神様のいたフットサル部

かつたけい

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第十四章 試合、まだ終わってない  ―― 対前橋森越戦・その2 ――

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 前橋森越がことを疲労対策でベンチへ下げたタイミングで、佐原南も選手交代。

 さきさくらやまざきよしを投入し、既にピッチにいたいばさきゆうとで前線三人をザキ同盟にし、そしてフィクソをあしからよしに代えた。

 ほぼ、セットの入れ替えである。
 これでとりあえず、打てる手は打った。動揺しながらではあるが、現状でのベストに近い対応のはずだ。

 ザキ同盟と攻撃面での相性がいいのはむしろ芦野留美の方であるのだが、その組み合わせはチームとしての守備力が低下するという欠点のあることが杉戸商業戦で露呈したため、バランスを考えて吉田理恵にしたのだ。個人技だけを比較するならば、留美の方が理恵より遥かに守備能力があるのだが。

 現在、要注意人物である久野琴絵と津田文江は二人ともベンチにいる。だから、これでかなり戦えるのではないか。
 いや、やれるはずだ。
 ザキ同盟の誰もがしっかりとした個人技を持っているし、連係面だって感覚が肌で合うのか練習する必要がないくらいなのだから。

 良子はそう期待して彼女らをピッチに送り込んだのであるが、結果は不本意極まりないもので、佐原南を好転させるなんの効果をもたらすことも出来なかった。

 チーム戦術がよくないのか相手が強いということなのか、戦力の差とは相対的なものであり一様に原因を述べることは難しいが、とにかく相変わらず前橋森越がボールを回し続け、攻め続け、佐原南が守備に奔走され続けることになったのである。

 少し引き気味に入ってしまったからかも知れない。
 良子は、ザキ同盟を出しても攻撃力が上がらない理由をそう分析した。

 試合開始からずっと爆発的な攻撃力にさらされる仲間たちをベンチから見守り続けていたためか、吉田理恵を含むFP四人は、無意識に守備的に入っていたのだ。

 簡単に崩されたり突破されたりすることはなくなったものの、しかし前橋森越のボール回しは当然増えるわけで、遠目からどんどんシュートを狙ってくるようになった。

 前橋森越としては、ここまで自分たちが強いと守備的に挑んでくる相手も多く、引いた相手への対応に慣れているのだろう。

 遠目からとはいえ中には決定的ともいえるものもあり、ゴレイロであるゆずに実力や運がほんの少しでも足りなかったら既に何点か失っていただろう。

 現在の前橋森越は久野琴絵も津田文江もベンチ、つまりはいつも大会で初戦敗退していた去年までとさして変わらぬ構成であるはずなのに、佐原南はそのような相手にまるで歯が立たず、防戦につぐ防戦を余儀なくされていた。

 当然ではあるが、フットサルは点を取らなければ勝つことが出来ない。だというのに、なんの活路も見いだせないままただ時が流れていく。

 まだ失点していないのだからいいではないか、そんな希望すら抱けないほどに、佐原南は圧倒的に攻められ続けた。特筆すべき選手のいない、四人のFPフイールドプレーヤーに。

 前半十一分、ついに良子が一番恐れていた時が訪れた。
 前橋森越のベンチに座っていた津田文江が、監督と一言二言かわすと立ち上がり、交代ゾーンへと歩き出したのだ。

 どん、と良子の胸は大きな鼓動をした。

 胸を押さえた。
 ゆっくりと手をおろすと、ぎゅっと拳を握った。

 手は、じっとりと汗ばんでいた。
 身体が、ぶるぶると震えていた。
 心臓の、鼓動を刻む速度が増していた。痛いくらいに、胸骨の内側から良子の肉体と心をどんどんと容赦なく叩き続けた。

 ベンチで少し休んだ久野琴絵も、津田文江に続いて交代ゾーンへと向かう。
 良子はピッチに立つ仲間たちに向けて、小さく口を開いた。

 4番7番入ってくるから気をつけて!

 せめて、それくらいはいわなければ。
 そう思ったのだが、かろうじて開いた口からはただ乾いた呼気が漏れるだけだった。

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「4番7番出てくるよ!」

 代わりに叫んだのは、あしであった。
 しんどうりようは全身をびくりと震わせた。

「ご、ごめんっ! ルミちゃん!」

 くるんとベンチの留美へと向くと、ようやく呪縛から逃れたかのように大きな声を出した。

「気にしない。試合は、みんなで戦ってるんだ」

 留美は笑顔を作った。
 どれだけ良子がふみを怖がっているのか、留美はよく分かっているのだ。だから、みんなで困難を乗り越えようと慰め励ましてくれたのだ。

 表情こそ岩のように硬いままではあったが、良子の胸の中になんだか熱いものがじんわりと込み上げてきていた。
 強く頷くと、ピッチへと向き直った。
 ちょうど4番と7番、ことと津田文江が交代ゾーンからピッチに入ったところであった。
 良子はすっと息を吸うと、怒鳴るような大声を張り上げた。

「テバ、ビニ、4番7番から絶対に離れないで! 攻撃は考えなくていい。ダリー、相手の連係に気をつけて!」

 いばさきゆうやまざきよしは、指示に従い4番7番へそれぞれくっついた。

 まずは守備。
 そこが改善出来ないことには、どうやって一点を取るかもなにもない。

 などと考えている良子の目を疑うようなことが起きたのは、次の瞬間であった。
 佐原南の密着マークをものともせずに、4番がするり抜け出してパスを受けた。というその一瞬さえまだ終わらぬうちに、既に7番の津田文江へとパスが繋がっていたのだ。

 まさか、と思ったのは良子だけではなかったかも知れない。だが目の前で起きていることが現実であった。

 さらに津田文江は、フィクソのよしを路傍の石のごとくかわし、ゴール前へと切り込んでいた。

 ピッチの外から見ている良子にとっても、魔女に魔法をかけられたとしか思えなかった。渦中にいる選手たちには、それより遥かに不思議な思いであったことだろう。

「ユズ!」

 良子はなんとか気を取り直し驚きを振り払い、叫んだ。

 いつも不敵な顔のゆずもさすがに驚きを禁じえず目を見開いたまま突っ立っていたが、良子の叫びに我に返り強くまばたきをすると、津田文江を視界にしっかり捉え少し腰を落とした。

 津田文江は柚葉の睨むような視線をものともしないどころか、むしろ心地好さそうな笑みすら浮かべていた。
 まったく足元へ視線を落とすことなくただ正面を見ているというのに、ボールはぴたり足に吸い付いている。表情の通り、まるで緊張していないからこそなのであろうが、それにしても高い技術力であった。

 PAペナルテイエリアに侵入するかしないかというところで不意にドリブルの速度を緩めると、その瞬間にシュートを打ち放っていた。
 右足で蹴ると見せた瞬間の左足で。

 単純ながらも効果的なフェイントで、しっかりと見ていたはずの柚葉も逆をつかれてバランスを崩した。

 ゴール隅のぽっかり空いたところへ、コントロールされたボールはするすると滑るように転がっていく。

 柚葉は倒れ込みながら舌打ちした。
 佐原南のベンチで、何人かが悲鳴のような声を上げた。

 だが、ゴールネットが揺れることはなかった。
 ポストに当たり跳ね返ったのだ。
 倒れていた柚葉は、すぐさま反応し四つん這いで床を這い、ボールに飛びついて抱きかかえた。

 こうして津田文江のファーストシュートは外れ、佐原南はかろうじて難を逃れたのである。
 利き足と逆で蹴ったため精度が足りなかったということなのか、単にからかって楽しんでいるだけなのか、それは本人にしか分からないことであった。

 電光石火のような攻撃をやり過ごした佐原南であったが、これはまだ序の口といっても過言でなかった。前橋森越の猛攻は、ここから始まったのである。

 柚葉が投げたボールを須賀崎桜が小走りに寄って受けようとするが、ボールしか見ていなかったせいで、横から入った5番に簡単に奪われてしまった。

 5番は、すぐさま津田文江へとパスを出した。

 茨崎悠希が、津田文江の正面に立ちはだかった。

 津田文江は、ボールをこんと爪先で押した。と見えた次の瞬間には、悠希の背後に回り込んでいた。最小限の身のこなしやボールタッチによるものであるが、見る者の目にはまるで悠希の肉体をすり抜けたかのように思えただろう。

 フィクソの吉田理恵が、自分のマークすべき9番を警戒しつつ津田文江との距離をじりじりと縮めた。
 相手の様々な動きに対応が出来てなおかつパスコースも限定させることが出来る。模範的といえる吉田理恵の動きではあったが、前橋森越相手には通用しなかった。むしろ、ただ中途半端にスペースを作ってしまっただけであった。

 出来たそのスペースを上手に利用して、津田文江はパスを出し、9番は楽々と受けた。

 吉田理恵は慌てて振り返り、9番の背中を追う。
 数歩遅れて茨崎悠希も全力で駆け戻ろうと腕を振る。

 動き出しで完全に遅れをとっており、間に合わず簡単にPA内に侵入されてしまった。もう意図的にファールで止めることも出来ない。

 9番は右足を振り抜いた。

 至近距離からの勢いあるシュートは、なおかつ枠をしっかりと捉えていたが、柚葉はなんとか見切り、右足を伸ばし弾き上げた。

 9番が詰め寄って自らねじ込もうとするが、

「ユズ!」

 という茨崎悠希の声に反応し、柚葉は真横へと小さく蹴った。

 ゴールライン際でボールをもらった茨崎悠希は、守備だけでなくなんとか攻撃にも繋げたいということか、小さくドリブルをし、山崎芳枝へと繋いだ。

 そこからさらに須賀崎桜へというところで、パスをカットされてしまった。
 ザキ同盟でここまで引いて守ったことがなかったので、距離感が掴めていないようであった。

 難無くボールを奪い返した前橋森越は、無理に攻めようとせず少しボールを下げて回し始めた。

 佐原南の選手たちは、パスを予測して軌道に入ろうとしたり、出し手受け手へとプレスをかけるものの、前橋森越のポジショニングやパス速度は的確迅速で、紙一重でのらりくらりかわされて、奪うどころかボールに触れることすら出来なかった。

 果たして誰がここまで圧倒的に差のつく攻防になると予想しえたであろう。
 まるで大人と子供であった。

     3
「もう少し押し上げて!」

 しんどうりようが現状を修正しようと必死に叫ぶが、いわれた通りに出来るのならばここまで苦境に陥ってなどいなかっただろう。
 佐原南はずるずると、さらに自陣ゴールへと下がっていった。

 前橋森越はますます勢いをつけ、縦横無尽の素早いパス交換でどんどん佐原南ゴール前へと近づいていく。
 9番がボールを受け、やまざきよしと向かい合った。
 突破を図るような動きを見せた9番は、瞬時に後ろを向いてボールを下げた。

 芳枝は視線を動かし、ボールの転がる先を追った。

 前橋森越4番、ことがフリーの状態で立っていた。
 彼女の位置から佐原南のゴールまで、完全にコースが空いていた。
 左足の内側でボールの勢いを止めると、ゆっくりと狙いを定め、ゆっくりと蹴り足を上げ、そして目にも止まらぬ速度で振り抜いていた。

 遠目からとはいえ、まさに弾丸のようなシュートにゴレイロの柚葉は弾くだけで精一杯だった。
 いや、弾かれたのは柚葉の手の方であった。
 ボールは床に落ち、小さくバウンドするところころと転がった。佐原南のゴールへと。

 シュートの勢いに負けて後ろへ倒れそうになった柚葉であるが、なんとか踏ん張り自分を支えると、ボールがラインを越える寸前に大きく蹴り飛ばした。

 相手の猛攻によるピンチの連続に、柚葉の息はすっかり上がり、肩を大きく上下させていた。

 ゴレイロですらこうなのだ。いばさきゆうたちFPフイールドプレーヤーがどうであるか、説明するまでもないだろう。

 まだスコアは動いていない。
 だが、この試合を見ている誰にも、どちらが優勢でどちらが劣勢であるかは明らかだった。

 まだスコアが動いていないが故に、ある意味で劣勢な側には地獄の責め苦であったかも知れない。
 勝ち目があると到底思えないこの戦力差で、残りの時間を戦わねばならないからだ。

 既に何点かを失っているのであれば開き直ってのびのびやることも出来たかも知れないが、現在スコアレスであり懸命に走らないわけにはいかない。
 しかし、前橋森越の狡猾なパス回しが、佐原南FPの肉体どころか精神までをも猛烈な疲労へと追い込んでいく。
 それでも、走り、必死に守備をしないわけにはいかない。
 いつ果てるとも知れない、その繰り返し。

 どうしよう、どうしよう、と新堂良子の心はすっかりと弱気になってしまっていた。

 弱気がピッチの選手に伝播しないようなるべく無表情を作ろうとする良子であるが、良子は元来が表情豊かであるため、まったく隠せてはいなかった。

     4
 笛が鳴った。
 心身疲弊したさきさくらが、5番の背中にぶつかり突き飛ばし、倒してしまったのだ。

 前橋森越にFKが与えられた。
 蹴るのはことだ。
 軽い助走で蹴り上げ、敵味方が密集し入り乱れている佐原南ゴール前へと速いボールを放り込んだ。
 密集の中から、9番が跳躍した。
 ヘディングシュートを放とうと首を曲げたが、

「スルー!」

 という叫び声とともに、ボールは9番を頭上を飛び越えた。
 声の主はふみであった。彼女は9番がスルーしたボールを、足を高く上げて受けた。

 佐原南は半分守備陣形を崩され、そして完全にタイミングを崩されていた。

 柚葉は咄嗟の判断でゴール前から飛び出して、津田文江へと身体を突っ込ませた。

 だが代表クラスの実力を持つ前橋森越のエースにとって、柚葉のその行動も想定しうることの一つということか、まるで慌てるそぶりを見せることなく、ボールをすっと後ろに下げて柚葉から守る。
 いや、
 守ったのではない。これは、攻撃であった。

 柚葉は、そして佐原南の選手たちは、信じられない出来事に驚倒した。
 津田文江はボールを自身の背後に隠すと、なにごともなかったかのように柚葉の脇を抜けたのであるが、背後にあるはずのボールがどこにもなかったのだ。

 頭上であった。
 柚葉の突進からボールを守ったのではなく、攻めるためにヒールリフトで頭上へと打ち上げていたのだ。

 ただやってみるだけでも非常に難易度の高い技術であり、基本的に実戦向きの技ではない。それを津田文江は、敵味方の入り乱れる中で難無く披露して見せたのである。

 頭上から落ちてきたボールを、津田文江は額で捉えて再び打ち上げた。
 ボールは須賀崎桜の頭上を越えて、前橋森越のもう一人のエースである久野琴絵の待ち構えるところへと落ちた。

 前橋森越からすればボールは少し戻った格好ではあるが、しかし、久野琴絵の前にはぽっかりとスペースが出来ていた。さらに、津田文江に釣り出されてゴール前にはゴレイロ不在。
 久野琴絵は落ちてくるボールに合わせて右足を叩きつけた。

 決まった。
 誰もがそう思っただろう。

 だが、決まらなかった。
 ラインを割る寸前、いばさきゆうが横から飛び込んで軌道上に入り、ブロックしたのだ。

 肩に当たり、落ちた。
 悠希はクリアしようとするが、ボールの反対側から、ねじ込もうと9番の足が伸びた。どっ、と鈍い音とともに、ボールは高く舞い上がった。

 拾ったのは5番であった。
 それを津田文江が下がって受けると、すぐさま真横へいる久野琴絵へパス。
 久野琴絵はすぐさまシュートを放った。

 ゴール前に戻ったばかりの柚葉が、胸でブロックする。

 足元へ落ちたところへ、今度こそ決めてやろうと9番が意気揚々飛び込んだ。

 柚葉は腰を落とし、ボールへ飛びつき、抱きかかえた。
 立ち上がると、ふうと息を吐く柚葉。

 とりあえず前橋森越の攻めを凌いだ佐原南であるが、だがこれは一呼吸どころか死なない程度に半呼吸したに過ぎなかった。
 その後も、圧倒的破壊力で攻め込まれ続けたのである。

 佐原南の守備は、前橋森越の狡猾なパス回しと代表級二人の個人技の前にすっかり破綻していた。
 ただ個人の頑張りで防いでいるだけあった。

 いや、防いでいるといえるかどうか。頑張ってはいるが、それでも何度も何度も突破を許してしまっていたのだから。

 幸いにして柚葉が好調で運もあるため、奇跡的にまだ失点していないというだけだ。とはいえこのようにサンドバッグとして打たれ続けている以上は、運や集中力の尽きるのも時間の問題といえた。

     5
 時間の流れとは相対的なものである。
 これだけ圧倒しても点の入らないことにまえばしもりこしの選手たちは時間の短さを感じたであろうし、反対に絶望的状況に置かれている佐原南にはとっては無限の長さであったことだろう。

 しかし時間の長さをどう感じようとも、それで試合の流れや局面が変化することはなかった。

 前橋森越はパスを回し、代表級二人の個人技を生かして攻め続け、
 佐原南は全員一年生でまだ連係が甘いながらも、名門校ならではの一人一人のポテンシャル、運、そして粘りと要素をフル動員してひたすらに守り続けた。

 佐原南の指揮官であるしんどうりようは、この圧倒的戦力差にすっかり飲まれ、動揺し、まともな指示が出せなくなってしまっていた。

 いや、まともどころかなんの声すらあげることが出来ず、ただ口を半開きにして傍観者を決め込んでいるだけになっていた。

 頭が半ば真っ白で、どんな指示を飛ばせばいいのかさっぱり思い付かなかったし、例え思い付いたとしても喉の奥がからからに乾いてくっついてしまっており、どちらにせよほとんど声など出なかったに違いない。

 ただ手に汗を握って、敵の猛攻からゴールを死守し続ける仲間たちの姿を眺めていることしか出来なかった。

「キザ、右! そうそうそうそう! 追い込め! テバ! 7番フリーにさせんなあ!」

 佐原南ゴール前で、ゴレイロであるゆずが指を差し必死に声を張り上げている。
 後方からの、守備のコーチング。シュートを防ぐのと同じくらいに大切な、ゴレイロの役割である。

 そして、全体をまとめるのが主将代行である新堂良子の役割、のはずなのであるが……

「ビニ! 下がり過ぎ! みんなそうしてたら逆にやられる! 前で守備! 他もしっかり! 距離感に気をつけて! まだ同点、負けてないんだ、自信を持って守ってこう! ビニ、だからもうちょっと前! 前! そうそう、ってまた下がってる!」

 サイドライン近くに立って怒鳴り、全体を指揮しているのは、あしであった。
 本大会に向けての戦術作りに協力しただけあって、彼女も戦い方を崩さぬよう指揮することが出来るのだ。

 良子の立場を考えて出しゃばることは避けていたが、試合に負けるわけにはいかないし、いい加減なりふり構っていられなくなったというところであろう。

 でも一番の気持ちとしては、良子に立ち直って欲しい、戦って欲しいという個人的な気持ちなのではないか。

 良子はそう思っていた。だから、それに応えられない自分がもどかしかった。

 ごめん。

 心の中で、頭を下げていた。

 自分がだらしないばかりに、親友に迷惑をかけてしまっている。
 これ以上の迷惑はかけたくない。
 でも……

 ぞくり、と不意に良子の全身に鳥肌が立った。
 冷たく突き刺さるような視線を感じたのだ。
 津田文江が、プレーの途切れた合間に薄笑いを浮かべこちらを見ていたのである。

 良子は、また蛇に睨まれたカエルのように全身硬直してしまっていた。
 もう何度目だろう。
 まったく免疫がつかない。
 自分の弱さがもどかしい。
 もどかしいけど、でもなにも出来ない。
 やがて、なにかから逃れるかのように必死の形相で、小さく口を開いた。しかしその口からは、熱く乾いた呼気が少し漏れるだけであった。

 カチカチに硬直しながら、青ざめた表情で口をぱくぱくさせながら、良子は怒っていた。
 みんな必死に頑張っている中、なにも出来ない自分に対して。
 なにも、しようともしない自分に対して。
 頭をゲンコツで殴りつけてやりたいくらいに。

 そんな良子の苦悩など関係なく、試合は進む。
 いばさきゆうが相手のキックインボールを奪って、さきさくらへとパスを出した。
 これまでひたすら守備に追われ続けていた佐原南であるが、これを好機とみな一斉に上がり始めた。

 前橋森越は、とりあえず守りを固めようとずるずる下がっていく。

 罠だ……
 良子の直感は、そう告げていた。

 口を開いた。
 よしには守備フォローについて、やまざきよしには攻め上がり自重の指示を出そうとしたのだが、しかし、唇がねばっこくくっついてしまっており声を発することが出来なかった。
 粘着する唇をもごもご動かして引きはがすものの、喉の奥がからからに干からびてしまっており、その口からはただ乾いた息が漏れるだけだった。

「上がるのキザだけでいい!」
「ダリー、気をつけろよ!」

 いくらなんでも簡単に引き過ぎるとようやく気が付いたか、芦野留美と九頭柚葉の二人は、良子の考えていたことを数秒遅れで叫んだ。
 だが、既に遅かった。

 ザキ同盟のパスのパターンは完全に読まれていた。

 前橋森越ゴール前で、須賀崎桜から山崎芳枝へとパスが出たが、これを久野琴絵がなんなくカット。
 これを合図に前橋森越が一斉に攻め上がり始めた。それは、まるで津波のような怒涛の迫力であった。

 久野琴絵は9番とのワンツーで吉田理恵をかわすと、無人の原野を行くがごとく、広いスペースをドリブルで突き進んだ。

 たまたま良いタイミングで奪えたから速攻、ではなくすべて予定の通りだったのだろう。

 佐原南のFP全員が、4番である久野琴絵の背中を追うように自陣ゴールへと走る。せっかく好機を見つけて全員で攻め上がったというのに、なんの収穫もなく、むなしく。
 なんとか吉田理恵が久野琴絵に追いついたが、すっとかわされ、全力で走って最前線へと飛び出した9番へとパスを出され、繋げられてしまった。

 9番と、九頭柚葉との一対一だ。
 柚葉は飛び出さずに、ゴール前で9番の動きをじっと見ながらシュートコースを塞ぐべく自らの立ち位置を調整する。

 9番はドリブルの速度を緩めると、シュートを打った。
 いや、打つ振りをしただけで、ボールを跨ぎ飛び越えていた。

 混乱の色を顔に浮かばせる柚葉。次の瞬間、驚きに目が見開かれていた。

 9番の背中を突き抜けるかのように突如ボールが現れて、凄まじい速度で佐原南ゴールへと襲い掛かったのだ。
 久野琴絵が、9番の背後からシュートを放ったのである。

 柚葉は完全に意表を突かれ、まったく反応することが出来なかった。

 ボールはポストを叩いて跳ね返った。
 ブラインドを作るべく仲間の背後から打ち込んだため、いくら代表に選ばれたことのある久野琴絵といえども決めるのは至難の技であっただろう。

 だが、すべて計算通りだったということか、そのまま走り続けた9番が、跳ね返ったボールへと右足を叩きつけた。
 ダイレクトボレー。
 柚葉がこれを弾き返すことが出来たのは、褒めるならば本能や直感というところであろうが、結局のところ単なる偶然であった。慌てて闇雲に突き出した足に、ボールが当たったのだ。

 9番と久野琴絵が、こぼれへと詰め寄った。

 気を取り直した柚葉は、瞬発力を発揮して二人より早くボールへ触れ、二人の間から遠くへ蹴飛ばした。

「危なかったぜえ」

 柚葉は額の汗を袖で拭いながら、安堵の長いため息をついた。
 ピッチ脇で戦況を見つめる新堂良子も、同様に長いため息をついていた。
 良子のは、安堵だけではなかった。笑い飛ばすしかないようなどうしようもない絶望感、むしろそれをごまかすためにこそため息をついたのだ。

 前橋森越は、強過ぎる。
 守りは鉄壁のようだし、攻めのバリエーションだっていま見せたように実に豊富だ。

 代表級の二人が入って劇的に変わったとされている。試合結果というデータとしては確かにその通りだろう。
 だがおそらくは、二人が加わる前からこれくらいの戦力は整っていたのではないだろうか。

 前橋森越の去年までの戦績を見たところ、確かに大会出場常連のいわゆる強豪校にしては負けが多い。
 でもそれは、得点力不足を補うために多少バランスを崩す必要があり、そのため勝てば大勝だが負け試合も多いという戦績に繋がっていたのではないだろうか。

 多少バランスを崩す、という必要性がなくなったため、本来の力を発揮出来るようになったのでは。

 そうとでも考えなければ、とても納得出来るものではない。
 でも、だとすれば、こんな強い相手にどうやって勝てばいいのだろう。

 良子の精神は、片足を泥沼に突っ込んで身動きの取れないような状態になりかけていた。
 気持ちだけの問題ではない。
 状況として、確かに佐原南は絶望的状況に置かれているといって過言ではなかった。
 現在前半六分であるが、この時点で大量失点どころか無失点であるのが奇跡としかいいようがないくらいに攻め込まれ続けていた。

 幸運がいつまでも続くわけがない。
 自らの努力で現状を回避しなければ、このままでは失点も時間の問題だ。

 でも、それならどうすればいい?
 自分はなにをすればいい?
 なにが出来る?
 試合に勝つために、自分に、なにが……
 分からない。
 考えようとすればするほど、どう行動すればいいのか分からなかった。
 そもそもわたし、何故ここにいるんだろう。
 どうして、こんなところに。
 なにも出来ないくせに。
 ただ足を震わせて突っ立っているだけのくせに。
 ボールを蹴れないどころか、声一つまともに出せないくせに。

 弱気は弱気を呼び込んで、良子の精神は完全に悪循環に陥ってしまっていた。

     6
 やるべきことをやるためにここへ来たんだ、と自分の中ですべて解決してさっぱりした気分になったと思い込んでいたが、勘違いもいいところだった。

 それだけふみの呪縛が強大であったわけだが、しんどうりようにとってはますます自信をなくし、ただ自分が嫌いになるだけであった。

「……からさあ、相手が弱くなんかないってことが分かったんだからあ」

 背後から、副主将のあらがみが名前の通り声を荒らげているのが聞こえてきた。
 この試合の指揮権がないからこそ、この劣勢に不安であり必死なのだろう。

「だけど、もうメンバーは変えられないよ」

 主将のはなさきつぼみの声。
 もとから感情を表に出さない人だが、良子には、なんだか今は必死に冷静さを保とうとしているようにも感じられた。

「分かってるよ、そんなこと。だからあたし、最初からあんなに反対したんだよ。いわんこっちゃないじゃないか」

 なおも不満をつのらせる真子。
 不安から出た愚痴をまるで受け止めてもらえなかったわけで、このような態度になるのも当然といえば当然であろう。
 幼少からの友人の、そんな感情に気がついたか、花咲蕾は再度口を開いた。

「でも主力の体力温存はさせたいからね。日程を考えた人に文句をいいなよ。あとね、佐原南の部員は佐原南の部員である以上は関東を代表する強豪なんだという自覚を持つべきだと思うんだ。例え一年生であろうともね。ここで勝てなければ……、たった二人の選手に引っ掻き回されてここで負けるようでは、うちの未来がないじゃないか。だってこの一年生たちが、佐原南を引っ張っていくのだから。歴史を作っていくのだから」
「でも」

 真子としては、なにをいわれようと納得出来ないようであった。

「もうサイは投げた。きっと六の目が出ると信じることしか、わたしには出来ないよ」
「でも」
「でもじゃないよ。往生際が悪いぞ、真子。そんなに彼女たちが信じられないかい?」
「そういうわけじゃあ、ないけどさあ……」
「まあ、確かに前橋森越がここまでとは思わなかった。誤算。わたしの下調べが甘かった。一年生たち、自信を失わなければいいな。あの子らは強豪校の名に恥じないしっかりとした技術を持って、しっかりとした戦いをしているんだから。……もしも負けたら、わたしが責任を取るよ」
「おい蕾、もしも負けたらだなんて、そんなにあいつらが信じられないか?」
「真子、それ上手にやり返したつもり?」
「口喧嘩では、やり返すだなんて一生無理だから、せめてこの程度はいわせろ」

 ふん、と荒上真子は鼻で息を吐いた。

 そんな会話を背中で聞きながら、良子は心の中で長いため息をついていた。
 ますます自分が嫌になっていた。自分の都合しか考えていなかった自分が、どうしようもなく嫌になっていた。

 でも、何故かは分からないが、少し気分が楽になっている自分もいた。不安感という空気をみんなで共有しているんだということが分かったから?

 いや、それではない。それで楽になったという気持ちも確かにあるにはあるが、そうではなく、もっと別の……

 分かった……
 花咲主将の、佐原南を思う気持ち、一年生たちを信じる気持ち、プレッシャーではあるけれども、とにかくその気持ちがわたしには嬉しかったんだ。

 そうだよな。主将が信じてくれているんだから、全力でやるだけじゃないか。簡単なこと、どうして逃げていたんだろう。
 仮にもわたしはこの試合の指揮を任されているんだ。
 主将に、先輩たちにすべてを託されているんだ。
 それがこんな様じゃあ、みんなだって不安でたまらないよ。
 こんなわたしでいいのか? いいわけ、ないよね。
 頑張っているつもりではダメなんだ。
 そうだ。
 だから……もう逃げない。
 今日だけでも何回も揺れた自分の感情だけど、もうぶれないぞ。
 負けるもんか。
 自分の弱さに、負けるもんか!

「佐原南ィ! ぜえったいにい、勝つぞおおおおっ! 気持ちで負けるなあああ!」

 良子は腹の底からの大声で叫んでいた。
 それは戦っている仲間を鼓舞すると同時に、心の中で弁解の言葉ばかり考えて頑張ろうとする努力を放棄していた恥ずかしい自分を、宇宙の果てへと吹っ飛ばす叫びでもあった。

     7
「やり方は継続! 集中だけ高めて、恐れず一歩踏み込もう! ベンチのみんなもいつ入っても同じ守備が出来るようによく見ていて!」

 良子は叫ぶ。

 一年生ごときのおこがましい言葉なんかじゃあ、ない。
 わたしだけが出来ること、あるはずだから。
 わたしだけが作り上げられるもの、きっとあるはずだから。
 みんなと一緒だからこそ、わたしにやれることを。

「蹴って! キザ、走れ!」

 良子は拳を振り上げた。
 いばさきゆうは奪ったばかりのボールを、良子の叫びと同時に大きく蹴った。さきさくらが、良子の叫びにどんと背中を突き飛ばされるように走り出した。

 これまで完全に佐原南は畏縮していたこともあって、その攻め上がりは前橋森越の虚を突くものになった。

 桜は守備陣をすり抜けて、後ろを振り返りつつ足を伸ばして、背後からのボールを上手に足先で受けた。
 だが次の瞬間、ごろんと転がっていた。

 6番が、焦り慌てて追いすがり、斜め後ろから身体をぶつけてしまったのである。
 審判が笛を鳴らし、6番に向けてイエローカードを高く掲げた。

「その調子で、何度でも続けていこう!」

 良子は手を叩いた。
 相手にカードが出るよりも、ボールが上手く繋がった方がよほど有難かったけど、だからといってどうしようもない。

 佐原南はFKを得た。
 キッカーはやまざきよしだ。

 軽く助走をつけ、蹴った。
 須賀崎桜が走りながら受けようとするが、前橋森越に後ろから足を入れられ、キックインに逃れられてしまう。

 結局、そのキックインは読まれており、受け手である茨崎悠希が二人に挟み込まれて、あっという間に奪われてしまい、
 結局、また前橋森越のパス回しが始まった。

 時折、佐原南もボールを奪うことに成功するものの、全体的に守備的になっているため、相手を脅かすようなチャンスを作り出すことは出来ず、すぐに奪い取られてしまう。

「シャク、テバの足が止まり始めてる」

 と芦野留美がいうまでもなく、良子も気付いていた。
 茨崎悠希があと一歩を踏み込めずに突破を許してしまうことが増えてきていることを。
 代わりに誰を入れるべきか、考えていたのだ。

「ありがとう、ルミ」

 良子は留美に礼をいうと、大きな声で交代を告げた。
 茨崎悠希と須賀崎桜に代わり、むらたにさくたかがピッチに入った。

 総合的な連係面ではこれまでピッチに立っていたザキ同盟には及ばなかったが、高井真矢が持ち前の器用さで動き回り守備に関して多少は持ち直すことが出来るようになった。

 なおかつ高井真矢と村谷咲美との相性の良さによって、先ほどまでとは違う質の攻めを出せるようになっていた。

 ザキ同盟が前線三人で細かなパス回しをするのに対して、高井真矢はボールキープや後方を使ったパス回しを多用し、意表を突くタイミングでピヴォである村谷咲美へとボールを送る。
 球質も、フットサルらしい素早いグラウンダーであったり、サッカーを思わせるようなハイボールであったり。

 村谷咲美は、子供の頃からずっとサッカーをやっていた。
 長身を生かしたエースストライカーであったが、足元の技術に自信がなく、自身を成長させるために佐原南フットサル部へ入った。
 フットサルは基本足元で繋いでいく球技であるため、咲美もそれなりにボールを蹴る技術は上達した。だがまだ入部から三ヶ月半であり、おぼつかないところも多い。

 だからこそ真矢は、咲美が絶対的な自信を持っているハイボールによるシュートチャンスを作り出そうとしているのだろう。
 そこへ繋げるフェイクとして、色々なボールを咲美や、他の選手へと送っているのだ。

 この二人は中学時代からの親友で、よく二人で練習していること、良子は知っている。
 彼女らをセットで出したことは正解だったようだ。
 二人の相性というだけでなく、高井真矢は上手にピッチを駆け回って全体的な守備負担軽減にも貢献しているからだ。

 あくまで前橋森越が対応するまでの、ほんのわずかな時間だけの輝きなのかも知れない。しかし、ようやく佐原南の攻守の歯車が噛み合い始め回り始め、部員たちの心の暗雲に一筋の光明が差したことに間違いはなかっただろう。

 直後に起きたことは、それ故の油断だったのだろうか。
 油断だったのだろう。

「気をつけて!」

 良子自身このように注意を喚起しながらも、勢いに任せて多少の無茶をすればもっと相手を追い込めるのではないか、点を取れるのではないか、そのような気持ちが胸の奥にあったことは間違いなかった。

 それほど、山崎芳枝から反対サイドにいる高井真矢への長いパスが、強く正確だったのだ。

 ピヴォの村谷美咲が、また先ほどのようなハイボールの上がってくることを信じているような走り出しを見せた。
 だがボールは上がってはこなかった。

 高井真矢が、6番に押されて転倒していたのである。
 故意でなくとも明らかなファールだが、審判には見えない角度からのプッシングであったのか笛は鳴らなかった。

「戻って!」

 前橋森越がボールを持ち、走り出したことに、良子は慌てて叫んだ。

 一瞬、指示が遅れてしまったのは、視界の片隅に倒される高井真矢の姿を捉えて無意識にセルフジャッジをしてしまったためだ。

 ピッチ上の選手たちも、完全に対応が遅れてしまっていた。しかも、一人は転ばされてまだ倒れたままだ。

 6番からのパスが、前を走る津田文江へと繋がってしまった。

 ゴール前で九頭柚葉と一対一になった津田文江は、シュート! と見せて、横へ転がした。

 柚葉がバランスを崩したその一瞬を逃さず、後ろから走り込んだ久野琴絵が右足を振り抜いた。

 ボールがゴールネットに突き刺さった。
 前橋森越の先制点が決まった瞬間であった。

     8
 前橋森越 1-0 佐原南

 前半九分、こうしてついに膠着状態が破られたのである。
 前橋森越にとっては、圧倒的に攻め続けながらも相手の粘りに手を焼いてなんとかもぎ取った価値ある一点。
 佐原南にとっては、圧倒的に攻められながらも耐えに耐えて徐々に流れを掴みかけたその矢先という、なんとも皮肉な失点であった。

 ついに佐原南の堅守をこじ開けたことに、前橋森越のベンチや、観客席の一角からわーっと歓声が上がった。
 ピッチ上でも、ゴールを決めた久野琴絵のもとへみなが集まって喜んでいる。

 前橋森越は、試合を支配しながらもなかなか点の入らないことにどこか不安そうな表情があったのだが、このゴールによってそれは完全に払拭されたようであった。

 この十数年の間に前橋森越は、大会で何度か佐原南と対戦したことがあるのだが、戦績は全戦全敗、それどころか一点すら奪ったことがなかった。このような過去があり、そして迎えたこの試合、圧倒的な戦力差を見せつけた上でついに得点を上げたともなれば、不安一転「断ち切った」と喜びを爆発させるのも無理ないことだろう。

「あたしの……せいだ」

 喜びに抱き合う前橋森越の選手たちを見ながら、ピッチ脇に立つしんどうりようは小さく唇を震わせ、消え入りそうな声を出した。

 流れを掴みかけていたからって、守備意識をおろそかにしてはいけなかったんだ。むしろ、より引き締めるべきだったんだ。
 テバが倒された時に、ファールだと勝手に判断しないですぐ守備に戻らせるべきだった。ジャッジを下すのは審判であることなど、充分に理解していたはずなのに。

 圧倒的に攻め込まれ続けていたとはいえ、結局決められたのは単に油断を突かれての速攻から。
 防げたはずの失点だった。

 わたしが、もっと注意をしていれば。
 しっかりと指示を出してさえいれば。

「ああもうっ! くそっ!」

 ゴレイロのゆずが、床に拳を叩きつけた。
 やまざきよしも、床を踏み付け悔しがっている。
 判定に泣かされたといえ速攻の原因を作ってしまったたかは、ゆっくりと立ち上がるとそのまま申し訳なさそうな顔を下に向けている。
 むらたにさくも。

 みな、自分自身を責めているのだ。
 良子と同様に、自分こそが一番悪いのだと。

 それを見ていて、良子の胸は痛み息が苦しくなった。
 確かに相手は強いけど、でも同点だったのに。わたしがしっかり指示を出していれば、同点のままだったのに。
 わたしのせいで、みんなにこのような気持ちを味あわせてしまって、と。
 情けない気持ちだった。

 ただ、自分のふがいなさへの憤慨心が体内に満ちていくと同時に、なんだか別の気持ちがどこからか沸き上がってくるのも感じていた。
 それは、主将代行を任された責任であったのか。
 さきほど、「絶対にぶれない!」と誓った意思でったのか。
 分からない。

 ただ一つ分かっていることは、もしもわたしがここで折れたりしたら、仲間たち先輩たちに申し訳ないということだ。

 そうだ。
 弱気になってどうする。
 心を折って、諦めて、そんなことしてなんになる。
 ここで、自分が一番悪いだなどと自慢しあってなんになる。
 やらなくちゃ、ダメだろう。悔やんでいる暇があるのなら、精一杯、力の限りに、やれることを、やらなくちゃ。
 みんなと、最後の最後まで諦めずに戦って、絶対に、絶対に、絶対に、勝つんだ。
 だから……

「下を向くな!」

 ここまで大きな声を出したこと、生まれて初めてであったかも知れない。
 小柄な体躯のどこに共鳴をしたのか、凄まじいまでの絶叫が口から飛び出して会場をびりびりと震わせた。
 周囲の者たちが、びくりと肩をすくませた。
 ついに良子が、切れた? と、みな恐る恐るその顔へと視線を向けた。
 そして、みな意外な表情をそこに見た。

 良子は怒ってなどいなかったのである。
 それどころか、まるで子を見る母親のように優しく、柔らかな笑みすら浮かべていたのである。
 微笑を浮かべたまま、ゆっくりと口を開いた。

「試合、まだ終わっていないんだよ」
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