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第六章 本当に大切なものって何だ
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1
山野裕子は自宅マンション自室のベッドの上、大きなクッションに背をもたれさせて、片膝を抱えている。
今日は平日。
いまはお昼で、本来ならば、学校で授業を受けているはずの時間帯である。
しかし、裕子は自宅にいる。
学校の外で起こした不祥事により、自宅謹慎を命じられているためだ。
事の次第によっては、そのまま退学処分が下される可能性も有るという。
先日、地上げ屋の男と裕子が佐原駅近くの道端で取っ組み合う大騒動が起きたのだが、その男が学校を訴えてきたのだ。
生徒に暴力をふるわれ、腕を大怪我させられた、と。
校長らが見た限り大怪我には思えなかったそうだが、それでも怪我は怪我だ。
医療明細も見せてきたらしいし、全く嘘の怪我というわけではないのだろう。
生徒に負わせられた怪我だと主張するのであれば、学校としても放っておくことは出来ないということだ。
2
訴えのあった当日、山野裕子は校長から呼び出しを受けた。
事件当日に一緒だった、武田直子と西村奈々もだ。
状況を問われ、当然、裕子は真実を伝えた。
直子も、途中で半狂乱になってしまったため記憶の曖昧な部分もあったものの、それでも見たありのままを必死に訴えてくれた。直子がその時の事を語るには、自分自身の辛い記憶とも戦わなければならず、また気がおかしくなっても不思議でないというのに、それに耐えて、必死に。
だが、裕子の仲間である以上は虚偽の説明をする可能性もあるわけで、とりあえずの参考人とはしておくが物事の判定を覆すような絶対的な証人としては認められない、とのことで、あまりまともに取り扱ってくれなかった。
奈々にしては、いわずもがなである。
「なら、なんで呼んだんですか?」
あまりの理不尽さに、直子は呆れ、激しく校長に詰め寄ったが、頑張りは全く実らなかった。
3
このようなやりとりがあり、山野裕子は自宅謹慎という処分を受けることになったのである。
裕子は、悔しくてならない。
このような事態を招かないように、相手の理不尽で一方的な暴力にもじっと耐えていたというのに。
自分はきっと、あの地上げ屋に利用されたんだな。
裕子はそう考えている。
施設の評判を少しでも落とすために。
追い出しやすくするために。
などという思考を、ここでどんなにめぐらそうとも、詳細がはっきりするまで謹慎という事実に変わりない。
おとなしくしているしかない。
ちょっとだけ慰められるのは、職員会議で「向こうが嘘をついている可能性もあるし謹慎は厳しいのでは」という声も何人かから上がったということ。
あっさりと、棄却されてしまったらしいが。
先日に発生した、山田秀美らによる直子と奈々への監禁暴行事件により、学校の評価が落ちているため、疑わしきに対して慎重に行動せざるを得ないというのが校長の考えだ。
ましてや山野裕子は、その山田秀美の件の関係者でもあるのだから。
なにもない生徒ならば、そう立て続けに問題行動を起こす、もしくは巻き込まれるはずがない、と。
これに対しても裕子は腹立たしくて仕方がない。
その件は、どちらかというまでもなく、裕子は被害者側に属しているためだ。
ちなみに、その山田秀美らであるが、結局、学校は警察へ通報、退学処分が下された。
もしかしたら裕子も、彼女たちに続くことになるのかも知れない。
だって、違うといっているのにまともに話を聞いてくれないのだから、どうしようもない。
裕子は、ベッドの上に座ったまま、なにをするでもなく、ぼーっとした状態で悪戯に時を無駄にしている。
意識があるのかないのか自分でもよく分からない。
たまに時計を見ると時間が大きく進んでいるので、やはりちょこちょこと意識が飛んでいるのだろう。
時折、意識が戻っては来るものの、怒りや、悲しみや、ならばあの時どうすればよかったのか、そもそも自分が奈々へと接触したのは間違いだったのか、ナオにまで迷惑をかけてしまって申し訳ない、フットサル部大丈夫かな、などといった様々な思いが断片的に、ぐるぐる回っては、また思考停止してしまう。
母親の声が聞こえる。
なにか、いっている。
叫んでる。
聞くのも面倒くさい。
放っとこう。
お母さんにも、お父さんにも、迷惑かけちゃったよな。
信じるといってくれたのは嬉しいけど、それだけに、ほんと申し訳ない。
いいや、考えるのあとあと。
裕子はあえて、ぼやけた意識の中に身を置いたまま戻ろうとしなかった。
しかし、さっきから、ぐうぐうと変な音が鳴っていてうるさい。
考えたくないんだ。ぼけっとさせてくれ。
「……い、……王子先輩!」
武田直子の声に、意識を戻された。
あれ、なんで、いるんだ?
視界が、はっきりとしてくる。
ピントが合った。
制服姿の、直子と、晶の姿が網膜に映った。
窓からは、強烈な西日が差し込んでいる。
いつの間にか、夕方になってしまったようだ。
「ナオ、姉ちゃん黙らせてよ、ぐうぐうと妙な声出しててうるさい」
裕子は頭をかくと、軽くのびをした。
「自分のお腹の音だろ! せっかく部活抜け出して励ましにきてやったのに」
憤慨する晶。
表情はいつもと全然変わっていないが。ちょこっと赤みが増す程度で。
「ああ、朝からなんにも食べてないからなあ。全然お腹すいてないと思ってたけど、すいてたんだな。部活抜け出したって、誰に任せてきた? 三年?」
「里子。部長になる練習だって喜んでたよ。それより王子、あたしらがここに入って来てからも、ずーっと壁を見つめてたけど、大丈夫? 具合悪くしてない?」
晶は、裕子のおでこに手を当てた。
「なんとか」
裕子も、腕を伸ばして晶のおでこに手を当てた。
「あたしの熱を見てもしょうがないだろ! しかし、驚いたな」
晶は、あらためて室内を見回した。
洋室には、学習机、ベッド、本棚。床には大きな熊のぬいぐるみがある。その脇に鉄アレイが置いてあるのが微妙なところだが。
「なにが?」
「いや、王子の部屋、初めて上がらせてもらったけど、思っていたよりも遥かに綺麗でさ」
「だって可憐な女の子だもん」
たまに母親が、凄まじいまでに散らかっている部屋のものを全部捨ててしまうだけ、それがつい先日だったというだけである。
「あの、王子先輩、こんなことになっちゃって、どうも済みませんでした」
直子が、頭を下げた。
「え、なんで? なんでナオが謝んだよ」
「だって、あたしのことがあったから、先輩が謹慎になっちゃったわけですし」
前述した、山田秀美との一件が学校の評価を下げ、そのため学校が慎重になっている、ということをいっているのだろう。
「関係ないよ、そんなこと。そういうこというんなら、じゃ、やっぱりこの前の、ウナギ奢らせろ」
「嫌ですよ。前にもいいましたけど、あのことは、先輩関係ないじゃないですか」
そもそも、ウナギじゃなくてソフトクリームじゃないの? なんでウナギの方ばっかり引っ張るのかな、この先輩。と、ぼそぼそ独り言の直子。
「じゃ、この件も関係なし。ナオは悪くない。謝る必要ない。終了」
「分かりました。じゃあ、そういうのと関係なく、セカンドキッチンのハンバーガー買ってきたんですけど、食べます?」
「あ、食べる。いいの? そういうのと関係ないなら、いただきます。腹減った。ありがとね、ナオ、晶」
「こないだの日曜から新しいのが出たんですよねえ。かりっとガーリックなんとかバーガー」
直子は紙袋から、がさごそと取り出し始めた。
こうして裕子は夕方になってようやく、本日初めての食事をとることになったのである。
食事をしながらの会話は、特筆する必要もない、他愛のないものばかり。晶たちとしては、謹慎で意気消沈しているであろう裕子を励ますことが目的であり、それで無問題ということだろう。
その後、小一時間ほどで、晶たちは帰宅することに。
「淋しいなら、明日もまた来ますよ」
玄関で靴を履いた直子は、裕子の顔を見てにっこり微笑んだ。
「悪いよ。今日だけで充分。わざわざありがとね」
裕子も、たまには素直に礼をいうのだ。
「あれ、靴紐解けちゃってる。ナオ、先に出て待っててよ」
腰を降ろして靴を履こうとしていた晶は、そういうと直子の顔をを見上げた。
「うん。お邪魔しましたあ!」
奥の部屋にいる、裕子の母へと叫ぶと、直子は玄関のドアを開けて先に外へと出た。
「王子さあ、ナオ、どう思う?」
靴紐は、解けてはいなかった。靴を履いた晶は、立ち上がり、そして真剣な表情を裕子へと向けた。
「無理してるね、相当に。普段通りにふるまおうと、してはいるようだけど。まだ、心のダメージが回復してないみたい」
「やっぱり、王子にも分かるか。そうなんだよ。家でもさ、妙にハイテンションかと思うと、まったく喋らなくなっちゃったり」
「なにすることも出来ないし、とりあえず、時間が解決してくれるのを期待しよう。そうならなかったら、なんか考えようや」
「そうだね」
「ほんと、今日はありがとな」
裕子は、玄関のドアを開けてやる。
「サンキュ。それじゃあ、お邪魔しましたあ!」
晶も外へ出た。
4
裕子は、一階まで二人を見送り、部屋へ戻ってきた。
玄関のドアを開ける前に、後ろを振り返った。
夜闇で街灯も薄暗く、遠くは全く見えないが、この先を、晶たちは歩いているはずだ。
二人とも、ありがとね。
あらためて、心の中で礼をいった。
自分を心配して、様子を見にわざわざやって来てくれたのだ。
口を開けばひねくれたことばかりいう裕子だが、今日ほど素直に有り難いと思ったことはなかった。
抱えていたもやもや、根本原因はなにも解決していないけれど、でも、気分はかなりすっきりした。
「裕子、夕飯は食べるの? でも、いまたくさん食べてたみたいだけど」
玄関のドアを開けるなり、母に声をかけられた。
「食う!」
でもその前に。
裕子は、兄の部屋に勝手に入り、電気をつけると、床に転がっているグローブをはめた。
サイズが合わず、ぶかぶかである。
右ストレート。
ズン、と鈍い音がして、部屋の隅にあるサンドバッグが揺れた。
続いて左フック。
腰がしっかり回っており、どんな大男も一撃でダウンしてしまいそうな重い音があがった。
ジャブの連打。
続いてコンビネーション。右、左、右、右ストレート。左ジャブ連打。右フック。
右ストレート。
「よーし、KO!」
裕子は、ふうと息を吐くと、グローブを外した。
果たして誰を殴りつけていたのか、自分でもよく分かっていなかった。
もう、どうでもよかった。
5
「そしたらホナちゃん、メモ落として梓に拾われちゃってたことすっかり忘れて、まだとぼけようとしてるんだもん。すました顔でホナちゃんがなんかいうほど、梓の顔に青い縦線が入ってるのに、ホナちゃん気付いてないんだもん。もうおかしくってさあ。おっと笑っていいのか、ほのかちゃん、ここで大爆笑しちゃっていいのかあ」
先ほどから、深山ほのかのお喋りがとまらない。
体育館へ続く通路を、フットサル部の一年生、深山ほのかと武田直子、星田育美、久慈要の四人が歩いている。
部室で体操着への着替えを済ませ、練習場所である体育館へと向かっているところだ。
「あれは、ほんとにおかしかったよねえ、ナオ」
「そうだね」
直子は俯き加減、消え入りそうな声で頷いた。
「ちょーノリ悪っ。あのさあナオ、王子先輩が謹慎になっちゃって悲しい気分になるのは分かるけど、だからこそ、あたしらフレッシュな一年生が明るく盛り上げてかなきゃあ。はい、笑って笑って、六十分笑ってえ」
ほのかは、直子のほっぺたを両手で掴んで引っ張り、強引に笑顔にしようとする。
むにゅうう、と口角つり上がる直子の顔であるが、ほのかが手を離すとすっとほっぺたの肉が落下して、反動で首が余計にうなだれる。
「そこまで落ち込むようなことかなあ」
星田育美は腕を組んで、首を傾げた。
小柄な女の子ならば可愛らしい仕草であろうが、育美の巨体だとプロレスラーが街で喧嘩になって首をバキバキ鳴らして脅しているようにしか見えない。
「やや、山上、慎平君のドラマ、でも、録り逃しちゃったんじゃないの」
久慈要が、つっかえつっかえ裏返ったような大声を張り上げた。山上慎平、以前に直子が好きだといっていた、いまをときめく人気アイドルだ。
育美とほのかの足が止まった。育美の背中に頭をぶつけて、直子も止まった。
「あのー」
育美がただでさえごつい顔をしかめ、久慈要の顔を覗き込んだ。
リアル3Dの大迫力に、気の小さな女の子なら、これだけで泣き出してしまいそうである。
ほのかが言葉を続けて、
「カナ、それって、冗談? いや、そうなんだろうなあってのは分かるけど、でも、ほらカナってそういうのいいそうな性格に思えないから。実際、一度も冗談いうのを聞いたことがないしい、だからいまのは一体どういう心理なのかなーと」
というほのかのほのかな疑問の言葉に、久慈要の顔が見る見るうちに真っ赤になった。
「先っ、行ってるから!」
久慈要は、いまにも泣き出しそうな顔で、逃げるように走り去った。
「なんか分からんちんだけど、元気のないナオをフォローしようと、いい慣れないこといって滑っちゃったのかな。ほら、ナオ、元気出さないと。親友がああして心配してくれてんだから。大丈夫、王子先輩ちゃんと戻ってくるってば」
ほのかは、直子の背中をばんばんと叩いた。
「ありがとう」
直子の元気がないのはその一件ばかりではないのだが、説明しても仕方ないので黙っていた。
ここで山田秀美とのことなんか話しても、最悪な記憶を思い出してしまうだけでなく、みんなには色々と疑われて、事実でないことまで事実にされてしまうかも知れないし、なんのいいこともないだろうから。
学校には、山田秀美との関係は内緒にして貰って(むしろ学校からいい出してきたことだが)、顔の痣がおおかた消えるまで、夏風邪をこじらせたことにして十日間も休んだのだ。
迂闊なことを口走ろうものなら、そんな努力も全て吹き飛び、なにもかもがばれてしまう。
6
三人は、体育館に入った。
上級生はまだ半分ほどしか揃っていないが、一年生はこれで全員が集まった。
集まったところで、練習道具の準備をするため用具室へと移動だ。
ゴールポスト、ボール、カラーコーン、ビブス、一通りの道具が揃ったところで、上級生全員が集合するのを待たずに練習開始。
誰が指示するわけでもなく、自発的に。
まあ、毎日の流れとして、ほぼ決まっているのだが。
まずはウオーミングアップから。
校庭をジョギングである。
一周を走り終えたところで、残りの上級生もほとんどが合流して、校庭の裏門から公道へと出た。
この周辺は勾配が多いので、だいたい晴れた日にはこのように公道を利用することが多い。足腰を鍛えるのに最適だからだ。
体育館へ戻ると、続いてストレッチ。
それからようやく、ボールを使ったメニューに入った。
まずはパスの練習。
直子は、久慈要とペアになった。
久慈要は実に柔らかなタッチでボールを扱うが、裏腹に顔はかちかちに硬かった。いつも表情は硬いが、いつも以上に。
直子の様子ばかりを気にしているようであった。
気にされていることを気にする直子であるが、そのせい、というわけではないだろう。
調子が最悪なのは。
ほんの目と鼻の先という距離だというのにミスキックの連発、それどころか蹴り損ねてボールの上に乗ってバランスを崩して転んでしまったくらいだ。
身体のコンディション云々ではなく、あきらかに心がどこかに飛んでしまっている。
それを完全に見抜かれていることに、直子の動きはますますコチコチになる。
また、ボールに乗り上げて転んでしまった。
久慈要は、ため息をついた。
「ナオ、ちょっと話がある。きてくれないかな」
そういうと、直子の返事も待たずに腕を引っ張った。
「晶先輩、ちょっとナオ借りてきます。例のことでちょっと。部室にいますから」
「分かった。紅白戦までには戻ってくるんだよ」
「はい。ほら早く、ナオ」
「ちょ、ちょっと、カナちん」
「いいから」
「でも」
直子は、久慈要にずるずると引っ張られるまま、体育館を半周したところにある部室へと連れていかれた。
7
「なに? 話って」
直子は尋ねた。
「あのね、ナオ、怒らないで欲しいんだけど……」
久慈要の表情があらたまった。
もともと表情豊かな方ではないが、より深刻そうな、険しい顔になった。
「カナちんに、怒ったりするわけないじゃん」
なにをいまさら。
「あたしというより、晶先輩に、かな。その、なんというか、ナオが巻き込まれたこと、晶先輩から、聞いちゃったんだ」
そういうと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
直子は、一瞬、肩をすくめ、目を見開いた。
どきり、という擬音がこれほどふさわしい顔もないだろう。
だが、すぐに微笑んだ。
多少、ぎこちないものであったが。
「なんだ、そんなこと。信用してるってことだろうから、お姉ちゃん、カナちんのことを。気にしないよ、そんなこと。心配してくれてありがとう。大丈夫。あたしの心が弱いのが悪いだけだから。そう、全部あたしが悪いんだ」
「悪いのはそいつらでしょ!」
突然の大声に、直子はまた、びくりと肩をすくめていた。
呆然とした表情で、親友の顔を見つめた。
カナちんが、こんな顔で、こんな声を、出すなんて。
「晶先輩から聞いたけど……彼女らが退学になったこと、それすらも、自分のせいかも知れないって責めてたっていうじゃない。ナオは、もっと他人のせいにすることも覚えた方がいいよ」
「そんなこと、いわれても」
「自分が弱いのを分かっていて、でも他人を恨めないのも分かっていて、だから、とにかく明るく振る舞ってそもそもの争いが起こらないようにと、全てを上辺だけでやりすごして、我慢しようとして。……それは、ナオがどうしようもないくらいに優しいからそうなるわけで、それは、あたしなんかには到底真似出来ない立派なことだと思うけど、でも、でもそれじゃあ、ナオが辛いだけだよ」
「分かったようなこといって!」
そう叫ぶ直子の目には、いまにも溢れそうなくらいに涙がたまっていた。
そしてそれは、つう、とこぼれた。
「ごめん、カナちん。ごめんね。心配してくれているのに。ごめん」
直子は、指で涙を拭った。
拭っても、拭っても、どんどん涙がこぼれてくる。
「謝らなきゃならないようなこと、ナオはなにもしてないでしょ」
久慈要は、微かに笑みを浮かべた。
「ね、ナオ。あたしたちが、初めて会った時のこと覚えてる?」
久慈要の問いに、直子は頷いた。
「もちろん。なんだかおとなしそうな、というより暗そうな子、って思った。そしたら、隣の席になっちゃってさ、どうしようって慌てちゃったよ」
「あたしだって、似たようなこと思ったよ。うるさそうな子が、隣になっちゃったよって」
「あたしが教科書全部忘れちゃった日、あたしなにもいってないのに、カナちんすぐに気付いてくれて、見せてくれて、ああ、いい子だなって思った」
それから急速に、二人の距離が縮まったのだ。
「そんな程度で良い子か悪い子かの判断なんかされたらたまらないよ。……そのあと、二人で部活どこにしようかって話をしていて、ナオからフットサル部があるって聞いて、入ることになったんだよね」
直子は、同じ中学の姉がフットサル部に入っていたので、もともと入部するつもりだったのだ。
久慈要は、入部した頃から部員の誰よりも上手だった。
幼い頃からやっているので経験豊富であったし、何より先天的なセンスが優れていたのだろう。
直子は、伸びてきたのは一年生の三学期頃からだ。
「だから、お姉ちゃん、まだ信じてないんだよね。自分はとっくに引退しちゃってたから。あたしとカナちんが、ナオカナなんて呼ばれて、二人でどんどん得点量産してたこと。ま、それだけ最初の頃のあたしが酷かったってことなんだけど」
「酷くなんかないよ。ただ、周囲とのコンビネーションに時間がかかってただけ」
「すぐそうやって、フォローしてくれるんだよね、カナちんは。フットサル以外でもさ」
出会ってどれくらいで、そういう仲になれただろうか。
それほど時間はかからなかった気がする。
とにかく、教室でも部活でも仲良くなり、外でも遊ぶような関係になった二人は、小さな旅行に出掛けたり、お互いの家に泊めてもらったり、どんどん親交を深めていった。
「ほんと、楽しい思い出が一杯だ」
直子は遠い目で、そっと口を閉じた。
「そう。世の中ってね、楽しいことばっかりなんだよ。あたしみたいなカチカチの顔でいっても説得力ないかも知れないけど。とにかく、楽しいこと嬉しいことが溢れていて、それに気付けるかは本人次第。でもね、怖いこと、辛いこと、どうしようもないこともやっぱりあって、頑張って解決出来るものもあって出来ないものもあって。……ごめん、なんか、なにがいいたいのか、分からなくなっちゃったな」
久慈要はいったん言葉を切り、ひと呼吸置くと続ける。
「とにかく、ほんとうに怖いこと、辛いこと、これを乗り切るには本人の頑張りも必要な場合もあるけど、もう、ナオは充分過ぎるほど頑張っているから、だから後はきっと、時間が、解決するから。……だから、大丈夫だよ、ナオ。……あたしも、王子先輩だって味方だし、なんたってナオには、あんな素敵なお姉ちゃんがいるんだから」
久慈要はカチコチの不器用な笑みを作ると、直子の柔らかな身体を抱きしめた。
直子は無言のままであった。
なにを返せばいいのかどころか、なにを思えばいいのかすら分からなかったのだ。
ず、とただ鼻をすすった。
8
「よーし、いまのドリブルなかなかよかったよお亜由美先輩!」
今日も勝手に部を仕切っている生山里子は、拍手しながら先輩のドリブルを褒めた。
「なんだよ後輩のくせに」
亜由美が苦笑している。
「ほらあ、花香! コントロールが雑、試合だったら簡単に奪われちゃうよ!」
大きな声を出せばいいというもんじゃないけど、声を出さなかったら暗く沈んじゃうからなあ。
やっぱり王子先輩は凄いなあ。
いるだけで、なんかもう、雰囲気が違うもんな。
手を叩きながら、声を張り上げながら、里子は胸の中で弱音をぼやいている。
王子、山野裕子のいないフットサル部は、なんとも活気に欠ける状態であった。裕子があまりにうるさすぎるという、単なる比較対象との相対的な問題なだけかも知れないが。
とはいえ、裕子のいない部活は今日でもう三日目。
だというのにみんな、いっこうに慣れてきている様子が感じられなかった。
西村奈々にしても、それは例外ではなかった。
「奈々のいる全体練習」というメニューを、裕子がある程度作り上げてくれたため、他の部員も困ることはないし、奈々も普段通りに練習内容をこなしてはいるが。
奈々は笑顔だ。
だが、裕子がいた時にはもっと笑顔だった。
奈々は奈々なりに、この現状に不満を感じているのだろう。
裕子がよくないことに巻き込まれ、それは自分も関っていること。
漠然とではあるが、それに気付いているのだろう。
現在、ドリブル練習中である。
奈々はボールを蹴っている。
葉月先輩から教えて貰った、弱くパス、弱くパスで、見た目器用にボールを運んでいる。
「上手くなったな、奈々。よし、みんな、それじゃあ次は、シュート練習だ! まずはゴレイロなしでいくぞお!」
コーンをどかして、シュート練習に入った。
「夏樹! なんだそのへっぴり腰は!」
ひとり元気な大声の里子である。
みんなには、空回りしているように思われていること。里子は気付いている。
正解だよ。
空回り、しているよ。
追い抜くといっていたその標的が、わけの分からない謹慎処分で突然に来られなくなってしまったのだから。
本来、部長がいない時の全体指示は、副部長である武田晶の役割である。「ほら里子、部長練習部長練習」と、最近すぐ里子に任せてしまうのだ。
あと二ヶ月で三年生は引退するからって、それでいいのか。
いいのだ。
晶先輩のいう通り、部長になる練習なのだ。
王子先輩がいないくらいで、落ち込んでいられない。
いないからこそ、しっかりやらないと。
あたしが、引っ張っていかないと。
「茂美先輩、ナイスシュート! ああもう、亜由美先輩、ヘタクソ! そこはもう半歩踏み込んで蹴らなきゃあ。お尻にも、ぐっと力入れて! もう一回! そうそう。ちょっとよくなった!」
下級生どころか、二年生三年生にまで技術指導をしようとする里子。いつものことであるが、今日は気合が入り過ぎで空回り。
分かってる。
でも知ったことか。
細かい上に、指導の元となる知識が全て我流なものだから、いつも相当に煙たがられているが、今日は空回り気合のせいでさらに煙たがられているみたい。
分かってる。
でも知ったことか。
「よし、それじゃシュート練習は終わり。次!」
里子の指揮による練習メニューは進み、続いては、ボールキープ及び奪取の練習に入った。
部員たちは、それぞれに三人組を作る。
里子も指示を飛ばすだけでなく、衣笠春奈と久慈要と、組を作った。
「カナ、本気できな。経験どんな長いか知らないけど、勝負じゃ絶対に負けないからな」
里子は指をぽきぽきと鳴らしながら、不敵な笑みを浮かべた。
隣の春奈が疑問の声を呟いた。
「最近思うんだけどお、里子って、なんか性格が王子に似てきてない?」
なにげない春奈の言葉に、里子はきっと彼女を睨みつけた。
「似ってませんよ、あんなのに! 失礼な!」
「そう?」
「でも、三年生引退したら、あたしが二代目王子を襲名してやってもいいですけどね。ほら、『里子』から『甘』さを抜けば『王子』ですから。あたしどんどん厳しくなってきてますからね、自分にも他人にも」
「甘さを抜いても、王子の王の字にはならないと思うけど。性格だって、どんどん甘くというか優しくなってきているし」
入部した当初の里子の態度や性格が相当だったというだけかも知れないが。
「なんで、王子の字になんないんですか! 里の字から、甘いを引いたら、なるでしょう」
不満顔で、春奈に詰め寄る里子。
「なんないって」
「えー、紙があれば書いてあげるんだけどな。なるでしょ、王の字に」
里子は体育館の床に、足を大きく動かして文字の形を描き始める。しかし彼女は、右脳が鈍いのかエア文字は苦手、自分で書いておきながら頭の中でその文字をイメージすることが出来ず、なんだか自信がなくなってきた。
「だから、横棒が一本足りない。王子じゃなくて土子になっちゃう」
「ええっ? はあ、なんか、そうなるような、気がしてきた、ちょっと」
がっくり肩を落とす里子。せっかくゲンの良い、うまい言葉遊びを思い付いたというのに。
「おーい、土子、ツッチー、さっさと練習始めろ。ちゃんとやってないのそこだけだよ!」
反対端でゴレイロ練習をしている武田晶副部長様より、お叱りの言葉がのし付きで届いてきた。
「地獄耳。なにさっそく使ってんだよ。あたしなんかより、あっちの方こそなんだか王子先輩の影響受けてきてるよね、最近。前はさ、ムスッとしてただ暗いだけだったくせに、チクチク刺してくるようなとこだけ似ちゃって。ネクラなとこはそのままでさあ。引退間近になって、妙な花を咲かせようとしないでいいのに。老兵は黙って去れ去れ」
本人の地獄耳に届くとどうなるか分からないので、春奈や久慈要にしか届かないような小さな声でたっぷり毒舌を吐く里子であった。
「まあまあ。あたしたち三年生は、ツッチーのいう通りもうすぐ引退で、いなくなるんだからさあ」
春奈先輩も、さっそくツッチーいってるし。
「部長目指してるんでしょ」
「そうだな。そっか、いよいよあたしの時代かあ。長かった王子先輩の下の暗黒統治時代、さらばじゃ!」
里子は両腕を天へ突き上げた。
と、いきなり思い出したように、
「ツッチーじゃないんですが」
せめてサッチーだろ。
まあいいや、もうじきあたしの天下。細かいことは気にしな~い。
「あの、はやく始めないと、また晶先輩に怒鳴られますよ」
テンション高くなっているバラ色里子に、久慈要が真顔で水をぶっかけた。
「分かってるって。じゃ、始めようか。カナ、さっきもいったけど、本気できなよ。カナは経験長いけど、あたしは先輩なんだから」
「はい」
どういう理屈だ? と思ったか、疑問符の浮かぶ久慈要の顔。
「手を抜くなよお。本気でな、本気で」
ボールの奪取キープの練習は、ゲーム要素たっぷりで、人によっては相当に熱くなる。そして、足元技術の実力がよく分かる。
だから里子は執拗に、久慈要に本気を要求しているのだ。
熱い戦いを熱く戦って、久慈要よりも上であることを証明し、気持ちよくなりたいから。
ルールは簡単で、二人が動きながらボールをキープし、パスを出し、残るひとりがボールを奪う。それだけだ。
つまりパスの出し手が、里子と春奈、または久慈要と春奈の組み合わせになった時が、二人の勝負である。
他の部員たちはとっくに初めていたが、里子たちも遅れて、ようやく奪取キープの練習を開始した。
詳細は割愛するが、
結果だけを述べるのであれば、奪取もキープも、どちらも里子の圧勝だった。
「だから本気出せっていったろうが。あたしは、生山里子なんだから」
また、得意げになんだか分かりそうで分からないことをいっている里子。
「いえ、本気でやりました。里子先輩、凄いです」
心底から参りましたといった、久慈要の表情。
「褒めたってぇ、褒めたってぇ、なんも、出ないよ~」
鼻をぽりぽり掻いて、里子はすっかり得意満面であった。
フットサル経験は久慈要の方が遥かに長い。しかし里子も幼少から様々なスポーツを経験している。
だから、柔軟性もパワーもあるし、天性のセンスもある。どんな競技であれ個人技で簡単には負けない、と里子は自信を持っている。
初めての競技であろうとも、ちょっとルールを覚えて、ちょっと練習をすれば、並以上どころか上手にこなせる自信がある。さらに少しだけ練習をすれば、誰であろうとも追い抜く自信がある。
わたしは天才なのだ。
しかし、そう天狗になっていられたのは、紅白戦を始めるまでだった。
里子は、自分の見る目のなさを恥じることになった。
これまで何度も紅白戦をやっているのに、これまで何度も久慈要のプレーを見てきたはずなのに、彼女の本質を、今日あらためて注目してみるまで、なにも分かっていなかったのだから。
久慈要は、個人技に優れているだけでなく、視野が広く、思考速度もはやい。
的確に、前線へと柔らかく優しいパスを供給する。
仕掛けるべきか否かという決断力も大胆かつ正確なものがある。
先ほどの、ボール奪取キープのような、条件の限定されたトレーニングでの勝敗など、里子と久慈要との実力差を見るなんの指針にもなっていなかったのだ。
さっきのは例えるなら、理論の組み立ても出来ないくせに声の大きさだけで口喧嘩で強引に勝ちゃったようなものか。
そもそも、自分を相手に手を抜いていただけかも知れないし。
「とても、真似、出来ないなあ」
紅白戦終了後、里子は小さな声で呟いていた。
「誰の真似出来ないって?」
すぐ横に、梶尾花香が立っていた。
「カナのさ。凄いね、あの子。でも、やっぱり、絶対に真似して、越えてみせるけどね。あたしにクリア出来ないものはない。……でもよくよく考えるとさ、カナのプレーって、他人の陰に隠れて目立たないし、そういうのをあたしがやってみても、あたしが自分のキャラを捨てることにならないかな、ってちょっと不安でもあるんだけど。これが奪えっかナロー! って女王様している方があたしらしいっていうかさあ」
『バカみたい』
花香と、ボール抱えて脇を通り過ぎていく梨本咲とに一蹴される里子であった。
「ちょっと、なんだよハナ、そのタイミング。腹立つなあ、なに咲の奴なんかとばっちりハモってんだよ」
「知らないよ。咲にいってよ。……あれ、あの人たち、また来ているね」
花香は、通路側の壁にある窓の方へと視線を向けている。里子も、その視線を追った。
黒いスーツの男が二人。
文部科学省から派遣されているという、西村奈々たち学校が受け入れた知的障害者の監査員だ。
「観察するのが目的なんだから、別に正体ばれようと来るでしょ」
男たちが誰なのか知った今となっては、もう里子にはあまり興味のないことだ。
だが、里子には興味なくても、武田直子にはあるようだった。
九頭葉月らと組んで練習していた直子であったが、男たちが来ていることに気が付くと、真っ直ぐそちらへと歩いて行くのだった。
4
武田直子は、男たちと窓越しに向かい合った。
黒スーツを着た二人の男、彼らは、文部科学省から派遣されているという者で、この学校が受け入れた知的障害者たちを観察するのが役割だ。
「こんなどうでもいい時にいて、どうしてあの大事な時には、いてくれなかったんですか?」
口調こそ弱いが、糾弾しているかのようであった。
山野裕子が、地上げ屋の男と揉め事を起こした一件をいっているのである。
第三者の証言が得られないばかりに、裕子は自宅謹慎の目にあっている。
下手をすれば退学。
そうなれば、フットサル部も存続出来なくなるかも知れない。
「そんなこといわれてもねえ。学校外で、十代の青少年を尾行するわけにもいかないし。それに、学校内での障害者としての適合力を報告するのがぼくたちの役目だから、そっちの揉め事のことをいわれても困るんだよ」
「それは、そうですけど」
直子は口ごもった。
分かってはいる。
理屈の上では。
この人たちは、なにも悪くないと。
分かってはいるのだ。
でも、もしあの場にいてくれたら、こんなことにはなっていなかったのに。
「そもそも、今日はついでで西村さんの様子も見にきたけれど、でも彼女はもう、どうなるのか決まっているんだから、それほどしっかり観察する必要もないんだよ」
「はい」
直子は消えそうな声で返事をし、俯いた。
泣きそうになるのをぐっとこらえているような、そんな弱々しい表情であった。
「気持ちは分かる。ぼくたちにどうこう出来るものじゃないけど、君たちの部長さん、はやく誤解が解けるといいね」
男たちは去っていった。
悔しそうな、悲しそうな、なんともいえない顔で呆然と立ち尽くしている直子。
いつの間にか、その横に生山里子が立っていた。
里子は、直子の肩に手を回し、優しく叩いた。
5
らぃらっく学園。
西村奈々が世話になっている、知的障害者のための更正施設である。
いま、その門の前に、山野裕子が立っている。
ひとりだ。
自宅謹慎の身であるが、遊びに来たわけでもないし、遠出というわけでもない。問題なかろう、と、ぶらりとやって来てしまったのである。
門の脇にある呼び出しボタンを押そうとしたところ、ちょうど中から女性職員が出てきたので、裕子は声をかけた。
訪問の目的は、園長に会うこと。
園長は外出中であったが、ただし予定では、もうしばらくすれば戻ってくるとのことで、事務室で待たせてもらうことになった。
壁を伝って聞こえてくる生徒らの楽しげな声に、裕子はむずむずして、結局、五分もしないうちに、
「すみません、隣の大部屋に行っていいですか?」
と、事務室を飛び出してしまった。
大部屋には子供らと、ひとりの女性職員がいた。
女性は裕子に会釈をした。
この前、奈々と一緒に来たときに顔見知りになった、若い女性だ。
「おーじだ!」
子供たちの記憶力は素晴らしく、あっという間に裕子はみんなに囲まれてしまった。
みんなと他愛のない会話を楽しんでいるうちに、園長が戻ってきた知らせを受けた。
子供たちに、また後でくるからといい残して、裕子は再び事務室へと戻った。
6
園長の席は事務室の一番奥。裕子は、用意してもらった椅子に腰を下ろした。
「どうもすみません、忙しいようなら、ほんのちょっとだけでいいですから」
裕子は軽く頭を下げた。
「いえ、ちょうど、しばらく予定があくので問題ないですよ」
「はあ、ありがとうございます。それで、今日ここにきた理由なんですけどね」
裕子は訪問のいきさつを話した。
まずは、謝りたかったということ。
地上げ屋の男を、裕子が挑発した格好になってしまったからだ。
「奈々を守りたかっただけなのに、ここに迷惑をかけるかも知れないことになっちゃって、ほんと申し訳ないと思ってます」
また、裕子は頭を下げた。
「山野さん、学校で謹慎処分を受けたそうですね」
「はい、だからここに来るいい機会かなと思って。暇だし。でも、よく知ってますね」
「奈々のお母さんから聞きました。とても恐縮し、感謝してましたよ」
「そんな。あたしこそ、奈々やお母さんに迷惑かけちゃってんのに」
その言葉に、園長は小さく笑った。
「そういう話を聞いて、わたし思ってたんですよ。山野さんのような人は、本当に貴重だなと。慈悲の心を持っている人はこの広い世の中ですからいくらでもいますけど、同じ目線で知的障害者を見ることの出来る人は、そうそういませんからね」
「だって、前もいったけど、障害なんて単なる個性じゃないですか。目線を上下出来るほど、あたし器用じゃない、というか高等な生物でもないし」
「ただそれだけのことなのに、そういう考え方を出来る人が、実に少ないんですよ。わたしなんかも、差別なくあの子らに接しているなんて自信を持っていえないですからね。まあ、わたしは経営者なので、ある程度の距離を置いて現実的に考えないとならないところがあるんですが。障害者は天使だなんて思っていたら、かえってあの子らを守っていけないですから」
理想は理想、現実は現実。
でもその理想をかなえるためには、しっかりと現実を見据えて、一歩一歩ステップアップしていかなければならない。
ということ、かな、園長さんがいっているのは。
「なんかよくは分からないけど、でもとにかく、要は性格っすよ。障害がどうこうじゃなくて、大事なのは性格。根っ子の根っ子」
その言葉に、園長はふふと笑った。
裕子は、本心からそう思っていただけなのだが。
背が高い低い、顔が良い悪い、ハンデがあるない、そんなことより大事なのは性格。
山田秀美や地上げ屋の男みたいな、あんなのこそどうしようもないんだ。
それから十分ほども話をし、忙しいだろうからと、園長との会話を終わらせて、事務室を出た。
大部屋に行き、子供らと小一時間ほど遊び、施設を後にした。
7
大戸駅への道程、裕子は考えていた。
結局、かけた迷惑を謝罪しただけで、その他に有意義な話が出来たとは思えない。
園長は、裕子のことを色々と褒めてくれたが、裕子自身は自分のしたことにまったく納得がいっていない。
実際、奈々を巻き込んで様々な事件が起きてしまっているではないか。
武田直子は巻き添えで酷い暴力を受けたし。
これは自業自得とはいえ退学した者まで出た。
納得が出来ていないのは、今回の出来事が偶然ではなく必然と思うから。
どうすべきだったのか、正解があると思うから。
もし正解はなくとも、より近づける道が必ずあるはずだから。
それが物理的なものであるのか、精神的なものであるのか、自他どちらへの対処になるのか、そうした具体的な部分は、まだまったくイメージも出来ないけど、でも、なにか出来ること、出来たこと、絶対にあるはずだから。
だから、納得がいかない。
悩んでしまう。
「王子!」
よく知った声が聞こえた。
駅のある方から、学校の制服姿で武田晶が走ってくるではないか。
どうしたんだろう。
「あれ、よくここにいるって分かったね」
裕子は、つとめて呑気そうな態度をとった。
「王子の家に電話したら、ここだって教えられて。そんなことより王子、大ニュース!」
「ウンコでももらしたか。ついに」
「アホか! いいから、学校に来てよ、学校に! あと、ついにってなんだよ!」
「え、あたし私服だし。つうか謹慎中」
「いいから!」
晶は、裕子の腕を無理矢理ぐいぐい引っ張って、駅へと向かうのだった。
8
「はあぁ?」
山野裕子は、思わず素っ頓狂な声を上げていた。
「だからさ、謹慎処分がとけたんだって」
武田晶は喜んでいるのかいないのか、あいかわらずの仏頂面であるが、声のトーンからして、まあ喜んでいるのであろう。
ここは、佐原南高校の校長室である。
部屋にいるのは、山野裕子、武田晶、校長、裕子の担任、の四人だ。
謹慎処分の解けた理由だが、地上げ屋の男との一件について、目撃者がいたのである。
それにより、男が訴えてきた内容がまったくの出鱈目であり、むしろ裕子の方こそが被害者であることが分かったのである。
目撃者は、争っていた場所のすぐ目の前にある家の住人。
二階の窓際で川を眺めながらタバコを吸っていたところ、眼下で事が始まった。これは一大事だとばかり窓枠に身を隠して様子を見守っていたが、気配のただならなさに、途中から携帯電話で動画撮影をしたとのことだ。
すぐに警察に届けなかったのは、終わってみれば殴っている酔っ払いの方が泣き言を叫びながら逃げてしまったためだ。
とにかく、その動画が、裕子の無実を明かすなによりも揺らぎのない証拠になったのだ。
地上げ屋の男は、名前を吉崎順平といい、やはり暴力的な組織と繋がりのある者であった。
過去に一度逮捕されたことがあり、それからというもの、相当に狡猾な手口で地上げを続けていたらしい。
警察としては、前々から目をつけていた男であり、だから今回の件もなんとしても目撃者を見つけたいところだったのだ。
「山野君は、知的障害の生徒をかばい、言葉や暴力による挑発を受けながらも、決して手をあげなかった。それを知った香取市長から、ぜひ表彰したいといわれている。さっそく、明日の臨時朝礼で行なう予定だから、遅刻せずに登校するようにしてください。以上。今日はもう帰っていいよ。ああ、それと、今回の件は悪く思わないで欲しいのだけど。こちらとしても、色々あって慎重に動かざるをえなかったのだから」
校長は、裕子がこの部屋に入った時から始終にこにこ顔であった。いまならば、小遣いくれと手を出せばくれるかも知れない。
「はあ。まあ、分かりました。そんじゃ失礼します」
反対に、裕子はつまらなさそうな表情を隠しもしない。
実際、面白くないのだ。
早くこの場を立ち去りたかった。
出来ることなら、明日も登校したくない。かなわぬならば、せめて遅刻したい。
正直、ムカムカする。
9
校長室の扉を開けると、そこにはいつからいたのかフットサル部のみんなが待っていた。
先ほどからなんだかこそこそ騒々しかったので、予想はついていたけど。
「王子先輩、よかったですね」
梶尾花香の、本当に嬉しそうな笑顔。
「先輩になんかあったらどうしようかと思いましたよ」
深山ほのか。あえて無表情に淡々と喋ることで冗談っぽく見せているが、やはり奥から溢れ出る感情を殺せず、ちょっと涙目になってしまっていた。
「おつとめごくろうさんでした!」
星田育美が敬礼する。こめかみの辺りでなく顎のところに手をぴっと当てているのは、ハリセンかなんかで突っ込んで欲しいということだろうか。
「ヤクザ映画じゃねえっつーの。まあ、なんだ、授業サボれなくなっちゃうのは残念だけど、なんとか処分も解けてよかった。みんな、心配かけたね」
裕子はとりあえず重い気分を振り払うと、唇の両端を釣り上げ、にっと微笑んだ。
「王子ぃ、また一緒だ」
西村奈々が、裕子に抱き着いた。
「奈々、今日からまた一緒に帰ろうな」
裕子も、奈々を抱きしめた。頭をぐりぐりと撫でた。
また一緒、か。
しかし、いつまで、一緒にいられるのだろうか。
どのみち自分はもうすぐ引退の身だが、奈々はいつまで、この仲間たちとフットサルが出来るのだろう。
しかし、何故だろうか。
誤解が解け、謹慎処分から解放されたというのに、どうして全然嬉しくないのだろう。
処分をいい渡された時には、なんにも考えられなくなってしまったくらいだったというのに、ご飯も食べられなくなってしまったくらいだったのに。
自分の中で、なにか、変わってしまったんだろうか。
でも、なんだか分からないがけれど、そういう気持ちがなくなるということが、平気になるというのが、大人になるということなら、嫌だな、大人になんか、なりたくない。
10
翌朝。
体育館で臨時朝礼が行なわれた。
予定通り、全校生徒の前で、山野裕子は表彰された。
校長が嬉しそうに出来事を語り、そして市長から貰った立派な賞状を裕子に渡した。
館内を無数の拍手の音が反響した。
裕子が表彰台から降りて自分の列に戻った後、さらに校長が二言三言、綺麗な言葉を述べて、臨時朝礼は終了した。
裕子にとって、今日は特別な日でもなんでもない。
単に、今日からまた学校生活が始まるというだけのことだ。
これまでと同じことが、これからも続くだけ。
日常に戻るだけ。
それなのに、このもやもやと晴れない嫌な気分はなんなのだろう。
実際、朝に表彰を受けたという以外はすべてが普段通り。
授業を受け(居眠りして)、部活に出て(表彰のご褒美で居残り特別免除だったため、なんと遅刻せず)、奈々を自宅に送り届け、そして家に帰る。普段通りの生活が戻っただけだ。
だというのに、なんだろう、この感情は。
なんだろう、この感覚は。
嫌な感情というよりも、はっきりしないもやもや感がいつまでもまとわりついていることが嫌なのかも知れない。
自分のことなのに、自分でも分からない。
家に帰る途中、自宅マンションすぐそばにある児童公園に立ち寄った。
もう空は真っ暗だ。
頼りない街灯に照らされた、ぼうっと浮き上がるような、ほの暗い公園には、他に誰もいない。
裕子はベンチに腰を下ろした。
しばらくの間、なにもせずただ座っているだけだったが、やがて、おもむろに、横に置いたバッグに手をかけ、開いた。
朝礼で貰った、市長からの感謝状を取り出した。
見ているうちに、むかっ腹が立ってきた。
なんだか釈然としない、漠然としたもやもや感があったが、それがなんなのか、分かった。
だからといってスッキリとするわけでもなく、それは、ただ裕子の怒りを倍増させただけだった。
あのクソ校長……
本当に大切なものって、何だ。
震える手で賞状を掴みなおすと、無茶苦茶に引き裂いてしまった。
「こんな、紙っ切れじゃないだろ!」
無数の細かな紙片となった手の中の物を、叩きつけるように投げつけた。紙片は、小さく舞い上がり、広がり、地面に散らばり落ちた。
裕子は長いため息をついた。
地面にしゃがみ、投げ捨てた賞状の切れ端を拾い始める。
「あたしってほんとバカだ」
でも……
頭を上げた。
その口元には、微笑が浮かんでいた。
まあ、校長は、先生たちは、ほんとにどうしようもないけど、でも佐原南高校、この学校は、最高だ。
次々に、素晴らしい出会いを用意してくれる。
入学してからというもの、優しくて頼もしい先輩に、頼られ甲斐のある可愛い後輩。ちょっと憎たらしいのも若干混じっているけれど。
フットサルの対外試合でも、色んな人と出会うことも出来たし。
あとは素敵な彼氏と出会えればいうことないけど、そこまでは贅沢もいえない。
「大会まで時間もない。明日からもっとしっかり練習しないとな」
裕子は立ち上がると、拾った賞状の切れ端をスカートのポケットに詰め込んだ。
カバンを手に取ると、薄暗い街灯の中、自宅への道を走り出した。
山野裕子は自宅マンション自室のベッドの上、大きなクッションに背をもたれさせて、片膝を抱えている。
今日は平日。
いまはお昼で、本来ならば、学校で授業を受けているはずの時間帯である。
しかし、裕子は自宅にいる。
学校の外で起こした不祥事により、自宅謹慎を命じられているためだ。
事の次第によっては、そのまま退学処分が下される可能性も有るという。
先日、地上げ屋の男と裕子が佐原駅近くの道端で取っ組み合う大騒動が起きたのだが、その男が学校を訴えてきたのだ。
生徒に暴力をふるわれ、腕を大怪我させられた、と。
校長らが見た限り大怪我には思えなかったそうだが、それでも怪我は怪我だ。
医療明細も見せてきたらしいし、全く嘘の怪我というわけではないのだろう。
生徒に負わせられた怪我だと主張するのであれば、学校としても放っておくことは出来ないということだ。
2
訴えのあった当日、山野裕子は校長から呼び出しを受けた。
事件当日に一緒だった、武田直子と西村奈々もだ。
状況を問われ、当然、裕子は真実を伝えた。
直子も、途中で半狂乱になってしまったため記憶の曖昧な部分もあったものの、それでも見たありのままを必死に訴えてくれた。直子がその時の事を語るには、自分自身の辛い記憶とも戦わなければならず、また気がおかしくなっても不思議でないというのに、それに耐えて、必死に。
だが、裕子の仲間である以上は虚偽の説明をする可能性もあるわけで、とりあえずの参考人とはしておくが物事の判定を覆すような絶対的な証人としては認められない、とのことで、あまりまともに取り扱ってくれなかった。
奈々にしては、いわずもがなである。
「なら、なんで呼んだんですか?」
あまりの理不尽さに、直子は呆れ、激しく校長に詰め寄ったが、頑張りは全く実らなかった。
3
このようなやりとりがあり、山野裕子は自宅謹慎という処分を受けることになったのである。
裕子は、悔しくてならない。
このような事態を招かないように、相手の理不尽で一方的な暴力にもじっと耐えていたというのに。
自分はきっと、あの地上げ屋に利用されたんだな。
裕子はそう考えている。
施設の評判を少しでも落とすために。
追い出しやすくするために。
などという思考を、ここでどんなにめぐらそうとも、詳細がはっきりするまで謹慎という事実に変わりない。
おとなしくしているしかない。
ちょっとだけ慰められるのは、職員会議で「向こうが嘘をついている可能性もあるし謹慎は厳しいのでは」という声も何人かから上がったということ。
あっさりと、棄却されてしまったらしいが。
先日に発生した、山田秀美らによる直子と奈々への監禁暴行事件により、学校の評価が落ちているため、疑わしきに対して慎重に行動せざるを得ないというのが校長の考えだ。
ましてや山野裕子は、その山田秀美の件の関係者でもあるのだから。
なにもない生徒ならば、そう立て続けに問題行動を起こす、もしくは巻き込まれるはずがない、と。
これに対しても裕子は腹立たしくて仕方がない。
その件は、どちらかというまでもなく、裕子は被害者側に属しているためだ。
ちなみに、その山田秀美らであるが、結局、学校は警察へ通報、退学処分が下された。
もしかしたら裕子も、彼女たちに続くことになるのかも知れない。
だって、違うといっているのにまともに話を聞いてくれないのだから、どうしようもない。
裕子は、ベッドの上に座ったまま、なにをするでもなく、ぼーっとした状態で悪戯に時を無駄にしている。
意識があるのかないのか自分でもよく分からない。
たまに時計を見ると時間が大きく進んでいるので、やはりちょこちょこと意識が飛んでいるのだろう。
時折、意識が戻っては来るものの、怒りや、悲しみや、ならばあの時どうすればよかったのか、そもそも自分が奈々へと接触したのは間違いだったのか、ナオにまで迷惑をかけてしまって申し訳ない、フットサル部大丈夫かな、などといった様々な思いが断片的に、ぐるぐる回っては、また思考停止してしまう。
母親の声が聞こえる。
なにか、いっている。
叫んでる。
聞くのも面倒くさい。
放っとこう。
お母さんにも、お父さんにも、迷惑かけちゃったよな。
信じるといってくれたのは嬉しいけど、それだけに、ほんと申し訳ない。
いいや、考えるのあとあと。
裕子はあえて、ぼやけた意識の中に身を置いたまま戻ろうとしなかった。
しかし、さっきから、ぐうぐうと変な音が鳴っていてうるさい。
考えたくないんだ。ぼけっとさせてくれ。
「……い、……王子先輩!」
武田直子の声に、意識を戻された。
あれ、なんで、いるんだ?
視界が、はっきりとしてくる。
ピントが合った。
制服姿の、直子と、晶の姿が網膜に映った。
窓からは、強烈な西日が差し込んでいる。
いつの間にか、夕方になってしまったようだ。
「ナオ、姉ちゃん黙らせてよ、ぐうぐうと妙な声出しててうるさい」
裕子は頭をかくと、軽くのびをした。
「自分のお腹の音だろ! せっかく部活抜け出して励ましにきてやったのに」
憤慨する晶。
表情はいつもと全然変わっていないが。ちょこっと赤みが増す程度で。
「ああ、朝からなんにも食べてないからなあ。全然お腹すいてないと思ってたけど、すいてたんだな。部活抜け出したって、誰に任せてきた? 三年?」
「里子。部長になる練習だって喜んでたよ。それより王子、あたしらがここに入って来てからも、ずーっと壁を見つめてたけど、大丈夫? 具合悪くしてない?」
晶は、裕子のおでこに手を当てた。
「なんとか」
裕子も、腕を伸ばして晶のおでこに手を当てた。
「あたしの熱を見てもしょうがないだろ! しかし、驚いたな」
晶は、あらためて室内を見回した。
洋室には、学習机、ベッド、本棚。床には大きな熊のぬいぐるみがある。その脇に鉄アレイが置いてあるのが微妙なところだが。
「なにが?」
「いや、王子の部屋、初めて上がらせてもらったけど、思っていたよりも遥かに綺麗でさ」
「だって可憐な女の子だもん」
たまに母親が、凄まじいまでに散らかっている部屋のものを全部捨ててしまうだけ、それがつい先日だったというだけである。
「あの、王子先輩、こんなことになっちゃって、どうも済みませんでした」
直子が、頭を下げた。
「え、なんで? なんでナオが謝んだよ」
「だって、あたしのことがあったから、先輩が謹慎になっちゃったわけですし」
前述した、山田秀美との一件が学校の評価を下げ、そのため学校が慎重になっている、ということをいっているのだろう。
「関係ないよ、そんなこと。そういうこというんなら、じゃ、やっぱりこの前の、ウナギ奢らせろ」
「嫌ですよ。前にもいいましたけど、あのことは、先輩関係ないじゃないですか」
そもそも、ウナギじゃなくてソフトクリームじゃないの? なんでウナギの方ばっかり引っ張るのかな、この先輩。と、ぼそぼそ独り言の直子。
「じゃ、この件も関係なし。ナオは悪くない。謝る必要ない。終了」
「分かりました。じゃあ、そういうのと関係なく、セカンドキッチンのハンバーガー買ってきたんですけど、食べます?」
「あ、食べる。いいの? そういうのと関係ないなら、いただきます。腹減った。ありがとね、ナオ、晶」
「こないだの日曜から新しいのが出たんですよねえ。かりっとガーリックなんとかバーガー」
直子は紙袋から、がさごそと取り出し始めた。
こうして裕子は夕方になってようやく、本日初めての食事をとることになったのである。
食事をしながらの会話は、特筆する必要もない、他愛のないものばかり。晶たちとしては、謹慎で意気消沈しているであろう裕子を励ますことが目的であり、それで無問題ということだろう。
その後、小一時間ほどで、晶たちは帰宅することに。
「淋しいなら、明日もまた来ますよ」
玄関で靴を履いた直子は、裕子の顔を見てにっこり微笑んだ。
「悪いよ。今日だけで充分。わざわざありがとね」
裕子も、たまには素直に礼をいうのだ。
「あれ、靴紐解けちゃってる。ナオ、先に出て待っててよ」
腰を降ろして靴を履こうとしていた晶は、そういうと直子の顔をを見上げた。
「うん。お邪魔しましたあ!」
奥の部屋にいる、裕子の母へと叫ぶと、直子は玄関のドアを開けて先に外へと出た。
「王子さあ、ナオ、どう思う?」
靴紐は、解けてはいなかった。靴を履いた晶は、立ち上がり、そして真剣な表情を裕子へと向けた。
「無理してるね、相当に。普段通りにふるまおうと、してはいるようだけど。まだ、心のダメージが回復してないみたい」
「やっぱり、王子にも分かるか。そうなんだよ。家でもさ、妙にハイテンションかと思うと、まったく喋らなくなっちゃったり」
「なにすることも出来ないし、とりあえず、時間が解決してくれるのを期待しよう。そうならなかったら、なんか考えようや」
「そうだね」
「ほんと、今日はありがとな」
裕子は、玄関のドアを開けてやる。
「サンキュ。それじゃあ、お邪魔しましたあ!」
晶も外へ出た。
4
裕子は、一階まで二人を見送り、部屋へ戻ってきた。
玄関のドアを開ける前に、後ろを振り返った。
夜闇で街灯も薄暗く、遠くは全く見えないが、この先を、晶たちは歩いているはずだ。
二人とも、ありがとね。
あらためて、心の中で礼をいった。
自分を心配して、様子を見にわざわざやって来てくれたのだ。
口を開けばひねくれたことばかりいう裕子だが、今日ほど素直に有り難いと思ったことはなかった。
抱えていたもやもや、根本原因はなにも解決していないけれど、でも、気分はかなりすっきりした。
「裕子、夕飯は食べるの? でも、いまたくさん食べてたみたいだけど」
玄関のドアを開けるなり、母に声をかけられた。
「食う!」
でもその前に。
裕子は、兄の部屋に勝手に入り、電気をつけると、床に転がっているグローブをはめた。
サイズが合わず、ぶかぶかである。
右ストレート。
ズン、と鈍い音がして、部屋の隅にあるサンドバッグが揺れた。
続いて左フック。
腰がしっかり回っており、どんな大男も一撃でダウンしてしまいそうな重い音があがった。
ジャブの連打。
続いてコンビネーション。右、左、右、右ストレート。左ジャブ連打。右フック。
右ストレート。
「よーし、KO!」
裕子は、ふうと息を吐くと、グローブを外した。
果たして誰を殴りつけていたのか、自分でもよく分かっていなかった。
もう、どうでもよかった。
5
「そしたらホナちゃん、メモ落として梓に拾われちゃってたことすっかり忘れて、まだとぼけようとしてるんだもん。すました顔でホナちゃんがなんかいうほど、梓の顔に青い縦線が入ってるのに、ホナちゃん気付いてないんだもん。もうおかしくってさあ。おっと笑っていいのか、ほのかちゃん、ここで大爆笑しちゃっていいのかあ」
先ほどから、深山ほのかのお喋りがとまらない。
体育館へ続く通路を、フットサル部の一年生、深山ほのかと武田直子、星田育美、久慈要の四人が歩いている。
部室で体操着への着替えを済ませ、練習場所である体育館へと向かっているところだ。
「あれは、ほんとにおかしかったよねえ、ナオ」
「そうだね」
直子は俯き加減、消え入りそうな声で頷いた。
「ちょーノリ悪っ。あのさあナオ、王子先輩が謹慎になっちゃって悲しい気分になるのは分かるけど、だからこそ、あたしらフレッシュな一年生が明るく盛り上げてかなきゃあ。はい、笑って笑って、六十分笑ってえ」
ほのかは、直子のほっぺたを両手で掴んで引っ張り、強引に笑顔にしようとする。
むにゅうう、と口角つり上がる直子の顔であるが、ほのかが手を離すとすっとほっぺたの肉が落下して、反動で首が余計にうなだれる。
「そこまで落ち込むようなことかなあ」
星田育美は腕を組んで、首を傾げた。
小柄な女の子ならば可愛らしい仕草であろうが、育美の巨体だとプロレスラーが街で喧嘩になって首をバキバキ鳴らして脅しているようにしか見えない。
「やや、山上、慎平君のドラマ、でも、録り逃しちゃったんじゃないの」
久慈要が、つっかえつっかえ裏返ったような大声を張り上げた。山上慎平、以前に直子が好きだといっていた、いまをときめく人気アイドルだ。
育美とほのかの足が止まった。育美の背中に頭をぶつけて、直子も止まった。
「あのー」
育美がただでさえごつい顔をしかめ、久慈要の顔を覗き込んだ。
リアル3Dの大迫力に、気の小さな女の子なら、これだけで泣き出してしまいそうである。
ほのかが言葉を続けて、
「カナ、それって、冗談? いや、そうなんだろうなあってのは分かるけど、でも、ほらカナってそういうのいいそうな性格に思えないから。実際、一度も冗談いうのを聞いたことがないしい、だからいまのは一体どういう心理なのかなーと」
というほのかのほのかな疑問の言葉に、久慈要の顔が見る見るうちに真っ赤になった。
「先っ、行ってるから!」
久慈要は、いまにも泣き出しそうな顔で、逃げるように走り去った。
「なんか分からんちんだけど、元気のないナオをフォローしようと、いい慣れないこといって滑っちゃったのかな。ほら、ナオ、元気出さないと。親友がああして心配してくれてんだから。大丈夫、王子先輩ちゃんと戻ってくるってば」
ほのかは、直子の背中をばんばんと叩いた。
「ありがとう」
直子の元気がないのはその一件ばかりではないのだが、説明しても仕方ないので黙っていた。
ここで山田秀美とのことなんか話しても、最悪な記憶を思い出してしまうだけでなく、みんなには色々と疑われて、事実でないことまで事実にされてしまうかも知れないし、なんのいいこともないだろうから。
学校には、山田秀美との関係は内緒にして貰って(むしろ学校からいい出してきたことだが)、顔の痣がおおかた消えるまで、夏風邪をこじらせたことにして十日間も休んだのだ。
迂闊なことを口走ろうものなら、そんな努力も全て吹き飛び、なにもかもがばれてしまう。
6
三人は、体育館に入った。
上級生はまだ半分ほどしか揃っていないが、一年生はこれで全員が集まった。
集まったところで、練習道具の準備をするため用具室へと移動だ。
ゴールポスト、ボール、カラーコーン、ビブス、一通りの道具が揃ったところで、上級生全員が集合するのを待たずに練習開始。
誰が指示するわけでもなく、自発的に。
まあ、毎日の流れとして、ほぼ決まっているのだが。
まずはウオーミングアップから。
校庭をジョギングである。
一周を走り終えたところで、残りの上級生もほとんどが合流して、校庭の裏門から公道へと出た。
この周辺は勾配が多いので、だいたい晴れた日にはこのように公道を利用することが多い。足腰を鍛えるのに最適だからだ。
体育館へ戻ると、続いてストレッチ。
それからようやく、ボールを使ったメニューに入った。
まずはパスの練習。
直子は、久慈要とペアになった。
久慈要は実に柔らかなタッチでボールを扱うが、裏腹に顔はかちかちに硬かった。いつも表情は硬いが、いつも以上に。
直子の様子ばかりを気にしているようであった。
気にされていることを気にする直子であるが、そのせい、というわけではないだろう。
調子が最悪なのは。
ほんの目と鼻の先という距離だというのにミスキックの連発、それどころか蹴り損ねてボールの上に乗ってバランスを崩して転んでしまったくらいだ。
身体のコンディション云々ではなく、あきらかに心がどこかに飛んでしまっている。
それを完全に見抜かれていることに、直子の動きはますますコチコチになる。
また、ボールに乗り上げて転んでしまった。
久慈要は、ため息をついた。
「ナオ、ちょっと話がある。きてくれないかな」
そういうと、直子の返事も待たずに腕を引っ張った。
「晶先輩、ちょっとナオ借りてきます。例のことでちょっと。部室にいますから」
「分かった。紅白戦までには戻ってくるんだよ」
「はい。ほら早く、ナオ」
「ちょ、ちょっと、カナちん」
「いいから」
「でも」
直子は、久慈要にずるずると引っ張られるまま、体育館を半周したところにある部室へと連れていかれた。
7
「なに? 話って」
直子は尋ねた。
「あのね、ナオ、怒らないで欲しいんだけど……」
久慈要の表情があらたまった。
もともと表情豊かな方ではないが、より深刻そうな、険しい顔になった。
「カナちんに、怒ったりするわけないじゃん」
なにをいまさら。
「あたしというより、晶先輩に、かな。その、なんというか、ナオが巻き込まれたこと、晶先輩から、聞いちゃったんだ」
そういうと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
直子は、一瞬、肩をすくめ、目を見開いた。
どきり、という擬音がこれほどふさわしい顔もないだろう。
だが、すぐに微笑んだ。
多少、ぎこちないものであったが。
「なんだ、そんなこと。信用してるってことだろうから、お姉ちゃん、カナちんのことを。気にしないよ、そんなこと。心配してくれてありがとう。大丈夫。あたしの心が弱いのが悪いだけだから。そう、全部あたしが悪いんだ」
「悪いのはそいつらでしょ!」
突然の大声に、直子はまた、びくりと肩をすくめていた。
呆然とした表情で、親友の顔を見つめた。
カナちんが、こんな顔で、こんな声を、出すなんて。
「晶先輩から聞いたけど……彼女らが退学になったこと、それすらも、自分のせいかも知れないって責めてたっていうじゃない。ナオは、もっと他人のせいにすることも覚えた方がいいよ」
「そんなこと、いわれても」
「自分が弱いのを分かっていて、でも他人を恨めないのも分かっていて、だから、とにかく明るく振る舞ってそもそもの争いが起こらないようにと、全てを上辺だけでやりすごして、我慢しようとして。……それは、ナオがどうしようもないくらいに優しいからそうなるわけで、それは、あたしなんかには到底真似出来ない立派なことだと思うけど、でも、でもそれじゃあ、ナオが辛いだけだよ」
「分かったようなこといって!」
そう叫ぶ直子の目には、いまにも溢れそうなくらいに涙がたまっていた。
そしてそれは、つう、とこぼれた。
「ごめん、カナちん。ごめんね。心配してくれているのに。ごめん」
直子は、指で涙を拭った。
拭っても、拭っても、どんどん涙がこぼれてくる。
「謝らなきゃならないようなこと、ナオはなにもしてないでしょ」
久慈要は、微かに笑みを浮かべた。
「ね、ナオ。あたしたちが、初めて会った時のこと覚えてる?」
久慈要の問いに、直子は頷いた。
「もちろん。なんだかおとなしそうな、というより暗そうな子、って思った。そしたら、隣の席になっちゃってさ、どうしようって慌てちゃったよ」
「あたしだって、似たようなこと思ったよ。うるさそうな子が、隣になっちゃったよって」
「あたしが教科書全部忘れちゃった日、あたしなにもいってないのに、カナちんすぐに気付いてくれて、見せてくれて、ああ、いい子だなって思った」
それから急速に、二人の距離が縮まったのだ。
「そんな程度で良い子か悪い子かの判断なんかされたらたまらないよ。……そのあと、二人で部活どこにしようかって話をしていて、ナオからフットサル部があるって聞いて、入ることになったんだよね」
直子は、同じ中学の姉がフットサル部に入っていたので、もともと入部するつもりだったのだ。
久慈要は、入部した頃から部員の誰よりも上手だった。
幼い頃からやっているので経験豊富であったし、何より先天的なセンスが優れていたのだろう。
直子は、伸びてきたのは一年生の三学期頃からだ。
「だから、お姉ちゃん、まだ信じてないんだよね。自分はとっくに引退しちゃってたから。あたしとカナちんが、ナオカナなんて呼ばれて、二人でどんどん得点量産してたこと。ま、それだけ最初の頃のあたしが酷かったってことなんだけど」
「酷くなんかないよ。ただ、周囲とのコンビネーションに時間がかかってただけ」
「すぐそうやって、フォローしてくれるんだよね、カナちんは。フットサル以外でもさ」
出会ってどれくらいで、そういう仲になれただろうか。
それほど時間はかからなかった気がする。
とにかく、教室でも部活でも仲良くなり、外でも遊ぶような関係になった二人は、小さな旅行に出掛けたり、お互いの家に泊めてもらったり、どんどん親交を深めていった。
「ほんと、楽しい思い出が一杯だ」
直子は遠い目で、そっと口を閉じた。
「そう。世の中ってね、楽しいことばっかりなんだよ。あたしみたいなカチカチの顔でいっても説得力ないかも知れないけど。とにかく、楽しいこと嬉しいことが溢れていて、それに気付けるかは本人次第。でもね、怖いこと、辛いこと、どうしようもないこともやっぱりあって、頑張って解決出来るものもあって出来ないものもあって。……ごめん、なんか、なにがいいたいのか、分からなくなっちゃったな」
久慈要はいったん言葉を切り、ひと呼吸置くと続ける。
「とにかく、ほんとうに怖いこと、辛いこと、これを乗り切るには本人の頑張りも必要な場合もあるけど、もう、ナオは充分過ぎるほど頑張っているから、だから後はきっと、時間が、解決するから。……だから、大丈夫だよ、ナオ。……あたしも、王子先輩だって味方だし、なんたってナオには、あんな素敵なお姉ちゃんがいるんだから」
久慈要はカチコチの不器用な笑みを作ると、直子の柔らかな身体を抱きしめた。
直子は無言のままであった。
なにを返せばいいのかどころか、なにを思えばいいのかすら分からなかったのだ。
ず、とただ鼻をすすった。
8
「よーし、いまのドリブルなかなかよかったよお亜由美先輩!」
今日も勝手に部を仕切っている生山里子は、拍手しながら先輩のドリブルを褒めた。
「なんだよ後輩のくせに」
亜由美が苦笑している。
「ほらあ、花香! コントロールが雑、試合だったら簡単に奪われちゃうよ!」
大きな声を出せばいいというもんじゃないけど、声を出さなかったら暗く沈んじゃうからなあ。
やっぱり王子先輩は凄いなあ。
いるだけで、なんかもう、雰囲気が違うもんな。
手を叩きながら、声を張り上げながら、里子は胸の中で弱音をぼやいている。
王子、山野裕子のいないフットサル部は、なんとも活気に欠ける状態であった。裕子があまりにうるさすぎるという、単なる比較対象との相対的な問題なだけかも知れないが。
とはいえ、裕子のいない部活は今日でもう三日目。
だというのにみんな、いっこうに慣れてきている様子が感じられなかった。
西村奈々にしても、それは例外ではなかった。
「奈々のいる全体練習」というメニューを、裕子がある程度作り上げてくれたため、他の部員も困ることはないし、奈々も普段通りに練習内容をこなしてはいるが。
奈々は笑顔だ。
だが、裕子がいた時にはもっと笑顔だった。
奈々は奈々なりに、この現状に不満を感じているのだろう。
裕子がよくないことに巻き込まれ、それは自分も関っていること。
漠然とではあるが、それに気付いているのだろう。
現在、ドリブル練習中である。
奈々はボールを蹴っている。
葉月先輩から教えて貰った、弱くパス、弱くパスで、見た目器用にボールを運んでいる。
「上手くなったな、奈々。よし、みんな、それじゃあ次は、シュート練習だ! まずはゴレイロなしでいくぞお!」
コーンをどかして、シュート練習に入った。
「夏樹! なんだそのへっぴり腰は!」
ひとり元気な大声の里子である。
みんなには、空回りしているように思われていること。里子は気付いている。
正解だよ。
空回り、しているよ。
追い抜くといっていたその標的が、わけの分からない謹慎処分で突然に来られなくなってしまったのだから。
本来、部長がいない時の全体指示は、副部長である武田晶の役割である。「ほら里子、部長練習部長練習」と、最近すぐ里子に任せてしまうのだ。
あと二ヶ月で三年生は引退するからって、それでいいのか。
いいのだ。
晶先輩のいう通り、部長になる練習なのだ。
王子先輩がいないくらいで、落ち込んでいられない。
いないからこそ、しっかりやらないと。
あたしが、引っ張っていかないと。
「茂美先輩、ナイスシュート! ああもう、亜由美先輩、ヘタクソ! そこはもう半歩踏み込んで蹴らなきゃあ。お尻にも、ぐっと力入れて! もう一回! そうそう。ちょっとよくなった!」
下級生どころか、二年生三年生にまで技術指導をしようとする里子。いつものことであるが、今日は気合が入り過ぎで空回り。
分かってる。
でも知ったことか。
細かい上に、指導の元となる知識が全て我流なものだから、いつも相当に煙たがられているが、今日は空回り気合のせいでさらに煙たがられているみたい。
分かってる。
でも知ったことか。
「よし、それじゃシュート練習は終わり。次!」
里子の指揮による練習メニューは進み、続いては、ボールキープ及び奪取の練習に入った。
部員たちは、それぞれに三人組を作る。
里子も指示を飛ばすだけでなく、衣笠春奈と久慈要と、組を作った。
「カナ、本気できな。経験どんな長いか知らないけど、勝負じゃ絶対に負けないからな」
里子は指をぽきぽきと鳴らしながら、不敵な笑みを浮かべた。
隣の春奈が疑問の声を呟いた。
「最近思うんだけどお、里子って、なんか性格が王子に似てきてない?」
なにげない春奈の言葉に、里子はきっと彼女を睨みつけた。
「似ってませんよ、あんなのに! 失礼な!」
「そう?」
「でも、三年生引退したら、あたしが二代目王子を襲名してやってもいいですけどね。ほら、『里子』から『甘』さを抜けば『王子』ですから。あたしどんどん厳しくなってきてますからね、自分にも他人にも」
「甘さを抜いても、王子の王の字にはならないと思うけど。性格だって、どんどん甘くというか優しくなってきているし」
入部した当初の里子の態度や性格が相当だったというだけかも知れないが。
「なんで、王子の字になんないんですか! 里の字から、甘いを引いたら、なるでしょう」
不満顔で、春奈に詰め寄る里子。
「なんないって」
「えー、紙があれば書いてあげるんだけどな。なるでしょ、王の字に」
里子は体育館の床に、足を大きく動かして文字の形を描き始める。しかし彼女は、右脳が鈍いのかエア文字は苦手、自分で書いておきながら頭の中でその文字をイメージすることが出来ず、なんだか自信がなくなってきた。
「だから、横棒が一本足りない。王子じゃなくて土子になっちゃう」
「ええっ? はあ、なんか、そうなるような、気がしてきた、ちょっと」
がっくり肩を落とす里子。せっかくゲンの良い、うまい言葉遊びを思い付いたというのに。
「おーい、土子、ツッチー、さっさと練習始めろ。ちゃんとやってないのそこだけだよ!」
反対端でゴレイロ練習をしている武田晶副部長様より、お叱りの言葉がのし付きで届いてきた。
「地獄耳。なにさっそく使ってんだよ。あたしなんかより、あっちの方こそなんだか王子先輩の影響受けてきてるよね、最近。前はさ、ムスッとしてただ暗いだけだったくせに、チクチク刺してくるようなとこだけ似ちゃって。ネクラなとこはそのままでさあ。引退間近になって、妙な花を咲かせようとしないでいいのに。老兵は黙って去れ去れ」
本人の地獄耳に届くとどうなるか分からないので、春奈や久慈要にしか届かないような小さな声でたっぷり毒舌を吐く里子であった。
「まあまあ。あたしたち三年生は、ツッチーのいう通りもうすぐ引退で、いなくなるんだからさあ」
春奈先輩も、さっそくツッチーいってるし。
「部長目指してるんでしょ」
「そうだな。そっか、いよいよあたしの時代かあ。長かった王子先輩の下の暗黒統治時代、さらばじゃ!」
里子は両腕を天へ突き上げた。
と、いきなり思い出したように、
「ツッチーじゃないんですが」
せめてサッチーだろ。
まあいいや、もうじきあたしの天下。細かいことは気にしな~い。
「あの、はやく始めないと、また晶先輩に怒鳴られますよ」
テンション高くなっているバラ色里子に、久慈要が真顔で水をぶっかけた。
「分かってるって。じゃ、始めようか。カナ、さっきもいったけど、本気できなよ。カナは経験長いけど、あたしは先輩なんだから」
「はい」
どういう理屈だ? と思ったか、疑問符の浮かぶ久慈要の顔。
「手を抜くなよお。本気でな、本気で」
ボールの奪取キープの練習は、ゲーム要素たっぷりで、人によっては相当に熱くなる。そして、足元技術の実力がよく分かる。
だから里子は執拗に、久慈要に本気を要求しているのだ。
熱い戦いを熱く戦って、久慈要よりも上であることを証明し、気持ちよくなりたいから。
ルールは簡単で、二人が動きながらボールをキープし、パスを出し、残るひとりがボールを奪う。それだけだ。
つまりパスの出し手が、里子と春奈、または久慈要と春奈の組み合わせになった時が、二人の勝負である。
他の部員たちはとっくに初めていたが、里子たちも遅れて、ようやく奪取キープの練習を開始した。
詳細は割愛するが、
結果だけを述べるのであれば、奪取もキープも、どちらも里子の圧勝だった。
「だから本気出せっていったろうが。あたしは、生山里子なんだから」
また、得意げになんだか分かりそうで分からないことをいっている里子。
「いえ、本気でやりました。里子先輩、凄いです」
心底から参りましたといった、久慈要の表情。
「褒めたってぇ、褒めたってぇ、なんも、出ないよ~」
鼻をぽりぽり掻いて、里子はすっかり得意満面であった。
フットサル経験は久慈要の方が遥かに長い。しかし里子も幼少から様々なスポーツを経験している。
だから、柔軟性もパワーもあるし、天性のセンスもある。どんな競技であれ個人技で簡単には負けない、と里子は自信を持っている。
初めての競技であろうとも、ちょっとルールを覚えて、ちょっと練習をすれば、並以上どころか上手にこなせる自信がある。さらに少しだけ練習をすれば、誰であろうとも追い抜く自信がある。
わたしは天才なのだ。
しかし、そう天狗になっていられたのは、紅白戦を始めるまでだった。
里子は、自分の見る目のなさを恥じることになった。
これまで何度も紅白戦をやっているのに、これまで何度も久慈要のプレーを見てきたはずなのに、彼女の本質を、今日あらためて注目してみるまで、なにも分かっていなかったのだから。
久慈要は、個人技に優れているだけでなく、視野が広く、思考速度もはやい。
的確に、前線へと柔らかく優しいパスを供給する。
仕掛けるべきか否かという決断力も大胆かつ正確なものがある。
先ほどの、ボール奪取キープのような、条件の限定されたトレーニングでの勝敗など、里子と久慈要との実力差を見るなんの指針にもなっていなかったのだ。
さっきのは例えるなら、理論の組み立ても出来ないくせに声の大きさだけで口喧嘩で強引に勝ちゃったようなものか。
そもそも、自分を相手に手を抜いていただけかも知れないし。
「とても、真似、出来ないなあ」
紅白戦終了後、里子は小さな声で呟いていた。
「誰の真似出来ないって?」
すぐ横に、梶尾花香が立っていた。
「カナのさ。凄いね、あの子。でも、やっぱり、絶対に真似して、越えてみせるけどね。あたしにクリア出来ないものはない。……でもよくよく考えるとさ、カナのプレーって、他人の陰に隠れて目立たないし、そういうのをあたしがやってみても、あたしが自分のキャラを捨てることにならないかな、ってちょっと不安でもあるんだけど。これが奪えっかナロー! って女王様している方があたしらしいっていうかさあ」
『バカみたい』
花香と、ボール抱えて脇を通り過ぎていく梨本咲とに一蹴される里子であった。
「ちょっと、なんだよハナ、そのタイミング。腹立つなあ、なに咲の奴なんかとばっちりハモってんだよ」
「知らないよ。咲にいってよ。……あれ、あの人たち、また来ているね」
花香は、通路側の壁にある窓の方へと視線を向けている。里子も、その視線を追った。
黒いスーツの男が二人。
文部科学省から派遣されているという、西村奈々たち学校が受け入れた知的障害者の監査員だ。
「観察するのが目的なんだから、別に正体ばれようと来るでしょ」
男たちが誰なのか知った今となっては、もう里子にはあまり興味のないことだ。
だが、里子には興味なくても、武田直子にはあるようだった。
九頭葉月らと組んで練習していた直子であったが、男たちが来ていることに気が付くと、真っ直ぐそちらへと歩いて行くのだった。
4
武田直子は、男たちと窓越しに向かい合った。
黒スーツを着た二人の男、彼らは、文部科学省から派遣されているという者で、この学校が受け入れた知的障害者たちを観察するのが役割だ。
「こんなどうでもいい時にいて、どうしてあの大事な時には、いてくれなかったんですか?」
口調こそ弱いが、糾弾しているかのようであった。
山野裕子が、地上げ屋の男と揉め事を起こした一件をいっているのである。
第三者の証言が得られないばかりに、裕子は自宅謹慎の目にあっている。
下手をすれば退学。
そうなれば、フットサル部も存続出来なくなるかも知れない。
「そんなこといわれてもねえ。学校外で、十代の青少年を尾行するわけにもいかないし。それに、学校内での障害者としての適合力を報告するのがぼくたちの役目だから、そっちの揉め事のことをいわれても困るんだよ」
「それは、そうですけど」
直子は口ごもった。
分かってはいる。
理屈の上では。
この人たちは、なにも悪くないと。
分かってはいるのだ。
でも、もしあの場にいてくれたら、こんなことにはなっていなかったのに。
「そもそも、今日はついでで西村さんの様子も見にきたけれど、でも彼女はもう、どうなるのか決まっているんだから、それほどしっかり観察する必要もないんだよ」
「はい」
直子は消えそうな声で返事をし、俯いた。
泣きそうになるのをぐっとこらえているような、そんな弱々しい表情であった。
「気持ちは分かる。ぼくたちにどうこう出来るものじゃないけど、君たちの部長さん、はやく誤解が解けるといいね」
男たちは去っていった。
悔しそうな、悲しそうな、なんともいえない顔で呆然と立ち尽くしている直子。
いつの間にか、その横に生山里子が立っていた。
里子は、直子の肩に手を回し、優しく叩いた。
5
らぃらっく学園。
西村奈々が世話になっている、知的障害者のための更正施設である。
いま、その門の前に、山野裕子が立っている。
ひとりだ。
自宅謹慎の身であるが、遊びに来たわけでもないし、遠出というわけでもない。問題なかろう、と、ぶらりとやって来てしまったのである。
門の脇にある呼び出しボタンを押そうとしたところ、ちょうど中から女性職員が出てきたので、裕子は声をかけた。
訪問の目的は、園長に会うこと。
園長は外出中であったが、ただし予定では、もうしばらくすれば戻ってくるとのことで、事務室で待たせてもらうことになった。
壁を伝って聞こえてくる生徒らの楽しげな声に、裕子はむずむずして、結局、五分もしないうちに、
「すみません、隣の大部屋に行っていいですか?」
と、事務室を飛び出してしまった。
大部屋には子供らと、ひとりの女性職員がいた。
女性は裕子に会釈をした。
この前、奈々と一緒に来たときに顔見知りになった、若い女性だ。
「おーじだ!」
子供たちの記憶力は素晴らしく、あっという間に裕子はみんなに囲まれてしまった。
みんなと他愛のない会話を楽しんでいるうちに、園長が戻ってきた知らせを受けた。
子供たちに、また後でくるからといい残して、裕子は再び事務室へと戻った。
6
園長の席は事務室の一番奥。裕子は、用意してもらった椅子に腰を下ろした。
「どうもすみません、忙しいようなら、ほんのちょっとだけでいいですから」
裕子は軽く頭を下げた。
「いえ、ちょうど、しばらく予定があくので問題ないですよ」
「はあ、ありがとうございます。それで、今日ここにきた理由なんですけどね」
裕子は訪問のいきさつを話した。
まずは、謝りたかったということ。
地上げ屋の男を、裕子が挑発した格好になってしまったからだ。
「奈々を守りたかっただけなのに、ここに迷惑をかけるかも知れないことになっちゃって、ほんと申し訳ないと思ってます」
また、裕子は頭を下げた。
「山野さん、学校で謹慎処分を受けたそうですね」
「はい、だからここに来るいい機会かなと思って。暇だし。でも、よく知ってますね」
「奈々のお母さんから聞きました。とても恐縮し、感謝してましたよ」
「そんな。あたしこそ、奈々やお母さんに迷惑かけちゃってんのに」
その言葉に、園長は小さく笑った。
「そういう話を聞いて、わたし思ってたんですよ。山野さんのような人は、本当に貴重だなと。慈悲の心を持っている人はこの広い世の中ですからいくらでもいますけど、同じ目線で知的障害者を見ることの出来る人は、そうそういませんからね」
「だって、前もいったけど、障害なんて単なる個性じゃないですか。目線を上下出来るほど、あたし器用じゃない、というか高等な生物でもないし」
「ただそれだけのことなのに、そういう考え方を出来る人が、実に少ないんですよ。わたしなんかも、差別なくあの子らに接しているなんて自信を持っていえないですからね。まあ、わたしは経営者なので、ある程度の距離を置いて現実的に考えないとならないところがあるんですが。障害者は天使だなんて思っていたら、かえってあの子らを守っていけないですから」
理想は理想、現実は現実。
でもその理想をかなえるためには、しっかりと現実を見据えて、一歩一歩ステップアップしていかなければならない。
ということ、かな、園長さんがいっているのは。
「なんかよくは分からないけど、でもとにかく、要は性格っすよ。障害がどうこうじゃなくて、大事なのは性格。根っ子の根っ子」
その言葉に、園長はふふと笑った。
裕子は、本心からそう思っていただけなのだが。
背が高い低い、顔が良い悪い、ハンデがあるない、そんなことより大事なのは性格。
山田秀美や地上げ屋の男みたいな、あんなのこそどうしようもないんだ。
それから十分ほども話をし、忙しいだろうからと、園長との会話を終わらせて、事務室を出た。
大部屋に行き、子供らと小一時間ほど遊び、施設を後にした。
7
大戸駅への道程、裕子は考えていた。
結局、かけた迷惑を謝罪しただけで、その他に有意義な話が出来たとは思えない。
園長は、裕子のことを色々と褒めてくれたが、裕子自身は自分のしたことにまったく納得がいっていない。
実際、奈々を巻き込んで様々な事件が起きてしまっているではないか。
武田直子は巻き添えで酷い暴力を受けたし。
これは自業自得とはいえ退学した者まで出た。
納得が出来ていないのは、今回の出来事が偶然ではなく必然と思うから。
どうすべきだったのか、正解があると思うから。
もし正解はなくとも、より近づける道が必ずあるはずだから。
それが物理的なものであるのか、精神的なものであるのか、自他どちらへの対処になるのか、そうした具体的な部分は、まだまったくイメージも出来ないけど、でも、なにか出来ること、出来たこと、絶対にあるはずだから。
だから、納得がいかない。
悩んでしまう。
「王子!」
よく知った声が聞こえた。
駅のある方から、学校の制服姿で武田晶が走ってくるではないか。
どうしたんだろう。
「あれ、よくここにいるって分かったね」
裕子は、つとめて呑気そうな態度をとった。
「王子の家に電話したら、ここだって教えられて。そんなことより王子、大ニュース!」
「ウンコでももらしたか。ついに」
「アホか! いいから、学校に来てよ、学校に! あと、ついにってなんだよ!」
「え、あたし私服だし。つうか謹慎中」
「いいから!」
晶は、裕子の腕を無理矢理ぐいぐい引っ張って、駅へと向かうのだった。
8
「はあぁ?」
山野裕子は、思わず素っ頓狂な声を上げていた。
「だからさ、謹慎処分がとけたんだって」
武田晶は喜んでいるのかいないのか、あいかわらずの仏頂面であるが、声のトーンからして、まあ喜んでいるのであろう。
ここは、佐原南高校の校長室である。
部屋にいるのは、山野裕子、武田晶、校長、裕子の担任、の四人だ。
謹慎処分の解けた理由だが、地上げ屋の男との一件について、目撃者がいたのである。
それにより、男が訴えてきた内容がまったくの出鱈目であり、むしろ裕子の方こそが被害者であることが分かったのである。
目撃者は、争っていた場所のすぐ目の前にある家の住人。
二階の窓際で川を眺めながらタバコを吸っていたところ、眼下で事が始まった。これは一大事だとばかり窓枠に身を隠して様子を見守っていたが、気配のただならなさに、途中から携帯電話で動画撮影をしたとのことだ。
すぐに警察に届けなかったのは、終わってみれば殴っている酔っ払いの方が泣き言を叫びながら逃げてしまったためだ。
とにかく、その動画が、裕子の無実を明かすなによりも揺らぎのない証拠になったのだ。
地上げ屋の男は、名前を吉崎順平といい、やはり暴力的な組織と繋がりのある者であった。
過去に一度逮捕されたことがあり、それからというもの、相当に狡猾な手口で地上げを続けていたらしい。
警察としては、前々から目をつけていた男であり、だから今回の件もなんとしても目撃者を見つけたいところだったのだ。
「山野君は、知的障害の生徒をかばい、言葉や暴力による挑発を受けながらも、決して手をあげなかった。それを知った香取市長から、ぜひ表彰したいといわれている。さっそく、明日の臨時朝礼で行なう予定だから、遅刻せずに登校するようにしてください。以上。今日はもう帰っていいよ。ああ、それと、今回の件は悪く思わないで欲しいのだけど。こちらとしても、色々あって慎重に動かざるをえなかったのだから」
校長は、裕子がこの部屋に入った時から始終にこにこ顔であった。いまならば、小遣いくれと手を出せばくれるかも知れない。
「はあ。まあ、分かりました。そんじゃ失礼します」
反対に、裕子はつまらなさそうな表情を隠しもしない。
実際、面白くないのだ。
早くこの場を立ち去りたかった。
出来ることなら、明日も登校したくない。かなわぬならば、せめて遅刻したい。
正直、ムカムカする。
9
校長室の扉を開けると、そこにはいつからいたのかフットサル部のみんなが待っていた。
先ほどからなんだかこそこそ騒々しかったので、予想はついていたけど。
「王子先輩、よかったですね」
梶尾花香の、本当に嬉しそうな笑顔。
「先輩になんかあったらどうしようかと思いましたよ」
深山ほのか。あえて無表情に淡々と喋ることで冗談っぽく見せているが、やはり奥から溢れ出る感情を殺せず、ちょっと涙目になってしまっていた。
「おつとめごくろうさんでした!」
星田育美が敬礼する。こめかみの辺りでなく顎のところに手をぴっと当てているのは、ハリセンかなんかで突っ込んで欲しいということだろうか。
「ヤクザ映画じゃねえっつーの。まあ、なんだ、授業サボれなくなっちゃうのは残念だけど、なんとか処分も解けてよかった。みんな、心配かけたね」
裕子はとりあえず重い気分を振り払うと、唇の両端を釣り上げ、にっと微笑んだ。
「王子ぃ、また一緒だ」
西村奈々が、裕子に抱き着いた。
「奈々、今日からまた一緒に帰ろうな」
裕子も、奈々を抱きしめた。頭をぐりぐりと撫でた。
また一緒、か。
しかし、いつまで、一緒にいられるのだろうか。
どのみち自分はもうすぐ引退の身だが、奈々はいつまで、この仲間たちとフットサルが出来るのだろう。
しかし、何故だろうか。
誤解が解け、謹慎処分から解放されたというのに、どうして全然嬉しくないのだろう。
処分をいい渡された時には、なんにも考えられなくなってしまったくらいだったというのに、ご飯も食べられなくなってしまったくらいだったのに。
自分の中で、なにか、変わってしまったんだろうか。
でも、なんだか分からないがけれど、そういう気持ちがなくなるということが、平気になるというのが、大人になるということなら、嫌だな、大人になんか、なりたくない。
10
翌朝。
体育館で臨時朝礼が行なわれた。
予定通り、全校生徒の前で、山野裕子は表彰された。
校長が嬉しそうに出来事を語り、そして市長から貰った立派な賞状を裕子に渡した。
館内を無数の拍手の音が反響した。
裕子が表彰台から降りて自分の列に戻った後、さらに校長が二言三言、綺麗な言葉を述べて、臨時朝礼は終了した。
裕子にとって、今日は特別な日でもなんでもない。
単に、今日からまた学校生活が始まるというだけのことだ。
これまでと同じことが、これからも続くだけ。
日常に戻るだけ。
それなのに、このもやもやと晴れない嫌な気分はなんなのだろう。
実際、朝に表彰を受けたという以外はすべてが普段通り。
授業を受け(居眠りして)、部活に出て(表彰のご褒美で居残り特別免除だったため、なんと遅刻せず)、奈々を自宅に送り届け、そして家に帰る。普段通りの生活が戻っただけだ。
だというのに、なんだろう、この感情は。
なんだろう、この感覚は。
嫌な感情というよりも、はっきりしないもやもや感がいつまでもまとわりついていることが嫌なのかも知れない。
自分のことなのに、自分でも分からない。
家に帰る途中、自宅マンションすぐそばにある児童公園に立ち寄った。
もう空は真っ暗だ。
頼りない街灯に照らされた、ぼうっと浮き上がるような、ほの暗い公園には、他に誰もいない。
裕子はベンチに腰を下ろした。
しばらくの間、なにもせずただ座っているだけだったが、やがて、おもむろに、横に置いたバッグに手をかけ、開いた。
朝礼で貰った、市長からの感謝状を取り出した。
見ているうちに、むかっ腹が立ってきた。
なんだか釈然としない、漠然としたもやもや感があったが、それがなんなのか、分かった。
だからといってスッキリとするわけでもなく、それは、ただ裕子の怒りを倍増させただけだった。
あのクソ校長……
本当に大切なものって、何だ。
震える手で賞状を掴みなおすと、無茶苦茶に引き裂いてしまった。
「こんな、紙っ切れじゃないだろ!」
無数の細かな紙片となった手の中の物を、叩きつけるように投げつけた。紙片は、小さく舞い上がり、広がり、地面に散らばり落ちた。
裕子は長いため息をついた。
地面にしゃがみ、投げ捨てた賞状の切れ端を拾い始める。
「あたしってほんとバカだ」
でも……
頭を上げた。
その口元には、微笑が浮かんでいた。
まあ、校長は、先生たちは、ほんとにどうしようもないけど、でも佐原南高校、この学校は、最高だ。
次々に、素晴らしい出会いを用意してくれる。
入学してからというもの、優しくて頼もしい先輩に、頼られ甲斐のある可愛い後輩。ちょっと憎たらしいのも若干混じっているけれど。
フットサルの対外試合でも、色んな人と出会うことも出来たし。
あとは素敵な彼氏と出会えればいうことないけど、そこまでは贅沢もいえない。
「大会まで時間もない。明日からもっとしっかり練習しないとな」
裕子は立ち上がると、拾った賞状の切れ端をスカートのポケットに詰め込んだ。
カバンを手に取ると、薄暗い街灯の中、自宅への道を走り出した。
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素晴らしい仲間たちと出会い、心のつぼみを開かせ、強くなっていく。
これは、そんな物語である。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
新ブストサル
かつたけい
青春
山野裕子(やまのゆうこ)は佐原南高校に通う二年生。
女子フットサル部の部長だ。
パワフルかつ変態的な裕子であるが、それなりに上手く部をまとめ上げ、大会に臨む。
しかし試合中に、部員であり親友である佐治ケ江優(さじがえゆう)が倒れてしまう。
エースを失った佐原南は……
佐治ケ江が倒れた理由とは……
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ブストサル
かつたけい
青春
木村梨乃は、千葉県立佐原南高等学校の二年生。
女子フットサル部の部長になったばかりである。
部員の退部や、新入部員の軽い態度にすっかり心が病んでしまった梨乃は、
ある日、大親友であるはずの畦木景子と喧嘩をしてしまい……
文化研究部
ポリ 外丸
青春
高校入学を控えた5人の中学生の物語。中学時代少々難があった5人が偶々集まり、高校入学と共に新しく部を作ろうとする。しかし、創部を前にいくつかの問題が襲い掛かってくることになる。
※カクヨム、ノベルアップ+、ノベルバ、小説家になろうにも投稿しています。
イルカノスミカ
よん
青春
2014年、神奈川県立小田原東高二年の瀬戸入果は競泳バタフライの選手。
弱小水泳部ながらインターハイ出場を決めるも関東大会で傷めた水泳肩により現在はリハビリ中。
敬老の日の晩に、両親からダブル不倫の末に離婚という衝撃の宣告を受けた入果は行き場を失ってしまう。
Cutie Skip ★
月琴そう🌱*
青春
少年期の友情が破綻してしまった小学生も最後の年。瑞月と恵風はそれぞれに原因を察しながら、自分たちの元を離れた結日を呼び戻すことをしなかった。それまでの男、男、女の三人から男女一対一となり、思春期の繊細な障害を乗り越えて、ふたりは腹心の友という間柄になる。それは一方的に離れて行った結日を、再び振り向かせるほどだった。
自分が置き去りにした後悔を掘り起こし、結日は瑞月とよりを戻そうと企むが、想いが強いあまりそれは少し怪しげな方向へ。
高校生になり、瑞月は恵風に友情とは別の想いを打ち明けるが、それに対して慎重な恵風。学校生活での様々な出会いや出来事が、煮え切らない恵風の気付きとなり瑞月の想いが実る。
学校では瑞月と恵風の微笑ましい関係に嫉妬を膨らます、瑞月のクラスメイトの虹生と旺汰。虹生と旺汰は結日の想いを知り、”自分たちのやり方”で協力を図る。
どんな荒波が自分にぶち当たろうとも、瑞月はへこたれやしない。恵風のそばを離れない。離れてはいけないのだ。なぜなら恵風は人間以外をも恋に落とす強力なフェロモンの持ち主であると、自身が身を持って気付いてしまったからである。恵風の幸せ、そして自分のためにもその引力には誰も巻き込んではいけない。
一方、恵風の片割れである結日にも、得体の知れないものが備わっているようだ。瑞月との友情を二度と手放そうとしないその執念は、周りが翻弄するほどだ。一度は手放したがそれは幼い頃から育てもの。自分たちの友情を将来の義兄弟関係と位置付け遠慮を知らない。
こどもの頃の風景を練り込んだ、幼なじみの男女、同性の友情と恋愛の風景。
表紙:むにさん
無敵のイエスマン
春海
青春
主人公の赤崎智也は、イエスマンを貫いて人間関係を完璧に築き上げ、他生徒の誰からも敵視されることなく高校生活を送っていた。敵がいない、敵無し、つまり無敵のイエスマンだ。赤崎は小学生の頃に、いじめられていた初恋の女の子をかばったことで、代わりに自分がいじめられ、二度とあんな目に遭いたくないと思い、無敵のイエスマンという人格を作り上げた。しかし、赤崎は自分がかばった女の子と再会し、彼女は赤崎の人格を変えようとする。そして、赤崎と彼女の勝負が始まる。赤崎が無敵のイエスマンを続けられるか、彼女が無敵のイエスマンである赤崎を変えられるか。これは、無敵のイエスマンの悲哀と恋と救いの物語。
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