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第十三章
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聖なる夜が始まりだった。
未熟だった自分は寒さに震えていた。嵐の夜もあった。闇に怯え眠れない日々が続いた。幽霊などという存在に恐れを抱いていていたこともあった。
憶えているはずもない口約束を信じ、一夜、二夜と指折り数え、千を超えた所で無意味と悟った。
大丈夫。やれる。戦える。彼は必ずやってくる。だから自分は待ち続けよう。
ギュッと首に下げた指輪を握りしめる。幾千回と言い聞かせてきた言葉。恐怖に飲み込まれそうになるたび、孤独に押しつぶされそうになるたびにその言葉と指輪で乗り越えてきた。
そうして十年。ようやくこの時が来たのだ。
「やあ、キキョウ。迎えに来たよ」
どれだけこの日を待ち望んだことだろうか。
此奴さえ倒せば全てが終わる。此奴を殺せば夢の続きを見ることができる。
今宵はよく冷える。そういえば体温維持の魔術を最近は使っていなかった。きっと人肌の温もりを知ってしまったからだろう。だが今は温もりを与えてくれる人はいない。
「ずっと恋焦がれていた。君と再会するのを楽しみにしてたんだ」
アーサーは語る。愉悦の表情を浮かべ。長年の願いが叶うと。
「君のために指輪を用意した。受け取ってくれ」
一歩。アーサーは小箱を取り出し、キキョウへと近づく。
「十年前の約束通り、結婚しよう」
キキョウは無言。アーサーを見つめながら沈黙を貫く。
両者の距離は手を伸ばせば触れ合えるほどに近づく。
ようやくキキョウは言葉を発した。
その瞳を紅玉に変えて、
「残念だけど、指輪なら間にあってるわ」
それが開戦に合図。
展開される極大の式。飛鳥やいつぞやの魔術師に使った物とは比べ物にならないぐらい遥かに巨大。――放つ。
キキョウの基本的な戦い方は魔眼に宿る莫大な魔力を使い圧倒的な力の差で敵を飲み込むというもの。生まれ持っての才能を持った彼女にはそんな戦い方で充分であり、それでほとんどの敵を葬ってきた。放った一撃は今のキキョウの全力。本来ならば戦いを決めるのに十分な威力を持っている。
だが、この敵だけは例外だ。
魔力の放出が止みアーサーの姿が見える。変わらぬ姿がそこにあった。
距離を取る。手を振り上げ魔力の衝撃波を放つ。魔術障壁によって防がれた。
まだだ、攻撃の手は緩めない。この勢いのまま攻めきらねば自分に勝機はない――
「どうしたんだい? 前より力が落ちてるじゃないか」
声は背後から。眼前に在ったはずのアーサーの姿は何時の間にか視界から消え、キキョウの死角を捉えていた。
「っ……」
腕を引っ張られ、強制的に後ろを向く形となる。アーサーがキキョウの魔眼を覗き込む。
「どうして本気を出さないんだい?」
「あなたごとき――本気を出すまでもないわ」
魔力で体を強化し強引に腕を振りほどく。魔弾を放ち炸裂させる。
轟音。耳鳴りが聴力を奪い、爆炎が視界を覆う。
「言ってくれるね」
爆炎を切り裂くようにアーサーが放った魔弾が襲い掛かる。迎え撃つようにありったけの魔弾を放つ。爆発が爆発を呼び連鎖が生まれる。
「でも、君にはその資格がある。僕に匹敵するだけの力を持ち、唯一僕と対等になりうる存在。だからこそ僕は君が欲しい」
両者の力は互角。爆炎は破壊の渦となり両者に近づくものを容赦なく砕く。
「だけど――」
アーサーの魔弾に込められた魔力が増大する。
「今の君は弱い」
拮抗が破れ魔弾が一気に押し返される。魔力の渦が雪崩の如くキキョウを襲う。
「これでもまだ強がりを言えるかい?」
「大したことないわね」
瞬間、大地が割れ幾つもの火柱が噴き出す。そのうちの一つがアーサーを捉えると火柱は一つに収束され業火となる。
「炎で僕に挑むとはね」
あれほどの攻撃を受けてなお無傷。業火に包まれながら歩く姿は魔人の如し。
「凌ぎ切れるかな?」
魔人が手を前へ突き出す。魔力が放出される。
「くっ――」
ありったけの魔力で障壁を展開する。右腕に痛みが走る。渦に襲われたときに負傷したか。だが今はそんなことに気を取られている暇はない。障壁の維持に全神経を集中させなければ一瞬で消されてしまう。
「もっとだ!」
全力で魔力を込めるキキョウを嘲笑うかのように出力が増す。威力が増した魔力は容易く障壁ごとキキョウを飲み込んだ。
「キキョウ、一体どうしちゃったんだい? 僕を愉しませてくれよ?」
魔人は焦土を歩く。一歩、また一歩と。魔弾を放つも足止めにすらならない。
「こんなものじゃないはずだ。十年前の君はもっと強かったじゃないか」
その声には悲愴が滲み、碧玉の瞳には耐えがたい怒りが宿っているように見えた。
「ここまで追い詰めれば十分だろう? 君の全力を見せてくれ」
その問いに対する答えは、
「何度も言わせないで、あなたごとき本気を出すまでもないわ」
刹那、アーサーを中心に大地に式が展開される。
「拘束魔術か!?」
式に魔力が奔りアーサーの身体を支配し動きを止める。同時に魔力の奔流を放つ。自由を奪われたアーサーに防ぐ術はない。
地面に展開された式は一つではない。初手で放ったものと同じ式も発動する。
続く連撃。アーサーの生死を確かめることもなく魔弾を放ち続け、それと並行しアーサーの頭上に設置した式に魔力を流す。発動。天の裁きの如く莫大な魔力が襲い掛かる。天と地と前方。三方向から放たれる魔力は容赦なく敵を滅殺する。
「は、はは、ははははははははは!!」
魔力に飲まれながらアーサーは嗤う。廃墟に狂った嗤い声が木霊する。
「やはり君は最高だ! そうだ、そうじゃなきゃいけない!」
歓喜に満ちた叫びは今というこの瞬間が愉しくてしょうがないというようで。
「知略を巡らし死力を尽くす! 全てを捨てて身命を賭す! それこそが闘争のあるべき姿! 僕が求める物に他ならない!!」
魔力の奔流を切り裂き魔人がその姿を現す。
「生と死の境界を彷徨うこの快感! ギリギリの闘いの中でのみ得られる充足感! 拮抗した両者がいて初めて闘争は完成される! 最高だ! キキョウ、やはり君は素晴らしい! 僕を愉しませてくれるのは君しかいない!!」
少女は舞う。月夜を背景に廃墟に降り立つ。
その紅玉に曇りはなく、月明かりしかとどかない廃墟を紅く染める。
右手を前へ、式を描く。
創りだすのは超高密度に魔力を圧縮した光の槍。
「さあ、もっと殺し合おう(あいしあおう)!」
「来なさい」
序章は終わり、戦いは次の舞台へ。
夜は長く、夜明けは遠い。
死闘は続く。
無限に広がる白銀の世界。
全てを飲み込む黒は消え、周囲は全てから隔絶されているように静か。
「ごめんなさい」
女の子が泣いていた。泣きながら謝っていた。
何故?
君は何も悪いことなんてしていないのに。
「私には何もないから」
白い世界の唯一の灯り。その紅が酷く遠い。
「何もあなたにあげられなくて」
いらない。何もいらない。だからお願いだ、泣き止んでくれ。笑顔を見せてくれ――
「だから――」
だけど僕の願いは届かない。
「せめて、この――を――」
遠かった紅は触れ合うほど近く。混ざり合い。やがて一つとなった。
白の世界が紅く染まる。
どこまでも、赤く、朱く、紅く。
これが彼女の見ていた世界。世界はこんなにも血に塗れていた。
急に酷い眠気が襲ってきた。だんだん意識が遠のいていく。
身体が酷く軽い。まるで風穴でも空いてるかのようだ。
心地いい微睡。でも、なぜか瞼を閉じてはいけない気がして。眼を閉じたら二度と会えなくなるような気がして。
どれだけ抵抗しても瞼はその重みを増すばかりで。
意識が幻想の彼方に引きずり込まれる。
必ず、必ずまた会いに来るから。
最後に見た光景は、
「ずっと、待ってる」
眼に涙を浮かべている少女の姿だった。
未熟だった自分は寒さに震えていた。嵐の夜もあった。闇に怯え眠れない日々が続いた。幽霊などという存在に恐れを抱いていていたこともあった。
憶えているはずもない口約束を信じ、一夜、二夜と指折り数え、千を超えた所で無意味と悟った。
大丈夫。やれる。戦える。彼は必ずやってくる。だから自分は待ち続けよう。
ギュッと首に下げた指輪を握りしめる。幾千回と言い聞かせてきた言葉。恐怖に飲み込まれそうになるたび、孤独に押しつぶされそうになるたびにその言葉と指輪で乗り越えてきた。
そうして十年。ようやくこの時が来たのだ。
「やあ、キキョウ。迎えに来たよ」
どれだけこの日を待ち望んだことだろうか。
此奴さえ倒せば全てが終わる。此奴を殺せば夢の続きを見ることができる。
今宵はよく冷える。そういえば体温維持の魔術を最近は使っていなかった。きっと人肌の温もりを知ってしまったからだろう。だが今は温もりを与えてくれる人はいない。
「ずっと恋焦がれていた。君と再会するのを楽しみにしてたんだ」
アーサーは語る。愉悦の表情を浮かべ。長年の願いが叶うと。
「君のために指輪を用意した。受け取ってくれ」
一歩。アーサーは小箱を取り出し、キキョウへと近づく。
「十年前の約束通り、結婚しよう」
キキョウは無言。アーサーを見つめながら沈黙を貫く。
両者の距離は手を伸ばせば触れ合えるほどに近づく。
ようやくキキョウは言葉を発した。
その瞳を紅玉に変えて、
「残念だけど、指輪なら間にあってるわ」
それが開戦に合図。
展開される極大の式。飛鳥やいつぞやの魔術師に使った物とは比べ物にならないぐらい遥かに巨大。――放つ。
キキョウの基本的な戦い方は魔眼に宿る莫大な魔力を使い圧倒的な力の差で敵を飲み込むというもの。生まれ持っての才能を持った彼女にはそんな戦い方で充分であり、それでほとんどの敵を葬ってきた。放った一撃は今のキキョウの全力。本来ならば戦いを決めるのに十分な威力を持っている。
だが、この敵だけは例外だ。
魔力の放出が止みアーサーの姿が見える。変わらぬ姿がそこにあった。
距離を取る。手を振り上げ魔力の衝撃波を放つ。魔術障壁によって防がれた。
まだだ、攻撃の手は緩めない。この勢いのまま攻めきらねば自分に勝機はない――
「どうしたんだい? 前より力が落ちてるじゃないか」
声は背後から。眼前に在ったはずのアーサーの姿は何時の間にか視界から消え、キキョウの死角を捉えていた。
「っ……」
腕を引っ張られ、強制的に後ろを向く形となる。アーサーがキキョウの魔眼を覗き込む。
「どうして本気を出さないんだい?」
「あなたごとき――本気を出すまでもないわ」
魔力で体を強化し強引に腕を振りほどく。魔弾を放ち炸裂させる。
轟音。耳鳴りが聴力を奪い、爆炎が視界を覆う。
「言ってくれるね」
爆炎を切り裂くようにアーサーが放った魔弾が襲い掛かる。迎え撃つようにありったけの魔弾を放つ。爆発が爆発を呼び連鎖が生まれる。
「でも、君にはその資格がある。僕に匹敵するだけの力を持ち、唯一僕と対等になりうる存在。だからこそ僕は君が欲しい」
両者の力は互角。爆炎は破壊の渦となり両者に近づくものを容赦なく砕く。
「だけど――」
アーサーの魔弾に込められた魔力が増大する。
「今の君は弱い」
拮抗が破れ魔弾が一気に押し返される。魔力の渦が雪崩の如くキキョウを襲う。
「これでもまだ強がりを言えるかい?」
「大したことないわね」
瞬間、大地が割れ幾つもの火柱が噴き出す。そのうちの一つがアーサーを捉えると火柱は一つに収束され業火となる。
「炎で僕に挑むとはね」
あれほどの攻撃を受けてなお無傷。業火に包まれながら歩く姿は魔人の如し。
「凌ぎ切れるかな?」
魔人が手を前へ突き出す。魔力が放出される。
「くっ――」
ありったけの魔力で障壁を展開する。右腕に痛みが走る。渦に襲われたときに負傷したか。だが今はそんなことに気を取られている暇はない。障壁の維持に全神経を集中させなければ一瞬で消されてしまう。
「もっとだ!」
全力で魔力を込めるキキョウを嘲笑うかのように出力が増す。威力が増した魔力は容易く障壁ごとキキョウを飲み込んだ。
「キキョウ、一体どうしちゃったんだい? 僕を愉しませてくれよ?」
魔人は焦土を歩く。一歩、また一歩と。魔弾を放つも足止めにすらならない。
「こんなものじゃないはずだ。十年前の君はもっと強かったじゃないか」
その声には悲愴が滲み、碧玉の瞳には耐えがたい怒りが宿っているように見えた。
「ここまで追い詰めれば十分だろう? 君の全力を見せてくれ」
その問いに対する答えは、
「何度も言わせないで、あなたごとき本気を出すまでもないわ」
刹那、アーサーを中心に大地に式が展開される。
「拘束魔術か!?」
式に魔力が奔りアーサーの身体を支配し動きを止める。同時に魔力の奔流を放つ。自由を奪われたアーサーに防ぐ術はない。
地面に展開された式は一つではない。初手で放ったものと同じ式も発動する。
続く連撃。アーサーの生死を確かめることもなく魔弾を放ち続け、それと並行しアーサーの頭上に設置した式に魔力を流す。発動。天の裁きの如く莫大な魔力が襲い掛かる。天と地と前方。三方向から放たれる魔力は容赦なく敵を滅殺する。
「は、はは、ははははははははは!!」
魔力に飲まれながらアーサーは嗤う。廃墟に狂った嗤い声が木霊する。
「やはり君は最高だ! そうだ、そうじゃなきゃいけない!」
歓喜に満ちた叫びは今というこの瞬間が愉しくてしょうがないというようで。
「知略を巡らし死力を尽くす! 全てを捨てて身命を賭す! それこそが闘争のあるべき姿! 僕が求める物に他ならない!!」
魔力の奔流を切り裂き魔人がその姿を現す。
「生と死の境界を彷徨うこの快感! ギリギリの闘いの中でのみ得られる充足感! 拮抗した両者がいて初めて闘争は完成される! 最高だ! キキョウ、やはり君は素晴らしい! 僕を愉しませてくれるのは君しかいない!!」
少女は舞う。月夜を背景に廃墟に降り立つ。
その紅玉に曇りはなく、月明かりしかとどかない廃墟を紅く染める。
右手を前へ、式を描く。
創りだすのは超高密度に魔力を圧縮した光の槍。
「さあ、もっと殺し合おう(あいしあおう)!」
「来なさい」
序章は終わり、戦いは次の舞台へ。
夜は長く、夜明けは遠い。
死闘は続く。
無限に広がる白銀の世界。
全てを飲み込む黒は消え、周囲は全てから隔絶されているように静か。
「ごめんなさい」
女の子が泣いていた。泣きながら謝っていた。
何故?
君は何も悪いことなんてしていないのに。
「私には何もないから」
白い世界の唯一の灯り。その紅が酷く遠い。
「何もあなたにあげられなくて」
いらない。何もいらない。だからお願いだ、泣き止んでくれ。笑顔を見せてくれ――
「だから――」
だけど僕の願いは届かない。
「せめて、この――を――」
遠かった紅は触れ合うほど近く。混ざり合い。やがて一つとなった。
白の世界が紅く染まる。
どこまでも、赤く、朱く、紅く。
これが彼女の見ていた世界。世界はこんなにも血に塗れていた。
急に酷い眠気が襲ってきた。だんだん意識が遠のいていく。
身体が酷く軽い。まるで風穴でも空いてるかのようだ。
心地いい微睡。でも、なぜか瞼を閉じてはいけない気がして。眼を閉じたら二度と会えなくなるような気がして。
どれだけ抵抗しても瞼はその重みを増すばかりで。
意識が幻想の彼方に引きずり込まれる。
必ず、必ずまた会いに来るから。
最後に見た光景は、
「ずっと、待ってる」
眼に涙を浮かべている少女の姿だった。
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