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第二章
魔法
しおりを挟む――ナベリア冒険者ギルド救護室。
負傷したケイスを治療するため、精霊門で一気に南門そばまで飛んだ私達は、ギルド内の救護室に来ていた。
ケイスをそっとベットに寝かせる。
外では気が付かなかったが、こうして見ると大小様々な傷が体中についていた。
どうしてこんな事にと思うが、原因は明白だった。ノーニャが彼を置き去りにしたのだ。
「だって絶対怪しいもの」とは理由を聞かれた彼女の第一声。曰く、「背中を見せられないくらいなら、一緒に居ない方が良いでしょ?」との事らしい。
私はそんなのありかと思ったが、リリアさん的にはそんなものらしいので、おそらくこの世界的には自己防衛としてありなのだろう。
「で、どうするんですか?」
「残念ながら、どうしようもないですね」
「え……?」
あまりにも平然としたリリアさんの様子に驚く。
世界が違うからと言って、これ程までに価値観が違うものなのだろうか。
視線を落とすと、木製の本体に毛布を敷いただけの簡素なベッドにケイスが寝かされている。まだ目を覚まさない彼の体には無数の生傷があり、未だ流れ続けている血液が衣服を赤黒く染めていた。
痛々しい彼の姿に顔を顰め、
「何かこう、魔法とかで何とかならないんですか?」
「なりませんね。勿論、冒険者ギルドでは職業柄こういった事もままあるので、教会から神官を呼ぶことも出来ますが、この時間ではもう……取り合ってはもらえないでしょう」
そう言ってリリアさんが見た窓の外は、すでに暗闇に飲み込まれつつあった。
「そもそも、神官を呼べたとしても彼にその対価が払えるとはとても思えません。まあ、彼の事を思うなら、小さな切り傷に塗り薬を付けるぐらいが精々ですね」
「そんな……」
この世界の塗り薬がどんな物か知らないが、おそらく彼女の言う薬とは、民間療法の域を出ないような、おまじない程度の物だろう。
私が刻々と過ぎていく時間に焦りながらも何か無いかと思考を巡らしていると、
「タガヤ、なんでそんなに気にするの? そもそも、この男はこうなる事が分かってて付いてきた筈なのよ?」
ノーニャが不思議そうな顔をして、言い含めるように諭してくる。
こう言うと違和感を感じるかもしれないが、私は別に人が傷付く事や死ぬことに対して、それ程感情的になる質ではなかった。
そもそも、そんな事を一々気に掛けていたら精神が持たないかったのだ。
しかし生まれ変わってからこっち、精神が体に引き摺られているのか何なのか、感傷的になる事が増えた気がする。勿論敵対した相手に対してではない。ケイスのように何となく納得がいかない事など、前世の感覚でいくとグレーな部分でよくある気がするのだ。
「そうですね。能力的に自分と釣り合うパーティーに入るのは常識ですし、足を引っ張った人間を安全のために見捨てるという事は度々あります。それに今回の場合、受けた依頼の量から単独行動をする事になるのは分かっていましたし、受注する際にも注意をした筈なので、完全に彼の判断ミス、要は自業自得です」
淡々としたリリアさんの説明に対し、私の中で腹立たしさよりも先に疑問が膨らんだ。
「何でそんなに冷静でいられるんですか?」
私の知るリリアさんは生真面目で融通が利かないものの、一方で新米冒険者の死亡率に心を痛めるなど、情には厚いイメージがあった。
「そうですね……ギルドの受付嬢だから、ですかね。仕事柄、こういった事には耐性がありますし、先程も言いましたが、何より彼が自分で選んだことですから――って、そうでも考えないとやってられないじゃない」
そう言って目を伏せるリリアさんの表情は、どこか物悲しそうだった。
救急車や救急外来どころか、まともな医療や薬の類も何も無い事がひどくもどかしく感じる。
――魔法が使えたら。
思考が同じようなループから抜け出せず、ふいにそんな事を考える。
「ん? ……んんん?」
――何で魔法が使えないんだ?
ちょっとした疑問。だが、意識しなければ考えることがなかった。
今だ私にとって魔法とは神頼みに近いイメージなのだが、コルトー家の書庫で出会った司書の話や魔術書の内容、それにラノベの知識を組み合わせ、精霊達に教わった事を加味すると、朧気ながらも形が見えてくる。
後はもう、やってみなければ分からない。
「あの、リリアさん。確認したいんですけど、神官ならこの傷を治せるんですか?」
「え、ええ、たぶんね。けど、回復魔法を使ってもかなり時間が掛かるからお金も相当掛かるし、何よりもう神官は――」
リリアさんの言葉を「いえ、それだけ分かれば十分です」と遮って、私は普段使わないような大きさの魔力を練り始める。
「ジミー!?」
途端にノーニャが驚いて声を上げる。
「偽名で呼ぶのを忘れてるよ」と心の中で苦笑しながら、どんどん魔力を強めていく。
魔力で魔力の分散を押さえ込み、力尽くで強化していく感じだ。
流石にリリアさんも気が付いたのか慌てた様子で、
「ちょ、ちょっとタガヤ君、何してるの!? すぐに止めなさい!!」
「そうよ、そんな事したら――」
慌てる二人に「大丈夫、無理はしないから」と言って、作業を続ける。
心配してくれている二人には悪いが、これは自分のためでもあるのだ。決して無理はしないつもりだが、止めるつもりもない。
そもそも私は魔法が使えないと思いこんでしまっていたからか、今まで一度も「魔法」と言うものを使おうとした事がなかった。それは魔力という物が理解できず扱えなかったからであるが、幸運と言うべきか何と言うべきか、既に私はルチアによってそれを”分からされ”ていたのだ。
「そろそろいいかな?」
騒がしい外野を意識の外へと締め出して、更に集中――集中――集中……。
周囲の音も何もかもが意識の外へと締め出され、時間感覚が延伸する。
魔力を手に集中してケイスの傷に手を近づけ、先ずは砂などの異物の除去を行う。
生理食塩水にて何度も洗浄するイメージを可能な限り具体的にしていくと、初めは少しずつ、次第にイメージした通りの現象が起こった。指の少し先から次々透明な液体が現れては、傷口を洗い流していく。
――よし!
ここまでくれば、後はもう障害となる事など無い。一つずつ丁寧にやるだけであるが、ふとある事が頭を過る。
狂犬病――それは恐ろしいまでの致死率を誇り、生き長らえたとしても重篤な後遺症を残す疾患。私も海外で野良犬に噛まれた時、ワクチンを打っていても泣きそうになりながら病因へと駆け込んだ覚えがある。
――消毒しておくか。
急な不安に駆られた私は、傷口に消毒薬を掛けると共に細菌やウイルスが入り込んでいないことを祈った。
その後は、傷口の組織を深層から浅層へと順に縫合していく様なイメージで、筋肉――筋膜――血管――上皮と一つずつ組織をくっつけていった。
最後に傷痕をなぞるようにして消していく。
「できた……」
まだ多くある傷の内のたった一つを治しただけだが、それでもやれることがある、何をすればいいか分かると言うのは、精神的にかなり救われる。
そして魔法だろう現象を扱えたのは大きな収穫であると共にとても嬉しい事でもあり、ケイスの事が無かったらきっと跳ね回って喜んでいただろう。
ふとノーニャやリリアさんの反応が気になって顔を上げると、
「プっ、何その顔」
二人して目を剥き、あんぐりと口を開けて先程治した傷の場所を凝視していた。
私が声を掛けたことで、ワンテンポ遅れて二人が再起動する。
「ちょっとタガヤ君!」
「ジミー!」
「「どういう事か説明して!」」
まるで姉妹か母娘の様な反応で、二人が同時に詰め寄ってくる。
「うーん……何かできちゃった」
「できちゃったって……」
「全然説明になってないじゃない!」
私の曖昧な返事にリリアさんは呆れ、ノーニャはぷりぷりと怒っていた。
こういうところは違うんだな等と下らない事を考えつつ、
「まあ、細かい事はこれが終わったらということで」
そう言って、返事を待たずに再び集中状態に入っていくのだった。
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