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第一話 『変わる世界』

1-1 孤独

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 満員電車から押し出されるようにして脱出すると、そのまま人の波に流されながらホームの階段を降りた。立ち止まる暇はもちろん、振り返るような余裕もない――ということにする。
 一ヶ月前、初めてこの人間の群れに遭遇したときには、これからの三年間を思って心底うんざりさせられたものだけれど、今となっては私の高校生活の中で一番と言って良いほどの、心が楽になる時間となっていた。
「おっはよーう!」
 改札口を抜けたところで、どこかで聞いたことがあるような明るい声が聞こえた。ちらりと目をやると、キオスクの前で、私と同じ制服を着た活発そうな生徒が笑顔で手を振っている。
 あと一週間でも早ければ、私は何か勘違いでもして嬉々としながら返事をしかけたのかも知れない。
 だけど私は、彼女が自分に向かって、あんなふうに声を張り上げてくることなんてないことを知っている。彼女だけじゃない。私に、こんなに混雑した駅の中で挨拶をしてくる子なんてどこにもいないのだ。

 高校生活一ヶ月目にして、私はまた、孤立してしまっていた。誰にも関心を持たれない、空気のような存在になってしまっていた。いじめの対象になっていないだけましなのかも知れないけれど、かといってこの状況が苦しくないのかと言えば、そんなことがあるはずもない。
 声を張り上げていた子は、同じ制服の子――挨拶をした相手だろう――と笑いあいながら乗り換えのホームに向かい歩きだした。仲良し二人組の背中を見ながら、私は人波に押し流される。ところてんにでもなったような気分だ。
 でも――だからこそ、流されているのは気が楽だ。
 誰とも一緒にいないのは、人ごみに流されてそれどころではないからだと、自分をごまかすことができるから。
 三本目の電車を降り、私を取り囲む人ごみが同じ制服の生徒ばかりになった頃、私はところてんであることを止めるためにわざとゆっくりと歩きはじめた。二人組、三人組やグループたちにどんどん追い抜かれていくのが、もはや心地よくすらある。
 駅を出ると、高校までは大型の書店とファーストフード店以外には特にこれといって目を引くような建物のない道が続いている。ほんの少しだけ上り坂になった十数分間のこの道のりは、周りの皆と歩調を合わせないのがいちばん楽だ。
 誰とも何も話さないまま、同級生たちに紛れながら教室に入り席につく。今日は私の席に誰も座っていなかった。ラッキー。
 すぐに、朝のホームルームの時間を知らせる鐘が鳴って、楽しそうに喋っていたクラスメートたちが笑顔のまま各々の席に戻っていく。
 鐘の鳴る少し前に到着して、一人ぽつんと座っている時間をできるだけ短くする。それが、中学の頃に編み出した朝のやり過ごし方だ。
 こんなふうに、毎日をやり過ごす。
 一人ぼっちだけど、寂しくないふりをする。一人ぼっちなのは、間が悪いせいだと自分に納得させる。
 昔から、それが私だった。いつからだったかははっきりと覚えていないけれど、どうやら私は友達を作ることがどうしようもなく苦手なようだった。
 少なくとも中学の頃にはその時間のほとんどが一人ぼっちで、だから人間関係を一新させようと、わざわざ知り合いの誰も行かないであろう遠くの高校を受けて、そしてめでたく入学したっていうのに。
 結局、このざまだ。周りの環境が変わっても、自分が変われるわけじゃないのだとしみじみ感じる。
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