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第一話 約束の戦士

6-1 グレイプ編・治療者

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 グレイプは、難しいことを考えるのが苦手だった。
 それはなにもグレイプという個人に限った話ではなく、ゴブリンという種族の性質なのでもあった。もっと正確に表現するのならば、その「難しいこと」というのは人間という種族にとっての「常識的な範疇の理性的な思考」であると言っても差し支えのないものであり、彼らゴブリンに言わせれば、他の多くの種族が小癪にも七面倒くさいことを考え過ぎなのである。
 だからこのたび、妹の怪我が完全に癒えていたことに対して、グレイプは何の疑問も抱くこともなく喜んでいた。骨は折れ、皮膚は爛れ、薬草を塗り込んだところで気休めにしかならなかったであろう大怪我が、薬草を摘みに行っていたわずかな時間で治っていたのにも関わらず、である。
「リンゴ! もうだいぶ良くなってるじゃねぇか! やったな!」
「うん。ありがとう、おにいちゃん。もう、どこも痛くないんだ」
 リンゴはおっとりとした口調と緩慢な歩みでグレイプ近づくと、獲物を捕らえる野生動物のような動きで、飛び跳ねる兄の手をがしりと掴んだ。
 手をぶんぶんと激しく振りながら喜びを分かち合う兄妹の姿はいささか暴力的ですらあるが、彼らゴブリンにとっては珍しくもない感情表現である。
「喜んでもらえてるみたいで嬉しいよ、ゴブリンくん」
 洞窟内で喜びを分かち合う兄妹に、小ばかにするような笑い交じりの声がかれられる。それまでの弛緩しきったグレイプの表情は、反射的に威嚇する際の凶暴なものに変化して、彼は声に対し妹を後ろに庇うよう体勢を移した。
 ほんの数分前に聞いたばかりの声だ。聞き間違えるはずもない。人間の猟師を軽々と打ち倒した強大な者のあどけない声である。
「ちょっと待ってよ。どうしてそんなに敵対心剥き出しなのさ。僕ってきみたちに何か悪いことしたっけ」
 吐き出す言葉とは裏腹に、愉しげで軽い足取りのまま歩み寄るキアロスクーロ。互いに力関係を分かり切った二人の距離は、グレイプが虚勢の唸り声をあげている間にも着々と縮まっていく。靴音が止んだとき、キアロスクーロはグレイプにとって跳びかかるのに丁度良い位置に立っていたが、それは圧倒的強者の揶揄いに他ならなかった。
「聞き分けのない猟師さんから助けてあげたじゃないか。それに――」
 隻眼の視線が、グレイプの背後に向けられる。グレイプが妹を隠すように矮躯をよじると、しかし当のリンゴは兄の腕から身を乗り出す。
「怪我を治してあげたよね」
 にやにやと笑うキアロスクーロ。一瞬、時間が止まる。グレイプが言葉の意味を考えている間に、リンゴがゴブリン特有のしゃがれた、それでいてゴブリンらしい陽気な声をあげた。
「そうなの、おにいちゃん。この人が触った途端、怪我があっという間に治って――」
 ちらりと振り向いた兄の顔が、悲しいような困ったような怯えるような――そんな見慣れない歪み方をしていたので、リンゴは声のトーンを落として押し黙った。グレイプが視線を前方に戻すなり、キアロスクーロはけらけらと軽薄に笑い、その細い腹を抱える。
「あの猟師さん、ここに逃げ込んでボクに追い詰められると、その子を人質にしようとするはゴブリンの兄貴がどうとか喚くはで滑稽だったからさ、気まぐれに治癒の魔法を使っちゃった」
 笑いながら、キアロスクーロは一歩詰め寄る。グレイプはびくりと身を震わせることしかできなかった。
「ね、ボクって良いことばっかりしてあげてるよね?」
「どういうつもりだ」
 怯えた声で尋ねるグレイプの姿に、艶のある薄い唇がいたずらっぽい曲線を描いた。笑い声の止んだ洞窟内に、二者の距離の開く靴音が響く。一分の隙もない燕尾服の背中に、グレイプは構えを解くとその場にへたり込んだ。
「言ったでしょ、気まぐれだって。でも――」
 振り返る隻眼。次に出る言葉を予想したグレイプは、苦々しく視線を落とした。
「お礼としてひとつ、お願いしちゃっても良いかな」
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