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第二十六章 夢でないのなら
01 そこは真っ暗な、闇の中であった。僅かな光源すらも存
しおりを挟むそこは真っ暗な、闇の中であった。
僅かな光源すらも存在しない、漆黒の、闇であった。
だけども、視えている。
周囲の物が、そして、自分の身体が、視えている。
認識出来ている。
それはとても、不思議な感覚であった。
不思議といえば、自分のことだ。
自分は一体、ここでなにをしているのだろう。
ずっと目は覚めていて意識はあったはずなのに、ふと気付けばここにいた、という気もする。
ずっと眠り続けていて、たったいま目覚めたばかりのような気もする。
ここは、どこ?
何故、ここにいる。
分からないけど、では、さっきまで自分は、どこにいただろうか?
そういえば、さっきもこんなところにいた気もする。
こことは違うけど、こんな、光のない部屋の中にいて、でも何故か物が見えていた、気がする。
魔力の、目?
ここもそこと同じで、やっぱり光なんかまったくなくて、わたしが魔法使いだから、魔力の目があるから、こうして見ることが出来ている?
待って……
わたしは、戦っていなかったか?
さっきいたかも知れないという、その闇の部屋で、わたしは。
誰と?
なんのために?
わたし、頭を打ったのだろうか。
とても大切なことを、すっかり忘れている気がする。
なんか、いやな夢を見ていたな。
わたしが、身体を細切れにされてしまうんだ。
首だけにされてしまうんだ。
何故だが分からないけど、味方の剣で。
いや、戦っているんだから味方じゃないんだろうけど、とにかく魔法使いに。
それどころか、カズミちゃんや、治奈ちゃんが、どろどろに溶けてしまって。
……同じように溶けて液状になっている無数のヴァイスタに、食べられてしまうんだ。
「あ、あっ、あれっ?」
素っ頓狂な声。
自分の声であった。
ふと視線を落とした時に、自分の服装に気が付いて、びっくりしたのだ。
みんなと遊びでお出掛けする時のような、私服姿なのである。
ティアードブラウスに、膝丈タータンチェックのプリーツスカート、薄桃色の靴下。
だからどうした、ということではあるのだが。
でもこの服装が、なんだか違和感であった。
記憶がぼーっとしているわけだから、自分が現在の状況を理解していないだけであり、こんな姿でいても別に不思議ではないのだろうが……
ぐるりと、また周囲を見回す。
視界に入ってはいたけれど、あらためて部屋の中を見回す。
やっぱり、不思議だ。
こんな奇妙な造りの部屋で、遊び着姿でぼーっとしているだなんて、どう考えても不自然ではないか。
そう、ここはなんとも、奇妙かつ不気味な部屋であった。
光源がなく、闇の中を魔力の目のみで見ている、ということを差し引いても。
広さは、学校の教室を半分にした程度で、細長い。
闇の中であるため本来の色はよく分からないが、床も壁も天井も白っぽい。
壁は平らではなく、直径数センチのパイプ状の物が無数に編まれて形を作っていたり、元は平らだったのかも知れないが鉄球をぶつけたかのようにぼこぼこと陥没している。
天井からは、食虫植物にも思えるものが、無数ぶらさがってふるふる震えている。
部屋の真ん中には、測定器具にも、単なるオブジェにも見える、幼児が描いた妖怪を元に作ったブロンズ像とでもいうべき、意味の分からない形状の物体が置かれている。
なんなのだろう、ここは。
自分がいるのは、部屋の端だ。
腰を掛けているのは、おそらくベッドだ。
気が付いた時には横たわって天井を見上げていたのだが、現在は上体だけを起こして足を床に投げ出している。
上体を支えるために着いている手を、なんとなくずるりずらしてみたところ、指先にへこんだものの感触があった。
見ると、ベッドが少しくぼんでいるのだ。
どうやら自分は、このくぼみに身体を半ばめり込ませて、横たわっていたようだ。
「気味が、悪いな」
遥かな未来世界へと、訪れたかのような感覚だ。
ベッドのへこみをなでているうちに、自分の左腕に着けられているリストフォンが目に入った。
魔力制御システムであるクラフトが内蔵されている、特殊なリストフォンだ。
強化プラスチック素材で覆われ、銀色基調に赤い装飾の入った、メンシュヴェルトからの支給品である。
上着のポケットにもなんとなく手を入れてみると、確かな感触。
取り出したのは、真紅のリストフォンである。
こちらは、現在主流の強化プラスチック製ではなく、古いのか新しいのか全体が金属製。
全体が、真っ赤な物である。
もしかしたらすべてが、自分が魔法使いであることすら夢ではないか。そう考えて、リストフォンを触ってみたのであるが、少なくともすべて夢、ではなかった。
クラフト内蔵リストフォンを腕に着けているからには、やはり自分は魔法使いなのだろう。
ポケットに入っていた、この真っ赤なリストフォンを持っているということは、ウメちゃんとの記憶も確かということだろう。以前にリヒト支部で、真紅の魔道着を着たウメちゃんと戦ったことが。
でもならば、何故わたしはこんなところにいるのだろうか。
このような普段着姿で、こんなところに。
わけが分からない。
考えるほどなんだか不安が増してしまい、なんとなく周囲をきょろきょろ見回した。
奇抜な造りの壁に囲まれた、奇妙な部屋の中を。
この部屋もこの部屋で、なんなのだろうか。
扉らしき物が、まるで見当たらない。
どこから入ったんだ、わたしは。
宇宙の広さは有限というが、その宇宙がこの空間分しか存在しないかのようにも思えて、ちょっと怖くなってきた。
早く出てしまおう、こんな部屋。
出入り口がないはずはない。
不安げな表情のまま、ベッドから腰を持ち上げる。
ゆっくり、歩き出す。
妙に身体が重い。
自分の身体じゃないみたいだ。
もしかして、相当に長いこと、眠っていたのではないだろうか。
そんなことばかり、いってもいられない。
ふらつく足取りで身体を運び、短い距離というのに、ようやく壁に辿り着き、触れた。
触れてみると、奇妙なのは見た目だけでなく、感触もであった。
煮詰めた砂糖を乾燥させたかのような、ざりざり感のある手触り。
こんな奇怪な場所に自分の存在することに違和感を覚え、そっと戻した手で、今度は自分の頬に触れてみた。
触れた手をゆっくり下ろして、静かに、胸を押さえる。
膨らみ始めたばかりの、まだまだ多分に幼さの残る、でも女性らしくやわらかな胸。
感じる、鼓動。
夢じゃない。
現実、これは現実なんだ。
わたしは……令堂和咲。
ズクッ。
突然、頭蓋骨を内部から叩き割られた。
そんな激しい頭痛に襲われて、うぐっと呻きながら、両手で頭を抱えた。
痛みがおさまらず、苦痛の呻き声を立て続けているうち、
あ、ああ……
呻き声とその質が、変化していた。
思い出したのである。
ぼんやりとしていたここまでの記憶、直前の記憶を。
完全に、思い出していたのである。
いつしか苦痛ではなく、苦悩に呻いていたのである。
ぶるぶると、全身を震わせながら。
自分の涙で、視界が歪んでいた。
つっ、と涙が頬を伝い落ちた。
さらわれた史奈ちゃんを助けるために、東京にあるリヒトの支部へ潜入した。
戦いになり、たくさんの仲間が殺された。
それどころか……人質になっていたわたしの義父母、修一くんと直美さんまでが……
そして、カズミちゃんと、治奈ちゃんが、どろどろに溶けたヴァイスタの中に飲み込まれて、死んだ。
リヒト所長のために。
わたしを超ヴァイスタ化させるという計画、ただそれだけのために。
「絶対世界」への扉を開く、とかそんなことのために。
理想郷でなかろうとも、絶対ではなかろうとも、でも、みんなが必死に守ってきた世界だというのに……
あのような状況になった責任は、すべてわたしにあった。
だというのに、仲間や両親を失った怒りに駆られ、我を忘れたわたしは世界を滅ぼそうとしてしまった。
滅んでも構わない、などと思ってしまった。
滅んでも構わないと……
滅んでも構わないと!
「うわあああああああああああああああああ!」
絶叫、していた。
部屋を、壁を、震わせるほどの、声を、気持ち、後悔の念を、申し訳ない思いを、喉から絞り出していた。
吐き出していた。
不快を。
やり場のない念を。
叫び、叫んで、最後には小さなため息を吐いた。
しんとした部屋で、静かに、壁を見つめる。
「世界は……」
世界は、滅んで、しまったのかな?
わたし一人だけが、残ってしまったのかな?
それとも、ここは死者の世界?
わたしなんかに、みんなの魂と触れる資格なんかないから、だからこうして、わたしだけがここにいる……
でも、どうでもいいことだ。
わたしはみんなを裏切る酷いことをしてしまった、というその事実に間違いはないのだから。
鼻を、すすった。
ぐすり、泣きながら、壁を叩いた。
両手で、何度も叩いた。
また、涙がこぼれた。
下を向いた顔から、ぼたぼたと、大粒の涙が。
ぼたり床に落ちる。まるで雨粒とアスファルト、黒い染みが一つ、二つ。
悔しい、悲しい、怒り、嘆き、負をすべて包括した感情、そう見える表情であったが、不意にその目が驚きに見開かれていた。
音。
おそらく、壁の向こう側からの。
微かな、
でも、激しい音を、感じたのである。
正確には、音ではないのかも知れない。
振動を、身体に受けているだけかも知れない。
でも、関係ない。
音でなくとも。
どおん
どおん
間違いない。
向こう側から、叩いているのだ。
誰かが、いるのだ。
壁の向こう側に。
誰が?
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