桃園の誓い ~三国志の始まり~

久保カズヤ

文字の大きさ
上 下
2 / 2
始まりの物語

劉備

しおりを挟む
「ははっ、玄徳立てるか?」

 胸元一面に炭が叩き付けられ、備は苦しそうに笑いながら咳をしている。
 何か言いたそうだが、打たれた胸が痛むのか声が出ていない。
 サンは折れてただの棒となったそれを差し出して、掴んだ備を引っ張った。

「勘弁してくれよ、サンの兄貴。これで百戦全敗だ、いつになったら勝てるんだか」
「コイツが危ないって教えてくれたから、咄嗟に体が動いてしまった。手加減する暇もなかったんだよ、すまないな」

 サンが首を撫でると、白馬は気持ちよさそうに目を細める。
 あれだけ走ったはずなのに少しも息は乱れていなかった。対する備の老馬は、少し走っただけなのにバフバフと息を荒げていた。
 次第にぞろぞろと、炭だらけになった面々が集まった。
 互いに汚れを馬鹿にしながら集まり、さらに全員が備を指して笑う。
 同じ年代だけでなく、生まれも育ちも違う面々を、備はこうして不思議と惹きつけた。
 最初に出会ったのは六年前。そんな備を弟分として可愛がりながら、サンは少しだけ嫉妬を覚えていた。

「玄徳、これからどうする? 俺は盧植(ろしょく)先生のところに行くが、一緒に来るか?」
「これだけボロボロになって、また盧植先生の所に行ってたら俺の身が持たないっすよ。何故か先生、俺を一番殴るんですから」

 それはお前が馬鹿だからだと、また一斉に周囲が声を上げ始めた。
 流石の劉備も堪り兼ねて、木刀を振りかざし周りを追い立てる。
 下で白馬がつまらなさそうに鼻を鳴らした。性別は雌で「俊雪(しゅんせつ)」と呼んでいる。
 生まれが良いからかプライドが高く、こういった雑多な騒ぎはどうもつまらないらしい。

「そう気を曲げるなよ俊雪。分かった分かった、しばらく二人で走りながら帰ろう」

 走り回りながらいまだに誰一人に追いつけない備を見て笑い、サンは俊雪を勢いよく駆けさせた。


 備は、ただの筵織りの青年だった。
 性は「劉(りゅう)」といい、母が「お前の体には皇帝の一族である中山靖王(皇族)の血が流れている」と、酔った際にそう豪語しているのを幼い頃からよく聞いてきた。
 確かに皇帝の一族の性は「劉」であるが、こんな性は今時どの地方でも見る事が出来るありふれたものだ。

 劉備、字は玄徳。

 一度そう自分の名を口にしてみては、鼻で笑った。
 現にこうして明日の生活も苦しいただの筵織りであるのだ、だとしたら皇帝の血が流れていようと何の意味もない。
 そんなことを考えながら、ざぶざぶと小川で炭だらけの鎧と顔を洗う。
 みんなを追い回してたはずの備は何故か、全員から炭塗れにされるという展開になっていた。
 いくら洗っても、鎧の炭は完全にはとれそうにもなく、もういいやと諦めた。
 老馬は隣で水を飲んでおり、口の端からぼたぼたと水をこぼしては、下顎の髭を濡らしていた。

「お前は水を飲むのも下手くそだなぁ」

 心なしか、老馬が笑ったような気がした。
 そしてまた、口から水をこぼす。確かに体力もなく、足元も覚束ない駄馬だが、この老馬以上に扱いやすい馬を知らなかった。無駄に騒がないところがまた良い。
 本当に体の一部であるかのように、思い通りに動いてくれた。
 帰ろう。
 備は濡れた鎧を馬に乗せ、自分はその横を歩く。
 老いているのだ、必要でないときは極力乗らないと決めていた。

 中華(中国)の最北部の地である「幽州」。
 その幽州が、備の暮らす土地であった。中華の各州の中でも特に治安が悪く、その原因であるのが異民族の存在である。
 匈奴や鮮卑族といった狩猟騎馬民族が、この地に攻め入っては、あちこちで略奪を繰り返していた。
 備の住むタク郡は、その幽州の中で比較的南部の方にある。
 その為、まだ被害は少ない方だが、麦などの作物は不作である。そのせいか、どうも村人の活気も低い。

「おい、雍(よう)はいるか」

 馬を外に繋ぎ、強く叩けば崩れそうな腐った扉を開く。
 しかしそこには誰もおらず、草臥れた酒臭い藁が敷いてあるだけである。
 ここが、備の借宿であった。
 性を「簡(かん)」、字を「憲和(けんわ)」。
 備は、友人であるその簡雍(かんよう)の家にいつも泊まらせて貰っていた。
 故郷である楼桑村から塾へ通うには少し遠い為、こうして近場にある雍の家で寝泊まりをしている。
 とはいっても、その雍が家にいることは滅多にない。

「また、どっかの酒場で潰れてんのか……」

 いつもなら別に気にすることはないが、今日ばかりは会っておきたかった。
 明日からしばらく楼桑村に戻る予定であり、そのことをとりあえず伝えたいのだ。
 帰りがけに適当な山菜や魚も取ってきているし、酒場で夕飯まで済ませるかと考え、疲れて固まった膝を再び伸ばした。
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

堅他不願(かたほかふがん)

 史実の劉備は豪族のどら息子で馬を乗り回しては楽器を弾いて女の子と遊ぶのが大好きだったそうですね。そんな若かりし頃の劉備に触れられて楽しかったです。

久保カズヤ
2019.05.29 久保カズヤ

感想ありがとうございます。

マグネットというサイトにて、続きが公開されていますので、是非ご覧いただけると幸いです。

アルファポリスは漢字の文字化け等の問題で、更新を続けるのが難しい環境なので(;´・ω・)

これからもよろしくお願いします。

解除

あなたにおすすめの小説

大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった――― 関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった ―――鎖国前夜の1631年 坂本龍馬に先駆けること200年以上前 東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン 『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです ※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

三国志「魏延」伝

久保カズヤ
歴史・時代
裏切者「魏延」 三国志演技において彼はそう呼ばれる。 しかし、正史三国志を記した陳寿は彼をこう評した。 「魏延の真意を察するに、北の魏へ向かわず、南へ帰ったのは、単に楊儀を除こうとしただけである。謀反を起こそうとしたものではない」と。 劉備に抜擢され、その武勇を愛された魏延の真意とは。それを書き記した短編です。

1333

干支ピリカ
歴史・時代
 鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。 (現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)  鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。  主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。  ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

夢の終わり ~蜀漢の滅亡~

久保カズヤ
歴史・時代
「───────あの空の極みは、何処であろうや」  三国志と呼ばれる、戦国時代を彩った最後の英雄、諸葛亮は五丈原に沈んだ。  蜀漢の皇帝にして、英雄「劉備」の血を継ぐ「劉禅」  最後の英雄「諸葛亮」の志を継いだ「姜維」  ── 天下統一  それを志すには、蜀漢はあまりに小さく、弱き国である。  国を、民を背負い、後の世で暗君と呼ばれることになる劉禅。  そして、若き天才として国の期待を一身に受ける事になった姜維。  二人は、沈みゆく祖国の中で、何を思い、何を目指し、何に生きたのか。  志は同じであっても、やがてすれ違い、二人は、離れていく。  これは、そんな、覚めゆく夢を描いた、寂しい、物語。 【 毎日更新 】 【 表紙は hidepp(@JohnnyHidepp) 様に描いていただきました 】

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。 その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。 姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。

御懐妊

戸沢一平
歴史・時代
 戦国時代の末期、出羽の国における白鳥氏と最上氏によるこの地方の覇権をめぐる物語である。  白鳥十郎長久は、最上義光の娘布姫を正室に迎えており最上氏とは表面上は良好な関係であったが、最上氏に先んじて出羽国の領主となるべく虎視淡々と準備を進めていた。そして、天下の情勢は織田信長に勢いがあると見るや、名馬白雲雀を献上して、信長に出羽国領主と認めてもらおうとする。  信長からは更に鷹を献上するよう要望されたことから、出羽一の鷹と評判の逸物を手に入れようとするが持ち主は白鳥氏に恨みを持つ者だった。鷹は譲れないという。  そんな中、布姫が懐妊する。めでたい事ではあるが、生まれてくる子は最上義光の孫でもあり、白鳥にとっては相応の対応が必要となった。

浅井長政は織田信長に忠誠を誓う

ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。