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始まりの物語
劉備
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「ははっ、玄徳立てるか?」
胸元一面に炭が叩き付けられ、備は苦しそうに笑いながら咳をしている。
何か言いたそうだが、打たれた胸が痛むのか声が出ていない。
サンは折れてただの棒となったそれを差し出して、掴んだ備を引っ張った。
「勘弁してくれよ、サンの兄貴。これで百戦全敗だ、いつになったら勝てるんだか」
「コイツが危ないって教えてくれたから、咄嗟に体が動いてしまった。手加減する暇もなかったんだよ、すまないな」
サンが首を撫でると、白馬は気持ちよさそうに目を細める。
あれだけ走ったはずなのに少しも息は乱れていなかった。対する備の老馬は、少し走っただけなのにバフバフと息を荒げていた。
次第にぞろぞろと、炭だらけになった面々が集まった。
互いに汚れを馬鹿にしながら集まり、さらに全員が備を指して笑う。
同じ年代だけでなく、生まれも育ちも違う面々を、備はこうして不思議と惹きつけた。
最初に出会ったのは六年前。そんな備を弟分として可愛がりながら、サンは少しだけ嫉妬を覚えていた。
「玄徳、これからどうする? 俺は盧植(ろしょく)先生のところに行くが、一緒に来るか?」
「これだけボロボロになって、また盧植先生の所に行ってたら俺の身が持たないっすよ。何故か先生、俺を一番殴るんですから」
それはお前が馬鹿だからだと、また一斉に周囲が声を上げ始めた。
流石の劉備も堪り兼ねて、木刀を振りかざし周りを追い立てる。
下で白馬がつまらなさそうに鼻を鳴らした。性別は雌で「俊雪(しゅんせつ)」と呼んでいる。
生まれが良いからかプライドが高く、こういった雑多な騒ぎはどうもつまらないらしい。
「そう気を曲げるなよ俊雪。分かった分かった、しばらく二人で走りながら帰ろう」
走り回りながらいまだに誰一人に追いつけない備を見て笑い、サンは俊雪を勢いよく駆けさせた。
備は、ただの筵織りの青年だった。
性は「劉(りゅう)」といい、母が「お前の体には皇帝の一族である中山靖王(皇族)の血が流れている」と、酔った際にそう豪語しているのを幼い頃からよく聞いてきた。
確かに皇帝の一族の性は「劉」であるが、こんな性は今時どの地方でも見る事が出来るありふれたものだ。
劉備、字は玄徳。
一度そう自分の名を口にしてみては、鼻で笑った。
現にこうして明日の生活も苦しいただの筵織りであるのだ、だとしたら皇帝の血が流れていようと何の意味もない。
そんなことを考えながら、ざぶざぶと小川で炭だらけの鎧と顔を洗う。
みんなを追い回してたはずの備は何故か、全員から炭塗れにされるという展開になっていた。
いくら洗っても、鎧の炭は完全にはとれそうにもなく、もういいやと諦めた。
老馬は隣で水を飲んでおり、口の端からぼたぼたと水をこぼしては、下顎の髭を濡らしていた。
「お前は水を飲むのも下手くそだなぁ」
心なしか、老馬が笑ったような気がした。
そしてまた、口から水をこぼす。確かに体力もなく、足元も覚束ない駄馬だが、この老馬以上に扱いやすい馬を知らなかった。無駄に騒がないところがまた良い。
本当に体の一部であるかのように、思い通りに動いてくれた。
帰ろう。
備は濡れた鎧を馬に乗せ、自分はその横を歩く。
老いているのだ、必要でないときは極力乗らないと決めていた。
中華(中国)の最北部の地である「幽州」。
その幽州が、備の暮らす土地であった。中華の各州の中でも特に治安が悪く、その原因であるのが異民族の存在である。
匈奴や鮮卑族といった狩猟騎馬民族が、この地に攻め入っては、あちこちで略奪を繰り返していた。
備の住むタク郡は、その幽州の中で比較的南部の方にある。
その為、まだ被害は少ない方だが、麦などの作物は不作である。そのせいか、どうも村人の活気も低い。
「おい、雍(よう)はいるか」
馬を外に繋ぎ、強く叩けば崩れそうな腐った扉を開く。
しかしそこには誰もおらず、草臥れた酒臭い藁が敷いてあるだけである。
ここが、備の借宿であった。
性を「簡(かん)」、字を「憲和(けんわ)」。
備は、友人であるその簡雍(かんよう)の家にいつも泊まらせて貰っていた。
故郷である楼桑村から塾へ通うには少し遠い為、こうして近場にある雍の家で寝泊まりをしている。
とはいっても、その雍が家にいることは滅多にない。
「また、どっかの酒場で潰れてんのか……」
いつもなら別に気にすることはないが、今日ばかりは会っておきたかった。
明日からしばらく楼桑村に戻る予定であり、そのことをとりあえず伝えたいのだ。
帰りがけに適当な山菜や魚も取ってきているし、酒場で夕飯まで済ませるかと考え、疲れて固まった膝を再び伸ばした。
胸元一面に炭が叩き付けられ、備は苦しそうに笑いながら咳をしている。
何か言いたそうだが、打たれた胸が痛むのか声が出ていない。
サンは折れてただの棒となったそれを差し出して、掴んだ備を引っ張った。
「勘弁してくれよ、サンの兄貴。これで百戦全敗だ、いつになったら勝てるんだか」
「コイツが危ないって教えてくれたから、咄嗟に体が動いてしまった。手加減する暇もなかったんだよ、すまないな」
サンが首を撫でると、白馬は気持ちよさそうに目を細める。
あれだけ走ったはずなのに少しも息は乱れていなかった。対する備の老馬は、少し走っただけなのにバフバフと息を荒げていた。
次第にぞろぞろと、炭だらけになった面々が集まった。
互いに汚れを馬鹿にしながら集まり、さらに全員が備を指して笑う。
同じ年代だけでなく、生まれも育ちも違う面々を、備はこうして不思議と惹きつけた。
最初に出会ったのは六年前。そんな備を弟分として可愛がりながら、サンは少しだけ嫉妬を覚えていた。
「玄徳、これからどうする? 俺は盧植(ろしょく)先生のところに行くが、一緒に来るか?」
「これだけボロボロになって、また盧植先生の所に行ってたら俺の身が持たないっすよ。何故か先生、俺を一番殴るんですから」
それはお前が馬鹿だからだと、また一斉に周囲が声を上げ始めた。
流石の劉備も堪り兼ねて、木刀を振りかざし周りを追い立てる。
下で白馬がつまらなさそうに鼻を鳴らした。性別は雌で「俊雪(しゅんせつ)」と呼んでいる。
生まれが良いからかプライドが高く、こういった雑多な騒ぎはどうもつまらないらしい。
「そう気を曲げるなよ俊雪。分かった分かった、しばらく二人で走りながら帰ろう」
走り回りながらいまだに誰一人に追いつけない備を見て笑い、サンは俊雪を勢いよく駆けさせた。
備は、ただの筵織りの青年だった。
性は「劉(りゅう)」といい、母が「お前の体には皇帝の一族である中山靖王(皇族)の血が流れている」と、酔った際にそう豪語しているのを幼い頃からよく聞いてきた。
確かに皇帝の一族の性は「劉」であるが、こんな性は今時どの地方でも見る事が出来るありふれたものだ。
劉備、字は玄徳。
一度そう自分の名を口にしてみては、鼻で笑った。
現にこうして明日の生活も苦しいただの筵織りであるのだ、だとしたら皇帝の血が流れていようと何の意味もない。
そんなことを考えながら、ざぶざぶと小川で炭だらけの鎧と顔を洗う。
みんなを追い回してたはずの備は何故か、全員から炭塗れにされるという展開になっていた。
いくら洗っても、鎧の炭は完全にはとれそうにもなく、もういいやと諦めた。
老馬は隣で水を飲んでおり、口の端からぼたぼたと水をこぼしては、下顎の髭を濡らしていた。
「お前は水を飲むのも下手くそだなぁ」
心なしか、老馬が笑ったような気がした。
そしてまた、口から水をこぼす。確かに体力もなく、足元も覚束ない駄馬だが、この老馬以上に扱いやすい馬を知らなかった。無駄に騒がないところがまた良い。
本当に体の一部であるかのように、思い通りに動いてくれた。
帰ろう。
備は濡れた鎧を馬に乗せ、自分はその横を歩く。
老いているのだ、必要でないときは極力乗らないと決めていた。
中華(中国)の最北部の地である「幽州」。
その幽州が、備の暮らす土地であった。中華の各州の中でも特に治安が悪く、その原因であるのが異民族の存在である。
匈奴や鮮卑族といった狩猟騎馬民族が、この地に攻め入っては、あちこちで略奪を繰り返していた。
備の住むタク郡は、その幽州の中で比較的南部の方にある。
その為、まだ被害は少ない方だが、麦などの作物は不作である。そのせいか、どうも村人の活気も低い。
「おい、雍(よう)はいるか」
馬を外に繋ぎ、強く叩けば崩れそうな腐った扉を開く。
しかしそこには誰もおらず、草臥れた酒臭い藁が敷いてあるだけである。
ここが、備の借宿であった。
性を「簡(かん)」、字を「憲和(けんわ)」。
備は、友人であるその簡雍(かんよう)の家にいつも泊まらせて貰っていた。
故郷である楼桑村から塾へ通うには少し遠い為、こうして近場にある雍の家で寝泊まりをしている。
とはいっても、その雍が家にいることは滅多にない。
「また、どっかの酒場で潰れてんのか……」
いつもなら別に気にすることはないが、今日ばかりは会っておきたかった。
明日からしばらく楼桑村に戻る予定であり、そのことをとりあえず伝えたいのだ。
帰りがけに適当な山菜や魚も取ってきているし、酒場で夕飯まで済ませるかと考え、疲れて固まった膝を再び伸ばした。
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