ブストサル 第二巻

かつたけい

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最終章 卒業

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     1
 千葉県内の、とある遊園地に来ている。

 たかミットと二人。俗にいうところの、デートというものである。

 晴れならよかったのだけど、残念ながら天気は小雨。
 二人、それぞれ傘をさしている。

 こういう天気の時にも楽しめるようになった方が得だよな。とは思うのだけれど、やっぱり雨の日は好きになれない。
 じとじとして気持ち悪いし、動くと服が纏わりついてくるし、傘で片手がふさがって色々と不便だし。

 今日は、一学期最後の日曜日。
 今度の水曜日が終業式だ。

 千葉県の遊園地といっても、ネズミで有名なところではない。最初はその予定だったのだけど、ミットに任せていたらチケットを取れなかったのだ。

 まあ、わたしが取ろうとしても同じことになっていただろうけど。ミットもわたしも、あの遊園地の人気の凄まじさをまるで知らず、一ヶ月前くらいなら余裕でネズミ券をゲット出来るだろうと考えていたのだから。

 かわりにやって来たのが、ここ銚子市の海沿いにある市民遊園だ。

 写真を撮って「ここデパートの屋上」といって見せたら誰も疑う者はいないだろう。それくらい、狭く、貧弱な遊園地だ。

 しかし、どんな子供騙しであろうとも、遊園地は遊園地、やはりというべきかカップル率高し。
 次いで多いのが女の子だけや、家族連れ。
 中には男子だけの集団もいて、なんだか見ていてかわいらしい。連れの女の子を待たせているだけかも知れないけど。

「まだ、足痛む?」

 わたしは、ミットに聞いた。

「ちょっと、な。でももう試合もねえし」

 ミットはそういうと、ジーンズの上から太腿をパンパンと叩いて見せた。

 先日わたしらが参加したフットサル大会、男子の部も開催していたのだけど、ミットたちはそれには参加せず、同じ時期に行なう別の大会に参加した。
 千葉県の高校だけで行なう大会で、「参加校も少ないし、優勝できるかも知れん」という部長の一言でその大会に出場することにしたはいいが、結果は初戦敗退。
 運の悪いことに、強豪と当たってしまったのだ。

 攻撃も守備もいいところなく、ボコボコにやられ、意地の一点を返すのがやっとだった。
 その、唯一のゴールをあげたのがミットだ。
 でも、無理な姿勢でシュートを打ったらしく、腿の筋肉を痛めてしまい、負傷交代。

 それが、つい昨日のことだ。
 わたしたち女子の大会は、予選敗退したおかげで一週間前に終わっているので、わたしは応援に行って来た。

 泥臭くゴールを奪ったミット、格好よかったな。
 フットサルをやめてしまうなんて、勿体無い。

「ま、点取ったおかげで、やめることにますます未練なくなったよ」
「続ければいいのに」
「元々、好きじゃなかったのかもなあ」

 今後、野球やらなにやら他のスポーツに取り組むことになるのか、それは分からない。
 とりあえずは受験勉強を精一杯やるつもりだといっている。

 最近よく野球のグローブをはめて一人でボール投げていたりしたから、てっきり野球をやるのかなと思っていたのだけど、そういうわけでもないようだ。

 わたしも、フットサル部を引退したら受験勉強に専念しなければならないな。

 フットサルは続けていくつもりだけどね。
 大学にないならどこかの草クラブに入ってもいいし、仲間を集めて部を作ったっていいんだし。

「しっかし、この遊園地、なんにもないねえ」

 わたしは話題を変えた。

「取るもんしっかり取ってるくせにな。まあ、安いけど」

 この遊園地のこと、よく知らずに来て、入り口で一日フリーパスを買ってしまったのだけども、しかしアトラクションがほとんどない。
 ほとんどないものだから、数少ないまっとうなアトラクションは大行列になってしまっている。
 入園してすぐに、比較的並ばずにすみそうなおばけ屋敷に入ったのだけど、それきり、なにをするわけでもなくぶらぶらと雨の中を歩いている。

 本当は、十数年振りにジェットコースターに乗ってみたかったのだけど、ミットが怖がって泣き喚いて嫌がるものだから、断念した。
 男のくせに、こういうところはだらしのない奴だよな。軟弱者が。

「アイスかなんか買ってくるわ」

 わたしの心の声など聞こえるはずもなく、ミットはのほほんとした顔で、傘をわたしに預けると小雨の中を走っていった。

 点在している屋根付きのベンチはもう人が一杯。
 だからわたしは屋根のない、雨に打たれているベンチに、お尻が濡れるのも気にせずに座っちゃう。

 座りながら傘をさして、通り行く人々を眺めている。

 そういえば、去年もこんなシチュエーションあったよな。
 秋の祭りの時だっけ。
 ジュースだかアイスだかを買いに行くミットに、ベンチに座って待っているわたし。

 当時はまだ付き合っていなかったけど、あれからもう、一年近くになるんだな。

 あの時わたし、何人ものガラの悪いのにからまれて、すっかりおびえちゃって、あとでミットの前で大泣きしたんだよな。
 恥ずかしいところを見せてしまった相手が彼氏になって、まあよかったというべきなのかな。

「おう!」

 野太い男の人の声に、わたしはびっくりして飛び上がった。
 怖い目にあったことを思い出している時にこんな声を聞いたら、誰だってこうなるだろう。

「おうじゃないでしょ。何分待たせんの!」

 噴水の前に、熊のような大男と、その何分の一も体重がなさそうな、小柄な女の人がいる。

 わたしは、ほっと胸をなでおろした。いまのできっと、寿命何秒か縮んだ。

「ごめんね、混んでてさあ」

 と野太い声でいいわけする熊のような大男であるが、女性は追撃の手を緩めない。
 熊さんタジタジだ。
 見た目や性格の組み合わせにギャップだらけの、こんなカップルもいるんだな。
 なんだか、微笑ましいよね。

 そのカップルも去り、さらにしばらくお客さん観察を続けていると、ミットが鼻歌混じりに戻ってきた。
 両手に、ソフトクリームを持っている。

「遅い遅い」

 わたしは立ち上がった。
 片手に持っていたミットの傘を開いて渡す。

「あ、ごめんな。でも、ほとんど並ばず買えたし、そんなには待たせてないだろ」
「そうだけど。一秒だって……寂しいんだよ」

 と、自分でいっておいて、ぶっと吹き出してしまった。

「うわ、恥ずかちい~」

 と、ミットを取り残して、わたし一人で爆笑してしまった。

「恥ずかちいのはおれの方だ。でよ、ソフトクリーム、なんか面白そうなの二つ買ってきたけど、ピーナッツバニラとサツマイモシラス、どっちがいい?」
「え、なに、シラスって、あのシラス?」
「たぶん。銚子なんかの家庭で、ご飯にどばっとかけて食ってそうな」
「ええ~。変な組み合わせ。じゃ、それにする」
「その言動、どういう心理なのかよく分からないんだがな」
「変わってんなとは思ったけど、美味しくないなら売ってるわけないじゃん。面白いかなっと思って」
「いやいや、不味いかも知んないぞ」

 わたしは、ミットからサツマイモシラスのソフトクリームを受け取った。
 見た目は普通の、白いソフトクリームだ。よく見ると確かに、ちょろちょろとシラスらしいものが埋まっている。

「そうだったら、そっちのと交換してもらうからいいよ」
「こっちのが、もっと不味かったりして」
「ピーナッツとバニラで、それは絶対にないよお。それじゃあ、先に、ちょっとそっちの、味見させて」
「ほらよ」

 ミットの差し出すソフトクリームを、ちょびっと舐めた。

「単なるバニラだ」
「え、どれ。……ほんとだ。なにがピーナッツなんだよな。微妙に混じってんのかな。じゃ、そっちのも味見」
「はい」

 わたしの差し出すサツマイモシラスのソフトクリームを舐めるミット。

「悪くないけど、こっちも単なるサツマイモアイスだな」

 といわれて、わたしも舐めてみる。

「ほんとだ。シラスは、ただ邪魔してないだけだね。まあ、姿が見えてはいるから納得はできる。それより気になるのが、そっちのだよ。どこがどうピーナッツなんだろう」
「分かんねえ。粉末にして混ぜ込んでんのかな」

 考え込む二人。

「でも、それの味がまったくしないんじゃなあ。せめて砕いた粒でも見えれば、視覚的には納得できるけど」

 と、舐め進めていたミットの表情が不意に、なにかに驚いたように変化した。その顔、いや口のあたりから、ぽり、と音がする。

「ピーナッツが、一粒そのまま入ってた」
「それ、意味ない!」

 わたしは思わず、両手を打ってがっくり肩落とす大袈裟なリアクション。
 なんだかおかしくなってきて、二人、転げまわるくらいに大笑いしてしまった。

 その後、何時間かこの遊園地にいたけれど、結局、今日一番印象に残ったのがピーナッツバニラ。
 なんのために、わざわざ銚子まで来たんだかなあ。

 でも、いいんだ。
 来月からは、受験勉強に専念しなければならないし、ミットとそう頻繁にデートしてはいられなくなる。

 こうして遠くに遊びに出かけることなど、当面は無理だろう。

 だから、これはこれでよかったのだ。
 こんな、ピーナッツバニラで。

     2
 今日は、一学期最後の日。
 午前中のうちに終業式も無事に終了した。

 明日からは、いよいよ夏休みだ。

 そんなわたしは、現在、成田に来ている。

 部活もまだ残っているし、それ以外の時間はほとんどを受験勉強にあてることになるから、待ちに待った夏休みというほどでもないけれど、でも、今日くらいははめを外してもいいだろう。
 と、思ってはいたものの、まさか、カラオケ店なんかに来ることになるとは。

 嫌なものは嫌。
 そう断固拒絶出来る性格になりたい。

 成田駅前雑居ビル四階の、カラオケ店。はまむしひさに、強引に連れてこられてしまったのだ。

 そして強引にマイクを握らされ、ちょうど歌い終えたところだ。

先輩、最高!」

 王子が手を叩いておおはしゃぎ。
 座ったまま、足までぱしぱしと叩いている。
 器用な奴だ。ほんと猿だな。

「梨乃、上手!」

 久樹も続く。

「上手なわけねーだろ!」

 まったくこいつらは。からかうのもいい加減にしろよな。

 絶望的に音痴なんだから、わたしは。
 まっとうな耳をしてたら、それが分からないはずがない。
 よく逃げ出さずに一曲歌いきったもんだと、我ながら感心するよ。

 わたしは、マイクをテーブルに置くと、まるまる残っていた烏龍茶を、ストローを使わず直に口をつけて一気に飲み干した。

 まるで居酒屋のオヤジ客のように、おしぼりで、おでこにかきまくった汗を拭いた。

 オレンジっぽい照明に照らされた、薄暗い狭い部屋には、わたしと、やまゆうあぜけい、浜虫久樹、ゆうの五人がいる。

 以前に、こことは別の店で久樹と王子がカラオケ勝負をしたことがあり、歌う曲歌う曲ことごとく王子の点数の方が高かった、ということがあった。

 採点する機械の相性がどうのこうのと久樹がごねて、久樹の馴染みのある店で再戦、という話になったのだ。
 それが今日。今だ。

 でも、それなら二人きりで戦えばいいのにさあ。
 せめて、そういうのが嫌いじゃない子を誘えばいいのにさあ。

 よりにもよって、どうしてわたしや佐治ケ江なんかを誘うんだよ。

 景子は歌が上手だから断らなかったんだろうけど、わたしと佐治ケ江はあんなに嫌だ嫌だと逆らったのに、ぐいぐい腕を引っ張られて強引に連れてこられてしまったのだ。

 機械の採点が信用できないから、審査員になってくれるだけでいいから、なんていってたくせに、結局、歌わせるんだもの。
 勝手に選曲して、マイク握らせてきて。
 まあ、予感はしてたけどね。誘われた時から。歌わされるんだろうな、きっと断れなくて泣く泣く歌っちゃうんだろうな、って。

 繰り返すけど、音程外しまくりできっと聞けたもんじゃなかっただろう。
 実際、機械の採点も最悪だった。
 順位もビリに等しい4897人中の4896番。誰だよ、わたしに負けてる一人って。

 嫌がるのを強引に歌わせといて、手を打って大笑いするなんて、久樹も王子も、ほんと最低だよな。
 死んだら絶対地獄に落ちるぞ。

 そもそもわたし、音楽なんてろくに聴かないから、よく分からないんだ。

 テレビなんかで見て中途半端には知っていたのがまずかったな。
 たまには久樹や景子と、売れてる歌手の話をすることもあったし。
 いっそ佐治ケ江みたく、本当になんにもまったく少しもそういうのを知らなければ、歌わせられることもなかっただろうに。

 でも、さ、それで久樹が楽しんでくれるんなら、いいんだけどね、別に。

 わたしに続いて、今度は景子が歌った。
 上手である。
 声量ないけど、音程しっかりしてて、声も優しい感じで。

 そして、メインイベントである王子と久樹のバトルに突入だ。
 二人とも選んだのは、ギターやドラムがバリバリうるさいような曲。

 聞く分には、どちらも上手だ。
 久樹が上手なのは何度も歌声を聞いていてよく知っていたけど、王子も、さすが自分で上手だ美声だと自慢していただけある。
 さすがに美声ではないと思うけど。

 二人で交互に何曲か歌ったのだが、機械の採点は、前回同様ことごとく王子に軍配が上がった。

「やっぱり機械なんか信用できん! ね、梨乃、どっちが上手だった?」

 久樹がぐーっと真顔を寄せてくる。鬱陶しいな。

「分かんないよ」

 わたしにそういうことを求められても困る。
 さっきの歌声、聞いていなかったのか?

「そこをさ、あえて決めるならどっち?」
「じゃ、王子」
「なんでだよ!」

 久樹は立ち上がった。
 それでも座ってるわたしと、頭の位置がそんなに変わらないけど。小さいから。

「だって、おんなじくらい上手に思えたんだもの。だったらあとは、機械での点差から考えて、王子が上手ってことじゃないの?」
「生身の審査員の意味ないじゃんか」
「そんなこといわれても」

 じゃあ、同情票で久樹ってことにすりゃいいのかよ。

「久樹先輩はあ、ハートがこもってねえんでやんすよ」

 何弁だか分からないが王子、余裕の笑みで勝者のコメントだ。

「違う。機械がおかしいの! 王子、今度、別の店で勝負だ」
「それはいいですけど、約束通り今回の支払いは全部久樹先輩もちでお願いしますよ。あ、今回はじゃなくて今回もか」
「ボールぶつけたくなってきた!」

 久樹の顔、本当に苛立ってるみたいだ。まったく、たかだかカラオケくらいで。

 ドアが開いて、店員の女性が、先ほど注文しておいたメガジャガチキンを運んできた。

 メガジャガチキンとは、要するに大きなプレートに特盛りされた、フライドポテトと鶏のから揚げだ。この前テレビでやっていたけど、このチェーン店で一番の人気メニューらしい。

「久樹先輩、ごちンなります!」

 王子は、両手を合わせた。

「もうこれ以上注文するなよ。あたしの財布、今月相当に厳しいんだからさあ。……リフティングボール買おうと思ってたのになあ」

 なら、こんな勝負しなければいいのに。

 しょうがない。バトルの敗者が奢るから、と連れてこられたけど、自分の分くらいは出しますか。

「そういえば、あきらって妹がいるらしいですよね」

 フライドポテトを頬張りながら、王子が唐突にそんな話題を口に出した。

「ポテト食べるたんびに晶のことを想像するのやめろよ。移っちゃうだろ、その習慣。つうか別に妹くらい、いたって不思議はないだろ」

 久樹も、ポテトをつまんだ。ケチャップも何もつけず口に運ぶ。
 わたしも、出てくる以上は勿体無いからケチャップつけたりするけど、塩だけの方が好き。

「いや、やっぱり妹も、ジャガイモみたいな顔してんのかなって思って」
「はあ、くっだらね」

 ためいきをつく久樹。ついたかと思うと、

「そんなん……当たり前じゃないか」

 いきなり、大爆笑をする二人。
 久樹は腹を抱えて、王子はテーブルをばんばん叩いてがんがん頭突きして笑い転げている。

「ちょっと、晶の妹に失礼でしょ、二人とも!」

 見たこともないくせに、なにがジャガイモだよ。いやいや、見たことあったって失礼極まりない。
 などといいつつ、わたしもちょっと吹き出してしまったのだけど。

 さて、しばしの休憩を挟んで、また久樹と王子の熱戦が始まった。
 本日の勝負はもう決着がついたけど、全曲負けているのが久樹の癪にさわるようで、王子にリベンジマッチを挑んだのだ。

 二人とも、よく声が枯れないな。

 結局、残りの曲も、全部、王子の勝ち。

 わたしたちは、最後の最後まで付き合わされた。
 明日から夏休みだからいいものの、すっかり帰るのが遅くなってしまった。

     3
 学校は、夏休みに入った。

 でも部活練習はあるから、学校へはほとんど毎日通っているけれど。

 わたしたち三年生は、お盆の時期になると同時に引退。
 あとほんの少しである。

 もう参加する大会はないけれど、だからといってだらけずに、最後まできっちりとやり抜きたいと考えている。
 様々な面での自己鍛錬、様々な面での育成、毎日の練習そのものにしっかりとした目標を持って取り組みたい。

 そうしっかりと部活動を締めくくりたいと考えるのはわたしだけではないだろうけど、わたしは特にそうした思いが強いようだ。
 中学での陸上部の練習を、いくら興味をなくしたからって、引退直前は相当にだらけてしまって、それを今日までずっと後悔しているからだ。
 部長である以上やることは色々あって、最後の最後までだらけてなどいられないのだけど。この時期って考えようによっては、新人の入ってくる新学期以上に大切なわけだしな。

 まあ、中学の時に、最後までやり抜かない、だらけた、みっともないわたしであったからこそ、フットサルを知ることが出来たし、フットサルを知ることが出来たから久樹たちとの出会いもあったわけで。だから現在まで生きてきて人生の無駄なんてまったくなかったんだな、と、そういう満足感はあるけどね。
 それとこれとは話が別。

 いまは朝の九時。
 今日も朝から夕方まで、フットサル部の練習だ。

 朝とはいえ真夏であり、既にかなり暑い。
 そんな中を部員全員で、学校周辺の公道をランニングしている。

 木々が多く、蝉が凄まじいまでにうるさい。
 でも我慢。佐原南高校の周囲は坂道だらけなので、持久力だけでなく、腿やふくらはぎの筋肉もしっかりと鍛えることが出来るのだから。

 しかし……
 ゆうは、いつまでたっても体力が向上しないな。
 今日も走り出して間もないうちに、一番に息切れ。朦朧とした表情で、きぬがさはるに励まされて、なんとか足を動かしている状態だ。

 反対に、王子ことやまゆうは人間とは思えない体力だ。
 もてあます余力で、あっちにこっちにうろうろしてはなしもとさきたけあきらをからかっている。さすが子供の頃のあだ名が山猿だ。

「あいたっ!」

 とうとう、晶にお尻を蹴飛ばされた。これで少しは懲りろ。

「サジ、あと一周がんばろ。ファイトお!」

 春奈は一見ちゃらちゃらとして、ふにゃふにゃとして、軽い感じに見える。
 でも、芯はとてもしっかりしてる。
 わたしより年下だけど、心の中で勝手に人生の師匠に仕立てて、色々なことを参考にさせて貰っている。
 服だの態度だの言葉遣いだの、考え方だの、女子としてどうあるかという点を。
 わたしには心の師匠が五人おり、彼女はその一人だ。

 しのは、普段からぺらぺらとうるさい。
 口の動きと地球の自転と、どっちが先にとまるんだというくらいのお喋りだ。
 口の持久走なら世界チャンピオン目指せそうだけど、肉体の持久走は得意ではなく、この炎天下ランニングは苦しそう。
 でも、やっぱりというべきか、隣を走る茂美にひっきりなしに、なにか喋っているけど。女性のお喋り好きは多いというけど、亜由美は別格で次元が違う。これはもう、一つの才能だ。

 隣を走る真砂茂美は、亜由美の親友で、二人は部活以外もいつも一緒に行動している。
 じゃあ亜由美と同じくらいにお喋りなのかというと、そんなことないどころか正反対、究極の対極。
 亜由美の口がマシンガンなのに対して、茂美の口は貝。岩。凄まじいまでの無口なのである。
 たまにその口を開いても、声が小さくてまったく聞き取れない。
 部員の中にも、茂美がどんな声しているのか知らないのもいるくらいだ。実はわたしにしても、ちょっと忘れかけている。

 それほどまでに口を開くことが少ないというのに、ちゃんと生活が出来ているのだから、これもまた一つの才能だろう。
 茂美と亜由美という対極にいる二人が親友同士だなんて、これはもう奇跡の出会いという他ない。

 武田晶は、集団からちょっと外れたところで、一人で黙々と走っている。王子が、ちょくちょくとからかいに近寄っていたが、さきほどお尻を蹴飛ばされたから、しばらくは寄ってこないだろう。
 晶も、ぱっと見は地味なのに、強烈な個性を持っているよなあ。
 クールな一匹狼みたいな態度してるくせに、意外に熱いところもあって。
 顔は、そんな性格に似合わない、ぽっちゃりころころとまん丸で可愛らしい感じだし。

 なんかうちの二年生、ほんと個性的だよな。

 この中の誰かが新しい部長になるわけだけど、でも、この中に、こんな強烈な部員たちをまとめ上げられる者なんて、いるのかな。

 一年生がおとなしい分、全体としては楽かも知れないけど。
 ……いや、そうでもないか。一年の中にも、強烈なのがいるしな。約二名。

 後ろの方で、いくやまさとと梨本咲が、またなにやらいがみあって、ブツブツといいあっている。

「ほら、二人とも喧嘩してんじゃないの! ほんとは仲良くなりたいくせに」

 わたしの台詞に、案の定二人は吊られ、わたしのことを睨みつけ、

「そんなわけないでしょ! バカなこといわないでくださいよ!」

 ほおら、そんな長い台詞を寸分の狂いなくハモるなんて普通あるか。

 二人は、真似すんなとばかりに睨み合っている。
 ほんとに、こいつらはもう。
 こんな連中をまとめられるのは、やっぱり……

「梨乃せんぱーい、あたしのことじっと見ちゃってえ。たかろうったって無駄ですよ。お小遣い前借りして使っちゃったから、全然なぁ~い」

 王子がにんまりと笑みを浮かべている。

「誰がたかるか、アホ!」

 まったく、こいつは。

     4
 音って、非常に重要だと思う。
 色々なものの捉え方を一変させてしまう、重要な要素の一つだと思う。

 真夏日に、蝉がわしゃわしゃ鳴いていたらもう暑くて暑くてたまらないが、同じ蒸し暑さでも、コオロギみたいなのがちりんちりんと、ころころと、鳴いていると、何故だか涼しく感じてしまったりするものである。

 現在、外では蝉がわしゃわしゃと鳴いている。

 つまり、なにがいいたいかというと、ムチャクチャ暑苦しくて最悪! ということ。

 もうとっくに日が暮れたというのに、拭っても拭っても汗がだらだらと流れてくる。
 わたしがもともと汗っかきなのもあるけど、この暑さじゃあ誰だってこうなると思う。

 ほんと、蝉がうるさい。
 でも、蝉を責めるのもお門違いだよな。夏に彩りを与えるべく、頑張ってくれているのだから。

 悪いのは、うちにクーラーがないということ。
 いまどきそんな家あるか?

 慣れる、なんてお父さんはいうけど、慣れるわけがない。
 暑いものは暑い。
 たんぱく質が変化しそうなほどの暑さに、慣れもなにもない。

 ぴっちりむっちりしたショートパンツにタンクトップという、日本の女子としてこれ以上肌を出せない限界の格好をしているというのに、微塵の効果もないくらいに暑い。

「これ、変わったチャペルだよねえ。値段もいい感じ」

 おおきぬさんとお父さんとが、座卓の上に結婚式場の資料を置いて、数ヵ月後の自分たちのためにプランを話し合っている。

 ぴったりくっついちゃってまあ。
 ただでさえ蒸し風呂みたいな空気なのに、余計に暑くなっちゃうよ。
 よく、こんな暑さで、話し合いなんかしていられるよな。
 喫茶店にでも行ってくればいいのに。
 楽しいから、暑さも気にならないんだろうな。

 わたしは二人の近くで、畳に寝そべり、学校から出された夏休みの課題をやっている。
 やっている、といっても、あまりの暑さに脳がふにゃふにゃになりそうで、遅々として進展していないのだけど。

 こんなんで、大学受験、大丈夫だろうか。
 駅の向こうだから面倒なのだけど図書館を利用することも考えた方がよさそうだ。

 しかし、わたしたち三人の、この距離感というか態度というか、空気というか、なんだかさ、もう家族みたいじゃない?
 まだ一緒に暮らしてもいないというのに。

 当人同士はともかく、わたしがこんなに早く順応するなんて、思ってもいなかったよ。
 わたし、最近なんだか、性格変わったのかな。

「さっさと籍だけ入れちゃえばいいのに」

 で、ここに住んじゃえばいいのに。
 絹江さん、いま一人暮らしだけど、結局ほとんど毎日こっちに来ているんだから。

「ダメダメ、式と披露宴と入籍は同じ日にするって決めているんだからあ」
「再婚同士なんだから、披露宴なんかしなくたっていいのに」

 でもまあ、いいのか。
 二人がやりたいというんなら。
 わたしも、神様のいる前で二人を祝福してあげたいしな。

「これ、どうかなあ」
「どれ?」
「こっちのがいいんじゃない?」

 などとやっている二人の背後に、わたしはむっくりと起き上がり、回りこんで、資料を覗き見る。

「暑苦しいなお前は。あまり寄るな」
「いいじゃん、パパぁ」

 わたしはお父さんの背中にぴったりくっついた。
 で、身体をごしごしこする。

「お前、おれの服で汗拭いたろ!」

 などとくだらないやりとりに、絹江さんが笑っている。

 笑顔がとても魅力的な女性だよな。結婚したら、この笑顔、もっと増えるのかな。

 そもそも、結婚って、なんなんだろうな。

 人間の男女というのは、どうして大人になると結婚をするんだろう。
 生物として考えれば、結婚なんて必須なものではないのに。

 などと、つまらないことを考えてしまう。
 どうして結婚するのかなんて、分かりきったことだ。

 より、幸せになるためだ。
 だって人間は、幸せになるために生まれてくるのだから。

     5
 風に吹かれている。
 丘を駆け上り、草のにおいを含んでいる、そよそよと、気持ちのよい風だ。

 今日は湿気が酷くて身体にまとわりついてくるのだけど、この風を浴びていると、その湿気すら心地よく感じてくる。なんだか、緑のシャワーを浴びているような感じ。
 きっと、空気を肌だけでなく、視覚や心でも感じているからなのだろう。

 なだらかな丘陵が、周囲のどこを見ても延々と続いている。

 わたしたちは、ちょっと小高いところにある休憩所にいる。

 木の柵に肘をかけ、ただ、風に吹かれている。

 さっきまでここには老夫婦がいて、ちょこっと会話したり、写真を撮っていただいたりなどした。現在は、ここにはわたしたち三人きりだ。

「時が経つのも忘れるね」

 あぜけいが、いつもののんびりとした柔らかな口調でいった。

「千葉ってさあ、広いよね」

 はまむしひさが続く。

 確かに千葉県は色々な意味で広いよな。
 わたしたちの住んでいるのも同じ千葉県だというのに、ここに来るまで半日かかったという物理的な広さ。
 そこには、こんなだだっ広い丘陵地帯があるし。

 フットサルにしても、いざ大会に参加してみれば強い高校、面白い高校が、次々と現れるし。

 しかし、県内だというのに、すっかり旅行気分だ。
 実際に旅行だけど。
 一泊するし。

 夏休みだから混んでいるかと思っていたけど、そうでもなかった。
 休みの日が土日だけよりも分散してるからかな。

 この旅行は、全部わたしの提案だ。
 以前から計画し、旅館も予約しておいたのだ。

 久樹が学校を退学して静岡でサッカーをやるかも知れないと聞いて、我々三人だけの思い出を作りたかったのだ。

 これからみんな忙しくなるし、高校生として三人でなにかを出来るなんて、もう二度とないかも知れないし。
 と、そう思ったから。

 わたしと景子は受験が終われば暇になるけど、久樹はサッカーでそれどころではないだろうし。と。

 しかしながらというべきか、適切な接頭語が思いつかないのだけど、結局、久樹は高校を辞めずに済むことになった。
 クラブから月に二回、運賃を出して貰えることになったためだ。

 ただ、新幹線でなく在来線分の料金だけ、しかもそのうちの半額は、来年以降に少しずつ返済しないといけない、という条件らしいけど。

 寝泊りに関しては、親会社の社員寮の空き部屋に無料で泊まらせてもらえるらしい。ただし、寮の雑用を手伝うことが条件。

 明後日から早速静岡へ向かい、夏休みの間はずっと滞在する予定らしい。

 夏休みが終わったら、金曜夜に東海道線で熱海へ行き、日曜夜に千葉へ戻って、月曜から金曜までこれまで通り佐原南高校へ通う。
 電車代は月に二回分しか出ないから、残りは自腹とのことだ。

 しかし、少しでもお金を出してくれるだけ凄いよな。
 宿泊費や食費も無料だというし。
 春江先輩から聞いたのだけど、女子サッカーチームなんて、トップリーグですらお金が貰える選手なんか稀で、それどころか反対に会費払ってプレーしているところもあるらしいし、それを考えると、まさに破格の好待遇だ。

 それだけ、久樹は能力を買われているのだな。
 そんな久樹と親友で、これまで一緒にフットサルをやっていたこと、そんなことがしみじみと嬉しくなってくる。

「景子と、久樹と、こんなとこに旅行に来るような、そんな仲になるとは思っていなかったなあ」
「あたしも、がこんな丸くなるとは思ってなかったなあ」

 わたしがしみじみと呟いた言葉に、なんだか久樹が小癪な言葉を乗せてきた。

「なにそれ?」

 もともと丸いよ。
 平和主義というか、結構気が小さいし。

「梨乃って、なんかとげとげしてたじゃん。入学したばかりの頃」
「違うよ。ただ態度や言葉遣いが、ちょっと乱暴だっただけだって」

 中学の頃に、そんな友達ばかりが回りにいたからな。

「そう? とにかく、それが、いまみたく大人な感じになるとは。月日が成長させるんかね。……それとも、彼氏がいるからかな」

 久樹はそういうと、嫌らしい笑みを浮かべた。

「絶対に、そう振ってくると思ったよ」
「あたしは、生涯子供のままでいいや。ボール蹴ることだけ考えてよ」
「自分では気付かないのかな。あたしにはね、久樹は最初から大人に思えていたよ。考え方がしっかりしてるよなって、よく感心させられたもの。今回の静岡へ行く件だってそう」

 まだ一学期が終わったばかり。
 部活だって、引退までまだ日がある。まだなにも終わってはいない。

 それなのに、最後の大会が終わったためか、わたしはなんだかもうすべてが終わったような気になっていた。

 そんな中、こんな話を始めたものだから、もうお別れのような、なんだかとても悲しい気持ちになってしまっていた。

 じわり、と目に涙がたまる。

 二人に気付かれないよう、柵に両腕を乗せて、遠くを見る。

「二人がそんな話してると、なんだかもう卒業みたいな悲しい気持ちになってくるよ」

 景子は、落ち着いた笑みを浮かべながら、そう呟いた。

「よかった、仲間がいた。あたしもなんだか悲しい気分になってたんだ」

 わたしは、本音を白状した。

「涙隠してたもんな」
「え、気付いてた? 久樹」
「当然。どこがどう悲しいのか、あたしのようなガサツ者にゃあ分からんが、そんな気分の時には……」

 久樹はそういいながら、自分のバッグをがさごそと探りはじめた。そして、

「じゃん」

 取り出したのは、サッカー用の二号球。
 よく彼女がリフティング練習で使っている、とてつもなくも小さなボールだ。
 せっかくの旅行だってのに、いくら小さいとはいえこんなところにまで持ってくるなんて。

 久樹はボールを手からこぼしたかと思うと、それを右足、左足、と爪先で真上に蹴り上げると、小さく踏み付け、

「ほら、景子!」

 景子の足元へ向けて転がした。
 浮き球でないのはスカートで腿上げトラップも出来ないからという配慮なのだろうが、しかし、結構なスピードだ。

「だめだよ、こんなとこで」

 といいつつ、しっかり足を伸ばして受ける景子。

「いいじゃん。いま誰もいないんだし」

 景子はボールを落ち着かせると、すぐさまわたしへと転がしてきた。
 わたしも、ワンタッチで久樹へとパス。

「スカートじゃ蹴りにくいなあ」
「んじゃ、脱いじゃえ!」

 久樹が下品な冗談を飛ばしてくる。

「出来るか! 王子じゃあるまいし」

 制服のスカート姿ではよくボールを蹴っていたけど、わたしがいまはいているのは、ちょっと長めのしかもフリフリさらさらしてるものなので、蹴りにくいし、すぐ汚れてしまいそう。
 靴も、ちょっとヒールのあるのにしているし。

 景子も同じような服装。
 でも久樹だけは、ティーシャツにショートパンツ、スニーカーというやたら軽快な格好。絶対ボール蹴ること考えてきてたな。

 しばらくは単純なパス回しを続けていたのだけど、みんなちょっとづつムキになり、いつしか本格的な奪い合いになっていた。

 ま、服が汚れたっていいか。洗えばいいだけのことだ。

 わたしたち三人は、こうしてよく学校帰りに児童公園でボールを蹴ったよな。
 もう二年以上も前になるのか。
 つい最近のような気もするけど、でもやっぱり、懐かしい思い出だ。

 しかしさあ、ほんとに卒業旅行みたいだよな、この雰囲気。

 まだ一学期が終了したばかりだというのに。
 まだ受験も終わっていないというのに。

 でも、学校の卒業はまだだけど、あと一週間でフットサル部は卒業なんだなあ。
 考えてみれば、人生って卒業の連続だ。

 去年は、どうしようもなく子供だった我儘な自分から卒業できた気がするし。

 家族関係だって……
 卒業、というとなんだけど、とにかく今年の冬にはいままでのお母さんから、新しいお母さんになるのだから。

 そしていつか、わたしはその家族関係から卒業して、あらたな人と家庭を作る。

 人間は卒業を繰り返して、どんどん歩き続けていく。

 よい結果ばかりではないと思うけど。
 いや、むしろ辛いことばかりあるのが人生かも知れないけど。

 でも、だからこそ思うんだ。

 仲間、家族、恋人、思い出。
 心地よく振り返ることの出来る地点があるというのは、幸せなことなのだと。

     6
やまゆう、やって参りました!」

 部室の扉がどばんと勢いよく開き、王子が入って来た。
 わたしが呼び出したのだ。

「すんません! づきに無理矢理コントやらせて泣かせちゃって。うつむいているだけで表情変えないから、まさか泣き出すほど嫌がってると思わなかったので。もうしません!」
「そんなことしてたんか!」

 聞いてもいないのにペラペラ喋り始めたと思ったら。

「え、え、そのことじゃないのか。くそ、いうんじゃなかったぁ。じゃ、オジイのカバンに落書きしたこと?」
「なにやってんだよもう! 葉月にはちゃんと謝ったの? まあ、それはあとにして、王子、あのさあ」

 わたしは、声を潜める。
 誰に聞かれる心配もないし、聞かれて困るわけではない。王子に真剣に聞いて貰いたいだけだ。

「なんでしょう」
「あたしたち三年生は、もうすぐ引退だよね」
「はいそうですねえ。悲しいです。ううっ」

 と、いきなり表情を変化させて、袖で涙を拭う仕草。

「心にないこというな。それでさ、単刀直入にいうけど」
「タントウチョクヌーってなんでしょう」

 おい。

「気がむいた時に辞書でもひいてくれ。で、王子、フットサル部の、部長にならない?」
「なります」

 見事なくらいの即答。
 さっきの様子からして、こういう話を予期してたわけでもないだろうに。なんなんだこいつ。
 まあいいや。

「あたしが部長になるからには、猛特訓してすっごい強くなって、絶対に優勝させますから、大船に乗ったつもりでいてください」
「すっごい揺れる大船だろうな」

 わたしは苦笑する。

「はい。がっくんがっくん揺らしますが、速度は最強です!」
「想像してることかみ合ってないみたいだから、大船の例えはやめよう」

 わざわざがっくんがっくん揺らしてどうするんだよ。

「でも、引き受けて貰えてよかった。とりあえず今日は意思の確認をしたかった。細かい引継ぎの話は、今度ゆっくりするから」
「了解っす」

 王子は、ぴっと敬礼の仕草。

 だらしないところのたくさんある王子だけど、でも、根底はしっかりしているというか、間違った方向に行くことは絶対にないと思うから。だから選んだ。
 ちょっと乱暴なところもあるけれど、でも彼女なりに女子フットサル部をうまくまとめあげてくれるんじゃないかと期待している。

 そうだ、引退前に、あれやってみようかな。
 三年対一年二年の練習試合。
 中学校のフットサル部で春江先輩がやっていた、卒業する三年生の魂を下級生に引き継がせる儀式。

 とはいうものの、下級生チームにはあきらもいるし、厳しい戦いになるなあ。
 いやいや、こっちだって、わたしにひさけいおりもいるんだ。そう簡単には、いや、絶対に負けないぞ。
 ゴレイロは……しょうがない、わたしがやるしかないか。久々に、晶に練習に付き合って貰うかな。

「部長、ちょっと!」

 扉の向こうから、しのの慌てたような声。

「なぁにぃ?」

 のんびり口調で王子が叫ぶ。

「まだ部長じゃないだろ! なに? 亜由美」
さとさきが、また揉めてんですよ! もう一触即発の、か~な~りヤバイ状態」

 またか。
 副部長の久樹はどうしたんだよ。

「分かった、すぐに行くから戻ってて!」
「はい」

 わたしは、真顔で受け答えしながらも、心の中では微笑んでいた。

 これから大変なことばっかりだと思うけど、
 でもきっと、やりがいや、達成感も、たくさんあると思うよ、王子。

 わたしは、立ち上がり、部室の扉を開けた。

 今日も真夏日で相当に暑いけれど、ずっと蒸し風呂みたいな部室の中にいたので、入り込んで来る空気がちょっぴりひんやりとして肌に心地良い。
 外へ出て見上げれば、広がる青い空。

「急ご、王子」

 わたしは、王子と一緒に走り出した。

 新しい風、吹け!
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