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第十章 天使、いるよ
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うっすらカビ臭いロッカールームへ、ベイスパロウの選手たちが順々に入ってきた。
天井の蛍光灯の一つが、切れかかっており、点滅してはふっと消え、鬱陶しい。
野本茜は、ちらちらする灯りが蛾のように思えてしまい、無意識にばっばっと払う仕草をしてしまい、咳払いでごまかした。
入ってきた選手たちは、みな一様に、疲れきったような表情をその顔に浮かべていた。
実際、疲れきっているのだ。
肉体的にも、精神的にも。
この絶望的な状況……
誰もが予想していた通りの、圧倒的な戦力差、
守備に追われる一方で何も出来ず、しかし失点をし、退場し、
ますます絶望的な状況になりながらも、なおも走らなければならず、
心と身体とが、相互にそれぞれを疲労させていったのである。
茜だけでなく、ピッチに立っていたベイスパロウの選手みんなが。
でも、まだまだ前半が終わったばかり。
泣き言なんかいっていられない。
わたしはキャプテンなんだ。
と、茜は気を引き締めた。
いつものハーフタイムであれば、控え選手はピッチで身体を温めているのだが、今日は笹本監督の意向で登録メンバー全員が呼ばれた。
だからこの中には、篠原優衣の姿もある。
みなが部屋の中に入ったことを確認すると、ジャージ姿の優衣はゆっくりと扉を閉め、みんなのほうへ向き直った。
「よく二失点で凌いだよ。ほんとにみんな、見ててすっげえ頑張りだった。特にあのPKセーブ最高!」
優衣は、ちょっと興奮したように語っていた。たかだか二失点は奇跡的であり、だから優衣は嘘をついているわけではないが、実際にはただ励まそうと開いた口であろう。
それを受けて言葉を続けたのは、寺田なえである。
「優しいね、優衣は。確かに神戸相手に前半二失点は、うちらにしちゃあ上出来だと思う。……でも、今日は勝たなきゃならないわけで……一点を取るのも難しいってのに、退場者まで出ちゃって」
寺田なえのその言葉は、まさしく選手一同の気持ちを代弁するものであった。
不意に、退場処分を受けた野本ハルがうっと声をつまらせた。先ほどから、涙が溢れては拭っていたのだろう。まぶたも、白目も、真っ赤であった。そこへまたあらたに、涙がじわりと浮き出て、袖で拭った。
沼尾妙子が、ハルの肩を優しく叩いてあげた。
「優衣のいう通りだ。二失点はよくやっている」
しんと静まり返った空気の中、笹本監督はいきなり低いしゃがれ声を発し、もたもたとした足取りで重たそうな身体を移動させて壁に備え付けられたホワイトボードの前に立った。
「勝負の結果がどうなるかは分からない。出来るのは、勝つ可能性を少しでも高めることだけだ。それには、まず戦術の共通意識を高めること。それじゃ始めっぞ。サブの選手も、よく聞いとけよ」
監督はマーカーペンを左手に持ちながら、ホワイトボードの磁石を動かし始めた。
相手には戦術変更を施す必要性がない、という考えから、前半戦のみを参考に、攻撃方法そして守備の対応についての説明を始めた。
個としてどう当たるのか、どのような連係で当たるのか。全体としてどう攻撃し、守るのか。
こまめに要点を語っては、それを選手たちに大声で復唱させた。
五分ほども話しただろうか。
「以上だ」
ペンを置いた。
「みんな、分かった?」
野本茜は前に出て監督の横に立つと、選手たちの顔を見回した。
「やることは、分かった」
試合中に出来るかは別だ。監督の理想通りになんでもやれていれば、そもそもこんな順位にはいない。布部洋子のその台詞、その表情は、そう語っているようにも見えた。
「あのさ」
選手たちの中央から、不意に声が上がっていた。
優衣であった。
「正直いってさ……おれ、最初にみんなと会った時、この生意気なくそ女どもがって思ってたんだよな」
一体なんの話をしているのか。
みな唖然とした表情で、優衣のほうを見ていた。
「一番生意気なのお前だろ。……最初、って何の話?」
辻内秋菜が尋ねた。
「だから松島……あ、いや、どうでもいいんだよそんなこと! とにかく、いまはそんなこと全然思ってやしなくて、一緒にサッカーをやれていることを本当に幸せに思ってるってこと。……今日はさあ、今年最後のリーグ戦だ。みんなで頑張って、絶対に、勝とうぜ。……まずは粘って一点もぎ取ろうよ。そうなりゃあ向こうさん、うちをすっかり舐めきってるもんだから、うろたえて勝手に崩壊するぜ。そんで最後には、うちのほうがパスサッカーであいつら翻弄して、逆転勝ちだ」
「バーカ。そんなうまくいくわけないじゃん」
秋菜はあっさりと否定したが、しかしその顔にはなんとも楽しげな笑みが浮かんでいた。つい一分前まで、どんよりと底まで沈みきった顔であったというのに。
「でも……なんだが、本当にそうなりそうな気がしてきたよ」
秋菜のその表情、その言葉につられてか、他の選手たちの表情にも、ゆっくりと変化が起きていた。
ふと、茜は眩しさに目を細めた。
一体、いつの間に現れたのか、
薄絹をまとった可愛らしい天使が、宙に浮いているのに気が付いた。
一人一人の肩にふわりと降りて、その肩にそっと触れる度、触れられたその者の顔に幸せそうな微笑みが浮かんでいった。
……これ、幻覚? なに?
茜はそんな幻想的な光景に心奪われ唖然としながらも、意識の半分は冷静で、堕ろさず産んでたらこんな可愛い子に会えていたのかなあ、などとしみじみ思っていた。
それとも、まさか、実は、これ、わたしの……
突然、耳元でぱんと手を打ち鳴らされたような気がして、茜ははっと我に返った。
首を振り、強くまばたき。
きょろきょろ見回すが、天使などはどこにもいなかった。
精神疲労からくる幻覚であったようだ。
いや……
いるよ。天使。
元気の魔法で、落ち込んでいたみんなに勇気をくれた。
茜は、優衣の顔を見つめていた。
視線に気が付いた優衣が見返すと、茜は視線をそらすことなく、柔らかく微笑んだ。
「優衣のいう通りに、なれたらいいよね。もちろんそのために、当然あたしたち必死に頑張るけど……」
茜は優衣から視線を離すと、選手たち全体を見回した。
「でも、現実は厳しいと思う。ここで勝てなければ降格。勝てたとしても、柏か平塚のどちらかでも勝ったらやっぱり降格。……ならさ、楽しもうよ。初の降格、とサポーターや過去の先輩たちに負い目を感じる気持ちも分かるけど。でも、楽しもう。この、一部リーグでプレー出来るということを。決して試合や残留を諦めるというわけじゃなく。ええと、なんて言葉でいえば伝わるのか、よく分からないんだけど。お通夜みたいな雰囲気で試合をしてたら、勿体ないよ。せっかくサッカー選手になったというのに。それこそファンサポーターのみなさんに失礼だよ」
茜は口を閉ざすと、改めて選手たちの表情を見回していった。
相変わらず、部屋の中はしんと静まり返っていた。
静まり返ってはいたが、しかしそこには、これまでの沈黙とはあきらかに異なる空気が生まれているようであった。
そう思わせる原因は、選手たちのその表情にあった。
半ば氷と化したような厚く硬い雪の中、地中で春を待ちきれない新芽がすくすくと育っている。
茜は、彼女たち一人一人から、そのような空気を感じ取っていた。そしてそれは、間違ってはいなかった。
「そうだよな。もう何も失うものなんかないんだからとか、そういう気持ちじゃなく、ただ単純に、楽しまないと勿体ないよな」
真っ先に、厚く硬い氷の表面を突き破ったのは、辻内秋菜であった。
他の選手たちも顔を見合わせて、はにかんだような笑顔を浮かべていた。それは、選手たちの間に、やる気や結束心などが急速に高まっていることを感じさせる、そんな表情であった。
誰かが声を上げて笑った。
それは一瞬にして全体に広がり、一瞬にして爆発していた。
なにがそこまで可笑しいのかさっぱり分からない。それなのに、みな、腹を抱えて楽しそうに笑っていた。
笑い続けていた。
西田久子だけは、さすがにあまり表情を崩すことはなかったが、それでも幾分か穏やかな、柔らかな表情であるように見えた。
「やるぞおー!」
辻内秋菜がすっかりかつての調子を取り戻し、腕を突き上げ叫んだ。
「おーっ!」
仲間たちも、腕を突き上げた。
「逆転するぞおお!」
「おーっ!」
つい先ほどまで隣の者の呼吸どころか心臓の音すら聞こえそうなほどに、しんと静まり返っていたというのに、同じ部屋とは思えないくらいの大騒ぎになっていた。
つい先ほどまで二度と浮かび上がれそうもないくらいに沈み込んでいたというのに、同じ選手たちとは思えないほどに、覚悟を決めた強い表情が、その笑顔の中に見て取れた。
茜は改めて、優衣の顔を見つめていた。
みんなと一緒に腕を突き上げ叫んでいる、優衣の横顔を。
静かに近寄ると、優衣の耳に、そっと自分の口を当てていた。
「どこの誰君だか知らないけど……いままで、優衣をありがとね」
茜は、こそりとささやいた。
優衣の目が、驚きに見開かれていた。
ぽかんとした表情で、茜の顔を見つめ返した。
口の半開きになった間抜けな表情がなんとも可笑しくて、茜は思わず吹き出していた。
優衣は困ったような表情で頭を掻くと、茜の屈託のない笑顔に引っ張られて自分も声を上げて笑い出していた。
うっすらカビ臭いロッカールームへ、ベイスパロウの選手たちが順々に入ってきた。
天井の蛍光灯の一つが、切れかかっており、点滅してはふっと消え、鬱陶しい。
野本茜は、ちらちらする灯りが蛾のように思えてしまい、無意識にばっばっと払う仕草をしてしまい、咳払いでごまかした。
入ってきた選手たちは、みな一様に、疲れきったような表情をその顔に浮かべていた。
実際、疲れきっているのだ。
肉体的にも、精神的にも。
この絶望的な状況……
誰もが予想していた通りの、圧倒的な戦力差、
守備に追われる一方で何も出来ず、しかし失点をし、退場し、
ますます絶望的な状況になりながらも、なおも走らなければならず、
心と身体とが、相互にそれぞれを疲労させていったのである。
茜だけでなく、ピッチに立っていたベイスパロウの選手みんなが。
でも、まだまだ前半が終わったばかり。
泣き言なんかいっていられない。
わたしはキャプテンなんだ。
と、茜は気を引き締めた。
いつものハーフタイムであれば、控え選手はピッチで身体を温めているのだが、今日は笹本監督の意向で登録メンバー全員が呼ばれた。
だからこの中には、篠原優衣の姿もある。
みなが部屋の中に入ったことを確認すると、ジャージ姿の優衣はゆっくりと扉を閉め、みんなのほうへ向き直った。
「よく二失点で凌いだよ。ほんとにみんな、見ててすっげえ頑張りだった。特にあのPKセーブ最高!」
優衣は、ちょっと興奮したように語っていた。たかだか二失点は奇跡的であり、だから優衣は嘘をついているわけではないが、実際にはただ励まそうと開いた口であろう。
それを受けて言葉を続けたのは、寺田なえである。
「優しいね、優衣は。確かに神戸相手に前半二失点は、うちらにしちゃあ上出来だと思う。……でも、今日は勝たなきゃならないわけで……一点を取るのも難しいってのに、退場者まで出ちゃって」
寺田なえのその言葉は、まさしく選手一同の気持ちを代弁するものであった。
不意に、退場処分を受けた野本ハルがうっと声をつまらせた。先ほどから、涙が溢れては拭っていたのだろう。まぶたも、白目も、真っ赤であった。そこへまたあらたに、涙がじわりと浮き出て、袖で拭った。
沼尾妙子が、ハルの肩を優しく叩いてあげた。
「優衣のいう通りだ。二失点はよくやっている」
しんと静まり返った空気の中、笹本監督はいきなり低いしゃがれ声を発し、もたもたとした足取りで重たそうな身体を移動させて壁に備え付けられたホワイトボードの前に立った。
「勝負の結果がどうなるかは分からない。出来るのは、勝つ可能性を少しでも高めることだけだ。それには、まず戦術の共通意識を高めること。それじゃ始めっぞ。サブの選手も、よく聞いとけよ」
監督はマーカーペンを左手に持ちながら、ホワイトボードの磁石を動かし始めた。
相手には戦術変更を施す必要性がない、という考えから、前半戦のみを参考に、攻撃方法そして守備の対応についての説明を始めた。
個としてどう当たるのか、どのような連係で当たるのか。全体としてどう攻撃し、守るのか。
こまめに要点を語っては、それを選手たちに大声で復唱させた。
五分ほども話しただろうか。
「以上だ」
ペンを置いた。
「みんな、分かった?」
野本茜は前に出て監督の横に立つと、選手たちの顔を見回した。
「やることは、分かった」
試合中に出来るかは別だ。監督の理想通りになんでもやれていれば、そもそもこんな順位にはいない。布部洋子のその台詞、その表情は、そう語っているようにも見えた。
「あのさ」
選手たちの中央から、不意に声が上がっていた。
優衣であった。
「正直いってさ……おれ、最初にみんなと会った時、この生意気なくそ女どもがって思ってたんだよな」
一体なんの話をしているのか。
みな唖然とした表情で、優衣のほうを見ていた。
「一番生意気なのお前だろ。……最初、って何の話?」
辻内秋菜が尋ねた。
「だから松島……あ、いや、どうでもいいんだよそんなこと! とにかく、いまはそんなこと全然思ってやしなくて、一緒にサッカーをやれていることを本当に幸せに思ってるってこと。……今日はさあ、今年最後のリーグ戦だ。みんなで頑張って、絶対に、勝とうぜ。……まずは粘って一点もぎ取ろうよ。そうなりゃあ向こうさん、うちをすっかり舐めきってるもんだから、うろたえて勝手に崩壊するぜ。そんで最後には、うちのほうがパスサッカーであいつら翻弄して、逆転勝ちだ」
「バーカ。そんなうまくいくわけないじゃん」
秋菜はあっさりと否定したが、しかしその顔にはなんとも楽しげな笑みが浮かんでいた。つい一分前まで、どんよりと底まで沈みきった顔であったというのに。
「でも……なんだが、本当にそうなりそうな気がしてきたよ」
秋菜のその表情、その言葉につられてか、他の選手たちの表情にも、ゆっくりと変化が起きていた。
ふと、茜は眩しさに目を細めた。
一体、いつの間に現れたのか、
薄絹をまとった可愛らしい天使が、宙に浮いているのに気が付いた。
一人一人の肩にふわりと降りて、その肩にそっと触れる度、触れられたその者の顔に幸せそうな微笑みが浮かんでいった。
……これ、幻覚? なに?
茜はそんな幻想的な光景に心奪われ唖然としながらも、意識の半分は冷静で、堕ろさず産んでたらこんな可愛い子に会えていたのかなあ、などとしみじみ思っていた。
それとも、まさか、実は、これ、わたしの……
突然、耳元でぱんと手を打ち鳴らされたような気がして、茜ははっと我に返った。
首を振り、強くまばたき。
きょろきょろ見回すが、天使などはどこにもいなかった。
精神疲労からくる幻覚であったようだ。
いや……
いるよ。天使。
元気の魔法で、落ち込んでいたみんなに勇気をくれた。
茜は、優衣の顔を見つめていた。
視線に気が付いた優衣が見返すと、茜は視線をそらすことなく、柔らかく微笑んだ。
「優衣のいう通りに、なれたらいいよね。もちろんそのために、当然あたしたち必死に頑張るけど……」
茜は優衣から視線を離すと、選手たち全体を見回した。
「でも、現実は厳しいと思う。ここで勝てなければ降格。勝てたとしても、柏か平塚のどちらかでも勝ったらやっぱり降格。……ならさ、楽しもうよ。初の降格、とサポーターや過去の先輩たちに負い目を感じる気持ちも分かるけど。でも、楽しもう。この、一部リーグでプレー出来るということを。決して試合や残留を諦めるというわけじゃなく。ええと、なんて言葉でいえば伝わるのか、よく分からないんだけど。お通夜みたいな雰囲気で試合をしてたら、勿体ないよ。せっかくサッカー選手になったというのに。それこそファンサポーターのみなさんに失礼だよ」
茜は口を閉ざすと、改めて選手たちの表情を見回していった。
相変わらず、部屋の中はしんと静まり返っていた。
静まり返ってはいたが、しかしそこには、これまでの沈黙とはあきらかに異なる空気が生まれているようであった。
そう思わせる原因は、選手たちのその表情にあった。
半ば氷と化したような厚く硬い雪の中、地中で春を待ちきれない新芽がすくすくと育っている。
茜は、彼女たち一人一人から、そのような空気を感じ取っていた。そしてそれは、間違ってはいなかった。
「そうだよな。もう何も失うものなんかないんだからとか、そういう気持ちじゃなく、ただ単純に、楽しまないと勿体ないよな」
真っ先に、厚く硬い氷の表面を突き破ったのは、辻内秋菜であった。
他の選手たちも顔を見合わせて、はにかんだような笑顔を浮かべていた。それは、選手たちの間に、やる気や結束心などが急速に高まっていることを感じさせる、そんな表情であった。
誰かが声を上げて笑った。
それは一瞬にして全体に広がり、一瞬にして爆発していた。
なにがそこまで可笑しいのかさっぱり分からない。それなのに、みな、腹を抱えて楽しそうに笑っていた。
笑い続けていた。
西田久子だけは、さすがにあまり表情を崩すことはなかったが、それでも幾分か穏やかな、柔らかな表情であるように見えた。
「やるぞおー!」
辻内秋菜がすっかりかつての調子を取り戻し、腕を突き上げ叫んだ。
「おーっ!」
仲間たちも、腕を突き上げた。
「逆転するぞおお!」
「おーっ!」
つい先ほどまで隣の者の呼吸どころか心臓の音すら聞こえそうなほどに、しんと静まり返っていたというのに、同じ部屋とは思えないくらいの大騒ぎになっていた。
つい先ほどまで二度と浮かび上がれそうもないくらいに沈み込んでいたというのに、同じ選手たちとは思えないほどに、覚悟を決めた強い表情が、その笑顔の中に見て取れた。
茜は改めて、優衣の顔を見つめていた。
みんなと一緒に腕を突き上げ叫んでいる、優衣の横顔を。
静かに近寄ると、優衣の耳に、そっと自分の口を当てていた。
「どこの誰君だか知らないけど……いままで、優衣をありがとね」
茜は、こそりとささやいた。
優衣の目が、驚きに見開かれていた。
ぽかんとした表情で、茜の顔を見つめ返した。
口の半開きになった間抜けな表情がなんとも可笑しくて、茜は思わず吹き出していた。
優衣は困ったような表情で頭を掻くと、茜の屈託のない笑顔に引っ張られて自分も声を上げて笑い出していた。
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