いたくないっ!

かつたけい

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第十二章 魔法女子ほのか最終回 そして

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 ごろごろと、はるかの身体が横に転がる。
 転がる勢いで上体を起こし片膝をつくと、素早く顔を上げ、歯をぎりと軋らせながらきっと前方を睨み付けた。

 だが、その視線は空をきった。ほんの一瞬前までそこに存在していたはずのものが、存在していなかったためである。

 上!
 何かを察したその瞬間、大きく横っ飛びしていた。

 ほんのわずかでも判断が遅れていたら、はるかの頭は叩き潰されていたかも知れない。

 真っ赤なブーツの踵が、ぶうんと風を切って振り下ろされてきたのである。

 どむ。
 低く重たい爆音。
 地面が粉々に砕けて、間欠泉のように高く噴き上がった。

 さらさら落ちる砂の雨の中、ダークシルバーの魔道着を着た魔法女子はるかは立ち上がると、改めて目の前に立つを睨み付けた。

 真紅の魔道着。
 魔法女子、ほのかを。

 唸る獣のように、鼻に筋を立て顔を歪めるはるかであるが、反対に、ほのかの顔にはまったく戦意というものが浮かんでいなかった。

 地が噴き上がるほどの、とてつもない破壊力を見せたばかりだというのに。
 それすら無意識の反応に過ぎなかったかのように。

 赤毛の魔法女子、ほのかは、不思議そうな顔で、自分自身の手や足を眺めている。手を顔に近づけて、握ったり、開いたり。

「……全然、違和感がない。なんだか、生まれた時から、この身体だったみたい……」

 呆けたような表情で、ほのかはぼそり呟いていた。
 はっとしたように顔を上げると、その顔を、横へ向けた。

 視線の先、地面になにかが落ちている。
 倒れている、といった方が正解に近いだろうか。

 何故ならそれは、赤いスカートから伸びる、ひからびて黒く変色した、人の足だったのである。
 はるかのデスアックスに両断され、生気を吸い尽くされた、ほのかの下半身であった。

 少し離れた場所には、やはりミイラ化して赤毛が頭皮から完全に抜け落ちた、ほのかの上半身が転がっている。

 ほのかは目を見開き、瞳を潤ませた。
 目をぎゅっと閉じ、顔をそむけるが、すぐ振り払うように首を左右に振ると、はるかへと向き直った。

 はるかは肩を大きく上下させながら、唸り声をあげる狼のようにけわしく顔を歪ませていたが、ほのかの視線を受けると、にいっと唇の両端を吊り上げた。

「ディル バズム ラ ローグ」

 小さく口を動かし、ぼそり呪文の詠唱をするはるかの右手に、いつの間にか不気味な黒光りを放つ幼児の身体ほどもある巨大な斧が握られていた。
 はるかの魔装具、デスアックスである。

 巨大な金属の塊だというのに、はるかは右手だけで楽々と柄を握り締めている。

「またさあ、おんなじ目にあわせてあげるよ。何度、別の肉体に入ろうと、片っ端から破壊してやるよ」

 柄に左手も添えると、凄まじい雄叫びを上げた。地を蹴って、ほのかへと飛び掛かっていた。

 消えていた。
 はるかの姿が。
 空気に溶けるように。

 ほのかは、仁王立ちのまま微動だにせず、少しだけ視線を上に向けた。

 上。
 はるかが、両手にした巨大な斧を、ぶんと振り下ろした。
 デスアックス、先ほどほのかの胴体をバターを切るよりたやすく両断してみせた魔装具を。

 だが、
 なにも、起こらなかった。

 破壊力が爆発を生むこともなければ、
 風が巻き起こることすらも、
 ましてや、ほのかの頭部や胴体が再び両断されることも。
 なにも、起こらなかった。

 斧の刃を、ほのかが受け止めていたのである。
 右腕一本。いや、人差し指と親指、たった二本の指で。

 宙から降り立ったはるかは、ちっと舌打ちすると、再びデスアックスを振り上げようと両腕に力を込める。

 だが、ほのかの二本の指に軽くつままれたように見える黒い斧は、そこにいかほどの力が加わっているのか、振れどもひねれども、引き抜くことが出来なかった。

 苛立つ声を上げて、両手に握った柄をさらにぶんぶん振って、なんとか奪い返すと、

「死ねえ!」

 はるかは両手に握った斧を、渾身の力を込め、ほのかの頭部へと振り下ろした。

 ほのかは、避けなかった。
 まだ肉体に馴染んでおらず反応出来なかったのか、理由は分からないが、分かっていることが一つ。

 直後、はるかの顔に浮かんだのが、喜悦の笑みではなく、驚愕の表情であったということ。

 握っていた柄が、折れたのである。
 ほのかの額に刃を叩きつけた、その瞬間に、ミリバキと音を立てて、見るもあっさりと。

 斧が、くるくる回り、どおんという重たい音とともに落ちた。どれほどの重さがあるのか、周囲の地面が粉々に砕け砂塵になって舞い上がった。

「あたしの……デスアックスが……」

 じいいんと襲うしびれに手を振りながら、唖然とした顔のはるか。ほのかが一歩踏み出したことに、すっと腕を上げて身構えた。

 二歩、三歩、ほのかは、地面に落ちた斧へと近寄ると、

「もう、終わりにしましょう」

 寂しそうな声、表情で、軽く屈み斧を拾った。

 いや、
 拾ったのではなかった。

 くっついていた。
 ほのかの右腕に、斧の刃が。
 皮膚と金属が、お互い溶け合うように。まるで、最初からそういう右腕であったかのように、ほのかの右腕から黒光りする巨大な斧が生えていたのである。

 信じられない光景に、はるかは、目を見開いて、ひっと息を飲んだ。

しんゆうごう。……古代に失われた技術のはずなのに」

 一歩、二歩、と後ずさるはるかであったが、ぶるぶるっと身体を震わせると、その顔に笑みを浮かべた。作り物めいている、強張った笑みを。

「お前ごときに扱える神魔融合ではない。どこで技の存在を知ったか知らないが、そんなハッタリに、このはるかが、恐れをなして退くとでも思ったかああっ!」

 はるかは絶叫しながら、地を蹴ってほのかへと飛び掛かっていた。
 その残像も消えぬうち、骨の砕けるような嫌な音と、地も裂けるような悲鳴が上がっていた。

 どさり地面に叩き付けられて、顔を苦痛に歪めているのは、はるかであった。彼女のまとっているダークシルバーを基調とした魔道着、その胸部が、ざっくり深くX字に切り裂かれていた。

「そ、そんな、そんなバカなあ! あたしがっ、神に等しい存在である、この、はるかがっ、お前ごときにっ、お前ごときにいいいい!」

 身を襲う激痛と、受け入れがたい現実とに、はるかは顔を醜く歪ませて、ばたんばたんとのたうち回っている。

 ほのかは、そんなはるかを、無表情に近い顔でただ見つめていた。
 やがて、そっと右腕を振った。
 ぬるーう、と融合が解除されて、巨大な斧が足元に落ちる。どおんと低く震える音とともに、斧が地面にめり込んだ。
 ほのかは、そっと目を閉じる。

「ティル トーグ ラ ローグ」

 小さく口を開いて、ささやくような呪文詠唱が始まった。

 地に倒れているはるかの、激痛と自尊心崩壊に醜く歪んでいる顔に、変化が起きた。表情の構成要素が追加された、といった方が正しいだろうか。
 加わった表情とは、驚愕、そして焦り、であった。

 手を、足を、動かそうと力を込めるダークシルバーの魔法女子であるが、四肢に枷をはめられて台にがっちり固定されているかのように、まったく動かすことが出来ないのである。

 呪詛の言葉を吐きわめきながら、腰を捻って必死にもがいているうちに、またその顔に変化が起きていた。
 今度は感情表情の追加ではなく増幅、読み取れる驚愕感情が桁違いに膨れ上がっていた。まぶたが張り裂けんばかりに見開かれていた。

 上空に輝いている太陽が、どんどん、大きくなっているのだ。

 当然だが太陽は遥か上空どころかまったく異なる天体。だというのに、まるで、すぐ頭上にあるかのように、どんどん、どんどん、それは大きく膨れ続けていた。いまにも落ちてきそうなほどに。

 はるかのダークシルバーの魔道着から、ぷちぷちという音がしていた。あまりの高熱に、耐えきれず焦げ始めているのだ。

 絶叫。
 耐え難い苦痛と、恐怖に、はるかは身を暴れさせながら絶叫していた。

 炎すらも溶かすほどの業火の中で、ほのかは、平然と立っている。
 苦痛に顔を歪めるはるかと正反対の、涼しい顔で。

 はるかの顔や手足、皮膚の露出した部分は、すっかり水分がなくなってがさがさになり、それどころか、ところどころが黒く焼け焦げていた。
 ダークシルバーの魔道着がすっかり防御力を失って、まとっている者の身体を守れなくなっているのだ。

 どれほどの苦痛が身を襲っているのか、はるかは意味をなさない言葉をでたらめに叫びながら、ばたばたともがき続けた。

 腰をぐいぐいと捻って、なんとか逃れようと必死に暴れるが、だが彼女の四肢は透明な枷でがっちりと固定されて、どうあがいても逃れることが出来なかった。

 彼女の身体が、ひからびていく。
 水分を失ってがさがさになった黒い部分など、いつ燃え始めても不思議でないくらいであった。

 その黒い部分が、どんどん広がっていく。
 どんどん、醜くなっていく。
 朽ちていく。

 冷たい表情でダークシルバーの魔法女子の滅びを見つめ続けていたほのかの目が、はっとしたように見開かれていた。

「ほのか……ちゃん」

 はるかが、あどけない、苦悶の表情で、救いを求めるように、ほのかを見つめていたのである。

 それは、転校してきたばかりの、
 ほのかたちに溶け込んで、仲良くなった頃の、
 あの顔であった。

 そんな、無邪気な彼女の顔が、今、黒くすすけ、ひからびて、業火に焼かれている。
 滅びようとしている。

「はるかちゃん……」

 ほのかは、ぎゅうっと目を閉じ、首を小さく左右に振った。

 青い空。
 太陽が、遥か遠く、遥か高くに、さんさんと輝いている。
 まるでずっとそうであったかのように。

 だが、地上に視線を落とせば、そこには現実があった。
 ダークシルバーの魔道着と、その下の肉体がすっかり焦げ、ただれ、身を襲う地獄の苦痛に、うずくまり、涙目ではあはあと息を切らせている、魔法女子はるかの姿が。

 痛みと惨めさとがないまぜとなった表情で、ぎぎゅっと強く地面をかきむしった。

 と、その時である。

 一陣の、旋風が巻き起こると、
 そこに立っていたのは、黒装束の男と、半身半馬の怪物。

 魔帝ジャドゥーグに仕える副将軍サーガイトと、その手下であるマーカイ獣である。

 黒装束、サーガイトのマントにくったりした様子でくるまれ、はるかはかぼそく呼吸をしている。

 現在、はるかたちの天《てん》きゆう|界と、魔帝は、共同戦線を張る関係なのである。
 とりあえず助けにきた、ということであろう。

「やれっ、マーカイ獣ヒヒンマ!」

 サーガイトの命令と同時に、馬に似た怪物であるマーカイ獣ヒヒンマが、ほのかへと襲いかかる。
 凶暴そうないななきを発しながら、上体を起こして前足二本を高く振り上げた。

 ほのかは、表情一つ変えることなく、自らすっと一歩踏み込んだ。立ち上がったことであらわになったマーカイ獣の腹部に、ぱしり払いのけるように手の甲を打ち付けていた。

 ただそれだけに見えたというのに、一体どれだけの威力がその打撃に込められていたのか。
 マーカイ獣ヒヒンマは、悲鳴を上げる余裕すらなく地に叩き付けられており、叩き付けられたその瞬間には、既に身体が完全に潰れてのし紙のようにぺちゃんこになっていた。そして、砂になって消えた。

 ほのかは、そんなことよりも、と首を軽く振って、左右を小さく見回した。

 サーガイトと、はるかの姿が、消えていた。

 風に乗って、声が聞こえてきた。息も絶え絶えといった、女性の声が。

「バカな、やつ、だ。いまのが、あたし、を、倒す、最後の、チャンス、だった、のに。今日は油断しただけ。次は、遊ばず、最初から全力で、一撃で、一瞬で、殺してやるよ。魔法女子……ほのかあ!」

 絞り出すような狂った笑い声。それがだんだんと小さくなって、風の音に消えた。

 ほのかは空を見上げ、ぎゅ、と拳を握った。
 その顔に浮かんでいるのは、不安よりは、寂しさであっただろうか。

 そっと顔を下ろすと、その表情が変化した。悲しそうであることに変わりはないが、質、ベクトル、といったものが明らかに異なっていた。
 ほのかの視線の先には、

 あおい、
 しずか、
 ひかり、

 青、緑、黄、三人の魔法女子が、うつ伏せに倒れている。

 ほのかは、ためらうような小さな足取りで、ゆっくりと近寄っていく。

 三人は、ぴくりとも動かない。
 彼女たちはみな、地に頬をつけ、まるで眠っているかのように、すべてをやりきった満足げな表情で横たわっていた。

 ほのかは、悔しそうな、寂しそうな、苦い表情で唇を噛んだ。
 ぎゅっと拳を握った。

「私なんかを、助けるために……」

 瞳が潤んだかと思うと、一条の涙が、頬を伝い落ちていた。
 うくっ、としゃくりあげると、もう感情を抑えることが出来ず、立ったまま、両の拳を握ってわんわんと泣き続けた。
 空を見上げ、涙をぼろぼろとこぼし続けた。
 どれだけ、続いた頃だろうか。

 くく、
 という声に、
 ほのかの肩が、ぴくり震えた。

 顔を落とし、泣きはらした真っ赤な目で、きょろきょろ見回した。
 震えたのは……震えているのは、ほのかの肩だけではなかった。うつ伏せに倒れている、あおいの青い魔道着が、全身が、細かく震えていた。
 細かい震えは、すぐにぶるぶると大きなものになった。

「ええっ!」

 ほのかが驚きに目を見開いた、その瞬間であった。

「わはははははは!」

 大爆笑。
 あおいが苦しさと可笑しさの混じった顔で、大声で笑いながら地面をがりがりと引っかいた。

 やがて仰向けになり、スカートだというのに足を広げてバタバタ、両手で腹を押さえてなおも笑い続けた。

「あおい、ちゃん……」

 状況が理解出来ずすっかり呆けた顔になっているほのかの、肩がまたびくりと震えた。

「し、しずっ……」

 いつの間にかしずかが上体を起こし、おままごと座りで、静かに微笑んでいたのだ。
 さらには、

「よっと」

 掛け声とともに、黄色い魔道着の魔法女子が元気よく跳ね起き、地に立った。

「ひか……」

 まだぼおーっとしているほのかに、とどめの一撃が炸裂した。

「ひでえめにあった畜生っ! でっ、倒したのかあ?」

 地中から、猫の妖精ニャイケルがぼこおんと飛び出してきたのである。

 なにがなんだか分からず、きょとんとしているほのかであったが、やがて、目を白黒させはじめ、そして、

「え、え……ええーーーーっ!」

 アゴが地面に突き刺さりそうなほど大きく口を開き、叫んでいた。
 仰向けゴロゴロようやく爆笑のおさまったあおいが、まだおかしそうな顔で、立ち上がった。
 青い髪の土埃を、両手で払いながら、

「バカだなあ。あたしらが、あんな程度で死ぬわけ……って、お、おいっ、ほのかっ!」

 あおいの青い魔道着に、ほのかが飛びついて、ぎゅうっと抱き締めたのである。

 ほのかは両手を伸ばし、しずかとひかりをそれぞれ掴んで引き寄せると、大きく腕を回して、三人全員をまとめて抱き締めた。

 笑っていた。
 ほのかは、笑っていた。

 あおいたちに、頬をすり寄せ、
 ぼろぼろと、大粒の涙をこぼしながら、
 空気にとろけてしまいそうなほどの、幸せそうな笑顔で、笑い続けていた。

 澄み渡る青い空に、太陽がやさしく輝いている。

 ピアノ、弦楽器の音が静かに流れ出し、
 画面に、「声の出演」と字幕が表示された。

 エンディングである。

 画面下に歌詞が出る。



  ♪♪♪♪♪♪

 そっと目を閉じていた
 気付けば泣いていた

  ♪♪♪♪♪♪



 自分の家の、二階の窓から、ほのかが両手にほっぺたを乗っけて、夜空を見上げている。
 なんだか、寂しそうな顔で。



  ♪♪♪♪♪♪
 
 崩れそうなつらさの中
 からだふるわせ笑った

  ♪♪♪♪♪♪



 セピア色の画面。

 雨が降っている。
 制服姿の男子女子が、傘を差して道路を歩いている。
 ほのかもその中の一人であるが、彼女だけカラーで描かれている。

 肩を落とし、辛そうな顔。
 前方に、あおい、しずか、の二人を見かける。
 声を掛けようとするが、どうしても掛けることが出来ず、電信柱に隠れてしまう。
 俯いて、胸をそっとおさえる。



  ♪♪♪♪♪♪

 生きてくっていうことは
 辛く悲しいものだけど

  ♪♪♪♪♪♪



 子供の頃の、ほのかと、あおい。
 まだ幼稚園くらいか。

 走り回って、
 落書きして、怒られ、
 川で遊び、
 男の子にいじめられるほのかを、あおいが庇い、
 蜂の巣をつついて、刺されて二人で泣き、
 ぎゅっと手を繋ぎ、満天の星空を、二人で見上げる。



  ♪♪♪♪♪♪

 それでも地を踏みしめて
 歩いてくしかないよね

  ♪♪♪♪♪♪



 雨が上がっている。
 ほのかは傘を閉じ、元気の無い足取りでまた歩き出す。
 水たまりだらけの道を。



  ♪♪♪♪♪♪

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 もう迷わず

 輝ける場所がきっと
 待っているから

  ♪♪♪♪♪♪



 はっとした顔で、ほのかは立ち止まる。
 笑顔のしずか、ひかり、
 気まずそうな顔の、あおい。

 あおいは、しずかに背中を押され、とと、と前に出る。
 真っ赤な顔になって、ほのかへと深く頭を下げると、照れを隠すように笑った。



  ♪♪♪♪♪♪

 見上げれば青い空
 大地には花 風は静か

 永遠の中

  ♪♪♪♪♪♪



 どうしていいか分からず、一瞬、顔をそむけるほのか。
 俯いていた顔を上げ、微笑む。
 瞳を潤ませながら、傘を投げ捨て走り出す。
 溶けるような笑顔で、あおいの胸の中へと飛び込んだ。

 夕暮れ、
 逆光に浮かぶ、四つのシルエット。



  ♪♪♪♪♪♪

 出会えたこの奇跡に
 小さな花が心に咲いた

  ♪♪♪♪♪♪



 フェードアウト。画面が、すーっと真っ黒になる。

     2
「ふーーーーーーーーーっ」

 山田レンドル定夫は、長い長いため息を吐いた。
 ラーメン屋の換気のような、妙に脂ぎった息が噴き出して、オカッパの前髪をぽそぽそっと揺らした。

 ここは、山田家の居間。
 横付けされたソファには、妹のゆきが座っている。
 二人で、今週のほのかを観ていたところだ。

 定夫については、どうでもいいどころかハンマーで頭を叩き潰したいくらいに嫌悪している幸美であるが、その兄の生み出した作品が企業に買われてテレビアニメになったともなれば、こうした光景もまあ不思議でもないだろう。

「ふーーーーーーーーっ」

 兄貴、レンドル定夫が長いため息もう一発。
 幸美は、ぎろりと兄の顔を睨み付けた。

「くさいよ兄貴! 歯を磨いて沸かしたての熱湯でうがいするまで呼吸すんな!」

 相変わらずの、兄への毒舌。
 一メートルは離れているが、精神的に臭うのであろう。

「ふーーーーーーーーーっ。嗚呼、感無量」
「このブタ全然聞いてねえーっ!」
「エンディング曲が、敦子殿の作った、おれたちのオリジナル曲に変わったか。……凄いな、テレビアニメの曲に採用されちゃうなんて」
「アツコってえ? ああ、オタ仲間の?」
「その通り。えややっ、違うっ、敦子殿はアクトレスでありアーティストなのだ、お前ごときと一緒にするなあ!」
「『おれごときと一緒』でしょ! あたしがオタクかのようないい方すんなバーカ!」
「まあ、おんなじ血は流れているわけだが。まるまる入れ替えて問題ないくらいの、互換性のある血液が」

 フッ、と笑う定夫。

「あー、抜きたい! この血を全部入れ替えたいっ! ぐれしゆん君とかキンジャニのたかしろかねとし君とかとっ」

 なんの話をしているのかというと、オタ兄と同じ血液が妹にも流れているということだが、大事なのはそこより一つ前の部分。

 定夫がいった通り、「魔法女子ほのか」のエンディングテーマが変わり、なんと定夫たちが作ったオリジナル版の曲が使われたのである。
 沢花敦子が作詞作曲を手掛け、歌った、原盤をそのままだ。

 フルサイズと、テレビアニメ用サイズ、契約時に二つの音源を渡しているが、当然今回使われたのはテレビアニメ用サイズだ。

 定夫は、録画していた今回の話を再生、エンディングを頭出しして、流れるテロップを改めて確認した。


 「作詞 作曲 編曲 歌 ほのか制作委員会」


 ちょっと残念といえば残念か。
 権利譲渡の契約をするにあたり、設定資料と動画データだけでなく、効果音や、歌など、あるものはすべて渡している。「甲がすべての権利を有する」という契約をかわしている以上は、なにをどう名乗り、どう使うおうとも、それは向こうの自由。仕方ないというものではあるが、残念というか、ちょっと悔しい。

 しかしまさか、曲を原音のままで、まるまる使うとは思ってもいなかった。
 選んだ楽器の数が少なくて、しっかりした編曲を組みやすかったにせよ、それ以前、それ以上に、いかに敦子の曲作りの才能が優れているか、歌声が優れているか、ということなのであろう。
 また、実際に打ち込みを担当した八王子の力量が優れているということなのだろう。

 ぶーーーっ、ぶーーーっ!

 携帯電話が振動し、メールの着信を知らせた。


「ほのか、生き返りましたああああ! 別の体というのはちょっと複雑な気持ちですけどお。あとっ、あとっ、聞きましたかあ? EDっ、私の歌が、使われちゃいましたあああああ! 恥ずかしいけど嬉しいいいい! どんなこらえても顔がにやけちゃうよおお」


 敦子殿からであった。
 定夫、トゲリン、八王子への同報送信だ。

 もっと狡猾に契約しとけばよかったー、などという邪心の微塵も伺えない、ただ純粋に喜んでいるような文面に定夫まで微笑ましい気分になって、すぐに「聞いた。おめでとう」と返信した。

「しかし、肝心のストーリー展開であるが、まさか、こうくるとはなあ……」

 前話で、ほのかの肉体は滅んだ。
 はるかのデスアックスで、胴体を両断されたのだ。

 だが、新たな肉体を得て、復活する。
 新たといっても、いわば「ほのかゼロ」だ。

 古代、異世界の科学者によってこの地球へ転送されたもの。
 あまりの強大なパワー故に、不安視され、封印されていた、ほのかの真の肉体だ。

 簡単に復活出来たわけではない。
 精神世界側から語り掛けてきた「魔法女子ゆうき」に、真の肉体のこと、乗り換えにより復活出来ることを、精神体のほのかや、他の三人は聞かされる。

 しかしそのような処置を施せる科学設備は、もうどこにも存在しておらず、残された可能性は、ゆうきの超魔法「導魂」のみ。しかし術が成功する可能性は極めて低く、失敗すれば魂は消滅する。

 それを聞かされた上で、ほのかは、ゆうきの魔法にすべてを委ねた。

 あおいたち三人は、成功確率を少しでも上げるために、残る全魔力全体力を、ゆうきに差し出すことを志願する。

 「やめといた方がいいよ。ほんの少ししか確率は上がらないし、失敗したらほぼ間違いなく超魔法に魂自体を持っていかれるから。割、合わないでしょう?」と、ゆうきは制止するが三人は聞かない。
 呆れ顔と苦笑の混じった、ゆうきの顔。

 こうして始まった、導魂の術。
 あと少しで終わる、というところで、はるかが精神世界で起きている異変を察知。「ゆうき、やはり裏切ったか!」、舌打ちし、魔力探査の魔法で、ほのかの精神体から伸びている魂緒を辿り、地下遥か深くに埋もれている古代遺跡へ。

 古代異世界人の研究施設、カビ臭い部屋の中にカプセルが四つ並んでいる。はるかはその中の一つに狙いを定め、喜悦の笑みを浮かべながらデスアックスを振り下ろした。

 だがその瞬間、カプセルを突き破って腕が伸び、はるかは頬に拳の一撃を受け、吹き飛ばされ壁に叩き付けられていた。

 カプセルは割れ砕け、真っ赤な魔道着を着た赤毛の少女が、上体を起こしていた。

 これぞ、ほのかの真の肉体。
 見事、導魂の術が成功した瞬間であった。

 魔法女子ゆうきは、「ま、あとは任せた」と、すべてを見届けることなく姿を消し、
 真ほのかは、地上ではるかと戦い、圧倒的パワーで撃退する。

 三人の友を失って、涙を流すほのか。
 だが、三人は生きていた。

 喜び、抱き合う四人。

 というのが、今回の内容である。

「おれの考えた設定を、さらに捻ってきたな。つうかスピンオフのキャラまで絡めてきて、ゴージャスだな畜生」

 定夫は腕組みしながら、満足げに、ぶいいいいっと息を吐いた。

 先日ついに、第二期制作決定が正式に発表されたのだが、まだ第一期の途中なのにこうである、きっと次々と新キャラ新魔法が増えていくのだろう。

 ソーシャルゲームやトレーディングカードゲームを作りたい佐渡川書店の目論見通りになっているが、まあいいだろう。商業主義との相乗効果で素晴らしいアニメが出来ることもある。

 それはそれとして、パワーインフレの度が凄すぎやしないか?
 地球が粉々に砕けるぞ、そろそろ。

 発表された第二期のフルタイトルが「魔法女子ほのか 神降臨編」と知って、大袈裟だなと思っていたが、今回の話を見て、神々とも余裕で渡り合える気がしてきた。

 とはいえ、敵のレベルが行き着くとこまで行き着いちゃって、第三期は一体どうなるんだ。三期があるかどうか知らないが、あるとしてどうなるんだ。

 神々を作った者とか、宇宙そのもの、時そのものと戦うしかないじゃないか。

 ほのかの、さらなるパワーアップか。
 それとも今度は仲間がパワーアップするのかな。そうなれば、エレメンタルエクスプロージョンだって宇宙ふっとばすような破壊力になるはずだからな。神とも悪魔とも戦える。

「地下の研究室みたいなとこに、真ほのかが入っていたの以外に、幾つかシェルターみたいなのあったけど、あれが、すなわちそういうことなのかな。悪くないけど、出来ればもっと視聴者を驚かすように、制作会社のマスちゃんにちょっとアドバイスしとこうかな、制作会社のマスちゃんに」

 定夫は肥満した腹をむにょぽんと叩いて、わははと笑った。
 権利は完全に売り渡しているため、そんな発言権など微塵もないが、妹の前で格好つけてみせたのである。

「はあ? えっらそうに。このブタっ」

 まだソファに座っている妹の幸美が、嫌悪たっぷりの視線で兄を睨みつけた。

 兄は余裕の表情で受け流し、ふふんと笑いながら、

「ならば、芸術でも記録でも、なにか一つでも後世に残し、この偉大な兄という存在を抜いてみせえええい!」
「やだよ面倒くさい。アホか。……でもまあ、確かに快挙だよなあ。兄貴たちのやったこと」

 幸美は、コーラをストローでちょっと吸うと、ソファにぐーっと背中を沈めた。

「……オタの情念、岩をも砕く、か。兄貴のこと生き物として完全に見下していただけに、なんか悔しいけど、でもちょっと学校で自慢しちゃったもんね」

 兄を褒めてしまったことを誤魔化すかのように、ずずーっ、とコーラを飲み干した。

     3
 真っ白な光がダークシルバーの魔道着を包み込んだ瞬間、肩、胸、腹が、どん、どん、と弾け飛ぶように爆発した。
 はるかは、端整な顔を苦痛に歪ませながら、がくり膝を落とした。

 ように、ではなく実際に弾け飛んだのである。はるかの、服と、肉、骨が。

 彼女のすぐ後ろには、真紅の魔道着、ほのかが倒れている。

 はるかは、魔帝ジャドゥーグからほのかを庇おうと、超破壊エネルギーをその身に受けたのである。

 昼も、夜もない、真っ暗な空が広がり、無数の星が、またたきもせず、ささやかな光を主張しあっている。

 ここは、宇宙空間に浮遊する島、天《てん》きゆう|界の遺跡。
 魔法女子ほのかたちと、魔帝との、最終決戦が行われているのである。

 遺跡の、一角が爆発した。
 高い塔がガラガラ崩れて、浮遊島の下に待ち構えるように広がっている黒く光る不気味な輝きの中へと落ちていった。『次元の裂け目』、吸い込まれたら二度と戻れない、一種のブラックホールである。

 ごぼり。
 身体を砕かれたはるかの口から、大量の、黒い血が噴き出した。

 彼女は前方を睨みつけ、口元を袖で乱暴に拭うと、よろよろと立ち上がった。

 前方、視線の先には、銀の刺繍が入った黒マントの男、魔帝ジャドゥーグの、涼し気な顔があった。

 どおん。
 また爆発が発生し、ぐらぐら揺れた。

 地面が崩れ、建物や、自動車や飛行船のような乗り物などが、次元の裂け目へと、次々と落ち吸い込まれていった。

 はるかは、口元をもう一度拭うと、力なく、しかし眼光は鋭く、震える唇を開いた。

「ほのかは……天窮界と人間の世界を結ぶ架け橋。絶対に、殺させは、しないっ!」

 両手の間に気を練り、振り上げた。
 その瞬間であった。

 爆発。
 はるかのすぐ頭上、自身の両腕が、なくなっていた。肘から先が、跡形もなく。
 魔帝ジャドゥーグが、はるかの気弾を打ち抜いたのだ。

 はるかは顔をしかめ、舌打ちする。その瞬間、目が驚きにかっと見開かれていた。
 光の槍が、胸から背中へと突き抜けていたのである。

 がくりよろめくはるかへと、さらに、二本、三本と、突き刺さり、突き抜けていく。

 がはっ、と血を吐きながら、なんとか踏ん張るはるかであるが、もうその足に力はなく、よろよろ後ろへと下がっていく。

 遺跡の崖っぷちになんとか踏みとどまったが、そこまでが限界であった。
 次の光の槍が胴体を貫くと、はるかはよろめき足を踏み外し、落ちた。

「はるかちゃんっ!」

 いつ意識を取り戻したのか、駆け寄ったほのかが、地に伏せながら素早く手を伸ばした。
 ほのかの手が、はるかの身体に触れた。
 だが、どこも掴むことが出来ず、はるかは、落ちていった。

 次元の裂け目へと吸い込まれていきながら、はるかは、目を閉じ、微笑んでいた。
 心の中で、ほのかへと語りかけていた。


 『ありがとう。ほのか。
 あたしなんかを、助けようとしてくれて。
 もっとずーっと早くに、出会えていたらなあ。
 本当の友達に、なりたかったなあ』


 次元の裂け目に飲み込まれていくはるかを見下ろしながら、ほのかは涙を流し、はるかの名を叫んだ。
 願い届かず、はるかの姿は裂け目に吸い込まれ、消えた。

 悔しがり、言葉にならない声を発し、ほのかは地面を拳で何度も叩いた。

 後ろに、魔帝ジャドゥーグが立っていた。
 ぼそ、と口が開く。

「残るはお前一人だ。魔法女子ほのか」

 マントを翻し、にやりと冷淡に笑った。
 ほのかは、ジャドゥーグへと背を向けたまま、ゆっくりと、立ち上がった。

「私は……」

 ほのかの背中が、ぶるぶると震えている。
 振り返ると、涙を溜めながらも毅然とした表情で、魔帝を睨みつけた。

「私は、一人じゃないっ!」

 背後で、赤い炎が爆発した。

「炎の技など我には通じぬこと、もう理解しているだろう。無能者には、死を持って分からせるしかないのか。選ばせてやろう。苦しんで死ぬか、苦しまずに……なにっ!」

 ほのかの背後で、青い光が燃えていた。
 それは、魔法女子あおいの能力である、水の力であった。

 それだけではない。
 緑の、風、しずか。
 黄色の、大地、ひかり。
 そして赤い、ほのかの、炎、
 四つのパワーが、混ぜ合わさり、ほのかの身体を包み込んでいた。

 さらに、
 闇の力、はるか、
 霊の力、ゆうき、

 ほのかの小さな身体を包む光に、これらの輝きが加わって、いつしか、惑星すら飲み込むほどの巨大な龍になり、宇宙を縦横無尽にうねり疾走っていた。

 がくり。ほのかは膝を崩しかけるが、持ち直し、疲労しきった顔を上ると、魔帝ジャドゥーグを睨みつけた。

「いくよ、みんな……。エレメンタルエクスプロージョン!」

 ほのかは軽く膝を曲げると、跳躍していた。
 高く、高く、浮遊島のすべてが見渡せるほどに、高く。

 ジャドゥーグへと落下を開始した、次の瞬間には、その速度は既に光を超えていた。

「これが最後っ、私たちのおっ、全身っ、全霊っ、全力だああああああ!」

 大きな口を開き咆哮を放つ巨大な龍の中で、ほのかは右手にはめた巨大な魔装具を、ジャドゥーグへと、渾身の力で突き出し叩き付けた。

 すべては、真っ白な中に包まれていた。
 地球の上に浮かぶ天窮界の遺跡、浮遊島に、これまでにない規模の大爆発が起こり、巨大な島は、真っ二つに引き裂かれていた。

「バッ、バカな! この私が、この、私があぁぁ……」

 ジャドゥーグの身体は、さらさらと塵へ還りながら、島から砕け分離した地面とともに落下して、黒く不気味な光を放つ次元の裂け目へと吸い込まれていった。

 マーカイ皇帝が消滅したことにより、力場や形状を支える力を失った浮遊島の、崩壊が始まった。
 あちこちで建物が崩れ、地が割れ火が噴き出し、爆発し、島が分離して、小さな物から次々と引力による落下をしていく。

 いつしか次元の裂け目は消滅していたが、それはつまり、遺跡が地球へと落下していくということであった。

 ほのかの立っている地面も、いつしか砕けて小さくなって、浮力を失い、地球への落下を始めていた。

 はあはあ、と息を切らせているほのかであったが、がくり膝をつくと、うつ伏せに倒れた。

 地球の引力に引き込まれ、周囲の温度が上がって真っ赤な地獄のようになった中で、ほのかは柔らかく微笑んでいた。
 眼下に大きく広がる、青く輝く惑星を見つめながら。


 『この星を、守ったこと、
 間違ってなんか、ないよね。
 だって地球は、こんなにきれいなんだから』

     4
 『このお話は、もうちょっとだけ、続くんです』

     5
 穏やかな波の音に、ゆっくりと目を開いた。
 こつぶえほのかは、砂に片頬をつけ、うつ伏せで、万歳するように倒れていた。
 ごろり仰向けになるが、降り注ぐ陽光が眩しく、手で目元を隠す。しばらくそのまま横になっていたが、やがてゆっくりと上体を起こした。

 薄緑のジャケット、タータンチェックのスカート。
 高校の、制服姿である。

 ふと気づいたように、首を動かして、周囲をきょろきょろ見回した。
 あおい、しずか、ひかり、
 親友の姿は、どこにも見えなかった。
 いるはずが、ないのだ。
 もちろん、はるかも。

「そっか」

 ほのかは、両膝を抱えると、間に顔をうずめた。

「私だけ、残っちゃったのか……」

 寂しげに呟くと、顔をちょっと持ち上げて、海を見た。
 陽光にきらきら輝く海。
 押しては返す波の、さやさやと、小川のせせらぎにも似た優しい音。

 空を見上げながら、右手で砂を軽くなでた。
 と、その時であった。

 地が、揺れ始めたのは。
 ぐうらぐうらと、かなり大きな地震だ。

 ほのかは、あまり興味なさそうに海を見続けているが、
 その揺れは、おさまるどころかどんどん激しさを増していく。

 ばっ、とほのかは慌てたように立ち上がっていた。
 その顔には、驚きが満ちていた。

 地震の恐怖に、ではない。揺れに押し上げられるように、地中から巨大な金属の塊が出現したのである。

 それは、天窮界の遺跡、つまり先ほどまで戦っていた宇宙の浮遊島で見た、飛行船のような乗り物であった。次元の裂け目に、はるかよりも少し前に飲み込まれて消えたはずの。

 見間違えようはずがない形状のものであるが、ただ、これはどうしたことか、外装が先ほど見た時とはまったく異なるものになっていた。
 全体があますところなく激しいサビにおおわれて、ボロボロの状態なのである。
 外壁を指でつつけば、簡単に穴が開いてしまいそうだ。

 地中に埋もれたまま、数千年、いや数万年の時を眠っていれば、このようになるだろうか。
 ということは、さっき見たのとは別のもの?

 そんな疑問が浮かんだのか、ほのかは、ちょっといぶかしげな顔になって、ゆっくりと、その巨大な飛行船へと近づいていった。

 びくっ、と肩を縮ませた。
 一メートルほどの距離にまで近寄って外壁の観察をしていたところ、ハッチと思われる扉が、劣化をまるで感じさせることなく、シュイと小さな音を立てて瞬間的に開いたのだ。

 警戒心を満面に浮かべ、そおっと中へ入った。
 ベージュ色の壁がぼーっと淡く発光している通路を、足音を消して進む。

 すぐに行き止まりになった。

 扉が一つある。
 その前に立つと、扉脇にある認証装置のようなものに手をかざしてみた。

 なんにも、起こらなかった。
 と思われたその瞬間、ぷしゅーーーーーっと気体の漏れる音が聞こえ、また、びくりと肩を震わせた。

 扉の隙間から、もわもわと白い気体が漏れ出てきた。その、あまりの冷たさに、ほのかは、自分の身体を抱くようにして腕を組んだ。

 その扉が、
 シュイ、と一瞬で開き、

「うわ」

 と、ほのかは驚き後ずさり、通路の壁に背中をぶつけた。

 開いた扉から、恐ろしく冷えた空気が、通路へと流れ込んできた。
 おそらく先ほど部屋の中から聞こえたのは、冷気を抜いている音だったのであろう。
 つまり少し前までこの部屋は氷の世界だったのだ。

 部屋は真っ暗であったが、突然、壁や天井が青白く発光して、闇を照らし出した。
 壁と扉だけの、他になにもない部屋であった。

 いや、
 調度品や、機器装置といったものは、確かになにもないが、
 床の中央に、
 小さな、おそらく女の子、が一人、
 身体を丸めて横たわっているのに、ほのかは気付いた。

 四歳か、五歳くらいだろうか。
 びっくりしたが、驚きおさまると、不安そうな顔でそおっと近寄って、四つん這いになり横顔を覗き込む。

 すー、
 すー、

 寝息。
 ほのかは、胸をなでおろし、ふーっと安堵のため息を吐いた。

 改めて、その横顔を見る。
 人形のように可愛らしい、寝顔であった。

 そおっと伸びるほのかの手。女の子に触れる寸前で、ぴたりと止まっていた。
 女の子の目が、ぱっちりと開いていたのである。

 くい、と首が動いて、真上から覗き込んでいるほのかと、目があった。
 その瞬間、ほのかの目は驚きに見開かれていた。

「はるか、ちゃん……」

 しばらく呆然としているほのかであったが、苦笑すると、首を横に振った。

「お姉ちゃん、誰?」

 女の子は、上体を起こしながら、愛嬌のかけらもないぶすっとした表情で尋ねた。

「私は、ほのか」

 名乗り、微笑んだ。

「ほ の か」

 女の子は、ゆっくり腕を持ち上げて、ほのかの顔を指さした。

「そう。ほのか」

 ほのかも、自分の顔を指さして、改めてにっこり微笑んでみせた。

「あなたは、だあれ? お名前は?」

 と、今度は、ほのかが尋ねた。

 女の子は、ぶすっとした顔のまま、壁を見つめている。
 呼吸が、段々と荒くなっていた。
 突然、狂乱したように叫び、立ち上がった。
 泣き始めた。
 大声で、言葉にならないような言葉を吐き出しながら。

「ずっと、ずっと、ずっと、ずっとっ、暗い、暗い、暗いところにいた。一人きりで、ずっと、ずっとっ! 怖かった。怖かった! 怖かった! 怖かった!」

 ぼろぼろ大粒の涙をこぼし続けている女の子を、ほのかは優しく微笑みながら、ぎゅっと抱きしめた。

「大丈夫。もう、大丈夫だから。私が、いますから」

 と。
 女の子も、ほのかを強く強く抱きしめ返し、そのままわんわんとむせび泣き続けた。
 やがて、狂乱したような状態もだいぶ落ち着くと、目をこすりながらえくえくとしゃくり上げている女の子に、ほのかは尋ねた。

「名前、思い出せないんですか?」

 問いに、女の子は無言で首を縦に振った。

「なら、思い出すまでの名前を考えないとな。……はる、じゃなくて、ええと、こはるちゃんというのは、どうですか?」
「こはる?」

 女の子は、小さく首を傾げた。

「似てるんです。はるかちゃんという、素敵な女の子に。そこからちょっと分けてもらって、こはる。……いやですか?」
「悪くはない」

 女の子は、首をぷるぷる横に振ると、つまらなそうな仏頂面のままそう呟いた。
 なんとも不器用そうな態度がおかしくなったか、ほのかは声を出して笑った。

「いきましょうか、こはるちゃん」

 ほのかは、女の子……こはると手を繋ぎ、部屋を出、ボロボロの飛行船から外へと降りた。

 降りて、ふと振り返ると、そこにはもう、飛行船は存在していなかった。

 砂浜の上に、錆びた金属粉がさらさら散っていたが、風にかき混ぜられて、それがそこにあったという痕跡を残すものは、もうなにもなく。
 ただ二人が手を繋いで砂浜に立っているという現実があるばかりであった。

 優しく輝いている太陽を、ほのかは見上げた。



 エンディングテーマが、流れ始めた。
 後期より使用されている、「素敵だね」である。



 砂浜を歩くほのかたち。


 場面が、ほのかの家に切り替わる。


 小さな家に、父、母、ほのか、こはる。


 こはるは、相変わらずぶすっとしたつまらなそうな顔をしている。


 日曜大工をする父を見ているこはる。


 こはるは真似して、真似どころか素晴らしいテーブルを作り上げてしまう。


 料理を作る母を見ているこはる。


 掃除しているほのかを見ているこはる。


 ほのかの、手編みのニット帽をかぶせてもらうこはる。


 あまりの下手さに、ほつれてボロボロだが、ほのかのはもっとボロボロだ。


 笑い、謝るほのか。編み直そうと、返してもらおうとするが、こはるは渡さす、かぶり続ける。


 なお流れているエンディングは、最終回ということでフルバージョンである。



  ♪♪♪♪♪♪

 そっと目を閉じていた
 波音ただ聞いていた

 黄昏が線になって
 すべてが闇に溶け

 気付けば泣いていた
 こらえ星空見上げる

 崩れそうなつらさの中
 からだふるわせ笑った

 生きてくっていうことは
 辛く悲しいものだけど

 それでも地を踏みしめて
 歩いてくしかないよね

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 もう迷わず

 輝ける場所がきっと
 待っているから

 星は隠れ陽はまた登る
 暖かく優しく包む

 永遠の中

 出会えたこの奇跡に
 どこまでも飛べる きっと



 幸せは大きいより
 ささやかがいいよね

 胸のポケットに入れて
 大切に育てられる

 もし見失って
 立ち止まっていたら

 そのまま耳を澄ませば
 必ず呼んでいるから

 この世にいることに
 意味があるかは分からない

 それでもその笑顔を
 守りたいと思うから

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 強がらずに

 優しさを分かち合おうよ
 意味など考えずに

 見上げれば青い空
 大地には花 風は静か

 信じてるから

 もう二度とない奇跡に
 また歩き出せる きっと



 この世にいることに
 意味があるかは分からない

 それでもその笑顔を
 見ていたいと思うから

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 この懐かしい

 地図を確かめながら
 風になでられながら

 悲しくても笑うんだね
 嬉しくても泣くんだね

 生きているから

 生まれたこの奇跡に
 小さな花が心に咲いた

  ♪♪♪♪♪♪



 ほのか、ほのかの父、母、みんなに囲まれている幸せに、何故か泣き出すこはる。


 やがて泣き止み、そして、笑った。


 それはとろけるような、天使の笑顔であった。



「なんで毎日毎日、こんなに落ち葉が出るのかなあ。毎日毎日かいているのになあ」

 ほのかは、腕を組んで難しい顔をしている。
 巫女装束。
 神社でアルバイト中である。

 目の前には、枯れ葉が積み上がっている。
 手にしたほうきで、かき集めたばかりだ。

「ほのか、これはここでいいのか?」

 離れたところで、ぶすっとした顔の女の子、こはるがキャスター付きの椅子をがらがら転がしている。ほのかのお手伝いをしているのだ。

「はい、そこに置い、って持ってきてるものが違いますう! 脚立ですってばあ!」

 まったくもう、と駆け出そうとした瞬間、
 突然吹いたつむじ風が、ようやくかき集めた落ち葉を、くるくる巻き上げ境内中にぶちまけてしまった。

「あああーーーーーっ! ……あーあ」

 しょんぼりがっくりのほのかであったが、次の瞬間、その顔に驚きが満ちていた。

 顔を上げた。


 『いまの風、まさか……』


 きょとんとしているほのかであったが、その顔に、じわじわと、笑みが浮かんでいた。

「どうかしたの?」

 こはるが、不思議そうに首を傾げている。

「なんでもないっ!」

 元気な声を出すと、
 ほのかは笑顔を上げ、
 こはるへと、走り出した。


 魔法女子ほのか
 第一部
 完

     6
「うおおおおおーーーーーーーっ! うおおおーーーっ!」

 トゲリンが、込み上げる感情をこらえられず、魂を吐き出すかのような凄まじい轟音絶叫を解き放っていた。
 最終回に感動しているわけではない。既に完結から一週間が経過している。

 ここは、とある書店の中である。

「おううーーーーっっ! うおおおおおおおっ!」

 他の客が露骨に迷惑そうな顔をしているというのにトゲリン、まったく気付くことなく叫びまくっている。

「もるもるもるもる!」

 うおおおおっ、の惰性余韻なのか分からないが、不気味で意味不明の雄叫びまで張り上げ始めた。

「うるせえクソデブ!」

 ついに他の客に後頭部をゴチと殴られたのであった。
 なお気付かず吠え続けるトゲリンに、頭のおかしい奴と思ったか(あながち間違いではないが)、客は舌打ちしながら店を出て行った。

 ここは神保町にある大型書店である。
 出入口付近に平積みコーナーがあり、「魔法女子ほのか」関連の雑誌、ムック、漫画、小説、サントラ、サウンドドラマ、謎本、などがところ狭しと置かれ積み上げられている。

 数えることなど不可能なほどの、ほのか、あおい、しずか、ひかり、はるか、ゆうき。
 店内のスピーカーからは、後期エンディングテーマである「素敵だね」。
 コーナーには、小さな液晶画面がいくつか設置してあり、本編の映像や、発売予定であるゲームの宣伝映像などが流れている。

 トゲリンは、このあまりの壮観圧巻に感極まって不気味な絶叫を解き放っていたのである。

「う、ううっ、うーっ」

 突き抜けたか、今度は泣き始めてしまった。
 眼鏡を外し、袖でレンズをごしごし拭いながら、めひめひとむせび続けている。
 トゲリン大暴走であった。

 山田定夫も、気持ちとしては同じようなものだった。さすがに恥ずかしいので、ここまで感情は出さないし、もるもる叫んだりなどしないが。

 八王子も、敦子殿も、おそらく同様だろう。
 じわじわ込み上げるものに思わずニヤけそうになるところを、なんとかこらえて平静を装っているような、二人ともそんな分かりやすい顔になっている。

 今日は四人ではるばる神保町を訪れているわけであるが、その目的はなにかというと他でもない、この「魔法女子ほのかフェア」のためであった。

 関連書籍、グッズなどは、とっくに購入して所持しているが、盛り上がりを肌で感じたかったからだ。

 昨日は昨日で、ゆいなど声優を招いてのイベントに四人で参加してきたのだが、チケット完売ダフ屋横行の超絶満員ぶりで、あわや客がどどっとステージに乱入しかけて声優たちが一時退避するなど、騒然となるシーンがあった。

 魔法女子ほのかは、この通り現在人気大爆発中であった。

 まだ第一期が終了した直後だというのに、もう深夜枠で再放送が開始している。
 CSでも、五つのアニメ専門チャンネルで放映中だ。

 放送開始時から異例の高視聴率を叩き出してきたアニメではあったが、ここまでの人気作になることを決定付けた分岐点は第七話であろうといわれている。

 子供も観る時間帯のアニメだというのに、映像をぼかしているとはいえあまりにも過激な人体破壊描写。世論から「やりすぎ」と叩かれ騒がれたのだが、それによって認知度が急上昇したのだ。

 あれよあれよという間に、アニメファンならずとも名前を知っているアニメへと成長。

 単なる格闘アニメだろ、と揶揄する者もいるが、人気を否定する者は誰もおらず。

 世の熱狂ぶりは、まさに社会現象といって過言ではなかった。

 アニメ第二期が制作されるだけでなく、テレビゲームは発売間近、さらには劇場アニメ化も決定している。
 もはや完全に、定夫たちの手を離れた作品であった。

 だから昨日の声優イベントも、単なる一ファンとして楽しんだし、この書店でのフェアも然りである。

 もう関われない、ということが、寂しくないといえば嘘になる。
 だけど楽しみ、わくわくの方が、遥かに勝っている。

 そのわくわくを味わうのに、もう労力はいらない。黙っているだけで、プロの作り手と、大きなお友達が、勝手に大きく育て上げてくれるのだから。

 などと定夫が、現在と未来の興奮を肌と脳とにしみじみ感じていると、また自動ドアが開いて新たな客が入ってくる。

 バンダナに黒縁眼鏡の、肥満した二人組。トートバッグ肩に下げて。

 ほのか、はるか、のTシャツをそれぞれ着て(ボンレスハムのようなっており、キャラ判別が難しいが、おそらく)、定夫たちがいるほのかフェアの平積みコーナーへと寄ってきた。

「あざーーーーっす! おいあざーーーーーっす!」

 トゲリンが、マシンガンのごとき猛烈な勢いで、その二人組へと深く頭を下げまくっている。深くといってもお腹の脂肪がつっかえて、健常者ほどは下げられないのだが、可動限界まで深く。

 ボンレスハムの二人組だけでなく、他にも男性女性、学生社会人、オタっぽいの普通っぽいの、色々な人が足を止めて、本を手に取っている。

 定夫は、そうした様子をじっと見ている。
 胸の奥から湧き上がる、なんともいえない感情、なんとも分からぬままぞくぞくするような高揚感。
 来店時から、ずっとそんな気持ちに心身包まれていた。
 「魔法女子ほのか」がどんどん育ち、広がっていることに対して、
 興奮していた、
 ちょっとだけ、誇らしい気持ちになっていた。
 でも、誇らしく思ったとして誰がそれを責めようか。

 自分がいなければ、「魔法女子ほのか」は存在していなかったのだ。
 最近ヒット作を生み出せていなかった佐渡川書店の、株式がうなぎ登りの高騰を見せているらしいが、それもおれのおかげなのだ。

 日本を征服しそうな、ほのかの勢い、
 海外進出は間違いなく、そのまま爆進を続けて世界を熱狂の渦に巻き込めば、
 すなわち、世界制覇、世界征服、
 つまり、
 おれは、影の皇帝。
 株式市場にまで影響力を放つ、皇帝様だあ!

「カイザーーーーーーーーーーっ! せいっ、せいっ、せえええい!」

 つい我を忘れて右拳左拳を突き出し、世界へ轟けとばかりの絶叫を放った。

 高揚感爆発の沸点が低いのはトゲリンであるが、最終的に変態行動を取るという意味ではどちらも同じであった。

「あの、お客様方っ、先ほどからちょっとお声があ……」

 女性店員の声。トゲリンとひとくくりで注意され、我に返り恥ずかしそうに肩を縮こませる皇帝様。
 と、その時であった。

 聞き捨てならない会話が聞こえ、レンドル皇帝の耳がピクンと動いたのは。

「安田氏、知ってる? 第二期は、遥か未来が舞台らしいね」
「えー、そうなん?」
「決定事項かは不明であるが、かなり信憑性あるらしい」
「キャラ総入れ替えかな。子孫とか」

 カーキ色迷彩服上下の男と、赤青チェック柄シャツをジーンズに押し込んでいる男、年齢不詳だがこの二人が、ほのかの本を手に手にそんな会話をしていた。

 第二期が、未来?
 知らないぞ、そんなことは。

 定夫は疑問を感じたその瞬間に、迷彩とチェック柄の二人へと近付き話し掛けていた。

「おたく、いまご友人に、なんと発言されておりましたか? いや、『未来が』とか聞き捨てならない言葉が鼓膜を震わせたような気が致しまして」

 初めて敦子と話した時の狼狽ぶりとは大違い、オタク男子が相手なら初対面であろうとペラペラ饒舌な定夫であった。

「ああ、まほのの第二期について、いわゆる未来が舞台であるらしいということを、友人に話していたのです。なんでも、復活した神属との戦いがメインで、太刀打ち出来る存在がその時代にいないので、ホノタソたちがコールドスリープで未来へ飛ぶとか」

 「まほの」とは、最近定着しつつある「魔法女子ほのか」の略称である。
 それよりも……

「ソースは、どこにあるのでしょうか」

 情報源はなにか、ということを定夫は尋ねたのである。

「最新号のアメアニに、書いてありました」

 アメアニ? 確か発売日は、明後日のはずだが。
 ああ、そうかっ!
 定岡書店か!

 神保町から少し離れた小川町にある、雑誌や漫画が早く発売されることで知られた小さな書店だ。

 ……確かめねばなるまい。事の真偽を。

「ありがとう。ごきげんよう。ほのかウイン!」

 定夫はニッコリ不気味に微笑み、右腕を上げると、ウインのままくるんと身体を回転させ、トゲリンたちへとひそひそ耳打ち。
 この場を立ち去ると、

 いざ、と定岡書店へと向い、アメアニを発売日より前に購入。

 そして……
 四人を、凄まじい衝撃が襲ったのであった。
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