獣人のよろずやさん

京衛武百十

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第四部

適性が低い

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もっとも、軍人としての適性検査の段階で、

『誰かに認めてもらいたい』

『称賛を浴びたい』

『感謝されたい』

と考える人間は、そもそも『適性が低い』とされて撥ねられる可能性が高いですけど。

それらは<英雄願望>とも結びつきやすく、そして自らを傷付ける諸刃の刃でもある。

なにしろ軍は<暴力装置>であり、平時では疎まれることも多い存在ですから。私の両親が軍を蔑んでいたように。

認められ称賛を浴び感謝されることもあるのと同時に、否定され蔑まれ疎まれることもあるのが軍というものです。だからこそニュートラルな感性が求められるものでもある。

軍の存在そのものに対する抗議デモなんて日常茶飯事ですよ。そしてそのデモ隊に対して警備することもある。今ではその多くがロボットの役目ですけど、デモ隊のシュプレヒコールが届くところで勤務することも少なくないですからね。そんなところに『誰かに認めてもらいたい』『称賛を浴びたい』『感謝されたい』と考えてる人が配されていたら、さぞかし精神を蝕まれるでしょう。

基本的に感謝されたくて軍人になったわけじゃない私でさえ、不穏な気分に何度もなりましたし。

これまた、少佐が労わってくれましたから耐えられただけで。

いずれにせよ、『誰かに認めてもらいたい』『称賛を浴びたい』『感謝されたい』というのは人間としてはごく当たり前な欲求でしょうが、そのために自分以外の誰かが自分の思うとおりに振る舞ってくれるのを期待するのは、むしろ自分を追い詰めるだけですよ。

事実、デモ隊にキレて発砲しようとした隊員が、上官に射殺されたりもしましたからね。

デモ隊の理不尽さは確かに目に余るものがありました。けれど、だからといって銃を向ければ、それで死者でも出ようものなら、向こうに正当性を与えかねないですから。

特に当時は、ロボットによる軍の再編が叫ばれていた時でした。今いる人間の兵士も、全員、ロボットに置き換えようという動きがあったんです。ロボットならデモ隊にキレて発砲することもありませんし。

でも、どれほどロボットが優秀でも、最後の決断は人間がしなきゃならないんです。人間が、現場で。

もしかするともっと時代が進めば、そういう部分さえロボットに任せてしまうようになるかもしれない。だけどあの時はまだ、そうじゃなかったんです。それは時期尚早だった。

ロボットに地球人類の首根っこを押さえられるわけにはいかなかったんです。

まだね。

だから『誰かに認めてもらいたい』『称賛を浴びたい』『感謝されたい』という気持ちを優先する人間には軍人は務まらなかったんですよ。

親は、それでいいんですか?

自分の思い通りにならない相手に肉体精神を問わず暴力を向けることが許されるんですか?

親という存在は。

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