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伊藤玲那編
不幸の連鎖
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『子供は親を選べない』
この言葉がこの後どれほど彼女を苦しめるのか、客観的な考え方のできる人間なら、これまでに報道されてきた数多のニュースを基にして容易に想像することができただろう。だが、彼女の両親はそれができるような人間ではなかった。
近視眼的で享楽的で己の欲望にばかり忠実で、他者を顧みることができない。それが彼女、伊藤玲那の両親、伊藤判生と伊藤京子であった。
二人はいわゆる不良仲間であり、互いに家にも帰らず他の仲間と一緒に徘徊しては、暴行、恐喝、窃盗などの非行を繰り返していた。
もしここで誰かが真剣に対処して二人を更生させていたならあの結末はなかったかもしれない。しかしこの時点では、二人の親族さえ匙を投げ、見て見ぬふりを決め込んでいる状態だった。そういう無関心が何をもたらすのかを考えることさえなく。
おそらくは、そういう、自分に都合の悪い現実から目を背けるような人間性こそが二人をこういう人間にしたのだろう。
面倒臭い。
時間がない。
忙しい。
幼い頃からそう言い訳をして、その存在そのものに目を瞑り蓋をして逃げるという行為の積み重ねがここに形を成したのだ。
故に、二人は自分達に子供を育てる能力などない事実から目を背け、周囲にそれを補ってくれる人間も殆どいないという事実さえ見ないようにして目先の快楽に溺れ、性を貪った。
こうなるともう、次にくるのは妊娠である。だがこの二人はそれさえ見て見ぬふりをした。堕胎費用惜しさに『そのうち何とかする』と先延ばしし続け、気付いた時にはもう中絶が可能な時期が過ぎてしまっていたのだった。
「どうすんだよ」
と京子が訊けば、判生は、
「俺が知るかよ。お前が何とかしろ!」
と吐き捨てるだけだった。
そうこうしている間にも腹の中の子は大きくなり、見た目にも明らかに誤魔化しきれなくなって妊娠が周囲に知れ、それに判生の祖父が激怒。借家として貸していたものが空いたこともありそれを一軒譲与する代わりに今後一切、家族の縁を切ると言い出した。
もっとも、この時の祖父の対応も、自身に都合の悪いことを感情的に切り捨てることで責任逃れをしようという浅ましいものでしかなかったのだが。
判生の家族は、いくつもの会社を経営したりして表向きは立派に見えていてもその性根は非常に似通った人間達であった。
祖父に『家族の縁を切る』と言われた判生の方も、祖父母や父母の人間性に対しては元から反発しており、家を譲り受けつつも、
「こんなボロイい家もらって納得するとか思ってんのかよ!」
と吐き捨てるという、実にどうしようもないロクデナシぶりを見せ付けたのである。
そして、文句を言いながらも、築五十年というくたびれた家で生活を始めた判生と京子の長女として、伊藤玲那は生を受けたのだった。
が、こういう人間がまともに子供の面倒を見られるはずもなく、取り敢えず形だけは世話をしているふりをするもののそのやり方はいい加減で、生まれたばかりの玲那はいつも大きな声で泣き続けた。すると自分の思い通りにならない玲那に対して判生も京子も苛立ち、『うるせぇ!』と怒鳴って叩いたりを繰り返すようになっていった。
もちろん、そんなことで赤ん坊が泣きやむ訳がない。確かに最初はショックで泣きやむようなことも何度かあったが、それを自分に都合よく解釈したのだろう。叩けば泣き止むと思ってしまったようで叩くようになってしまったのだが、そんなものはすぐに効果を失う。そして泣き止ませようとしてさらに強く叩くという悪循環が始まったという訳だ。
それでも、そんな様子に胸を痛めている人間もいなくはなかった。近所に住む丸磯昭子もその一人だった。
丸磯家は、第二次大戦後の混乱期に事業を起こして成功した伊藤家から仕事を回してもらうなど助けてもらったことがあり、自分の子供も巣立ち手が空いていた昭子は、伊藤家への恩を返す意味も込めて、
「もしよかったら、私が面倒見てあげる」
と申し出て、玲那の世話をするようになったのだった。
それをいいことに判生と京子は玲那を放って遊び歩き、二~三日帰ってこないということすらあったりもした。
だが、もしかするとこの時期が、玲那にとっても、二十七年ほどの生涯の中で最も安らいだ時であったのかもしれない。昭子が世話をしている時は、判生や京子のところにいる時の癇癪を起したかのような激しい泣き方をすることが殆どなかったのである。
こうして、ほぼ昭子の子供のようにして玲那は育ち、少し人見知りが激しいが大人しい子供として成長していった。
が、この世に神や仏がいるのだとしたら随分と残酷なことをするものである。バブル崩壊のあおりを受け丸磯家の事業も大きく傾き資金繰りが悪化。繋ぎの為と金策に走った際に金を借りた業者が非常に悪質なものだったこともあり、丸磯家は夜逃げ同然で引っ越していってしまったのだ。
玲那が三歳の誕生日を迎える寸前のことだった。
残された彼女は両親の下に戻るしかなかったが、ここからまた、彼女の地獄が始まることとなった。育児放棄と暴力だ。
食事は一日に一回出ればいい方だった。それもコンビニ弁当や総菜パンばかり。両親は殆ど家にいなかった。二日に一度程度の割合でふらりと家に帰っては弁当などを置いていくだけだった。
「…ごはんは…?」
玲那がそんなことを口にしようものなら、
「は? あんた、親に指図するつもり!? 食わしてもらってる分際で何様!?」
などと怒鳴りながら小さな体が吹っ飛んで壁に叩き付けられるほどに激しくひっぱたいたりした。それで彼女が泣きだすとさらに何度も叩いた。
無論その声は、近所にまで響いていただろう。しかし近所の人間は『あれがあの家の方針だから』と口出ししない。実際、伊藤家は代々そのようにしてきたのだという。そういうものだと思い込んできたのだ。『子供の為』という大義名分を掲げてそこに潜んでいる問題に目を瞑って耳を塞いで考えることを避けてきたのだ。暴力で相手を従えるのが正しいことだと言い聞かせてきた結果がそこにあった。
人は、自分が正しいと思い込めば、いくらでも残酷なことができるともいう。悪いのは相手なのだから自分は正義を執行しているだけだと思い込めば、幼い子供の目玉をえぐり出し耳をそぎ首を鋸で引くことさえできてしまうのだそうだ。この時の判生や京子がまさにそうだったのだろう。親に対して生意気な口をきく子供を厳しく躾けるのは正しいことだと思い込んでいたから、僅か三歳の少女にさえこれほどのことができてしまったとも言えるのだと思われた。いや、事実、そう思っていた。自分達も、父母や祖父母にそのようにされてきたのだ。その通りにしているだけでしかない。
だが、それは思考停止というものではないだろうか。自分がそうされてどう感じたのか。そのやり方で自分は世間から不良と呼ばれるような人間になってしまったではないか。どうしてそれをおかしいと思わないのか。なぜ自分は正しく育たなかったのかを考えることができればここまでの行為はしなかったのかもしれないというのに。
判生や京子も、自分が幸せだと思ったことはなかった。そんな苛立ちを幼い我が子にぶつけることを間違っていると気付けないこともまた、大きな不幸と言えるのかもしれない。
この言葉がこの後どれほど彼女を苦しめるのか、客観的な考え方のできる人間なら、これまでに報道されてきた数多のニュースを基にして容易に想像することができただろう。だが、彼女の両親はそれができるような人間ではなかった。
近視眼的で享楽的で己の欲望にばかり忠実で、他者を顧みることができない。それが彼女、伊藤玲那の両親、伊藤判生と伊藤京子であった。
二人はいわゆる不良仲間であり、互いに家にも帰らず他の仲間と一緒に徘徊しては、暴行、恐喝、窃盗などの非行を繰り返していた。
もしここで誰かが真剣に対処して二人を更生させていたならあの結末はなかったかもしれない。しかしこの時点では、二人の親族さえ匙を投げ、見て見ぬふりを決め込んでいる状態だった。そういう無関心が何をもたらすのかを考えることさえなく。
おそらくは、そういう、自分に都合の悪い現実から目を背けるような人間性こそが二人をこういう人間にしたのだろう。
面倒臭い。
時間がない。
忙しい。
幼い頃からそう言い訳をして、その存在そのものに目を瞑り蓋をして逃げるという行為の積み重ねがここに形を成したのだ。
故に、二人は自分達に子供を育てる能力などない事実から目を背け、周囲にそれを補ってくれる人間も殆どいないという事実さえ見ないようにして目先の快楽に溺れ、性を貪った。
こうなるともう、次にくるのは妊娠である。だがこの二人はそれさえ見て見ぬふりをした。堕胎費用惜しさに『そのうち何とかする』と先延ばしし続け、気付いた時にはもう中絶が可能な時期が過ぎてしまっていたのだった。
「どうすんだよ」
と京子が訊けば、判生は、
「俺が知るかよ。お前が何とかしろ!」
と吐き捨てるだけだった。
そうこうしている間にも腹の中の子は大きくなり、見た目にも明らかに誤魔化しきれなくなって妊娠が周囲に知れ、それに判生の祖父が激怒。借家として貸していたものが空いたこともありそれを一軒譲与する代わりに今後一切、家族の縁を切ると言い出した。
もっとも、この時の祖父の対応も、自身に都合の悪いことを感情的に切り捨てることで責任逃れをしようという浅ましいものでしかなかったのだが。
判生の家族は、いくつもの会社を経営したりして表向きは立派に見えていてもその性根は非常に似通った人間達であった。
祖父に『家族の縁を切る』と言われた判生の方も、祖父母や父母の人間性に対しては元から反発しており、家を譲り受けつつも、
「こんなボロイい家もらって納得するとか思ってんのかよ!」
と吐き捨てるという、実にどうしようもないロクデナシぶりを見せ付けたのである。
そして、文句を言いながらも、築五十年というくたびれた家で生活を始めた判生と京子の長女として、伊藤玲那は生を受けたのだった。
が、こういう人間がまともに子供の面倒を見られるはずもなく、取り敢えず形だけは世話をしているふりをするもののそのやり方はいい加減で、生まれたばかりの玲那はいつも大きな声で泣き続けた。すると自分の思い通りにならない玲那に対して判生も京子も苛立ち、『うるせぇ!』と怒鳴って叩いたりを繰り返すようになっていった。
もちろん、そんなことで赤ん坊が泣きやむ訳がない。確かに最初はショックで泣きやむようなことも何度かあったが、それを自分に都合よく解釈したのだろう。叩けば泣き止むと思ってしまったようで叩くようになってしまったのだが、そんなものはすぐに効果を失う。そして泣き止ませようとしてさらに強く叩くという悪循環が始まったという訳だ。
それでも、そんな様子に胸を痛めている人間もいなくはなかった。近所に住む丸磯昭子もその一人だった。
丸磯家は、第二次大戦後の混乱期に事業を起こして成功した伊藤家から仕事を回してもらうなど助けてもらったことがあり、自分の子供も巣立ち手が空いていた昭子は、伊藤家への恩を返す意味も込めて、
「もしよかったら、私が面倒見てあげる」
と申し出て、玲那の世話をするようになったのだった。
それをいいことに判生と京子は玲那を放って遊び歩き、二~三日帰ってこないということすらあったりもした。
だが、もしかするとこの時期が、玲那にとっても、二十七年ほどの生涯の中で最も安らいだ時であったのかもしれない。昭子が世話をしている時は、判生や京子のところにいる時の癇癪を起したかのような激しい泣き方をすることが殆どなかったのである。
こうして、ほぼ昭子の子供のようにして玲那は育ち、少し人見知りが激しいが大人しい子供として成長していった。
が、この世に神や仏がいるのだとしたら随分と残酷なことをするものである。バブル崩壊のあおりを受け丸磯家の事業も大きく傾き資金繰りが悪化。繋ぎの為と金策に走った際に金を借りた業者が非常に悪質なものだったこともあり、丸磯家は夜逃げ同然で引っ越していってしまったのだ。
玲那が三歳の誕生日を迎える寸前のことだった。
残された彼女は両親の下に戻るしかなかったが、ここからまた、彼女の地獄が始まることとなった。育児放棄と暴力だ。
食事は一日に一回出ればいい方だった。それもコンビニ弁当や総菜パンばかり。両親は殆ど家にいなかった。二日に一度程度の割合でふらりと家に帰っては弁当などを置いていくだけだった。
「…ごはんは…?」
玲那がそんなことを口にしようものなら、
「は? あんた、親に指図するつもり!? 食わしてもらってる分際で何様!?」
などと怒鳴りながら小さな体が吹っ飛んで壁に叩き付けられるほどに激しくひっぱたいたりした。それで彼女が泣きだすとさらに何度も叩いた。
無論その声は、近所にまで響いていただろう。しかし近所の人間は『あれがあの家の方針だから』と口出ししない。実際、伊藤家は代々そのようにしてきたのだという。そういうものだと思い込んできたのだ。『子供の為』という大義名分を掲げてそこに潜んでいる問題に目を瞑って耳を塞いで考えることを避けてきたのだ。暴力で相手を従えるのが正しいことだと言い聞かせてきた結果がそこにあった。
人は、自分が正しいと思い込めば、いくらでも残酷なことができるともいう。悪いのは相手なのだから自分は正義を執行しているだけだと思い込めば、幼い子供の目玉をえぐり出し耳をそぎ首を鋸で引くことさえできてしまうのだそうだ。この時の判生や京子がまさにそうだったのだろう。親に対して生意気な口をきく子供を厳しく躾けるのは正しいことだと思い込んでいたから、僅か三歳の少女にさえこれほどのことができてしまったとも言えるのだと思われた。いや、事実、そう思っていた。自分達も、父母や祖父母にそのようにされてきたのだ。その通りにしているだけでしかない。
だが、それは思考停止というものではないだろうか。自分がそうされてどう感じたのか。そのやり方で自分は世間から不良と呼ばれるような人間になってしまったではないか。どうしてそれをおかしいと思わないのか。なぜ自分は正しく育たなかったのかを考えることができればここまでの行為はしなかったのかもしれないというのに。
判生や京子も、自分が幸せだと思ったことはなかった。そんな苛立ちを幼い我が子にぶつけることを間違っていると気付けないこともまた、大きな不幸と言えるのかもしれない。
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