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四章 一人ぼっちの君たちへ
第三十四話 終戦の時
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勇者も、魔王も、言葉こそ違えど同じ「英雄」であったものたちだ。
全ての種族の魔族を束ね、かつて人間が支配していた国土の七割、八割を奪う。長き間、迫害され続けてきた魔族たちの為に土地や食料、安心して暮らせるための家を与え、生きる為の知恵である『魔力の使い方』を広めた。自らの軍の魔族たち皆を「友」と称し、決して日の光を拝むことが出来なかった「友」たちに我が身を呈して日の光を浴びせて見せた。
人々は畏怖の念を込めて、魔族は最上の敬意を払い、その英雄を『魔王』と呼んだ。
異常とも呼べる早さで勢力を拡大し始めた「魔王軍」に人間は住む土地を追われ続ける日々が続いていた。捕虜として捕まった兵士や民は、知能がさほど高くない魔族を中心として残虐に迫害された。もう人類に未来はないと誰もが感じ始めていた時、たった一人でその絶望的な戦況をひっくり返す人間の少女が現れる。どれほどの戦力差があろうと、彼女は必ず勝利し、遂に魔王軍を撃退することまで成功させた。
人々は希望の意味を乗せて、魔族は絶望の意味を込めて、その英雄を『勇者』と呼んだ。
もちろん俺は、それに至るまでの経緯もドラマも知らないし、知りたくもないと思っている。
今まで、つい一昨日までだ、俺は戦争を放棄した平和な国で生きてきた。魔王とか勇者とか魔法とかそんなものゲームの中でしか知らなかった様な人間だ。それが今やこんなのになっちゃって………一周回って笑えるよな。てか笑うことしかできない。
ただ、一つだけ言えることがあるとすれば、この目の前の小さな女の子の「シルビア・ランチエリ」と通じ合うことの出来るものがあるとすれば、それはお互いにずっと「一人ぼっち」だったってことだ。
きっと前任の魔王もそうだったんだろう。みんな、誰かに自分の事を見て欲しくて、自分はここで生きていて良いんだって認めてくれるような、そんな「友達」が欲しかっただけだ。そして、こじれてこじれた世界がそんな些細な願いの邪魔をする。
「結界内だ、その程度の攻撃じゃダメージはおろか、傷さえ俺の体につきやしないぞ」
「クッ」
空中でぶつかり、即座に離れ、また高速でぶつかり合う。魔力の残骸である大小様々な火種が下に落ちていた。シルビアが振るう剣は、結界内でさらに強度が増した俺の腕の甲殻に弾かれ火花を散らす。
やはりこのままでは不利だと思ったのだろう、シルビアは自らの魔力で形成した細身の長剣を、重々しく太い大剣へと変化させた。先ほどは手数で反撃する間も与えない様な連撃で攻めてきていたが、大剣へ形を変えると攻め方が打って変って、力でのゴリ押しになる。
手数が少ないぶん見切りやすくはなったが、一撃一撃の攻撃が重く、俺も次の攻撃に移るまでの間が空いてしまう。
大上段に構え勢いよく大剣が振り下ろされる。それを両腕で俺は受け止め、シルビアの空いた胴の部分に尻尾を突き出した。
「攻撃が分かりやすすぎますよ、不律さん」
「うっせ」
やはりどれほど力があろうと、体が自然に動いてくれようと、生きてきた環境があまりにも違いすぎるからか、俺の攻撃は読んでいたと言わんばかりにひらりと避けて見せた。
経験の差が開きすぎている。結界内で力を増したこの体の状態で、辛うじて互角で戦えているぐらいなんだから。もしかしたら、コイツの事だから俺を傷つけまいとか考えて本気を出していない可能性だってあり得る。あくまで俺の「呪い」を解くつもりなんだろう。
同じ土俵で戦ったら負けるのは目に見えている。俺がここで負けることは、現状を何一つ変えることが出来なくなることと同意。
負けたくない。だから俺は、悪役は悪役らしく、こっちの土俵で戦わせてもらう。
「シルビア、お前のやっていることがいかに無駄なのかを教えてやるよ」
俺はシルビアと距離を長く空けて、自分の顔くらいになる魔力の球を一つ投げつける。シルビアにしてみればなんてことはないその一球、アイツはこの攻撃を大剣を軽く横に振るのみで相殺しようとした。
しかし、だ。俺の考えてることはそんなことではないんだなこれが。
「───え?」
大剣の射程範囲手前で急にその球は分散し、シルビアに当たることなく複数に分裂した魔力はその背後へと抜けていく。
本当に意外だったんだろうな、慌ててシルビアはその魔力を目で追うように後ろに顔をやった。
分裂した魔力は街の方へと降り注ぎ、密集した家々を木端微塵にしていく。たちまち被害を受けた箇所には火の手が上がり、徐々に広範囲へと広がっていこうとしている。
「なっ、不律さん、これは!?」
「余所見とは随分のんきなんじゃないのか?」
シルビアが街の方を向いている間に、俺はその小さな背中のすぐそばまで迫っていた。
拳を握る。もう一度こっちを振り向いたシルビアの腹部に、俺は思い切りその拳を繰り出した。重く、刺々しく硬質なその拳は銀色の鎧を砕き、シルビアの生身の体をもろにえぐり、吹き飛ばす。
殴った瞬間に拳を通して、悲痛に満ちたくぐもった呻き声やぐにゃりとしたリアルな肉感が伝わって来た。完全不意を突かれたシルビアは処刑台の方へ吹き飛び、木製のそれをド派手にぶち壊す。
さっきまでゲホゲホと咳き込んでいたはずのヴィルヘルは、極騎兵に保護され避難していたので、特にこれといった被害は出ていないようだ。なんか損した気分。
「ここで追撃するのも良いけど………いや、もう一回だな」
アイツが倒れている間に、もう一度町の方の被害を広げておこう。アイツの事だ、町の方にも気をやってまともに集中した戦いが出来なくなるだろう。そこに俺の付け入る隙がある。
さっきもそうだった。まさか俺だって、あんなまともにパンチを喰らわせられるとは思って無かったし。まぁ、多少は俺だからっていう「信頼」のような油断もあるんだろうけど。
今度はさっきと違い、一球だけでなく数十球の魔力の塊を作って四方八方に発射した。誰に邪魔されることなく被害は広がり、一瞬にして町は火の海になる。高い位置からだとよく見える、教会側が混乱を作っていたおかげで市民のほとんどが城門の前に押し寄せていたが、俺の攻撃によりますます混乱が広がって、ついに門の前の兵士たちは数の暴力に負け城内に市民を雪崩れ入れてしまっていた。
他人が恐怖している様子を見ると、俺の体がうずうずと喜んでいるのが分かる。俺の元々の性格が悪いのか、それともこの体自体にそう言った特性があるのか。恐らくだが両方だろうな。
まぁ、予め得ている情報からすると、あの鎧筋肉おじさんもヴィルヘルも王様支持派の人間なんだろ?だったらこの混乱した市民が城内に流れ込むことを無視していられるわけもない。遅かれ早かれこの下の連中は城の方へ、鎮圧の為に帰っていくだろう。
「さて、もうそろそろか」
木の板のクズ山になった処刑台から、無傷の銀色少女が再び飛び出して俺の前に現れる。
少し疲労している表情から、きっとまたいつものように、過度な回復魔法なんかを自らの身に施したんだろうなと想像できた。何故そこまでして、と俺が聞いたのなら必ず彼女はこう答えるだろう、「勇者だから」と。
シルビアは勇者だから、人々の希望の象徴だから、傷ついた姿を誰にも見られるわけにはいかないらしい。
「………不律さん。どうして、こんなこと」
「俺はシルビアに勝たないといけないからだ。分かったろ、お前はあまりにも無駄なものを抱え過ぎている。自分の事を殺そうとしているような奴らまで助けようとしやがって、馬鹿じゃねーのか?」
「だったら不律さんは、大事なものまで捨ててしまっているバカですっ。自分を慕ってくれている方々を危険に巻き込み、そして、何よりも自分の事なんてどうでもいいと思っているようなその意思が、どうしても私を『負けたくない』と奮い立たせるんです」
もうこうなれば意地の張り合い、水掛け論。お互いに同じなのは根っこだけで、それ以外の幹や葉をつけている部分は何から何まで正反対だ。俺の心ってやつを具現化できるのならば、それを鏡に映して見てみたい。きっとそれがシルビアの心の形ってやつになるんだろう。
下の方を見れば、もうすでにヴィルヘルや鎧筋肉おじさんの姿は無く、殿を務めているのであろう少数の極騎兵たちが、マナドゥらに吹き飛ばされながらも必死に食い下がっている様子が見て取れる。
シルビアの銀色の魔力が一際眩く力強く輝き始め、それに触発されたのか、俺の尻尾は嬉しそうにうねうねと揺らめいた。意識をしっかり持っておかないと、またベアトリーチェたちと出会った時の様に、この体に理性を飲み込まれてしまいそうだ。
「私は不律さんのやり方を、認めるわけにはいきません」
「あぁ、だからこそ俺達はこうやって戦い合うしかないんだよ」
自分を殴るよりもきっと、俺はコイツを殴る事の方がずっと痛い。さっきコイツの不意を突いて殴り飛ばした時も、心臓が握りつぶされたかのような痛みを覚えたぐらいに。
誰が悪いとか、そんな話じゃない。そんなのが分かってりゃ今すぐにでもそいつを殺しに行ってる。
誰も悪くないのさ。みんながみんなどこかで何かを踏み外した故に、こんな悪循環が回ってるんだ。だったら俺達は何にこの思いをぶつければいい。自分を殴るよりもよっぽど痛い人間を殴って、俺は一体どうすれば良い。
「………理由とかじゃなくて、もう、お互い、曲げられないんだよ」
そこからの戦闘は、時間にしてみたらあっという間だった。
先ほどから過剰なほどの魔力を体に纏いながら、自らと同じくらいの大きさがあるのではなかろうかという大剣を小枝の如く振るうシルビア。はっきり言って、俺は防戦一方だった。両腕だけでは足りず尻尾も使いその連撃を弾き、俺が距離を開けようとするとシルビアはそれにぴったりとついてくる。いくら強化された甲殻といえど、それだけの攻撃を受ければ、黒曜石のような見た目のその甲殻もガリガリと削れ、みるみるうちに刺々しかった俺の体は何ともみすぼらしくヒビだらけの体へと早変わりしてしまった。そのヒビからは俺の血が漏れ出し、体表を赤黒く滑らせる。
ただ、俺はシルビアの表情を見ていてこの攻撃が長く続かないだろうなと予想していた。
さっきの過剰回復然り。そして昨日の夜、俺が寝ている間にカストディオさんの家を抜け出していたという事は、きっと睡眠不足も相まって身体的な疲労が溜まっているだろう。それらを鑑みた上で、明らかに今のシルビアの表情には、それらの疲労が色濃く反映されていた。あの連撃も、感情的になって無茶をしているという風にしか思えなかった。
そして、その時は意外と早く訪れる。
「はぁ、っ………いいか、シルビア。この世でお前を殺していいのは、俺だけだ………お前の生きた証を汚そうとするような奴に、お前を、殺させるわけにはいかないっ………だから、俺はここで負けるわけにはいかないんだよ」
「私だって………不律さんのことを、居場所を、世界から守れるのなら、この命さえ惜しくなかった………あなたを守れるのは、私だけなんです………だからここで負けるわけにはっ」
もう限界だった。
魔力がもう尽きたのだろうシルビアは、大剣を振り回している最中にプツンと力尽き、鎧も何もかもがその体から剥がれ霧散したのだ。結構な高度から落下し地面に強く体を打ち付けた少女は、当然もう戦うことなど出来ず、仰向けのまま息をするのも辛そうに地面に爪を立てている。
対する俺もまぁそんな人のこと言えるような体ではないけどな。何とか辛うじて「魔王」の体を保てているが、甲殻はボロボロに剥がれて肉があちこちから露出している。攻撃を重点的に受けた両腕は、ものの見事にもう使い物にならないくらいズタボロ、蠍のような尻尾の先っぽも切断されて威厳の欠片も無い。
ただ、体中が興奮していてあまり痛くないんだ。脳から分泌されるアドレナリンには鎮痛作用があると聞いたことがあるけれど、それと同じことなんだろうか。
ふわりと地面に降り、俺は倒れているシルビアを見下ろしていた。
「シルビア、もう無理だ。お前の負けだ」
「………そんなことっ、ないです」
「これが最後だ。なぁシルビア、俺と同じ痛みを持つお前だけなんだ、こんなことを頼めるのは。俺と一緒に、この腐った世界に復讐してやろう。この世界にもどの世界にも、あまりに傷つかないやつらが多すぎる。お願いだ、俺と一緒に来てくれないか?」
悔しさによるものなのか、それとも痛みによるものなのかは分からない。
元々整った顔立ちをしている少女の顔はぐしゃぐしゃに歪んでいる。ヒューヒューと空気が気管で擦れてるような声をひり出し、シルビアは血を吐きながら大声で叫んだ。
「───嫌ですっ!!そんな………悲しいこと言わないで下さい」
その吐き出した大声には涙が混じり、俺にはシルビアが最後らへん何と言っていたのか上手く聞き取れなかった。思えば、こいつが泣くのを見るのは初めてだ、それもこんなぐしゃぐしゃに。
笑った顔は知っている。そういやシルビアは悲しい時も楽しい時も、笑っていたような気がする。今まで勇者として生きてきたが故に、皆の希望であり続けるが為に笑う事しか許されなかったと言った方が正しいか。
残る魔力を使い、俺は尻尾の先を回復させる。
「不律さん………誰も許さない人は、誰からも許されない人と同じです。私は、知ってます、不律さんは誰よりも優しい人だって………だから、何もかもを背負うような生き方はやめて下さい。こんなの、生きていくにはあまりにも辛すぎます」
「買いかぶりすぎだって。そして、残念だよ、シルビア」
未だ立ち上がろうとするシルビアに向けて、尻尾の先の焦点をそんな彼女の額に合わせた。
あまりにベタな表現だが、きっと、もっと違う世界でもっと違う出会い方をしていれば、なんて今更そんなことを思ってしまう。そうすれば、俺もこんなに胸が痛むことも無かっただろうに。
どうしようもなく体が震える。俺だってただの「人」だ、この尾を突き下ろすことに抵抗が無いわけじゃない。
だが、シルビアか俺が生き方を改めない限りはこの禍根はずっと残ったままで、またいずれこの瞬間が訪れるのは火を見るよりも明らかだ。だからこそ、俺はシルビアの誇り高き勇者としての生き様を守るために、再び絶望の象徴として『魔王』となることを誓う。
「今までありがとう、シルビア」
「………不律、さん」
ははっ………こんなことになるくらいだったら、やっぱり、俺は前の世界で何も知らないまま精神科病院に叩き込まれていた方が幸せだったのかもな。
そして、覚悟を決めた。
全ての種族の魔族を束ね、かつて人間が支配していた国土の七割、八割を奪う。長き間、迫害され続けてきた魔族たちの為に土地や食料、安心して暮らせるための家を与え、生きる為の知恵である『魔力の使い方』を広めた。自らの軍の魔族たち皆を「友」と称し、決して日の光を拝むことが出来なかった「友」たちに我が身を呈して日の光を浴びせて見せた。
人々は畏怖の念を込めて、魔族は最上の敬意を払い、その英雄を『魔王』と呼んだ。
異常とも呼べる早さで勢力を拡大し始めた「魔王軍」に人間は住む土地を追われ続ける日々が続いていた。捕虜として捕まった兵士や民は、知能がさほど高くない魔族を中心として残虐に迫害された。もう人類に未来はないと誰もが感じ始めていた時、たった一人でその絶望的な戦況をひっくり返す人間の少女が現れる。どれほどの戦力差があろうと、彼女は必ず勝利し、遂に魔王軍を撃退することまで成功させた。
人々は希望の意味を乗せて、魔族は絶望の意味を込めて、その英雄を『勇者』と呼んだ。
もちろん俺は、それに至るまでの経緯もドラマも知らないし、知りたくもないと思っている。
今まで、つい一昨日までだ、俺は戦争を放棄した平和な国で生きてきた。魔王とか勇者とか魔法とかそんなものゲームの中でしか知らなかった様な人間だ。それが今やこんなのになっちゃって………一周回って笑えるよな。てか笑うことしかできない。
ただ、一つだけ言えることがあるとすれば、この目の前の小さな女の子の「シルビア・ランチエリ」と通じ合うことの出来るものがあるとすれば、それはお互いにずっと「一人ぼっち」だったってことだ。
きっと前任の魔王もそうだったんだろう。みんな、誰かに自分の事を見て欲しくて、自分はここで生きていて良いんだって認めてくれるような、そんな「友達」が欲しかっただけだ。そして、こじれてこじれた世界がそんな些細な願いの邪魔をする。
「結界内だ、その程度の攻撃じゃダメージはおろか、傷さえ俺の体につきやしないぞ」
「クッ」
空中でぶつかり、即座に離れ、また高速でぶつかり合う。魔力の残骸である大小様々な火種が下に落ちていた。シルビアが振るう剣は、結界内でさらに強度が増した俺の腕の甲殻に弾かれ火花を散らす。
やはりこのままでは不利だと思ったのだろう、シルビアは自らの魔力で形成した細身の長剣を、重々しく太い大剣へと変化させた。先ほどは手数で反撃する間も与えない様な連撃で攻めてきていたが、大剣へ形を変えると攻め方が打って変って、力でのゴリ押しになる。
手数が少ないぶん見切りやすくはなったが、一撃一撃の攻撃が重く、俺も次の攻撃に移るまでの間が空いてしまう。
大上段に構え勢いよく大剣が振り下ろされる。それを両腕で俺は受け止め、シルビアの空いた胴の部分に尻尾を突き出した。
「攻撃が分かりやすすぎますよ、不律さん」
「うっせ」
やはりどれほど力があろうと、体が自然に動いてくれようと、生きてきた環境があまりにも違いすぎるからか、俺の攻撃は読んでいたと言わんばかりにひらりと避けて見せた。
経験の差が開きすぎている。結界内で力を増したこの体の状態で、辛うじて互角で戦えているぐらいなんだから。もしかしたら、コイツの事だから俺を傷つけまいとか考えて本気を出していない可能性だってあり得る。あくまで俺の「呪い」を解くつもりなんだろう。
同じ土俵で戦ったら負けるのは目に見えている。俺がここで負けることは、現状を何一つ変えることが出来なくなることと同意。
負けたくない。だから俺は、悪役は悪役らしく、こっちの土俵で戦わせてもらう。
「シルビア、お前のやっていることがいかに無駄なのかを教えてやるよ」
俺はシルビアと距離を長く空けて、自分の顔くらいになる魔力の球を一つ投げつける。シルビアにしてみればなんてことはないその一球、アイツはこの攻撃を大剣を軽く横に振るのみで相殺しようとした。
しかし、だ。俺の考えてることはそんなことではないんだなこれが。
「───え?」
大剣の射程範囲手前で急にその球は分散し、シルビアに当たることなく複数に分裂した魔力はその背後へと抜けていく。
本当に意外だったんだろうな、慌ててシルビアはその魔力を目で追うように後ろに顔をやった。
分裂した魔力は街の方へと降り注ぎ、密集した家々を木端微塵にしていく。たちまち被害を受けた箇所には火の手が上がり、徐々に広範囲へと広がっていこうとしている。
「なっ、不律さん、これは!?」
「余所見とは随分のんきなんじゃないのか?」
シルビアが街の方を向いている間に、俺はその小さな背中のすぐそばまで迫っていた。
拳を握る。もう一度こっちを振り向いたシルビアの腹部に、俺は思い切りその拳を繰り出した。重く、刺々しく硬質なその拳は銀色の鎧を砕き、シルビアの生身の体をもろにえぐり、吹き飛ばす。
殴った瞬間に拳を通して、悲痛に満ちたくぐもった呻き声やぐにゃりとしたリアルな肉感が伝わって来た。完全不意を突かれたシルビアは処刑台の方へ吹き飛び、木製のそれをド派手にぶち壊す。
さっきまでゲホゲホと咳き込んでいたはずのヴィルヘルは、極騎兵に保護され避難していたので、特にこれといった被害は出ていないようだ。なんか損した気分。
「ここで追撃するのも良いけど………いや、もう一回だな」
アイツが倒れている間に、もう一度町の方の被害を広げておこう。アイツの事だ、町の方にも気をやってまともに集中した戦いが出来なくなるだろう。そこに俺の付け入る隙がある。
さっきもそうだった。まさか俺だって、あんなまともにパンチを喰らわせられるとは思って無かったし。まぁ、多少は俺だからっていう「信頼」のような油断もあるんだろうけど。
今度はさっきと違い、一球だけでなく数十球の魔力の塊を作って四方八方に発射した。誰に邪魔されることなく被害は広がり、一瞬にして町は火の海になる。高い位置からだとよく見える、教会側が混乱を作っていたおかげで市民のほとんどが城門の前に押し寄せていたが、俺の攻撃によりますます混乱が広がって、ついに門の前の兵士たちは数の暴力に負け城内に市民を雪崩れ入れてしまっていた。
他人が恐怖している様子を見ると、俺の体がうずうずと喜んでいるのが分かる。俺の元々の性格が悪いのか、それともこの体自体にそう言った特性があるのか。恐らくだが両方だろうな。
まぁ、予め得ている情報からすると、あの鎧筋肉おじさんもヴィルヘルも王様支持派の人間なんだろ?だったらこの混乱した市民が城内に流れ込むことを無視していられるわけもない。遅かれ早かれこの下の連中は城の方へ、鎮圧の為に帰っていくだろう。
「さて、もうそろそろか」
木の板のクズ山になった処刑台から、無傷の銀色少女が再び飛び出して俺の前に現れる。
少し疲労している表情から、きっとまたいつものように、過度な回復魔法なんかを自らの身に施したんだろうなと想像できた。何故そこまでして、と俺が聞いたのなら必ず彼女はこう答えるだろう、「勇者だから」と。
シルビアは勇者だから、人々の希望の象徴だから、傷ついた姿を誰にも見られるわけにはいかないらしい。
「………不律さん。どうして、こんなこと」
「俺はシルビアに勝たないといけないからだ。分かったろ、お前はあまりにも無駄なものを抱え過ぎている。自分の事を殺そうとしているような奴らまで助けようとしやがって、馬鹿じゃねーのか?」
「だったら不律さんは、大事なものまで捨ててしまっているバカですっ。自分を慕ってくれている方々を危険に巻き込み、そして、何よりも自分の事なんてどうでもいいと思っているようなその意思が、どうしても私を『負けたくない』と奮い立たせるんです」
もうこうなれば意地の張り合い、水掛け論。お互いに同じなのは根っこだけで、それ以外の幹や葉をつけている部分は何から何まで正反対だ。俺の心ってやつを具現化できるのならば、それを鏡に映して見てみたい。きっとそれがシルビアの心の形ってやつになるんだろう。
下の方を見れば、もうすでにヴィルヘルや鎧筋肉おじさんの姿は無く、殿を務めているのであろう少数の極騎兵たちが、マナドゥらに吹き飛ばされながらも必死に食い下がっている様子が見て取れる。
シルビアの銀色の魔力が一際眩く力強く輝き始め、それに触発されたのか、俺の尻尾は嬉しそうにうねうねと揺らめいた。意識をしっかり持っておかないと、またベアトリーチェたちと出会った時の様に、この体に理性を飲み込まれてしまいそうだ。
「私は不律さんのやり方を、認めるわけにはいきません」
「あぁ、だからこそ俺達はこうやって戦い合うしかないんだよ」
自分を殴るよりもきっと、俺はコイツを殴る事の方がずっと痛い。さっきコイツの不意を突いて殴り飛ばした時も、心臓が握りつぶされたかのような痛みを覚えたぐらいに。
誰が悪いとか、そんな話じゃない。そんなのが分かってりゃ今すぐにでもそいつを殺しに行ってる。
誰も悪くないのさ。みんながみんなどこかで何かを踏み外した故に、こんな悪循環が回ってるんだ。だったら俺達は何にこの思いをぶつければいい。自分を殴るよりもよっぽど痛い人間を殴って、俺は一体どうすれば良い。
「………理由とかじゃなくて、もう、お互い、曲げられないんだよ」
そこからの戦闘は、時間にしてみたらあっという間だった。
先ほどから過剰なほどの魔力を体に纏いながら、自らと同じくらいの大きさがあるのではなかろうかという大剣を小枝の如く振るうシルビア。はっきり言って、俺は防戦一方だった。両腕だけでは足りず尻尾も使いその連撃を弾き、俺が距離を開けようとするとシルビアはそれにぴったりとついてくる。いくら強化された甲殻といえど、それだけの攻撃を受ければ、黒曜石のような見た目のその甲殻もガリガリと削れ、みるみるうちに刺々しかった俺の体は何ともみすぼらしくヒビだらけの体へと早変わりしてしまった。そのヒビからは俺の血が漏れ出し、体表を赤黒く滑らせる。
ただ、俺はシルビアの表情を見ていてこの攻撃が長く続かないだろうなと予想していた。
さっきの過剰回復然り。そして昨日の夜、俺が寝ている間にカストディオさんの家を抜け出していたという事は、きっと睡眠不足も相まって身体的な疲労が溜まっているだろう。それらを鑑みた上で、明らかに今のシルビアの表情には、それらの疲労が色濃く反映されていた。あの連撃も、感情的になって無茶をしているという風にしか思えなかった。
そして、その時は意外と早く訪れる。
「はぁ、っ………いいか、シルビア。この世でお前を殺していいのは、俺だけだ………お前の生きた証を汚そうとするような奴に、お前を、殺させるわけにはいかないっ………だから、俺はここで負けるわけにはいかないんだよ」
「私だって………不律さんのことを、居場所を、世界から守れるのなら、この命さえ惜しくなかった………あなたを守れるのは、私だけなんです………だからここで負けるわけにはっ」
もう限界だった。
魔力がもう尽きたのだろうシルビアは、大剣を振り回している最中にプツンと力尽き、鎧も何もかもがその体から剥がれ霧散したのだ。結構な高度から落下し地面に強く体を打ち付けた少女は、当然もう戦うことなど出来ず、仰向けのまま息をするのも辛そうに地面に爪を立てている。
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ただ、体中が興奮していてあまり痛くないんだ。脳から分泌されるアドレナリンには鎮痛作用があると聞いたことがあるけれど、それと同じことなんだろうか。
ふわりと地面に降り、俺は倒れているシルビアを見下ろしていた。
「シルビア、もう無理だ。お前の負けだ」
「………そんなことっ、ないです」
「これが最後だ。なぁシルビア、俺と同じ痛みを持つお前だけなんだ、こんなことを頼めるのは。俺と一緒に、この腐った世界に復讐してやろう。この世界にもどの世界にも、あまりに傷つかないやつらが多すぎる。お願いだ、俺と一緒に来てくれないか?」
悔しさによるものなのか、それとも痛みによるものなのかは分からない。
元々整った顔立ちをしている少女の顔はぐしゃぐしゃに歪んでいる。ヒューヒューと空気が気管で擦れてるような声をひり出し、シルビアは血を吐きながら大声で叫んだ。
「───嫌ですっ!!そんな………悲しいこと言わないで下さい」
その吐き出した大声には涙が混じり、俺にはシルビアが最後らへん何と言っていたのか上手く聞き取れなかった。思えば、こいつが泣くのを見るのは初めてだ、それもこんなぐしゃぐしゃに。
笑った顔は知っている。そういやシルビアは悲しい時も楽しい時も、笑っていたような気がする。今まで勇者として生きてきたが故に、皆の希望であり続けるが為に笑う事しか許されなかったと言った方が正しいか。
残る魔力を使い、俺は尻尾の先を回復させる。
「不律さん………誰も許さない人は、誰からも許されない人と同じです。私は、知ってます、不律さんは誰よりも優しい人だって………だから、何もかもを背負うような生き方はやめて下さい。こんなの、生きていくにはあまりにも辛すぎます」
「買いかぶりすぎだって。そして、残念だよ、シルビア」
未だ立ち上がろうとするシルビアに向けて、尻尾の先の焦点をそんな彼女の額に合わせた。
あまりにベタな表現だが、きっと、もっと違う世界でもっと違う出会い方をしていれば、なんて今更そんなことを思ってしまう。そうすれば、俺もこんなに胸が痛むことも無かっただろうに。
どうしようもなく体が震える。俺だってただの「人」だ、この尾を突き下ろすことに抵抗が無いわけじゃない。
だが、シルビアか俺が生き方を改めない限りはこの禍根はずっと残ったままで、またいずれこの瞬間が訪れるのは火を見るよりも明らかだ。だからこそ、俺はシルビアの誇り高き勇者としての生き様を守るために、再び絶望の象徴として『魔王』となることを誓う。
「今までありがとう、シルビア」
「………不律、さん」
ははっ………こんなことになるくらいだったら、やっぱり、俺は前の世界で何も知らないまま精神科病院に叩き込まれていた方が幸せだったのかもな。
そして、覚悟を決めた。
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私は人生をあきらめない。
エリザベート・ノイズの二回目の人生が始まった。
⭐️第16回 ファンタジー小説大賞参加中です。応援してくれると嬉しいです
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
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私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです
ぐるぐる
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前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。
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【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
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八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
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加筆修正しました。
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