誰が為のアルティスト

あなくま

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第1章

第1章 10

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しじみ
待ち合わせ場所は、またこの前の喫茶店の前でいいですか?

あるて
はい。大丈夫です。

あるて
あ、すみません。先に済ませたい用事があるので、少しお待たせします。
すぐ終わると思うので16時半頃には着くと思いますが……。
寒いでしょうし、お店の中でお待ちください。

しじみ
わかりました
急がなくていいのでお待ちしてます

 一人、喫茶店の中で道瑠はスマートフォンを見る。時計は、16時34分と表示されている。
「はぁ……はぁ……。遅れて……すみません……」
 その声に気付き、道瑠が顔を上げるとそこには息を切らした状態のあるてがいた。概ねチャット通りの時間の合流となった。
「だ、大丈夫だけど……えっ、走って来たの!?」
「はい……少しでも早く着かないとって、思い、まして……。失礼します……」
 そう言うとあるては道瑠の向かいに座った。

 ……………………。

 そして2人の間に訪れる無言。強いて挙げるとすれば、息を整えるためのあるての深い呼吸のみが、周囲のざわつきの中で聞こえる。
「緊張……してます?」
 そんな中先に口を開いたのは、だいぶ落ち着きを取り戻してきたあるてだった。
「う、うん……」
 あるての直球の問いかけに、道瑠が正直に答える。
「ですよね。……私だって緊張しているんですよ? と言いますかこの前は変装前も後も普通に堂々としてたじゃないですか」
「あれは流れ的に……。それを言ったらあるてさんも前と違って敬語になってるし、こう言うのをブーメランって言うんだっけ?」
「わ、私の投げたブーメランは――そ、そう、不良品で、投げても戻ってきません……から……」
「じゃあ、そのブーメランは僕が拾って投げ返しました」
 過度の緊張でいっぱいいっぱいになり、自分でも何を言っているのかがわかっていないあるて。道瑠はそんなあるての言葉をしっかりと拾って対応する。
「むぅぅ……。あ、と、取り敢えずこれ! 用事ってクリーニングのことで、タグとか付いたままだけど……有難うございました!」
 何も言い返すことが出来なかったあるては本来の目的に話を切り替えて、道瑠に持っていた紙袋を渡す。道瑠がその中に入っているマフラーを確認すると、防虫カバーに包まれ、綺麗に折り畳まれていた。
「そんなわざわざ……。でも有難う、それでその足で来てくれたんだね。何だか申し訳無い」
「いや、あまり長いこと待たせたくなかったし、マフラーこれも当然のことです――じゃなくて、当然のことだから」
 先程敬語のことを言われたこともあり、タメ口に言い直してあるてが言う。その視線は完全に道瑠から反らしている。
「ねえ。何でアンタはそんな平然としていられるの?」
 そして、道瑠に疑問をぶつける。
「いや、正直に言うと凄く緊張してるけど……くぐった場数の違いかな。昔から演劇に携わっていて、それでも緊張には未だ慣れてないけど、平然を装えるようには――あ、そうか……」
「?」
「僕さ、兄がいるんだけど。言われたんだ、『あるてさんの前では変装禁止。志道道瑠を演じろ』って。どうやら僕には『自分』というものが無いらしいんだ」
「うん」
「きっとそれはこの前みたいな将来のための変装とか演劇とかで、キャラを――誰かの人格を重ねることが多かったからかなと自分なりに考えた。ただそれは飽くまでも練習や本番の時だけ。公演前の毎回来る緊張は『志道道瑠ぼく』が感じてるものなのかもしれない」
「……うん」
「だとしたら僕もあるてさんみたく、今感じてる緊張を表に出すべきだった……のかなあ」

 ……………………。

 再び無言が2人に訪れる。
「――ぃよ」
 その沈黙を、再びあるてが破る。
「ズルいよ、それ。マフラーを返したらさよならって考えも時々してたのに、そんなこと言われたら本当のアンタが見たくなっちゃうじゃない」
「………………」
 道瑠は黙ったままだが、
(早く……早くあのことを伝えなくちゃ。――いや、今しかない!)
 心の中ではこう考え、そして決心した。その瞬間、道瑠の中で更に緊張が込み上げ――いよいよ隠し切ることが出来なくなってしまった。
「あの、1つ謝らないといけないことが……。これを話したらもう二度と会ってくれないかもしれない程の話なんだけど、どうしても言わなくちゃいけないことだから」
 その緊張は、あるてにも伝わって来る。
「……怖いこと言うね。でも、良いよ」
 だからこそ何を言われるかわからず怖かったが、ちゃんと聞こうとあるては思った。
「有難う。そしてごめんなさい。あのナンパは、僕が仕込んだことだったんだ……!」
「…………えっ?」
「実は前々からあるてさんのことが気になっていた。でもきっかけが無く、話し掛けることが出来なかった。だから兄に頭を下げてナンパ役をお願いして、それを僕が助けるって考えに至った。だから――」
「茶番に私は巻き込まれてた……ってこと?」
「…………ごめんなさい!」
 道瑠が頭を下げて謝る。あるてが抱えていた道瑠に対する温かい感情は一気に冷め、代わりに不安と混乱が襲い掛かる。
「じゃあ、この前言ってた『放っておけなかった』ってのは嘘だった……?」
「嘘じゃない――って言いたいけど、信じてくれないと思う。何を言っても言い訳にしかならないから……だから、何も言えない」
「………………そっか」
 こう言いながら、あるては脱力したように俯く。
「アンタのこと、気になって考えて考えて……。信じてたんだよ? だけどやっぱり、私が見てたアンタは別人だったんだ」
「……………………」
 道瑠は俯き、何も言い返すことが出来ない。
「見ず知らずの私をどうして気になったのか、気味悪いけどもうどうでも良いよ。あるじゃん、『自分』。本当のアンタは……人を巻き込み心を弄ぶ、酷い奴だよ。畜生だよ。アンタがそう言う人間ならば……」
 あるては身体を前に乗り出し、俯く道瑠の前頭及び前髪を鷲掴みにして押し上げる。目と目が合う。道瑠から見えたあるての顔は――目は潤み、簡単な言葉では言い表せない感情を帯びているように見えた。


「消えろ――っ!」

 あるてはその手を突き放すと、逃げるように走って喫茶店を出た。道瑠はそれを追うこと無く、ただ力の抜けた様子でその場に佇んだ。佇むしか、なかった。
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