獣人のよろずやさん

京衛武百十

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第二部

仕上げ

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さあ、いよいよ仕上げです。

と同時に、各部の状態を念入りにチェックしていきます。それぞれを担当した獣人らと一緒に確認。しかし<対ゴヘノヘ用決戦兵器>を建造した経験があるとはいえ、実にしっかりと作られていました。彼らの能力の高さが窺えます。

加えて、彼ら自身がこのゴヘノヘ御輿の建造と、それに続く<祭>を楽しみにしているんだということかもしれません。

むしろ地球人の方が、こういう時、面倒がって手を抜く人が多いかも。

ただそれも、

『仕方なく手伝わされているから』

というのもあるんでしょうね。でも、彼らは違う。中には『仕方なく手伝ってる』者もいるとしても、そのほとんどが自ら進んで関わってるんです。だからモチベーションがそもそも違う。

彼らにとってはゴヘノヘの件は、自らの命に関わる切実な問題であると同時に、この<ゴヘノヘ御輿の建造>及びそれに続く<祭>は、彼らにとっての<希望>そのものでもある。

<ゴヘノヘの脅威に打ち勝つ希望>

というね。

だとすればモチベーションが高く真剣にならざるを得ないというのも事実でしょう。

もちろん、すべてが完璧というわけじゃありません。細かい不具合はいくつか見付かりましたが、彼らはその対処にも、真剣に臨んでくれました。自らの責任を果たすために。

地球人の社会では、『責任の所持を明らかにする』と言えば『罰を与える』というものとセットように考えられがちですが、責任の所在を明らかにするという行いの目的が処罰を目的にしたものになりがちですが、本来は別のもののはずです。自身に与えられた役目を完遂するというのが<責任>であって、それが故意に放棄された場合には<罰>を与えることで自覚を促すために処するのであって、『罰を与える』ことが目的になってしまっては意味がないはずなんです。

故意でなく当初の目標が達成できなかった場合には、『評価しない』『褒賞を与えない』だけで十分に<罰>になるところを、過剰に罰しようとするから委縮し疎むようになるんでしょうね。強い罰を与えるのは、あくまで、『故意に責任を果たさなかった』場合のみで十分なのでしょう。

私達も、罰を与えることが目的にならないように留意しています。当初に望まれていた結果に到達できればそれでいいので、不具合があっても担当者が改めてしっかりと対処し、リカバーしてもらえればそれでいいんです。二度手間になってしまったことでもう十分に<罰>になっていますからね。

監督係である私達に手間を掛けさせたという部分は、それ自体が元々私達の<役目>であり、そういう事態も想定してのチェックなのですから、これは問題ではありません。

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