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第七話 friend's side『非日常への抜け穴』

1-1 クールダウン

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 この時期――五月の半ばが去年までどういう気候だったのかなんて、あまり覚えていない。
 八月だとか一月だとか、そういう極端な時期の気候のことならなんとなく覚えているような気がするけれど、それも実は真夏なんだから、真冬なんだからという常識的な認識のもとに、暑かったはずだ、寒かったはずだ、だなんて考えているだけのような気もする。
 もちろん、去年のいつかにも桜は咲いていたし、花粉症に苦しんだこともあったし、梅雨が鬱陶しかった記憶も、もう夏だななんて言っていたような記憶もあるのだけれど、それが何月のいつ頃だったのかだなんて、いちいち覚えているわけでもない。
 そのくせ、五月の半ばにしては寒いなと思ってしまうのは、わざと感傷的になろうとする私の、ちょっとイタい部分のせいなのだろう。
 一人で歩く慣れない町の夜道は、五月の半ばにしては少し肌寒かった。
 なんて。そんなふうに言語化しつつも、それが気候のせいじゃないことなんて分かりきっている。今が八月や一月だとしても、どうせいつもより肌寒く感じたのに違いない。さっきまでの、慧真と一緒にいるときの私自身がホカホカだったから、そう感じる――感じようとしているのに決まっているのだ。
 さっきの、あれは最後の山だった。慧真のお母さんに対して、部活をさぼったことについての当たり障りのない理由をでっち上げたとき。慧真が私の悩み事の相談に乗ってくれただなんて、いかにもあり得そうで綺麗な嘘。友達が親に咎められるのを、誰も傷つけず、悪者を作らずに回避することができただなんて。慧真を立てる自分の姿に痺れたね。
 それから、慧真に見送られて。駅までの道が分かるか心配されちゃったりもして。ちょっと不安はありつつも、寂しさを感じつつも、嘘による余熱に浮かされていた私はあくまでクールに背を向けて。
 今日は、もう、いよいよこれで、終わりかな。
 静まっていく一方のテンションを自覚しながら、スーツ姿のおじさんたちや手を繋いだカップルや大声で電話をする楽しそうな人たちとすれ違い続ける。こんな時間に駅に向かっている私はもしかしたら不良高校生だと思われているのかも知れなくて、そんな視線に耐えられない小心者は自然と俯き加減になっていった。
 今日はなんだか、ずっとこんな感じだ。漫画の中の登場人物になったような気になって盛り上がっては、現実に引き戻されて冷静になることの繰り返し。きっと、そのどちらもが私の素の部分ではあるのだろうけれど、少なくとも、今日ほど気持ちが大きくなったのは間違いなく慧真がいたからなのだろう。
 慧真の近くは、世界が違うのだ。
 彼女は明るくて、元気で、可愛くて、みんなに愛されて、そういう主人公みたいな子だから。だから、慧真の近くにいるときだけは、もう一人の主人公ってやつになれていたんだ。慧真のためにと動いているときだけは、姫を守るナイトみたいな、そういう格好良い自分になれていたんだ。
 そんなふうに考えて卑屈になってしまうのも、序盤で裏切るやつみたいで嫌だけど。
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