上 下
28 / 59
第四話 boy's side 『被虐と加虐』

3-4 淫靡

しおりを挟む
「ちょっと、大丈夫ですか?」
「大丈夫。気にし――」
 駆け寄ってくる人物の顔を見て、気が遠くなった。相手もこちらのことが分かったようで、駆け寄る途中で一度足を止めた。
 ああ、どうして、声で気づかなかったのだろう。
「何があったの」
 南川と一緒に逃げなかったことを激しく後悔した。さっきのあの状況でそんな発想が出てくるわけがないことは分かり切っているのに、それでも後悔した。
「喧嘩――してたの?」
 ぼろぼろのまま立ち尽くすおれのことを心配そうに見上げる、矢野早苗。
 どうして、よりにもよって、矢野が。
「なんで、こんなところに」
「だって――なんか、声がして。見に来たら、殴られてて」
 ぼそぼそと言い訳のように言って、すぐに「そんなことより」と声を張り上げた。
「ほんと、どうしたの。顔、腫れてるよ。大丈夫?」
 ああ、もう、何度も同じことを聞くなよ。アーモンド形の活発そうな双眸が、不安そうにゆらゆらと揺れている。こんなに近くに矢野がいるというのに、ただひたすらに、辛い。
 こんな姿を、見るなよ。
「相手、南川くん――だよね。あんなことするようには見えなかったけど結構……」
 言葉を詰まらせたその先。強いんだねと、そう続けるんだろうな。矢野が誰もいないのに振り向いたので、おれは南川の走り去った方向を知ることができた。
 すうっ、と。自分の中身が粉のように細かくなって、崩れていくのが分かった。殴られた頬が冷たくなって、自分が抜け殻になってしまったみたいだった。
 南川におれが負けたことを、矢野が知ってしまった。
 既にどこかへ行ってしまった南川のことを見ているらしい、ボリュームのあるポニーテール。後れ毛を残したうなじが、淫靡で、そして、細くて。
 矢野は、やっぱり、細くて。
 手が、伸びた。
 へ、なのか、え、なのか、そのどちらともつかないような声を出して彼女はこちらを見ようとしたけれど、それをすることはできなかった。
 おれに首を掴まれているせいで、彼女はもうじたばたと暴れることしかできなかった。
「なっ――何するの」
 そう言った。そう言った気がする。掴む手が力みすぎているせいで喉が締まっているのか、矢野の声はかすれていた。
 はやくしないと。
 はやくしないと、矢野が死ぬぞ。
 矢野の指が、首を絞めている指先に絡みつく。冷たい指だ。思えば、こんなに強く彼女に触れられたことは初めてで、その喜びのせいか、胸が高鳴り、暴れだした。
「忘れろよ」
 おれが南川に負けたっていうことを。
 忘れさせるためには――頭を殴れば良いか。
 それしかないような気がする。
「えっ――なに、ほんと、やめて――」
 こっちだって、本当はやめてやりたいんだよ。
 首を両手で掴んだまま、その頭を地面に叩きつけた。おれの指を握っていた両手は身を守ることすらできず、矢野は濁点だらけの弱弱しい悲鳴をあげた。
「忘れたか?」
 嗚咽のような声がするだけで、返事はない。まだ忘れていないということか。だったら。
 薄くグラウンドの砂が乗ったアスファルトに、続けて三回頭をぶつけた。薄闇の中で砂が赤く染まったのが見えたので、怖くなって――おれが怪我をさせたことも忘れて欲しくて、また何度か同じことを繰り返した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

幼馴染をわからせたい ~実は両想いだと気が付かない二人は、今日も相手を告らせるために勝負(誘惑)して空回る~

下城米雪
青春
「よわよわ」「泣いちゃう?」「情けない」「ざーこ」と幼馴染に言われ続けた尾崎太一は、いつか彼女を泣かすという一心で己を鍛えていた。しかし中学生になった日、可愛くなった彼女を見て気持ちが変化する。その後の彼は、自分を認めさせて告白するために勝負を続けるのだった。  一方、彼の幼馴染である穂村芽依は、三歳の時に交わした結婚の約束が生きていると思っていた。しかし友人から「尾崎くんに対して酷過ぎない?」と言われ太一に恨まれていると錯覚する。だが勝負に勝ち続ける限りは彼と一緒に遊べることに気が付いた。そして思った。いつか負けてしまう前に、彼をメロメロにして告らせれば良いのだ。  かくして、実は両想いだと気が付かない二人は、互いの魅力をわからせるための勝負を続けているのだった。  芽衣は少しだけ他人よりも性欲が強いせいで空回りをして、太一は「愛してるゲーム」「脱衣チェス」「乳首当てゲーム」などの意味不明な勝負に惨敗して自信を喪失してしまう。  乳首当てゲームの後、泣きながら廊下を歩いていた太一は、アニメが大好きな先輩、白柳楓と出会った。彼女は太一の話を聞いて「両想い」に気が付き、アドバイスをする。また二人は会話の波長が合うことから、気が付けば毎日会話するようになっていた。  その関係を芽依が知った時、幼馴染の関係が大きく変わり始めるのだった。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

水やり当番 ~幼馴染嫌いの植物男子~

高見南純平
青春
植物の匂いを嗅ぐのが趣味の夕人は、幼馴染の日向とクラスのマドンナ夜風とよく一緒にいた。 夕人は誰とも交際する気はなかったが、三人を見ている他の生徒はそうは思っていない。 高校生の三角関係。 その結末は、甘酸っぱいとは限らない。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

「学校でトイレは1日2回まで」という校則がある女子校の話

赤髪命
大衆娯楽
とある地方の私立女子校、御清水学園には、ある変わった校則があった。 「校内のトイレを使うには、毎朝各個人に2枚ずつ配られるコインを使用しなければならない」 そんな校則の中で生活する少女たちの、おしがまと助け合いの物語

処理中です...