記憶は未だ戻らない(創作BL)

りよ

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2・僕はニセモノなのかを考える

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学校での生活は、それなりに過ぎていった。
僕が記憶喪失だというのは周知の事となり、みんなそれを分かった上で対応をしてくれた。
思った以上に賢い同級生達に感謝した。

放課後になり一人で廊下を歩いていた。
最初の頃はフミヤにいろいろ案内してもらったが、学校の中も慣れて、一人で歩いても不安になるような事もなくなった。
とりあえず、今日は一人で散歩のつもりだ。
親戚だって理由だけで、いつまでもフミヤの世話になっているわけにはいかない。
フミヤがいなくても、なんとかなる事を証明して、自慢するつもりでもあった。


図書室で本を適当に覗いたあと、裏庭の散歩でもしようかと思い階段に向かっていると、声をかけられた。
「やぁ」

振り向いて一瞬言葉に詰まる。
そこには初日にすれ違った、美形の少年、ナナトが立っていた。

「君の事は聞いているよ。記憶障害なんだってね」
記憶喪失ではなく、記憶障害と言う所に、ナナトの利口さが覗える。
本来、記憶喪失とは記憶障害の中の、健忘の一種だ。
僕は周りには分かりやすく、記憶喪失という言葉を使って説明していた。

「最初に教えてなくてごめんね。本当は君の事も覚えてなくて、挨拶された時にどうして良いかわからなかったんだ」
正直に謝ると、ナナトは微笑んだ。

「いや、気にしないで良いよ。大変な時に気を遣わせてしまって、こちらこそゴメン」
「あ、いや……」
ヤバイ。会話しながら、この人の人間としての出来の良さが伝わってきて、感動する。
マジ、恋に堕ちる寸前な感じだ。
思い起こせばフミヤは別として、シアンとかトーヤとか強烈な奴が多すぎた。
こんなまともな人と話すのは久しぶりな気がする。

「これからどこかに行く所だった?」
「あ、うん、庭でも散歩しようと思ったんだけど」
少し思案するように顎を摘まんだ後で、ナナトは言った。

「僕も一緒に行って良いかな?」
「え?」
透き通るような瞳を見つめているうちに、自然と頷いてしまった。

「そっか、良かった。改めて君と話したいと思っていたんだ」
ナナトの発言にドキリとした。

「僕と?」
「そうだよ」
軽く答えながら、ナナトは廊下奥の階段へと歩きだす。つられて僕も歩く。
何故だか、僕は緊張しだしていた。




放課後の裏庭には誰もいなかった。
下校時間のピークはすぎているし、運動部の部室も正門側にあるので、普段から人通りはないのかもしれない。
裏門へと続く、緑に囲まれた小道を歩いていると、ナナトが呟く。

「意外と綺麗だね」
見上げた先に赤い花が咲いていた。
「百日紅だね。夏の代表的な花だ」
僕が言うとナナトは不思議そうにこちらを見る。

「なに?」
「いや、記憶障害と言っても、以前と同じ感じで、変わりがないなと思って」
予想外だった。
記憶のない僕に対して、以前と変わらないと言う人は、あまりいなかったと思う。
シアンなんか、それがすごく不満そうだったのに。

「僕はナナトと親しかったの?」
ナナトは微かに目を細める。
「どうかな? 僕はそれなりに親しい友人のつもりだったけど、当のミサキがどう思っていたか、僕にはわからないな」
確かにそうだ。
「じゃあ、僕は以前、君の事をなんて呼んでいた? 今、つい呼び捨てにしてしまったけど、良かったかな?」
その問いにナナトはフワリと笑う。

「ああ、それなら大丈夫だよ。君は以前も僕の事はナナトって呼んでいたよ」
「そっか」
以前の僕はそれなりにナナトと親しかったようだ。

「こんな事を聞くのもなんだけど、僕は他の人とも仲良くしてたのかな?」
「他の人?」
頭の中に何人かの人物の顔が浮かぶ。
「えっと、シアンとか、トーヤとかさ、強烈なキャラ達がいるでしょう?」
「ああ、あの人達か……」
考えるようにナナトは自分の顎を摘まむ。

「どうなんだろうね。僕から見たら、ミサキはみんなとそれなりに仲良くしていたけど……でもそうだね、一番一緒に居るのを見たのはシアンだったかな」
「え、シアンなの!?」
つい大声を出してしまった。

「今のミサキには意外?」
「えっと……その……」
正直に言って良いものか、返答に困っていたらナナトは優しく笑みを浮かべた。

「君が記憶障害と聞いて心配していたんだけど、どうやら以前より、逆に良くなったみたいだ」
「え?」
意味が分からずナナトを見つめる。
柔らかそうな髪に白い肌と美しい二重と細長の涼しげな目。
改めて見ると、ナナトは本当に美形だった。
百日紅の花の降る中に佇む彼は、それこそ絵画のようだ。

「それって記憶喪失の方が……今の僕の方が、前の僕より良いって意味?」
ナナトは髪にかかった花を軽く払って微笑む。

「せっかくの機会だからね、僕は暫く傍観させてもらう事にするよ」
「ちょっと待って。意味が分からないんだけど。ナナトは何か知ってるの? 記憶がない頃の僕と今の僕と、どう違う? 以前の僕は君に何か話してた?」
思いつくまま質問をぶつけたが、ナナトは何も答えない。
その様子にあせって、ついよけいな言葉が口をつく。

「もしかして、僕は誰かと付き合っていた? ナナトはそれが誰だったか知っている?」
一瞬だけナナトの目が細められたが、すぐに笑顔に戻る。

「そういうのも、僕の口から言う事ではないと思うんだ。君に好きな人がいたなら、記憶がなくても、また同じ人を好きになるんじゃないかな? 恋ってそういうものじゃない?」
その言葉は僕の胸に刺さった。記憶がなくても同じ人を好きになる?

「今日はこれ位にしようか」
言うとナナトは、今来た道を戻りだした。
背中を向けるナナトを、僕は追いかける事は出来なかった。




帰り道、僕はあえて裏門から出て、遠回りして寮まで歩いた。
考えるには丁度良かった。

おそらく、記憶がなくなる以前の僕はナナトと親しくしていた。
特別な秘密を共有する関係だったのだと思う。
それは僕の好きな人の事だろう。それをナナトは知っている。
でも今の僕は自分の好きだった人すら思い出せない。

ナナトはああ言ったが、果たして僕は本当に自分の好きな人を思いだせるんだろうか。
好きな人どころか、もしかしたらすでに付き合っていたのかもしれない。
トーヤは冗談だと言ったし、シアンは絶対ないって自分で決めつけてしまったが、もしかしたらあの二人だった可能性だってある。
「いや……」

トーヤはともかくシアンはないなと思う。
というか、今の僕には到底無理だ。彼を抱くとか、考えただけで気が滅入る。
「あとはナナト自身……」

さっき別れたナナトの顔を思いだす。自分が理想と感じる美形だ。
落ちついていて穏やかで、余裕がある振る舞い。
「でも、フミヤもちょっとナナトっぽいんだよね」

ビジュアルが大分違うが、性質的にはフミヤもナナトに近い。何よりフミヤと居ると居心地が良い。
それはやはり、いとこという血縁者だからなのだろうか。
とりあえず、今は考えても誰が好きだった人かピンとこなかった。
彼等と過ごしていくうちに自然と分かるだろうか? いや、分かってこないと困るんだけど。

「いや、困るのかな?」
顎を摘まんで考えた。今の僕には困る事はない。
でも付き合っていたのだとしたら、相手に失礼だ。
「やっぱり、思い出すしかないよな」

「さっきから何ブツブツ言ってんだ?」
ふいに聞こえた声に驚いた。
「う、うわ」
振り返るとトーヤがいた。

「さっきからブツブツ何か言いながら歩いてただろ? 正直、声かけるの怖かったよ」
「いや、別にそこは普通に声かけてくれて良いから。独り言聞かれてたら恥ずかしくて死ぬよ」
僕の言葉にトーヤはふきだした。
「なんか本当にミサキって感じしないな」
「え?」
トーヤは僕の隣に立つと、一緒に寮までの道を歩きだす。

「別に悪い意味で言ってるんじゃないぜ。ただ以前のミサキより正直になったなって思ってさ」
「正直?」
「ああ、そう。以前のミサキは、結構自分を抑えてた感じがあったけど、今のお前はそういうのがないからな」
「そんなに違うかな?」
「んー、俺は気にならないけど、気にする奴は気にするかもな」
シアンの顔が浮かんだ。彼は今の僕には不満そうだ。

「ま、あんま気にしなくて良いんじゃない? 記憶喪失って事情はみんな知ってるわけだし」
「うん……」
気にはなったが、とりあえずそう返事をしておいた。
「そういえば、なんでトーヤはこんな時間に下校なの? 僕のように学校を探検してたワケじゃないでしょう?」
「ああ、俺はデートだったからさ」
「え、デート?! トーヤ彼女居るの?!」
「彼氏かもよ」
ウインク付きの笑顔で言われた。
「あ、そうなんだ」
今の世の中、同性婚も認められ、男性同士なども恋愛形式として一般的ではある。
男子校でもあるし、比率的に言えば、ここではそちらの方が多いとしても納得できる。

「いや、そこ、ショックを受けて欲しい所だったんだけど」
「ショックを受ける理由がないんで」  
僕の言葉に困ったようにトーヤは自分の頭をかく。

「そういうトコは昔のミサキと変わらないよな」
「なに? 冗談だったの?」
「そうだよ。本当は委員会の仕事で遅くなっただけだよ」
「トーヤって見かけによらず、結構優等生なんだよね。そこが不思議だよ」
話していたら、あっという間に美術館のように重厚な寮に辿り着いた。
カードキーで正面のドアを開けて僕達は中に入る。更に玄関ロビーでもカードをかざし、話しながら進む。

「優等生って言うなら、ミサキもそうだったけどな」
フミヤにも言われていたが、僕は自分が優等生だったとは信じられない。
こう言ってはなんだが、結構ズボラで日和見的な性格だと思う。

「……本当に僕は優等生だったの?」
つい呟くように聞いてしまった。
トーヤはこちらを見て、一瞬考えてから答える。

「少なくとも、表面的には……っていうか、周りの人間はそう思ってたと思うぜ」
周りの人間は、か。
「まぁさ、周りにどう思われるとかさ、あんま気にしなくて良いんじゃない?」
「え?」
僕はトーヤの整った横顔を見上げる。

「俺とかさ、別に周りにどう思われようと気にしないぜ? 昔のミサキはさ、ちょっとそのヘン気にしすぎてたと思うんだよ。もっと自由に思ったまま生きる方が楽だと思うよ」
トーヤの言葉が沁みた。
僕はどうも周りの評価を気にしすぎるようだ。
昔の自分なんか知らない。これが自分だ。そんな風に堂々と過ごせたら方が、きっと楽だ。
「ありがと、トーヤ」
お礼を言うと、トーヤは顔を覗きこんできた。

「おやおや、今日のミサキ君は随分と素直じゃないか。もしかして、俺に惚れた?」
「いや、ないんで」
そっけなく言ったのに、トーヤは嬉しそうに笑っていた。

「ハハ、なんか、今のミサキは前より正直だな。このままキスしようか?」
「……意味が分からないんだけど。なんで突然キスなんだよ?」
「いや、今のミサキだったら、キスしたらどんな反応するのかなと思って」
「なにそれ、まるで昔はキスしてたみたいな、そんな言い方に聞こえ……」
言いながら思った。もしかして、過去の僕は本当にトーヤとキスしてるのか?
シアンだけじゃなく?

「うわー、過去の僕の馬鹿!」
頭を抱えて壁に打ちつけたくなった。

「おいおい、何をしだす? ケガするだろう?」
壁にぶつける寸前で、トーヤに止められた。
「ほらほら、かわいい顔が台無しだよ」
トーヤは僕に顔を寄せる。その近さにドキリとして一歩下がる。
「何かしたら、大声出すから」
その言葉にトーヤは笑った。
「キスなんかしないよ。だいたい、こんな誰が邪魔するかもしれない場所じゃ、襲わないって。襲うならやっぱり密室じゃなきゃな」
この人と二人きりになるのはやめようと思った。


階段でトーヤと別れた後、僕は考えた末に、シアンの部屋のドアをノックした。
「シアン、いる? ミサキだけど」
すぐに扉が開かれた。
「ミサキ?!」
僕の顔を見ると、シアンは花のような笑顔を浮かべた。
「わ、会いに来てくれたんだ。嬉しいな」
「……うん、その今朝のこと、ちょっと気になってさ」
「僕の心配してくれたんだね! さ、入って入って」
シアンは僕の腕をひっぱった。

以前と同じようにベッドに腰かけた僕に、シアンは紅茶を出してくれた。
相変わらず良い香りがして美味しかった。
シアンは朝とは違い、始終笑顔を浮かべ機嫌が良さそうだった。
「なんか、機嫌良いんだね」
「そりゃ、ミサキが遊びに来てくれたんだもん。嬉しいに決まってるよ」
シアンはさりげなく僕の隣に座る。
もうちょっと離れて座ってくれないかなと思いながらも、我慢する。

「朝は機嫌が悪かったでしょ。それはもう良いの?」
「それは、ミサキの隣に当たり前のようにフミヤが居たからじゃないか。いつもミサキの隣に居るのは僕だったのにさ」
「それって本当に?」
「え?」
シアンの顔色が変わる。
「どういう意味?」
「いや、だってフミヤは僕のいとこだよ。一緒に居ても自然だと思うし、むしろ君と仲が良いって方が不自然な気がするから」
シアンが小刻みに震えている事に気付いた。
失言をしてしまっただろうか。フォローした方が良いか考えていると、シアンは僕を睨んだ。

「君は酷い事を言うね」
怒りを湛えた目だったが、その目は少し潤んでいた。
「僕は嘘なんかついてないよ。ミサキはフミヤとなんか、ぜんぜん仲良くなかったよ。いつも僕と一緒だったのだって本当だよ。そりゃ、僕が付きまとってただけかもしれないけど、でもミサキは拒否なんかしなかった」
「……」
嘘を言っている感じはしなかった。
僕はシアンを疑って傷つけてしまった。

「ごめん、その……疑って」
「やっぱり疑ってたんだ」
謝ったが、シアンはもっと怒ってしまったようだった。両手をきつく握りしめている。

「そんな風に疑うなら、僕だって疑いたいよ」
「え、何を?」
戸惑う僕をシアンは睨みつける。

「君こそ、本当にミサキなの?」
「え?」
思いもよらない言葉に僕は固まる。

「何を言って……?」
「だって、そうじゃないか。今の君は以前のミサキと違いすぎるよ」
「以前の僕?」
「そうだよ、前のミサキはもっとクールで、淑やかで、黙っているだけですごく色気があった。なのに今の君はどうだい? ぜんぜん色気なんかないじゃないか! 確かに顔は同じに見えるよ。でも所作とかがぜんぜん違う。ミサキはもっと優雅だったし、優しかった。何より他人を気遣って僕が傷つくような事は決して言わなかった」
言い返せない僕に、シアンは更に詰め寄る。

「ねぇ、君は本当にミサキ? マナカ・ミサキなの? 確か君は実家に帰って事故にあったんだよね? それって本当? もしかして、別人と入れ換わったんじゃない?」
「え?」
予想外の発言に、一瞬呼吸が止まる。

「ねぇ、君は本当はミサキの双子の兄弟なんじゃない? 実家に帰省した時に、ミサキではなく双子の片われが、こっそり入れ換わった。ミステリーでよくある展開だよね?  そう考えたらさ、急に記憶喪失になった事だって、説明がつくよね。ニセモノなんだもの、今までのミサキの友人とかも分からないもんね。だから記憶喪失のフリしてんだ。ねぇ、一体どういうつもりでミサキと入れ換わったの? 何しにここに来たんだよ? ミサキは無事なんだろうね?」


胸ぐらを掴まれた。首が苦しい。
いや、それよりもシアンの言葉が、胸に突き刺さっている。
僕自身が、自分に自信を持てないからだ。
僕が本物のミサキなのか、僕自身にも分からない。

「言い返せないんだね。やっぱりお前はニセモノなんだ。ミサキを返せよ」
シアンは僕の胸倉を掴んだまま、激しく揺すった。
僕は彼の肩を押さえる。
「やめてくれ」
シアンの動きが止まる。

「確かに僕は君の言う通り、本物のマナカ・ミサキか、分からない」
「やっぱり」
「でも、待って」
僕はシアンの顔を見つめる。
「確かに僕には記憶がないから、本物かの自信はない。でも僕自身が、君や、他の人を騙そうって思ってここに来たわけではない事を信じて」
「……」
シアンはじっと僕を見ていた。僕が信じられるか考えているのだろう。

「はっ」
シアンは掴んでいた手を離して、僕を突き飛ばした。
「そんな言葉で、僕を騙せると思うなよ」
シアンはベッドから立ち上がった。そして僕を見下ろして言う。

「良いかい、僕が好きなのはマナカ・ミサキだ。いくら君がミサキと同じ顔していたってニセモノの君の事なんか好きにならないよ」

驚きながら、僕はシアンを見た。彼は思っていた以上に真面目な人なんだと気付いた。
ただ単にこの顔が好きなワケではない。一本ちゃんと筋の通った子だ。

「確かに、その顔は僕の好みだ。だけどね、誘惑して騙そうとしたって無駄だからね。僕はあんたがニセモノだって証明して、本物のミサキを取り戻すからね!」

不思議だった。
酷い事を言われた。僕自身のアイデンティティが揺らぐような言葉だ。
でもシアンの事が、ここに来る前よりも、好きになっていた。
彼は単に嫌な奴ではない。

僕はふっと息を吐いた。

「君の考えは分かったよ。僕が双子かどうか、入れ替えがあったかどうかは、僕にも分からないけど、でも僕が嘘をついてるワケじゃないって事は、君に信じてもらえるように、努力はする事にするよ」
「……勝手にしろよ」
僕は黙って立ち上がると、ドアに向かった。
「紅茶美味しかったよ。ご馳走さま」
それだけ言って、自室へと向かった。




部屋に帰ってからも、シアンに言われた事を考えていた。
僕が本物のマナカ・ミサキであるかどうか。そんなのは僕自身にも分からない。
病院で目が覚めて、そういう風に教え込まれただけだ。
でも、確認する事は簡単だ。
とりあえず、フミヤに聞くのがてっとり早いだろう。
彼が嘘をつくような人間ではない事を、僕は知っている。
まぁ、彼が真実を知らない可能性などもあるが、そもそも記憶喪失なんか、ふとした事で戻る事があるのだ。
誰かに騙されているという事もないだろう。

「いや、もしかして記憶喪失自体、クスリなどを利用して計画的に仕組まれた物だとしたら……」
顎をつまんで、しばらく考えた末に、バカらしいと思った。
そんなミステリーのような事は、現実には起きないモノだ。

今すぐフミヤに聞きに行こうかとも思ったが、疲れて面倒になった。
お風呂に入って早く寝よう。
こんなバカげた質問は、明日でも良いだろうと思った。





翌日。いつものように朝食を食べていると、目の前の席にトレイが置かれた。
顔を上げて驚いた。シアンだ。
「なんで?」
僕が呟くと、シアンは睨むように見る。
「なんでって、朝ご飯食べるんだよ」
「いや、そうじゃなくて、えっと……僕の前で?」
昨日、あれだけつっかかってきたのに。
「良いだろう、別に」
シアンは椅子に座って乱暴にパンに齧りつく。見かけに似合わず、相変わらず豪快な食べ方だ。
黙っているのも気まずいので、僕は話しかける。
「なんか意外だよ。てっきり無視でもされると思ってたのに」
シアンはじっと僕の顔を見る。
「えっと……僕の事、嫌いなんじゃないの?」
「嫌いだよ、ミサキじゃないもん」
「……」
「でも、その顔は好きなんだ。その顔見ないと、一日が始まんないし、ご飯も美味しくないからね」
相変わらずの発言に、すごい子だと思った。
でも以前のように、嫌な感じはなかった。なんだか憎めない。

「言っておくけど、僕から逃げられると思わないでよ」
「えっと……?」
「化けの皮はいでやる」
「……やっぱり疑ってるんだ」
「あと、ニセモノだからって、みっともない失敗とか発言とかも、しないでくれよ。僕のミサキの評判の落ちるような事されたら困るからね」
僕のじゃないだろうと突っ込みたかったが、堪える。

「僕の何がそんなに気に入らないの?」
スープを飲む手を休め、下から見上げるようにシアンはこちらを見る。
「とりあえず、顔以外全部かな。ミサキはっもっと優雅だし、僕に優しいんだ。お前なんか、意地悪だし、口悪いし、ニセモノ以外の何物でもないからね」
だったら構わないでいればと、言いかけてやめる。
きっと顔が好きだから無理だと、言われるだけだろう。

「面倒な子だね。君は」
僕の言葉にシアンはスプーンを落とした。
ショックだったのか、手がブルブルと震えていた。
僕はふっと息を吐いてから、両手を顔の前で組む。

「だから、なんとなくわかるよ。以前のミサキが、君と一緒に居た理由」
「え?」
「確かに君は面白いからね」
「ど、どういう意味だよ?!」
怒ったように言いながら、シアンの顔は赤くなっていた。
素直なんだな、と思う。
何でもバカ正直に口にする。そう、これはきっとシアンの美徳だ。

「以前のミサキがどう思ってたのかは分からないけど、僕は君の事、嫌いにはなれないみたいだよ」
「う……」
赤い顔のままシアンは黙り込んだ。
嬉しいのかな? 困ってるのかな? そう思って眺めていたら、突然手が伸びた。
「え?」
シアンは僕のお皿の上にあったプチトマトを、つまんで食べた。
「な、なに?」
「ニセモノの誘惑になんか、この僕は負けないんだからね!」
「いや、だからプチトマトは関係ないでしょ?」
「好物なんだよ!」
本当にこの子、面白すぎるよ。


食堂でフミヤに会えなかったので、教室で声をかける事にした。
「話があるんだけど、良いかな?」
僕が言うとフミヤは頷く。
「良いけど、どこか移動して二人きりの方が良い?」
「うん」
流石に察しが良い。
「じゃあ、放課後、君の部屋に行くよ」
「あ、念のためフミヤの部屋で良い?」
「念のため?」
「いや、うん、シアンが押し掛けてくるんじゃないかって気がして……」
「ああ、なるほどね。じゃあ、部屋で待ってるよ」
あっと言う間に約束が済んだ。
その後は他のクラスメイトも一緒に、普通の会話をして過ごした。



放課後、寮の自室に戻り、着替えてからフミヤの部屋に向かった。
すぐにドアは開かれたが、フミヤはそのまま廊下に出てきた。
「この部屋にいてもシアンは突撃してくると思うからね、別の場所に行こう」
「別の場所って?」
歩きだすフミヤを追いかけながら聞くと、フミヤは顔だけ振り向いて微笑んだ。
「つくまでのお楽しみだよ」

フミヤは寮の中にある図書室まで歩いた。
こんな場所で会話なんか出来るのかと思っていると、更に通路を進んで、ある扉の前に立った。
「実はここ、図書委員権限の鍵がないと開かない扉なんだ」
言いながらフミヤはカードキーを翳した。
基本的に学校関係のカードキーは一枚しか所持出来ない。
その一枚のカードにいろんな権限が付与される。
だから同じように見えるカードでも、持ち主によって入れる部屋が違っていたりする。

「すごいね、寮に自分だけが使える部屋があるなんて」
「委員会に参加してる人間の特権だよ」
「あれじゃない、好きな子連れ込み放題!」
「僕にそんな相手がいると思う?」
肩をすくめて言われた。
「いるんじゃないの? フミヤって誠実でモテそうなタイプだと思うもん」
「いやいや、そこは凡庸でつまらないって評価が正しいと思うよ」
僕の評価と世間の評価の違いが、ちょっと納得できない。

「この部屋は一応書庫なんだけどね、テーブルも椅子もあるから、図書委員限定の休憩スペースになっているんだ」
促されて僕は椅子に腰かける。
書庫が部屋中に並んでいるので、圧迫感はあったが静かで良い感じだと思った。
空調だってきちんと効いている。
「図書委員自体数が少ないから、誰かが入ってくる可能性はないから安心して良いよ」
「うん」
話しながら、フミヤはインスタントのお茶まで用意してくれた。

「で、話って何かな?」
向かい合って座ったテーブルで、フミヤは両手を組んで聞く。
「うん、僕の事なんだけど……」
頭の中で、シアンに言われた言葉を思い出す。
「えっと、僕が実は双子だ、なんて事ないよね?」
「え?」
フミヤは驚きで目を見開いている。

「実はさ、シアンに僕はニセモノじゃないかって言われてさ。万が一にも双子の入れかわりなんて可能性はないかなと思って」
「またシアンは、随分面白い事考えるんだね」
フミヤは穏やかに笑っている。その顔を見るだけで安心できる。

「僕が知ってる限り、ミサキは双子じゃないよ。まぁ、赤ちゃんの時に生き別れたなら、僕が知らない可能性もあるけど。でも、親戚の噂話を聞いても、どこかにそんな人物が居るとは思えないな」
「じゃあ、そっくりの他人とか」
「親戚の僕とミサキで、こんなに顔が違うんだよ。そう都合良く、区別が出来ない程ミサキに似た人なんかいないよ」
「そう……だよね」
ちょっと安心する。
「あとは、そう、僕が記憶喪失になったキッカケって、確かガケから落ちたんだよね?」
「え、う、うん」
フミヤの歯切れが悪い。もしかして違うのか?
「まさか、クスリでも使用して、故意に記憶喪失にされたって事はないよね?」
「そんな事はないよ!」
大声で否定された。
「じゃあ、僕が記憶喪失になったきっかけを教えてよ。僕はただガケから落ちたとしか聞いてないんだ」
言いながら思った。
「もしかして、誰かが僕を突き落とした可能性がある?」
「違うよ!」
またも激しく否定された。
フミヤは困ったような顔で髪をかいた。
「その、実はさ……」
僕はいよいよ真相が聞けるのかと、唾を飲み込む。

「君が落ちたガケって、ガケなんて言って良いのか分からない位、低い場所なんだよ」
「え?」
予想外の言葉に、頭が白くなる。
「そうだね、この寮の階段より、傾斜の緩い低い場所から落ちたって言えば分かる?」
「えっと、それはすごい低い場所ってこと?」
「山の斜面ではあったよ。僕と君の家族みんなでピクニックに出かけた、山に面した市民公園の中だけどね」
「市民公園……」
僕が思っていた事故とぜんぜん違った。ガケから落ちたなんて言うから、大自然の中を想像していた。

「あのゆるい斜面から落ちて、まさか記憶喪失になるなんて、本当に考えられないような事だよ」
「……僕は大分、イタイ子だったようだね」
まったく過去の僕は何をやってたんだ。
「いや、もしかしたら目眩でも起こして落ちた可能性もあるし、そんなただのドジッ子だったんだって、悲しそうな顔しないでよ」
「ドジッ子……」
フミヤにトドメをさされた気がした。

「じゃあ、僕の記憶喪失に事件性はまるでないんだね?」
「うん、クスリを盛られたりもしてないよ。何も食べる前、目的地につく前に君は落ちたからね」
やっぱりただのドジっ子だったのかもしれない。
僕は過去の自分の情けなさに、額を押さえた。
でもこれでハッキリした。

「つまり、やっぱりこの僕がマナカ・ミサキで間違いがないって事だよね?」
「僕はミサキがミサキである事を、疑った事はないよ」
力強い言葉だった。
フミヤがそう言ってくれるのなら、間違いはないだろう。
「ありがとう、フミヤ」
「どういたしまして」
微笑むフミヤに勇気をもらって、僕は部屋に戻った。


フミヤと別れたあと、僕は部屋でデータの参照をした。
コンピューターにIDカードを挿し込み、戸籍情報や医療情報を確認する。
そこにはフミヤに聞いた通りの事が記載されていた。
双子の兄弟もいなければ、事故に遭ってからの、病院での検査内容や期間などの差異もない。
フミヤの言った事を信じてなかったわけではない。こういうのはアナログとデジタル、両方で確認を取るのが基本だ。
「問題は僕の方だけか……」
コンピューター画面を閉じて、机に頬杖をつく。
家族も友人も、みんなが僕をミサキと認識している。ただ唯一、自分自身にその自覚がない。

「いや、シアンは僕を疑ってるんだよね……」
シアンを説得しようとしてるのに、当の自分に自覚がない。そんなので納得させられるのだろうか?
「まぁ、やってみるしかないよね」
僕は椅子に座ったままノビをすると、立ち上がってシアンの部屋に向かった。

ドアを開けたシアンは、僕の顔を見ると、それは嬉しそうに瞳を輝かせたが、すぐに首を振った。
「なんだよニセモノ、何の用だよ?」
「……顔がにやけてるよ?」
シアンは頬を両手で押さえて隠した。
「嬉しくなんかないよ」
言いながらドアを大きく開ける。どうやら中に入れって意味らしい。
「まぁ、その顔は好きだからね、顔がにやけてしまうのは仕方がないってものさ。不可抗力だ」
「不可抗力……ねぇ」
相変わらずの口調に苦笑しながら、以前と同じようにベッドに腰かける。

「君がニセモノって言うからね、証拠を持ってきてあげたよ」
先程プリントしたばかりの戸籍や通院履歴を彼に渡す。
シアンは軽くそれを眺めたあとで、ベッドに放り投げた。
「こんな紙切れじゃ誤魔化されないからね。僕は僕の目で見たモノや感じたモノを信じるんだ」
「見たモノ?」
「そう」
僕はシアンに顔を寄せた。
「う……」

シアンの顔が赤くなる。
「僕の顔、もっとちゃんと見て良いよ。これだけ近くで見たら、分かるんじゃないの? 僕が本物だって」
「う……美しいのは認める、よ。でも、だからって本物じゃあない」
「どうして?」
更に顔を寄せた。鼻がつきそうな距離だ。シアンの顔は益々赤くなる。
この調子でいけば、軽く丸め込んだり出来るんじゃないかと思う。

「僕は君の知ってるミサキだよ。ニセモノじゃない。ほら、目をそらさないで、ちゃんと見てよ」
言った瞬間、腕を掴まれた。
「違うよ! 言ったよね、見たモノと感じたモノを信じるんだ! だから……」
そのままベッドに押し倒された。シアンの顔が近付く。
「感じさせてよ。ミサキのキスで……」
「え?」
キラキラというか、ギラギラというかんじの、シアンの瞳が近付いてくる。
「ちょ、ちょっと、シアン、待った」
「嫌だ」
「ん……」
シアンは唇を押し付けてきた。
啄ばむようにキスを繰り返され、やがて彼の舌が侵入してくる。
「んっ」
すっかり彼のペースだった。押し返そうと思うのに、予想外に強い力で敵わない。
抱きしめられて身動きが出来ない。
キスなんかしたくなかったのに、今もしたいわけではないのに、甘いキスに頭がボーっとする。
望んでしたキスじゃないのに、気持ち良いなんておかしい。
そう思って目を開けたら、潤んだようなシアンと目があった。
心臓の音が大きくなった。
シアンは僕の上に跨った格好で、濡れた唇を指先で拭う。

「ヤバイ、どうしよう。すっごく興奮する」
「な、何言って……」
恥ずかしくて僕は顔を横にそむけた。
シアンはそんな僕の耳元で囁く。
「ねぇ、ミサキ。君も興奮した?」
「し、しないよ……」
シアンの顔を見ないで答えた。シアンは僕の耳に舌を挿し込む。
「ひゃっ……」
ビクリとする僕に、シアンはわざと息をかけながら言う。
「僕、このままミサキが欲しいな。ねぇ、抱いてよ……」
スっと高揚が収まった。
僕はシアンを突き飛ばす。

「僕はニセモノじゃなかったの?! 君はニセモノとこんなコトして良いの?!」
シアンは茫然とした顔をしていた。だがすぐにいつもの勝気な顔に戻る。
「本気になるなよ! ニセモノか確認してただけじゃないか!」
僕は体勢を整えながら訊ねる。
「確認てなんだよ?」
「そ、それは……簡単に僕に手を出したら、ニセモノだってわかったんだよ」
どういう意味だ?
暫し自分で考えてみる事にする。つまり……。

「……それって、普段からミサキにはまったく相手にされてなかったって意味?」
「そうハッキリ言うんじゃない!」
シアンは側にあったクッションを投げつけてきた。もう笑うしかなかった。



結局あまり実りのある会話も出来ないまま、僕は退却となった。
部屋から出る時、シアンはドアの前まで来て、小声で言った。
「その、明日も来いよな」
「え?」
シアンは若干顔を赤くしながら言う。
「別にやらしい事しようって意味じゃないよ。明日、実家からハーブコーディアルが届くから、それ飲ませてあげるよ」
「ハーブコーディアル?」
「ハーブを濃縮した液体。水やお湯や紅茶で割って飲むんだ」
なんとなく、聞いているだけで美味しそうに感じる。
「じゃあ、ご馳走になりに来るよ」
シアンの顔が明るくなる。
「うん、待ってるからな!」




部屋に帰ってからも、シアンの事を考えた。
キスをされてうっかり流されてしまった。ドキドキしたし、ちょっと気持ち良いと思ってしまったのは事実だ。
でもやはり違うのだと思う。
僕は彼に迫られて嫌悪感を抱いた。シアンを抱くなんて、考えられない。
「ごめんね、シアン」
やっぱり僕は、彼の事をそういう意味で好きだったワケではないのだと思った……。





翌日、フミヤと一緒に朝食を食べていると、目の前にまたシアンが座った。
「えっと、おはよう」
声をかけると、シアンはこちらを睨むように上目使いで見る。
目は鋭いんだけど、口元は笑みを堪えているような不思議な顔だ。

「おはよ、相変わらず綺麗な顔だよね、本当、顔だけだけど」
微妙な挨拶だ。褒められてるんだろうか。
フミヤがこちらを見る。

「最近の君達は以前よりも面白いね」
「そうなんだ? 僕からすると以前の方が想像も出来ないんだけどね」
フミヤはお茶碗とお箸を持って、食事をしながら話す。
「以前はいたって普通の会話しかしない、友人同士に見えたよ」
「今は友人に見えないってこと?」
「そうじゃなくて、今日みたいな軽口の応酬がなかったって意味。そうだね、簡単に言うと前は主従関係みたいに見えたんだ。ミサキが主人で、シアンが従っているというか、今の方が対等な関係に見えるかな」
「勝手な事言ってんなよ」
シアンが大盛りのサタダを食べながら、切り捨てるように言った。

「僕はこの偽ミサキの顔だけを見に来ただけなんだ。お前なんかと話すために来たんじゃないから、僕達の間に入ってくんなよ」
「おい、そういう言い方やめろよ」
僕が止めるとシアンはこちらを睨んだ。
「なんでこんな冴えないヤツを庇うんだよ?」
「失礼な言い方やめろって言っただろ。フミヤは大事な、僕のいとこで友人だ。だいたい最初に僕達が話してた所に、割って入って来たのはシアンだろう?」
シアンの顔が怒りに赤くなる。

「なんだよ、ニセモノのくせに、また文句ばっか言って。僕のミサキはもっとぜんぜん優しかったのに、ふぜけんなよ!」
シアンは席を立ちあがった。
今日は残ったサラダに手を出さず、そのままトレイを置いて立ち去る。
茫然とそれを見送り、暫くしてからフミヤが口を開いた。

「ごめん、僕がよけいな事言ったせいでシアンを怒らせちゃって」
「いや、いいよ。今のはシアンが悪いんだし」
なんでもないように、僕はご飯に再び箸をつける。でもあまり喉を通らない。
僕は間違った事は言っていないと思う。
でもシアンの傷ついたような顔が目に残っていた。
どうしてこう、毎日彼を怒らせてしまうのだろう。



休み時間、僕はフミヤと話してから廊下に出た。
向かった教室で、ドアから中を覗きこむと、目当ての人物は窓際で数人の生徒に囲まれていた。
彼に笑顔で話しかけるクラスメイトを見て、意外に人気があるのだなと思った。
知らないクラスではあるが、僕は気後れなしに中に入っていく。
どうせ記憶喪失だし、知り合いがいるもいないも、関係ない。
僕が近付くと驚いたようにシアンは顔を上げた。

「な、なに?」
僕はシアンの机に紙袋を置く。
「あげるよ」
「え?」
「朝は悪かったよ。間違った事は言ってないつもりだけど、君、ちゃんと朝ご飯食べられなかっただろう。だから君の残したサラダでサンドイッチを作ってみたんだ。お腹すいたら食べてよ」
言いたい事だけ言って、僕は振り返る。
「待って!」
振り返ると、シアンは席から立ち上がっていた。

「ねぇ、今日の昼休み、一緒にご飯食べようよ」
「え?」
戸惑う僕に、シアンは紙袋を掲げる。
「せっかくだから、これ一緒に食べたい」
訴えるような瞳に頷いてしまう。
「分かった。じゃあ、迎えに来るよ」
「うん!」
シアンは嬉しそうに笑った。曇りのない笑顔だ。今朝のような悲しそうな顔より、ずっと良いと思った。



昼休み。いつも一緒にお昼を食べていたフミヤに謝ると、意外な事を言われた。
「もともと僕はミサキ以外の人と食べてたし、気にしないよ。言ってなかったっけ? ミサキは以前、シアンとよく一緒にご飯を食べてたよ」
意外だった。僕はフミヤと食べていたんだと思っていた。

シアンは廊下で僕を待っていた。
「あっちで食べよう」
手を掴んで引きずられ、校舎の中を歩く。
「どこに行くの?」
「二人きりになれるトコ」
「え?」
大丈夫だろうか? ちょっと心配になる。

シアンは校舎から出ると、中庭のベンチに僕を連れていった。
「安心した? 密室じゃなくて」
「え、あ、いや……」
口ごもる僕を見て、微笑みながらシアンは紙袋を取りだす。
「これ、食べて良いんだよね?」
「うん」
僕は隣に腰を下ろす。
「美味しいか分からないけどね」
「普通サンドイッチ失敗するヤツっていないんじゃない?」
「……まぁ、そうだね」
僕は自分の分のお弁当を取りだす。
「自分の分は買ったモノなんだ?」
「二人分作る余裕はなかったからね」
「ふーん」
嬉しそうにシアンは僕の顔を眺めていたが、僕が食べだすと、自分のサンドイッチに齧りついた。
「うん、美味しいよ」
「それは良かったよ」
なんとなく恥ずかしくて、中庭の木々を見上げる。
大きな木があるおかげで、日射しが遮られて丁度良い。

「ねぇ、あんたは本当にミサキ……なんだよね?」
「多分ね」
シアンはサンドイッチを持ったまま、こちらを見る。
「じゃあさ、あんたが僕を好きになったら、ミサキも僕を好きになるって事だよね?」
「え?」
「だからさ、この僕の魅力で、お前をメロメロにしてやったら、ミサキも僕を好きになる。フフ、これで両想いってこと」
「……」
暫し考えた後で、僕は口を開く。

「逆なんじゃないの?」
「え?」
「シアンが好きなのは、前のミサキなんだから、今の僕に好かれたって意味ないんじゃないの?」
「そ、それは……いや、だから、お前が僕を好きになれば、自動的にミサキも僕を好きになるワケで……」
シアンはちょっと混乱しているようだ。

「でもそれじゃダメだと思うよ。君が求めてるミサキが今の僕じゃないんなら、今の僕をメロメロにしても
嬉しくないと思うし、きっと満足しないと思うよ」
「そ、そんなコトない! 今のお前が僕にメロメロになったら、僕は嬉しいに決まってるじゃないか!」
「え?」
「ん?」
微妙な発言だった事に僕達は気付いた。
シアンの顔が真っ赤になる。

「いや、僕は別に今のお前に好かれたら嬉しいって言ったワケじゃなくて、いや、う、嬉しいけど、そ、それは僕がお前を好きだって意味じゃなくて、あくまで前のミサキがいるからであって……」
なんだか胸がドキドキした。
告白……されてるんだろうか?
急にシアンは顔をあげで僕の胸ぐらを掴んだ。

「良いからキスさせろ!」
「え、意味がというか、流れが分からないんだけど?」
「良いんだよ! 僕がしたくなったからする! それが正義だ!」
「や、それってダメでしょう?」
「いいから、黙れよ」
シアンの顔が近付きキスをされた。
「ん……」

なんだか分からないが、以前のような嫌悪感はなかった。
シアンが口を離すまで、僕は身動きが出来なかった。
唇が離れ、目を開けるとシアンは赤くなった顔で僕を見ていた。
「なんか、すごい胸が苦しい……」
「僕に言われても」
「お前のせいだ。このまま、あんたを滅茶苦茶にしてやりたい」
「それってどういう意味だよ?」
「わかんないよ。でも……」
僕のシャツを掴んでいるシアンの手が微かに震えている。

「ベンチに押し倒して、服をむいて、触って……僕を受け入れさせて泣かせてやりたい」
僕は溜息をつく。
「それって、また僕に抱かれたいとか、そういう話?」
「だ、抱かれたいっていうか、滅茶苦茶にしてやりたい……」
シアンは赤い顔を隠すように手の甲で顔を押さえる。
困った。
だって僕はシアンの気持には応えられない。シアンを抱くだなんて。

「シアン、僕は君のことは……」
「わー! よけいな事は言うな!」
シアンは僕の体から離れた。

「僕がショックを受けそうな発言は絶対すんなよ! 傷ついたらどうしてくれるんだよ?!」
滅茶苦茶な言い分だ。でもそれがシアンっぽくて、かわいいと思ってしまった。
僕は自然と笑ってしまった。

「もういいから、ご飯食べちゃおうよ」
シアンはおとなしくその言葉に従った。
なんだかいろいろ複雑な昼休みだった。



放課後。僕はフミヤと寮への道を歩いていた。
学校から寮までは徒歩で10分とかからない。

「昼休み、シアンと仲直りできた?」
「うん、多分、一応……」
俯きながら歩いていると、フミヤが言う。

「今のミサキは、以前よりシアンと仲良く見えるね」
「え?」
意外な言葉に顔を上げる。

「確かに昔の君達も仲良さそうではあったけど、なんて言うか、ミサキは心を開いてなかったんじゃないかなって思う。今のミサキは素で彼に接してるでしょう? でも昔はもっと表面だけで付き合ってた感じがするよ。彼の機嫌を損ねないように気遣いながらも、適当にあしらってたって感じ」
「……でもシアンは昔の方が優しかったって言ってたし、今の僕には不満みたいだったよ」
「そうかな?」
フミヤは穏やかに微笑む。

「シアンからしたら、今のミサキの反応の方が嬉しいんじゃないかな?」
「なんで? 今の僕は昔みたいにシアンを気遣って、合わせてあげてないよ?」
「でも正直に何でも話してるでしょ? そう言うの嬉しいと思うよ?」
「そう、かな……」
以前の僕ではなく、今の僕も認めてもらえたら嬉しいんだけど。




寮での夕食時、食堂でご飯を食べていると、横にナナトが座った。
「隣、良いかな?」
頷きながら、相変わらずのナナトの美貌に少し見惚れる。
「最近はシアンと上手くいってるようだね」
ご飯が喉に詰まって咳きこんだ。

「えっと、仲良いかどうかは分かんないけど……今朝も怒らせちゃったし」
「そうかな? ケンカ出来るだけ、以前より、言いたい事が言いあえているように見えるよ」
フミヤと同じ事を言う。でもその言い方が気になった。
やっぱり、ナナトは何か知っているのだろうか?

「昔の僕達は、言いたい事が言いあえてなかったって事?」
「シアンは言えていたけどね」
「つまり僕は言えてなかった」
「そうだね……」
僕は黙っていられなくて訊ねる。
「ナナトはもしかして何か知ってるんじゃないの?」
「何かって?」
ナナトは僕の視線を避けるように、トレイの上のサラダにドレッシングをかけている。
「何かって……」
それは意図せず発せられた言葉だった。

「僕の記憶喪失の理由」
ドレッシングをかけていたナナトの手が止まった。
ナナトの驚いた様子に、こちらの方がビックリしてしまった。
ナナトはフっと溜息をつくと、僕を見た。

「ちょっとビックリしてしまったよ」
「それってやっぱり、記憶喪失の理由を知ってるって事?」
「どうだろう? これは勝手に僕がそう思っているだけだからね」
ナナトは再びサラダに視線を向けたあとで、微笑んだ。
「ドレッシング、かけすぎちゃったね」



結局、食事の間、ナナトは僕が知りたい事を教えてはくれなかった。
けれど僕が席を立つときに、意味深な事を言われた。
「降参するなら部屋においで。全部を教えてあげるよ」と。
ナナトは一体何を知っているのだろう?



約束をしてしまったので、いつシアンの部屋に行こうか悩んだが、結局お風呂も済ませ、すべての用事が終った就寝前に訪ねた。
ドアを叩くとすぐに扉が開かれ、ちょっと所じゃなく、大分ふくれた顔のシアンが出迎えた。
「遅いよ! もう来ないかと思ったじゃないか!」
「えっと、ごめん」
つい謝ってしまった。なんだか、最近シアンのペースにすごく流されている気がする。
「ハーブコーディアル届いたから、一緒に飲むの楽しみに待ってたんだから」
「うん」
シアンは僕を見て顔を寄せた。
「じゃあ、謝罪のキスしてよ!」
「え?」
シアンは僕の肩を掴んで、力ずくでベッドに座らせる。
上から見下ろされ、なんか緊張した。

「キス、するからね」
言って顔が近付く。心臓の音が大きくなる。
「やっぱ、それは違うでしょ?」
僕はシアンの顔を押さえた。意図せず、シアンの顔を歪めてしまった。
「この僕の自慢の顔を変顔にしたね」
殺気を感じた。
「ご、ごめん、ワザトじゃないんだ」
「ワザトじゃなきゃ良いってもんじゃないんだよ! どうしてくれるんだよ、ミサキに変顔見られたじゃないか!」
「当のミサキ、この僕が気にしないんだから良いじゃないか?」
「良くない! ミサキには完璧にかわいい僕の顔だけを見てて欲しいんだよ」
「えっと、そんな鬼のような形相も良くないと思うよ」
「!」
シアンの顔が引きつった。
「マジむかつく! 犯す!」
シアンに押し倒された。
「ちょ、ちょっと待った!」
「何が待っただよ! 待てないね! 今すぐ犯す、マジで泣かしてやる!」
シアンは僕のTシャツをめくりあげると、素肌を撫でる。
「なにこれ、超気持ち良い肌触り……」
シアンの手は僕の胸をまさぐり、乳首に辿り着く。そこはすぐに固く尖る。
「すごい、すぐに立った……マジでかわいい……」
シアンはそれを口に含む。ビクリと僕の体が跳ねる。

「ちょ、シアン何してるの?! 君は僕を抱く気なの!?」
叫んだら、シアンの動きが止まった。
むくりと起き上がると、シアンは青い顔で額に手を当てた。

「僕は何をやってたんだ……」
正気に戻ったようで、安堵の息をついた。するとシアンが僕を振り返る。
「今のはなしだからな!」
「う、うん……」
「僕がミサキに抱かれる日まで、他の奴に押し倒されたりすんなよ!」
「う、うん……ん?」
いや、最後のセリフは頷いちゃダメだよね。
シアンは気を取り直したのか、お茶の準備に取り掛かっていた。

「暑いからね、ハーブコーディアルの炭酸割りにするよ」
「うん」
「今日はラズベリーローズ。明日も来たらアップルジンジャーをいれてあげる」
明日も来いと誘われてるんだろうか?
シアンは赤色の綺麗な炭酸水を作ると、僕にグラスを渡した。
「ありがとう」
お礼を言ってから一口飲む。甘みがほど良く炭酸で割られ、ハーブの苦みもない。
「うん、美味しい」
つい満面の笑みになる。
「フフ、ミサキはそれがお気に入りだったもんね」
「お気に入り……」
どうやら僕は過去にも、これをシアンにご馳走になっていたようだ。
記憶がなくても、好みは変わらないのだろうし、味も記憶しているようだ。
確かに僕は、この味を知っている。
「お菓子もあるよ」
シアンはクッキーの箱を取りだした。
「これもミサキ、好きだったでしょう」
渡された格子柄のクッキーを見て思う。
ハーブコーディアルもクッキーも、僕の好きなモノを、家から取り寄せてくれたのだろうか?

「ね、美味しい?」
見上げてくるシアンに頷く。
シアンは僕を喜ばせるためにこれを用意してくれた。そう思うとなんだか胸がいっぱいだった。


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