三国志「魏延」伝

久保カズヤ

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第二話

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魏延は荊州という、この乱世において極めて平穏な土地で生まれ育った。
 戦といえば、話で伝えられてきたものを聞くのみで、それが幼い頃から何よりの楽しみであった。各地の戦乱から逃れる様に、荊州には人が集まってくる。話を聞く機会も多かったのだ。
 曹操、袁紹、袁術、孫堅、孫策、呂布、様々な群雄の戦模様を聞き、心を躍らせた。そして何よりも興味を引いたのは、ただ、戦のみに明け暮れる「劉備」率いる流浪の軍であった。
 何処かに拠って立ち、基盤を持とうとはせず、僅かな兵力を率いて各地を転戦し、鮮烈な戦を繰り広げる。例え戦に負けようとも、その武功は見る人の記憶に必ず焼き付く。中でも劉備配下の猛将、関羽、張飛の勇猛ぶりは凄まじく、男として生まれた以上は、かくあるべきだと思ったほどだ。
 そんな自分が、夢に見る程に憧れたその軍において、将となった。
 夢は、憧れた英雄、劉備を天下の覇者に成らしめること。関羽、張飛といった猛将の中の猛将をも超える武人として、歴史に名を刻むこと。
 漢中を「魏」より奪い、魏延はその漢中の守将として大抜擢された。その時に、ここからだと、心で吼えた。
 ここから夢を現実のものにする。全ては、この漢中より始まると、そう、思っていた。

 あれから、月日は過ぎた。十年も経っているのに、未だ、自分の中の時間はあの時から進んでいない。
 漢中を奪い、ようやく天下への道が開けた、そんな最中の出来事である。荊州の守備を任されていた関羽将軍が、突如、三国の内の一つで同盟を結んでいたはずの「呉」の裏切りによって戦死。また、張飛将軍も配下の将に暗殺され、その首は呉へ渡った。
 天下統一を目標に掲げるなら、この時ほど、魏へ攻め込む絶好の機会は無かった。しかし劉備は、総力を挙げて呉を討たんとした。その怒りは、決して誰であろうと止めることは出来なかったのだ。
 魏延は劉備の留守となった成都、漢中の守備を担った。流石に、戦乱を生き抜いてきた男の進軍である。聞こえてくる報告は連戦連勝、呉を滅ぼせる、その直前まで進撃した。
 しかし、魏延が、劉備との再会を果たすことは、無かった。
 劉備は最後の一戦において大敗を喫した。それは、蜀軍が今まで何十年と掛けて蓄えてきた総力のほとんどを失うほどの、それほどの大敗だった。劉備もまた、命からがら、なんとか逃げた。しかし、成都へ再び帰還する事叶わず、呉との国境付近の白帝城にて、病に没した。
 魏延はその間、この蜀漢を守り通さねばならなかった。必ずこの敗北を見て、魏は動こうとする。国内でも大小様々な反乱が勃発するかもしれない。その全てに目を光らせ、劉備は必ず戻ってくると、そう信じて国を守り通した。
 しかし、魏延が守り通した成都へ帰還した劉備は、棺の中であった。

「魏延大将軍、丞相がお呼びです」
「分かった」
 英雄の死から、十年。未だ自分は、夢の途中にある。
 自分こそが、劉備の夢を引き継いだのだと、そう思っていた。直接の言葉こそ交わすことは出来なかったが、死の間際、劉備は自らの夢を自分に託したのだと。だからこそ、漢中を任されたのだ、と。
「諸葛丞相、魏延が参りました」
「あぁ、入ってくれ」
 促されるままに幕舎に入ると、そこには壮年の、あまりに細い腕をした男が座っている。
 諸葛亮。現在の蜀漢の、行政における最高位の人物である。また、死の際の劉備より直接、後事を託された男でもあった。
 印象としては、まさに皇帝を補佐するに足る才を持った文官。この諸葛亮が居たからこそ、蜀は劉備の起こした大敗から、僅かな期間で国力を回復させる事が出来たのだ。歳も、魏延とさほど変わらない。
「そう固くならずとも良い、大将軍。軍中における実権は、貴方と私はさほど変わらないのだから。何より同郷で、同僚でもある」
「皮肉ですか?大将軍の位に加え、丞相司馬の位も、私に与えられたのは丞相でございましょう」
 魏延は蜀の軍事における最高位にまで昇進していた。しかし、その位には丞相司馬という、諸葛亮の幕僚となるような位も加えられた。
 今現在、蜀軍は、魏を討伐する為の「北伐」の最中である。今回で、五度目の出征。本来なら軍事における総指揮官は魏延であるはずが、諸葛亮自ら指揮を執ることになっているせいで、常に難しい立ち位置を強いられていた。
 諸葛亮も、魏延も、自分こそが劉備の夢を継いだと思っている。実力こそ認めてはいるが、思いは譲れず、どうもお互いの事を好きになれなかった。
「何故、私をお呼びになったのでしょうか」
 見る度に、諸葛亮の体は細くなっていく。それでも、その目には力強い意志が灯っている。
「もう少し、楊儀と上手く付き合う事は、出来ないか?」
 楊儀。その名を聞いた瞬間はっきりと、自分の内に憎悪の色が浮かんだのが分かる。
 どうにもいけ好かない男であった。軍中における軍備の確保や配分をこなしている、いわば、諸葛亮の右腕とも呼べるような人物である。
 才能や実績だけを見れば、その功績は抜きんでていると言っても良い。今まで常に劣勢である蜀軍が、例え一兵卒に至るまで、決して兵糧や武具に困ることが無かったのも、この楊儀の手腕によるところが大きかった。
 ただ、その人間性には癖があり、周囲からも相当嫌われていた。特に魏延は、楊儀を嫌悪している人間達の筆頭である。楊儀と会えば常に口論となり、時に、剣を抜いて脅しをかけることすらあった。
「あれは、軍人を、死んで初めて役に立つ穀潰しだと、はっきり口に出す事がある。確かに奴の功績は認めますが、前線で命の掛け合いをしたことも無い者が、たった一人の兵にも敬意を払おうとしない、私はそれが許せぬのです。常に、戦場に身を置いた者として、決して」
「ただ、才はある。魏延よ、そなたと楊儀が力を合わせてくれさえすれば、私が戦地に赴く必要も無くなるのだ」
「私ではなく、楊儀に仰っていただきたい。丞相以外の話を、奴は聞こうともしませんので、私がどうこう出来る話ではございませぬ。では、巡察に参ります、御免」
 それは、魏延も同じであろう。諸葛亮はそう言おうとして、止めた。
 壮年の闘将の心には、未だに劉備が燦然と輝いている。楊儀が諸葛亮の話にしか耳を傾けないのと同じく、魏延もまた、劉備以外の人間を石ころの様にしか思っていない。例え魏の皇帝であろうと、劉備と比べれば石ころと同じなのだ。
 しかし、劉備は既に、死んでいる。
「魏延よ、折れてくれ。つまらぬ、意地ではないか」
 祈る様に、幕舎を出て行った魏延に向けて、諸葛亮は小さく呟いた。
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