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第4章 ギ夕キ夕ー

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     1
 さすがは東京というべきなのか、まあうるささ半端でない。
 交通量も我がしきとは桁違いに凄いし、通行人の数だってとんでもない。

 あまりのうるささに、声を大きくしないとまるで声が通らない。
 だからみんなが大声を出すので、余計にうるさくなって、もっと大声を出さなければならないのではないか。東京はそんな循環で無限に騒音レベルが上昇していくのではないか。
 もう十一月、すっかり冬も近くなって肌寒いくらいだというのに、このうるささと戦っているだけで暑く熱く厚くなってしまう。あいや最後のは間違い、むしろ薄くなる。

 地元から出たのがあまりにも久しぶりなもので、世の中にはこんなところもあるのだということをすっかり忘れていた。
 東京都。地図で見るとすぐお隣さんだというのに、こうもまったく世界が違うとは。

 っと、そんなことよりも、買い物に集中だ。
 もしかしたら一生に一度の買い物かも知れないのだから。

「これ軽そうでいいんじゃないか?」

 野田謙斗が、ずらり立て掛けてあるギターのうち、オレンジ色のを指差した。ヘラクレスオオカブトのように二本の角がにょっきり突き出ている形状のものだ。

 ここは楽器店。
 高塚香奈は謙斗と一緒に、東京は御茶ノ水を訪れているのである。
 うーん、と香奈は渋い表情を作る。

「重くてもいいから、デザイン重視で選びたいなあ」
「だから、どんなのが好みよ?」
「だから、それが分からないから困ってるんじゃないかああ」

 と、香奈の悲痛な訴えを、自動車の重低音がさらっていく。
 ここは建物の中ではあるものの、一階は扉が全開放されているため、外の音がまあうるさいことうるさいこと。
 知らずに大声になってしまうわけだが、それでもよく聞こえず伝わらず。知らず謙斗と密着してしまい、はっと気付いて離れて、聞こえず近付いて、延々と繰り返している。
 「二階はそれなりに静かですから、気に入ったのがあったらそこで試してみて下さい」、と店員にいわれているが、その気に入ったのをなかなか探すことが出来ずに、だらだら時間ばかりを費やしてしまっている。

「色は、こういう赤いのがいいんだけど。ああでも、隣の、蛍光の黄緑色も面白いなあ」
「まずは持ってみるんだよ。そのために、こうして手に取れるようになっているんだから。重さや形、つまり身体にしっくりとくるの優先で、いくつか候補出ししといて、その中から今度は見た目の好みで絞っていくんだよ」
「そうなの?」
「さっきも同じこといったぞ」
「そうだっけ?」

 覚えてない。うるさいからなのか、ギターを見るのに集中してたからか分からないけど。
 とにかく、そういうものだというのなら、そうやって探してみるけど。
 うーん。
 と、また渋い表情になって、中腰のまま横移動、目の前に並んでいる商品へと視線を投げていく。

「どれを、まず手に取ってみるべきか」

 うーむ。

「端っこから取ってけばいいだけだろ」
「ああ、そうか」

 いわれてみればその通りだ。
 ここ、シムラ楽器店は、エレキギターとか、エレキベースとか、シンセサイザーとかMIDI機器とか、そういうものを専門に扱っている店、つまりバンド向きの楽器店だ。
 香奈はここに、エレキギターを買いにきたのである。

 きっかけは、先日行われた中学校での運動会。
 商店街のヘビメタ老人たちがヘビメタルックで校庭に乱入して楽器を掻き鳴らすという騒動を起こした件は前章に記したが、それによって、彼ら「シャドウオリオン」の存在が、一気に知られることになった。

 一気もなにも、自分の家族にすら内緒にしていたのだから、知られた以上は一気なのは当たり前というものであるが。

 練習場である酒屋倉庫の周囲を、フェイスペイントをしたまま平気でうろついていたため、これまでは、知る人は知っているがでもよくは分からない、という幽霊のような存在だった。都市伝説とまではいかないまでも、そんな下地があったものだから、認知あっという間で、当然メンバーの中に香奈がいることも知られてしまう。
 もちろんそのことは香奈の両親にも知られてしまう。

 知られてしまうが、
 しかし両親の反応は、ちょっと予想外だった。

 断固反対せいぜいが黙認、と思っていたら意外と積極的で、「受験勉強も大切だが、楽器をやってみるのも悪くないんじゃないか」

 おそらくは、メンバーが商店街の老人ばかりということが大きいのだろう。同年代や少し上の、いわゆる若者ましてや男性だったならばきっと反対していたはずだ。

 ともかく、活動容認どころか、常識の範囲で購入出来るような価格の楽器を、一つ買ってくれることになった。

 まだ、どの楽器を本格的にやるか決めていなかったので、バンド仲間である老人たちに相談し、サイドギターを担当することになった。
 つまり買ってもらう楽器をエレキギターに決めたのだ。

 決めたはいいが、どこでどんなものを買えばいいのか、さっぱり分からない。
 どこで売っているのかも知らない。商店街でも見たことない。コンビニでも文房具店でも見たことない。
 そこで、野田謙斗に付き合いをお願いして、一緒に御茶ノ水まできたというわけである。

「これかなあ、やっぱり」

 と、香奈が両手に持ってみたのは、
 ストラトタイプ、つまり二本角が特徴のギター。
 オレンジのボディで、ネックの根本付近だけが木目調プラスティックになっているデザイン。
 先ほど、軽くていいんじゃないかと謙斗が推していたものだ。

「悪くないけど、こっちの方がいいんじゃない?」
「え、え、謙斗くんがこれ勧めたんじゃんか」
「だって、それじゃないのがいいっていうから」
「うん、なんか見た目が気に入ってきた。そうなると、軽いし、持ってみて馴染む感があるし、だからこれに決めた」
「そんなら、まあいいけど」

 店員にお願いして、店舗二階でパワーアンプに繋げて実際の音や感触を試し、購入を決断した。

 なお、パワーアンプやエフェクターの類は買わなかった。ギター単体、ケース、交換用の弦のみだ。

 アンプは自宅で使うにはうるさ過ぎるし、とりあえずはマッキーが使っているのを借りればいいだろう。
 エフェクターは、まだ「自分好みの音が」とかそういう域まで技術も耳も達していないので、無駄な買い物になりそうな気がする。
 と、そのような理由で。

 ギターと一括でないと、後からでは買ってもらえなさそうな気もするが、だからといって出してもらう身として不要かも知れない物を買うのも忍びない。
 そういう理屈からすると、このギターは絶対に埃をかぶらせてはいけないわけだが。

 なお、自宅まで安価で配送可ということだが、利用はしなかった。安価ではあっても無料ではないし、それよりなによりケースを担いで外を歩いてみたかったので。
 電車が混雑していたらどうしよう、という不安はあるが。

 茶色い合成皮のギターケースを背負っているバンドマン、誰もが映像や雰囲気をイメージ出来るある意味で定番といえる格好であるが、まさか自分がそうすることになるとは考えたこともなかった。
 生きていると、なにが起こるか分からないものである。

 さて、無事にギター購入も済ませ、お店の外に出たが、まだ午後一時、太陽は高い。
 出かける前に自宅で軽い朝食をとったきりなので、すっかりお腹がすいてしまっていた。

 ギターケースを担いだまま、神保町まで坂を下って、古本街にある欧風カレー店に寄った。
 よく知らんけど有名な店らしいよ、と謙斗がいうので。

 有名店にしては、それほどは混んでおらず、
 どうなんだろう、と一口食べてみてびっくり。家庭で母が作る市販ルーのカレーと、あまりに味も食感もなにもかも違うので。

 これが本格的なカレーなんだあ、と、しみじみ感動した後は、
 近くの書店でギターの教本と、ちょっと背伸びしてバンド系の雑誌を買って、敷渡への帰路に着いたのだった。

 電車がちょっと混み始めており、ギター折れないか焦ったけれど。

     2
 階段を上がっている。
 小柄な身体に少し不釣り合いなギターケースを背負いながら、自宅の階段を。

 二階の、上ったところにドアが二つある。
 一つは自分の部屋の、一つは姉の部屋のドアだ。

 姉の部屋のドアへと顔を近付けて、大きくも小さくもないが目覚めているなら聞こえるくらいの声で、

「お姉ちゃん」

 と、話し掛けてみた。
 返事はない。
 分かっていた。どうであれ返事はないことに。
 話し掛けると、たまに、ドスッとなにか叩き付けるような音が聞こえることはあるが、少なくとも音声での返事はこれまで一度もなかったから。

 しばらく間をあけて、言葉を続ける。

「なんかね、正二さんたちのロックバンド、参加することになっちゃってさ。
 お父さんに、そのことバレちゃって、
 そしたらね、楽器を買ってくれるっていうから、
 今日ね、
 御茶ノ水に行って、ギターを買ってきた。
 ……謙斗くんに連れてってもらって、選ぶの手伝ってもらって。
 演奏するメンバーじゃないけど、謙斗くんエレキとかとっても詳しくてね、バンドで楽器をおじいちゃんたちに教えているくらいだからさ。
 でね、いいなこれって気に入ったのがあったから、買っちゃってね、お昼にカレーを食べて、帰ってきた。
 辛いのに甘くて、美味しいカレーだったよ。
 ……それだけ」

 音声日記によくバンドのことを吹き込んではいるが、思えばこうして面と向かって(ドア越しだが)そのことを話したのは、今日が初めてだ。

 別に、こうしてわざわざ特別に伝える必要もないことなのに、なんで今日は、こうしてわざわざ特別に語り報告してしまったのだろうか。
 なんでだろう。

 分からない。
 謙斗くんと二人きりで出掛けたから、だろうか。
 隠し事をしているような、そんな後ろめたい気分になるのが嫌で。

 そんな気がする、といえば、そんな気がするけど。
 でも、
 いずれにしても、
 分かってはいたことだけど、
 姉の部屋からは、なんにも反応はなかった。

 しん、という静寂があるばかりだった。

 この廊下にも、
 ドアの向こうにも、
 自分の、心の中にも

     3
 ちょっと寂しげな顔のまま、自分の部屋に入り、そっとドアを閉める。
 日の暮れかけて薄暗くなった部屋の中央に、呆然としたような顔で立っている。

 ふーーーーっ。
 長いため息を、吐いた。

 小柄な身体にはちょっと不釣り合いな、茶色の合成皮ギターケース。
 肩に掛けて背負っていたのを、下ろしつつ回して身体の前へ。

「元気、元気、元気な子ならどうする。元気な子ならどうする」

 小さな声でぶつぶついいながら、ケースの持ち手を握って、目の前に掲げまじまじと見つめる。
 そんなことをしているうち、いつの間にか、顔にじんわりと笑みが浮かんでいた。
 ぶるぶるっと身震いすると、

「ついにマイギターがきたーーーっ!」

 叫んでいた。
 大きな声で叫んでいた。
 うおおーっ、と右拳を突き上げた。
 そーっと下ろしたかと思うと、もう一回突き上げた。

「さっそくっ、さっそく開けちゃうっ!」

 興奮を隠さず、さっと屈んでケースを床に置くと、チーーッとファスナーを開いていく。間違っても破損させてしまわぬように、ゆっくりと、ゆっくりと、早く開けたいけど、ぐっとこらえてゆっくりと。

 中に閉じ込められていた東京の空気とともに、ギターのにおいが部屋に拡散した。
 ギターのにおい、といってもどんなにおいか分からないが、なにかしらの成分が部屋に広がったことに間違いはないだろう。ギターではなく、皮ケースの内側のにおいかも知れないけれど。

 開ききると、ファスナーに擦れて表面に傷がつくことがないように、そおーっと中のギターを取り出した。
 オレンジ色の、ギターを。
 ストラトタイプの、ギターを。
 わたしの、ギターを。
 ついに、買ってしまった、わたしのギターを。

 ちょこんと床に正座して、
 太ももの上に乗っけて、
 手を添えて、
 見た目や、
 ずっしりくる重さ、
 質感、
 冷たさ、
 などを地味に楽しんでいたかと思うと突然、ガバッと身を伏せて、空っぽになったギターケースに顔を押し当てて改めて合成皮のにおいをくんくん嗅いでみたりなんかして。

「わたしは変態かあああ!」

 ざざんっ!
 上半身起こすなり弦を強く弾いて、自分のアホな行動にオチをつけてみたりなんか。

 気を取り直して、両手に抱えたギターをまじまじと見つめてみる。
 買ったばかりだから、いたるところキラキラしている。
 顔が映り込みそうなくらいに、ピカピカしている。
 トーンやボリュームのつまみをつまんで、にゅるにゅると回してみる。アンプを繋げていないから、なんの意味もない。知ってる。分かってる。

 シールドケーブルを繋げるためのジャックを確認してみる。
 6.3ミリの、現代一般家庭の音響機器ではまず見ることのない大口径ソケット。要するにイヤホンプラグのオバケ。大昔はこのサイズがオーディオ用として当たり前だったらしいが、中二のわたしが知るはずもない。

 ここに、この穴に、コードが刺さって、反対側にアンプが繋がるんだよなあ。
 当たり前のことなのに、想像するだけで楽しい。

 楽しいついでに、弦をびーんとつまびいてみる。
 エレキギター単体であるため、当然ながら音はまったく響かない。単に金属のワイヤーがぶびーんと震えただけだ。

 アコースティックギターと違ってエレキギターには音を共鳴させる部分がない。拾った振動を電気的に増幅して、始めて大きく響く音を出すことが出来るのだ。
 単体では、演奏の練習にしか使えない。ポーズ決めてかっこつけてみる練習をするくらいにしか使えない。

 どんな音が、出るんだろう。
 魂を腕に込め、ピックを持った指先に込め、振るい、弦を弾き、生じた振動が、どう電気信号に変換されて、電気信号がアンプに送られて、増幅されて、それが果たして、スピーカーからどんな音になって飛び出してくるのだろう。

 わたしが、このギターと共に作る音が、どんなふうに空気を、鼓膜を、肌を、心を、震わすのだろう。
 買う前にお店で試し弾きはしたのだけど、緊張していたから記憶もうやむやだ。

 練習場の酒屋倉庫では、
 フラワーたちバンド仲間との演奏では、
 このギターは、一体どんな音を奏でるのだろう。
 どんなふうに、自分を主張するのだろう。
 それが、わたしをどう変えていくのだろう。

 わくわくする。
 早く、合わせてみたいな。
 ベースやドラムと。
 早く、会ってみたいな。
 そんなことしている、自分と。
 いや、まあ、借りたギターでは、もうさんざん弾いているけど、この、買ったばかりの自分のギターでさ。

 にやにや笑みを浮かべながら、まるで幼い我が子のようにしっかりギターを抱えて、立ち上がる。

 腕にずしりとくる重さをそのまましばらく楽むと、やがてベッドに腰を降ろした。
 購入時に無料で一枚付けてくれたピックを取り出して、適当に弾いてみる。
 指で弾いた時と同様、音はまったく響かない。
 響かないものだから、ついつい調子に乗って、

 じゃん じゃじゃ じゃじゃんじゃん、
 じゃん じゃじゃ じゃじゃんじゃん、

「へーい!」

 叫びながら腕を振り下ろす。
 その瞬間、ピック割れた。

「うええーーーーっ。ピックってこんな簡単に壊れちゃうものなの?」

 知らなかったあ。
 特に乱暴な弾き方をしたわけでもないよお。
 安物だったのかな。
 サービスで貰ったものだから、文句はいえないけど。
 謙斗くんがいっていた通り、何枚か買っておけばよかったなあ。愛着を持ちたいから一枚でいいんだ、って突っぱねちゃったからな。
 どこで買えるのかな。
 コンビニじゃ売ってないだろうな。
 そのために東京に行くのもな。
 横浜で買えないのかな。
 通販で買えばいいのかな。
 張替え用の弦は一式買ったけど、それだけじゃ不安になってきた。もう一式、ピックと一緒に買おう。今度、謙斗くんに相談しよう。

 とりあえずは仕方ない、指で弾いておこう。
 でもまあ、自分のでよかった。練習場で、マッキーのピックを壊さなくてよかった。
 マッキーのは安物じゃないから簡単に壊れなかったのかも知れないけど、それだけに割っちゃってたら弁償に幾らかかってたことか。多分お金いらないとかいうだろうけど、そうはいかないからな。

「ええと、では」

 買ってきた教本を自分の脇に置いて、適当なページを広げた。
 Gコード、の説明が乗っているページだ。

「苦手なんだよな、このコード」

 簡単とかいってる人の気持ちが理解出来ない。猛勉強しといて全然やってないとかいうタイプの人が、そういうこというんだよきっと。

 苦手だけど、
 でもページ開いちゃったからな。
 せっかくの初ギターにケチがついてしまうから、やるしかない。

 図説の通りに指で弦を抑えて、右手をスナップきかせて振るう。

 ざん、
 ざん、
 あれ、予想していたより、悪くないのでは。
 まあ初心者だしい、ピックじゃないしい、あまり綺麗とも上手ともいえませんけどお、でも、それほど悪くもないんじゃないだろうか。
 苦手苦手思って避けてたけど、総合的な技術が上達していたのか、それともこのギターとわたしの相性がいいのだろうか。
 きっと両方だ。

 と、ちょっと満足げな顔になって、ちょっとだけ手を休めてから、もう一度チャレンジ。

 じゃがっ、
 びんっ、

 同じように手を動かしたはずなのに、今度は最悪な不協和音。何故だ。
 いいや、いちおうやったし次っ、と教本のページをまた適当に開いて別のコード。

 うお、Bコードかっ。
 なんでこんなのばっかり。
 ええと、
 指を、
 こうやって、と、抑えて、
 ちょっと辛いけど我慢して、
 このまま、このままで、
 右腕を、下ろす、
 弾く。

 ざん
 ネックを抑える手をじゅいっと少し先端へとスライドさせて、もう一回、
 ざんっ
 ざんっ

「うーん。音がどうこうよりも、指が痛くなってきたぞ」

 ピックなしで直に指で弾いている右手よりも、むしろ弦やフレットを押さえている左手の方が。

「手が小さいのかな、わたし」

 まあ、クラスの他の女子と比べてもかなり小柄な方だし、手が小さいのは間違いないのだろう。
 Bコードは指がつりそうになるけど、でも指はそんなに広げないからなんとかなりそうでもあるんだけど、Gなんかは小さい手には厳しいな。
 慣れれば慣れるのかも知れないけど、無茶して広げて、骨が変な方向に成長したりしないだろうな。

 小学生向けの教本なんか、あるかないか探してみれば良かったな。ギターの大きさが同じなんだから、小さい手でどう弾くのかというテクニックについて触れているかも知れないし。

 って、あれ本当にサイズ同じなのかな。それとも、オモチャでない本格的な子供用ギターというのも、あるのかな。
 まあ、いまさらだ。
 このギターでやるしかないのだ。
 もう海賊船カナ号は二度と帰らぬ夢幻への旅に出航したのだあ。
 無理なく出来るコードから、ちょっとずつ覚えていこう。現代の海賊としては、無理せずコツコツ。
 まあ、そのうち自然に指も広がるだろう。
 買ったこの教本では一切触れてないけど、マッキーに教えて貰ったパワーコードとかいう二つだけ押さえるコード、あれをマスターしてから普通のコードを覚えた方がいいのかな。単純な割になんだか指が痛くなるから、避けてたけど。
 普通のコードと、並行で覚えていくか。
 ならばまずはとりあえず、普通のコードCコードっ、

 ざん
 ざん
 ざんざーんざん、

「うーん」

 じゅいじゅいとワイヤー擦る音が出ているだけで、いざアンプを繋げた時にどんな音が鳴るのかまったく想像がつかないんだけど。
 慣れてる人なら分かるのかな。
 このギターに、これこれこんなエフェクタ繋げて、こんなライブハウスの作りだと、反響具合考えてだいたいこんな音だよなあ、とか分かるのかな。

 ベテランには分かるとしても素人のわたしには無理そうなので、だったらやっぱりアンプも一緒に買っておけばよかったかな。
 オモチャみたいな、一番安いのでいいから。
 自分の部屋でも、小さい音に絞ればそんなに迷惑でもないだろうし。

 そうだ、ヘッドホンをつけるという手だってあるじゃないか。確かアンプに、そういうの差すところがあったはずだ。
 でも、もう買い物は済ませてしまっているからなあ。お父さんに、追加のお願いもしにくいよなあ。
 思い切って、お小遣いの貯金で買っちゃおうかな。

 ちょっと厳しいけど、
 張り替え用の弦とピックと、一緒に買っちゃおうかな。

 まあ、そういった話はあとあと。
 とりあえずのところは、最初の予定通りに練習場のアンプに繋がせてもらおう。マッキーのアンプに。
 ダブルギター体制とか、バンドの今後によっては改めて考える。

 って、あれ、もしかしたら、サイドギターというのがつまりダブルギター?
 サイドギターを担当するといいよ、とかいわれて、それで御茶ノ水にギターを買いに行くことになったんだけど。

 こんなことも分からない初心者が、ギターなんかやってていいんだろうか。
 やっぱりパワーコードかなあ、とかいっちょ前のこといってていいんだろうか。

 いいのだ。
 とにかく、突き進むのみ。
 とりあえず、マッキーのアンプを拝借して。
 そうこうしているうちに、謙斗くんの知り合いとか、マッキーの知り合いとか、お古のアンプを安く譲ってもらえるかも知れないし。

 とにかく練習だ。
 せっかく買ってもらったギターなんだ。
 無駄にせず、己の糧にするぞ。なんの糧だかよく分からないけど。

「よおし、頑張るぞーっ!」

 おーっ、と自分の言葉に自分で応じて、勇ましく右拳を突き上げた。

「受験勉強もしっかりやるぞーーっ!」

 おーっ!
 そんな自分の無意味なハイテンションっぷりに、なんだかじわじわとおかしくなって、吹き出してしまった。
 吹き出して、そして、大爆笑。

 しばらくお腹をおさえて笑い続けていたが、やがて笑いもおさまって、お腹の痛いのもおさまると、抱えてているギターの弦を、びいんと適当に弾いた。

 なにを、しているんだろうな。

 不意に、心の中でそんな台詞を呟いていた。

 本当にさ、なにをしているんだろうな、わたし。
 ここで、こんな楽器なんか持って、こんなことしていて。
 なにを、やっているのだろう。
 なにを、めざしているのだろう。
 そもそもわたし、どんな人生を送りたいと思っているのかな。
 なんだか他人事みたいだけど。
 一人で大笑いしていた反動で、なんだかそんなこと考えちゃうよ。
 こんなことしながら、
 自分に頑張れ頑張れっていい続けながら、
 なにをめざして、
 なにをやって、
 どんな人生を送って、
 そんなことしながら、時が流れて、
 一年後、
 五年後、
 十年後、
 五十年後、
 その時その時の、わたしのそばには、誰がいて、わたしはなにをしているのだろう。
 幸せに、なれているかな。
 ……なれるのかな。

     4
 これは、なんと表現すればよいのでしょうか。
 分かんないけど知らないけれど、とりあえずこの感覚を無理やり擬音化してみましょう。

 ぎょぎょーん、
 わうわう、
 ぎゃーん、ぎゃーーん、
 と、これはエレキギターの音。
 ダスダス、バスバス、ツツツツツ、ダンッ、ダンッ、
 これはもちろんドラムっ。
 ぼんぼんぼんぼん、
 ぼんぼんぼんぼん、
 低くて鼓膜が震えて肌がむず痒くなるのが、ベース。

 って、本当にただ単に楽器の音を擬音化しただけじゃないか。
 バカなのかわたしは。
 でも無理だ。どのみち。
 この雰囲気、この空気を、擬音なんかじゃ表すこと無理だ。

 いいや別に、もう。
 わたしがいま肌に触れているこの振動、感覚、感情、感動、激情、それが真実だああ!

 今夜の音声日記収録に備えて、気分高揚のその気分をどうにか言葉で表現しようとしていた香奈であったが、どうにもこうにも浮かばないので、あっさり諦めた。
 そんなことよりギター弾きに集中だ。

 ざんざんざんざん、

 腕を振るう、
 ぶんぶん振るう。
 ピックの先端で弦を弾きまくる。

 香奈と、
 ジミーたち他のメンバーの楽器の音が、
 猛烈な勢いで倉庫の内壁にぶつかって、電子レンジのマイクロ線のごとく跳ね回っている。
 その心地よい振動に気分が高まって、ピックを振る手が軽やかに動く好循環。

 普段となにが違うのか、一概に言葉に表すのは難しいが、なんだか今日は全員の演奏に妙な勢いがあった。
 前へ前へと、気持ちが出ていくような、勢いが。

 まだ下手くそで不協和音も甚だしいというのに、それでも聞く者を納得させてしまいそうなスピード感、ビート感というものが。
 昨日と比べて急激にテクニックが向上したわけでもないのに。

 ここは商店街の酒屋倉庫、ロックバンド「シャドウオリオン」の練習場所だ。
 五人。
 うち、現在楽器を演奏しているのは四人。

 フラワーがキーボードで、
 香奈がギター、
 ジミーがベースで、
 キッズがドラム。
 黙って見ているのがマッキー。ギター用のアンプが一つしかないので、香奈とマッキーとで交互に弾いているというわけだ。

 マッキーは腕を組んで、弟子である香奈の演奏を、じーっと見つめている。弟子の成長見逃すまいということか、ダメなところ探して突っ込もうとしているのか、抜かされていないことに安心しようとしているのか、分からないが。

 なんか今日は違うそお、わたしたちっ、なんか違うぞお、と高揚感たっぷりの香奈は、師匠にじーっと見られていることに気持ち引っ込むどころかむしろちょっと調子に乗っちゃって、
 ずいっずいっ、一歩二歩と腰から前に出ながら、覗き込むように二本指で弦を押さえて、ドリュドリュと単純ダイナミックな和音を奏でながら、ネックを握る手を根本から先端へじゅいじゅいとスライドさせていく。

「むー、上手くなったなあ」

 弟子の上達ぶりに嬉しいやら悔しいやら、という表情で頷いているマッキー。

 まあ弟子もなにも、始めたのが数カ月違うというだけで、もう技術的に二人はどっこいどっこいであったが。
 お互いの年齢を考えれば、香奈が抜くのももう秒読み段階だろう。

「パワーコードのCとGだけなら、もう完璧ですっ!」

 香奈、ぶいんと大きく回すように腕を振り、力強くガッツポーズだ。
 そんな程度でいばるものではないかも知れないけど、この二つのコードだけで成り立つ曲もあるんだし、一人前に近付いたということで少しは調子に乗ってもいいよねっ。
 と心の中で、調子に乗ってしまっていることへのいいわけだ。

 本日のこの、メンバー全員の妙な騒々しさや、香奈のそわそわ感やハイテンション、至る理由は単純に二つある。

 一つには、香奈がついにマイギターを購入したということだ。
 簡単な話、嬉しいのである。
 その思いが演奏に出て、場の雰囲気をリードしているのである。ソロでパワーコードなどをドリュドリュドリュなわけである。

 もう一つの理由は、フラワーたち老人組にある。
 やらかしてしまった運動会の一件以来、ちょっとした有名人になってしまい、歩く先々で様々な激励を受けているうちに、彼らもまたやる気が高まっているのだ。

「ベヒモーションが高まって、練習をたくさんしたい気分だ」

 演奏の合間にフラワーが、白塗り落ちないようタオルで叩くように汗を拭きながらそんなことをいう。

「そ れ をいうなら、モチベーション ですう♪ ベヒモーション てえ なんですかあ♪」

 香奈が、じゃんじゃかんとギターのコード進行に乗せて、ささやかな突っ込みを入れる。このような芸当が出来るくらいに上達しているのだ。
 だが、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、突然アンプから出るギターの音がぶつっと途切れた。

「ああああああっ」
「よし、そろそろギター交代な」

 マッキーが、シールドのプラグを引き抜いたのだ。

「……仕方ないか」

 香奈はこりこり頭を掻いた。

 やっぱり今度アンプ買おっと。
 ギター弾くの、かなり気持ちいいし。
 サイドギターだというのなら、リードであるマッキーとも合わせてみたいし。
 いつまでも代わりばんこじゃな。
 他のことに使えるお金がなくなるけど、もともと無趣味だし、わたし。
 友達付き合いは、悪くなっちゃうだろうけど。
 軽くて小さ目のアンプなら、ここと家と持ち運んで使えるのかな? 音質には目をつぶって、とにかく安いもの。安くて、小さいのがいいな。
 どうせならエフェクターも欲しいな。
 最近、ちょっと自分好みの音というのが分かって来たんだあ。
 でもそうなると、ちょっといいアンプが欲しくなっちゃうなあ。

 胸の中でぶつぶつ、むなしくギターを抱えたまま、演奏の見学に回っている香奈。
 ちょっと焦れったそうな表情で、マッキーの演奏に合わせて自分でも同じように手を動かしてみる。弦を掻いてみる。

 ぺんぺんぺんぺんぴんぴんぴんぴん、なんでエレキギターってアンプ繋がないとこんな三味線のような音しか出ないのお?
 ああ、弾きたい。アンプに繋げたギターを弾きたい。
 高塚香奈は、いまっ、無性に弾きたいのであります!

「交代っ!」

 一分もしないうちに禁断症状限界点突破、アンプの前に屈むと勝手にシールドのプラグを引き抜いて、勝手に自分のギターを繋げてしまった。
 と、その瞬間、

 ぴひぃぎょわわわわわああわあああーーーん!

 耳の中で一万羽の鳥が戦っているような、なんとも凄まじいハウリング音が鳴り響いた。

「ぎゃーーーーーーっ!」

 どうやら肘が当たってボリュームつまみを最大まで回してしまっていたらしい。

 無数のキリが鼓膜にぶすぶす突き刺さるようなとてつもない音響攻撃を、予期せずしかも超至近距離で食らい、びくびくうっと肩が大きく弾けてギターを落としそうになった。
 ぐっと堪えて、ふらふらなんとか立ち上がるが、頭蓋骨の内側で、ぽわんぽわん音が反響して視界もぐらぐらだ。

「もう限界」

 ゆっくり屈んで、そーっと丁寧に大切そうにギターを置くと、うおっと悲鳴を上げて、うつぶせにばったり倒れた。
 半分は冗談だが、ハウリング音にびっくりくらくら目眩がしたのは本当だ。

「人の演奏中に変えるからだ」

 自業自得といいたげなマッキーの白塗り顔悪魔顔。

「だってえ」

 わんわん反響が、ちょっとおさまった香奈は、残った耳鳴りに小指ほじほじ突っ込みながらゆっくり立ち上がった。
 屈んで床に置いたギターを手に取ると、

「よし、ほとんど回復。弾くぞお!」

 まずは景気づけだあ、とネックをスイングさせながら目茶苦茶に掻き鳴らす。
 弾いてるだけで楽しい、アンプから音が出るだけで嬉しい、といったなんともうきうきした表情で。

 追い掛け無理やり合わせるように、他のメンバーも楽器を鳴らし始める。
 そんな中、

「市販楽譜による既成曲の練習ばかりでなく、自分たちの曲も作ってみたいよな」

 普段口数の少ないジミーが、不意に声を発した。

「比較するものがないから、演奏もやりやすいかもね。自分が本家なのだし、下手でも押し通せばそれが正しい曲だ」

 フラワーが流れるように滑らかなポーズでキーボードを弾きながら(奏でる音は滑らかではないが)、受け答える。

 気持ちの高揚感は、必然的に軽口を増やす。
 メンバーが演奏をしながらこれほど喋るのは、香奈の知る限り初めてであった。
 高揚感のためだけでなく、楽器に慣れてきていることもあるのだろうが。

「そのためには、まずはとにかく練習だよな。基本的な演奏が出来なかったら、創作もなにもないからな」

 マッキーが、アンプを繋いでいない状態でギターをぺんぺん引っ掻いている。

「うむ。でも、そうした気持ちがベヒモーションになって練習に身が入ることもあるだろうし、いまから取り掛かるのも悪くはない。……それではどうだろうか、歌詞をカナが若い感性で考えて、それにぼくが曲をつけるというのは」

 というフラワーの提案に、

「じゃ、それで」
「異議なし」
「同じく」
「えーーーっ! わたしにそんな才能ないですよ!」

 びっくり驚き不満の声をあげるのは香奈である。

 創作云々、他人事のように聞いていたら、わたしが作るだって?
 出来っこないよ。ロックの歌詞を作るどころか、合唱祭用のクラス曲だってまともなの考えつかなくて、発表の時にすっごく恥ずかしかったんだから。

「才能? 我々はもっとないっ!」

 ダッ!とキッズがスネアドラムを叩いた。

「いばるなあ! ……別に、演歌みたいな歌詞でもいいじゃないですかあ。若輩なんかに任せて、高齢バンドというせっかくの特色を放棄してどうするんですか」
「いや、そこはナウいのがいいから。老若混合ということで、本来の目的は見失わない。ということで、よろしくカナ」

 フラワーが、香奈の肩をポンと叩いた。

「おいーー。……まあ、期待しないならやってみてもいいですけど」

 開き直りさえすれば、楽しいかも知れないし。
 いつ開き直れるか、それは分からないけど。

「よろしく。ではちょっと休憩にして、布団屋の相葉さんから頂いたクッキーでも食べるか」

 フラワーが、壁に立て掛けてあった大きな紙の手提げ袋から、丸い缶を取り出した。
 缶の蓋をとめているテープを、楽しそうにぴーっと剥がしている白塗りの君に、香奈がぼそりと問う。

「その悪魔みたいな顔のまま、食べるんですか?」

 なんたら陛下みたいな、キッスみたいな、その顔で。

「うん。落とす必要性もないし」
「はあ。まあいいですけど」

 落とさないと逮捕されたり職質を受けるものでもないし。場所さえわきまえておけば、であるが。

 というわけで、おやつ休憩 ブレイク イン タイム シャドウオリオン。

 酒ケースやアンプに座り、クッキーをつまみながら、オリジナル曲はどんな内容の歌詞にしようか、どんな雰囲気のメロディにしようか、みんなで話し合うのだった。
 浪曲や演歌といった知識の下地しかなく、そこを強引にヘビメタに持っていこうとするものだから、ちょっと無茶苦茶な話し合いになってしまったが。
 香奈も幼い頃に夢中になっていた女性アイドルの歌しか知らなかったし。

 このあと、何故か分からないがクッキーの早食い競争になってしまい、その後また楽器の練習をして、シャドウオリオン本日の集まりは終了した。

     5
 じゃん、
 じゃんじゃ、
 じゃんじゃんじゃっ、
 Cマイナーセブン。
 じゃん、
 じゃんじゃ、
 意表ついてEセブン。

 床にあぐらをかいて、ギターを弾いている。
 スカートだけど誰も見てない気にしない。
 不意に鉛筆を取ると、がばっと伏せるように床のノートに顔を寄せる。
 く、っと筆先をノートに当てるものの、それきり動かずただ指がぷるぷる震えるばかり。
 十秒。
 二十秒。
 出たのは、ため息。
 伏せていた身体を起こして、もう一回思い切りため息。

「だめだ。なにも浮かばないや」

 なんか浮かびかけたっ、と思ったのに。
 指が勝手に動くに任せようと思ったのに、役に立たない指だよ。

 鉛筆を置いて、ピックを持って、またちょっとギターを弾いてみる。

 じゃん、
 じゃんじゃじゃん、

 別に曲を作っているわけではない。メロディを考えているわけではない。
 作ってみたところで、そもそも譜面への起こし方など知らない。いまだに、タブ譜ってなんだ、というレベルなのだから。

 純粋に、言葉、歌詞を考えている。
 でも考えつかないから、困っている。
 困っているが、考えなければいつまでも考えつかないから考えている。
 考えなくても降りてくるならそれが一番だが、自分にそんな能力はないこと、考えるまでもなく分かっている。

 部屋に満ちている空気でも、霞でも、ダークマターでも、外のスズメの無き声でも、遊ぶ小学生の声でも、防災無線でも、インスピレーションさえ得られればなんでもいいのだが、どんなに感覚を研ぎ澄まそうとなんにも得られないので、とりあえずギター様に頼っているのだ。

 とはいっても、そのギター様からすらも、現在なんにも得ることが出来ていないわけだが。
 いたずらにピックで弦を引っ掻くばかりで。

「とりあえず、無理にでもなにか言葉を書いてみるかあ」

 と、また鉛筆を手に取る。
 自分を信じて、というわけではないが。
 信じずともなにかをすればなにかが起こるだろう、という神の気まぐれのみを期待して。

 ノートに、頭にふと浮かんだ文字を書いてみる。はばたけ、とか、夜闇を切り裂け、とか、思いつくクサい言葉を。
 クサくしようとしているわけではないが、たかだか中学生のボキャブラリーでは是非もない。

 他人の歌詞を参考にしようものなら、引っ張られてそのまま完全なパクリになってしまいそうだし。見なければ見ないでこんなレベルなのだから本当に自分が嫌になる。

 他に、どんな言葉がある? 歌に使えそうな。
 吠えろ、とか?
 信じろ、とか?
 かっこつけて、ビリーブとか。
 歌詞にベイベーとかよく入れてる気がするけど、古いのかな、それって。そういや古い歌ってベイベーじゃなくてベイビーだよな、どうでもいいけど。
 まあ、とりあえず書いてみよう。信じろ、で書いてみよう。

「自分を、信じろ、と。……うわ、だめだ、恥ずかしい!」

 誰がこの場を見ているわけでもないのに、なにこのぞわぞわくる恥ずかしさ。
 これが作詞というものなのか。
 なるほど、プロ作詞家は、この恥ずかしさに耐える対価で生活しているわけか。
 作詞に慣れるというのは、書き慣れるというだけでなく、恥ずかしさに慣れるということでもあるわけだ。

 納得いったはいいが、しかし恥ずかしがってばかりいては、むしろみっともないものしか書けないよな。
 突き抜けることで、本来恥ずかしいものが、まったく恥ずかしくない魅力的なものになるんだ。
 わたしが幼稚園の頃にヒットしていたわらよしひこの、「君を見ているとおムムムンウィヒウィヒ」、とかいう笑い声、あれ無茶苦茶恥ずかしいじゃないか。でもみんな憧れて真似してたじゃないか。

 前へ進むぞ、わたしは。
 佐原吉彦を超えるぞ!
 とりあえずギター様の神通力を頂戴だ、
 カナちん全力投球っ!

 と、またギターを手にして、ジャンジャンジャガジャガと弦を適当に押さえてなんとなくのリズムでピックを振るう。

 よしっ、デタラメでいいからなんか適当に言葉を叫んでみよう。声を出してみよう。そうして口から出たものを、片っ端から採用だっ。
 いくぞっ、

 ジャガジャガジャガジャガジャガジャガジャガジャガ、
 ジャガジャガジャガジャガジャガジャガジャガジャガ、

「豆腐キャベツバニラアイス暴走族炊飯器アニメ除夜の鐘ベースボールみちのく摩天楼ホタルイカ仙台松山石巻ミミズ悪魔神様土星ロケット」

 ギターの音に乗って出てくる、シチュエーション不明意味不明な言葉の数々。

「ぜんぶ不採用!」

 ジャン!
 オチがついて満足したわけではないが、とりあえずギターを置いて腰を上げると、学習机へと向かう。

 椅子に座るなり、鉛筆を鼻の下に挟み、両手で頬杖をついた。
 天井見上げながら、

「うーん」

 腕を組んで難しい顔を作ってみるが、顔を作ったところで、どうしても言葉が浮かばない。
 考えても、浮かばない。
 脳味噌のあまりのままならなさに、汗がぶつぶつ吹き出してきた。

 ふーっ。
 鉛筆鼻の下に挟んだまま、器用にため息を吐いた。

 心の中でぼやく。

 そもそもフラワーたちも酷いんだ。現国苦手なわたしに、つまり言葉の感性がないわたしに、なんでこんなことを任せるんだ。
 むしろここは老人の方が、これまでの人生経験で味わい深いものが書けるんじゃないか? 雨のタクシー乱れ髪い♪
 分かんないけど。俳句のようになりそうな気がしないでもないけど。
 別にそれでもいいじゃないか。
 名月や蝉の声で、岩に染み入るシャウトをすれば。
 とかなんとか下らないことばかり考えていても仕方ない。真面目に、歌詞作りに取り組みますか。
 これまでも真面目にやってはいたけど、もっと真面目に。

 鼻の下に挟んでいた鉛筆を手に取って、デスクライトをつけ、ノートに向かう

「よし、きちんと考えよう」

 向き合おう。与えられたタスクに。
 別に、素敵な歌詞じゃなくたっていいんだ。
 変に飾らず、自然に出てくる言葉。誰か一人でも共感してくれるかも、そんなレベルの歌詞でいいんだ。
 そうだ。
 簡単なことなんだ。
 立派なのを作ろうとするから、ブツブツ汗が吹き出るだけで全然進まないんだ。
 よおし、自然に出てくる言葉を繋いで、そんなに立派じゃない歌詞を作るぞお。
 リラックス!
 と、鉛筆持つ手に、ぐぐぐぐ、と力を込める。
 が、
 しかし、
 やっぱり、
 予想通りというべきか、

 ダメだ。
 思い浮かばない。
 書き出せない。
 手が動かない。
 動いてくれない。
 だってイメージわかないから。
 これっぽっちも。

「いいやもうっ」

 って、よくはないけど、とにかく時間はまだある。
 じっくりやろう。

 そうだ。若いわたしには無限の時間があるのだ。
 焦る必要はない。
 焦る必要はないんだ。

 いつか神様は降りてくる。
 いろんな言葉が書かれたプラカードを両手いっぱい抱えて。

「心配事も去ったところで、それじゃあとりあえず……」

 息抜き、というわけじゃないけど、今日の日記をやりますか。
 机の引き出しを開けてICレコーダーを取り出した。

     6
「……ったんだなあ、と。
 中二ごときがおこがましいかも知れないけど、そう思ったんだ。
 バンドメンバーのおじいちゃんたち、相当な高齢であること、若者に比べれば当然だけど残り時間も多くはないということ、
 そんなの当たり前のようにとっくに受け入れて、人生を楽しんでいるんだなあ、って。

 凄いよなあ、お年寄りって。
 いや、でも、ちょっと特別、なのかな。
 なにがって、あのおじいちゃんたちがさ。

 あのね、どうしてそう思ったかというとね、今日ね、バンド練習の休憩中にね、クッキーを食べようってことになって、
 お店の付き合いのある人にもらった物らしく、丸い大きめの缶が二つもあってね、
 頂いて、
 食べているうちにね、
 なんでかな、早食い競争が始まった。

 といっても、クッキーの上の、チョコとかレーズン部分だけの早食いだけど。

 優勝、マッキー!
 ギターやってるだけあって、指先が器用なのかな。

 とはいえ、
 とはいえっ、
 八十よりは九十に近い年齢だというのに、なんであんな妙に指使いが早いんだあああ。

 でね、二番がわたし。
 まあ、子供なんだし自慢にもならない。

 クッキーに続いて、じゃららららら、じゃんっ、今度は、アンパン早食い競争! しかも今度は、まるまる一つ。

 無茶でしょ! それに、わたしが余裕で勝っちゃうじゃん!
 と思ってたら、わたしビリだった。
 なんなんだ、あの老人たちはっ!

 あの弾け具合というか、心のスタミナというか、開き直り感というか、あれはどこからくるんだっ! 異世界に繋がっているのか無尽蔵すぎる。
 本当に、凄い。

 ……生きていれば、いつか訪れるものは訪れる。
 残りの人生。それは、神様が決めたことだから、どうしようもない。若者と比べて老人が少ないというのも、わざわざいうまでもない当然のこと。

 自分たちは八十をとっくに超えて、九十近くだったりもして。
 どんどん身体だって自由にならなくなっているはずだし、時間だってどんどん少なくなっている。

 でも、しょげることなく、あんなに元気で、あんなに前向きで。
 神様を困らせちゃえ、ってくらいに生命力があって。
 七十近くも若いわたしの方こそが、一緒にいてパワーもらえる。

 どういうことなんだろうね。
 人生って。
 どういうものなんだろうね。
 生きるって。

 あれえ、なんかとりとめないというか、わけ分からなくなってきたぞ。
 クッキー早食いの話をしていたんじゃなかったっけ?

 まあいいや。
 今日の日記はこれで終了。
 寝ます。」
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