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第四話 boy's side 『被虐と加虐』
3-4 淫靡
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「ちょっと、大丈夫ですか?」
「大丈夫。気にし――」
駆け寄ってくる人物の顔を見て、気が遠くなった。相手もこちらのことが分かったようで、駆け寄る途中で一度足を止めた。
ああ、どうして、声で気づかなかったのだろう。
「何があったの」
南川と一緒に逃げなかったことを激しく後悔した。さっきのあの状況でそんな発想が出てくるわけがないことは分かり切っているのに、それでも後悔した。
「喧嘩――してたの?」
ぼろぼろのまま立ち尽くすおれのことを心配そうに見上げる、矢野早苗。
どうして、よりにもよって、矢野が。
「なんで、こんなところに」
「だって――なんか、声がして。見に来たら、殴られてて」
ぼそぼそと言い訳のように言って、すぐに「そんなことより」と声を張り上げた。
「ほんと、どうしたの。顔、腫れてるよ。大丈夫?」
ああ、もう、何度も同じことを聞くなよ。アーモンド形の活発そうな双眸が、不安そうにゆらゆらと揺れている。こんなに近くに矢野がいるというのに、ただひたすらに、辛い。
こんな姿を、見るなよ。
「相手、南川くん――だよね。あんなことするようには見えなかったけど結構……」
言葉を詰まらせたその先。強いんだねと、そう続けるんだろうな。矢野が誰もいないのに振り向いたので、おれは南川の走り去った方向を知ることができた。
すうっ、と。自分の中身が粉のように細かくなって、崩れていくのが分かった。殴られた頬が冷たくなって、自分が抜け殻になってしまったみたいだった。
南川におれが負けたことを、矢野が知ってしまった。
既にどこかへ行ってしまった南川のことを見ているらしい、ボリュームのあるポニーテール。後れ毛を残したうなじが、淫靡で、そして、細くて。
矢野は、やっぱり、細くて。
手が、伸びた。
へ、なのか、え、なのか、そのどちらともつかないような声を出して彼女はこちらを見ようとしたけれど、それをすることはできなかった。
おれに首を掴まれているせいで、彼女はもうじたばたと暴れることしかできなかった。
「なっ――何するの」
そう言った。そう言った気がする。掴む手が力みすぎているせいで喉が締まっているのか、矢野の声はかすれていた。
はやくしないと。
はやくしないと、矢野が死ぬぞ。
矢野の指が、首を絞めている指先に絡みつく。冷たい指だ。思えば、こんなに強く彼女に触れられたことは初めてで、その喜びのせいか、胸が高鳴り、暴れだした。
「忘れろよ」
おれが南川に負けたっていうことを。
忘れさせるためには――頭を殴れば良いか。
それしかないような気がする。
「えっ――なに、ほんと、やめて――」
こっちだって、本当はやめてやりたいんだよ。
首を両手で掴んだまま、その頭を地面に叩きつけた。おれの指を握っていた両手は身を守ることすらできず、矢野は濁点だらけの弱弱しい悲鳴をあげた。
「忘れたか?」
嗚咽のような声がするだけで、返事はない。まだ忘れていないということか。だったら。
薄くグラウンドの砂が乗ったアスファルトに、続けて三回頭をぶつけた。薄闇の中で砂が赤く染まったのが見えたので、怖くなって――おれが怪我をさせたことも忘れて欲しくて、また何度か同じことを繰り返した。
「大丈夫。気にし――」
駆け寄ってくる人物の顔を見て、気が遠くなった。相手もこちらのことが分かったようで、駆け寄る途中で一度足を止めた。
ああ、どうして、声で気づかなかったのだろう。
「何があったの」
南川と一緒に逃げなかったことを激しく後悔した。さっきのあの状況でそんな発想が出てくるわけがないことは分かり切っているのに、それでも後悔した。
「喧嘩――してたの?」
ぼろぼろのまま立ち尽くすおれのことを心配そうに見上げる、矢野早苗。
どうして、よりにもよって、矢野が。
「なんで、こんなところに」
「だって――なんか、声がして。見に来たら、殴られてて」
ぼそぼそと言い訳のように言って、すぐに「そんなことより」と声を張り上げた。
「ほんと、どうしたの。顔、腫れてるよ。大丈夫?」
ああ、もう、何度も同じことを聞くなよ。アーモンド形の活発そうな双眸が、不安そうにゆらゆらと揺れている。こんなに近くに矢野がいるというのに、ただひたすらに、辛い。
こんな姿を、見るなよ。
「相手、南川くん――だよね。あんなことするようには見えなかったけど結構……」
言葉を詰まらせたその先。強いんだねと、そう続けるんだろうな。矢野が誰もいないのに振り向いたので、おれは南川の走り去った方向を知ることができた。
すうっ、と。自分の中身が粉のように細かくなって、崩れていくのが分かった。殴られた頬が冷たくなって、自分が抜け殻になってしまったみたいだった。
南川におれが負けたことを、矢野が知ってしまった。
既にどこかへ行ってしまった南川のことを見ているらしい、ボリュームのあるポニーテール。後れ毛を残したうなじが、淫靡で、そして、細くて。
矢野は、やっぱり、細くて。
手が、伸びた。
へ、なのか、え、なのか、そのどちらともつかないような声を出して彼女はこちらを見ようとしたけれど、それをすることはできなかった。
おれに首を掴まれているせいで、彼女はもうじたばたと暴れることしかできなかった。
「なっ――何するの」
そう言った。そう言った気がする。掴む手が力みすぎているせいで喉が締まっているのか、矢野の声はかすれていた。
はやくしないと。
はやくしないと、矢野が死ぬぞ。
矢野の指が、首を絞めている指先に絡みつく。冷たい指だ。思えば、こんなに強く彼女に触れられたことは初めてで、その喜びのせいか、胸が高鳴り、暴れだした。
「忘れろよ」
おれが南川に負けたっていうことを。
忘れさせるためには――頭を殴れば良いか。
それしかないような気がする。
「えっ――なに、ほんと、やめて――」
こっちだって、本当はやめてやりたいんだよ。
首を両手で掴んだまま、その頭を地面に叩きつけた。おれの指を握っていた両手は身を守ることすらできず、矢野は濁点だらけの弱弱しい悲鳴をあげた。
「忘れたか?」
嗚咽のような声がするだけで、返事はない。まだ忘れていないということか。だったら。
薄くグラウンドの砂が乗ったアスファルトに、続けて三回頭をぶつけた。薄闇の中で砂が赤く染まったのが見えたので、怖くなって――おれが怪我をさせたことも忘れて欲しくて、また何度か同じことを繰り返した。
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