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月と鉄塔
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駅を降りて家までの道は遠く、歩いて三十分くらいかかる。朝はバスに乗ることもあるけど、基本は徒歩だ。
座りっぱなしの仕事だから運動不足になるし、とはいえわざわざジムに通うのも難しい。だったら、と、歩くことにした。
特に帰り道は気持ちがいい。
暑い季節でも夜は涼しい風が吹いているし、街灯と街路樹と電線のある景色も割と好きだから。
家の近くには大きな工場があって、その敷地の壁に沿って広めの歩道がぐるりと回っている。2、3Kmの外周はジョギングにちょうどいいみたいで、そういう人に追い抜かれたりすれ違ったりすることもある。
最初の交差点から工場の壁沿いに5分くらい歩くと鉄塔が見えてくる。そここら出た何本もの太い送電線が暗闇に向かって消えていく。歩くと月の位置が変わって、鉄塔にかくれて、また出てくる。
朝とは違う、同じ道の違う世界だ。
ちょうどその鉄塔に月がかくれるタイミングで、毎日俺を追い抜いていく人がいる。
タッタッタッタッタッタッ
それはだんだん近づいてきて、ヒュン、と俺の横をかすめて行く。呼吸音と足音と、ウェアの擦れる音。後姿がすげぇイイ。すげえイイ女だ。
俺は毎日その時間に合うように帰る。
月曜日、鉄塔と月が重なってから少し過ぎたころ、その人は俺を追い抜いた。
いつもより少し遅い。俺が速すぎたのか?それとも月の位置が変わったのか。
いずれにしてもいつもと違う。
しばらく歩くと、工場の壁に手をついて止まっているあの人が見えた。
気になって声をかけようと思ったけど、暗い夜道で不審者扱いされても困るなと思って、やめた。
通り過ぎて、だけど、やっぱり気になって振り返ると、その人は片足をかばいながらゆっくり歩いていた。歩いて、すぐ止まって、また歩いている。
「あの、足、怪我ですか?」
俺はやっぱり気になって、声をかけちゃった。
「いえ、ちょっと攣っちゃって」
俺を見上げたその人は、なんか、見たことある顔だった。声も、聞いたことある声だった。
「久しぶり、小野寺くん」
その人は照れくさそうに俺の名前を呼んだ。
「うそでしょ。斎藤さんじゃん」
「元気そうだね、小野寺くん。成人式ぶりくらいかな?」
また、俺の名前を呼んだ。
「そうだね。もしかして、前から俺って気づいてたの?」
「そうなんじゃないかなって思ってた。小野寺くんは?」
「わかんねぇよ、だって・・・全然違うじゃん」
その人は中学の同級生の斎藤だった。ちっちゃくて細くてかわいい斎藤だった。だけど今は、メリハリのある体で、筋肉がしっかりついていて、イイ尻の、斎藤さんになってた。
「斎藤じゃないよ、今は島田」
「結婚したの?いつ?」
「うん。もう5年前くらい」
「いいの?こんな時間に一人で走ってて」
「・・・いいの。旦那はいつも遅いから」
斎藤は少し遠くを見て言った。なんだかちょっと寂しそうな顔。
「小野寺くんいつもこの時間だね。会社忙しいの?」
「そうね。まあまあ忙しい」
時間を合わせて帰ってるなんて言えない。それは秘密だ。
「よく俺って気づいたね」
「うん。わかるよ。歩く時の癖、右手だけ大きく後ろに振るの、変わってなかった」
ちょっとモテていた中学時代の俺は調子に乗っていた。今じゃもう見る影もないから、正直、斎藤に会うのは恥ずかしかった。
「斎藤さん、かっこいいね。いつも俺を追い抜いていく姿を見てたよ。後姿、すごくイイよ」
「小野寺くんも、スーツ、似合ってるよ。むかしからかっこ良かったけど」
「そんな、いいよ、お世辞言わないでよ」
「お世辞じゃないよ」
斎藤は昔のまま、優しかった。
「ありがとう。ちょっと元気出た」
「私も、後ろ姿、褒めてくれてありがとう」
斎藤の足は元に戻ったみたいで、ストレッチしてからまた走ると言った。
工場の壁沿いに歩くと交差点に出る。
「俺んち、あそこ」
交差点の斜向かいのマンションを指した。
「近くに住んでたんだね。私は工場の反対側のスーパーの近く。結婚してから引っ越してきたの」
「そうなんだ。俺は七、八年この辺ウロウロしてるよ。今のマンションは入ったばっかりだけど」
「どっかですれ違ってたのかな」
「たぶんな」
そして俺たちは交差点で別れた。
斎藤は見た目以外は昔とあんまり変わっていなかった。地味だったけど、可愛くて、優しくて、俺は結構好きだったんだよなぁって、思い出した。
みんなには内緒で、一回だけ、キスをしたことがあった。
俺は本当に調子に乗っていたんだな。
斎藤が覚えていないことを祈るよ。
「結婚、してたのか。まぁ、するか、もうすぐ三十路だもんな」
次の日から、鉄塔と月の場所で俺たちの時間が始まった。
その先の交差点まで、斎藤はそこだけ歩いてくれる、ほんの5分くらいの距離だ。
だけど、その時間は伸びていって、いろいろな話をしながら、だんだんゆっくり、極力ゆっくり歩くようになった。信号を2,3回やり過ごすこともあった。
斎藤は中学を出てから、高校、大学へいって、就職した先で出会った人と結婚した。大学のOBだったその人はとてもやさしくて大好きだったって言ってた。
なんで過去形なのかは聞かなかった。
俺は専門学校を出て、2,3個会社をかわって、今のSEの仕事でなんとかモノになりそうで、もうすぐ30なのに未だに一人だって言ったら、笑っていた。
手に入らない他人の妻の斎藤が、この時間だけは自分のものになったみたいに感じてた。
そんなふうに、あっという間に金曜日になっていた。
「本当はさ、カッコいい小野寺くんのまんまで会いたかったよ」
俺のボヤキに斎藤はため息をついた。
「小野寺くんは今もかっこいいよ。なんでそんなに自信が無いの?」
斎藤の言葉は俺の心の中をえぐった。普通の言葉なのに今の俺はどうしようもなく乱される。
全然かっこよく生きられない自分が情けない。
「わかんない。俺、もう、なんかわかんなくて。みんなちゃんと生活してんのに、俺はいつまでたっても定まらなくて、俺は、何してんだろうね」
「そんなの、みんなわかんないよ。ちゃんとわかってる人なんていないよ」
「斎藤さんはちゃんとしてるじゃん。家庭があって、自分もしっかりあって、規則正しく生きてる。ちゃんとわかって生きてるでしょ?」
「わかってないよ全然。わかってたら、こんな時間に一人で走ってない」
斎藤が「大好きだった」と、過去形で話した理由がわかった。
「わたしね、今月末、引っ越すの。子ども出来ちゃって」
「こども?」
「私じゃなくて、旦那の愛人。私は今日、離婚届に判を押しただけ」
「マジかよ・・・」
「今住んでるとこ旦那の実家だから、私が出てって、あっちの人が今度は奥さんになるんだって。最悪でしょ?」
情報を処理するのに10秒くらい時間がかかった。
「斎藤さん、平気?」
同情するふりして、内心俺は喜んでる。
そんな自分に心底腹が立つ。
「うん。浮気がわかったのは1年近く前だから。ある程度はね、慣れたっていうか」
「エグいなぁ」
「お姑さんからは孫の催促すごいし、でも旦那は浮気してるし、どうすんの?って思うでしょ。私にどうしろっていうの?って。もう、走って紛らわすしかなくなっちゃって」
「そうだったの」
「なんか、バカみたいな理由で、恥ずかしいよ。でも、走ると体は締まってくるし、気分も良くて。私ずっと運動なんてしてなかったから、すごく気持ちよくて。筋トレもしてるからムキムキしてきちゃったし」
「うん、足音、すごくいい音だもんな。あと、後姿、すげぇイイよ」
「小野寺くん、やらしいよ。ふふふ」
「だって本当のことだもん」
「ちょっとはね、もしかしたら旦那も、もう一回私のこと見てくれるんじゃないかって、期待もしてたの。愛人はすごく奇麗な人だったから。私も、ちょっと頑張ったら何とかなるんじゃないかって。でも、ダメだった。私にはもう触れてもこないし、極めつけは、子ども出来たって」
斎藤は投げやりに言って笑っていた。
「あの日ね、声かけてくれた日。足攣っちゃった日。あの日に知ったの、子どもができたって。気が狂いそうだったけど、小野寺くんのおかげで正気に戻ったよ。ありがとね」
ゆっくりゆっくり歩いていたけど、交差点についてしまって、斎藤は「じゃあね」と、角を曲がって暗闇に消えていった。
青が点滅して赤に変わる。
車が通り過ぎて、また目の前の信号は青に変わった。
そこを渡れば俺のマンションまでもう少しだ。
でも。
俺は斎藤が消えた暗闇に向かって歩道を走っていた。
追いつけるかわからなかったけど、ここ十年で一番かっていうくらい全力で走った。
斎藤の背中はすぐに見えた。
「斎藤さん、ねえ、待って、斎藤!」
暗い道をとぼとぼと歩きながら斎藤は泣いていた。
めちゃくちゃ泣いていた。
そういえば、中学の時も斎藤は泣いていたんだっけ。俺は思わず抱きしめちゃって、どさくさに紛れてキスしたんだ。
ぎこちなくて、ただ、触れるだけなのに、すごくドキドキしたのを覚えている。
俺はまた、同じことをしている。
「小野寺くん、中学の時と同じだね。やっぱりずっとかっこいい」
「どゆこと?」
「助けてくれるの、ここぞっていう時に。こうやって、今来て欲しいっていう時に、来てくれるの。昔も、そうだった」
そっか、あの時も斎藤はフラれた後だったっけ。
覚えてたのか、キスしたこと。
「斎藤さんだけだよ、俺をヒーローみたいに言ってくれるの」
大人になった斎藤の唇は、眩暈がするくらい深くて濃くて、俺は全身が溶けそうになるのを必死でこらえていた。
お子サマ斎藤もかわいかったけど、オトナ斎藤さんの唇はその何万倍も、俺を狂わせる。
今度は簡単には手放したくないなぁ。
End
座りっぱなしの仕事だから運動不足になるし、とはいえわざわざジムに通うのも難しい。だったら、と、歩くことにした。
特に帰り道は気持ちがいい。
暑い季節でも夜は涼しい風が吹いているし、街灯と街路樹と電線のある景色も割と好きだから。
家の近くには大きな工場があって、その敷地の壁に沿って広めの歩道がぐるりと回っている。2、3Kmの外周はジョギングにちょうどいいみたいで、そういう人に追い抜かれたりすれ違ったりすることもある。
最初の交差点から工場の壁沿いに5分くらい歩くと鉄塔が見えてくる。そここら出た何本もの太い送電線が暗闇に向かって消えていく。歩くと月の位置が変わって、鉄塔にかくれて、また出てくる。
朝とは違う、同じ道の違う世界だ。
ちょうどその鉄塔に月がかくれるタイミングで、毎日俺を追い抜いていく人がいる。
タッタッタッタッタッタッ
それはだんだん近づいてきて、ヒュン、と俺の横をかすめて行く。呼吸音と足音と、ウェアの擦れる音。後姿がすげぇイイ。すげえイイ女だ。
俺は毎日その時間に合うように帰る。
月曜日、鉄塔と月が重なってから少し過ぎたころ、その人は俺を追い抜いた。
いつもより少し遅い。俺が速すぎたのか?それとも月の位置が変わったのか。
いずれにしてもいつもと違う。
しばらく歩くと、工場の壁に手をついて止まっているあの人が見えた。
気になって声をかけようと思ったけど、暗い夜道で不審者扱いされても困るなと思って、やめた。
通り過ぎて、だけど、やっぱり気になって振り返ると、その人は片足をかばいながらゆっくり歩いていた。歩いて、すぐ止まって、また歩いている。
「あの、足、怪我ですか?」
俺はやっぱり気になって、声をかけちゃった。
「いえ、ちょっと攣っちゃって」
俺を見上げたその人は、なんか、見たことある顔だった。声も、聞いたことある声だった。
「久しぶり、小野寺くん」
その人は照れくさそうに俺の名前を呼んだ。
「うそでしょ。斎藤さんじゃん」
「元気そうだね、小野寺くん。成人式ぶりくらいかな?」
また、俺の名前を呼んだ。
「そうだね。もしかして、前から俺って気づいてたの?」
「そうなんじゃないかなって思ってた。小野寺くんは?」
「わかんねぇよ、だって・・・全然違うじゃん」
その人は中学の同級生の斎藤だった。ちっちゃくて細くてかわいい斎藤だった。だけど今は、メリハリのある体で、筋肉がしっかりついていて、イイ尻の、斎藤さんになってた。
「斎藤じゃないよ、今は島田」
「結婚したの?いつ?」
「うん。もう5年前くらい」
「いいの?こんな時間に一人で走ってて」
「・・・いいの。旦那はいつも遅いから」
斎藤は少し遠くを見て言った。なんだかちょっと寂しそうな顔。
「小野寺くんいつもこの時間だね。会社忙しいの?」
「そうね。まあまあ忙しい」
時間を合わせて帰ってるなんて言えない。それは秘密だ。
「よく俺って気づいたね」
「うん。わかるよ。歩く時の癖、右手だけ大きく後ろに振るの、変わってなかった」
ちょっとモテていた中学時代の俺は調子に乗っていた。今じゃもう見る影もないから、正直、斎藤に会うのは恥ずかしかった。
「斎藤さん、かっこいいね。いつも俺を追い抜いていく姿を見てたよ。後姿、すごくイイよ」
「小野寺くんも、スーツ、似合ってるよ。むかしからかっこ良かったけど」
「そんな、いいよ、お世辞言わないでよ」
「お世辞じゃないよ」
斎藤は昔のまま、優しかった。
「ありがとう。ちょっと元気出た」
「私も、後ろ姿、褒めてくれてありがとう」
斎藤の足は元に戻ったみたいで、ストレッチしてからまた走ると言った。
工場の壁沿いに歩くと交差点に出る。
「俺んち、あそこ」
交差点の斜向かいのマンションを指した。
「近くに住んでたんだね。私は工場の反対側のスーパーの近く。結婚してから引っ越してきたの」
「そうなんだ。俺は七、八年この辺ウロウロしてるよ。今のマンションは入ったばっかりだけど」
「どっかですれ違ってたのかな」
「たぶんな」
そして俺たちは交差点で別れた。
斎藤は見た目以外は昔とあんまり変わっていなかった。地味だったけど、可愛くて、優しくて、俺は結構好きだったんだよなぁって、思い出した。
みんなには内緒で、一回だけ、キスをしたことがあった。
俺は本当に調子に乗っていたんだな。
斎藤が覚えていないことを祈るよ。
「結婚、してたのか。まぁ、するか、もうすぐ三十路だもんな」
次の日から、鉄塔と月の場所で俺たちの時間が始まった。
その先の交差点まで、斎藤はそこだけ歩いてくれる、ほんの5分くらいの距離だ。
だけど、その時間は伸びていって、いろいろな話をしながら、だんだんゆっくり、極力ゆっくり歩くようになった。信号を2,3回やり過ごすこともあった。
斎藤は中学を出てから、高校、大学へいって、就職した先で出会った人と結婚した。大学のOBだったその人はとてもやさしくて大好きだったって言ってた。
なんで過去形なのかは聞かなかった。
俺は専門学校を出て、2,3個会社をかわって、今のSEの仕事でなんとかモノになりそうで、もうすぐ30なのに未だに一人だって言ったら、笑っていた。
手に入らない他人の妻の斎藤が、この時間だけは自分のものになったみたいに感じてた。
そんなふうに、あっという間に金曜日になっていた。
「本当はさ、カッコいい小野寺くんのまんまで会いたかったよ」
俺のボヤキに斎藤はため息をついた。
「小野寺くんは今もかっこいいよ。なんでそんなに自信が無いの?」
斎藤の言葉は俺の心の中をえぐった。普通の言葉なのに今の俺はどうしようもなく乱される。
全然かっこよく生きられない自分が情けない。
「わかんない。俺、もう、なんかわかんなくて。みんなちゃんと生活してんのに、俺はいつまでたっても定まらなくて、俺は、何してんだろうね」
「そんなの、みんなわかんないよ。ちゃんとわかってる人なんていないよ」
「斎藤さんはちゃんとしてるじゃん。家庭があって、自分もしっかりあって、規則正しく生きてる。ちゃんとわかって生きてるでしょ?」
「わかってないよ全然。わかってたら、こんな時間に一人で走ってない」
斎藤が「大好きだった」と、過去形で話した理由がわかった。
「わたしね、今月末、引っ越すの。子ども出来ちゃって」
「こども?」
「私じゃなくて、旦那の愛人。私は今日、離婚届に判を押しただけ」
「マジかよ・・・」
「今住んでるとこ旦那の実家だから、私が出てって、あっちの人が今度は奥さんになるんだって。最悪でしょ?」
情報を処理するのに10秒くらい時間がかかった。
「斎藤さん、平気?」
同情するふりして、内心俺は喜んでる。
そんな自分に心底腹が立つ。
「うん。浮気がわかったのは1年近く前だから。ある程度はね、慣れたっていうか」
「エグいなぁ」
「お姑さんからは孫の催促すごいし、でも旦那は浮気してるし、どうすんの?って思うでしょ。私にどうしろっていうの?って。もう、走って紛らわすしかなくなっちゃって」
「そうだったの」
「なんか、バカみたいな理由で、恥ずかしいよ。でも、走ると体は締まってくるし、気分も良くて。私ずっと運動なんてしてなかったから、すごく気持ちよくて。筋トレもしてるからムキムキしてきちゃったし」
「うん、足音、すごくいい音だもんな。あと、後姿、すげぇイイよ」
「小野寺くん、やらしいよ。ふふふ」
「だって本当のことだもん」
「ちょっとはね、もしかしたら旦那も、もう一回私のこと見てくれるんじゃないかって、期待もしてたの。愛人はすごく奇麗な人だったから。私も、ちょっと頑張ったら何とかなるんじゃないかって。でも、ダメだった。私にはもう触れてもこないし、極めつけは、子ども出来たって」
斎藤は投げやりに言って笑っていた。
「あの日ね、声かけてくれた日。足攣っちゃった日。あの日に知ったの、子どもができたって。気が狂いそうだったけど、小野寺くんのおかげで正気に戻ったよ。ありがとね」
ゆっくりゆっくり歩いていたけど、交差点についてしまって、斎藤は「じゃあね」と、角を曲がって暗闇に消えていった。
青が点滅して赤に変わる。
車が通り過ぎて、また目の前の信号は青に変わった。
そこを渡れば俺のマンションまでもう少しだ。
でも。
俺は斎藤が消えた暗闇に向かって歩道を走っていた。
追いつけるかわからなかったけど、ここ十年で一番かっていうくらい全力で走った。
斎藤の背中はすぐに見えた。
「斎藤さん、ねえ、待って、斎藤!」
暗い道をとぼとぼと歩きながら斎藤は泣いていた。
めちゃくちゃ泣いていた。
そういえば、中学の時も斎藤は泣いていたんだっけ。俺は思わず抱きしめちゃって、どさくさに紛れてキスしたんだ。
ぎこちなくて、ただ、触れるだけなのに、すごくドキドキしたのを覚えている。
俺はまた、同じことをしている。
「小野寺くん、中学の時と同じだね。やっぱりずっとかっこいい」
「どゆこと?」
「助けてくれるの、ここぞっていう時に。こうやって、今来て欲しいっていう時に、来てくれるの。昔も、そうだった」
そっか、あの時も斎藤はフラれた後だったっけ。
覚えてたのか、キスしたこと。
「斎藤さんだけだよ、俺をヒーローみたいに言ってくれるの」
大人になった斎藤の唇は、眩暈がするくらい深くて濃くて、俺は全身が溶けそうになるのを必死でこらえていた。
お子サマ斎藤もかわいかったけど、オトナ斎藤さんの唇はその何万倍も、俺を狂わせる。
今度は簡単には手放したくないなぁ。
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