宿角玲那の生涯

京衛武百十

文字の大きさ
上 下
14 / 39
伊藤玲那編

虚構の仮面

しおりを挟む
陽菜ひな、いや仁美ひとみに今の仕事を紹介した莉々りりは、高校生になっていた。もちろん仕事も続けている。当然ながら、そのことは秘密にしていたが。

あの仕事は、莉々にとって非常にありがたいものになっていた。何しろアリバイ工作もやってくれるのだ。莉々の場合は、社長の知人の会社で荷捌きのバイトをしていることになっている。基本的に校則でバイトは禁止されているが、よほど大っぴらにやらなければ黙認されている状態だった。ましてや荷捌きという地味なバイトなど、新聞配達と同じくらいに<社会勉強>とさえ見做されていたようだ。

放課後、教室で帰る用意をしていた莉々は、廊下を歩く仁美の姿を捉えて、声を掛けていた。

「今から帰るとこ? 一緒に帰ろ」

そう。そこにいたのは<仁美>だった。髪型こそストレートにして若干は印象が変わっているが、まぎれもなく<陽菜>と名乗り玲那と同じ小学生チームに所属している彼女である。体は小さく顔つきもあどけないものの、身に着けていたのも莉々と同じく高校の制服だった。つまりはそういうことだ。子供っぽくキャラクターものの飾りのついたゴムで髪をまとめてしまえばそれこそ小学生にしか見えないその姿を利用して、小学生として自分を売っていたということだった。

帰り道。並んで歩く仁美に対し、莉々は殆ど一方的に話しかけていた。

「去年、莉愛りあが仕事帰りに交通事故で死んだ時にはどうなる事かと思ったけど、まあ実際には大した騒ぎにもならずに済んで助かったよ。でもあんたも、事故とか気を付けなよ。もしなんかあって仕事のことばれたりしたら私達まとめてお終いなんだからね」

軽い感じでそう話す莉々の言葉からは、人間らしい情というものが殆ど伝わってこなかった。仁美と同じように仕事を紹介した従妹の莉愛がむごたらしい最期を迎えた話をしているというのに、それを憐れむような気配さえまるで伝わってこない。

娘の死を悲しむどころか保険金が入ってきたことでむしろ喜んだ莉愛の両親と同じく、莉々にも莉愛に対する情などまるでなかったということのようだ。と言うよりは、莉々や莉愛の家系は基本的にそういう人間の集まりということらしい。

莉々の両親も、殆ど家に帰らずに娘のことなど放置している状態である。双方共に、愛人の家に入り浸っているのだ。一応、仕事が忙しくて連日職場に泊まり込んでいるという建前ではあるらしいが、それが嘘だということは、莉々も、小学生の頃から承知していた。

まあそれでも、生活費を口座に振り込んでくれて、家賃や学費をきちんと払ってくれて、自分に迷惑さえ掛からなければ両親などいない方がむしろありがたいと莉々は思っていたのだった。そのおかげで、仁美を家に長期間泊めていても何も言われずに済んだというのもある。

今でも、仁美は学校帰りに莉々の家に寄って制服から私服に着替え、ランドセルを背負って、現在の自宅である事務所兼待機室に帰っていた。

もっとも、社長である伊藤判生いとうばんせいには薄々気付かれているようだが。それでも客には気付かれていないようなのでそれで良しとしていたようだ。

莉々の家で私服に着替えて髪を頭の両側でまとめて子供っぽくした上でランドセルを背負い、この瞬間から仁美は陽菜になる。莉々も私服に着替えて一緒に<出勤>した。その姿は小学生の妹を連れた高校生の姉という風情でもある。

小学生チームと中学生チームの待機室のある部屋と、高校生チーム及び大学生・社会人チームの待機室のある部屋は隣同士なので、莉々が開けたドアのすぐ隣に陽菜の姿も消えていった。

陽菜としては一応は家に帰ってきたという体裁なのだが、事務所にいる人間は特に『おかえり』などの声を掛けることもなく、陽菜も『ただいま』などと口にしたりもしなかった。ここにいる人間達は皆、他人のことになど関心は持たないし持たないように努めていたのだろう。

待機室とは別になった生活用のスペースで、陽菜はランドセルから高校の教科書とノートを取り出し、課題を始めた。彼女は基本的に課題などはきちんとこなし、必要以上に学校などから関心を持たれないように心掛けていた。だから普段の格好も、校則をきっちりと守った地味なものである。口数も少なくとにかく目立たないようにしていたのだが、しゃべらないのにはまた別に理由があった。それについてはまた後程説明することになる。

課題を終えて軽く夕食を澄まし、陽菜は待機室の方へと移った。そこには既に麻音まのんの姿があった。心音ここねの姿が見えなかったが、おそらく仕事に行っているのだろう。麻音まのん心音ここねは七時までには家に帰ることになっている。それまでは学童保育に行っているという体裁だった。

なお、実はこの時点では、玲那と心音ここねは人気の一~二を争い、陽菜と麻音まのんがやはり拮抗しているという状態だった。それぞれキャラが被っているからだ。初々しい反応の薄幸そうな少女の玲那と心音ここね。方や幼い外見に反して冷淡で動じない陽菜と麻音まのんという感じだろうか。

客層もそれに応じて分かれており、玲那や心音ここねを好むのは加虐志向の強い、重度の変質的な性癖の持ち主で、陽菜や麻音まのんを好むのは、小学生に興味はあるもののあまり痛々しい感じでは腰が引けてしまう為、平然とした態度で臨んでもらえた方が罪悪感が紛れるという、いわばライトユーザー的な客層だった。だから望まれるプレイの内容も、陽菜や麻音まのんの方は比較的ノーマルでハードではないものが多く、割と楽なものが多かったようである。

この日は、これまでは中学生チームを主に利用していて、初めて小学生チームの派遣を依頼するという客だった。人選はお任せということだったので、四人の中では最も手馴れていて客あしらいの上手い陽菜が選ばれた。陽菜では物足りないと感じた客が、玲那や心音ここねを指名することになるというのが定番のパターンだ。

陽菜も、そんな自分の役割を自覚していた。必要以上に自分を売り込むようなことはせず、客の負担になるようなことはせず、淡々とした接客を心掛けていた。まあ、陽菜自身がそういうやり方しかできないというのもあったのだが。

だが今日の客は、小学生を買うのは初めてということもあってか、少し緊張しているようだった。

「陽菜ちゃんって言うんだ?。陽菜ちゃんは何年生?」

「六年生…」

「へ~、六年生にしてはちょっと小さいのかな?」

「……」

「あ、ごめん、気にしてた?」

「大丈夫…慣れてるから……」

という感じで、あまり会話が弾まない。と言うのも、陽菜が元々あまりしゃべるのが得意ではないからだった。意識せずにしゃべると言葉遣いが汚くなってしまうという癖が彼女にはあったのだ。彼女は幼い頃から言葉遣いが乱暴で、それが原因で両親との関係が拗れていたのだった。

だが彼女自身は、特に粗暴とか乱暴とかいうタイプではなかった。この時点では彼女自身も知らなかったのだが、彼女には脳の言語野に若干の障害があり、言葉を操る能力にハンデがあったのだ。しかし彼女の両親はそれを理解せず、彼女の性格に問題があると思い込んでいた。わざと乱暴な言葉づかいをして大人をバカにしていると思っていたのだった。

子供とよく話し合い、理解することに努めれば決してそうではないことが分かった筈なのだが、彼女の両親は子供は親に従順に振舞うのが当然だと考えており、子供の話などに耳を傾ける必要はないと考えているようなタイプなのであった。

しおりを挟む

処理中です...