新ブストサル 第二巻

かつたけい

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第八章 勝とうという気持ち  ―― 対白浜高校戦 ――

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     1
 今度はなつとのマッチアップ。
 たけなおは、股抜きで簡単に抜き去ると、一気に速度を上げてゴールへと近づき、シュートを打った。
 ゴール正面、距離三メートルの至近距離。

 しかしシュートは蹴り損ねであった。
 ゆるゆると転がるボールを、なんなくながにキャッチされた。

「ナオ、いいよ。焦らずに、一歩踏み込んで蹴ろうか」

 やまゆうの大声が飛ぶ。

「はい」

 紅白戦を行なっているところである。
 大会まで、もう日も近い。
 相手との対戦を想定しながらも、まだ色々な組み合わせを試しているところだ。

 リスタート。
 永田三水の遠投に、づきが走り込み、足でしっかりトラップした。
 葉月は、すぐさま西にしむらへとパスを出した。

 にょーと奇妙な声をあげてボールを受けると、奈々はドリブルに入った。

 奪おうと、むらかみふみが迫る。

「奈々、小さくこっち!」

 その掛け声の方向、葉月へと、奈々はボールを蹴った。
 でも小さすぎてあまり、ボールが転がらない。自ら追い掛けて、村上史子に奪われる寸前、なんとか間に合って再度小さく蹴った。
 助走が効き過ぎて、ボールが跳ね上がってしまった。

 しかし葉月は、奈々からのそんなパスともなんともいえないボールを、器用に胸でトラップすると、落ちざまに右足合わせてボレーシュート。

 まさか葉月がそんな豪快な技を見せるとは。と、完全にゴレイロたけあきらの意表をつくシュートであり、しっかりと枠を捉えていたが、晶は人並み外れて優れた反射神経で、なんとかボールを弾き出し、CKに逃れた。

「だんだん、いい感じになってきたなあ」

 ピッチの外で腕組みをしている裕子は、満足そうな表情を浮かべた。

 葉月と奈々の、コンビネーションのことである。
 いまのプレーのように、二人だけでチャンスが作れるようになってきた。しかも、いまのプレーのように、相手が予測もしないような事態が起こることが多い。

 葉月が熱心に研究して、真剣に奈々に合わせようとしてくれている、というのももちろん要因としてあるだろう。ただ一番は、先天的な葉月の優しさ、おっとりとした性格にあるのではないか。二人の相性について、裕子はそう考えている。

 CKであるが、葉月が蹴った。
 フットサルらしい、グラウンダーのボールだ。

 飛び込んだ奈々が、奇声を発しながら右足を合わせたが、ジャストミートせず思い切り打ち上げてしまった。

 だが、クロスバーに当たり、跳ね上がって戻ってくる。

 ふかやまほのかがいち早く反応して、ヘディングシュート。

 晶がパンチングで弾くが、こぼれをなつからほのかへと素早く繋がれて、ねじ込まれるところであったが、寸前、直子が大きくクリアした。

「危なかったよ。いまの失点してておかしくなかった。集中して! 晶も、処理をはっきり!」

 裕子は怒鳴った。

「そう、ムダ毛の処理ばかり真剣にやってんじゃない!」

 ほしいくが、裕子のすぐ隣で野太い声を張り上げた。
 もちろん冗談でいっているのだろうが、このごつい顔とごつい声でいわれると冗談に思えない。

「うるせーな、アゴ! 黙ってろ!」

 裕子は、アゴこと星田育美の顎をペチンとはたいたが、しかしその直後、ぷふっと吹き出してしまった。
 くく、とお腹をおさえて苦しそう楽しそう。
 晶のムダ毛処理というのが、ツボにはまってしまったのである。

 いかんいかん、真面目にやらないと。

 裕子は気を引き締め直した。
 大会に備えて、主に高めていきたいのはチーム力であるが、今日はちょっと個人個人のプレーに注目して見ている。

 直子の動きが、今日はやけに冴えていることに気付き、そこから、改めて選手たちの個人技にも注意してみようと思ったのだ。

 今日注意して見た限り、一年生の中でなかなか良い動きをするのは武田直子、星田育美、村上史子の三人だ。

 組み合わせを変えればギクシャクするところもあるだろうし、紅白戦の内容や結果だけで個人の質を決められるものではないが、それでも見たところ一番悪いのがかなめであった。
 部の中で一番フットサル経験が長く、誰よりも優れた個人技を持っていたはずなのに。

 動き出しも悪ければ、動いてもその質が悪い。
 いくやまさとどころか、きぬがさはるしのにさえも簡単にボールを奪われている始末である。

 なにかあったのだろうか。
 心なしか、表情も元気がなさそうにも見える。まあ、彼女は元から明るい方ではないのだが。

「カナ、どうした~。元気ないよ~」

 セットプレーの際に、春奈は久慈要へと近寄って、額に手を当てた。

「熱はないかなあ。……どうかしたの?」
「なんでもないです」
「そう? ならいいけど。なんかあるんなら、相談してよね」
「はい。有難うございます」

 久慈要は硬い表情のまま、軽く頭を下げた。

     2
 まあ、そう見えるだろうな。春奈先輩だけじゃなく、誰が見たって。
 元気がないことなど、自分でも分かっている。
 どうしようもないんだ。
 でも……

 かなめは、相手FKに備えて守備につくたけなおの顔へと、ちらり視線を向けた。
 真剣そうな、集中している、でもどこか楽しげな表情だ。

 先日の暴力事件により、心身に深い傷を受けた直子であるが、ここ数日で、目に見えて立ち直ってきたように見える。
 でも、あれだけ辛い目にあった記憶を、簡単に忘れられるものではない。
 相変わらず、ときおり気の抜けたようなプレーをしたり、しゃがみ込んで辛そうにしていることがある。

 でも、ナオ、自分と戦っている。
 練習に集中することで、練習を必死に頑張ることで、嫌な記憶を追い払おうとしている。

 それに比べたら、わたしの悩み、苦しみなんか、たいしたことない。
 しっかり、しないと。

 久慈要は、自分の心に気合いを入れた。
 その効果かは分からないが、このFKから久慈要が得点した。
 相手のクリアミスを逃さず、ボレーシュートを叩き込んだのだ。

 だからといって、どんよりした気持ちが晴れるわけではなかったが。

     3
 紅白戦が終わるとやまゆうは、自分の周りに部員全員を集めた。

「それじゃ、大会の登録メンバーを発表しまーす」

 折りたたんでいた紙を広げた。

「いきなりかよ」

 いくやまさとが突っ込むが、裕子は全然気にもとめず、

「まずゴレイロね。あきらと、それと……」

 なしもとさきの顔に緊張の色が走った。
 登録メンバー上限は十二人。
 ゴレイロの選手は、たけあきら、梨本咲、なが、と三人いるが、三人とも選ばれることなど常識的に考えられず、つまり残る枠は一つだからだ。

「咲」

 よしっ、と思わずガッツポーズ。思わず笑みがこぼれた。
 里子にじーっと見られているのに気付くと、慌ててすました顔を作り、小さく咳払い。

「FPが、あたし、はるちゃん、しげ、変態さとづき、一年からも選んでナオ、カナ、アゴ、そんで最後の一人がぁ」

 今度は一年生たちの間にぴりぴりとした空気が流れた。発表の順からして、最後に呼ばれるのも一年生であろうから。



 ええーっ、と何人かから、驚きとも不満とも取れる声が上がった。

「王子先輩、どういうことですか?」

 むらかみふみの、見るからに納得いかないといった表情。最近奈々と仲良く練習している史子であるが、それとこれとは話が別ということだろう。

「なにが? って、まあ、奈々のことだろ」
「そうですよ。奈々には失礼かも知れないけど、残りの一年の中で奈々より劣る者がいるとも思えません。中学からの経験者ばかりだし。それに奈々は」
「それに、なんだ?」

 裕子は普段通りの平然とした表情で、史子の顔を見つめた。

「ええと、その、奈々、たまに、ルール間違えるし」

 本当は、違う言葉が出かかっていたのだろう。
 史子は、小さくため息をついた。裕子がワンクッション入れたため、とんでもないことをつい口走ってしまわずに済んだという、安堵のため息だろう。

「残念だけど、どのみち他の一年は、今回は出番なかったよ。だってあたし、ハナと迷ったんだもん」
「ええっ、そうだったんですかぁ?」

 素っ頓狂な声をあげたのは、いわれた当人である二年生のかじはなであった。

「それじゃあ奈々には、あたしの分までしっかりやってもらわないとな。奈々、頑張ってよね」

 花香は奈々に向けてすっと右腕を突き出し、握手を求めた。

 奈々は、メンバーに選ばれたことも、そのことがこの場にどんな空気を作ってしまったかも、まるで理解していないようであったが、とりあえず、ハナちんの手を握ってにっこりと笑った。

 おそらくは、花香の機転だったのであろう。
 裕子が糾弾されそうな、この場を収めようという。

 実際、上級生である花香本人が奈々との出場権争いに敗れたことをあっさり受け入れ、あまつさえ奈々を応援したものだから、騒ぎの目は騒ぎに至らず、あっという間に収束するしかなかった。

「それじゃあ一年ども、登録メンバーのことは、これでいいね」

 淡々という裕子。
 もちろん一年生たちは釈然としない様子ではあったが、

「返事は!」
「はい!」

 強制的に大声をあげさせると、裕子はにっと笑みを浮かべた。

 こんな淡々とした態度を取ってはいるものの、裕子には、実はちょっと後ろ暗い気持ちがある。
 奈々を選んだこと、これは、はっきりいって私情だ。ということである。

 史子のいう通り、奈々より優れている者などいくらでもいるし、むしろ劣っている者は一人もいないだろう。
 そうであればこそ、その私情で周囲に迷惑をかけないよう、前もって葉月に頼んでおいたのだ
 。奈々の癖を理解し、フォローをして貰おうと。

 大差でリードしている時くらいしか奈々を出すつもりはない。
 だからといって、戦力にならない選手をそうと知って出すのは、選ばれなかった部員にも、対戦相手にも失礼だ。
 だから、奈々を充分な戦力にするため、葉月に協力してもらったし、奈々にも居残り練習をしてもらったのである。

 そんなことを考えるというそれ自体が、既に奈々や、他のみんなに対して失礼なのかもしれないが。

     4
「確か、こっちだと、思うんだけど……」

 先頭に立つたけあきらは、記憶を頼りに歩くものの、不安の色は隠せなかった。

 といっても、元々が感情の変化を顔に出さないタイプなので、見る者が見ないと不安の色など読み取れないだろうが。

「ほんとに間違いないのかあ? 思うじゃ困るんだよ、思うじゃ。あーあ、結局、晶も頼りにならないなあ。去年はさあ、あたしのことを散々にいってたくせにねえ。ああ、遅れたらどうしよう。大事な大会だってのにい。どうしよう、どんどん時間が迫ってきてるよお」

 やまゆうは、何故だかちょっと楽しそうであった。

 現在向かっている先は、千葉県さら市の国立木更津多目的体育館。通称、木更津ツインアリーナである。
 そこで開催されるフットサル大会に、参加するのためだ。

 大会登録メンバーの十二人だけでなく、部員全員が一緒に来ている。

「うるさいな。黙っててよ、もう。間違ってて変なとこに行っちゃったら、そん時に文句いえばいいだろ!」
「お、晶、テンパってるテンパってる。鉄仮面みたいな顔が崩れるぞお」
「うるさい!」

 目的地の場所が記憶の通りであるならば、特に時間のロスもないはずであるが。

 少し余裕を持って出たとはいえ、もしも記憶が間違っていたら、間に合うのかどうか分からない。

 今回、会場までの道案内は晶が担当。彼女自ら、その役を買って出たのである。

 山野裕子は以前の大会で、部長ということで道案内を引き受けたものの、なんの役にもたたずに大顰蹙をかったことがある。
 その時は、他校出場生の後をついて行ってなんとか事なきをえたのであるが、それ以来、裕子の地理感覚や道案内に関する常識感において、誰からも信頼されなくなってしまった。
 ということがあり、だから今回は、晶がすすんで役を買って出たのである。
 小学生の頃、空手の大会に参加するため、訪れたこともあるので。千葉県に転校して間もない頃だったので一緒に行く仲間もおらず、一人で地図を片手に。

 結局、このようなことになってしまっているが。

 理由はある。
 地図がなくなってしまったのだ。

 今回、改めて地図を見ながら、小学生の頃の記憶も頼りに道案内をしようと思っていたのだが、バッグにしっかり入れておいたはずの地図のコピーが、別の町の地図だったのである。

 確かに木更津駅周辺の地図を入れたはずだ。
 岡山県だなんて、こんなまるで関係ない土地の地図など、持ってくるはずないどころか、そもそも間違えてコピーするはずがないだろう。

 と、弁明しようにも、その都度、裕子がブブゼラのようなブーイングをしてくるので、晶はいいわけをやめた。要はゆとりを持って、時間内に辿り着けばいいのだろう。

 しかし、この岡山県の地図、まるで違う場所だというのに、なんだかこの辺りの土地の作りと合致しているところが多く、大きな体育館もあるし、駅の名前で別の土地だと気付かなかったら、とんでもない場所へ行ってしまうところだった。

 誰かの悪質な悪戯なのか、それとも、記憶にある地形と似ているものだから、ついうっかり自分がコピーしてしまったのだろうか。

 岡山県立カブト東体育館。
 この名前、ふざけているのだか真面目なのだか。

 現在の晶のイラついた精神状態では、ふざけているとしか思えなかった。

「大丈夫。大丈夫だ。あたしその会場に行ったことあるんだから。泊まるホテルは駅そばで分かりやすいからいいけど、競技場は確か結構歩くんだよね。不親切なことに、バスも全然通ってないし。でも、みんなの財布を考えると、おいそれとタクシーなんか使えないしね。ああ、そういや、会場の近く、馬券売り場があってさあ、ガラが悪かったなあ。まだあるのか知らないけど」

 誰にいうでもなく、ぶつぶつと呟いている晶。

「晶が無駄口を叩くなんて、やっぱりテンパってんじゃん」

 また、裕子がからかった。

「だから、テンパってないから! ゴリ先生は木更津ツインアリーナへの行き方、知りません?」

 振り返り、一番後ろをついてきているゴリ先生へと尋ねた。

「はあ、そういうことは、全部お前らに任せちゃってるからな。知らんわ」

 即答だ。場所を推測するつもりもないようだ。

「役に立たないなあ。オジイ時代と変わらないじゃん。……重いよお」

 しのは、両手にバッグを持っている。真砂まさごしげとのジャンケンに負けたので、あと電柱五本分、このまま歩かないとならないのだ。

「顧問は道案内じゃねえぞ。ほら、探して歩け歩け」

 本当に役に立たない、ガラの悪いだけの教師であった。

 こんなようなオヤジがどんどん増えてきたら、近づいてるってことかもな。競馬新聞なんか手にしてるようなのがさ。
 しかしほんと地図どうしたんだろう。
 わたしが間違えちゃったのかなあ。
 間に合わなかったら、どうしよう。
 タクシー拾って、自腹で行くしかないかなあ。

 などと晶が心にぶつぶつ呟いていたところ、問題は突然解決した。

「その会場で試合をするかも知れない、ということがあったんですが、現地集合だったんで、自分で行こうとして、地図を見たことがあります。結局その前に負けちゃったので実際には来てないし、もう何年も前なんで、記憶が曖昧かも知れませんが」

 天の雲間から荒海に助け舟を差し伸べてくれた女神は、かなめであった。

 彼女のその時の記憶と、晶の記憶とを、付き合わせて歩いてみたところ、ようやく建物の屋根が見えた。

 結局、晶の記憶はまったく間違っていなかった。
 晶の額からどどっと冷や汗、口からは安堵のため息が噴出した。

「おっ疲れえ、晶ちゃあん、おでこのデンプンふいてあげるう」

 裕子はポケットからハンカチを出すと、晶の額を拭いた。

「いいよ。っていうかデンプンじゃない! 汗でんがな」
「でんがな?」

 きょとんとする裕子。

 後ろで直子が、ぷっと吹き出した。

「違う、なんでもない」

 つい出ちゃったよ、この間の漫才。
 恥ずかしいな、もう。

「違う、ってなんだよ? わけ分かんないやつだなあ。まあいいけどお」

 くるりターンした裕子の足元で、ぽとりカサリと音がした。
 気付かず行こうとする裕子に、

「あのー、王子先輩、いま、ポケットからこんなのが落ちましたよ」

 ながが、呼び止めた。
 彼女は、なにか紙切れを手にしている。
 折りたたんだコピー用紙のようだ。

「なんですか、これ」
「ありがと! なんでもない! ありがとミミ!」

 と、強引に引ったくって、自分のポケットに無造作に突っ込もうとする。

「王子、それちょっと見せて」

 その様子を見て、思い切り怪訝そうな顔になった晶。
 思い切り、といっても、慣れない人から見ればごくごく微妙な表情筋の変化でしかないだろうが、そんな者はここにいないみんな慣れている。つまり全員が、晶がなにか察したことに気付き裕子へと疑惑の目を向けていた。

「ダメ!」

 裕子は、慌てて抱き込んで、紙を自分の胸に隠そうとする。

「怪しいな。見せろ!」
「キャーー!」
「女の子みたいな声を出すな」
「やだよお。そう、ラブレター、これラブレターの下書きだから」
「だったらなおさら見せろ」
「やなこったわはははは!」

 身もだえして笑い出す裕子。
 いくやまさとが、背後から脇腹をくすぐったのだ。

 その隙に、晶に紙切れを奪い取られてしまった。
 四つ折りにされた紙切れを広げてみると、果たしてそれは、やはりというべきか、ここの周辺地図のコピー、晶が持ってきたはずと主張していたものであった。

「やっぱり王子か、地図をすり替えたのは! よくもまあこんな紛らわしい地形の地図を見つけたもんだよ」

 晶は、岡山県の地図コピーを広げると、両手で掴み引き裂いた。

「いや、落ちてたのを拾っただけだよ」

 この期におよんで、いい逃れをする裕子。

「そんな理由なら、黙ってずっと持ってたのおかしいだろ。前に道案内のことでみんなに目茶苦茶に文句いわれたから、それでだろ」
「はいはい、まさしくその通りでーす」

 佐原南高校女子フットサル部の部長様は、けろりとした表情で、自らの悪事を認めた。

「ひっでえこいつ。完全に居直ったよ」

 血の気が引いたような晶の顔。

「王子、ちょっとやりすぎだよお」

 はるは、こればかりはどうにもフォローのしようがない、と引きつった苦笑をしている。

「ほんと、人でなしだよな。晶先輩が焦ってるの、心から楽しんでたんでしょ? 畜生っていうの? こういうの」

 里子は、蔑みの視線を容赦なく裕子へぶつけた。

「これから大事な大会だっていうのに、先輩……」

 ふかやまほのか。

「最低部長」

 きしもり

「クズが」

 ほしいく。地面にべっと唾を吐いた。

「信じられない」

 つじ

「呆れてものもいえない」

 なつ

「死んで生まれ変わったほうがいいと思います」

 なが

「去年、成田に試合を観に行かなきゃよかった。って気になってきました」

 むらかみふみ

 一年生にまで、微塵の容赦もなくボロボロにいわれまくる裕子。

「うるせえええ! 留年して来年も部長やるぞ!」

 自分が悪いくせに、やはりというべきか、ブチ切れた。

「お前、冗談抜きで、そうなりそうなんだがな」

 ゴリ先生のカウンターパンチに、裕子は亀のように首を縮めた。

「分かってますよ、引退したら、百倍真面目に勉強しますよ。それでいいんでしょ」
「ゼロに百をかけたってゼロだろ」

 晶が間髪入れずに突っ込んだ。

 裕子は、おおおおと絶叫しながら、晶のジャージズボンに手をかけて足元まですとーんと引きずりおろしていた。

 ピンクのクマが描かれた可愛らしい下着が、みんなの前で、しかも外だというのにあらわになってしまった。

「ああああ! なにすんだよ!」

 晶は腰をかがめながら、ズボンを上げようとする。

「公然猥褻で逮捕されろ!」

 裕子はなおも食らい付き、上げさせまいとするどころか下着までずり下ろそうとする。

「逮捕されるのはお前だバカ! やめろって。スケベ親父か! って、おい、なんで奈々まで一緒になってんだよ! やめろ! ほんとやめて! やめてーーっ!」

 珍しく、まるで女子のような甲高い悲鳴をあげる晶であった。

     5
 歩く道筋が正しいかどうかが不安であったというだけで、結局のところ間違ってはいなかったため、当初の予定とさほど変わることなく、開会式の一時間前に会場であるさらツインアリーナ、正式名称国立木更津多目的体育館に到着した。

 建物の中に入ると、既に到着している高校もいくつかあるようで、それなりに賑やかであった。
 参加校が、なんと三十二もあるのだから、当然だろう。

 大会当日だというのにまだ熱く戦術について意見を戦わせている者たちもいれば、全員で座り込んで無言のまま壁に寄り掛かっているなんとも不気味な者たちも。

 やまゆうは、今日の予選で当たることになる高校を発見した。

 学校の体操服姿のようで上は白い無地のTシャツだが、足元のバッグには大きく校名が書かれている。
 かしわふなぼり女子高等学校。

 裕子は、なんとなくかなめへと視線を向けた。
 以前に、この対戦相手の一人を気にしているようなそぶりを見せたことがあるからだ。

 久慈要の表情が、わずかに変化した。
 ほんの少しであったが、目を見開き、ほんの一瞬ではあったが、なにかを躊躇うような、そんな、表情であった。
 すぐ元に戻ったが、身体は完全に硬直してしまっているようで、真っ直ぐ前方を見据えたままぴくりとも動かなかった。

 柏船堀女子の一人が、こちらを見たかと思うと、すっと立ち上がり、近寄ってきた。
 久慈要へと。
 百七十はあるだろうか。小柄な久慈要と相対すると、ひと際大きく見える。

「久しぶりだね、カナちゃん」

 薄く、笑みを浮かべた。

「久しぶり」

 消え入りそうな小さな声で、久慈要は応じた。

「カナちゃん逃げ出しちゃうからさあ、崩れたチームをまとめるのに苦労したよ。カナちゃんにいってもしょうがないか。逃げちゃったんだから、もう関係ないもんね。ええと、この大会ではさ、あたしたち、対戦するんだよね。うちら弱小校だし、まあそっちが勝つんじゃない? でもね、あたしカナちゃんには負けないよ。格の違いに、たっぷりと敗北感を味あわせてあげるから。それじゃあね」

 くるりと踵をかえすと、仲間たちのもとへと戻っていった。

「カナ、あれってもしかして」

 裕子は、久慈要の背後に立ち、肩越しにいまの子の後ろ姿を見ている。

「はい、あれがむくしまよしです。あたしが退会したクラブにいた子です」
「そうか」

 性格悪そうな奴だな、とは思わなかった。
 態度の悪さがあまりに演技めいていたからだ。

 さて、こうしている間にも、出場校がどんどん集まってくる。
 会場内は、いつしか相当な人数になってきていた。
 三十二チーム分、登録選手だけでも四百人近くになるのだから。
 関係者を含めると、六百人以上はいるのではないだろうか。

 建物自体はわらみなみ高校の体育館より一回りほど大きいものの、ここの半分は客席であるため、これだけの人数が床上に集まるともうほとんど隙間がないほどであった。

 ふかやまほのかやかじはななど、試合に出場しない部員たちは、他校に倣って、とりあえず二階客席へと移動した。

 それからしばらくして、開会式が始まった。
 といっても、大会主催者が短い挨拶をするだけの簡単なものだ。

「……ですので、悔いの残らないよう頑張ってください」

 ギガモードスポーツクラブ代表取締役社長、たんみちひこ。頭のつるりと禿げ上がった、恰幅の良い初老の男性である。

「はーい頑張りまーす!」

 西にしむらが、両手をぶんぶんと振った。

 粛々としていた会場が、突如ざわついた。
 当然、会場はざわつき、みんなの視線が奈々へと集中する。

「あたしも頑張りまーす!」

 裕子も叫び、ぴょんぴょんと跳びはねた。

「ええっと、それじゃあ、あたしもー」

 たけなおも、裕子の真似をして跳びはねた。

 ここまでくるとさすがにというべきか、会場中に嫌味のない純粋な笑いが起きた。

「……面白い人たちですね。でも、そういう楽しむという気持ちを忘れずに、熱く、戦って下さい」

 丹波社長は、最初ちょっと面食らったようだったが、上手く話をまとめて挨拶を終えた。

「凄いな、王子は」

 誰にも聞こえないような小声で、たけあきらは呟いていた。

 知的障害者である奈々を、無駄な好奇の視線に晒させまいとする機転に感心したのであろう。
 自分にはあんな真似、思いつかないし、思いついたとしても、恥ずかしくて無理だ、と感心したのであろう。

     6
 開会式が終わると、会場の人数が一気に減った。

 半数が、隣の会場に移動したためである。
 ツインアリーナの名の通り、この敷地の中には二つの体育館があるのだ。

 また、試合時間が当分こない学校の者たちが、客席や、他の場所へと移動したためでもある。

 とにかく床の色も分からないほどだったのが、あっという間にガラガラになった。

 わらみなみの部員たちは、ストレッチを開始した。

 今日の第一試合であるが、こちらの会場でのファーストゲームであるため開始までもう三十分もない。

 裕子は、去年からブラジル体操という動的ストレッチを取り入れている。踊りのようにリズミカルな運動をしながら、身体の稼動域を広げて、ほぐしていくものである。
 他にやっている者を見たことがないし、もっと効果の高い現代的な方法もあるような気がするが、裕子としてはこのストレッチが一番テンションが高まるので気に入っている。動的だから、ウオーミングアップにも丁度いいし。

「今日は、葉月のお父さん来るのかな」

 身体を動かしながら、裕子が尋ねた。

 一、二、三、四、五、六、七、八、
 一、二、三、四、五、六、七、八

 他の部員たちも、先頭の裕子同様リズムに合わせて足を交互に回しながら上げ、前進している。
 二年三年はすっかり慣れっこになっているので、そんな動きをしながらも、ちょこちょこっとした雑談を平然とこなしている。

「今日明日は、無理だと思います。パートの人が急に来られなくなっちゃったらしいので」

 づきは、答えた。

「なんだ、残念」

 葉月の父であるゆうすけは、機会さえあればまず娘の応援に駆け付けてくるのである。
 ベンチ外と分かっていようとも、やはり出没して太鼓叩いて娘の名を第絶叫系で連呼していたこともある。

 動的ストレッチが終了した後は、みんなで輪になって並び、今度は静的ストレッチを開始だ。
 しこを踏むような体制でぐーっと股関節を伸ばしたり、片膝立ちして後足を伸ばしたり。

 続いては、四人づつ三グループに分かれてボールを使ってパスの練習。
 などとやっていると、

「第一試合、しらはま高校とわらみなみ高校の人たちは、準備をお願いします」

 館内に設置されたスピーカーから、女性の声でアナウンスが流れた。
 臨時アルバイトなのか体育館の職員なのかは分からないが、声が少したどたどしい。

 今日はここと、隣と、二つの体育館を使って、四つのグループリーグに分かれての予選が行われる。
 一グループ四チームだ。
 グループ内で、それぞれ総当たり三試合を行ない、上位二チームが明日行われる決勝ラウンドに進むことが出来る。

 決勝ラウンドは十六チームによるトーナメント戦。
 四試合すべて勝利したチームが優勝だ。

 この大会の参加条件は、過去二年以内の大会にて地区二位以上の成績を収めていること。

 従って、参加しているどの高校も、それなり以上に強いということになる。
 初戦から決勝まで、まるで優勝をかけた大一番かのような息を抜く暇もない熾烈な戦いの連続になるという、そんな可能性だって充分にあるのだ。

 疲労もあるから、そういう試合にはならずもっと楽に勝てた方がいいのだろうけど、まあ、そうなったらそうなったで、燃え上がる戦意で一気に勝ち進んでやる。

 裕子は決意を胸に、ぎゅっと拳を握った。

 白浜高校と佐原南高校、両校の登録メンバー全員がピッチ内中央で向かい合ってならんだ。

「正々堂々全力で戦いましょう! よろしくお願いします」

 白浜高校の主将であるはるが、元気のよい大声を出した。

「よろしくお願いします!」

 裕子が返すと、両校の残り全員が続き、声を張り上げた。
 両チームは、ばらばらになった。

 白浜高校が早速と円陣を組む。

 わずかに遅れて、佐原南高校も円陣を組んだ。
 登録メンバーの十二人、
 やまゆう
 たけあきら
 きぬがさはる
 しの
 真砂まさごしげ
 いくやまさと
 づき
 なしもとさき
 かなめ
 たけなお
 西にしむら
 ほしいく、この十二人で。

 裕子は、全員の顔を見回した。
 腰をぐっと低く落とし、そして叫んだ。

「佐原南、勝つぞ!」
「おう!」
ぜんこんぜんそう!」
「おう!」

 みな、力の限りの、叫び声をあげ、円陣を解いた。

 先発である山野裕子、衣笠春奈、真砂茂美、生山里子、武田晶、この五人以外はベンチへと下がった。

 ベンチといっても立派なものではなく、パイプ椅子を並べただけの簡易的なものだ。

 ふかやまほのか、かじはなといった登録外メンバーは、会場が狭いため一時的に客席に退避していたが、もう戻って来ており、ベンチ横の床に体育座りをしている。

「先輩たちと、アゴカナ奈々ナオ頑張れ~」
「ファイトー」

 深山ほのかとなつが、早速声援を飛ばしている。

「佐原南、絶対優勝だあああ!」

 つじが加わって、やかましいくらいになった。

 第一審判がセンターサークルにボールを置いた。

 それぞれの主将を呼んで、目の前でコイントス。
 佐原南高校が自陣となるサイドを決めて、白浜高校が前半戦キックオフのボールを蹴る権利を得た。

 先発選手である十人は、ピッチ上に散らばり、それぞれの位置についた。

 コートをぐるりと取り囲んでいる二階三階の観客席は、まばらに埋まっている。
 ほとんどが、まだ試合のない他校の選手、またはその関係者である。
 一般に開放しているため、選手の家族、または全く関係のない、ただこの近場に住んでいるだけという者もいるだろう。

 そのような観客に囲まれたピッチ内で、裕子は、膝の屈伸をしている。

 ちら、と生山里子の顔を見る。
 視線に気付いた里子は、小さくガッツポーズ。自信満々の笑みを浮かべた。

 裕子は、続いて衣笠春奈の顔を見る。
 どこ見ているのかぼけーっとした表情であったが、裕子の視線に気付くとにっこりと微笑んだ。

 武田晶の顔を見る。
 相変わらずふてぶてしい、殴りたくなるような憎たらしい顔だ。

 真砂茂美の顔を見る。
 無口だし、当たりに強いから勝手にごついイメージを抱いていたけれど、あらためて見ると、意外と顔立ち可愛いな。と、どうでもいいことを思った。

 ピッチの外にいる、西村奈々の顔を見た。
 その視線に奈々は気付き、二人は見つめ合った。

 奈々が笑顔で、ゆっくりと口を開き、何かいいかけた時、
 笛の音が鳴った。

 キックオフ。
 白浜高校の選手が、ボールを蹴った。

     7
 やまゆうは、いくやまさとからのパスを受けた。
 速いが、しかし受け手が受けやすい優しいパスであった。

 里子は、元々非常に高い個人技を持っていたが、チームプレーがどうにも苦手だった。しかしここ最近、どんどんチームに溶け込んできている。

 技術が向上したというよりは、性格が変わってきているのかも知れないな。
 裕子は、そう思っている。
 自分自分ではなく、みんなを考えられるようになってきているのだ。

 とにかくそのような速く優しいパスを前線で受けた裕子、正面にはもう相手ゴレイロのはるだけである。ここは打ち時狙い時。そう考える間すらなく、脊髄反射的に足を振り抜いていた。

 しかし、裕子の足はただ空気を蹴っただけだった。
 視界が、一瞬にして反転した。
 ごと、と肩から床に落ちた。
 激痛にそれどころでなかったが、ピッと笛の音が鳴った。

 痛みに顔を歪める裕子の、眼前に相手選手の足があった。見上げると、ベッキのでらあいであった。

 吹かれた笛は、彼女に対してのものだ。
 シュートを打たせじと慌ててボールをクリアしようとしたのはいいが、裕子に足をつっかけて一回転させてしまったのである。

 審判は、イエローカードを高く掲げた。
 小野寺愛に向けられたものである。

 まだ倒れて起き上がれずにいる裕子の元へ、里子が近づいてきた。手を伸ばしてきたので、裕子も反射的に手を差し出したが、ぱちんと弾かれた。

「だらしないなあ、あんな程度で倒れないで下さいよ。あれ、蹴ってれば絶対入ってましたよ」

 前言撤回。やっぱり、性格変わってない。

「お前だって、決定的なのを何度も外しているじゃんかよ」
「だって守備ムチャクチャ堅いんだもの」

 ったく、人にばかり厳しいこと要求しやがって。後輩のくせに。
 それはともかく、里子のいう通り、なかなか得点が出来ないのは仕方がない。相手の守備力が、予想を遥かに越えて堅いからだ。
 だからこそのセットプレー。このファールによって、わらみなみは第二PKを得た。

 キッカーはきぬがさはるである。
 春奈は第二ペナルティマークにボールをそっと置くと立ち上がり、審判の笛を待つ。

 第二PKとは、サッカーにはない、フットサル独自のルールの一つである。
 通常よりも少し離れた位置からのPKだ。壁のない、定位置からの直接FKと表現しても間違いではないだろう。

 直接FKの対象となるファールは、前半後半それぞれ六つ目から、相手にこの第二PKが与えられることになる。

 第二PKにせずに、ファールを受けた場所からのFKを選んでも良い。与えられた側が、距離や角度、状況を考えて、どちらにするか選択をするのである。

 笛が鳴った。
 春奈は短く助走し、蹴った。

 いい音が鳴った。
 春奈の右足が、ボールの芯をしっかり捉えたのだ。

 打ち出されたボールは、ぐんと伸び、ゴールへと襲い掛かる。

 上の隅へ突き刺さらんという紙一重のタイミングで、主将でありゴレイロであるはるがなんとか手を当てて弾いた。

 落ちてくるボールに対し、生山里子がねじ込もうと詰め寄った。

 だが五三木春香が先にボールに飛びつき、ゴールを死守。わらみなみの得点には、ならなかった。

     8
 ギガモードスポーツクラブフットサル大会。
 国立さら多目的体育館、通称木更津ツインアリーナの、西館で行われている本日の第一試合である。

 佐原南の対戦相手は、千葉県立しらはま高校。千葉県の最南端、みなみぼうそう市にある学校だ。

 それぞれのユニフォームの色であるが、白浜高校はシャツもパンツも上下どちらも水色で、佐原南は上下どちらもグレーである。

 本来、佐原南のユニフォームは深い青色である。
 対戦相手と被るということと、対戦相手がセカンドユニフォームを持っていないということで、ビブスを着用するかどうするかという審判との話し合いの上、トーナメント上ホームである佐原南の方が特別にセカンドユニフォームを着る、ということで落ち着いたのだ。

 なおゴレイロのたけあきらは普段がグレーのユニフォームであり、FPと混乱してしまうため、現在はセカンドのオレンジカラーである。

 試合は現在後半戦。
 もう残り時間が五分を切っているというのに、いまだどちらにも得点は生まれていない。

 パスを回し、人数をかけて、圧倒的に攻め込んでいるのは全身グレーのユニフォーム、佐原南の方だ。
 何度か、相手守備陣を完全に崩してもいるが、しかし、相手の身体を張ったプレー、ゴレイロのファインプレーに阻まれ、ゴールには到っていない。

 予選はリーグ戦であり、このまま後半戦が終れば即試合終了。引き分けで勝ち点1を分け合うことになる。

 三十二チームを四チームづつ八ブロックに分けての予選リーグであるが、各ブロック四チームのうちの二位までが翌日の決勝トーナメントに進むことが出来る。
 一見、進出出来る可能性が高そうにも思えるが、しかしこの大会は、最近の大会にて結果を残した高校、つまりそれなり以上に強い高校しか出場していない。
 楽観などしていたら、足元をすくわれるのは必至だ。
 自分らのペースで戦い続けていくためにも、初戦はなんとしても勝利しておきたいところである。

 それなのに、後半も残り僅かというこの時間帯に、いまだ得点の生まれていないことに、ゆうは焦れてきていた。

 たかが三試合とはいえ、リーグ戦はリーグ戦。
 普段の裕子ならば、そこまで焦ることはない。

 裕子から落ち着きを奪っている原因は、ただ一つ。
 西にしむらの存在である。

 予定通りならば、奈々が佐原南高校にいられるのは今月まで。
 一学期終了と同時に、学校を去ることになる。
 本来は先月つまり六月一杯までの予定だったのだが、校長が裕子との約束通りに委員会に掛け合い、一月先延ばしにして貰ったのだ。

 もしもこの大会に優勝すること、好成績を残すことが出来れば、面子ばかり気にしている校長を喜ばせることが出来るだろう。
 そうなれば、奈々の転校をさらに遅らせることどころか、転校自体を取りやめさせることにも前向きになってくれるかも知れない。

 それは淡い期待だとも思っている。
 でも、いまの自分に、他になにが出来るのか。

 試合に勝つ。
 優勝を目指して、一試合でも多く勝つ。
 いま、それ以外にやれることはない。

 出来ることならば、奈々も試合に出してあげたい。
 運よく数点のリードがついたら、と考えていたのだが、リードどころか一点も入らないとは。

 時間もないし、ガンガン攻撃に行かせるか。
 個人技ならこっちだ。勢いに任せれば、一点くらい取れるだろ。

 いかんいかん。焦ったら負けだ。

 裕子はぶんぶん首を振って、苛立ちを外へと追い払った。

 落ち着け自分。
 焦ったら負けだ。
 でも……

 二点三点と得点して勝利して、続く試合へのリズムを作りたかったのに、なんで初戦がこんなとことなんだよ。

 見るからに守備の堅そうな相手ならまだしも、ボールは回せている、崩せている、それなのに、最後の最後を守り切られてしまう。
 結局は、相手にそういう能力があるということなのだろう。
 里子がしきりにいっている通り、やんわりと見えながらも異常に守備の堅いチームなのだろう。

 だけど、決定機は何度も作っているだけに、こちらとしてはシュートを防がれる度に自分らの決定力のなさに自信を失ってしまう。

 しかも、こちらの焦りを巧みについて、時折、稲妻のような鋭いカウンター攻撃が襲ってくる。

 守備より攻撃、とにかくガンガン攻めてくるチーム。という最初に仕入れた情報とは、戦術スタイルが随分と異なるが、きっとそれが白浜高校の、強いと思った相手に対しての戦い方なのだろう。

 現在のところ、その白浜高校の作戦は機能していた。
 時間が経過すればするほど、白浜高校が有利になっていく。

 佐原南は、得点欲しさについつい前掛かりになってしまい、カウンターでピンチを招くことが増えてきたのである。

 すべて、計算ずくだったんだ。

 裕子は思った。
 佐原南の特徴は、守備の堅さ。
 しらはま高校は、その特徴を打ち消すべく相手を前掛かりにさせてやろうと、半ばわざと佐原南にボールを回させていたのだろう。
 得点出来ない状況にのみ焦れる、要するに白浜高校をみくびって貰うために。

 裕子一人が漠然とそう思い始めて周囲に注意を促したところで、チームというのは大きな生き物であり、簡単に気持ちを切り替えられるわけがない。
 相手の術中に、完全にはまってしまっていた。
 打開策を講じようにも、もう時間がない。
 このまま、ガムシャラにやるしかない。

 裕子は、白浜高校のろくかわをかわすと、里子へとパスを出した。

 しかし、インターセプトされてしまった。
 焦りから、ちょっとしたコントロールのミス、ポジション取りのミスが出て、そこを突かれたのだ。

 この試合、何度目だろうか。また、白浜高校のカウンター攻撃が発動した。

     9
 しらはま高校、なみから、ピヴォのかたやまへとパスが出た。

 走りながら上手に受けた片山美音子は、瞬発力を生かしてサイドを一気に駆け上がる。

 きぬがさはるが慌てて後を追うが、相手はドリブルしているというのにまったく追いつくことが出来ず、あっという間にゴールラインにまで運ばれてしまった。

 そこでようやく春奈は追いつき、クロスを阻止すべく身体を入れるが、片山美音子に激しく肩をぶつけられ、転ばされてしまう。

 クロスボールは、ゴールラインを割った。
 春奈に対してのファールは取ってもらえず、なおかつ、春奈が最後にボールに触れたとして、白浜高校にCKコーナーキツクが与えられた。

「おい、そもそもさっきのパスがオフサイドだろう!」

 顧問のたかむら先生がベンチから立ち上がり、愛する生徒たちのため抗議の声を張り上げた。

「ゴリ先生、ルール知らないなら黙っててください」

 裕子はゴール前に守備に付きながら、頓珍漢なことをいっているオヤジを黙らせた。

 ったくもう。さっきもキックインしてる相手選手に「おい足使ってズルいぞ!」なんていってたし。サッカーじゃないんだから。

「すんません」

 高村先生は座り直すと、肩をすぼめて小さくなってしまった。

 白浜高校のCKであるが、キッカーはなんとゴレイロであるはるであった。

 白浜高校はセンターサークル付近にベッキのあきもとが残っているだけで、あとは全員上がっている。

「みんな、集中切らすな!」

 裕子は、守備につく仲間たちを鼓舞する。だが、それはなによりも、自分自身への戒めであった。
 なかなか点の取れない状況に焦れていると、逆に、あっさりと失点してしまうからだ。

 最悪、勝ち点1でいいんだ。
 相手の勝ち点を2奪ったと思えば、決して悲観する結果ではない。

 もちろん、3を取るのが理想だが。
 とにかくこの試合、絶対に失点はしないこと。残り時間を考えると、それが最低の条件だ。

 だからこのCK、絶対に守り切らないと。

 ゴレイロが蹴るCK、これは相手の仕掛ける心理戦、駆け引きだ。

 裕子はそう思っている。
 もちろん、上手だからこそ任されるのだろうが、それ以上に心理戦の意味合いが強いはずだ。

 点が入らずにイライラするわらみなみを、さらにかき乱そうというのだろう。

 そして向こうは、そろそろ得点の取れそうな気配を感じているのだろう。相手の精神状態に、これだけプレッシャーをかけ続けたのだから。

 残り時間を考えれば、先に一点取った方が勝ちだ。

 コーナーに立つ五三木春香は、助走をつけずにグラウンダーのボールを混戦状態の中へと蹴り込んできた。

 ボールにいち早く駆け寄る白浜高校の片山美音子。
 だが、ボールは彼女の股下を抜ける。
 スルーしたのだ。

 佐原南の選手たちは、完全に意表をつかれていた。
 ここで受けられたら、ゴールまでぽっかりと空間が出来てしまう、そんなところにボールは転がっていた。

 それは偶然ではなく、サインプレーだったのだろう。
 ゴレイロのたけあきらが飛び出そうとしたその瞬間に、ボールに駆け寄った白浜高校のつかしまがシュートを放っていた。

 白浜高校の策略、そして勝とうという執念に、佐原南は、完全にやられた。
 ボールは、晶の手をすり抜けた。

 それが白浜高校の得点に結びつかなかった原因の、半分は運であるが、半分はいくやまさとの好判断のおかげであった。

 誘導されてゴール前がぽっかり空いていることに気付いた里子が、咄嗟にゴール前を埋めるべく走り出したところ、シュートが顔に当たって、結果として跳ね返すことになったのだ。

 こぼれを拾われ、もう一度シュートを打たれたが、今度は晶ががっちりと胸の中におさめた。

「王子!」

 晶は強く蹴った。
 白浜高校は、ゴレイロまで上がってきていたため、ゴール前がガラ空き、佐原南の速攻チャンスが訪れたのである。

 だが、晶の蹴ったボールは、上に角度がつきすぎてしまって、強く蹴った割にハーフウェーラインを少し越えたところまでしか飛ばなかった。
 急ぐあまり、雑な蹴りかたをしてしまったためだろう。

 センターサークルに一人残っていた白浜高校の秋本真理子は、後ろ向きに下がりながら、ボールの落下地点へ入り込み、ヘディングでクリア。
 そのまま前線へと送り返そうとするが、しかし下がりながらであったため、当て損ない、真上に打ち上げてしまった。
 落ちてくるボールを見上げて、再び跳ね返そうと構えた。

 その単純なミス、僅かな時間のロスが、結果的に勝敗を決めるものとなった。

 山野裕子が、追い付いたのだ。

 裕子と秋本真理子は、落ちてくるボールの所有権を得ようと、身体をぶつけあった。
 長身の秋本真理子が額に当て、ボールを床に落とした。すぐさま身体を反転させ、裕子から守る。
 しかし諦めない裕子の根性が、相手の身体能力を上回った。秋本真理子の股の間に足を突っ込んで、ボールを蹴り出したのだ。

 蹴り出すと同時に素早く彼女の正面に回り込んで、ボールを奪い取っていた。
 そして今度は、裕子が秋本真理子に背中を見せ、そのままドリブルに入った。

 先ほど敵陣まで上がってCKを蹴ったゴレイロの五三木春香であるが、この攻防の間に自陣ゴール前へと戻っている。

 その白浜高校ゴールへと、ドリブルで突っ込んでいく裕子。

 シュートか、パスか、五三木春香は相手の次の行動に備え、腰を低く落とし、睨むような目付きで身構えている。

 裕子は、背後から自分を追うように駆け寄ってくる足音に気付いた。

 二人。
 きっと、一人は秋本真理子。
 もう一人は多分、いや絶対に里子だ。あいつ、女のくせに品性の欠片もないような走り方するからな。
 なら……

 ゴール前五メートル。ゴレイロと一対一、ここでシュートを打っても決まるかも知れないが、しかし裕子は打たず、ノールックでちょこんと横パスを出していた。

 それを受けたのは、やはり生山里子であった。

 里子は秋本真理子の突進をひらりとかわし、そしてシュート! と見せかけて、裕子へとボールを戻した。

 これまで佐原南の守護神である武田晶に、勝るとも劣らない素晴らしい活躍で自陣ゴールを守り続けてきた五三木春香であったが、今回ばかりはどうしようもなかった。
 里子のシュートフェイントに、完全にバランスを崩してしまっていたのだ。

 裕子は丁寧に、ボールを流し込んだ。

 五三木春香のすぐ横を、無常にもボールは転がった。
 悔しそうな、表情。
 完全に逆をとられ、目では、心では、ボールを追えていても、身体が動かなかったのだろう。

 ゴールネットがそろっと揺れた。
 ついに均衡が破れた瞬間であった。

 佐原南の先制点。山野裕子はだんと足を踏み鳴らし、下から突き上げるようにガッツポーズを作った。

「里子、あんがとな。貰っとくよ」

 そういうと、里子の背中を手のひらで強く叩いた。

「いいですよ。利息つけて返して貰いますから」

 里子は笑った。

 試合再開。
 追いかけるしかなくなり、とにかく前へ、ガムシャラに攻めようとする白浜高校であったが、それからほどなくして、試合終了の笛が鳴った。

     10
「勝ったぞ、てめえこの野郎!」

 笛の音と同時にやまゆうは、会場内全てに轟けとばかり絶叫した。

 そして、いくやまさとの身体をぎゅうっと抱きしめた。
 別に里子なんかを抱きしめなければならない理由などなにもないが、たまたま近くにいたというだけのことだ。

「誰にいってんですか」

 なおも雄叫びをあげ続ける裕子に、里子は苦笑するしかないといった様子であった。

「里子ぉ、ナイスアシストだったね!」

 ピッチ内に入ってきたかじはなが、両腕を大きく広げて、抱き合う二人に抱きついた。

「ま、あたしが決めちゃってもよかったんだけどね。引退する先輩に、花でも持たせてやろうと思って」
「一対一になった時点で、あたしが直接決めてもよかったんだよ。アシストつけてやっただけ有難がれ」
「なにいってんですか? 王子先輩、そういうのを外しまくってたじゃないですか」
「お前も同じだ!」
「もう、二人とも仲がいいんだからあ」

 花香が、二人の身体をぎゅーっと抱きしめた。
 不満顔の裕子であったが、笑顔に戻り、

「ま、何はともあれ初戦勝利だ。里子が崩してくれたから、確実に決められたよ」
「ああ、なんかズルイな。じゃあ、王子先輩も、あのプレッシャーの中、よく冷静に決めましたよ」

 二人は、ぷっと吹き出した。

 花香だけでなく、部員たち全員がピッチに入り込み、裕子と里子を中心に集まって、あっという間にもみくちゃの大騒ぎになった。

 裕子は手を伸ばし、その中にいる一人、西にしむらの手を掴むと、引き寄せた。

 二人はちょっとの間、見つめ合った。
 裕子が微笑むと、つられて奈々も笑った。

 試合に敗れたしらはま高校の選手たちが近づいてきた。
 裕子たち出場選手は列を作ると、白浜高校の部員たちと順々に握手をかわしていった。
 最後に、列のままお互いに向き合った。

「ありがとうございました!」

 裕子が叫び、深く頭を下げた。

「ありがとうございました!」

 残る全員が続いた。

 気付けばピッチの外には、他校の部員が集まってきていた。

 上下とも真っ赤。
 見覚えのある、裕子に取って忘れたくても忘れられないユニフォーム。

 胸の校名を見るまでもない。
 千葉県立ひがし高等学校。

 去年の関サル、関東高校生フットサル大会の千葉県決勝で、佐原南が激闘を繰り広げた相手だ。

 我孫子東の初戦は、これからこのコートを使って行なわれる。
 その試合の次が、佐原南との対戦だ。

「久しぶり」

 我孫子東のてらざきが、裕子に声をかけてきた。

「うん。関サル以来だね」

 裕子と寺崎詩緒里はお互い歩み寄り、握手をかわした。

「ずいぶん変わっちゃってるね」

 裕子は、不思議そうな顔で赤ユニの子たちを見回している。
 我孫子東には、寺崎詩緒里以外に裕子の知った顔がまったくいなかったのだ。

「気付いた? いわば二軍てやつかな。みんな別の大会に行っちゃったから。こっちでも好成績残せるように、まとめ役であたしが一人来たけど自信ない。まあ、いい経験になるでしょ、この子らには」
「ああ、やっぱり主力選手は別の大会に出るという話は本当だったんだ」
「うわ、なにその情報網」
「あの子、元気? なんだっけか、そう、はやしばらさんだ」
「うん、元気元気。性格は相変わらずだけどね。でも、凄いねあの子は、この間、代表にって協会から声がかかってきたんだよ。あ、これまだ内緒ね。まだ公に出来ないことだから」
「分かった。でも凄いな。代表かあ」

 去年の我孫子東との対戦では、どの選手にも苦しめられたが、特に裕子の印象に残ったのが林原かなえであった。
 俊敏で、パワーもあり、神出鬼没。
 だからというよりも、やたら人を小バカにするような態度をとっていたから記憶に残っていただけかも知れないが。

 とにかく、その彼女が、なんと日本代表に呼ばれたという。単純に、凄いことだ。

 今回不在で、戦わなくて済むのは、良かったような勿体無いような。
 まあ、良かったと思うことにしよう。

 佐原南の、ここ最近における周囲の評価は高い。
 優勝という実績こそないが、強豪と呼べるレベルにあるといっても過言ではないだろう。
 だが、裕子にはどうにもその実感がなかった。これまでは。

 でも、いまのこの会話で、ちょっとだけ、強いという自覚が持てた。

 林原かなえなどという、あんな化け物のいるようなチームに対して、負けてしまったとはいえ最後の最後、試合の終わるその瞬間まで対等に渡り合ったのだから。

 まあ、あの時は、こちらにも一人、化け物がいたんだけど。

     11
「じゃ、お互い頑張ろう」

 寺崎詩緒里は手を振り、仲間のところへと走って行った。

 我孫子東に続いて、その対戦相手であるかしわふなぼり女子高等学校の選手たちも、ピッチへと入ってきた。

 柏船堀女子高等学校。強豪の参加しない、地元での小さな大会で好成績を残したということで、この大会への出場資格を得た高校である。

 部員たちはみんな、適度に緊張しながらも、楽しそうな表情を浮かべている。初々しいという言葉が実によく似合う、そんな表情であった。
 自分たちが弱小校であることなど百も承知で、だからこそこの大会を楽しもうとしているのだろう。

 そんな彼女らの中にあって、一人異色な光を放っているのが、先ほどかなめに話しかけていたむくしまよしであった。

 久慈要と同じフットサルクラブにいたという、長身の選手だ。

 彼女、椋島佳美は、なんだか怒ったような表情をしている。
 これから我孫子東との対戦だというのに、彼女の睨むような視線は、佐原南、というよりも久慈要一人にのみ向けられているようであった。

 演技なのか、本心なのか、それは分からないが、久慈要に対して並々ならぬ思いを抱いているのは間違いのないところだろう。

 裕子たち佐原南の選手は、ぞろぞろとピッチの外へと出て行く。

 椋島佳美と、久慈要とが擦れ違った。
 久慈要が少し避けた分だけ、椋島佳美は横にずれてきて、肩をぶつけた。

「邪魔だよ」

 自分からぶつかっておきながら、久慈要を睨みつけた。

 通り過ぎた後、久慈要は振り返り、ちょっと悲しげな顔になって、椋島佳美の後ろ姿を見つめていたが、すぐに表情を戻すと前へ向き直った。

     12
 佐原南の部員たちは全員、二階の観客席へと移動した。

 これから、我孫子東対柏船堀女子の試合が行われる。

 後の試合でこの両校と対戦するのだ。
 そのためにも、これは絶対に見ておくべき試合だ。

 どちらが勝つだろうか。
 考えるまでもない。それは我孫子東だろう。

 ただ、我孫子東は二軍主体。
 相手が弱小であるが故にガッチリ守られて、苦戦はするのではないか。
 少なくとも、最初の一点はなかなか決まらないはずだ。

 裕子は、そう考えていた。
 だが試合が始まってみると、結果は予想を遥かに裏切るものであった。

 柏船堀女子は、やはり守備的にきた。

 しかし我孫子東はそれをまったくものともせず、ウォーミングアップでもしているかのように冷静に、楽しげにボールを回し、開始二分でのゴールを皮切りに得点に得点を重ね、危なげのない試合運びで、見事に初戦を8ー0で勝利したのである。
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