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第二章 二度目の初戦
01 北を向けば、そこに広がるは住宅街、反対側を向けば、
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北を向けば、そこに広がるは住宅街、
反対側を向けば、手賀沼が雲間からの陽光を受けてきらきらと粒子を反射している。
千葉県我孫子市立天王台第三中学校の、屋上からの眺めである。
小さな校舎なので、屋上も広くはないが、それでも現在二十人ほどの男女が、お喋りしたり、追いかけっこ、縄跳びやキャッチボールなどをしてそれぞれの時間を堪能している。
手賀沼に面した方の隅っこでは、五人の女子生徒が集まって話をしている。
令堂和咲。
昭刃和美。
明木治奈。
大鳥正香。
平家成葉。
五人が話を、といっても現在喋っているのはカズミだけである。
それを、正面向き合っている令堂和咲が、ぽーっとした現実味のない表情で聞いており、さらに残る三人が見守っているという構図である。
「……と戦うために魔力を引き出す服がいわゆる魔道着で、変身アイテムがこいつ、クラフトってわけだな」
茶髪ポニーテールの、ちょっと怖い目つきの少女は、自分の左腕を立てて、青い装飾の入ったリストフォンをアサキへと見せた。
「目立つことなく堂々と身につけられるように、ってことでリストフォン型になっている。つうか最近のモデルは本当にリストフォンの機能も搭載してっから、わざわざ二台持ちする必要はなく実に家計に優しい。って、ここまでは昨日も簡単に話し……って聞いてんのかアサキてめえ!」
カズミは、隠さず大アクビをしているアサキの制服襟首を掴むと、グイグイ乱暴に引っ張った。
「うわっ、ご、ごめんなさい。だって、だって昨日、一睡も出来なかったからああ!」
そう。昨夜は本当に全然眠れなかったのだ。
未知の生物に襲われて、生命を奪われかけたのだ。ズタボロになりながら、戦って倒したのだ。
恐怖に、興奮に、すんなり眠れるはずがないだろう。
強烈な眠気にふらふらしながらなんとか登校して、明るい日差しや生徒たちの賑わいにようやく安堵が訪れて、自席で鼻ちょうちん膨らませながら船を漕いでいたところ、国語担任の杉山良雄先生から、転校二日目だというのに容赦皆無のゲンコツを食らって起こされて、バケツ両手に立たされて、結局、五分も寝られなかったどころか、疲労が蓄積しただけという始末である。
「寝てねえのかよ。まあ、おしっこ漏らしたくらいだからなあ」
わははと笑うカズミ、の胸倉をアサキががっしと掴み返していた。
「それいうなあああああああ! 漏らしたとかデカイ声でいうなああああああああああ!」
真っ赤になった顔をカズミへと近付け、怒鳴り声を張り上げながら、がくがくがくがく首を激しく揺らした。
「すっ、すいやせんでしたあ! ……怒ると怖いな、お前」
「あ、いや、あの、こっちこそすみませんっ! 眠気でテンションが安定してないだけですので、きっとすぐに戻りま……あいたああっ!」
なにがあいたあっかというと、なんのことはない、ふらついて足をもつれさせフェンスのに側頭部をゴツッと強打したのである。
運悪く、一番痛そうな柱部分に。
「うぎいいいいい」涙目で頭を押さえてしゃがみ込むアサキ、「眠気覚めたあああああ……」
「よかったじゃん」
カズミはおかしそうにははっと笑った。
「よくないんですけどお」
「とにかく、そのクラフトのパワーで魔道着に変身して戦うのが、あたしたち魔法使いってわけだ」
「はい」
アサキは頭を押さえたまま、よろよろ立ち上がった。
「着るだけでなく、使いこなさないとヴァイスタには勝てねえ。昨夜、戦ってみて分かったろ? ちょっとやそっとの攻撃なんか通じねえ、再生しちまうんだ。身体がアンドレ・ザ・ジャイアントみたいにバカでけえから、腕力もとんでもねえしさあ。ほんと、怪物だよ」
「はい。どうやっても倒せなくて、治奈ちゃんの槍がなかったらどうなっていたか。……ところでアンドウジャイアントってなんですかあ」
なんとなく気になって、尋ねた。
「大昔のプロレスラーだよ」
「強かったの?」
「身体がとてつもなくデカくて、横もガッシリしてるから、なにをどうやっても倒せねえんだよ」
「いつ頃の人?」
「昭和だよ」
「テレビが白黒だった頃?」
「たぶん、カラーだと思うけど……」
「ジャイアントって本名?」
「いや、リングネームに決ま……別にあたしアンドレ・ザ・ジャイアントの話したいわけじゃねえんだよ!」
ボガン!
突然声を荒らげたカズミが、アサキの側頭部を思い切り殴り付けた音である。
「あいたあっ! さっきぶつけたとこっ!」
「うるせえええええ! アンドレといえばあネックハンギーーーーングッ!」
カズミは叫びながらアサキの首を両手で掴み、ぐいぐい締めながら怪力で持ち上げた。
ネックハンギングツリー。
プロレス技である。
パワー系レスラーが得意技にしていることが多く、ハングマンズホールド、ネックハンギングボムなどの派生技がある。
本来は締めるのは反則であるし、締めずとも持ち上げられた者の自重により頸部が圧迫されるためただ怪力でもって持ち上げるというだけで非常に危険な技である。
しかし今はプロレスの試合をしているわけでもなんでもなく、カズミは持ち上げつつ平気でぐいぐいと締め上げている。
まるで悪魔である。
「ぐっぐるじいいいいい」
振りほどこうともがくアサキであるが、カズミの怪力はなかなかほどけず。締められ続けてどんどん顔が青くなっていく。
やがて解放されるまでに、果たしてどれほどかかったであろうか。
「ひどいよおおおお」
涙ボロボロこぼしつつ、ゲホゴホむせているアサキ。
反対に、プロレス技でストレス発散したかスッキリ顔のカズミ。
二人の間にすっと、長い黒髪の少女、大鳥正香が割って入った。
「では、続きはわたくしが説明致しますね」
彼女は語り始める。
「カズミさんが説明したのは我々魔法使いの能力について。わたくしはヴァイスタやこの世界のことをお話します。ヴァイスタ、というのは白い幽霊という意味から造られた名称です。秘かに人類を襲う脅威の存在ですが、どこで生まれるのか、どこからくるのか。それはまだまったく分かっていません」
「そう……なんだ」
アサキのかすれ声。
まだ痛そうに、締め上げられた喉を押さえている。
「アサキっ、そのしゃがれた声のうちに、『ごっつぁんです』っていってみてくれ!」
カズミが表情わくわくさせながら、アホなことを要求している。
「やだよ恥ずかしい! ……あれ、なんの話してたっけ?」
「ヴァイスタがどこからくるのか分かっていない、というところまでですね」
親切に説明してあげる正香。
「ああ、そうだった。あんなのが、謎に包まれたままなんじゃ怖いな。……不安だな」
「ええ、不安ですね。ただし、最終的にどこへ向かおうとしているのか、については判明しています」
「え、それはどこ?」
アサキが食い付く。
まあ食い付くのが普通だろう。
正香は、少し間を置いて、答える。
「中心です」
と。
「中心?」
はっきり聞こえてはいたが、アサキは聞き返していた。
「霊的世界の中心、ということなのですが、物理的な場所としていうならば現在の東京です。平将門の首塚の近くに、大きな神社があるでしょう。そこの地下です」
「な、なんだっけ、平将門って。ごめん、わたし歴史てんでダメで。神社のことも知らないや。……でも、どうしてそこへ向かうのかな。ヴァイスタがそこへたどり着くと、なにがどうなっちゃうのかな」
「世界が滅びます。そして新しい世界が始まる、といわれています」
「へえ」
あまりにさらり淡々とした正香の語り口調のためか、まるで他人事のようなアサキの反応であったが、
やがて、
あれえ、ちょっと変だな、という顔になり、
続いて、うーん、と難しい顔になり、
そして、
「ええーーーーーっ!」
間の抜けた大口で叫んでいた。
「世界がっ、滅ぶう?」
どういうことお?
「はい。それが『新しい世界』です」
「ヌーベル……ヴァーグ?」
「はい」
「どっ、どんな世界なのっ、それっ」
「分かりません。もしかしたら『無』かも知れない。宇宙や次元といった大きな規模での」
「無って……」
なかったことになっちゃうの?
わたしたちの存在が。
世界が。
「または、ヴァイスタにとっての楽園かも知れない。言葉の通りに世界が再構築されるにしても、人間にとってのまともな世界であるという保証がまったくない。だから、現在のこの世界を守るためにわたくしたちは戦っているのです」
「……そうか。……失いたくはないもんね。この世界、家族、友達」
アサキは、ぎゅっと両の拳を握った。
「はい。人間をわざわざ絶望させて食らうヴァイスタのような悪霊がもたらす『新しい世界』が、まともなものとは考えにくい。ならば戦って阻止するしかない」
「そうだよね。でも中心に辿り着かれたら終わり、って怖いよ。だってヴァイスタ一匹で無茶苦茶に強かったよ。もしも全員が一斉に中心を目指したら防げるの?」
昨夜のことを思い出すだけでも身震いする。
治奈が連戦ですっかり疲弊していたこと、自分の「変身」という体験が初めであったこと、などを差っ引いてもヴァイスタという存在がとてつもない脅威であることに変わりはない。
「本能的に、というよりは、知恵をつけていく過程で中心を目指すことに目覚めていくようです。うろうろ徘徊しているだけの個体も多いことから、そのように考えられています」
「そうなんだ」
「本能のままに人を襲っているうちに単純に成長するのか、人を食べることでなにかを吸収するのか、知恵をつけていくプロセスは判明していません。いずれにせよ、そのような理由により基本的には各個撃破で対応可能です。とはいっても昨夜のように、何体かの単位では群れて現れることも多いですが」
アサキが遭遇したのは一体であるが、その前に、治奈が二体を相手に戦っている。
また、正香、カズミ、成葉の三人が、やはり二体を相手に戦っている。
「つまり、倒さず放っておくと段々と中心を目指すようになる。それは世界の危機というだけでなく、人間が襲われていることでもあるから、早く倒さないとならない、ということだね」
「我々のすべきこととしては、その通りです。ただ、知恵をつけたヴァイスタは、中心ではなく、まずは身近な結界を目指すようになります。最終的な目標地点である中心に辿り着くために邪魔だからです」
「結界?」
「はい、五芒星のバリアーです。五芒星は、知っていますか?」
「ゴボウセイ?」
アサキは野菜のゴボウを想像していた。
「星の模様の」
「ああっ、あ、し、し、知ってる。あの、おまじないみたいなのだよね。御札に書いてあるような」
「大阪、佐渡ヶ島、仙台、伊豆諸島の青ヶ島、それと太平洋の千葉県銚子沖に簡易的な人工島を作って、日本列島を半分使っての巨大な結界を施してあります。かなり歪んだ形状の五芒星ですが、地球の自転や公転軌道を計算して霊的な調整を加えてあるため問題なく機能しているとのことです」
「なんだか難しい話になってきたな」
アサキは鼻の頭を掻きながら苦笑した。
大切なことだから聞き漏らすまいとしても、予備知識がないからどうにも頭に入ってこない。
「それでね、その中央でガッチガッチに守られているのがあ、東京にある中央の結界ってことなんだねえ」
口を閉ざし続けて飽きてしまったか、平家成葉が勝手に割り込んで正香の説明の続きを語った。
「五芒星を形作る五つの拠点と、中央、それぞれの結界点が、さらに小さな五芒星で守られていてね、このあたり東葛区域は、中央を守る五芒星の一つなんだあ」
「へえ」
さも当然のようにさらさら説明していく成葉であるが、あまりに話が大きすぎて、アサキとしてはどうにも現実味を感じることが出来なかった。
返事も生返事だ。
でも、現実味を感じないとはいえ、昨日ヴァイスタのような怪物と自分たちが魔法で戦ったこと、これが夢でないのなら、成葉の話もおそらく真実なのだろう。
真実だとして、と、ふと素朴な疑問が頭に浮かんでいた。
「日本を半分使った大きな規模の結界に包まれている、ここはその内側なのに、でも、いるんだ……ヴァイスタが」
「うーん。鋭いとこ突くねえアサにゃん。なんでだろうねえ。隙間から入り込んでくるのかあ、中で生まれるのかあ、よく分かってないんだけど、でも特異タイプということなのか強いんだよねえ、ナルハたちがいる中央結界のヴァイスタは。……難しいこと喋ってたら頭が痛くなってきたあ。はい、ハルにゃん交代!」
成葉は、明木治奈の背中をドバシッと乱暴に叩いた。
「無駄に強いわ! 背骨折れるじゃろが!」成葉の背中を叩き返すと、治奈はアサキへと向き直って咳払い。「まあ、そがいな事実があるもんじゃけえ、ヴァイスタの正体は魔法使いの成れの果てなんじゃないかという仲間同士で囁かれとる黒い噂もあってな」
「魔法使いの……」
成れの、果て……
「ほじゃからうち、アサキちゃんを魔法使いに誘うのを躊躇っていたんじゃよね。……こんな優しい子を強引に戦いに巻き込んでええんじゃろか、と」
苦笑しつつ、治奈は鼻の頭をかいた。
「そうだったんだ」
それきり黙ってしまうアサキであったが、やがて微笑を浮かべ、
「わたしなんかのことをそうやって考えてくれて、ありがとう」
礼をいった。
「あっ、そういえば、昨日公園で治奈ちゃんがなにかバッグから出そうとしていたでしょ? あれやっぱり、わたし用のクラフトってこと?」
「勘がええな、アサキちゃんは。見せようとしとったのは、これじゃ」
治奈は上着のポケットから、赤いポイントのある白銀のリストフォンを取り出して、アサキへと見せた。
「ヴァイスタは高い魔力を持つ者の中で、なおかつ襲いやすい者から襲う習性があってな、アサキちゃんの安全を考えるなら変身出来た方がいいのかも知れん。じゃけえ、捨て猫を真剣に心配しているアサキちゃんの優しいところ見てしまって、巻き込むこと躊躇ってしまってなあ。いま話したヴァイスタの素性の問題だけでなく、魔道着を着るということは戦いの日々になることは間違いないわけで」
そこまでいったところで、治奈は口を閉ざした。
アサキは、しばらく考え込む様子だったが、やがておもむろに口を開く。
「怖いけど、わたしなんかじゃ大した戦力にならないだろうけど……でも、この世界が無くなるなんて絶対に嫌だ。だから、手伝うよ。……もう治奈ちゃんたちと、縁は繋がっちゃっているんだし」
「ありがとう。……自分で考えて、決めてくれたんじゃから、うちももう躊躇わずにこれを渡すわ。アサキちゃんのクラフトじゃ」
治奈の差し出すリストフォンを、アサキは少し恥ずかしそうな笑顔で受け取った。
「これからよろしく、アサキちゃん。……仲間にしようと転校までしてもらったいうのに、話の順番がおかしいけどな。……クラフトを正式に渡す前に、もう変身もしとるし」
「そうだね。……ん? え、あれっ、わたしの転校は単に修一く……保護者の、仕事の都合なんだけど」
え?
どういうこと?
ほっぺたにおでこに、顔に無数の小さな疑問符を浮かべまくるアサキ。
「上がやっとることは、単なる戦闘兵であるうちらにはよく分からんのじゃけど、多分その修一くんはなんにも知らんのじゃろな。組織が色々と根回しをして転勤になるよう仕向けたんじゃろ」
「そうなんだ。……嫌だな、そういうのは」
こっそり仕組むなんて。
わたしをどうこうしたいなら、わたしに直接いいにくればいいじゃないか。
「仕方ないんよ。十代の女の子が潜在魔力が一番高いし、となると保護者がいるのが当然で、でも世の中の混乱を考えると家族とはいえ話してはいけないことで。どこからどう話が漏れて広がるか分からんしの。……うちもな、せっかく広島でお店が繁盛しとったのに、ライバル店を出され潰され、ってやられたけえね」
「分かった。……世界を滅ぼされちゃったら、なんにもなんないからね。……みんな、あらためて、よろしくね」
アサキは手を差し出して、全員と握手をかわしていった。
「おう、よろしくな、アサキちゃん」
明木治奈が、ぎゅうっと握った。
「なんでも聞いて下さいね、アサキさん」
大鳥正香が、やわらかな笑みを浮かべた。
「一緒にヴァイスタばんばんやっつけようね! アサにゃん!」
慣れないなあ、成葉ちゃんのその「にゃん」を付けるの。
「命懸けの仕事だ。ビシビシしごくから覚悟しとけや、アサキ」
「いたたたっ! カズミちゃん握力が強すぎるううう! 骨っ、骨があ! 痛いほんと痛いっ!」
あと数秒も握られていたら、間違いなくアサキのやわらかな手は砕かれていたことだろう。
「ほらもう、カズミちゃんもええ加減にせんと。もう業間休みも終わるけえね。戻ろか。放課後になったら、みんなで校長に会いに行こう。アサキちゃんが仲間になりましたって報告せんとな」
「くそ、もう休み時間終わりか。運のいい奴だ」
カズミは残念そうに舌打ちし、アサキの手を放した。
「ヒビ入ったかも知れないよお」
涙目で痛そうに右手を押さえるアサキ。
不意にその顔に、疑問に満ちた表情が浮かんだ。
「え、えっ、なんで先生が関係あるの?」
「うーん、それはまあ、なんじゃろ、顔がゴリラそっくりだからかなあ」
治奈はとぼけたことをいいながら、にひひっと悪戯小僧みたいな声で笑った。
反対側を向けば、手賀沼が雲間からの陽光を受けてきらきらと粒子を反射している。
千葉県我孫子市立天王台第三中学校の、屋上からの眺めである。
小さな校舎なので、屋上も広くはないが、それでも現在二十人ほどの男女が、お喋りしたり、追いかけっこ、縄跳びやキャッチボールなどをしてそれぞれの時間を堪能している。
手賀沼に面した方の隅っこでは、五人の女子生徒が集まって話をしている。
令堂和咲。
昭刃和美。
明木治奈。
大鳥正香。
平家成葉。
五人が話を、といっても現在喋っているのはカズミだけである。
それを、正面向き合っている令堂和咲が、ぽーっとした現実味のない表情で聞いており、さらに残る三人が見守っているという構図である。
「……と戦うために魔力を引き出す服がいわゆる魔道着で、変身アイテムがこいつ、クラフトってわけだな」
茶髪ポニーテールの、ちょっと怖い目つきの少女は、自分の左腕を立てて、青い装飾の入ったリストフォンをアサキへと見せた。
「目立つことなく堂々と身につけられるように、ってことでリストフォン型になっている。つうか最近のモデルは本当にリストフォンの機能も搭載してっから、わざわざ二台持ちする必要はなく実に家計に優しい。って、ここまでは昨日も簡単に話し……って聞いてんのかアサキてめえ!」
カズミは、隠さず大アクビをしているアサキの制服襟首を掴むと、グイグイ乱暴に引っ張った。
「うわっ、ご、ごめんなさい。だって、だって昨日、一睡も出来なかったからああ!」
そう。昨夜は本当に全然眠れなかったのだ。
未知の生物に襲われて、生命を奪われかけたのだ。ズタボロになりながら、戦って倒したのだ。
恐怖に、興奮に、すんなり眠れるはずがないだろう。
強烈な眠気にふらふらしながらなんとか登校して、明るい日差しや生徒たちの賑わいにようやく安堵が訪れて、自席で鼻ちょうちん膨らませながら船を漕いでいたところ、国語担任の杉山良雄先生から、転校二日目だというのに容赦皆無のゲンコツを食らって起こされて、バケツ両手に立たされて、結局、五分も寝られなかったどころか、疲労が蓄積しただけという始末である。
「寝てねえのかよ。まあ、おしっこ漏らしたくらいだからなあ」
わははと笑うカズミ、の胸倉をアサキががっしと掴み返していた。
「それいうなあああああああ! 漏らしたとかデカイ声でいうなああああああああああ!」
真っ赤になった顔をカズミへと近付け、怒鳴り声を張り上げながら、がくがくがくがく首を激しく揺らした。
「すっ、すいやせんでしたあ! ……怒ると怖いな、お前」
「あ、いや、あの、こっちこそすみませんっ! 眠気でテンションが安定してないだけですので、きっとすぐに戻りま……あいたああっ!」
なにがあいたあっかというと、なんのことはない、ふらついて足をもつれさせフェンスのに側頭部をゴツッと強打したのである。
運悪く、一番痛そうな柱部分に。
「うぎいいいいい」涙目で頭を押さえてしゃがみ込むアサキ、「眠気覚めたあああああ……」
「よかったじゃん」
カズミはおかしそうにははっと笑った。
「よくないんですけどお」
「とにかく、そのクラフトのパワーで魔道着に変身して戦うのが、あたしたち魔法使いってわけだ」
「はい」
アサキは頭を押さえたまま、よろよろ立ち上がった。
「着るだけでなく、使いこなさないとヴァイスタには勝てねえ。昨夜、戦ってみて分かったろ? ちょっとやそっとの攻撃なんか通じねえ、再生しちまうんだ。身体がアンドレ・ザ・ジャイアントみたいにバカでけえから、腕力もとんでもねえしさあ。ほんと、怪物だよ」
「はい。どうやっても倒せなくて、治奈ちゃんの槍がなかったらどうなっていたか。……ところでアンドウジャイアントってなんですかあ」
なんとなく気になって、尋ねた。
「大昔のプロレスラーだよ」
「強かったの?」
「身体がとてつもなくデカくて、横もガッシリしてるから、なにをどうやっても倒せねえんだよ」
「いつ頃の人?」
「昭和だよ」
「テレビが白黒だった頃?」
「たぶん、カラーだと思うけど……」
「ジャイアントって本名?」
「いや、リングネームに決ま……別にあたしアンドレ・ザ・ジャイアントの話したいわけじゃねえんだよ!」
ボガン!
突然声を荒らげたカズミが、アサキの側頭部を思い切り殴り付けた音である。
「あいたあっ! さっきぶつけたとこっ!」
「うるせえええええ! アンドレといえばあネックハンギーーーーングッ!」
カズミは叫びながらアサキの首を両手で掴み、ぐいぐい締めながら怪力で持ち上げた。
ネックハンギングツリー。
プロレス技である。
パワー系レスラーが得意技にしていることが多く、ハングマンズホールド、ネックハンギングボムなどの派生技がある。
本来は締めるのは反則であるし、締めずとも持ち上げられた者の自重により頸部が圧迫されるためただ怪力でもって持ち上げるというだけで非常に危険な技である。
しかし今はプロレスの試合をしているわけでもなんでもなく、カズミは持ち上げつつ平気でぐいぐいと締め上げている。
まるで悪魔である。
「ぐっぐるじいいいいい」
振りほどこうともがくアサキであるが、カズミの怪力はなかなかほどけず。締められ続けてどんどん顔が青くなっていく。
やがて解放されるまでに、果たしてどれほどかかったであろうか。
「ひどいよおおおお」
涙ボロボロこぼしつつ、ゲホゴホむせているアサキ。
反対に、プロレス技でストレス発散したかスッキリ顔のカズミ。
二人の間にすっと、長い黒髪の少女、大鳥正香が割って入った。
「では、続きはわたくしが説明致しますね」
彼女は語り始める。
「カズミさんが説明したのは我々魔法使いの能力について。わたくしはヴァイスタやこの世界のことをお話します。ヴァイスタ、というのは白い幽霊という意味から造られた名称です。秘かに人類を襲う脅威の存在ですが、どこで生まれるのか、どこからくるのか。それはまだまったく分かっていません」
「そう……なんだ」
アサキのかすれ声。
まだ痛そうに、締め上げられた喉を押さえている。
「アサキっ、そのしゃがれた声のうちに、『ごっつぁんです』っていってみてくれ!」
カズミが表情わくわくさせながら、アホなことを要求している。
「やだよ恥ずかしい! ……あれ、なんの話してたっけ?」
「ヴァイスタがどこからくるのか分かっていない、というところまでですね」
親切に説明してあげる正香。
「ああ、そうだった。あんなのが、謎に包まれたままなんじゃ怖いな。……不安だな」
「ええ、不安ですね。ただし、最終的にどこへ向かおうとしているのか、については判明しています」
「え、それはどこ?」
アサキが食い付く。
まあ食い付くのが普通だろう。
正香は、少し間を置いて、答える。
「中心です」
と。
「中心?」
はっきり聞こえてはいたが、アサキは聞き返していた。
「霊的世界の中心、ということなのですが、物理的な場所としていうならば現在の東京です。平将門の首塚の近くに、大きな神社があるでしょう。そこの地下です」
「な、なんだっけ、平将門って。ごめん、わたし歴史てんでダメで。神社のことも知らないや。……でも、どうしてそこへ向かうのかな。ヴァイスタがそこへたどり着くと、なにがどうなっちゃうのかな」
「世界が滅びます。そして新しい世界が始まる、といわれています」
「へえ」
あまりにさらり淡々とした正香の語り口調のためか、まるで他人事のようなアサキの反応であったが、
やがて、
あれえ、ちょっと変だな、という顔になり、
続いて、うーん、と難しい顔になり、
そして、
「ええーーーーーっ!」
間の抜けた大口で叫んでいた。
「世界がっ、滅ぶう?」
どういうことお?
「はい。それが『新しい世界』です」
「ヌーベル……ヴァーグ?」
「はい」
「どっ、どんな世界なのっ、それっ」
「分かりません。もしかしたら『無』かも知れない。宇宙や次元といった大きな規模での」
「無って……」
なかったことになっちゃうの?
わたしたちの存在が。
世界が。
「または、ヴァイスタにとっての楽園かも知れない。言葉の通りに世界が再構築されるにしても、人間にとってのまともな世界であるという保証がまったくない。だから、現在のこの世界を守るためにわたくしたちは戦っているのです」
「……そうか。……失いたくはないもんね。この世界、家族、友達」
アサキは、ぎゅっと両の拳を握った。
「はい。人間をわざわざ絶望させて食らうヴァイスタのような悪霊がもたらす『新しい世界』が、まともなものとは考えにくい。ならば戦って阻止するしかない」
「そうだよね。でも中心に辿り着かれたら終わり、って怖いよ。だってヴァイスタ一匹で無茶苦茶に強かったよ。もしも全員が一斉に中心を目指したら防げるの?」
昨夜のことを思い出すだけでも身震いする。
治奈が連戦ですっかり疲弊していたこと、自分の「変身」という体験が初めであったこと、などを差っ引いてもヴァイスタという存在がとてつもない脅威であることに変わりはない。
「本能的に、というよりは、知恵をつけていく過程で中心を目指すことに目覚めていくようです。うろうろ徘徊しているだけの個体も多いことから、そのように考えられています」
「そうなんだ」
「本能のままに人を襲っているうちに単純に成長するのか、人を食べることでなにかを吸収するのか、知恵をつけていくプロセスは判明していません。いずれにせよ、そのような理由により基本的には各個撃破で対応可能です。とはいっても昨夜のように、何体かの単位では群れて現れることも多いですが」
アサキが遭遇したのは一体であるが、その前に、治奈が二体を相手に戦っている。
また、正香、カズミ、成葉の三人が、やはり二体を相手に戦っている。
「つまり、倒さず放っておくと段々と中心を目指すようになる。それは世界の危機というだけでなく、人間が襲われていることでもあるから、早く倒さないとならない、ということだね」
「我々のすべきこととしては、その通りです。ただ、知恵をつけたヴァイスタは、中心ではなく、まずは身近な結界を目指すようになります。最終的な目標地点である中心に辿り着くために邪魔だからです」
「結界?」
「はい、五芒星のバリアーです。五芒星は、知っていますか?」
「ゴボウセイ?」
アサキは野菜のゴボウを想像していた。
「星の模様の」
「ああっ、あ、し、し、知ってる。あの、おまじないみたいなのだよね。御札に書いてあるような」
「大阪、佐渡ヶ島、仙台、伊豆諸島の青ヶ島、それと太平洋の千葉県銚子沖に簡易的な人工島を作って、日本列島を半分使っての巨大な結界を施してあります。かなり歪んだ形状の五芒星ですが、地球の自転や公転軌道を計算して霊的な調整を加えてあるため問題なく機能しているとのことです」
「なんだか難しい話になってきたな」
アサキは鼻の頭を掻きながら苦笑した。
大切なことだから聞き漏らすまいとしても、予備知識がないからどうにも頭に入ってこない。
「それでね、その中央でガッチガッチに守られているのがあ、東京にある中央の結界ってことなんだねえ」
口を閉ざし続けて飽きてしまったか、平家成葉が勝手に割り込んで正香の説明の続きを語った。
「五芒星を形作る五つの拠点と、中央、それぞれの結界点が、さらに小さな五芒星で守られていてね、このあたり東葛区域は、中央を守る五芒星の一つなんだあ」
「へえ」
さも当然のようにさらさら説明していく成葉であるが、あまりに話が大きすぎて、アサキとしてはどうにも現実味を感じることが出来なかった。
返事も生返事だ。
でも、現実味を感じないとはいえ、昨日ヴァイスタのような怪物と自分たちが魔法で戦ったこと、これが夢でないのなら、成葉の話もおそらく真実なのだろう。
真実だとして、と、ふと素朴な疑問が頭に浮かんでいた。
「日本を半分使った大きな規模の結界に包まれている、ここはその内側なのに、でも、いるんだ……ヴァイスタが」
「うーん。鋭いとこ突くねえアサにゃん。なんでだろうねえ。隙間から入り込んでくるのかあ、中で生まれるのかあ、よく分かってないんだけど、でも特異タイプということなのか強いんだよねえ、ナルハたちがいる中央結界のヴァイスタは。……難しいこと喋ってたら頭が痛くなってきたあ。はい、ハルにゃん交代!」
成葉は、明木治奈の背中をドバシッと乱暴に叩いた。
「無駄に強いわ! 背骨折れるじゃろが!」成葉の背中を叩き返すと、治奈はアサキへと向き直って咳払い。「まあ、そがいな事実があるもんじゃけえ、ヴァイスタの正体は魔法使いの成れの果てなんじゃないかという仲間同士で囁かれとる黒い噂もあってな」
「魔法使いの……」
成れの、果て……
「ほじゃからうち、アサキちゃんを魔法使いに誘うのを躊躇っていたんじゃよね。……こんな優しい子を強引に戦いに巻き込んでええんじゃろか、と」
苦笑しつつ、治奈は鼻の頭をかいた。
「そうだったんだ」
それきり黙ってしまうアサキであったが、やがて微笑を浮かべ、
「わたしなんかのことをそうやって考えてくれて、ありがとう」
礼をいった。
「あっ、そういえば、昨日公園で治奈ちゃんがなにかバッグから出そうとしていたでしょ? あれやっぱり、わたし用のクラフトってこと?」
「勘がええな、アサキちゃんは。見せようとしとったのは、これじゃ」
治奈は上着のポケットから、赤いポイントのある白銀のリストフォンを取り出して、アサキへと見せた。
「ヴァイスタは高い魔力を持つ者の中で、なおかつ襲いやすい者から襲う習性があってな、アサキちゃんの安全を考えるなら変身出来た方がいいのかも知れん。じゃけえ、捨て猫を真剣に心配しているアサキちゃんの優しいところ見てしまって、巻き込むこと躊躇ってしまってなあ。いま話したヴァイスタの素性の問題だけでなく、魔道着を着るということは戦いの日々になることは間違いないわけで」
そこまでいったところで、治奈は口を閉ざした。
アサキは、しばらく考え込む様子だったが、やがておもむろに口を開く。
「怖いけど、わたしなんかじゃ大した戦力にならないだろうけど……でも、この世界が無くなるなんて絶対に嫌だ。だから、手伝うよ。……もう治奈ちゃんたちと、縁は繋がっちゃっているんだし」
「ありがとう。……自分で考えて、決めてくれたんじゃから、うちももう躊躇わずにこれを渡すわ。アサキちゃんのクラフトじゃ」
治奈の差し出すリストフォンを、アサキは少し恥ずかしそうな笑顔で受け取った。
「これからよろしく、アサキちゃん。……仲間にしようと転校までしてもらったいうのに、話の順番がおかしいけどな。……クラフトを正式に渡す前に、もう変身もしとるし」
「そうだね。……ん? え、あれっ、わたしの転校は単に修一く……保護者の、仕事の都合なんだけど」
え?
どういうこと?
ほっぺたにおでこに、顔に無数の小さな疑問符を浮かべまくるアサキ。
「上がやっとることは、単なる戦闘兵であるうちらにはよく分からんのじゃけど、多分その修一くんはなんにも知らんのじゃろな。組織が色々と根回しをして転勤になるよう仕向けたんじゃろ」
「そうなんだ。……嫌だな、そういうのは」
こっそり仕組むなんて。
わたしをどうこうしたいなら、わたしに直接いいにくればいいじゃないか。
「仕方ないんよ。十代の女の子が潜在魔力が一番高いし、となると保護者がいるのが当然で、でも世の中の混乱を考えると家族とはいえ話してはいけないことで。どこからどう話が漏れて広がるか分からんしの。……うちもな、せっかく広島でお店が繁盛しとったのに、ライバル店を出され潰され、ってやられたけえね」
「分かった。……世界を滅ぼされちゃったら、なんにもなんないからね。……みんな、あらためて、よろしくね」
アサキは手を差し出して、全員と握手をかわしていった。
「おう、よろしくな、アサキちゃん」
明木治奈が、ぎゅうっと握った。
「なんでも聞いて下さいね、アサキさん」
大鳥正香が、やわらかな笑みを浮かべた。
「一緒にヴァイスタばんばんやっつけようね! アサにゃん!」
慣れないなあ、成葉ちゃんのその「にゃん」を付けるの。
「命懸けの仕事だ。ビシビシしごくから覚悟しとけや、アサキ」
「いたたたっ! カズミちゃん握力が強すぎるううう! 骨っ、骨があ! 痛いほんと痛いっ!」
あと数秒も握られていたら、間違いなくアサキのやわらかな手は砕かれていたことだろう。
「ほらもう、カズミちゃんもええ加減にせんと。もう業間休みも終わるけえね。戻ろか。放課後になったら、みんなで校長に会いに行こう。アサキちゃんが仲間になりましたって報告せんとな」
「くそ、もう休み時間終わりか。運のいい奴だ」
カズミは残念そうに舌打ちし、アサキの手を放した。
「ヒビ入ったかも知れないよお」
涙目で痛そうに右手を押さえるアサキ。
不意にその顔に、疑問に満ちた表情が浮かんだ。
「え、えっ、なんで先生が関係あるの?」
「うーん、それはまあ、なんじゃろ、顔がゴリラそっくりだからかなあ」
治奈はとぼけたことをいいながら、にひひっと悪戯小僧みたいな声で笑った。
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