獣人のよろずやさん

京衛武百十

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第四部

生かす力

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私が、

『他者を敬うとはどういうことか?』

を教わったのは、親ではなくカレッジの教授でした。けれど、それを教えてくださった教授と出逢えたのはただの偶然ですよ。私が進んだカレッジにたまたまいらっしゃっただけです。しかも他にもたくさんの教授がいらっしゃったのにそれを教えてくれたのはその教授だけでした。

つまり、学校に行ったからって必ずしも教わることじゃないというわけです。

当然ですよね。学校の教員や教授にはそれを教えなければいけない義務はないんですから。決められたカリキュラムさえこなしていれば何も問題ないんです。

『自分が教えなくてもどうせそのうちに誰かから教わる』

と考えてる親なんて、怠慢以外の何だと言うんですか?

ここでは、子供はとても大切にされます。ひどく虐げられたりしない。しかも、親が上手くできなくても誰かがそれを補ってくれる。フォローしてくれる。だから『相手を敬う』ということが自然と行われていて、子供はそんな親を見て育つんです。

そしてある程度育っていろいろなことが分かるようになってから、厳しく指導されるようにもなる。

ただその一方で、ノーラのように、指導についていけない者に対してはついつい過剰に厳しくなって、それがやがて虐待へと至ってしまう。ノーラの事例がまさしくそれでした。山羊人やぎじん達も決して悪意があったわけじゃない。ノーラの持つ<特徴>について十分な知識がなく、対処法も分からず、何より彼女のような個体を支えていられるだけのリソースがない。だからこそ虐待の果てに死なせてしまったとしても、そもそも生かしておけるだけのリソースがないのだから咎められることでもない。

あくまで私達にはそれに対処できるだけの知識をはじめとしたリソースがあったことで、伍長も彼女を保護しただけなんです。

正直、専門家ではありませんでしたから躊躇いもありましたし、そこを伍長が強引に保護を実行しただけですけど。

彼には確信があったんでしょうね。

『自分達ならできる』

という。実際、できてしまいましたし。私が慎重すぎただけです。そして伍長自身、私達の協力がなくても自力で何とかするつもりだった。

リータや震電への接し方を見てればそれがただの思い上がりでないことも分かります。

彼にはそもそも<人を育てる能力>が備わっていたんです。

ガサツで乱暴者でデリカシーがなくて粗忽で。だけど<生きる力>には確かに溢れてる。しかもそれは、

<生かす力>

でもある。

まったく、大した人ですよ。

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