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Road to nowhere

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行く道の先は見えない
ただ、いつか、歩んできた道を振り返ることでしか、人は道を知ることはできない
そして、自分がいま立っている場所を知ることも。
故に、すべての道はどこへ行くとも知れぬ道である。
 
「……ミナが、アンタレスに……!? マジかよ」

 一方地上では、セトミとショウらが情報の交換を終えたところだった。

 現在の状況を聞いたショウは、顔をしかめてぼりぼりと頭を掻く。面倒なことになったときの彼のいつもの癖である。

「アップタウン――――上層街に乗り込んで、やつらの親玉から女の子を奪還するなんて、国家ひとつにケンカ売るようなもんだぜ。ここらとは違って、あそこの連中は高度に組織化され、訓練も受けてる。一筋縄じゃいかないなんてレベルの話じゃねえぞ」

 延々と頭を掻き続けるショウを見てから、アリサがにっこりと微笑み、今度はセトミを見た。

「でも……セトミちゃんは、行くんでしょう?」

 アリサのその問いに、腰に手を当て、胡乱げな表情でセトミは笑う。

「私が暴走したとき、あの子には助けてもらっちゃったしね。猫だって、結構受けた恩義には報いるのよ?」

 少々おどけながら言うセトミが、ふと、視線を背後にそびえる巨大な建物群に向ける。

 上層街――――それは、まるでビルの密林であった。中央にそびえる、もっとも高いビルを中心に、その他の形を留めたビルとを、通路でつなげている。上層街の端々に至るまでつなげられたそれは、上空から見ればまるでクモの巣のように見えることだろう。

 不穏分子が生まれぬようにという名目で作られたその通路は、その建物群自体をひとつの街……いや、要塞へと変えていた。

「……はぁ。ま、そう言うと思ったけどよ。まあいいさ、俺だって一度は捨てたこの命だ。最後までつきあってやらあ」

 そう言って笑うショウに、セトミも微笑んでうなずく。

「私はセトミちゃんが行くのならば、行き先が天国でも、例え地獄でも着いていきますよ」

 セトミの微笑みに、アリサもにっこりと笑みを返す。

「よーし、それじゃ早速……」

 背後……数キロほど向こうにそびえる鉄の城をにらみ、セトミが雄たけびを上げようとしたそのとき、それを制するものがあった。

「まった!」

「なによ、ドッグ! ちゃちゃっと行って、ミナを早く解放してあげなきゃでしょ!」

 噛み付くセトミをよそに、ショウはその腕にはめられたメディカルデヴァイスへと目を向ける。

「おい、エマ。通信、まだつないでるか?」

 その言葉に、セトミが気勢を削がれたような顔で、つられてデヴァイスを見る。

「はい。つないでいます」

 デヴァイスから響く穏やかな声は、確かにエマのものだ。

「さっきセトミが言ってた、ミナを神として覚醒させるシステムってのは、彼女が完全に取り込むまで、どのくらいかかる?」

「そうですね……いくらファースト・ワンといえど、その情報量は絶大なものです。最短でも、三日はかかるでしょう。ただ……、早く救出したほうがいいのはもちろんですが」

 その言葉に、セトミが腰に手を当て、ショウに詰め寄る。

「ほら、やっぱ急いだほうがいいじゃない。早くしないと、ミナが本当にあいつの思惑通りに……」
 その最後の言葉をセトミは言わず、飲み込んだ。口に出したら、なんだかそれが現実となってしまうような気がして。

「わかってるさ。だが、相手はこの街を仕切ってるヴィクティムだ。ノープランで勝てる相手じゃない。それなりに、準備が必要だ。俺たちが倒れりゃ、それこそやつの思い通りなんだぜ」

「セトミちゃん、気持ちはわかりますが、今回ばかりはショウさんに賛成です。焦ってことを急ぐなんて、セトミちゃんらしくないですよ」

 二人に諭され、口を尖らせながらも、セトミは渋々といった様子でうなずく。

「……あーはいはい、わかったわよ。で? 準備ってのは何をどうするわけ?」

「まずは物資の調達だ。いくらアリサのギャングがいるっつっても、向こうに比べて装備でも、弾薬でも、薬でも劣ってると見ていい。アリサはギャングどもとバザーに向かって、できるだけそれらの調達を頼む」

 ショウの指示に、アリサの表情がにやりと歪む。

「つまり、略奪行為をしてこいってことですね? それなら得意中の得意です」

「……すこぶる人聞きが悪いな。もうあそこに残ってる人間なんざいねえから、使う人がいないことだし、ちょっとばかり拝借するって言ってくれ。無駄に血は流すなよ」

 渋い顔のショウに、アリサは歪んだ笑みを崩さない。

「残念ですが、それは保障できかねます」

「その間、私たちはどうすればいいわけ?」

 セトミの質問に渡りに船とばかりに、アリサの言葉を聞こえなかった振りをしつつ、ショウが答える。

「俺もバザーへ行く。ちょっとした奥の手に心当たりがあってな。セトミ、お前は一旦、シャイニー・デイに戻れ。そのデヴァイスと端末、エマを接続して、彼女にデヴァイスを操作してもらうんだ。できるな、エマ?」

「はい。メディカルサポートのシステムも私は組み込んでいますから、問題はないかと」

 その答えに、ショウは満足げにうなずく。

「よし。セトミは接続が完了したら、テストもかねてエマに治療してもらえ。なんだかんだで、戦いっぱなしだったからな。疲労も蓄積してるはずだ。回復を優先しろ」

 ショウの言葉に再び口を尖らせながらも、セトミはうなずく。

「ところで、さっき言ったけど、真っ向勝負じゃ分が悪いんでしょ? なにか考えはあるわけ?」

 腕を組みながら言うセトミに、ショウが自信ありげに野生的に笑う。

「俺にちょっとしたプランがある。うまくすれば、ガチで戦争なんぞしなくても、やつらの親玉を……」

 そう言って、彼は自らの親指でのど元を掻っ切る仕草をして見せた。

「そのためにもっとも重要なのは、お前さんの働きなんだ。だから、しっかり治療を受けて、体力を回復させてくれ。頼んだぞ」

 言うことを聞きやしない子猫に言い聞かせるかのように、ショウが念を押す。その様子に、苦い顔で舌を出して見せながらも、セトミは首を縦に振った。

「よし、決行は明日の夜だ。それまで各自、今言った準備に当たってくれ」



 
 一時間ほど後、セトミ、ショウ、そして通信をつないだままのエマは、シャイニー・デイの一室にいた。端末のロックを解除し、エマと接続するためだ。

 すでに日もとっぷりと暮れ、窓からは満月に程近いそれがのぞいている。あまり上等とはいえない裸電球の灯りのもと、ショウは一心不乱に端末を操作している。

「それにしても、ばっかじゃないの? システムロックして、自分は軍に一人で挑んで死ぬつもりだった、とかさ。男ってそういうとこ、根性足りないよね」

 呆れたようにセトミが言うのは、ショウが端末をロックし、他者に操作できないようにしてから、死ぬつもりで戦いに出向いたことだ。ショウとしては隠しておきたかったのだが、端末のロックについて説明するには、正直に言わざるを得なかったのだ。

「ぎゃあぎゃあうるせえな……。まだケツの青いメス猫に、男のなにがわかるってんだ」

 対するショウは、端末の解除作業を進めながら、くわえたタバコのフィルター付近を、苦い表情で噛み潰している。

「わかるわよ。男は何のために死ぬかに意味を見つけるけどね、女は何のために生きるかに意味を求めるの」

 不意にまじめな顔になったセトミの脳裏を、ロウガの最期の表情がよぎった。そのセトミを横目で一瞥し、ショウがふんと鼻から紫煙を噴き出した。

「ま、それはともかく、私にうそついて死ぬ気だったなんて、許さないからね。金輪際、ドッグのそういう発言は一切、信用しないから」

「おい! 命がけで守ってやろうとした相手にその扱いはいくらなんでもひでえんじゃねえか!? マジだったんだぞ、マジ!」

 思わず作業を止めてがなるショウに、セトミはまさにチェシャ猫の笑みといった不敵な笑みを返して見せた。

「そうね。だから、今度から勝手に死ぬなんて決めないこと。ドッグは私の相棒なんだから、勝手に死んだりしたら許さないんだから」

「……けっ」

 笑みを崩さないまま言うセトミに、ショウは不機嫌そうにタバコを灰皿に押し付ける。だが、その表情はどこか安堵したように、穏やかなものだった。

「ちなみに、勝手に死んだらあだ名をドッグから、犬死に野郎のドッグに変更ね」

「それはやめろ」

 再び苦い表情になったショウが、セトミの冗談を振り切るようにして、端末の操作速度を上げる。やがて、小さな機械音とともに、システムのロックを解除した旨の文章が画面上に映し出された。

「よし。後は、デヴァイスをつないでエマの情報をユーザー登録すれば作業は完了だ。エマ、聞こえるか? 今からデヴァイスをメディカルシステムの端末に接続する。その回線を通して、そちらの情報をユーザー登録してくれ」

「わかりました」

 慣れた手つきでショウがセトミの腕から、一旦、デヴァイスを外す。そして端末から太いコードをつなぐと、ものの十数秒でエマがユーザー登録されたことを示す文章が表示された。

「へー、ドクターの登録って、案外簡単なのね」

「この場合は、向こうがデータによる存在みたいなものだからな。しかし変だな。こういうケースの場合、もっと早く登録が済んでもいいはずなんだが……」

 感心したように言うセトミに、ショウが解説しつつも、眉根を寄せる。

「単純にデータの量が多いんじゃないの? 擬似人格OSなんて、相当の容量食うだろうし」

「うーん、まあそうなんだが……まあいいか。たいしたことじゃない。早速だが、テストを兼ねて、セトミの治療を始めてくれ。メディカルサポートのシステムがあるなら、俺なんぞの助言はいらないな? エマ」

 ショウの問いかけに、エマがデヴァイスから返す。

「はい、問題ないかと。薬物が不足するようでしたら、デヴァイスを通じて、そちらの通信機に連絡しますので、バザーで調達をお願いします」
「了解。んじゃ、俺もバザーに行ってくる。俺らが戻るまで、おとなしく休んどくんだぞ。もうすっかり日も暮れちまったし、戻るのは恐らく朝方になるからな」

「はいはい、何度も言わなくても分かってるっての。いい子でお留守番してますよーだ」

 セトミがべーっと舌を出して見せると、その様子に笑みを返しながら、ショウは部屋を出て行く。

 その背を見送ってから、セトミは慣れた手つきでデヴァイスを左腕にはめる。

「呼吸、脈拍、血圧、ともに異常なし。戦闘によるいくらかの傷と、シャドウを歩き回ったことによる疲労が少しありますね。とりあえず、少量の代謝促進剤を打っておきますね」

「はいよ」

 エマの言葉に短く答えてから、ふと気づく。この擬似人格だという女性と出会ってから、ゆっくりと話をするのは、これが初めてではなかろうか。

 薄暗い部屋の中で、ぼんやりとセトミは考える。長い長い時間を、ただ眠り続ける少女をひたすらに守っていた、エマ。

 その心持ちは、いったいどのようなものだったのだろう。

 機械である故の忠実さか、それとも、まるで人のごとき優しさか。

「……ねえ、エマ。あのさ」

「はい、なんでしょう?」

 通信機から響くその声は、少々事務的な固さはあるものの、人のそれとなんら遜色はない。むしろ、それは穏やかで、優しげなものに思える。

 ――――そう、例えるなら、母とでも言おうか。

「エマは――――ミナのことをずっと守ってたんだよね。気が遠くなるくらいの、永い時間。その間……どんな気持ちだったの?」

 自分は、何を言っているのだろう、とは思った。エマが言うには、彼女はコンピューター内の擬似人格OS――――つまり、仮想上の存在でしかないはずなのだ。なのに、そこにプログラムされたもの以外の何かがあってほしいと願ってしまう自分に、セトミ自身のほうが驚いていた。

「……私は――――」

 その問いに、初めてエマが言葉を詰まらせた。それはただ、言葉を検索する際のラグなのかもしれなかった。しかし、それが、人間が言葉に窮する時と何が違うのだろう。

「私は……亡霊でした」

「……亡霊?」

 予想だにもしなかった言葉に、疑問を募らせながらセトミはおうむ返しに言う。

「はい。私は、ミナの母が、あの部屋に立てこもり、息絶えるまでの間に、ミナを守るようにと作られたシステム。彼女は、ミナを守るために必死だった。故に、その思いの強さが、私のプログラムにも現れています。必ずミナを守るという、強い意志が」

 不意に部屋の裸電球が、ジジッと音をたてて明滅する。そのせいで、一瞬、沈んだように見えたエマの表情は、闇の向こうに隠れた。

「そして、その思いは私という形で、今も擬似人格として存在する――――。言うなれば、私はミナの母の亡霊なのですよ」

「プログラムに残った、母の思い、か……」

 床に座り込み、セトミは壁に背を預けて、窓の外を見上げた。曇っているのか、月のない晩だ。今、口に出した『母の思い』と言う言葉を象徴するかのように、その空は闇に覆われ、見通すことができない。

 自分は、そんなものはもう、かけらも覚えていないから。

「――――なぜ、そんな話を?」

「……別に。手持ち無沙汰だったから、聞いてみただけ」

 その言葉が嘘であることは、すねたように瞳をそらす表情からして、火を見るよりもあきらかだった。自分には手に入らなかった――――いや、未来永劫、手に入ることはないであろうそれに、そっぽを向く猫のごとく。

「……ただ――――」

 しかし不意に、脳裏をかすめる記憶がある。それは、自分とよく似た、赤毛の、しかしもう少しおとなしげな、少女。

「お姉ちゃんなら、いたかな。死んじゃったけど」

 ひどく淡々と、セトミはつぶやく。そのような悲劇など、そこらに吐いて捨てるほどあるだろう。永い時をただひたすらミナを守ってきたエマに比べれば、ひどく陳腐な話だ。

「私が、こうなったところで、ね」

 そう言って、セトミは帽子を取ると、ひょっこりと前頭部の突起を出現させて見せる。

「後から調べて知ったんだけど、ヒューマンをハーフにする手術ってのは、肉体と精神、両方がその過負荷に耐え切れる人間でないと、だめなんだってね。私は幸か不幸か、両方が適合しちゃって、こうなったわけだけど……お姉ちゃんは、そうじゃなかった」

 家族の思い出など、ほとんどない。きっと、それを思い出すと生きていくのに支障が出るから、脳みそが勝手に記憶を消してしまったのかもしれない。その中で唯一、姉の存在だけはまだ心の中で生きていた。

「私さ、今はこんなだけど、ちっちゃい頃って結構なビビリでさ。近所の
悪ガキとか、すっごい苦手だったわけ。そんなときに、いつもお姉ちゃんは私を守ってくれてた。私が悪ガキにちょっかい出されて泣いてたりすると、そのガキのお尻を棒で引っぱたくくらいは日常茶飯事だった」

「……まるで、今のセトミさんみたいですね」

 エマの視線を頬に感じながら、セトミは再び空を見上げる。そこには相変わらずの、ただ広がる漆黒の闇。

「ま……覚えてるのは、そんなことと、笑った顔くらいなんだけどね」

 自嘲めいた笑みを浮かべ、セトミはただ、視線を闇の空へと注ぎ続ける。まるでそこに姉がいるかのように。

 なぜ、自分はこんな話をしているのだろう。ショウにだって、こんな昔話をしたことはなかったのに。エマには……話してもいい気が、した。いや、正確には、エマに聞いてほしかったのかもしれない。どこかその母のような雰囲気のせいだろうか。あるいは、ともに死んだ者の影を背負っているからだろうか。

「……でも、きっと、ミナをつい助けたくなっちゃったのは、その影響なんだろうな。そういう意味じゃ、私もお姉ちゃんの亡霊なのかもね」

「……セトミさん」

 ふう、とため息をついて、セトミは視線を落とす。珍しく話しすぎたせいか、にわかに眠気がむくむくと首をもたげる。

「私、ちょっと寝るわ。明日は、ずいぶんとイベントが盛りだくさんな一日になりそうだし。一応、少しでも体力を回復しておかないとね」

 その名のごとく猫のように伸びとあくびを一つすると、セトミは話はこれで終わりとばかりに、帽子をアイマスク代わりに、ベッドへと横たわる。

「……はい。おやすみなさい」

 久しく聞くことなどなかったその言葉を最後に、セトミの意識は急激に眠りの中へと落ちていった。



 
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