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かつたけい

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第一章 俺のアニソン

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     1
 人生で最大級の挫折を味わった。
 俺の心の傷を癒すために、誰かアニソンを作ってくれ。
 神曲キボンヌ。


 やまさだはデスクトップPCのキーボードを、異様にぶっとい指で器用に叩いた。
 ネット掲示板へのコメントを打ち込んだのだ。

 ふーっ、だか、ぴゅうーっ、だか鼻笛の半分混じったような溜息を吐いたかと思うと、彼は突然、う、と声を詰まらせた。

 眼鏡を持ち上げて、シャツの袖でまぶたをゴシゴシ拭うと、ティッシュを一枚取って、ぶちびびびいっと勢いよく鼻をかんだ。

 緑色のねばっこい鼻水紙を、広げて袖机の上に置いた。
 乾かして再利用するためである。
 もったいないというより、使いきった後に新たなティッシュ箱を一階から持ってくるのが面倒なだけだ。

 ふーっ、とまた息を吐きながら、滲む涙を、指で拭った。

 さて、山田定夫はどうして泣いているのであろうか。
 もちろん理由はある。

 本日、というかつい先ほど、とてつもない百メガショックが彼を襲ったのだ。

 説明するためには、まず巷で人気のWebブラウザゲームである「こうくうじよていしんたい」について語らねばなるまい。

 挺身隊とは、戦争時に銃後の雑務をこなす女性たちのことである。

 このゲームでは、戦場の人員不足、男性不足のため、挺身隊の中から素質ある女子が選ばれて、戦闘機のパイロットになって戦うのだ。

 定夫が作成し、今日まで半年もの間、育成していたのは、よしざきかなえというパイロットだ。

 毎日毎日、三時間から四時間ほども育成していたであろうか。

 しかし、
 所属する小隊の中で、常に劣等感に悩んでいた彼女は……
 特訓と実戦を重ねて経験を積み、自身をそれなりに成長したと思い込んでいた彼女は……
 プレイヤー、つまり守護英霊である山田定夫のアドバイスを聞かず、小隊の仲間によいところを見せようと単身で仏蘭西フランス空軍に突っ込み、大破。
 東シナ海の藻屑と消えたのである。

 これまでずっと、一緒だったというのに。

 キャラ作成時の能力値ボーナスポイントが低目であったため、育成を頑張って取り戻そうと、高校から帰宅するとすぐにPCを起動し、東京TXテレビの「はにゅかみっ!」を観る時間以外、ずっとプレーしていたというのに。

 吉崎かなえ……地味でなんの取り柄もないおれなんかと違い、心身とも大空にはばたいていたというのに。
 能力値はちょっとアレだったけど。でも……

「畜生……」

 ずるびんっ、と鼻をすする定夫。

 小隊の仲間によいところを見せるため出撃もなにも、それは定夫が勝手に脳内空想しているドラマに過ぎないのではあるが。

 航空女子挺身隊は、守護霊が主人公にアドバイスを送る、という仕組みで進めていくゲームなのだが、主人公は霊魂の存在を認識していないため、絆値が成長しない限りはとことん勝手な行動を取るのだ。

 定夫にとっての唯一の慰めは、小隊でのライバルであり親友でもあるこんどうが無事であったことか。

 彼女、近藤奈々香は、仏蘭西空軍に囲まれた吉崎かなえを救出しようと、自分の生命もかえりみず単身で乗り込んできたのだ。

 かなえが見るもあっさり撃墜されて藻屑と消えたため、近藤奈々香も撤退せざるをえなかったわけだが、かなえが粘ってしまっていたら、果たしてどうなっていたことか分からない。

 席につく定夫の前には、28インチの液晶モニターが置かれている。
 そこに映っているのは、切り立った崖、そして一つの墓標。
 海に沈みかけている夕日が、周囲を幻想的なオレンジ色に染め上げている。

 「墓参り」の映像である。

 玉砕した航女の英霊を慰めるシステムが、このゲームにはあるのだ。

 プレーヤーは守護霊という設定なのに、ならば誰が墓参りをしているのか、と方々から突っ込まれている部分である。

 モニター両脇にあるスピーカーからは、波の音だけが静かに聞こえていたが、不意に、音楽が流れ始めた。

 力強くも、もの悲しい曲だ。

 山田定夫は、脂肪たっぷりのお腹をもにょんと揺らしながら椅子から立ち上がると、後ろ手に組んだ。


 つつみみねを乗り越えて
 我が身よ我が靴 いくせいそう
 讃えよ 英霊 胸宿る
 父 母 姉よ 妹よ
 戻るものかと 万里まで
 勝利の鐘を鳴らすまで


「敬礼!」

 狭い自室で叫ぶと、ぴっと伸ばした指先をこめかみに当てた。
 突然、あっ、と再び感極まったように情けない呻き声をあげ、定夫は床に手をつき崩れた。
 頬を一条の涙が伝い落ちた。


 吉崎かなえのこんぱく大和やまとの雲の上、永遠なれ

   2
 母、すみに階下から呼ばれたやまさだは、トラック何台分のポテトチップスが詰まっているのかというような凄まじく肥満した身体を揺らしながら、ドテドテ階段を下りて玄関へと出た。

 客人来訪である。
 人数は二人。

 定夫に負けず劣らずの肥満体が、なしとうげけんろう
 通称はトゲリン。
 これまた定夫と同様に、分厚い黒縁眼鏡をかけている。

 反対に、指でつまめばポッキリ折れそうなくらいガリガリに痩せているのが、ひこ
 通称は、はちおうだ。

 二人とも、定夫と同じ高校に通っている友人である。

 誰が口を開くよりも先に、トゲリンこと梨峠健太郎が、おごそかな表情で定夫を見つめながら、ぴッと軍人の敬礼をした。

 定夫も表情を引き締め、敬礼を返した。

 真剣な表情で見つめ合う、デブ二人。
 なぜに二人は、かような場にてかようなことをしているのか。

 Webブラウザゲームこうくうじよていしんたいにおいて、玉砕を遂げた山田定夫のこうじよよしざきかなえという名であるということと、かなえにはこんどうという親友がいたということ、前述したが覚えておいでだろうか。
 その近藤奈々香のプレーヤーが、トゲリンなのである。

 航女のプレー経験がない八王子こと土呂由紀彦を横に置いて、二人は一分ほども見つめ合っていたであろうか。

「山田軍曹殿、ご苦労様でありました!」

 突然トゲリンが、肥満した脂肪の奥から、甲高くネチョネチョとした大声を発した。

「こちらこそ。ななてんへのお見送り、ありがとうございました!」

 定夫も叫んだ。

 廊下の奥で定夫の母親、住江が怪訝そうな悲しそうな複雑な表情でじっと見ていた。

 そんな視線を尻目に、なおも黒縁眼鏡で見つめあうこと三十秒、二人のデブ、いや二人の帝国軍人英霊は、ようやく敬礼をといた。

「ね、もう終わった?」

 すっかり退屈といった表情を隠さず、八王子が尋ねた。

「は! おかげ様で、滞りなく終了したであります!」

 もう英霊も抜けているはずなのに、このトゲリンの喋り方。
 実は、最近の彼はいつもこんな喋り方だ。
 梨峠健太郎という自らにかしたキャラ設定により、前々から他人に対して敬語で接するところがあったが、それに加えて最近は航女の影響を多分に受けて、気分は軍人なのである。

 キャラ設定を私生活どころか学校にまで持ち込むため、クラスでは相当に気持ち悪がられているトゲリンであるが、言葉遣いはともかく性格性質として似たようなものであるため注意出来ない定夫なのであった。

 さて、
 途中で一人仲間が増えることになるが、当面はこの三人が物語の中心になるため、ここであらためて紹介をしておこう。


 まずは、やまさだ
 いわゆる、アニメゲームオタクである。
 ステレオタイプ通りというべきか、肥満、服装センス皆無、黒縁眼鏡、対人恐怖症、こねくるような言葉選び。
 物心のついた時には肥満であり、アニメ好きであった。
 おそらくは肥満でありアニメ好きのまま、生涯を終えるのであろう。


 続いて、なしとうげけんろう
 いわゆる、アニメゲームオタクである。
 通称、トゲリン。
 定夫に負けず劣らずの肥満体だ。ネチョネチョとした、甲高く粘液質な声が特徴である。
 単純なアニメやゲームの知識量ならば、三人の中でナンバーワンであろうか。
 それと、時折無性に漫画家を目指したくなることがあり、そのためそこそこ絵が上手である。もちろん美少女キャラ限定であるが。


 最後に、ひこ
 いわゆる、アニメゲームオタクである。
 通称は、はちおう
 中学生の頃にここ東京都武蔵野市に引っ越してきたのだが、「あれ、あいつ名前なんだっけ、あいつ、八王子からきたやつさあ」などと周囲からいわれているうちに、定着してしまったあだ名だ。
 八王子在住期に、学校の不良にからまれてアゴを蹴り砕かれたことがあり、それが引っ越すことになった原因だ。
 普段はおっとりのんきな彼であるが、そんな過去があるため、不良に対する嫌悪殺意は半端ではない。といっても陰で文句をいったり、処刑リストにこっそり名前を書くのが関の山ではあるが。


 なお通称ということでは、定夫は二人に自分のことをレンドルと呼ばせている。
 やまだ さだお、と、姓も名もあまりに地味であるため、自分に好きなミドルネームをつけているのだ。
 レンドルはここ一年ほどの名であり、それ以前は確か山田ミラノフ定夫であったか。

 以上、三人の簡単な紹介である。

「ま、上がれよ」

 レンドル定夫は二人の友を家の中へ招くと、二階の自室へと連れて行った。

     3
 六畳間の和室にフローリングカーペットが敷かれ、ベッドや学習机などが置かれている。

 学習机の横には同じ高さの袖机があり、またがるようにパソコン用の大きな液晶モニター。パソコン本体は机の脇、床の上。巨大なデスクトップだ。

 机とベッドだけでかなりのスペースを専有するため、残り面積は三畳分もない。
 その狭い中にやまさだとトゲリンという肥満体が二人もいるものだから、当然ながら室内はぎゅうぎゅうであり、息苦しさむさ苦しさがなんとも実に凄まじい状況であった。

 当の肥満児二人も、一種犠牲者のような八王子も、すっかりと慣れきっており、まるで気にしたふうもない様子であったが。

 さて、定夫、トゲリン、八王子、この三人が集まると、始まるのがいつもの雑談だ。
 つまりは、アニメやゲームの話である。
 学校でも帰り道でも、散々に話しているのにもかかわらず。
 青春の活力は無から生じて懇々無限に沸き続ける錬金術なのである。

「……だから作監を佐々木さんがやると聞いて、おれさあ……」

 と、いま会話の主軸にしているのは、今夏から放映開始予定の深夜アニメの数々についてである。

 中でも定夫が特に期待しているのは、
 「カーバンクルゲノム」。
 女子高生がなんらかの因子を体内に取り込んで超人化してしまい、その能力を悪用しようという謎の結社に狙われる、というSF作品。
 ライトノベル、略してラノベが原作だ。

 トゲリンこと梨峠健太郎が楽しみにしている作品は、
 「ドリルくるくる」。
 ちょっとオツムの弱そうな女子中学生が、いつか地底を掘り抜いて地球の反対側にあるはずの楽園に行こうと仲間を集める話。これもラノベ原作だ。
 主人公には、実は壮絶ないじめを受けていた過去があり、原作ラストは体内の水分がなくなってミイラになるくらい泣けると評判の作品である。

 八王子こと土呂由紀彦が観たいのは、
 「大江戸サーガ2 ごく殿でん」。
 徳川家光の時代にタイムスリップしたファンタジー好きの眼鏡女子高生が、魔王と戦うという話。
 基本はシリアスだが時折ボケる主人公や、シュールなギャグが満載らしい。

こうじよも、アニメ化すればいいのになあ」

 定夫が、オカッパ頭を撫で上げながらぼそりぼやいた。

 そうなったところで、自分が名付け作成したキャラクターが登場するはずもないが、世界観をアニメ作品として味わうことで、ゲームをプレーするにおいても深みが出るというものである。
 イメージを押し付けられるという点は弊害かも知れないが。

 不意に、定夫はなんとも悲しい気持ちになっていた。

 もう、吉崎かなえの魂は遥か雲の上なのだ、と。
 七天の彼方なのだ、と。
 是非もなし。月月火水木金金。

「航女アニメ化、レンドル殿の意見に拙者も禿同であります。同じようなブラウザゲームの『そうこうしようじよ』も、去年、『これはほうだんこんですか?』というタイトルでアニメ化されたのですからな」

 トゲリンが、特徴的な甲高いネチョネチョ声を張り上げた。

 まったくもってどうでもいい話であるが、そのアニメの作中には「砲弾痕」という言葉が、とにかく飛び交う。

 女性キャラの、後ろ四文字のみ抽出した音声データがネットに流れて、オタク男子たちを夜な夜なハアハアさせているという。

 特に人気なのが、主人公の親友であるかんざきもた子を演じるくらしげの透明な声だ。
 既に三十を幾つか過ぎているが、「永遠の七歳」を自称する人気声優である。
 先ほどのその四文字に、さらに「元気になあれ!」という第七話での台詞を繋ぎ合せた音声が、オタク男子たちの間に出回っているとかいないとか。

 まったくもってどうでもいい話は終了、本編に戻ろう。

「アニメ化はともかくさあ、レンドルは航女の新キャラは作らないの?」

 八王子が、頭の後ろで両手を組みながら尋ねる。

 定夫の、

「そう……」

 だよなあ、を遮ったのは、

「いいっ一心同体少女隊であった吉崎かなえ二等兵のッ、あいや特進して伍長のッ、魂魄が玉砕したばかりなのでありますぞおおォ!」

 ネチョネチョ声を張り上げて、唾を機関銃のように飛ばしながら猛烈に抗議するトゲリンであった。

 愛する者を亡くした気持ちを代弁してくれているのであろうが、しかし別に、定夫としてはそこまで怒るようなことでもないのだが。
 RPGでセーブデータが消えてしまったに似た一時の虚無感こそあれ、ほとぼりがさめたら、すぐさま新キャラを作成してもよかったというのに、トゲリンのせいで始めにくくなってしまった。

 だからといって、装甲少女に鞍替えするつもりもないが。
 愛着ということだけでなく、ゲームシステムを覚え直すのも面倒だからだ。

「八王子は自分がやってないから、玉砕時のショックが分からないんだよ」

 新キャラ作りますともいえず、そうごまかす定夫なのであった。

「だってぼく、ドラプリ派だもん」

 八王子が自宅で日々興じているのは、定夫たちとはまた別のネットゲーム「ドラゴンプリンセス」、略してドラ姫。いわゆる、剣と魔法ものというジャンルのものだ。

 PC専用ではあるがWebブラウザを使ったゲームではなく、専用アプリをインストールして遊ぶタイプだ。
 3Dにより描かれた緻密な世界を、ネット上の仲間とある時は協力し、ある時は反目したりして、冒険を重ね、成長していくのだ。

 現在リリースされているのはPC用だけだが、今年の秋にブレイブステーション3略してブレステ3でも発売される予定だ。

「おれは、とりあえずのところは、燃え尽きたよ。航女」

 これもまた、定夫の正直な気持ちであった。
 ほとぼりが冷めたらまたキャラ作るかも知れないが、現在はただただ空虚。ずうっと育てていたキャラを、つい先ほど失ったばかりなのだから、当然といえば当然だろう。

「『玉砕』と震える赤文字で表示された時は、脱力のあまり両肩が脱臼してぼとり床に落ちそうなくらいだったもんな」

 ぼとり落ちるのがお腹の肉なら玉砕ダイエットが出来るのだろうが、肩ではどうしようもない。

「分かります。分かりますぞ、レンドル殿ぉ! 拙者は、初プレーで初陣即玉砕だったので、作り直すにあたっての精神的葛藤はさほどではなかったとはいえ、されど気持ちはお察ししますぞお!」

 トゲリンが黒縁眼鏡のフレームをつまみながら、ネチョネチョとした声を張り上げた。

「おれの場合は、最初に作ったキャラを、今日までずーっとだったからなあ。この半年間、学校から帰ると、ひたすらずーっとやってたからな」

 東京TXテレビで放映中のアニメ「はにゅかみっ!」を観ている時以外はずーっと。
 あと、録り貯めていた「きらりらリズモ」を無性に観たくなった時以外。

「なかば放心状態のうちに、思わずごちゃんに呟いたもんな。誰かおれを慰めるアニソン作ってくれ、とかわけの分からないことをさ」

 山田定夫はななてんつまり天国にいるであろう吉崎かなえを思い浮かべ、寂しそうな笑みを浮かべた。

「酔狂な誰かが、アニソン作ってくれてるかもよ」

 八王子が、からかうように笑う。

「まさか」

 といいつつも定夫はマウスを手に取り、先ほど書き込みをしたネット掲示板「ごちゃんねる」をチェックした。


 487
 20××/05/12/17:33 ID:246759 名前:かぶとこじ
 >>326

 こんな歌作ってみたけどどう?
 http://www.icoico.com/....
 

「おれへのレスだ。……なんか、これ開くの怖いんだけど」

 定夫は、おでこにどっと浮いた脂汗をシャツの袖でごしごしと拭いた。

 トゲリンが黒縁眼鏡のフレームをつまみながら、ふんふんと画面を覗き込んで、

「イコイコ動画のURLに相違なし、最後の拡張子もavi、基本的に安全であるとは思いますが」
「分かってるよ。そういうことでなくて」

 レスが早すぎるし、それに、匿名者が自分宛に開示しているURLなのだ、なんだか怖いと思っても不思議ではないだろう。

「そういうことじゃないんなら、別にいいじゃん。じゃ、ぼくが代わりにっ」

 八王子が、定夫の手の中にあるマウスを素早く引ったくると、画面上のそのURLをクリックした。

「なにゆえにお前が押すんだあァ! こないだもアメアニ最新号の袋綴じを許可なく勝手に開けただろーーっ!」

 無数のつばを撒き散らしながら、定夫は顔を真っ赤にして、声を裏返らせながら怒鳴った。

「まあ、別にいいじゃん」

 八王子、へえともない顔だ。

 まあ確かに、どうでもいいことだが。
 マウスをクリックされたことくらい。……あの、アメアニの一件に比べれば。
 というよりも、その件を思い出したからこそ、つい激昂してしまったのかも知れない。

 さて、八王子が勝手にリンクをクリックしたことにより、28インチの液晶モニターにブラウザが全画面表示で開いた。

 ぱ、と真っ暗な画面になった。
 下のステータスウィンドウにデータ蓄積を示すバーが伸び、しばらくすると真っ暗な画面のまま音楽が流れ始めた。
 なにかの歌の、イントロのようであった。

 画面中央に、昔のカラオケのような、荒くギザギザな黄色い文字が表示された。


 「326」氏に捧ぐアニソン


 イントロが終わり、続いて歌が始まった。
 それは爽やかな、軽快なリズムの歌であった。

 声は、男性であろうか。
 男性が高い鼻声を出しているような、そんな歌声だ。

 真っ暗な画面のまま、下段にはカラオケ式に歌詞が表示されて色が左から右へと塗り変わっていく。
 

  ♪♪♪♪♪♪

 ねえ 知ってた?
 世界は綿菓子よりも甘いってことを
 ねえ 知ってた?
 見ているだけで幸せになれる

 わたしって、天才音楽家
 かもね
 だってこんなにも
 ほらね
 ときめきのビートを刻んでる
 こんなのはじめて YEAH! YEAH!

 もしもこの世が終わるなら
 後悔なんか したくないから

 たどり着いた世界
 それ本物だと思っている
 偽物だって構わないでしょ
 自分で見つけた宝なのだから
 The world is full of treasure!!

 君と一緒にいられるなら
 どんなパワーだって出せそうだよ

 なんにもない世界、上等
 わたしと君で全部作れるから
 偽物だって構わないでしょ
 自分で見つけた宝なのだから
 The world is full of treasure!!

  ♪♪♪♪♪♪


 テレビアニメサイズ、ということか曲は一番きりでフェードインしながら終了した。

 画面から文字はすべて消え、
 残るは静寂。

 なんだか、どことなくふざけた感じの歌声であったろうか。
 おそらくは、やはり歌い手は男性であり、女子っぽい歌を男が歌うということによる照れ隠しが出ているのであろう。

 定夫は、そうした歌い方に対してちょっと不快感は覚えたものの、曲自体は悪くないのではないかと思った。
 いや、悪くないどころか、かなりいいのではないだろうか。

「これはなかなかに、秀逸な調べでありますなあ」

 トゲリンは曲そのものを素直に気に入ったようで、腕を組み目を閉じうんうん頷いている。

「さっきの今でしょう? レンドルがごちゃんに書き込んだのはさあ。凄いなあ、この人。曲が作れるだけじゃなくて、ぼくたち以上にヘビーなアニメオタクでさ、即興でイメージ浮かべてぱぱっと作り上げたんだろうね、きっと」

 淡々と、しかし楽しそうに語る八王子。

「五分ではない、四十六年と五分で作ったのだあ、とか」

 曲の提供者を中年オタと決め付けている定夫であった。

「それ、す○やま大先生の台詞でしょ?」

 日本で一番有名なRPGの、作曲家だ。ほとんど知られていないが、日本で一番有名な特撮巨大ヒーローの作曲も手がけたことのある人だ。

「そう。まあ即興などでなく、もともと作ってあった曲を提供しただけという可能性も否めはしないが」

 とはいうものの、これが自分へと捧げられた作品であることに違いはない。
 なんともこそばゆい気持ちにかられる定夫であった。

「これさあ、おれのアニソンってことで、貰っちゃっていいのかな」

 いちおう、聞いてみた。
 駄目だといわれても、どう変わるわけでもないが。

「それがしは、別段問題はないかと考えますが」

 と、ネチョネチョ声のトゲリン。

「ぼくも。……でも、こいつの照れたような歌声、バカにしてるみたいでなんかイライラするからさあ、メグで作ってみようよ」

 八王子は、いうが早いか、ニコニコ笑みを浮かべながら定夫のPCを借りた。

 うたメグミ、通称メグという有名な音声合成作成ソフトを使って、テキパキと、先ほどの曲の歌声部分を作り上げていく。

 途中を聞かれるのは恥ずかしいから、とイヤホンを使って、定夫たちに聞かれないようにしながら。

 オリジナルを聞いてはメグの画面操作に戻って打ち込み、打ち込んではオリジナルを聞いて、
 それをひたすら繰り返すこと約一時間。

「できたあ!」

 八王子はイヤホンを耳から取り、ジャックから抜くと、満足げな表情で叫ぶような声を出した。

「一緒に貰ったオケだけの方と合成してみた。再生してみるね」

 と、マウスボタンをカチリ。
 また、先ほど曲いたのとまったく同じイントロが流れ始めた。

 先ほどと違うのは、イントロ後に女性の歌声が聞こえてきたことだった。
 恥ずかしくて布団の中で吹き込んでいるような、もにょもにょぼそぼそした男性の声ではなく、堂々とした歌いっぷりの、明るく元気な女性の声。

 抑揚の面など、まだ荒削りではあるものの、とりあえず上手くオケと合成音声をシンクロさせたことに、八王子はニンマリ笑顔である。

 定夫とトゲリンは、ぽかんと口を開けて、なんとも間抜けな表情になっていた。
 二人とも、すっかり聞き入ってしまっていたのだ。

 曲が終了し、
 再び、部屋には静寂が訪れた。

 それから、どれくらいが経っただろうか。

「すげえ」

 ようやく我に返った定夫は、肥満したお腹をさすりながら、こそり唇を震わせた。

「まさに……神」

 トゲリンは、なにを思ったか胸の前で十字を切った。

「いや、これ凄いな、凄くなったな、おれのアニソン。女性の声だとこうも素晴らしいとは。いい曲を貰ったよ」

 と、喜ぶ定夫であったが、

「しかし、何故なのであろうか。胸の奥に拭いきれない、そこはかとない虚無感があるのは。それはメグの声だからだろうか」

 間違いなく、一つの要因ではあるのだろう。
 もともと定夫は、ポカロ曲つまりコンピュータ合成音による歌が、あまり好きではないからだ。

 いや、好きではないどころか、確固たる否定的なポジションだ。今回は、自分へ捧げられた曲ということもあり、思わず興奮してしまったが。

 よくよく考えてみるまでもなく、メグはしょせんメグなのだ。
 唄美メグミは擬人化されて3DCGによるライブビデオなども販売されているが、定夫としては、そんなものに萌えているやつの気が知れない。

「確かに、メグでは味気ないものはある。レンドル殿に同調することに、拙者もやぶさかではない」
「だからこそ、普通のアニメキャラに萌えるわけだからな。つまりは、生身の声優が演じているからこそ」
「拙者も同意でござる」

 軍人言葉から、いつの間にかサムライ言葉になっているトゲリンであった。
 それはさておき、とにかくこのように彼らはアニメオタクであり、声に対するこだわりは半端ではなかった。
 どの声優が好きかで、掴み合いの大喧嘩に発展したこともあるくらいだ。

 だからこそ、そのくらい好きだからこそ、定夫は憂いに思うことがある。
 もしもアニメの声優が、将来すべて合成音声に置き換わってしまったら、と。

 どんなに声が天使のように可愛らしかろうとも、キーボードをカチャカチャ叩いているむさ苦しいオヤジが脳裏に浮かんでしまい、幻滅どころではないだろう。
 実際、その天使の声を、おそらくはむさ苦しいオヤジがキーボードをカチャカチャ叩いて作るわけだから、当然であるが。

 と、合成音声への不満を顔に、口に、浮かべていると、声優も好きだが合成音声も好きな八王子が、ちょっとつまらなさそうな表情で、

「べっつにメグでもいいと思うけどなあ。くそ、頑張って作ってみたのになあ。……あ、そうだ、そんだったらさあ、誰かに頼んで歌ってもらう、ってのはどう?」
「誰かに?」
「また、ごちゃんでござるか?」
「いや、匿名掲示版で頼むよりも、そういう人をこちらから探すんだよ。といっても結局はネットでだけど」
「それでは、『歌います』、『女性』、『料金』と入れて、これでどうだ」

 定夫は脂肪のつまったぶっとい指でキーを叩き、マウスクリック、検索を開始した。

 出てくる出てくる。
 これは、と思えるものを見つけるのに、さほどの時間はかからなかった。

 それは、楽譜でも鼻歌データでも、曲さえ分かれば歌います、という歌手志望二十代女性のホームページであった。
 金額は、三千円。

「ぼく、カンパしてもいいよ、千円」

 八王子がバッグから財布を取り出した。
 どうでもいいが、「はにゅかみっ!」のことのりことの制服姿がプリントされた通販限定財布だ。

「ならば拙者は、二千両」

 トゲリンが、迷彩柄の財布から、懐かしの二千円札を出した。

「ありがとう。でも千円でいいよ。三千円だから、みんなで千円ずつだ。では……いい、いら依頼、して、みるみるかっ」

 定夫は急に焦り出して、言葉つっかえつっかえ黒縁眼鏡のフレームをつまんでカタカタ調整しながら、カチカチの表情でごくりつばを飲み込んだ。

 はたして一体どんな感じの作品に仕上がるのか、という興味や興奮もなくはないが、直接は会わないにせよ生身の女性と接点を持てることにドキドキ興奮していたのである。

     4
「せせっ静粛にっ!」

 やまさだは、裁判長が木槌をカンカンと打ち下ろす真似をした。
 実際の裁判では木槌など使わないというし、どのみちトゲリンも八王子も、定夫よりよほど静かであったが、つい口や手が動いてしまったのだから是非もない。

 あれから、二週間が経過した。
 つまり、歌声収録をインターネットのサイトで依頼してからだ。

 本日、ついに製作物がCDとして届いたため、みなで定夫の部屋に集まって、うたメグミの合成音声とどちらが曲に合うものであるかを聴き比べていたのである。

 まず最初に聴いたのは、メグの歌声だ。
 といっても、二週間前に八王子が一時間ほどで作成してからというもの、もう何度も何度も聴いているものであり、定夫としては「久々に聞くが、やはり曲は悪くはないよな」という程度の感想しか抱けなかった。

 メグだからというだけでなく、曲自体への慣れや飽きもあるわけであり、いまさら生身の音声を聴いたところで、やはりもうそれほどの感動は得られないのではないか。

 と、定夫はそう思っていた。
 曲を聞いてみるまでは。

 だが、
 CDをセットし、聴き飽きたはずのイントロが流れ出し、そして、続く歌声を聞いた瞬間……

 なんと形容すればよいだろうか。

 三人を包み込んだもの、そう、それは宇宙であった。
 完全たる無重力体験であった。

 ただひたすらに純。不純物どころか、そこには無すらも存在していない、そんな矛盾した表現に矛盾すら感じない、ただただ広大無限な、純であった。
 疾風怒濤の嵐のような感情が、明鏡止水の中にただ浮いていた。

 一体これは、なんということであろう。
 ただ、人が歌う。
 ただ、それだけのことで、聞き慣れた歌がかくも違うものになるのか。

「しし、しかもっ!」

 定夫は無意識に、上ずった声で独り言を発していた。

 しかも、自分の依頼によって、つまりは、自分のために歌っている曲なのだ。
 興奮するのも、無理はないであろう。

 しかも、が。
 しかも、にっ、にに二十代の、
 しかも、二次元ではない、しかも生身の、女性が。

 この同じ空の下、どこかに現実に存在している、どこかで自分と同じ空気を吸っている、生身の、女性が。
 地球という共同家屋の、天という名の一つ屋根の下にいながら姿を見たこともない、生身の、女性が。
 宇宙船地球号の乗組員、宇宙戦艦地球号、ぼくが古代なら、そうあなたは森っ!

 脳内ではどうでもいい言葉ぺらぺらの定夫であるが、実際には、しししかもっなどと上ずった独り言を発したきり、感極まるあまりまるで言葉など出ておらず、うっくうっくと不気味に呻いているだけであった。

 言葉が出ないのは、トゲリンも八王子も同様であった。
 トゲリンの感極まり方は、定夫とはまた別方向で不気味であった。顔も身体も微動だにしていないというのに、眼鏡のフレームだけが沸騰したヤカンの蓋のように激しく細かくカタカタカタカタ震えているのだから。

 気持ち悪さには目をつぶるしかないとして、とにかく彼らは、それほどまでに感動していたのである。

 雑談の場としてすっかり慣れきっていたこのオタ部屋に、あらたな風、あらたな歴史が刻まれた瞬間であった。

「メグよりも、こっちのが断然にいいね」

 静寂を打ち破ったのは、八王子のぼそりとした呟き声であった。メグの歌声も好きな彼であるが、この感動はまた別物ということなのであろう。

「そうですなあ」

 トゲリンは腕を組むと、カタカタ震える黒縁眼鏡の奥でそっと目を閉じうんうん頷いた。

 せせっ静粛になるまでもなく、山田レンドル定夫裁判長の判決を待つまでもなく、満場一致で決まりのようであった。

「これがおれの、いや、おれたちのアニソンだ」

 定夫は、興奮にすっかり汗ばんだ拳を、にちゃっと握りしめた。

「たちではない。拙者と八王子殿は感動のおこぼれを頂戴しただけで、これはレンドル殿のアニソンでござるよ。ささ、胸の中に収められい」
「いいんだよ。千円ずつカンパしてもらったんだし。仮にそうでなくたって、トゲリンや八王子との交流があったればこそのおれがいて、こうじよとかやったりなんかして、玉砕してショック受けて、ごちゃんにアニソン作ってと呟くことになったんだから」
「しからば、我々三人のアニソンということで。遠慮なく共有をばさせて頂くでござる」

 などと、定夫とトゲリンが照れ合いながら所有権を云々しているところであった。
 八王子が、ある種の衝撃的な疑問を、さらりと口に出したのは。

「でもよくよく考えるとさあ、これ別にアニメじゃないからアニソンじゃないじゃん」

 その無垢な疑問に、一瞬にして凍り付く黒縁眼鏡オカッパ頭の二人組であった。

 しかし、
 しかしである。
 その八王子の発した何気ない一言こそが、この物語の始まりを告げる鐘だったのである。

 話を続けよう。

「そ、そそそそういえばっ」

 何故だかうろたえるトゲリン。

「気付かなかった。……バカだなおれ、つうか曲を作った奴もバカだよな」

 定夫は、オカッパ頭をガリガリ掻いた。
 脂ぎった頭髪にこびりついていたフケが、日本海溝のマリンスノーのようにはらはら落ちた。まったく幻想的な光景ではなかったが。

「うむ。虚しい、というかもったいない気持ちでござるなあ。せっかくの、またとない神曲であるというのに」
「まあそうだけど、でもだったらさあ……アニメを作れば、アニソンになるじゃん」

 八王子はそういうと、ふふっと笑った。

「アニメを?」

 きょとんとした顔の定夫。
 ずりん、と黒縁眼鏡がずり下がったのを、慌てて直した。

「つつっ、作るとな?」

 トゲリン。
 どんな物理法則がそこに生じているのか、黒縁眼鏡のフレームがカタカタ細かく揺れながら、ずりいった。

「そ。トゲリンは絵が上手でしょ。漫画描いてんだから。紙にでも書いてくれれば、ぼくが取り込んで修正、彩色して、スパークのデータにでもするから。で、レンドルが総監督で、あとコンテも切ったり……」

 スパークとは、簡易アニメ作成ソフトの名前である。
 無償版と有償版があり、無償版でもそこそこのものは作成可能だ。

 定夫は黒縁眼鏡の奥で、なんだかぽわんとした表情を見せていた。
 思考が定まらなかったのである。
 なにに思考すればよいのだろうか、ということすらも、定まらなかったのである。
 それで、ぽわんとした顔になってしまっていたのである。

 かつて幾多のアニメを見て、小説、というかラノベを読んできたが、創作的な活動をしたことなどほぼ皆無であったから。
 中学生の頃に、ちょっとだけ小説執筆にチャレンジしたことはあるがすぐに挫折、というその程度で。

 でも……
 だんだんと、意識がはっきりしてくる。
 思考が、定まってくる。

 確かに、トゲリンは絵が上手だ。
 美少女の絵しか見たことはないが、上手なことに違いはない。
 そもそも最近のアニメなど、美少女しかいないのだ。ならば美少女さえ描ければ充分であろう。
 どのアニメにしても、特に「主人公男子高校生モノローグ突っ込みもの」などは、美少女と、適当作画の男子キャラ、しか出てこないのだから。
 ということであるならば、描いた絵を取り込んで、曲に合わせる、というそれだけでも、そこそこのクオリティのものは出来上がるのではないか。
 だってトゲリンの描く絵は間違いなく上手であり、そして提供された曲は、間違いなく神曲なのだから。

 そうだよな。
 と、思考が明確に定まり感情が冷静になるにつれて、どんどんと興味が沸き出てきていた。

 別の方面で、どんどん冷静でなくなっていった。
 つまり、わくわくとしてきていたのである。

「じゃ、やってみるか。トゲリン、描いてくれる?」
「心得たでござる!」

 トゲリンは、すっかりずり上がりきって某カエルアニメの主人公少年のようになっていた眼鏡の位置を直した。

「さもあれば、まず最初に取り掛からねばならないのは、世界観の構築でござるな。いや、とりあえずのとりあえずは、どのような作品にしたいのか。四択くらいから搾って、そこから煮詰めていくのが筋道であるかと」
「ジャンルをどうするか、だよな。思いつくものとして、SF、現代、時代物、ファンタジー、とかかな。全部、年代と場所を示すものでしかないけど、とりあえずここから」
「まあ、現代でも、学園もの、格闘もの、ほんわか日常もの、ラノベ原作アニメ的なものを目指すとしても色々とあるからね」
「現代日本でいいと思うでござるよ」
「確かに。深く設定を考える手間もいらないし、背景についても『適当に作ってごまかす』は出来なくなるけど、いたるところに本物が存在しているわけだから、参考にするに困ることがない」
「むしろその方が、つまりモデルとなる場所を用意した方が、作品が成功した場合に聖地巡礼で盛り上がったりするしね」
「作品の成功って、どこまでを考えているんだ八王子は」
「どうせならでっかく、だよ」

 と、このようにして定夫、トゲリン、八王子の三人は、どのようなアニメーションを作るのか、相談を始めたのである。

 明日も平日、学校があるというのに、自分たちのアニメを作り上げるという興奮に話の種は尽きず、深夜近くまで話し込むことになるのであった。

     5
 かんかんかん、と足音が響いている。

 江戸時代の侍、といった風体の男が、小さな少女の手を引いて荒廃したビル街を走っている。

 二人を、目に狂気を宿した群衆が武器を手に手に追いかけている。

 「ポータブルドレイク」。深夜枠で放映中のアニメだ。

 人間が次々ゾンビと化していく世の中が舞台。
 ポータブルドレイクという特殊細胞の覚醒によって自らのゾンビ化を食い止めることが出来た男が、いずれゾンビ化していくであろう人類からの逃亡の果てに、世界の破滅と、その先にある微かな希望を知る物語だ。

 やまさだは、居間のソファに肥満した肉体を沈めて、54型プラズマテレビでそのアニメを見ているところである。

 現在は夕刻。十七時四十分。
 深夜アニメであるからして、当然録画しておいたものの再生だ。

 以前利用していたレコーダーは、前番組の放送時間延長などに対応出来ず、録画されていないことが実に多かったのだが、現在の機器はしっかり追尾してくれるため取り逃しがなくて快適である。
 ころころ放送時間の変わる扱いの低さに対しての不満は、また別であるが。

 テレビアニメはリアルタイムで見てこその醍醐味である、と唱える者がいる。定夫も概ね同意ではあるが、しかし深夜アニメに関してはあてはまらない、と思っている。
 草木も眠る時間帯よりも、人間の息吹満ちる時間に見る方が絶対にいい。

 どのみち数ヶ月後にビデオを販売する目的での放映であるため、リアルタイム視聴にこだわりが生じにくく、ことさらそう思ってしまう。

 さて、画面の中では、もしかしたらゾンビウィルスに感染したかも知れないというだけで首をはねられかけた少女の手を引いて、とりあえず逃げ延びた主人公が、ビルの屋上に立っている。
 見下ろすは、ウジオカンパニーの跡地である廃工場。

 実は工場は廃棄などされておらず、地下で稼働しており、そここそがポータブルドレイクという人工細胞を開発しているところ。という情報を聞きつけて、ゾンビと人間と双方から逃げつつ、ここまで辿り着いたのだ。

 と、いうところで話は次回へ。
 あと二話で、いよいよ最終回である。

 エンディングテーマのイントロが始まった。
 続いて流れるは、スタッフロールと、まつの力強くも悲しい歌声、そして合間に差し込まれるチェロの旋律。

 重厚な物語の余韻にどっぷりと浸からせてくれる、素晴らしいエンディングテーマだ。
 曲とシンクロした絵もまた素晴らしい。

 自分の部屋にある小さなテレビで誰への気兼ねもなく好きに観るのもいいが、リビングの大画面で味わうのもこれはこれで格別である。アニメの世界に入り込んだような気分になれる。

「わたしは輪廻を拒む。あなたとの一瞬が唯一だからあ♪ ハァァァ♪」

 感極まって、つい裏声を張り上げる定夫。

 の姿を、ドアの陰から妹のゆきが見つめていた。
 部屋の向こうから、
 顔を半分だけ覗かせて、
 じとーーっ、と、
 最大限の軽蔑を込めたような、いや間違いなく込めている眼差しで。

 気付いた定夫は一瞬びっくりしたような表情を浮かべたが、すぐ平静を取り繕って、ポテトチップスを一枚つまんで口に放り込んだ。
「気持ちわる」

 幸美は、表情変えずにぼそり呟いた。

「き気持ち悪くないッ!」

 定夫は、黒縁眼鏡のレンズを光らせて、ばつ悪そうに声を荒らげた。

「こんなのばっか観てて、ほんっと気持ち悪い」
「うるさいんだよ。観たらダメって日本国憲法で決まってんのかよ。第何条だよ。それともホッブズのリバイアサンにでも書いてあるのかよ。マルチンルターーッ!」

 小難しい言葉を無意味に並べ立てているうちに、ますますわけの分からないことを叫んでしまう定夫であったが、幸美の軽蔑しきった表情はぴくりとも揺らぐことなかった。

「アニメ観てばっかりで外に出ないから、いつまでもデブでオタクなんだよ」
「デデっデブとオタクを結びつけるのはややめろっ! そうさ、確かにおれはデブでありオタさ。そこを認めることにやぶさかではない。しかし、その因果関係の決め付けに、なにも根拠はないだろ。せめて論拠を示せえ!」

 ついには、ポータブルゲーム機用ゲーム「ほーてー」の主人公であるあるぞうの真似をして、指をぴっと突きつけながら「異議あるぞーっ!」と叫んだ。

「日本語喋れ、ぶあーか」

 幸美はぷいとそっぽを向いて、中学制服のスカートを翻すと、とんとんと階段を上っていった。

 居間にぽつんと立ち尽くす定夫。
 虚しい風が吹いた。
 ころんころんと、タンブル・ウィードが転がっていく。西部劇などで荒野を転がる、枯れ草の塊である。

「また、やってしまった……」

 後悔の念にかられたように、ぼそり呟いた。

 妹の幸美は、別に取り立ててかわいい顔ではない。
 兄の贔屓目で見ても、並である。松竹梅でいう、竹というよりは、梅の上であろうか。
 鼻がもう少しダンゴでなければ、多少はかわいいかも知れないが。ほんの多少は。
 もうちょっとだけ目が大きければ、多少はかわいいかも知れないが。ほんの多少は。
 ではあるものの、しかし、せっかくの妹なのである。
 いない者にとっては、実に羨ましいシチュエーションなのである。

 オタだデブだと猛烈に嫌われてはいるが、考えようによっては、いわゆるツンデレ《の、最近広く認知されてしまっている方の意味合い》のようであり、かわいらしいというものではないか。

 分かっている。
 ああ、分かってはいるのさ。

 素晴らしきシチュエーション。「妹が腐女子なわけがない」「これから妹と○○します」「モテない兄だなんて思われたくないだけなんだからねっ!」などの主人公に、勝るとも劣らぬ境遇に身を置いているということを。

 だがしかし。
 これが性というものか。
 先ほどのように、オタクを否定されると、ついついいつも激昂してしまう。

 いや、オタの否定はいい。
 デブとの関連性を、根拠なく決め付けてくるところが許せない。

 事実はどうか分からないが、全国的な統計が取れているようなものではないわけで、ならばそれは単なる先入観による決め付け、言いがかりというものではないか。理論的ではないというものではないか。

 と、感情的になってしまうのだ。
 せっかくおれには妹がいるのに、というラノベタイトルのような状況を、まるで生かすことが出来ないのが返す返す残念でならない。

「まあ、なにがどうであれ、どのみちモーレツに嫌われていることに変わりはないわけであるが」

 脂ぎったオカッパ頭をかきあげながら、フッ、と寂しげに笑った。

 ポータブルドレイクのエンディング及び次回予告が終わったので、テレビを消した。

 さて、仕切り直しである。
 先ほどの妹とのやりとりによって、せっかくのアニメ鑑賞の感動がパーになってしまったからだ。

 冷蔵庫からコーラを取り出し大きなコップになみなみ注ぐと、リビングを出て二階へ。

 山田家の二階には、部屋が二つある。
 一つは定夫、もう一つは妹である幸美の部屋だ。

 もちろん自分の部屋の方に入った定夫は、まずはコーラをぐびり一口。開栓したのが五日前なので、単なる黒い砂糖水になってしまっていたが気にしない。

 コップを机に置くと、一昨日購入したばかりのCDを、プレイヤーにセットする。
 先ほど見ていたアニメ、「ポータブルドレイク」のオープニング曲だ。

 ダウンロード配信などもある現代だが、定夫はあまり利用しない。
 どうにも味気がないし、CDならジャケットが手に入る、つまり本当に自分の物になった気がするから。

 机の引き出しには、用途と気分に合わせて使い分けるために何種類かのイヤホンが用意してある。
 ポータブルドレイク用に、と決めているオーバーヘッドのイヤホンを頭に装着、コードをプレイヤーに接続、そして再生。


  ♪♪♪♪♪♪

 ときめきめとめと すきすきすー じゅもじゅもまほうの じゅっもっっんっっっ

  ♪♪♪♪♪♪


 パクリと訴えられそうな歌詞の、ポップな曲が流れた。

「なんだこれ!」

 鼓膜をぬろーっと舐められるような不快さ不気味さに、絶叫しながら慌ててヘッドホンを外すと、肥満した身体をぶるぶるっと震わせた。
 曲をストップし、ディスクを取り出してラベルを確認する。

 「ときめきもじゅも / cw みんなの奇跡」

 知らねえ……
 いつの間にか、ケースの中身が入れ替えられていた。

「チクショウ、きっと八王子だ」

 あいつ、確かこのアニメ好きだからな。
 よりによって、おれが嫌いで一度も観たことのない、ときめきもじゅもの歌かよ。

 まあ、あいつも別に、布教活動や洗脳活動をしているわけではないのだろう。
 単なるズボラ。人のプレイヤーで勝手に聞いて、そのまま忘れていったということなのだろう。

「いずれにせよ、変なのを聞かされたよ。せっかく仕切り直しして、失ったテンションを取り戻そうと思っていたのに」

 ポータブルドレイクのオープニング曲は、おそらく八王子が間違って、ときめきもじゅものケースに入れて持って帰ってしまったのだろう。
 仕方なく、「はにゅかみっ!」のオープニングCDをセットすると、今度は耳かけ式のイヤホンに取り替え、レッツラ再生。


  ♪♪♪♪♪♪

 君の街に行ってもいいかな
 だって抑えきれないんだもん
 恋という名の風に乗って
 ときめきの妖精 ちょんと肩に乗せて

 どんな洋服着ていこうかな
 どんな道を歩こうかな
 今日はどれだけ近づけるかな
 わたしはどれだけハッピーかな……

  ♪♪♪♪♪♪


 「はにゅかみっ!」の主題歌、「パッションエブリデイ」である。
 昔のアイドルのような爽やかポップな曲だというのに、何故だかパンクやヘビメタを聞いているかのようなノリで、オカッパ頭をバサバサ揺らしていると、突然、ブーーッブーーッ、となにかが二回、振動した。
 机の上に置いてある携帯電話だ。

 首をくいっと持ち上げ、目にかかった前髪ポジションをもとに戻した定夫は、携帯を手に取り、パチンと開いた。
 トゲリンことなしとうげけんろうからのメールがきていた。


 八王子がスパーク完成させた
 見たら驚くでござるよ、ニンニン


 と、二行きりの文章であった。
 ついこの間まではこうじよの影響で軍人言葉であったのだが、最近なぜだかサムライ言葉に目覚め、それどころか忍者言葉も取り入れて、なんだかよく分からないトゲリンであった。どうでもいいことではあるが。

 さて、このメールであるが、これはつまり、以前からみんなで取り掛かっていた例のものが、ついに出来上がったということに他ならなかった。

 アニメのオープニングを作ろう、という話になり、みんなで背景設定を考え、定夫がコンテを切り、トゲリンがキャラをデザインし、絵を描いて、八王子がパソコンに取り込んで編集。その八王子の最終作業が、完了したのだ。


 いまみてみる


 とだけ打って返信すると、定夫はPCをスリープから復帰させて、三人で共有しているインターネット上のネットワークストレージを開いた。

 本日更新分の、動画データと思われる拡張子のファイルがある。これが例の、スパークから書き出したものだろう。

 インターネット上からの直接実行も可能であるが、念のため自分のPCへとコピーし、それを実行させた。

 画面一杯に動画プレイヤーが表示されたかと思うと、続いて映像が映り、音楽が流れ始めた。

 定夫が掲示板で嘆きを書き込んだことにより、提供を受けることになった楽曲、それに合わせて、トゲリンが描いたキャラ、赤毛の女の子が動いている。

 定夫がコンテを切って、指示をした通りに、
 総天然色の、背景の中を。

 迫力、
 というと語弊があるかも知れない。しかし、間違いなく定夫は圧倒されていた。

 28インチワイドの液晶モニター。アニメを見る用途としては、とりたてて大きなサイズではないが、それでも定夫は、その圧倒感からくる風圧に、オカッパの頭髪がバサバサとなびくような思いを感じていた。

「すげえ……」

 ぼそり、口を開いた。
 すっかり中が乾いて、粘っこくなっている口を。

 潤そうと、黒い砂糖水のなみなみ入ったコップを取ったが、手を滑らせて、もにょもにょ肥満したお腹に落として、ぶちまけてしまった。

     6
 歌のテンポやムードに合わせて、
 セーラー服の少女が、
 走ったり、
 友達とおしゃべりして笑いころげたり、
 つまづいて転んだり、
 犬に追いかけらて、転んだり、
 巫女の格好で……転んだり。
 神社で掃除していたり。

 既に何度も何度も繰り返し観たアニメであるが、三人で集まって観賞するのは今日が初めてであった。

 やまさだが楽曲提供を受けたことから立案に繋がり、トゲリンがキャラクターをデザインし、絵を描き、八王子がパソコンで編集した、アニメオープニングである。

「おれたちの、オープニングだ」

 定夫は、画面をくいいるように見つめながら、感無量といった表情で呟いた。

 本編が存在しないのにオープニングというのも妙な話ではあるが、誰が見たとしても、アニメのオープニングと思うであろう、そんな作品であった。

 技術的には、取り立ててレベルの高いものではない。
 当然だ。
 作り手はみな素人なのだ。

 トゲリンは、時折漫画家を無性に目指して絵を描きたくなるというだけで、アニメーターではないから構図の知識はあっても中割りなどの知識経験などはないし、アニメ作成ソフトのスパークにしても所詮は無料のものである。

 生半可な知識技術でテレビアニメ的な動画にチャレンジしても労力が半端でないどころか、アラが目立つだけという結果になりかねないので、中割り動画は必要最小限度にとどめて、ほとんどのシーンは止め絵をスライドさせたり、画面内に別のカットを割り込ませたりして、動きを作り出している。

 その、割り切りが功を奏したということであろうか。
 トゲリンの美少女を描く才能と、八王子のスパーク編集が絶妙に噛み合って、素晴らしい作品になっていた。

 ほんわか脱力系の絵の裏に、作り手の情念を感じるような、そんな作品になっていた。

 技術的なアラに目をつぶるどころか、そもそもまったく気にならない、むしろそれが味、といったような。

 これは本当に、凄い作品を作り上げてしまったのかも知れない。

 と、興奮する定夫であるが、同時に一抹の寂しさも感じていた。
 発端は自分であるとはいえ、
 制作会議に参加した身であるとはいえ、
 現場仕事そのものに関しては完全に蚊帳の外で、関与していないからだ。

 コンテ担当で、そういったところのノウハウを本で学んでから臨んだとはいえ、ほとんどトゲリンのセンスにアレンジされてしまったし。さらに、スパークの性能に合わせて八王子にアレンジされてしまったし。
 徹夜徹夜で必死に作業していたのも、前半はトゲリン、後半は八王子だし。

 感覚的には、自分はなんにもやっていない。

 でも、いいんだ。
 こんな凄いことをやってのけてしまう友がいるというだけで、おれは幸せさ。

「でも、本当に凄いな、これ」

 ちょっと寂しい気持ちをごまかすように、また作品を褒めてみる。

「大変ではござったが、それなりの物にはなったであろうか。拙者にもっと絵心があれば、と悔しい思いもあれど」

 トゲリンはネチョネチョ声で謙遜するが、しかしその顔に浮かぶ満足感は隠しきれるものではなかった。

「ぼくも、もうちょっとセンスがあればよかったなあ。まあスパークじゃ、やりたいこと広げても手間ばかりかかって、これ以上は難しいんだろうけど」

 八王子も、百パーセント以上の仕事をやったのだ、とばかり満足げに鼻の頭をかいた。

「環境が環境だし、プロじゃないんだし、完璧な出来といっていいと思うぞ、おれは。でもあれだよな、こうも完璧な作品になっちゃうとさ、オープニングだけといわず、本編も作りたくなるな」
「お、いいでござるござるなっ」

 トゲリンは、甲高いネチョネチョ声を張り上げて、ずずずいと奉行のように定夫へと身を乗り出した。
 自分の描いた絵が、音付きで動いたということに、相当に気分高揚しているのであろう。

「作るとなると、ジャンルはどうする?」

 八王子が尋ねる。
 確かに、オープニングアニメを作成するにあたって雰囲気やキャラ設定などは相当に話し合って決めたものの、舞台背景はなにも考えていなかった。
 そもそも、主人公の名前すら付けていなかった。アニメ製作にあたっては「主人公」で問題なかったからだ。
 話を作るというのならば、背景設定をしっかりさせないと。

 ああ、おれたちのアニメが、どんどん広がっていく……

「キャキャ、キャラからするとっ、ゆるゆる学園ものかなあっ」

 自分たちの作ったキャラクターの学園生活を妄想して、ちょっと興奮気味に語るオカッパ頭の定夫であった。

「定番ではあるね。それか、なんか意表をついたものにする?」

 すっかり乗り気になったか、八王子も楽しげな笑みを浮かべて乗ってきた。

「本編全部落語形式」

 トゲリンが粘液声で。

「意表ついただけ。というか、まど〇しらべにやられちゃったろ、それはもう。王道的なものでいいと思うよ、おれは」
「じゃ、よくある普通のアニメを目指すってことで。となると舞台は現代日本しかないよね。で、キャラ設定をそのまま生かすとなると、ゆるゆる学園か、スポーツへなちょこ系、SF、退魔もの、など必然的に絞れてくるよね」
「まあ、そうだな。オープニングをほとんど修正せずに済むのは、ゆるゆる学園ものか」
「ゆるゆるであっても、ライバルキャラの存在も必要でござるな」
「そうだね。あと、主人公の名前も早めに決めときたいね」
「名前からくるインスピレーションから、話が生まれるからな」
「拙僧の個人的な好みであるが、苗字は単純な漢字で、名前はひらがなが希望」
「ひらがなかあ……最近のラノベみたく毎回ルビ振ってくれないと読めないよりは遥かにいいけど」
「まあ、アニメである以上はキャラの名前は文字ではなく音であり、読みにくさに関してはあまり気にしなくていいとは思うが、しかし設定を考える以上、拙僧の好みとしてはやはりひらがな」
「しっくりくるのが一番だから、漢字かひらがなかはまだ決めず、明日までにそれぞれ候補をいくつか考えて発表しよう」
「心得た」
「なら、いま話しときたいのは、細かな背景をある程度煮詰めることだね」
「まず拙者がアニメに何を求めるかから話すと……」

 自分たちの作品が自分たちへもたらしたこの高揚感に、そして、これから大きな作品を作るのだという夢に、みな口が止まらなくなっていた。

 そう、
 みな萌え、いや燃えていたのである。
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