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第九章 再び合宿へ
05 男子バスケ部員が全員帰ると、校内に須黒先生やアサキ
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男子バスケ部員が全員帰ると、校内に須黒先生やアサキらメンシュベルト関係者の他は、誰一人いなくなった。
普段は狭いと感じる校内も、さすがに七人だけだと、とんでもなく広く、静かである。
平日のざわめきとは打って変わって、離れた場所で蹴る小石の音まではっきり聞えそうなほど静まり返っている。
建物の外も、中も。
そのような雰囲気の、校内で、アサキたちはこれから昼食である。
天王台第三中学校は、公立中で食堂がないため、北校舎四階の家庭科室に集まって、各々持参した弁当を食べるのだ。
「今日は一般生徒も教師も、入れないようにしてあるからとはいえ、ほんと寂しくなるくらい静かねえ。採点で残っているような気分になるわね」
窓際の席に座っている須黒美里先生が、遠く眼下にキラキラ輝いている手賀沼を眺めながら、しみじみ呟いた。
この直後に、自分自身の行動というか奇行というかで、迷惑なくらい騒々しくなることなど、なにも知らずに。
きっかけは、平家成葉が無邪気な顔でのほほんと発した、余計な一言。
「崎村センセもここにいれば、須黒にゃんも寂しくなかったのにねーっ」
崎村隆一、二十五歳。顔立ちが整っているというただそれだけで女子生徒に人気の、そして女性教師からもきっと人気であろうだってイケメンだもんと生徒らに囁かれている、男性教師である。
「ああ? なんだ平家え、ウラアアアアアッ!」
須黒先生の荒々しい雄叫びが、家庭科室の空気をバリバリ震わせた。
平家成葉の身体が、軽く椅子から引き剥がされたかと思うと、ぶうんと唸りを上げて小柄な身体が小さな弧こを描き、背中側から、首が床に叩き付けられていた。
バックドロップ。
いわゆるプロレス技である。
鉄人ルー・テーズが使用したことで、一躍有名になった技だ。
瞬間的に沸点に達した須黒先生が、立ち上がるや否や、成葉の背後に回り込み、怒りに我を忘れつつもなんだかんだ高度な技で、床へと叩き付けたのだ。
「あぎゃああああああああ!」
悲鳴絶叫、成葉は激痛に顔を歪めて、どったんばったん地を這うウナギそっくりに身をくねらせ、のたうち回っている。
「あ、ご、ごめん、身体が勝手に。平家さん、ほんとごめんね。ちょっぴりやりすぎちゃったっ」
須黒先生は両手を合わせ、えへっ、と可愛らしい笑顔で謝った。
「いえいえ、ナルハの方が迂闊だったにゃん」
あーいえばこーなる、と分かってたはずなのにということだろうか。
「ひーん、首が痛いよお」
成葉は顔をしかめて、後頭部や首の後ろを、すりすりさすりながら、ゆっくりと起き上がった。
そんな様子を見て、指差して容赦なく笑っているのはカズミである。
「バカだなあ、ナル坊は。先生この粗暴な性格で、婚期を逃し続けているのにさあ」
「昭刃あああああああああああああああっ!」
「うわっ!」
須黒先生は、カズミへと猛烈な勢いで迫ると、正面から胸ぐらを掴んで、恐ろしい腕力で強引に椅子から立ち上がらせた。
正面から、身を屈めて腰の辺りへと抱き着いて、
「こうやって持ち上げて、と、よいしょっ、パワーーーーーーーーッ! ボム!」
ぐわっと勢いよく持ち上げると、そのまま床に背中を叩き付けた。
パワーボム。
いわゆるプロレス技である。
鉄人ルー・テーズが使用していたリバース・スラムを洗練させたもので、日本のプロレスラーである天龍源一郎によって広められた。
ダメージを与えるだけでなく、そのままフォールに持っていくことも可能な技である。
どごおーーーーーん!
硬い木の床だというのに、現場周辺、地震のごとくにぐらぐら揺れた。
「ぎゃああああああああっ!」
カズミの絶叫が、静かな校舎内に響き渡った。
「あ、ご、ごめんね昭刃さん、あれ、おかしいな、身体が勝手にい」
またも両手を合わせて、えへっ。
「いやいや、すっげえ冷静に技を掛けてたよお! もうやだあ、この先生」
因果応報という言葉を、誰かカズミに教えてやる者はいないものか。
「なんのことかしらあ、ほほほお。それより早く食事にするわよ! 午後からも色々あるんだから、だらけてる暇はないの!」
「はああ? どの口がいってんだあ」
カズミは腰を押さえながら、よろよろと起き上がった。
いつもアサキに好き放題プロレス技を掛けていじめているが、先生の前ではたじたじなのである。
まあ、ほとんどの場合はカズミの自業自得なのだが。口は災の元、口は災の元。南無。
「先生、色々って、このあとの予定は?」
治奈が、昼食の用意をしながら尋ねる。
「ええと、まずは瞑想でしょ。次は座学で、『魔法力を効率よく伝導させるには』。その後は、ゲストを招いての、集団戦の訓練」
「えっ、ゲスト? はて、誰じゃろかのう」
治奈は、かわいらしく小首を傾げた。
「教えたらつまんないでしょお」
「といいよるからには、知っとる人か。……はあ、さしずめ第二中ってとこじゃろ」
あの、チェケヨロの万延子がいるところである。
「だ、だから先読みをするな! た、たぶんそこではない、かも知れないけど、ひょっとして、でも、もしもたまたまそこだったりしたら、つまんないでしょお!」
「須黒にゃん、答えいっちゃってるよお」
声出して笑う成葉。
「いってません! というか先生にまで『にゃん』を付けるのやめてよ! さっきからさあ。そもそも、どうして名字に? ミサにゃんならいざ知らず、スグロニャンとか妖怪じゃないんだから」
細かいところに噛み付くスグロニャン。いやミサにゃん。
などと、わいわいやっている中、カズミがぎりりと歯を軋らせた。
「第二中……」
前髪で影になったちょっと暗い表情で、ぼそり口を開くと、ダンッと強くテーブルを叩いた。
「ああ、恨みあるもんねえ。カズにゃんは」(前章ラスト参照のこと)
成葉は直球でからかうと、その時のことを思い出したか、指を差してわははは大笑いを始めた。
「あははははは。どんな食い物であろうともーーっ!」
「アホかあああああああ! つうか、そんなネチネチ、いつまでも古いこと覚えてねえよ。さあ、んなことよりもメシだあ、食うぞおおおっ!」
カズミは座りながら屈んで、足元のバッグに手を入れがさごそ、なにやら大きな塊を取り出した。
ラップフィルムに包まれた、メロンほどもある超巨大なおにぎりが二つだ。
「おー、ワイルドおおお! さすがあ!」
成葉は腰を浮かせて、テーブルの上を這うように巨大おにぎりへと顔を寄せ、まじまじ覗き込んだ。
「学習机の本棚の上に、ちょこんと置くタイプの、地球儀かと思ったあ」
アサキも同じようにして、好奇に満ちた顔を寄せた。
性格幼い組の二人が、顔を並べて、まじまじ見つめているのを見て、カズミはちょっと恥ずかしそうに、
「我が家は食えりゃいい主義で、どう頑張ったって恥ずかしくないまともな弁当なんか作れやしないから、じゃあ開き直って、こんなんでいいやって思ってさ。その代わり、具は、肉野菜炒めを細かくしたのがぎっちり入ってんだ」
「へえ、それなら健康的だねえ。わたしのは、ど ん な か な?」
アサキも、足元のバッグから、ピンクのランチクロスに包まれた弁当箱を取り出すと、テーブルの上に置いた。
と、突然カズミが悪戯っぽい表情になり、立ち上がって、アサキの背後に回り込んだ。
腕を回して、二つの超巨大おにぎり同士を、アサキの胸の前でむぎゅーっと押し当てた。
「おっぱいっ!」
「ひゃゃああああ、やめてえカズミちゃん!」
不意打ちのお下品ネタに、アサキは顔を赤らめ悲鳴を上げた。
「わたしリョウドウアサキ、天王台に住んでるちょっとおバカな中学二年生。アホ毛以上の悩みがあるの。せめてこれくらいの胸にはなりたいなあ」
カズミはかわいらしい声色を作りながら、二つのおにぎり同士をさらに押し当てた。
「お、思ってないよ! 勝手に人の心の声を作らないでえ! おおっ怒るよお!」
顔を赤らめながら、声を荒らげるアサキ。
胸の前でむぎゅむぎゅやられているのが、なんとも情けない姿であるが。
「本当にい? 思ってなあい?」
カズミがおにぎりむぎゅむぎゅしながら、吐息交じりのちょっといやらしい声で問う。
「本当!」
「でも今よりちょっとくらいは、大きくなりたいとか思ってんだろお?」
「そ、それは……」
真っ赤な顔でうつむいているアサキであったが、やがて恥ずかしそうに顔を落とし、自分の前髪に表情隠しながらこくり小さく頷いた。
「はいはい、食べ物で遊ばない! 殴るわよ、いい加減にしないと」
須黒先生がちょっと怒った顔で、ぱんぱんと手を打ち鳴らした。
「先生は人並みにサイズがあるから、アサキの切ない気持ちが分からないんですよ!」
「わたしの話はもういいよおおおお!」
アサキは、目に涙を溜めて、震える情けない声を張り上げた。
あとちょっと続いていたら、多分本当に泣き出していただろう。
「なあ、明木……昭刃っていつからこんな下品なことしとるん?」
応芽が、ちらりカズミへと、蔑みの視線を向けながら、治奈へ問う。
「さてのう。いつからじゃろ。幼稚園の頃には、おにぎりが二つあると必ずやっとったなあ」
「筋金入りか! ……ああ、自分ら、その頃からの仲やねんな」
「ほうじゃね。ただうちは幼稚園の時だけここで、基本は広島じゃったけどね」
「そうそう、だから小五で治奈がこっち転校して再会した時はびっくりしたなあ」
カズミが、いつの間にか会話に参加している。
今度は自分の胸の前で、おにぎりむぎゅむぎゅさせながら。
応芽のいう通り、確かに筋金入りのようだ。
「さて、うちの弁当じゃ。慌てて作ったけえ、スカスカで崩れとらんとええが」
そういいながら、治奈も自分の弁当の包みを広げ、蓋を上げた。
小さなステンレスの弁当箱の中に、ご飯、八宝菜、タコさんウインナー、ひじき、パイナップルとリンゴ、などが少しずつ入っている。
崩れていないのを確認すると、治奈はほっと息を吐いた。
「へえ、明木さん、栄養バランスのよさそうなお弁当ね」
ちらり中を見た須黒先生が、感心したふうに頷いた。
「本当だな。あたしてっきり、焼きそばの上に小麦粉薄く焼いたの乗っけて上にソースかけたのを持って来るのかと思ってた」
などとからかうのは、もちろんカズミである。
「それはお好み焼きじゃろ! 普段はあまり食わんけえね。店の手伝い中に、つまみ食いはするけど」
「アサキのもさあ、弁当箱はかわいらしい感じだよな。直美さん作ったんだろ? 早く開けて見せてよ」
カズミが、ぴたり密着しながらアサキを急かす。
自分の弁当が、巨大とはいえおにぎりだけでは、すぐに食べ終わってしまうから、自分の食べ始めを遅くしたいのであろう。
「さっきの件、全然解決してませんから、親しげに身体を寄せてくるのやめてもらえますかあ?」
つーんとした態度のアサキ、の襟首がガッと荒々しく掴まれていた。
「なんだとこのクソ女あああ!」
「ぎゃあああああああ、ぐびじめるのやめでえええええええ! ごめんわだじがばるがっだああああああ!」
ぎりぎりと容赦なく締め上げられて、みるみる青ざめるアサキの顔。
土気色になった、息の根が止まる直前に、ようやく解放され、しばらくの間、涙目でげほごほむせ続けていた。
「で、でばあ、ばだじもぼ弁当おーぶん」
ざらざらした、なんだかとんでもない声で、アサキは弁当箱を開いた。
いや、開こうとしたところでストップがかかった。
「アサキ、アサキッ、そ、そのしゃがれた声のうちに、こんにちはモリシンイチですっていってみてくれっ!」
目をキラキラわくわく、しょーもないことを頼むカズミ。
「やあだよ。よくそんな昔の歌手を知ってるね。それより、前にもカズミちゃんに、似たようなこといわれた気がするよお」
ごほ、とむせる懐メロ好きのアサキさん。
その両手の中にある弁当箱を、今度は治奈が身体を寄せて、覗き込んだ。
「ああ、カズミちゃんのいう通り、ほんとにかわいらしいお弁当箱じゃね」
治奈に褒められて、まだ少し土気色を残していたアサキの顔色は、一瞬にして健康ほんのり桜色へと回復して、
「とてつもなく早起きの苦手な直美さんが、頑張って早起きして、気合を入れて作ってくれたんだあ。……どんなお弁当なのかなあ。楽しみだあ」
にんまり笑顔で蓋を開けた。
期待して顔を寄せ中を覗き込むと、一面ご飯の大海原、の上に細く切った海苔で、「根性!」「ドリョク!」。
がくーーーっ。
笑みを硬直させたまま、思わず前のめりに、顔から弁当に突っ込みそうになるアサキであった。
「シュールやねんな」
どこがシュールなのかは分からないが、応芽がさりげなく突っ込みを入れた。
「うーん。勉強のための合宿、っていってしまったからかなあ。あっ、あっ、でもっ、見てっ、見てっ、ほらっ、敷かれたご飯は薄くなってて、下にはお肉とか色々詰められてるよ。おおお、凝ってるなあ」
「令堂さん、いただきますの前に箸でほじらないの!」
「はいっ! 気を付けます!」
先生にマナーの悪さを指摘されて、アサキは真顔になり肩を縮めた。
でもすぐに、じわーっと顔が変化して、笑みが浮かんでしまう。
凝ってる凝ってないというよりも、このような物を義母が自分のために、苦手な早起きを頑張って作ってくれたことが嬉しくて。
「あら、大鳥さんは、とっても上品な感じのお弁当ね」
という先生の声に、みんなの視線が正香の木製弁当箱に集中する。
俵状になっているゴマ塩をまぶしたご飯、筑前煮、梅干し、玉子焼き、質素ながら手の混んでいること一目瞭然、なおかつ栄養バランスもよさそうな弁当だ。
「ナルハさんはコンビニ弁当なのだーーーーっ!」
突っ込まれる前に自分から、ということか成葉は取り出した物をテーブルに置きながら、やけくそ気味な大声を張り上げた。
サラダ、唐揚げ弁当、牛丼、はーいお茶のペットボトル。
を、コンビニエンスストアのレジ袋から取り出した。
「あたしは時間がなくて、たいしたもんは作れへんかったんやけどな」
応芽は、言葉とは裏腹の、どうぞ見てくれ絶対見ろといわんばかりの、自信ありげな澄まし顔で、半透明の蓋を開けた。
ご飯。半分はゴマ塩、半分はノリ。
インゲンの肉巻き。
筑前煮。
タコさんウィンナー。
ウサちゃんリンゴ。
「あらあ慶賀さん、レイアウトも栄養バランスもセンスがちょおっと惜しいわねえ」
にこにこ笑顔で覗き込むの須黒先生、おそらく邪気悪意はまったくないのであろう。
しかしこの言葉は、応芽のプライドを引き裂くに、充分過ぎるものであった。
はっ、と目を見開いた応芽は、全身をぷるぷるさせながら、邪気ない先生の顔を見つめていたが、やがて、ぷるぷるしたまま手を伸ばして、カチコチの笑みを浮かべながら、ぷるぷる震える手で弁当の蓋を閉じた。
「あれ、慶賀さん、どうかした?」
にこにこ笑顔のまま先生は、ちょっと首を傾げた。
「な……なんでも……」
応芽の目に、じわりと涙が浮かんでいた。
ずっと鼻をすすった。
「うわあーーーーっ!」
席を立つや否、ドアへと向かってまっしぐら。
ずだーんと激しく転倒するが、すぐに起き上がると、身体の痛みと心の痛みに泣き叫びながら、家庭科室を出て、どこかへ走っていってしまった。
「うっわあ、ウメちゃん、かわいそうにのお」
空いたドアを見ながら、同情の渋い顔を作る治奈。
「え、え、先生なんか悪いこといった?」
須黒先生は、さっぱり意味が分かってないようで、不思議そうな顔でうろたえている。
そんな先生を、前髪に隠れた上目遣いで、おずおずと見ているアサキ。
先ほどカズミがいっていた、先生が婚期を逃し続けているという話、なんとなく納得してしまうのだった。
普段は狭いと感じる校内も、さすがに七人だけだと、とんでもなく広く、静かである。
平日のざわめきとは打って変わって、離れた場所で蹴る小石の音まではっきり聞えそうなほど静まり返っている。
建物の外も、中も。
そのような雰囲気の、校内で、アサキたちはこれから昼食である。
天王台第三中学校は、公立中で食堂がないため、北校舎四階の家庭科室に集まって、各々持参した弁当を食べるのだ。
「今日は一般生徒も教師も、入れないようにしてあるからとはいえ、ほんと寂しくなるくらい静かねえ。採点で残っているような気分になるわね」
窓際の席に座っている須黒美里先生が、遠く眼下にキラキラ輝いている手賀沼を眺めながら、しみじみ呟いた。
この直後に、自分自身の行動というか奇行というかで、迷惑なくらい騒々しくなることなど、なにも知らずに。
きっかけは、平家成葉が無邪気な顔でのほほんと発した、余計な一言。
「崎村センセもここにいれば、須黒にゃんも寂しくなかったのにねーっ」
崎村隆一、二十五歳。顔立ちが整っているというただそれだけで女子生徒に人気の、そして女性教師からもきっと人気であろうだってイケメンだもんと生徒らに囁かれている、男性教師である。
「ああ? なんだ平家え、ウラアアアアアッ!」
須黒先生の荒々しい雄叫びが、家庭科室の空気をバリバリ震わせた。
平家成葉の身体が、軽く椅子から引き剥がされたかと思うと、ぶうんと唸りを上げて小柄な身体が小さな弧こを描き、背中側から、首が床に叩き付けられていた。
バックドロップ。
いわゆるプロレス技である。
鉄人ルー・テーズが使用したことで、一躍有名になった技だ。
瞬間的に沸点に達した須黒先生が、立ち上がるや否や、成葉の背後に回り込み、怒りに我を忘れつつもなんだかんだ高度な技で、床へと叩き付けたのだ。
「あぎゃああああああああ!」
悲鳴絶叫、成葉は激痛に顔を歪めて、どったんばったん地を這うウナギそっくりに身をくねらせ、のたうち回っている。
「あ、ご、ごめん、身体が勝手に。平家さん、ほんとごめんね。ちょっぴりやりすぎちゃったっ」
須黒先生は両手を合わせ、えへっ、と可愛らしい笑顔で謝った。
「いえいえ、ナルハの方が迂闊だったにゃん」
あーいえばこーなる、と分かってたはずなのにということだろうか。
「ひーん、首が痛いよお」
成葉は顔をしかめて、後頭部や首の後ろを、すりすりさすりながら、ゆっくりと起き上がった。
そんな様子を見て、指差して容赦なく笑っているのはカズミである。
「バカだなあ、ナル坊は。先生この粗暴な性格で、婚期を逃し続けているのにさあ」
「昭刃あああああああああああああああっ!」
「うわっ!」
須黒先生は、カズミへと猛烈な勢いで迫ると、正面から胸ぐらを掴んで、恐ろしい腕力で強引に椅子から立ち上がらせた。
正面から、身を屈めて腰の辺りへと抱き着いて、
「こうやって持ち上げて、と、よいしょっ、パワーーーーーーーーッ! ボム!」
ぐわっと勢いよく持ち上げると、そのまま床に背中を叩き付けた。
パワーボム。
いわゆるプロレス技である。
鉄人ルー・テーズが使用していたリバース・スラムを洗練させたもので、日本のプロレスラーである天龍源一郎によって広められた。
ダメージを与えるだけでなく、そのままフォールに持っていくことも可能な技である。
どごおーーーーーん!
硬い木の床だというのに、現場周辺、地震のごとくにぐらぐら揺れた。
「ぎゃああああああああっ!」
カズミの絶叫が、静かな校舎内に響き渡った。
「あ、ご、ごめんね昭刃さん、あれ、おかしいな、身体が勝手にい」
またも両手を合わせて、えへっ。
「いやいや、すっげえ冷静に技を掛けてたよお! もうやだあ、この先生」
因果応報という言葉を、誰かカズミに教えてやる者はいないものか。
「なんのことかしらあ、ほほほお。それより早く食事にするわよ! 午後からも色々あるんだから、だらけてる暇はないの!」
「はああ? どの口がいってんだあ」
カズミは腰を押さえながら、よろよろと起き上がった。
いつもアサキに好き放題プロレス技を掛けていじめているが、先生の前ではたじたじなのである。
まあ、ほとんどの場合はカズミの自業自得なのだが。口は災の元、口は災の元。南無。
「先生、色々って、このあとの予定は?」
治奈が、昼食の用意をしながら尋ねる。
「ええと、まずは瞑想でしょ。次は座学で、『魔法力を効率よく伝導させるには』。その後は、ゲストを招いての、集団戦の訓練」
「えっ、ゲスト? はて、誰じゃろかのう」
治奈は、かわいらしく小首を傾げた。
「教えたらつまんないでしょお」
「といいよるからには、知っとる人か。……はあ、さしずめ第二中ってとこじゃろ」
あの、チェケヨロの万延子がいるところである。
「だ、だから先読みをするな! た、たぶんそこではない、かも知れないけど、ひょっとして、でも、もしもたまたまそこだったりしたら、つまんないでしょお!」
「須黒にゃん、答えいっちゃってるよお」
声出して笑う成葉。
「いってません! というか先生にまで『にゃん』を付けるのやめてよ! さっきからさあ。そもそも、どうして名字に? ミサにゃんならいざ知らず、スグロニャンとか妖怪じゃないんだから」
細かいところに噛み付くスグロニャン。いやミサにゃん。
などと、わいわいやっている中、カズミがぎりりと歯を軋らせた。
「第二中……」
前髪で影になったちょっと暗い表情で、ぼそり口を開くと、ダンッと強くテーブルを叩いた。
「ああ、恨みあるもんねえ。カズにゃんは」(前章ラスト参照のこと)
成葉は直球でからかうと、その時のことを思い出したか、指を差してわははは大笑いを始めた。
「あははははは。どんな食い物であろうともーーっ!」
「アホかあああああああ! つうか、そんなネチネチ、いつまでも古いこと覚えてねえよ。さあ、んなことよりもメシだあ、食うぞおおおっ!」
カズミは座りながら屈んで、足元のバッグに手を入れがさごそ、なにやら大きな塊を取り出した。
ラップフィルムに包まれた、メロンほどもある超巨大なおにぎりが二つだ。
「おー、ワイルドおおお! さすがあ!」
成葉は腰を浮かせて、テーブルの上を這うように巨大おにぎりへと顔を寄せ、まじまじ覗き込んだ。
「学習机の本棚の上に、ちょこんと置くタイプの、地球儀かと思ったあ」
アサキも同じようにして、好奇に満ちた顔を寄せた。
性格幼い組の二人が、顔を並べて、まじまじ見つめているのを見て、カズミはちょっと恥ずかしそうに、
「我が家は食えりゃいい主義で、どう頑張ったって恥ずかしくないまともな弁当なんか作れやしないから、じゃあ開き直って、こんなんでいいやって思ってさ。その代わり、具は、肉野菜炒めを細かくしたのがぎっちり入ってんだ」
「へえ、それなら健康的だねえ。わたしのは、ど ん な か な?」
アサキも、足元のバッグから、ピンクのランチクロスに包まれた弁当箱を取り出すと、テーブルの上に置いた。
と、突然カズミが悪戯っぽい表情になり、立ち上がって、アサキの背後に回り込んだ。
腕を回して、二つの超巨大おにぎり同士を、アサキの胸の前でむぎゅーっと押し当てた。
「おっぱいっ!」
「ひゃゃああああ、やめてえカズミちゃん!」
不意打ちのお下品ネタに、アサキは顔を赤らめ悲鳴を上げた。
「わたしリョウドウアサキ、天王台に住んでるちょっとおバカな中学二年生。アホ毛以上の悩みがあるの。せめてこれくらいの胸にはなりたいなあ」
カズミはかわいらしい声色を作りながら、二つのおにぎり同士をさらに押し当てた。
「お、思ってないよ! 勝手に人の心の声を作らないでえ! おおっ怒るよお!」
顔を赤らめながら、声を荒らげるアサキ。
胸の前でむぎゅむぎゅやられているのが、なんとも情けない姿であるが。
「本当にい? 思ってなあい?」
カズミがおにぎりむぎゅむぎゅしながら、吐息交じりのちょっといやらしい声で問う。
「本当!」
「でも今よりちょっとくらいは、大きくなりたいとか思ってんだろお?」
「そ、それは……」
真っ赤な顔でうつむいているアサキであったが、やがて恥ずかしそうに顔を落とし、自分の前髪に表情隠しながらこくり小さく頷いた。
「はいはい、食べ物で遊ばない! 殴るわよ、いい加減にしないと」
須黒先生がちょっと怒った顔で、ぱんぱんと手を打ち鳴らした。
「先生は人並みにサイズがあるから、アサキの切ない気持ちが分からないんですよ!」
「わたしの話はもういいよおおおお!」
アサキは、目に涙を溜めて、震える情けない声を張り上げた。
あとちょっと続いていたら、多分本当に泣き出していただろう。
「なあ、明木……昭刃っていつからこんな下品なことしとるん?」
応芽が、ちらりカズミへと、蔑みの視線を向けながら、治奈へ問う。
「さてのう。いつからじゃろ。幼稚園の頃には、おにぎりが二つあると必ずやっとったなあ」
「筋金入りか! ……ああ、自分ら、その頃からの仲やねんな」
「ほうじゃね。ただうちは幼稚園の時だけここで、基本は広島じゃったけどね」
「そうそう、だから小五で治奈がこっち転校して再会した時はびっくりしたなあ」
カズミが、いつの間にか会話に参加している。
今度は自分の胸の前で、おにぎりむぎゅむぎゅさせながら。
応芽のいう通り、確かに筋金入りのようだ。
「さて、うちの弁当じゃ。慌てて作ったけえ、スカスカで崩れとらんとええが」
そういいながら、治奈も自分の弁当の包みを広げ、蓋を上げた。
小さなステンレスの弁当箱の中に、ご飯、八宝菜、タコさんウインナー、ひじき、パイナップルとリンゴ、などが少しずつ入っている。
崩れていないのを確認すると、治奈はほっと息を吐いた。
「へえ、明木さん、栄養バランスのよさそうなお弁当ね」
ちらり中を見た須黒先生が、感心したふうに頷いた。
「本当だな。あたしてっきり、焼きそばの上に小麦粉薄く焼いたの乗っけて上にソースかけたのを持って来るのかと思ってた」
などとからかうのは、もちろんカズミである。
「それはお好み焼きじゃろ! 普段はあまり食わんけえね。店の手伝い中に、つまみ食いはするけど」
「アサキのもさあ、弁当箱はかわいらしい感じだよな。直美さん作ったんだろ? 早く開けて見せてよ」
カズミが、ぴたり密着しながらアサキを急かす。
自分の弁当が、巨大とはいえおにぎりだけでは、すぐに食べ終わってしまうから、自分の食べ始めを遅くしたいのであろう。
「さっきの件、全然解決してませんから、親しげに身体を寄せてくるのやめてもらえますかあ?」
つーんとした態度のアサキ、の襟首がガッと荒々しく掴まれていた。
「なんだとこのクソ女あああ!」
「ぎゃあああああああ、ぐびじめるのやめでえええええええ! ごめんわだじがばるがっだああああああ!」
ぎりぎりと容赦なく締め上げられて、みるみる青ざめるアサキの顔。
土気色になった、息の根が止まる直前に、ようやく解放され、しばらくの間、涙目でげほごほむせ続けていた。
「で、でばあ、ばだじもぼ弁当おーぶん」
ざらざらした、なんだかとんでもない声で、アサキは弁当箱を開いた。
いや、開こうとしたところでストップがかかった。
「アサキ、アサキッ、そ、そのしゃがれた声のうちに、こんにちはモリシンイチですっていってみてくれっ!」
目をキラキラわくわく、しょーもないことを頼むカズミ。
「やあだよ。よくそんな昔の歌手を知ってるね。それより、前にもカズミちゃんに、似たようなこといわれた気がするよお」
ごほ、とむせる懐メロ好きのアサキさん。
その両手の中にある弁当箱を、今度は治奈が身体を寄せて、覗き込んだ。
「ああ、カズミちゃんのいう通り、ほんとにかわいらしいお弁当箱じゃね」
治奈に褒められて、まだ少し土気色を残していたアサキの顔色は、一瞬にして健康ほんのり桜色へと回復して、
「とてつもなく早起きの苦手な直美さんが、頑張って早起きして、気合を入れて作ってくれたんだあ。……どんなお弁当なのかなあ。楽しみだあ」
にんまり笑顔で蓋を開けた。
期待して顔を寄せ中を覗き込むと、一面ご飯の大海原、の上に細く切った海苔で、「根性!」「ドリョク!」。
がくーーーっ。
笑みを硬直させたまま、思わず前のめりに、顔から弁当に突っ込みそうになるアサキであった。
「シュールやねんな」
どこがシュールなのかは分からないが、応芽がさりげなく突っ込みを入れた。
「うーん。勉強のための合宿、っていってしまったからかなあ。あっ、あっ、でもっ、見てっ、見てっ、ほらっ、敷かれたご飯は薄くなってて、下にはお肉とか色々詰められてるよ。おおお、凝ってるなあ」
「令堂さん、いただきますの前に箸でほじらないの!」
「はいっ! 気を付けます!」
先生にマナーの悪さを指摘されて、アサキは真顔になり肩を縮めた。
でもすぐに、じわーっと顔が変化して、笑みが浮かんでしまう。
凝ってる凝ってないというよりも、このような物を義母が自分のために、苦手な早起きを頑張って作ってくれたことが嬉しくて。
「あら、大鳥さんは、とっても上品な感じのお弁当ね」
という先生の声に、みんなの視線が正香の木製弁当箱に集中する。
俵状になっているゴマ塩をまぶしたご飯、筑前煮、梅干し、玉子焼き、質素ながら手の混んでいること一目瞭然、なおかつ栄養バランスもよさそうな弁当だ。
「ナルハさんはコンビニ弁当なのだーーーーっ!」
突っ込まれる前に自分から、ということか成葉は取り出した物をテーブルに置きながら、やけくそ気味な大声を張り上げた。
サラダ、唐揚げ弁当、牛丼、はーいお茶のペットボトル。
を、コンビニエンスストアのレジ袋から取り出した。
「あたしは時間がなくて、たいしたもんは作れへんかったんやけどな」
応芽は、言葉とは裏腹の、どうぞ見てくれ絶対見ろといわんばかりの、自信ありげな澄まし顔で、半透明の蓋を開けた。
ご飯。半分はゴマ塩、半分はノリ。
インゲンの肉巻き。
筑前煮。
タコさんウィンナー。
ウサちゃんリンゴ。
「あらあ慶賀さん、レイアウトも栄養バランスもセンスがちょおっと惜しいわねえ」
にこにこ笑顔で覗き込むの須黒先生、おそらく邪気悪意はまったくないのであろう。
しかしこの言葉は、応芽のプライドを引き裂くに、充分過ぎるものであった。
はっ、と目を見開いた応芽は、全身をぷるぷるさせながら、邪気ない先生の顔を見つめていたが、やがて、ぷるぷるしたまま手を伸ばして、カチコチの笑みを浮かべながら、ぷるぷる震える手で弁当の蓋を閉じた。
「あれ、慶賀さん、どうかした?」
にこにこ笑顔のまま先生は、ちょっと首を傾げた。
「な……なんでも……」
応芽の目に、じわりと涙が浮かんでいた。
ずっと鼻をすすった。
「うわあーーーーっ!」
席を立つや否、ドアへと向かってまっしぐら。
ずだーんと激しく転倒するが、すぐに起き上がると、身体の痛みと心の痛みに泣き叫びながら、家庭科室を出て、どこかへ走っていってしまった。
「うっわあ、ウメちゃん、かわいそうにのお」
空いたドアを見ながら、同情の渋い顔を作る治奈。
「え、え、先生なんか悪いこといった?」
須黒先生は、さっぱり意味が分かってないようで、不思議そうな顔でうろたえている。
そんな先生を、前髪に隠れた上目遣いで、おずおずと見ているアサキ。
先ほどカズミがいっていた、先生が婚期を逃し続けているという話、なんとなく納得してしまうのだった。
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