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どうしたものかな

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「…分かりました。先生は今までちゃんとしてくれてましたから、その先生がそう言うのならよっぽどなんでしょう。気が乗らないことは誰にだってあります。先生も人間だったってことですね」

工房の担当者が、なるべく穏やかな感じになるようにと気遣ってくれているのが分かる口ぶりで、そう言ってくれた。本当にありがたかった。

だけど、桃弥とうやにしてみればそんな風に相手に気遣わせること自体が苦痛だった。だから他人と関わらないことを心掛けてきた。他人に気遣わせるようなこともなるべく避けようとしてきた。でも、担当者も言ったとおり、人間である以上、こういう時もある。

桃弥とうやは決して、甘えている訳でもなければサボっている訳でもない。スポーツ選手における<イップス>と呼ばれる症状に近いものかもしれない。

だからもしここで拗らせてしまえば、作家生命にも関わる事態とも思われた。

受話器を置いた後、桃弥とうやは「ふう…」と深い溜息を吐いた。彼には珍しい姿だった。

「……」

そんな彼を、真猫まなが、廊下から覗き見ていた。まるで猫のように壁に半分体を隠して、じっと。

そしてするりと音を立てずに彼に近付いて、ふわりと体を寄せてきた。彼の首筋に自分の頬を擦りつけるようにして。

「もしかして、慰めてくれてるの……?」

猫が主人に甘えるかのようなそれは、確かにふわっとした感覚を桃弥とうやにもたらし、納期の延長を申し入れる為の電話を掛けたストレスを和らげてくれるのが分かった。

そう。真猫まなにとっても桃弥とうやは、なくてはならない存在になっていたのだ。だから彼女にできる方法で、桃弥とうやを癒そうとしたのだ。

「……ありがとう……」

真猫まなの頭をそっと撫でながら、桃弥とうやが礼を言った。

それがまた、改めて彼女が彼にとっての<家族>であるという実感に繋がったのだと思われる。

「そうだな…、焦っても仕方ないよな」

桃弥とうやは自分の心が軽くなるのを感じながら、でも同時に、これからどうするべきかを考えた。

思えば、今までが上手くいきすぎたのだろう。高校の頃、何気なく思い付きで作って美術展に出品した人形が思わぬ評判を呼び、そのまま今の工房に見いだされる形で人形制作の依頼を依頼を受けるようになり、就職活動などしたこともなく人並み以上の収入を得るようになった。

こんなこと、普通はあり得ない。その有り得ないことがずっと続いてきたのがここにきてようやく<壁>にぶち当たったということなのだろう。

「でも……、どうしたものかな……」

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