上 下
6 / 23

The song of stray cat

しおりを挟む
差し伸べられた手に、戸惑うことしか知らないもの。
 
 その夜、シャイニー・デイ。

 セトミは、ミナツキを連れて、その人物と会っていた。セトミはあっけらかんと、ミナツキは相変わらず無表情で、その人物は呆れたような渋面を作っていた。

「……お前なあ。そいつぁ、一体なんの冗談だ?」

 その人物は、ドック・ショウ。そして、その視線の先には、ミナツキ。

「冗談もなにも、私は大真面目だよ?」

 頬杖をつきながら笑うセトミの表情は、その言葉とは裏腹に、まさにチェシャ猫の笑みそのものと言うにふさわしい。

「それはそれで問題大アリだ。そんなもん、依頼として扱うチェイサーがどこにいるってんだ?」

「いるよ、いるいる」

「どこに?」

「ここに」

 矢継ぎ早に言い合うセトミとショウを、ミナツキがその言葉を追うように交互に見ている。

 ショウがここにいることからも分かるとおり、セトミはミナツキの姉を探すことを、依頼として受けることにしたのだった。

「んなこと言って、報酬はどうすんだ? マージンは?」

「シャドウを漁れば、ちょっとは稼ぎになるものが出てくるでしょ。そっから出すって。てか、ちっちゃい子の前で、あんまりがっついたセリフ吐くのも、どうかと思うよー」

 小指の爪で耳を掻きながら、セトミが言う。
「……お前な、仕事なんだぞ。ちったぁまじめに……」

「はい、お待ちどうさまでした。セトミちゃん、出番よ」

 相変わらず渋い顔のショウの言葉に割って入るように、アリサがセトミに声をかける。その言葉に答えて、彼女はすっと席を立った。

「おっけー、ギターは?」

「はい、これ」

 セトミは、アリサの差し出したエレキギターを受け取ると、満足げにそれを一掻きし、鳴らす。アンプのつながっていないギターが、シャン、とどこか切なげな音で鳴いた。

 その音を確かめるようにして、セトミはバーの片隅にある、小さなステージへと向かって行く。

「お、おい!」
 
 あわてて、その背を呼び止めるように、ショウの手が彼女の方へと伸びる。

「ごめんね、今日、一曲やってくれって頼まれてるの。話の続きはその後ってことで。ま、バーボンでもやりながら待っててよ」

 しかしその手は、肩越しにウィンクしてみせるセトミの言葉に、あっさりと振り切られ、迷い子のように、宙をさまようだけだった。

「……チッ。アリサ、ターキーあるか?」

 所在なさげに立ち尽くすのを取り繕うように、ショウが頭を掻きながら、アリサにたずねた。

「はい、ございます。ロックで?」

「いや、ストレートでくれ」
「チェイサーは、いかがいたします?」

 そう聞くアリサの微笑みが意味ありげに見えてしまうのは、果たして自分がひねくれているからだろうか。

「……いらねえ」

 恐らくその酒をのどに流し込んだときよりも、数段渋い顔であろう渋面で、ショウはうめくと、あきらめたように、椅子に座りなおした。

「……おじさん、あのおねえちゃんの、なに?」

 不意に、今まで黙ったままだったミナツキが、ぼそりとつぶやいた。その視線からして、どうも自分に言ったらしいと悟ったショウは、運ばれてきたバーボンを危うく噴き出しそうになった。

「おじっ……お兄さん、だ。俺は……そうだな。あのノラ猫娘に、たまに餌の面倒を見てやってる、保護者みたいなもんだ」

 飲み干した酒と同じような苦々しさで、ショウは思わず吐き捨てる。バーボン特有の、のどの焼けるような熱さに嘆息し、ステージの上のセトミを見た。

「どもども、ステージの上では久しぶりー。ところで、どこの誰? 私のへたくそな歌なんかリクエストしたの。酒がまずくなっても知らないよー? てか、私仕事中なんだけど。リクエストしたやつ、後で一杯おごれ!」

 いすに座り、ギターを構えながら、セトミが曲を聴く体勢になり始めた客たちに笑顔で言い、彼らを沸かせる。

「んじゃまあ、前置きはこのくらいにして――――曲は、『ストレイ・キャット』。あー、泣きたい酒の人がいるのね、今日は」

 ふ、と。彼女の顔を、どこか優しく、どこか物悲しい、複雑な色が染めた。

 ゆっくりと、その指がギターを奏でだす。アンプにつながれていないエレキギターの、どこか危うげな、それゆえに儚げな旋律が、シンプルなコードを切なく染めて、泣くように、鳴く。

――――私は、たった一人で、この世界にやってきた
孤独を背負って、暗い道を歩いて
道行く人に視線を投げかけても、誰も振り向いてはくれない――――

――――なぜ? 愛なんて求めてないのに
愛なんて求めてないのに
胸を弾丸で撃ちぬかれたみたいに、風穴が空いているのは、なぜ?――――

その、普段のセトミとはまるで違う――――その気まぐれさを猫と形容される彼女とはまるで違う、箱の中に置き去りにされた捨て猫のような、危うげで儚い歌声に、ショウは一口、酒を飲む。

焼けるように、のどが熱い。

――――生きることに必死で、心のどこかにあった何かを、私は捨てた
だからもう、胸の風穴を埋めるものはなにもないの
ねえ、だから私、温かな手を差し伸べられたって、
どうしたらいいかわからないの――――

これは、彼女の歌だ。少なくとも、ショウはそう思っていた。人間とヴィクティムのハーフとして孤独に生まれ、両者から蔑まれ、生きる術だけを身に付けてきた、昔の彼女の。

――――私は世界を一人ぼっちでさまようノラ猫
    あなたが手を差し伸べてくれても
    私はあなたを傷つける爪しか持ってないの――――

その頃の彼女は、まさに歌の通りだった。ヴィクティムの因子を持つがゆえの力か、カタナという彼女の爪は、自分が生きるためだけに振るわれ、容赦なく、鋭かった。
そしてその心は、胸に風穴を空けられたかのように、心無く、冷たかった。


――――それでもその手を差し伸べてくれるなら
    どうか、どうか、その手を離さないで
    その温かさで風穴を埋めておいて、
    また放り出されたりしたら、
    私はもう冷たさに耐えられないから――――

だが彼女は、ショウと出会い、徐々に変わった。人と接し、感謝したり、されたり。触れ合って、行き着いたのが、一見、天真爛漫に見える、今の彼女。

そう。まさに、捨てられ、孤独に生きてきたノラ猫(ストレイ・キャット)が、人に徐々に心を開くように生きてきた――――チェイサーキャット。

ショウは、傍らの少女を、ちらりと見た。その少女は、今は食い入るように、セトミの歌う姿を見ている。

感情を決して表に出そうとしない、少女。いや――――違う。感情の示し方を忘れたような、その少女。

セトミは、そのどこかに、自分と同じにおいを感じたのかもしれない。だから、放っておくことが、できなかった。

「――――へっ、拾ったノラ猫がやっとなついたと思ったら、同じ境遇の子猫ちゃんを連れてきた――――ってか」

 自嘲じみた笑みを浮かべ、ショウはまた一口、酒を口に運んだ。

 そのショウを、不思議そうな瞳で、ミナツキが一瞥した。

「わかったよ。一匹飼うも、二匹飼うも、いまさら大して変わりゃしねえか……」

 なぜだか妙な親心のようなものを不覚にも感じてしまい、ショウは「酔うにはまだはええはずなんだがな」と一人ごちた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

俺と向日葵と図書館と

白水緑
ライト文芸
夏休み。家に居場所がなく、涼しい図書館で眠っていた俺、恭佑は、読書好きの少女、向日葵と出会う。 向日葵を見守るうちに本に興味が出てきて、少しずつ読書の楽しさを知っていくと共に、向日葵との仲を深めていく。 ある日、向日葵の両親に関わりを立つように迫られて……。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...