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宿角玲那編
思惑
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「久美、話があるんだ。大事な話なんだ…!」
「イヤ!、聞きたくない…!」
玄関を開けようとする久美に、敏文が声を掛ける。しかし彼女は耳を塞ぎ彼の言葉に耳を貸そうとはしない。そんな二人を玲那は冷めた目で見ていた。
敏文は言う。
「久美、これは本当に大事なことなんだ。お前の将来にも関わることなんだよ…!」
「……」
彼がそこまで言うのなら確かに大事なことなのだと思う。実際、彼の言うことはこれまでも正しかった。しかし、こればっかりは聞けない。引っ込み思案で友達がなかなかできなかった自分に初めてできた友達なのだ。それと縁を切れなどと、聞き入れられる訳がない。
だがこの時の彼の様子は、これまでとは少し違っていた。とにかく上から目線で頭ごなしに押し付けてくる感じだったものが、どこか縋るような感じになっているようにも思えた。だからつい、強く拒絶できなかった。それを好機だと感じたのだろう。敏文の目が一瞬、鋭い光を放った。しかしあくまで口調は柔らかく続けた。
「伯父さんが人に言えないようなことをしてるのは間違いないんだ。僕は見たんだよ。その子が伯父さんの事務所から出てくるところを…」
ちらりと玲那の方に視線を向けつつそう言った敏文に、久美は泣きそうな顔を向けていた。そんな彼女の様子を見て、彼は内心、自分のペースに巻き込めたことを喜んでいた。こうなれば後はもう、以前のように優しくしてやれば丸め込むことも難しくない。時間はかかったが何とかうまくいきそうだと、顔には出さずほくそ笑んでいたのだった。
ただ、その時に、二人の様子を見ていた玲那が見せた表情には気付かなかったのは大きな失敗だっただろう。中学生の従妹を手玉に取ることはできても、所詮はそこまでだったということか。
とは言え、玲那の方も、この時の自身の振る舞いは、本人にもなぜそこまで出来たのか分からなかった。まるで何かが乗り移ったかのような、何かが<降りてきた>かのように彼女の体が動いただけであった。
「その人の言うとおりなの……」
不意に届いてきた、絞り出すようなその声に、久美も敏文もハッとした顔で振り向いた。その視線の先には、小さな子供のようなあどけない顔をして涙をぽろぽろとこぼす玲那の姿があった。
「ごめんね…今まで黙ってて……でも、私も久美にばれるのが怖かった……私に酷いことをしたのが久美のお父さんだっていうのがばれたら、久美が悲しむと思ったから……」
それ自体は<演技>というよりも、以前の玲那の姿そのものだっただけだろう。他人に怯えおどおどとするかつての彼女がそこにいるだけだったのだから。そしてその痛ましい姿は、久美と敏文の胸をぎゅうっと締め付けた。久美を守る為に彼女を利用しようとさえ考えていた敏文ですらいたたまれなくなる程に。
だが同時に、敏文は胸の内でガッツポーズさえしていた。
『これはいい…! これで久美も目を覚ます筈だ。この子を引き離すのはまだ無理でも、少なくとも父親が何をしてるのかさすがに察するだろう…!』
それが彼の狙いだった。以前は玲那さえ引き離せば何とかなると思っていたが、やはり元凶である父親から引き離さないと駄目だと思うようになっていたのだ。しかもちょうど、母親が離婚を画策中だという。だが、肝心の久美は母親よりも父親に懐いているらしい。今のままでは父親の方について行ってしまいかねない。だから、彼女の父親に対する信頼を下げ、父親の方について行くのを阻止することが狙いの一つだったのである。故に今になってこうして接触してきたのだ。
その敏文の前で、久美は青い顔をしていた。玲那の突然の告白に理解が追い付かず、血の気が引いたままの状態になっているようだった。思考も停止しているようだ。そんな彼女に向かい、玲那はさらに語り掛けた。
「私も、久美のことが好き。私に酷いことをした人の家族とか関係ない……だから辛かった……久美の前でどんな顔をしてたらいいか分からなかった……久美に冷たい態度を取ったりしてたのもその所為……ごめんね…ごめんね久美……」
うなだれ、立ち尽くしたままそう話す玲那の目から、とめどもなく涙が溢れ、地面へと落ちた。この時の玲那の姿を見て何とも思わない人間がいるとしたら、それはよほど情の薄い人間か、そもそも情動が欠落している人間だろう。それほどまでに見る者の心の深いところにまで突き刺さるほどの姿だった。だから久美がそれに心動かされてしまっても、何もおかしくはなかった。
「…玲那……そんなことない…玲那が謝る必要ないよ……玲那も辛かったんだね……私、知らなかった…そんなこと全然知らなかった…だけど知らないで済まされることじゃないよね……私の方こそごめんなさい…気付いてあげられなくて……」
いつしか久美の目からも涙が溢れ、彼女は縋るように玲那の体を抱き締め震えていた。これ以上ないほどに玲那に共感していた。
「分かった……私、ちゃんと聞く。玲那の話をちゃんと聞く。だから私に話して……」
そう言いながら、久美と玲那は家の中へと消えた。一緒に入ろうとした敏文に対しては、
「ごめんね、トシ兄ぃ…。これはやっぱり男の人の前では話しにくいことだと思うから、私が玲那から話を聞いておくね……」
と断った。そう言われてはさすがに敏文も引き下がるしかなかったが、詳しい話を聞けばそれこそ父親に対する久美の信頼は致命的なダメージを受けるだろう。そうなれば後は自分が傷付いた久美を支えてやれば完璧な筈だ。だから、
「あ、ああ、そうだな……」
と物分かりの良い年長者としての姿を見せつつ、敢えて大人しく引き下がった。明日にでも改めて様子を見に来ることにしよう。
そう考えながら久美の家を背にして歩き出す。だがそんな敏文の胸に、ふと、先程の玲那の姿が浮かんだ。その痛々しい姿が改めて彼の奥深いところに刺さってくる。さっきまでは久美のことしか考えていなかったが、あの少女の涙を見て、それだけではないものが彼の中にも生じつつあった。玲那に対する同情だ。
『あんな女の子を苦しめるとか、許せない……!』
固く、熱を持ち、そして胸をギリギリと軋ませる何かが、彼の中に生じ始めていた。憤りだ。あんな弱々しくて儚げな少女に対して、あの男は、あの伯父はいったい、何をしたと言うのか…!?
敏文は、冷淡な一面も持ちつつも、基本的には真面目で正義感の強い人間だった。故に久美を守らなければいけないとも思っていたのだ。そしてこの時、その守らなければいけない対象に、玲那も加わりつつあった。久美に比べれば優先度はずっと低いが。
自分の家に帰ってからも、敏文は久美と玲那のことが気になって何も手につかず、ベッドに横になってただ時間が過ぎるのを待っていた。そこに、
「敏文、お父さんが話があるって」
自室のドアをノックしつつ、母がそう声を掛けてきた。『父さんが…? なんだろう』と思いつつ部屋を出て父が待つリビングに下りた。そこには、伯父の克光に瓜二つな父、克仁が、ソファーにどっしりと腰を下ろし、敏文を真っ直ぐに見詰めていた。
「座りなさい、敏文」
父親に促され、敏文は向かいのソファーに姿勢を正して座った。こうして向かい合うと、父は、伯父の克光とは姿こそそっくりだがまるで雰囲気が違うというのを改めて感じた。すると父親は、緊張した面持ちで自分を見る息子に対し、静かに、しかし重みを感じさせる言葉を掛けたのだった。
「敏文。お前はお前の思う通りに生きなさい。私はお前を信じている」
「イヤ!、聞きたくない…!」
玄関を開けようとする久美に、敏文が声を掛ける。しかし彼女は耳を塞ぎ彼の言葉に耳を貸そうとはしない。そんな二人を玲那は冷めた目で見ていた。
敏文は言う。
「久美、これは本当に大事なことなんだ。お前の将来にも関わることなんだよ…!」
「……」
彼がそこまで言うのなら確かに大事なことなのだと思う。実際、彼の言うことはこれまでも正しかった。しかし、こればっかりは聞けない。引っ込み思案で友達がなかなかできなかった自分に初めてできた友達なのだ。それと縁を切れなどと、聞き入れられる訳がない。
だがこの時の彼の様子は、これまでとは少し違っていた。とにかく上から目線で頭ごなしに押し付けてくる感じだったものが、どこか縋るような感じになっているようにも思えた。だからつい、強く拒絶できなかった。それを好機だと感じたのだろう。敏文の目が一瞬、鋭い光を放った。しかしあくまで口調は柔らかく続けた。
「伯父さんが人に言えないようなことをしてるのは間違いないんだ。僕は見たんだよ。その子が伯父さんの事務所から出てくるところを…」
ちらりと玲那の方に視線を向けつつそう言った敏文に、久美は泣きそうな顔を向けていた。そんな彼女の様子を見て、彼は内心、自分のペースに巻き込めたことを喜んでいた。こうなれば後はもう、以前のように優しくしてやれば丸め込むことも難しくない。時間はかかったが何とかうまくいきそうだと、顔には出さずほくそ笑んでいたのだった。
ただ、その時に、二人の様子を見ていた玲那が見せた表情には気付かなかったのは大きな失敗だっただろう。中学生の従妹を手玉に取ることはできても、所詮はそこまでだったということか。
とは言え、玲那の方も、この時の自身の振る舞いは、本人にもなぜそこまで出来たのか分からなかった。まるで何かが乗り移ったかのような、何かが<降りてきた>かのように彼女の体が動いただけであった。
「その人の言うとおりなの……」
不意に届いてきた、絞り出すようなその声に、久美も敏文もハッとした顔で振り向いた。その視線の先には、小さな子供のようなあどけない顔をして涙をぽろぽろとこぼす玲那の姿があった。
「ごめんね…今まで黙ってて……でも、私も久美にばれるのが怖かった……私に酷いことをしたのが久美のお父さんだっていうのがばれたら、久美が悲しむと思ったから……」
それ自体は<演技>というよりも、以前の玲那の姿そのものだっただけだろう。他人に怯えおどおどとするかつての彼女がそこにいるだけだったのだから。そしてその痛ましい姿は、久美と敏文の胸をぎゅうっと締め付けた。久美を守る為に彼女を利用しようとさえ考えていた敏文ですらいたたまれなくなる程に。
だが同時に、敏文は胸の内でガッツポーズさえしていた。
『これはいい…! これで久美も目を覚ます筈だ。この子を引き離すのはまだ無理でも、少なくとも父親が何をしてるのかさすがに察するだろう…!』
それが彼の狙いだった。以前は玲那さえ引き離せば何とかなると思っていたが、やはり元凶である父親から引き離さないと駄目だと思うようになっていたのだ。しかもちょうど、母親が離婚を画策中だという。だが、肝心の久美は母親よりも父親に懐いているらしい。今のままでは父親の方について行ってしまいかねない。だから、彼女の父親に対する信頼を下げ、父親の方について行くのを阻止することが狙いの一つだったのである。故に今になってこうして接触してきたのだ。
その敏文の前で、久美は青い顔をしていた。玲那の突然の告白に理解が追い付かず、血の気が引いたままの状態になっているようだった。思考も停止しているようだ。そんな彼女に向かい、玲那はさらに語り掛けた。
「私も、久美のことが好き。私に酷いことをした人の家族とか関係ない……だから辛かった……久美の前でどんな顔をしてたらいいか分からなかった……久美に冷たい態度を取ったりしてたのもその所為……ごめんね…ごめんね久美……」
うなだれ、立ち尽くしたままそう話す玲那の目から、とめどもなく涙が溢れ、地面へと落ちた。この時の玲那の姿を見て何とも思わない人間がいるとしたら、それはよほど情の薄い人間か、そもそも情動が欠落している人間だろう。それほどまでに見る者の心の深いところにまで突き刺さるほどの姿だった。だから久美がそれに心動かされてしまっても、何もおかしくはなかった。
「…玲那……そんなことない…玲那が謝る必要ないよ……玲那も辛かったんだね……私、知らなかった…そんなこと全然知らなかった…だけど知らないで済まされることじゃないよね……私の方こそごめんなさい…気付いてあげられなくて……」
いつしか久美の目からも涙が溢れ、彼女は縋るように玲那の体を抱き締め震えていた。これ以上ないほどに玲那に共感していた。
「分かった……私、ちゃんと聞く。玲那の話をちゃんと聞く。だから私に話して……」
そう言いながら、久美と玲那は家の中へと消えた。一緒に入ろうとした敏文に対しては、
「ごめんね、トシ兄ぃ…。これはやっぱり男の人の前では話しにくいことだと思うから、私が玲那から話を聞いておくね……」
と断った。そう言われてはさすがに敏文も引き下がるしかなかったが、詳しい話を聞けばそれこそ父親に対する久美の信頼は致命的なダメージを受けるだろう。そうなれば後は自分が傷付いた久美を支えてやれば完璧な筈だ。だから、
「あ、ああ、そうだな……」
と物分かりの良い年長者としての姿を見せつつ、敢えて大人しく引き下がった。明日にでも改めて様子を見に来ることにしよう。
そう考えながら久美の家を背にして歩き出す。だがそんな敏文の胸に、ふと、先程の玲那の姿が浮かんだ。その痛々しい姿が改めて彼の奥深いところに刺さってくる。さっきまでは久美のことしか考えていなかったが、あの少女の涙を見て、それだけではないものが彼の中にも生じつつあった。玲那に対する同情だ。
『あんな女の子を苦しめるとか、許せない……!』
固く、熱を持ち、そして胸をギリギリと軋ませる何かが、彼の中に生じ始めていた。憤りだ。あんな弱々しくて儚げな少女に対して、あの男は、あの伯父はいったい、何をしたと言うのか…!?
敏文は、冷淡な一面も持ちつつも、基本的には真面目で正義感の強い人間だった。故に久美を守らなければいけないとも思っていたのだ。そしてこの時、その守らなければいけない対象に、玲那も加わりつつあった。久美に比べれば優先度はずっと低いが。
自分の家に帰ってからも、敏文は久美と玲那のことが気になって何も手につかず、ベッドに横になってただ時間が過ぎるのを待っていた。そこに、
「敏文、お父さんが話があるって」
自室のドアをノックしつつ、母がそう声を掛けてきた。『父さんが…? なんだろう』と思いつつ部屋を出て父が待つリビングに下りた。そこには、伯父の克光に瓜二つな父、克仁が、ソファーにどっしりと腰を下ろし、敏文を真っ直ぐに見詰めていた。
「座りなさい、敏文」
父親に促され、敏文は向かいのソファーに姿勢を正して座った。こうして向かい合うと、父は、伯父の克光とは姿こそそっくりだがまるで雰囲気が違うというのを改めて感じた。すると父親は、緊張した面持ちで自分を見る息子に対し、静かに、しかし重みを感じさせる言葉を掛けたのだった。
「敏文。お前はお前の思う通りに生きなさい。私はお前を信じている」
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