獣人のよろずやさん

京衛武百十

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第三部

優しい世界

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山羊人やぎじんとしての常識が理解できないノーラとの間に子を生したトームは、

『無責任な奴!』

と非難を浴びるかもしれません。ですが、少なくとも彼には、生まれた子供を自身と同じ存在として受け止める覚悟はありました。実際、ノーラが十分に育児ができないのを、トームが補っているんです。けれど、それだけじゃ十分じゃない部分も確かにある。それを、私達が補うんです。

そうやって他人が補わないといけないことについても、

『自分で育てられないなら生むな!』

と口にする人がいますが、自分の親がまったく他人を当てにせず自分達の力だけで育てたと、本気で思っているんでしょうか? 公的な育児支援給付を受けたり、保育所に子供を預けたり、本来ならば親が子供に諭すべきことを学校や教師に丸投げしていたということはありませんでしたか? 

<人間としての在り方>

<人間としての生き方>

を、親が自分の子供に教えるのではなく、他の誰かが教えてくれるだろうと考えて、自ら子供に向き合うことを避けていたりしませんでしたか? それは、

『親の力だけで育児をした』

などとは言えないはずですよ?

そしてその事実を、言い訳を並べて胡麻化そうとするのなら、それこそ現実と向き合えていないと自ら証明するようなものじゃないですか。

だけどトームは、未熟なリにも努力をしているんです。私達は、彼の力だけでは足りない部分を補っているにすぎない。しかも、彼には、私と少佐と伍長の三人だけでは続けられなかった<よろずやの運営>を助けてもらってるんです。これこそまさに<持ちつ持たれつ>ですよね。

そう言えば、漫画やアニメにおいて、登場人物の多くが理不尽な真似をしないだけで、

<優しい世界>

などと称されていたことがあったのを覚えています。

本来、他者に対して理不尽なことをしないのは、<人間として当然の振る舞い>ではないのですか? なのにその当たり前の振る舞いをするだけで<優しい世界>と言われるなど、つまり、実社会では<人間として当然の振る舞い>ができていない人がそれだけ溢れているということですよね? 珍しくもない、むしろそういう人がいない方が珍しいと、そういう人達が少ないのが<優しい世界>と称されるほどに貴重だと、思われているということですよね?

どうしてそんなに実社会には、

『<人間として当然の振る舞い>ができない人が溢れている』

んですか?

<人間として当然の振る舞い>をしたくないと、自分勝手に自分本位に生きたいと、そう考えている人が多いからじゃないんですか?

そういう人達が口にする<無責任>という言葉に、何の価値があるんでしょうか?

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