獣人のよろずやさん

京衛武百十

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第四部

結局自分が損をすることになるのが分かるでしょうに

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単なる<子育ての話>から、人間という種そのものの話に広げるのは、飛躍し過ぎに感じるかもしれません。いえ、間違いなく、

『大袈裟すぎwww』

と嘲笑う人もいるでしょう。けれど、

『人間を人間として扱う』

ことこそが<子育て>というものだと、すでに判明しているんです。それを認めたくない人がいるだけで。

自分が人間として扱われたいのなら、自分以外の人のことも人間として扱わないといけないというだけの話なんです。

それは、<子供>も同じ。

震電を人間として扱う伍長だからこそ、震電からも人間として接してもらえる。人間として敬ってもらえてる。すでに言葉を理解している彼女は、伍長を理不尽に扱おうとしません。上手く自分の気持ちを伝えられない時には拗ねたりもしますけど、それは実は、『気持ちを上手く伝えられない自分自身が許せない』というだけですからね。

だから震電は伍長のことが大好きなんです。

そして獣人達も、伍長のことを信頼している。そんな彼に見守られて、みんなも安心して仕事ができてるみたいですね。

……って、それじゃ私も存在意義は……?

と思わなくもないですが、まあ、上手く行ってるのならあんまり気にしても仕方ないでしょう。自分じゃない人が上手くやれることに対して僻んだり妬んだりする人もいますけど、それが何をもたらすか、客観的に考えたら、結局自分が損をすることになるのが分かるでしょうに、どうして目先の自己満足に執着するんでしょうね。

そういうのも結局は、自己肯定感の低さからくるのでしょうか? 私個人はそうかんがえると腑に落ちるんです。

人間というのは、<個の集合体>です。特に地球人類という種そのものはすでに<群体>化し、その全体こそが<地球人類という人間>であると唱える学者もいたそうですが、私の実感としてはその上でなお、<個>の人間性といったものが、ある程度以上の割合で偏向していると人間という種そのものがそちらに偏った傾向を見せるという印象はあるんです。

つまり、自己肯定感の低い人間が多いと、人間という種そのものが、自意識を肥大化させ、欲求を暴走させる傾向に陥るんじゃないかと。

何しろ地球人類は、戦争がいかにリスクの高いものであるかと知りながらも、建前上は戦争を完全に放棄しながらも、なお、

<大規模テロリズム>

という名の紛争を起こし、実質的な戦争を行っていたのですから。戦争によって得るものとは何なのでしょう? 

何にそれほどまでに掻き立てられているのでしょう。

そこにあるのはただの自己満足としか思えないのに。

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