獣人のよろずやさん

京衛武百十

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第四部

野生の獣にも劣る

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結局、そういうことですよね。

人間は万能じゃない。完璧じゃない。すべてにおいて自分の力だけで何もかもを成せるわけじゃないから他者の力を借りることもする。そして、必要とした時に力を貸してくれる誰かを見付け、

<力を貸してもいいと思ってもらえる存在>

でいることは、自らの努力によって為し得るものですよね?

伍長を見ているとまさしくそれだというのが分かります。

自分だけは一方的に周囲から力を貸してもらおうとして、なのに周囲がそれを望んだ時には、

『甘えるな!』

と突き放す。そんなことをしていて信頼が得られるはずがない。信頼関係を築くことができるはずがない。

当たり前のことですよね?

他者に対して『甘えるな!』と言うのなら、自身も他者の力をあてにしちゃダメでしょう。どうしてそんなことも分からないんですか?

今は震電は、自分の力だけじゃ生きていけません。だから力を貸し与える。私達が支える。だからこそいずれは震電も誰かを支えることができるようになる。

彼女は目が見えないので、その分、力は小さいかもしれない。けれどそれは彼女が成長してみないと確かめられないことです。

伍長と同じように、暗闇の中で獣蟲じゅうちゅうと戦い退けることができるようになるかどうかは、実際に成長してみたいと分からないんです。伍長のしていることは誰でもできることじゃないのは確かですが、決して伍長にしかできないことでもない。事実、少佐も伍長に近いことはできています。伍長の方が上だというだけで。

震電にできないという根拠は何処にもないんです。もちろん、できる保証もありませんが。

ですが<可能性>というものは、ないと確認されるまでは『ない』と断定することもできません。

それに、別の形で何かできるかも知れませんからね。

その可能性を信じて震電を育てるのなら、当てが外れたとしても、

<可能性を信じた責任>

は私達にあります。それが、

<親として子供をこの世に送り出した責任>

じゃないんですか? それをわきまえず、ただ快楽だけを求めて、その結果には責任を負わないとか、

『野生の獣にも劣る』

というものでしょう?

私はそんな人間ではいたくない。

自ら、

<子供を作る道具>

になり果てると言うのなら好きにすればいいでしょうが、私はそんなのはごめんです。自らの行いに責任を負える者でいたい。その当たり前のことができる者でいたい。

いずれ少佐との間に子供ができたとしても、この世界に子供自身の承諾なく私の勝手で送り出すその事実と向き合える人間でいたいと思います。

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