宿角玲那の生涯

京衛武百十

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伊藤玲那編

学ぶは真似ぶ

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仁美ひとみの両親は、世間から見ればごく普通という感じの人間だっただろう。共働きで我が子を保育園に預けて仕事をしてるというのも実に普通だ。家での様子もこれといって異常でもないと思われる。

仕事で忙しいことを言い訳に娘のことをあまり構わないようにしていたのも世間一般ではそれほど珍しいことでもない。保育園に通わせる前にテレビをつけて延々とアニメなどを見せていたのも然りだ。

しかし、<普通>であることと行いが適切であるかどうかというのも実は必ずしも一致しない、この時の仁美の両親の行いは間違いなく適切ではなかった。

「わたしのなまえは、やすきひとみだ。わたしは、おまえたちとはあそばない。わたしはじぶんのすきにさせてもらう」

保育園で他の園児の前で自己紹介させられた時に、仁美は開口一番、そんなことを口走ったのだった。それはどうやら、当時放送されていたアニメに出てくる、主人公のライバルキャラの口調をそのまま真似たものだったようである。仁美の両親がずっとテレビに子守りをさせていたことで、それがすっかり口についてしまったようだった。

しかも、一時的にそうだったわけではなく、普段は無口ながら一度しゃべりだすと汚い言葉遣いばかりであった。

さすがにこれには保育園側も閉口させられた。しかも、そういう乱暴な話し方は良くないと諭して何とか直そうとはしたのだがそれは一向に功を奏さず、保育園はついに仁美の両親に面談して、家庭の方でも彼女の口調を改めるように躾けてほしいと泣きついたのである。

すると両親は、恥を掻かされたと言って娘に対して激高。

「今後はそういうしゃべり方は禁止! ちゃんとしたしゃべり方をしろ!!」

と幼い我が子の前で怒鳴り散らした。

だが、子供がどういう風に言葉を学ぶかと言えば、当然、見聞きしたものを真似るところから入る訳で、そんな子供の前で口汚く罵れば、それを学び取ってしまうのも当たり前のことの筈だ。仁美の両親は、そういうことに考えが至る人間ではなかった。

「テレビではこういってた! パパとママもいってる。わたしはわるくない!」

両親の言い草に納得がいかなかった仁美はそう言って反抗した。その口ぶりは、言葉こそ汚いのかもしれないが、年齢を考えれば普通はあり得ない程に理路整然として筋の通った物言いだった。仁美の知能が決して低い訳ではないことを表していたと考えることもできるだろう。とは言え、幼い子供にそんな態度に出られては親のメンツが立たないと、両親はさらに感情的になった。

「子供のクセに親に口答えすんな! 誰が育ててやってると思ってんだ!!」

酷く殴ったりはしなかったものの、それでも何度か叩くことはあった。両親はそれが躾というものだと思っていた。だが、具体的にきちんと効果を上げられなければそれは躾とは言えない。そしてただ怒鳴って威圧しただけでは相手を納得させることなどできない。当たり前だ。職場で具体的な指示もせずただ怒鳴るだけで部下が育つか考えてみるといいだろう。子供だってそうだ。

自分が適切なやり方をできるだけの能力がないことを棚に上げていくら子供を責めたところで、ただ反発を招くだけだというのは当たり前の筈である。適切なやり方が出来ない自分を甘やかしてもらおうとしたところでそれが通用するほど世の中は甘くない。『子供は親を敬うべき』とか、『目上の人間に対しては敬意を払うべき』という考え方は、間違ったことをしてる人間であっても親とか目上とかいうだけで敬ってもらえることを保証してくれるものではない。

適切でないものは、どんなに言い訳を並べてみても適切ではないのだ。元々、それほど重度ではないといえど言語野に障害を持つ我が子をそれと気付くこともなくテレビ漬けにしてテレビから言葉を学ばせておいて自分達の思う通りに育つと考える方がどうかしている。

仁美の両親は、そういうことを理解できる人間でもなかった。娘が自分達の言うとおりにしてくれないのは自分達のやり方が適切ではないからだということに考えが至る人間でもなかった。

故に親子の溝は埋まるどころかただひたすら広がっていき、その結果、娘は中学に上がる頃には家にいることはできないと結論付けることになった。友人や、援助交際を持ちかけた相手など何人かの人間の家を転々とした果てに莉々りりの家に転がり込むこととなった。

それでもなお、この娘を責める人間はいるだろう。『子供なのだから親の言うことに従うべきだ』とか、『親に養ってもらってるクセに四の五の言うな』とか。だがそれは、自分の間違いを正すこともできない両親の側を甘やかしてるだけにしかならない。それでは駄目なのだ。だから上手くいかなかった。

しかもこの頃には仁美は、自分の体を売った金で生計を立てていたし、両親のところにキャッシュカードを置いてきた自分名義の口座に、学費などとして金を入金していた。そして両親は、そのキャッシュカードでおろした、娘が稼いだ金の一部を自分達のもののように使っていた。もう既に、彼女は両親には養われていなかったのだ。高校に進学した時も、莉々りりが進学するのを真似て自分で手続きをした。彼女はそこまで徹底していた。

ちなみに大学まではさすがに行こうとは考えていなかった。普通に就職できるようになれば今の仕事からは足を洗おうとも考えている。彼女にとって今の仕事は、まぎれもなく生きる為の手段だった。方法としては正しくないからそれが責められるなら仕方ないとも考えていた。もし補導されたりしても大人しく従う覚悟もしていた。もっとも、だからと言って辞める気もなかったが。

だから彼女は、明らかに両親に無理矢理仕事をやらされているのが分かる玲那には優しかった。辞めさせることはできなくても、せめて慰めるくらいはしてやれればと思って頭を撫でたり抱き締めたりもした。

「泣きたいなら泣け。でも負けるな。お前は生きていつか親を見返してやれ。それが親に対する復讐になる」

玲那の頭を撫でながら小さな声でぼそぼそと呟く彼女の言葉を、この時の玲那がどれほど理解できていたかと言われればそれは心許ないものでしかない。ただ、頭を撫でてくれたり抱き締めてもらったことで辛うじて持ち堪えられていたことは間違いない事実だった。

なのにいつの頃からか玲那は彼女を避けるようになり、やがて目を合わせることさえなくなった。自分のことが必要なくなったのならそれでいいと考えた仁美はなるべく難しく考えないようにしてスルーした。これ以上首を突っ込んでも自分にできることは何もないのが分かっていたからだ。

さりとて、そういう状態がいつまで続く訳でもないのも世の常かも知れない。ましてや法の目をかいくぐった裏商売など、司法がその気にさえなればたやすく潰せるものなのだろう。よほどの権力でも背後についていない限りは。

見た目が小学生でも十分に通じることから小学生だと言い張ってきたもののさすがに玲那よりも年下だというのには無理があったことで、玲那が中学に上がる時には自分も中学生として続けることにしようと考えていた矢先、彼女が所属していた裏風俗店は突然、社長の、

「サツに勘付かれそうになった。ヤバいから解散する。今後は一切、連絡もするな。もっとも、今の連絡先は全部消すから連絡できなくなるがな」

という言葉だけで跡形もなく消滅してしまったのだった。

まあこの時には既に、玲那と仁美も中学に上がるという形になって、麻音まのん心音ここねも仕事を辞めてしまっていて、小学生チームは無くなっていたのだが。

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