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第十章 タコ! 役立たず! スカタン! 脳無し! 臆病!  ―― 対杉戸商業戦・その2 ――

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 フィクソの選手に代わって入ったしんどうりようであるが、全体をぐるり右へと回転させて右アラに。
 アラであったやまざきよしがフィクソになった。

 早速、こぼれたボールが良子へと転がってきた。
 こぼれたといっても少し速度があり良子の技術では上手におさめることが出来ず、もたついている間に相手に詰め寄られて、タッチに逃れるのが精一杯であった。
 まるで初心者のようなプレーに、観客席から失笑の声が聞こえてきた。

 良子にもはっきりと聞こえたが、別に気にしなかった。自分を恥ずかしいなどとは思わなかった。
 これが実力だと分かっていてピッチに立っているのだから。

 そんな程度の実力で、何故進んでピッチに立ったのか。主将命令だから? そうではない、この試合において自分という個性を生かして、佐原南の勝利に繋げるためだ。

 そのために、自宅から全力疾走して電車に飛び乗り、この埼玉県にある会場までやってきたのだから。

 杉戸商業のキックインでリスタートしたが、パス交換のミスを見逃さずにさきさくらがボールを奪い取った。
 すぐさまパスを出していばさきゆうへと繋げる。

 しかし、相手の少し荒いプレーに悠希はバランスを崩し、奪い返されてしまった。

 佐原南は少し前掛かりになっていたため、広くスペースを使われ一気にボールを運ばれてしまう。

 フィクソの山崎芳枝が食い止めようとするが、一対二という人数不利に突破を許してしまった。

 だが、全力疾走してきた良子が、相手のタッチの少し大きくなったところ真横から駆け抜け掻っ攫っていた。

 いや、掻っ攫ったというのは完全に手中にして初めていえる表現であり、良子はタッチにもたついてボールをおさめることが出来なかった。
 6番に寄られてセーフティにクリアしようとしたが、焦りが出て誤って3番の胸へとパスしてしまった。
 焦りが出ずとも良子の技術、キックミスからこのようになっていた可能性も充分に考えられたが。

 良子は自らの失敗を取り戻そうと、瞬発力を生かして相手へ飛び込んみ進路に立ち塞がった。
 二人はボールを挟んで向かい合った。

 3番が仕掛けるのは早かった。ころとボールを動かした瞬間、迷いなく反対方向へと蹴り、そして良子の脇を一気に抜けようとする。

 だが、抜けなかった。
 良子が素早く横へ動き、突破を阻止したのだ。

 まぐれ。先ほどからの良子の動きの酷さにそう判断したか、3番は慌てることなく再び抜こうと試みた。

 今度は抜き去ることに成功したが、しかし次の瞬間には全力で走り回り込んだ良子に再び進路を阻まれていた。

 3番はなんとか抜こうとするが、良子はまるでスッポンのように食らいついて、なかなか離さなかった。
 別にここを無理して突破する必要もないと判断したか、3番は後ろへと戻した。

「シャク、ナイスファイト!」

 二年生のの声が飛んだ。

 良子がガムシャラに頑張って実力以上の力を発揮した、と取った上で褒めたのかも知れないが、事実は少し違っていた。
 もともと良子の体育の成績は非常に優秀。体力や敏捷性といった身体能力はとても高い。
 精神的に復活したいま、現在の良子の欠点はボールを蹴る技術が絶望的に低いというだけなのだ。

 しかし技術がなかろうとも、体力のある限り相手に食らいついて突破を阻むことくらいは出来る。
 もちろん技術があればなおよいのだろうが、ないのだから仕方がない。その分は奈義先輩が思っている通り、ガムシャラに頑張れば良いのだ。

 その頑張りによって、ピッチ上に目に見える効果が生まれていた。
 ザキ同盟三人の守備意識の高まりであった。

 これまでこの組み合わせで戦う際(といっても部内で上級生を相手に練習した程度だが)、三人はあしに守備やリスク管理を任せっ放しにして、ただ攻めていただけであった。
 が、留美が良子へと代わったとなれば不安が増すのは当然であり、でもその良子が泥臭く必死に守備を頑張っているとなれば、自分たちも攻撃リズムを崩さないようにしつつ守備意識を高く持つよう集中するしかないではないか。

 ゆずが命名したザキ同盟であるが、パス回しの相性が良いだけでなく精神的にも共鳴出来る部分を多く持っているのであろう。
 特に示し合わせたわけでもないというのに、三人が三人ともチームワークを乱すことなく攻守バランスをやや守へとシフトさせていた。
 結果、芦野留美がフィクソであった時よりも、全体的に引き締まった感じになっていた。
 個人能力としては、留美以上の守備力を持つ一年生はいないというのに。

 良子の個人技そのものは、観客席からの笑い声が絶えないほど酷いものであったが、ドリブルやパスシュートだけがフットサルではない。良子は身体を張り相手の攻撃を食い止め続けて、見た目の滑稽さとは裏腹に守備に破綻の生じることはなかった。

「逆転の発想か。やるなあ、良子」

 ピッチ脇でウォーミングアップを続けながら、高木双葉は感心していた。

 その声は、良子の耳に全く届いていなかったが。
 守備に精一杯で余裕がなかったためだが、しかしながら自分のやり方が効果を発揮したことに自信を得たか、心には少しずつ余裕が生まれてきていた。

 自分が守備をしている時は当然ガムシャラかかりっきりになるしかないが、ボールが遠くにある時には周囲の状況を一瞬で判断して攻守両面において的確な指示が出せるようになっていた。

 良子は自分を含め全体を客観的に判断し、

 これなら、考えていたことを試せるかも知れない……

 と、ここで一つの大きな決断を下した。

 みんな、えーーーーって驚くかも知れないけど。きっと、やれるはずだ。

「キザ、ビニ! ダリーとドンと交代!」
「えーーーーーーーーーっ!」

     2
 ピッチ内外、佐原南フットサル部員から驚きの声が爆発したように沸き起こり、杉戸商業の部員たちはその声に驚いてびくりと肩を震わせた。

 先ほど良子が交代で入る時にも驚きの声が上がったが、今度のはその非ではなかった。
 はなさきつぼみ主将以外の全員が、顎が床に突き刺さりそうなほどにあんぐり口を開いてしまっていた。

「あたしなんかでいいの?」

 どんだいようの表情はいつも通りのニコニコ顔であるが、口調はやはり少し驚いているようであった。

だからいいんだ」

 しんどうりようはいたずらっぽく笑みを浮かべた。

 よしはアップをやめ無言で交代ゾーンへ向かい、洋子もニコニコ笑みを浮かべながらも嬉しいような不安なような複雑なオーラを発しながら後に続いた。

 こうしてやまざきよしと、試合開始からずっと走り回っていたさきさくらが下がり、吉田理恵と鈍台洋子がピッチに入ったのである。

 吉田理恵はフィクソ。
 鈍台洋子は、いばさきゆうとポジションチェンジしてピヴォに。

 現在ピッチに立つ佐原南の選手は、
 鈍台洋子、
 新堂良子、
 茨崎悠希、
 吉田理恵、
 九頭柚葉、
 この五人になった。

「おいおい、これほんと大丈夫なんかよ~」

 三年生のなるみやももが、たまらず不安な思いを口にしてしまい、不意に発言のまずさに気づいて口を閉ざした。

 これまで一年生の練習に付き合い続けてきた身としては、不安に思うのも当然であろう。
 そう思う要素が、あまりにも多すぎるからだ。

 大きな要因の一つには、良子は練習でこそザキ同盟の連係に引っ張られることでなんとか形を保つことが出来ていたが、それ以外の組み合わせでの相性はさっぱりであったということ。

 もう一つ大きな要因は、良子と鈍台洋子という、歯に絹着せずいうところの下手くそが、二人同時にピッチに入るということ。

 どちらか一人だけであれば、力の限り守備に走り回ることによってチームワークの不足も個人技の不足も補うことが可能かも知れないが、フットサルはFPの人数がサッカーの半分以外であり、リスクの方が遥かに大きいのではないか。

 加えて、交代するタイミングも問題だ。
 ピッチに立った良子が思いのほか健闘して、ザキ同盟と好連係を築けていたのだ。この試合で一番の良い流れであったともいえるのに、それを何故、と。

 そう疑問に思っているのは、おそらく成宮桃子だけでなくほぼ全員であろう。

 だが良子には、このような選択肢を選んだ確固とした理由があった。確固といっても事実に裏打ちされたものではなく、あくまで感覚的なものでしかなかったが。

 その理由は単純なものである。
 自分とドンちゃん、下手だからこそ馬が合うかも知れない、と。
 そう思ったというより、練習中に肌でそう感じたことが一度ならずあったのだ。

 その時は、自分の精神が病んでどん底に沈んでいた状態であったため、戦略上のオプションになるかもなどと生産的な思考の浮かぶ余地などまったくなかったのだが。

 鈍台洋子は入部時と比べれば別人と見違えるくらい贅肉がしぼれていたが、三ヶ月程度では限度があるというもので、まだまだ明らかな肥満体であった。
 馴れ合いの練習ではそれなりに動けていたが、太っていることに違いなく、良子ほどではないが下手であることも違いなく、実戦でどこまでのことが出来るのかと不安がる佐原南の部員たちであったが……

 部員たちの不安は、すぐに払拭された。

 鈍台洋子はピッチに入るなり、体型からは想像も出来ない素早さでボールを持つ相手へと詰め寄ったのである。

 ボールを持つ杉戸商業7番が、少し慌てながらも気を持ち直し、右に左にと洋子を揺さぶって抜こうとする。

 経験の低い洋子は簡単にフェイントに引っ掛かって抜かれかけたが、咄嗟に足を伸ばしてボールの軌道を変えた。
 転がるボールへと、吉田理恵と3番が、それぞれの方向から駆け寄る。

 半歩の差で理恵が早かった。
 くるり背を向け3番から守りつつ、茨崎悠希へとパスを出した。

「ドンちゃあん、いい守備だったよ!」

 ゴレイロの九頭柚葉が、自陣ゴール前から大きな声を張り上げ両腕を振り親友のプレーを褒めた。

 洋子は振り返ると、むず痒そうな笑みをにやあっと幸せそうな笑みへと変化させた。

 と、そんな洋子の脇を7番がドリブルで駆け抜けていく。

 きっと洋子は、大好きなユズちゃんにプレーを認めてもらえた嬉しさに、試合中であることをすっかり忘れてしまっていたのだろう。

 吉田理恵が慌てたように、自分のマーク相手である9番から外れて7番へと向かう。なんとか蹴り出してタッチに逃れようと、足をぐっと伸ばした。

 7番は冷静だった。ちょこんと蹴って浮かせ吉田理恵の足をかわすと、浮いたボールをさらに真横へ蹴った。

 PAペナルテイエリア一歩手前に、完全フリーである9番が構え、ボールを要求している。
 7番が、9番へ繋ぐために胸でトラップ……する寸前に、ゴール前から飛び出した九頭柚葉がジャンプしながらボールを蹴り、大きくクリアした。

「ふい~」

 なんとか危機を防いだ柚葉は、額の汗を腕で拭った。

「ふいーじゃねえよ! バーカ! ドンが集中切らすようなこというなよ! 親友同士ならそんくらい理解しとけバカユズ! バーカ」

 くちの罵声が飛んだ。

「分かるわけ……ないじゃん……」

 失点も当然といった大ピンチを好判断で救ったというのに先輩の罵詈雑言を浴びて、不満顔の柚葉であった。

     3
「ごめんね、ユズちゃん」

 プレーの切れたタイミングで、どんだいようは後ろを振り向いて謝った。

「気にしない気にしない。のびのびやりゃいいから」

 そんな親友の優しさに、洋子はまたにやあと笑った。
 ただ、いまのピンチを作り出してしまった責任感からか、もう集中を切らすことはなく、上手ではないなりに攻撃においてはなんとかボールをおさめようとし、守備においては相手に食らいついた。

 相手の行動を予測する能力や、足元の技術などは決して褒められたレベルではないが、その肥満した身体からは想像つかないくらいに敏捷性があった。

 以前にたかふたが、その体型はずっと筋トレしていたようなものだと冗談めかしていっていたことがあるが、その通りということだろうか。

 後はその個性がチームワークにおいてどうかという問題であるが、悪くはなかった。
 いや、悪くないどころではない。
 主将代理のしんどうりようが、自分との相性を考えた上で鈍台洋子の投入を決めたことは前述したが、ピッチ上ではその考えが正しいことが段々と証明されつつあった。

 下手なりにガムシャラに走り回る洋子と良子であるが、それに柚葉のコーチングのよさも手伝って少しずつ二人の動きが噛み合うようになって、しいてはチームに噛み合うようになってきていたのである。

 動くことに懸命になるあまり視野が狭くなり、不用意な奪われ方をしてピンチを招くこともあったが、攻めてはこぼれに飛び込んだり、ゴレイロとの一対一を作り出したり、二人とも相手をひやりとさせるような場面を何度も作り出すことが出来ていた。

 良子は、こうして自分と相性の合う者が入ったことで、ピッチ上をより生き生きと躍動出来るようになった。

 ボールを扱う技術そのものは相変わらずの絶望的な酷さではあるものの、それ以外の動き、身体を張った守備や、パスを予測してのカット、相手をかく乱させるような位置取りなどはまったく問題のないレベルであった。良子は、自分の能力を客観的に判断した上で割り切ってプレーをしているのだ。

 一目で分かる次元の低い選手に、気持ちの良いプレーを許してしまっている。杉戸商業側にはそうした苛立ちが生じているのか、除々にプレーが荒っぽくなってきていた。

 良子は12番との競り合いでこぼれサイドラインへと転がっていくボールに、素早く駆け寄った。
 キープやパスを試みようにも自分の能力では変なところへ蹴ってしまいそうだし、確実にキックインを得ておいた方が良いだろうと判断して、ボールに蓋をしようとしたのだ。

 小賢しい真似をとイラついたのか、焦る12番が後ろから追い縋り、良子の肩に手をかけ横に払いながら、足の間に自らの足を突き入れて強引にボールを奪おうとした。

 良子の小柄な身体は、踏ん張ることが出来ずに横倒しに倒れていた。それに12番自身も引っ張られて、二人はもつれるように倒れた。

「うあ!」

 足首をねじくられる激痛が電撃のように脳を貫き、良子はたまらず悲鳴を上げていた。絡み合ったまま倒れたことで、足の筋を捻ってしまったのだ。

 審判は笛を吹くと、イエローカードを取り出し高く掲げた。
 警告を受けた12番は、からまる良子の足から抜け出して、立ち上がった。

 良子は床に横倒しにうずくまったまま、自分の右足を押さえて顔を激しく歪めている。
 どれほどの激痛が彼女を襲っているのか、見ている者も思わず顔をしかめてしまうほどであった。

「良子! 大丈夫か、良子!」

 ピッチの外で、たかふたが必死な形相で叫んでいる。

「良子!」

 何度目の呼び掛けであっただろうか。

「だいじょう、ぶ……なんとも、ないよ」

 良子の顔はまだ痛みに歪んでいたが、それでもなんとか笑みを作ると、床に両手をついて、ゆっくりと立ち上がった。
 右足を軽く持ち上げて、とんとんと床を踏んでみせる。

「良子! 無理はしない方がいいよ。一度交代して、大丈夫ならまた入ればいいんだから」

 芦野留美の声だ。
 少し怒ったような表情に見えるのは、真剣に親友を心配しているのだろう。

「分かった……。確かに、ただでさえ下手くそなのに、足がちょっとでも痛かったら余計に下手くそになっちゃうしね」

 痛みはちょっとどころではなかったのだが、それを隠しそうとぎこちない笑顔を浮かべ、足を引きずらせながら交代ゾーンへと歩き始めた。

「双葉ちゃん、お願い」

 良子はゆっくり歩きながら、高木双葉へと声を掛けた。

「ワラやワラ。双葉やないやろ」

 双葉は笑みを浮かべ、膝の屈伸を始めた。

「気に入らなかったんじゃないの? そのコートネーム」

 最初は双葉という名から取ってブーであったのだが、双葉は先輩に直談判して変更して貰ったのだ。関西弁だから、お笑いのワラだ、と。
 それさえも本当は気に入らないとよく愚痴をこぼしていたので、せめてピッチの外でくらいは本名で呼んであげようと良子は気をつかったのであるが、これは一体どうした心境の変化だろうか。

「しゃーないやろ。決まりなんやから」

 二人はピッチの外と内とを並んで歩きながら、交代ゾーンへと近づいていった。

「それじゃ……ワラ、後は任せたよ」
「おお。精一杯走り回ってくるから、足首にテーピングでもしておとなしく見ときや……シャク」

 二人は真顔でお互いのコートネームを呼ぶ気恥ずかしさに、どちらからともなく笑い出した。

 良子は、数ヶ月前の佐原南高校入学式の日を思い出していた。
 あの時はコートネームでなく本名であったが、やはりお互いの名を呼ぶ恥ずかしさに大笑いをしたのだ。

 双葉は真顔に戻ると、改めて笑みを浮かべ、

「ほな、行ってくるわ」

 ピッチの中へと飛び込んだ。

     4
 右アラと交代をして入ったたかふたであるが、しんどうりようの指示でポジションチェンジ。どんだいようが右アラに、双葉はピヴォに。

 双葉が、早速好機に絡んだ。
 最前線に張るピヴォに預けてそこから展開をするというピヴォ当てと呼ばれる戦術で、双葉は洋子から貰ったパスを上手く捌き、すっとマークをかわし、いばさきゆうを走らせるパスを踵で出したのだ。

 だが少しパスが大きくなってしまった。
 飛び出した杉戸商業ゴレイロに、大きくクリアをされた。

「その調子! どんどん狙ってこう!」

 交代でピッチを出た良子は途中で立ち止まって、手を叩いて選手たちを鼓舞した。

「ほおら、シャク、早く来い! テーピングだ」

 二年生のぐろふえが、パイプ椅子の前で床に膝をついて、良子を見ながらおいでおいでをしている。

「はい、すみません。お願いします」

 良子はゆっくりと歩いて、椅子に座った。

「いいチームに仕上がってんじゃん」

 笛美は良子の右足靴下をするり脱がすと、手にしたテープを伸ばし足首にきつく巻き付けていく。

「ありがとうございます。……ワラ、来てる! ドン、サポート! もっと声出す!」

 椅子に座りながら、突然良子は甲高い声を張り上げた。

「すっげえ声だなあ」

 笛美は楽しげな表情で、自分の耳に人差し指で栓をした。

「すみません」
「謝ることないよ。指示を出すの、すっかりサマになってんじゃん。向いてるんじゃない?」
「いえ、ただ無我夢中なだけで。痛っ!」

 足首の角度を変えられて、良子は思わず悲鳴を上げた。

「ああ、ごめん。痛かった?」
「少し。でも先輩のおかげで、楽になりました。凄いですね、手際が」
「親父が整形外科医なんだよ。サッカー少年団のチームドクターをやってたこともあるらしいね。あたしも包帯の巻き方とか、子供の頃っからよく教えてもらった。フットサルとかそういうんじゃなくて、単にあたしが男の子と遊んで怪我ばかりしてたからなんだけどね。……とりあえず、テーピング終わった。でも無理はするなよ。というか、出なくて済むなら出ない方がいい。多分、腫れるよ、明日」
「はい、ありがとうございます」

 良子は立ち上がると、軽く足を上げて床をとんとんした。

「まったく痛みがないです! 本当に、ありがとうございます」

 良子は深く頭を下げると、ピッチへと向き直った。

 また佐原南がピヴォ当てからチャンスを作り、ゴール近くで相手をかわそうとした茨崎悠紀が転ばされてFKを得たところであった。

     5
「ダリー、交代!」

 ぐろふえのいうサマになってきた大声で、しんどうりようは交代指示を出した。

 よしからあしへ、フィクソ同士が交代ゾーンで入れ代わった。

 良子は、たかふたにはピヴォ当てに限らずもっと様々な攻めのプレーをして欲しいため、前線三人の連係にさえ問題がなければ最後尾に全体の舵取り役として留美を置きたいと考えていたのだ。

 丁度、良い位置でのFKを得たことでもあるし良い交代タイミングだ。留美は一年生の中でもっともキック精度が高いからだ。
 まあキック精度に限らず留美はすべての能力において高く、難があるとすれば俊敏性くらいのものであるが。

「ヤナ、ちょい右!」

 杉戸商業ゴール前では、敵味方が密集。ゴレイロが大声を出して壁の調整をしている。

 あとわずかでペナルティエリアというゴールに近いところ、茨崎悠紀が倒されたところに芦野留美はボールを置き、一呼吸空けると、二歩、三歩と後ろに下がり出す。

 足を止め、密集の中にいる茨崎悠紀に目配せで合図を送ると、助走し、ゴールまで近距離であるというのに豪快に右足を振り抜いていた。

 その瞬間に茨崎悠紀がひらりと身体を半回転させた。胸をかすめ、弾丸のごとき勢いでボールが通り過ぎた。

 ゴール!
 誰もがそう思ったに違いない。

 しかし、直前にゴレイロが右手を当ててかろうじて軌道を変えた。

 あと一センチ内側に当たっていたらゴールに吸い込まれていたのだろうが、ポストに当たって跳ね返ったというのが現実であった。

 茨崎悠紀が集中を切らさず、くるり身体を回転させて足元に転がってきたボールへ反応して蹴り込んだが、これもまたポスト直撃。

 こぼれを杉戸商業の5番、主将の勝山優梨が大きくクリアした。
 クリアボールを追って、3番と芦野留美が全力で走る。

 留美は瞬発力のあるタイプではないが、読みとポジショニングの妙で、ほんのわずかの差で競り勝ってボールに触れた。

 3番が、速度を殺せずどんと留美の背中に衝突すると、そのまま密着状態で留美の身体を押さえつけ、後ろから足を突き出してボールを奪おうとする。

「出していい!」

 ゴレイロの九頭柚葉が叫んだ。
 留美の立つ場所が自陣であるためゴレイロへのバックパスが出来ず、そのため柚葉もフォローに入ることが出来ないのだ。
 だから、前を向けないのならいっそサイドラインに蹴り出して、キックインに逃げてしまった方がいい。と、柚葉は判断し、指示を出したのだ。
 だが、3番はうまく立ち回って留美が蹴り出そうとするのを邪魔する。

「もう一人行った!」

 ピッチ脇から良子が甲高い声を張り上げ注意を促した。

 蹴り出せず、戻せず、前も向けず、奪われぬよう必死にボールキープをする留美であるが、そこへ3番のみならず12番までが来てしまった。
 二人掛かりで挟み込んで奪い取ろうということだろう。

 佐原南、絶体絶命の危機。
 一見するとそうとしか思えないような状況であったが、しかし良子には、留美はこうなることを狙っていたように思えた。

 いや間違いなく狙っていたんだ。
 そう確信したのは次の瞬間であった。

 12番に背を向けるように立った留美は、斜め前から3番の足が伸びてくるより先に踵を使ってボールを後ろへ転がした。
 ボールが12番の股下を通る。ほとんど同時に、くるり反転して12番の脇を抜けていた。

 3番は非常にボール扱いや読みなどに優れた厄介な選手であるが、他の選手たちの実力は並といえる。
 だからきっと、留美は3番以外がこうしてやってくるのを待っていたのだ。単純にそちらの方が抜きやすいし、3番が味方の登場に油断をするという効果もある。

 こうして留美は、いとも簡単に危機を脱することに成功。
 二人もの選手が留美についていた状態であったため、佐原南のピンチはそのままチャンスに変わった。
 これこそが、留美の本当の狙いであったのだろう。

「さすがあ!」

 良子は主将代理という緊張も忘れて、親友の活躍に感動し、笑顔で感心し喜んでいた。

「ワラ!」

 留美は、前へ大きくボールを送った。
 ワラつまり高木双葉へのパスであった。

 双葉は小走りに、するする滑るように伸びてくるボールの軌道に入り、足裏で踏み付けて止めた。

 たたっ、と足音。杉戸商業主将のかつやまゆうが、双葉の正面に立った。

 ここを突破すれば、杉戸商業のFPは一人だけだ。
 だが、双葉がころりとボールを動かすごとに勝山優梨はしっかりと反応して、ボールを簡単には前に運ばせない。

 相手を二人置き去りにしていることから佐原南のこうしたチャンスが生まれているわけであるが、ここで奪われたらまた佐原南が人数不利のピンチに逆戻りだ。
 と、そうしたところが心理に影響したか、双葉は相手の隙をうかがうばかりで抜くことが出来ず、抜こうと試みることすらも出来ず、最終的に選択した行動はフォローに戻った鈍台洋子へのパスであった。

「仕掛けろよ関西女! タコ! 役立たず! スカタン! 脳無し! 臆病! もう、せっかく相手少なかったのに!」

 佐原南ゴール前から、柚葉の怒号怒声が双葉の頭をがすがす殴りつけている。

「そんなボロカスいわんでもええやろ!」

 双葉としてもいいたいところは多々あるのだろう。柚葉の方へと向くと、どんと床を踏み鳴らし、怒鳴った。

「うるせえ! バーカ! 根性無し! へたれ!」
「勝手ぬかすなボケ!」

 そんな二人のやりとりを、ベンチにいる良子は黙って聞いていた。
 ピッチ内で自発的に起きたやりとりは、なるべく止めない方がいいのだ。例え戦術と関係のないことであろうとも。

「熱いねえ」

 良子の隣で須黒笛美が、後輩たちのやりとりを見ながらふふっと笑った。

     6
「あぶねっ!」

 ゆずは、突然打ち込まれた射程の長いシュートに驚きながらも両手で跳ね上げ、落下するボールをキャッチした。

「いまの場合は陣形を逆回転させて、とにかく3番を外へ追い出そう! 練習でも試したやり方だよ!」

 しんどうりようは怒鳴り声を張り上げると、額の汗を拭った。

 危なかった。
 またもや3番、はまほたるという選手によって好機を作られてしまった。

 いばさきゆうの位置が中途半端になったことにより生じたスペースを見逃さずに3番が走り込みながらパスを出し、マークを外してフリーになった9番が受け、寄せられるより前に思い切って狙ってきたのだ。

 柚葉が身体に当ててなんとか難は逃れたが、決まっていても不思議ではなかった。

 一進一退の攻防が続いているとはいえ、現在は明らかに杉戸商業の時間帯であった。

「みんな、リスク管理しっかり! あそこは、テバがすぐ戻らないと! 守備が整ってないから攻撃も出来ない!」

 良子は大声を張り上げ味方へ指示を飛ばしながら、心の中ではどうしようもない罪悪感に襲われていた。

 足を痛めたことでピッチに立てない正当性が出来てよかった。そう思っている自分がいることに、気がついていたからだ。

 でも同時に間違いなく存在しているのは、こんなことでいいのかと自分に憤慨する気持ち。

 二つの思いが、矛盾することなく交錯していた。
 ごまかすため、より大きな声を張り上げ続けている。

 先ほど良子は、自分の技術の低さを認識しながらも覚悟を決めてピッチへと立ち、戦った。その時には、自分にまったく余裕がなかったからこそ開き直って試合を楽しみ、相手へと思い切りぶつかることも出来ていた。
 思いのほか悪くない感触を得たことに若干の余裕が生まれたが、それが逆効果となった。一度ピッチから離れたことで、どっと恐怖心が沸いてしまったのだ。

 現在、試合はスコアレス。
 もしもこちらに一点が入り、そのまま試合終了時間を向かえたとしたら、当然のことではあるが佐原南が勝ち上がって二回戦に進出することになる。
 そうなったら、次に当たるのは……
 間違いなく……

 良子の顔が青ざめていた。
 脳裏に津田文江の顔が浮かび、中学時代の思い出が甦ってしまったのである。

 振り払うように、首をぶんぶんと横に振った。
 さっきみんなに、あんなにかっこつけたこといったばかりだというのに……
 自分の心の弱さが、本当に嫌になる。

「勝負しろよバーーーーカ!」

 九頭柚葉の怒鳴り声に、良子はびくりと肩をすくめた。
 自分のことをいわれている気がしたのである。

 もちろん罵倒の対象は良子ではなく、またもや高木双葉であった。
 先ほどと同様に、留美からのパスを良い位置で受けたはずの双葉が、相手のプレッシャーに怖気づいて戻してしまったからだ。

「やかましい! 出来りゃあやっとるわ! 闇雲に仕掛けて奪われてもしゃあないやろ!」

 双葉のその言葉は百が百、まさしく現在の良子を擁護するための言葉であった。

 そう、出来ればやっているんだ。
 いわれなくたって、分かっているんだよ。
 出来ないから、だから困っているんじゃないか。
 でも……

 それで……いいのか。
 本当に、それでいいのか……

 わたしは、なんのためにここへ来た?
 戦うため。勝つためだろう。

 初戦に勝てば今度は次の相手と当たる。
 そんなこと、当然じゃないか。
 津田先輩と戦うことになる可能性が高い、そんなこと分かっていた。
 分かっていて、来たんだ。

 それなのに、一体なにを躊躇しているんだ。
 嫌なら来なければよかっただろ。
 しっかりしろ、良子!

 良子は自分の心を叱咤すると、両手で自分の頬を思い切り叩いた。

「ワラ、勝負!」

 ほっぺたを押さえながら、まるで絶叫するかのような大きな声を張り上げた。
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