おみや

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 昨日は手を繋いで眠りについたはずだった。



 カーテンの隙間から朝日が指す部屋で、うまく回らない頭で隣を見る。



「なに、これ?」



 彼が居た場所には、両手で抱きかかえても手が回らないほどの卵があった。



 真っ白な卵に手を触れるとほのかに温かい。
 彼が来ていた服がその下に敷かれ、まるで卵の巣のようになっている。



 周りを確認すると、彼の財布や靴、すべてが部屋にあり。
 居ないのは彼だけだった。


 もしかして、彼の冗談やいたずらかと部屋を探してみたが、いつまでたっても彼が出てくる事はなかった。



 食事も家事もすべて彼がやっていた為、何日かしたら食べるものがなくなってしまった。



 卵に変化はない。




 外に出ようとして、体の匂いを嗅ぐ。
 前に風呂に入ったのはいつだっただろうか。
 頭を触ると、べたりと皮脂が手にこびりつく。



 床は何か白い欠片が落ちており、足がざらざらとしている。



 浴槽のないシャワールームで、丁寧に体を洗う。
 心地よいお湯が、体の中の汚れまで流れ落としてくれるようだった。



 彼の財布を掴み、久しぶりに外に出る。
 



 外に出るのはどれくらいぶりだろうか。
 太陽の光に目がくらむ。




 スーパーで調理のいらない菓子パンや飲み物をカゴに放り込んでいく。



 思ったより荷物になってしまった。
 使わない筋肉がギシギシと悲鳴を上げている。



 家までの帰り道が、まるで砂漠に足を取られているかのように重たい。




 持って帰れないし…。捨てちゃおうかな。




 そんな事を考えていると、誰かが言い争う声が耳に届いた。



「お父さん!待ってよ、お父さん!」


 体格のいい男性の腕に必死に縋り付く男の子は、両目から涙を流していた。


「お母さんが変なんだ!お願いだよ!お父さん!一緒に見てよ」


 お父さんと呼ばれた男は、男の子に視線を合わせると申し訳なさそうに頭を下げた。


「お母さんは、病気なんだ。それに、お父さんとお母さんはもう一緒に暮らしていけないんだ。だから、お母さんの事、頼んだぞ」



 男の子は、いやいやと首を横に振る。



 近くで車のクラクションが鳴る。
 運転席の女は、少しイライラしている様子で父親を手招いていた。



「じゃあな、お父さんもう行くから」



 そう言って足早に立ち去ると、さっと車に乗り込んだ。


「お父さん…。お母さんを助けてよ…」



 困った。
 男の子の前を通らないと、中に入れない。



 なるべく、視線を合わせないように自然に通り過ぎようと横を通ると、ガバッと顔を上げた男の事目があう。



「お父さん!?」


 明らかにがっかりした様子に、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「あの…大丈夫?」

「お母さん、お母さんが…」

「お母さん、病気なの?」

「わかんない。分かんないけど、変なんだ」

「変…?」

「お姉ちゃん!お願い、お母さんを見て!」


 そういうと、勢いよく手を引っ張って中に入ろうとする。


「僕の名前は幸多。幸せが多いって書いてコウタ。お姉ちゃんは?」

「私は…ナオ」

「さっきの見てたよね…」

「あ、うん」

「お父さんがあの女の人と一緒に会うようになってから、お母さんは変になっていったんだ。突然泣き叫んだり、暴れ出したり。かと思ったら、まるで人形みたいにまったく動かなくなったり…」

「お父さん、その…」

「浮気だよ。小学生だってそれくらいわかるよ」

「そっか…」

「お父さんが浮気したのが先か、お母さんがおかしくなったのが先かは分かんない。でも、お母さんがおかしくなってからは、ますます家に帰ってこなくなって、生活費だってお金をポストに入れるだけになってるんだ」


 二つ下の階でエレベーターが止まると、幸多は家の鍵をポケットから取り出した。


「僕の家、ここ」


 綺麗に整えられた玄関は小さなフリージアの花が飾られている。
 先ほどの父親と幸多。そして、笑顔の女性の写真が飾られていた。


「これ…」

「うん…。僕のお母さん。元気だった時の…」


 そう言うと、幸多は部屋の中に入っていった。


「幸せそう…」


 この写真を撮ったのはいつなのだろうか。
 大きく口をあけて笑っている三人の写真は、幸せそうで。


 何年後かにこの幸せが壊れるなど、夢にも思っていないのだろう。



「お母さん、ただいま」


 ピンクのセーターを着せられたそれは、外から入る光をその白い体で反射させるように輝いていた。



「これが僕のお母さん…」




 優しくそっと手を触れる幸多はそう寂しそうにつぶやいた。


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