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第四話 boy's side 『被虐と加虐』
3-1 日常風景
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何も考えないのは、楽だ。勝手に事が進んで、終わって、過ぎて行く。
いつもなら退屈なだけの基礎トレーニングと後片付けばかりの部活動に、今日ばかりは救われたような気分だった。
「そこ、もうやったぞ」
気の抜けたような声がしたので、モップを動かす手を止めた。そこで初めて、自分が掃除をしていたことに気がついた。本当はそんなわけはないのだけれど、そんなような気がしたのだ。
ああそうか、とこちらも気の抜けた返事をして振り向くと、ひょろ長い男が欠伸をする瞬間だった。同じバスケ部であるこの横井という男は、いつも眠そうな顔をしている。そのくせ部活中の動きは俊敏で、だからきっと、元々そういう顔立ちなのだろう。
今は欠伸をしていたから、本当に眠いということなのだろうか。顔を見ても、よく分からない。
「もう帰ろうぜ。他のとこも掃除終わったし」
促されるままに、モップを片づけに用具室へ向かう。横井は絞った濡れ雑巾を左右の手で持ち替えたりしながら、おれの隣を少し離れて着いてきた。他の一年生は既に全員が帰ってしまったようで、二人で歩く体育館は広く、そして寒々しい。この第二体育館ですらそう感じるのだから、第一体育館でこの状況になったらさぞかし――
ああ、だから、考えるのは止めておけば良かったんだ。第一体育館で活動しているはずのバレーボール部のことが頭に浮かんでしまい、手にしたモップが重くなる。
「話して良いか?」
眠たそうな顔が張りのない声で言うので、なんだよ、と返事をした。
「仲里さあ、なんか今日、違うな」
「は? 何が」
「機嫌悪くすんなよ。良い意味だって」
良い意味って、と尋ねる。良い意味だよ、と繰り返される。
「なんかさあ、今日、すごく真面目に取り組んでただろ。練習も掃除も。見直しちゃってさ」
「いつも真面目じゃないってか?」
がらんとした体育館に、横井のどこか抜けた笑い声が響く。用具室に入ると、横井はだってさあ、とやはり笑いながら掃除用具のロッカーを開けた。
「いつも、なんか退屈そうに見えてたんだよな。皆とやるの嫌なのかなー、なんて思ったりしてさ」
「ああ」
図星だ。
「だけどなんか、今日の仲里は真面目にやってるように見えてさ、そんな姿見たら悔しくてさ。だけど嬉しくもあって、そのこと言わずにはいられなかったんだよ」
「悔しい?」
伸ばされた手にモップを渡してやると、横井は手際よくモップと雑巾を片付けてロッカーを閉めた。
「おう。仲里さ、運動神経良いだろ。で、おれは仲里ほどバスケ上手くないんだけど、その分チームワークとか真面目さでお前に勝ってるつもりだったんだよ。それが、いきなり真面目さ出されちゃってさ、これじゃあおれ、いいとこなしじゃん、ってね」
勝手にライバル意識を燃やされていたということか。なんだか面倒くさい気分になりながら用具室を出ると、横井が用具室の扉に南京錠をかけた。体育館や用具室の鍵を横井が預かっていることは知っていたけれど、実際に使っているのを見るのは初めてだった。
「掃除も、最後の一人になるまで残ってやるのがおれの美徳だったのに、仲里ってばずっと掃除してるんだもんな。どうしたんだよいったい」
「どうもしねえよ」
冷淡に言い放って、歩を早めた。明日も頑張ろうなー、と横井の声が体育館を響かせたので、少しうんざりしながらその場を後にする。
いつもなら退屈なだけの基礎トレーニングと後片付けばかりの部活動に、今日ばかりは救われたような気分だった。
「そこ、もうやったぞ」
気の抜けたような声がしたので、モップを動かす手を止めた。そこで初めて、自分が掃除をしていたことに気がついた。本当はそんなわけはないのだけれど、そんなような気がしたのだ。
ああそうか、とこちらも気の抜けた返事をして振り向くと、ひょろ長い男が欠伸をする瞬間だった。同じバスケ部であるこの横井という男は、いつも眠そうな顔をしている。そのくせ部活中の動きは俊敏で、だからきっと、元々そういう顔立ちなのだろう。
今は欠伸をしていたから、本当に眠いということなのだろうか。顔を見ても、よく分からない。
「もう帰ろうぜ。他のとこも掃除終わったし」
促されるままに、モップを片づけに用具室へ向かう。横井は絞った濡れ雑巾を左右の手で持ち替えたりしながら、おれの隣を少し離れて着いてきた。他の一年生は既に全員が帰ってしまったようで、二人で歩く体育館は広く、そして寒々しい。この第二体育館ですらそう感じるのだから、第一体育館でこの状況になったらさぞかし――
ああ、だから、考えるのは止めておけば良かったんだ。第一体育館で活動しているはずのバレーボール部のことが頭に浮かんでしまい、手にしたモップが重くなる。
「話して良いか?」
眠たそうな顔が張りのない声で言うので、なんだよ、と返事をした。
「仲里さあ、なんか今日、違うな」
「は? 何が」
「機嫌悪くすんなよ。良い意味だって」
良い意味って、と尋ねる。良い意味だよ、と繰り返される。
「なんかさあ、今日、すごく真面目に取り組んでただろ。練習も掃除も。見直しちゃってさ」
「いつも真面目じゃないってか?」
がらんとした体育館に、横井のどこか抜けた笑い声が響く。用具室に入ると、横井はだってさあ、とやはり笑いながら掃除用具のロッカーを開けた。
「いつも、なんか退屈そうに見えてたんだよな。皆とやるの嫌なのかなー、なんて思ったりしてさ」
「ああ」
図星だ。
「だけどなんか、今日の仲里は真面目にやってるように見えてさ、そんな姿見たら悔しくてさ。だけど嬉しくもあって、そのこと言わずにはいられなかったんだよ」
「悔しい?」
伸ばされた手にモップを渡してやると、横井は手際よくモップと雑巾を片付けてロッカーを閉めた。
「おう。仲里さ、運動神経良いだろ。で、おれは仲里ほどバスケ上手くないんだけど、その分チームワークとか真面目さでお前に勝ってるつもりだったんだよ。それが、いきなり真面目さ出されちゃってさ、これじゃあおれ、いいとこなしじゃん、ってね」
勝手にライバル意識を燃やされていたということか。なんだか面倒くさい気分になりながら用具室を出ると、横井が用具室の扉に南京錠をかけた。体育館や用具室の鍵を横井が預かっていることは知っていたけれど、実際に使っているのを見るのは初めてだった。
「掃除も、最後の一人になるまで残ってやるのがおれの美徳だったのに、仲里ってばずっと掃除してるんだもんな。どうしたんだよいったい」
「どうもしねえよ」
冷淡に言い放って、歩を早めた。明日も頑張ろうなー、と横井の声が体育館を響かせたので、少しうんざりしながらその場を後にする。
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