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第五話 『動き始めて歪む世界』
1-2 夕陽
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「だめだったねぇ、カンナぁ」
引き返すとすぐに、廊下の角から矢野さんが姿を現す。
私がそう頼んで、近くで様子を見てもらっていたのである。
けらけらと笑う顔が、脱力感を誘った。
「あたしもさあ、あんな感じであしらわれちゃって。まあ、室町先輩の言うことはもっともだし、そりゃあそうなるよね」
矢野さんも深澤先生の頼みで、何日か前に室町先輩のところへ行ったのだということだった。
その時にも結局返してもらうことができなかったため、今度は私に白羽の矢が立ったというわけなのだろう。
室町先輩と同じ、大人しそうな生徒だからということで私なのだろうかと、自分なりに考える。
近いタイプなら、矢野さんみたいな活発な感じの子が行くよりも上手く行きやすい、だなんて思ったのだろうか。
特にこれといった目的もなく、室町先輩についての感想を交換しているうちに、私たちの足は自然と教室にたどり着いた。
夕日に染まった無人の教室。
私たちが三年生のところへ行っている間に、クラスメートたちは皆帰ってしまったようだった。中間テスト直前ということで、放課後にあるほとんどの部活動が休みになっているのだ。
「どうしてあたしたちに頼んだんだと思う?」
教室に入ってからの何言目かに、矢野さんはさっきまでと変わらない調子で言った。
さっきまでの話の続きに違いなかった。
室町先輩についての薄っぺらい会話の、その流れで矢野さんはそう言ったのだった。
「カンナと同じで、あたしだって室町先輩と面識なかったし。深澤先生に頼まれたときだってさ、なんでそんなこと頼むのか理解できなかったんだけど……なんか、どうしてそんなこと頼むんですかって聞けなくてさ」
窓に向かって話す矢野さんの声は廊下で話していたときよりも小さくて、私の足は自然と夕日に近づいた。
「ううん、聞けなかったっていうか、そもそも疑問に思わなかったんだよね」
「私も」
反射的に、声が出る。
ポニーテールが振り向いて、赤く照らされた横顔が輝く瞳を私に向けた。
私も、同じだ。
「私も、ただ、なんていうか……頼まれたから、やらなきゃって」
「そう、一緒!」
今にも掴みかかりそうな勢いだった。
それほどに、矢野さんは今回の件に奇妙さを感じているのだ。
奇妙さの確信を求めているのだ。
「お守り……だよね」
話の流れからすると唐突だった気がする。
だけど、矢野さんが感じているらしい奇妙さに触れるには、そこから入る他にないような気がした。
「何が」
一瞬、何かを考えるような間を空けて矢野さんは言った。
思い当たるものがあるんだなと思った。
どちらのことか分からないんだなとも思った。
どちらとも取ることのできる言い方をした自覚はあった。
「深澤先生が室町先輩に貸してるものって、お守り、だよね」
「ああ、そのこと」
「それと、多分同じものを、私も先生からもらったんだ。それが頼まれた理由といえば、理由なんだけど」
矢野さんも同じなんだ。
半ば以上に確信がある。
それでも、まだもう少し探りを入れたくなる。
それなのに、
「あたしももらったよ、お守り」
矢野さんはあっさりとそう言って、表情を強張らせた。私は驚いてしまって、訳もなく表情を和らげた。
あまりにも自然で、唐突で、あっけない。
私が探りを入れようとしていたのは、気づかれていたのかも知れなかった。
まどろっこしいのが嫌いそうだもんなあ、矢野さん。
「お守りもらって、何かがあったんだよね。だから、頼みを断れなかったんじゃない?」
「うん、そう」
自然と頷いていた。
どぎまぎする。
話が早すぎる。
「お守りのおかげか分からないけど、深澤先生に相談したらいきなり……何もしてないのに、うまくいって」
ああ、嘘を言った。
小さな嘘。
何もしてないっていうのは、嘘だ。
私はお守りに願ったんじゃないか。
だけどそれはきっと、普通ならば何もしてないと言うのだ。
だから、でも、嘘じゃないはず。
矢野さんの顔は、安心しているように見えた。それが、私の後ろめたさをちくりと刺激する。
「うん、それ、あたしもなんだ」
一緒だったんだねえ、と美少年みたいな顔がはにかんだ。
はにかんだまま、彼女は夕日を見て、私は自身の影に視線を落とした。
引き返すとすぐに、廊下の角から矢野さんが姿を現す。
私がそう頼んで、近くで様子を見てもらっていたのである。
けらけらと笑う顔が、脱力感を誘った。
「あたしもさあ、あんな感じであしらわれちゃって。まあ、室町先輩の言うことはもっともだし、そりゃあそうなるよね」
矢野さんも深澤先生の頼みで、何日か前に室町先輩のところへ行ったのだということだった。
その時にも結局返してもらうことができなかったため、今度は私に白羽の矢が立ったというわけなのだろう。
室町先輩と同じ、大人しそうな生徒だからということで私なのだろうかと、自分なりに考える。
近いタイプなら、矢野さんみたいな活発な感じの子が行くよりも上手く行きやすい、だなんて思ったのだろうか。
特にこれといった目的もなく、室町先輩についての感想を交換しているうちに、私たちの足は自然と教室にたどり着いた。
夕日に染まった無人の教室。
私たちが三年生のところへ行っている間に、クラスメートたちは皆帰ってしまったようだった。中間テスト直前ということで、放課後にあるほとんどの部活動が休みになっているのだ。
「どうしてあたしたちに頼んだんだと思う?」
教室に入ってからの何言目かに、矢野さんはさっきまでと変わらない調子で言った。
さっきまでの話の続きに違いなかった。
室町先輩についての薄っぺらい会話の、その流れで矢野さんはそう言ったのだった。
「カンナと同じで、あたしだって室町先輩と面識なかったし。深澤先生に頼まれたときだってさ、なんでそんなこと頼むのか理解できなかったんだけど……なんか、どうしてそんなこと頼むんですかって聞けなくてさ」
窓に向かって話す矢野さんの声は廊下で話していたときよりも小さくて、私の足は自然と夕日に近づいた。
「ううん、聞けなかったっていうか、そもそも疑問に思わなかったんだよね」
「私も」
反射的に、声が出る。
ポニーテールが振り向いて、赤く照らされた横顔が輝く瞳を私に向けた。
私も、同じだ。
「私も、ただ、なんていうか……頼まれたから、やらなきゃって」
「そう、一緒!」
今にも掴みかかりそうな勢いだった。
それほどに、矢野さんは今回の件に奇妙さを感じているのだ。
奇妙さの確信を求めているのだ。
「お守り……だよね」
話の流れからすると唐突だった気がする。
だけど、矢野さんが感じているらしい奇妙さに触れるには、そこから入る他にないような気がした。
「何が」
一瞬、何かを考えるような間を空けて矢野さんは言った。
思い当たるものがあるんだなと思った。
どちらのことか分からないんだなとも思った。
どちらとも取ることのできる言い方をした自覚はあった。
「深澤先生が室町先輩に貸してるものって、お守り、だよね」
「ああ、そのこと」
「それと、多分同じものを、私も先生からもらったんだ。それが頼まれた理由といえば、理由なんだけど」
矢野さんも同じなんだ。
半ば以上に確信がある。
それでも、まだもう少し探りを入れたくなる。
それなのに、
「あたしももらったよ、お守り」
矢野さんはあっさりとそう言って、表情を強張らせた。私は驚いてしまって、訳もなく表情を和らげた。
あまりにも自然で、唐突で、あっけない。
私が探りを入れようとしていたのは、気づかれていたのかも知れなかった。
まどろっこしいのが嫌いそうだもんなあ、矢野さん。
「お守りもらって、何かがあったんだよね。だから、頼みを断れなかったんじゃない?」
「うん、そう」
自然と頷いていた。
どぎまぎする。
話が早すぎる。
「お守りのおかげか分からないけど、深澤先生に相談したらいきなり……何もしてないのに、うまくいって」
ああ、嘘を言った。
小さな嘘。
何もしてないっていうのは、嘘だ。
私はお守りに願ったんじゃないか。
だけどそれはきっと、普通ならば何もしてないと言うのだ。
だから、でも、嘘じゃないはず。
矢野さんの顔は、安心しているように見えた。それが、私の後ろめたさをちくりと刺激する。
「うん、それ、あたしもなんだ」
一緒だったんだねえ、と美少年みたいな顔がはにかんだ。
はにかんだまま、彼女は夕日を見て、私は自身の影に視線を落とした。
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