、おれは責任取れないからな。幽霊が出てきたときに、驚いてコーヒー投げ飛ばしたって」
こわん、と缶コーヒーを持ち上げる音がする。
安心してアクセルペダルに力をかけると、街灯によって淡く照らし出されたアスファルトが、ヘッドライトに切り開かれ心地よく走り出した。
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